■20251214(日曜日:雨) ( D 253 )

■今朝の写真は、台北市にある「台湾銀行」です。日本の中央銀行である「日本銀行」の台湾版かと思いきや、そうではないようです。
台北にある「台湾銀行(Bank of Taiwan)」は民間銀行ではなく、台湾政府が100%出資する政府系(公営)金融機関です。
主な特徴は以下の通りです。
- 運営母体: 台湾政府が全株式を保有する「台湾金融控股(Taiwan Financial Holdings)」の傘下にあります。
- 役割: 台湾最大の資産規模を誇る銀行であり、政府公金の取り扱いや、ニュー台湾ドルの発券準備業務などを担っています。
- 本店所在地: 台北市中正区重慶南路一段120号に位置しており、その建物は歴史的建造物としても知られています。
なお、台湾には「中国信託商業銀行」や「台北富邦銀行」などの民間銀行も多数存在しますが、台湾銀行はそれらとは異なり、公的な役割を持つ銀行です。
歴史的経緯から、台湾中央銀行と台湾銀行の役割分担があるようです。
■今朝は雨です。午前中一杯は雨が続きそうです。中学時代の同級会コンペも、残念ながらキャンセルになりました。天候だけは致し方ありません。こうなると、絶好のフィットネスクラブ日和となります。
昨夜は、医師会の忘年会でした。雨の予想でしたので、車で出かけて烏龍茶に徹しました。会場のホテルは披露宴や宿泊客が多く、駐車場は満杯。離れたところに止めざるをえませんでした。終わって早々に会場を後にして、駐車場にたどり着く頃、本降りになってきました。
今は理事ですので、私も出席していますが、忘年会も毎年少しずつ顔ぶれが変わっています。出席者の中で最長老の78歳の先生が開会の挨拶をされましたが、周りを見渡してみると、数多くの出席者の中で、もう自分は3番目の年寄であることに気付いて、愕然としました。
私が役員の仲間入りをして、忘年会に参加し始めた頃は、会場も料亭でした。料亭の2階の座敷を借り切って行われていました。その頃は料亭も、まだいくつか営業していましたが、今はすべて廃業しました。そうした宴会場も、次第に二つのホテルに統合された後、5年前に一方が閉鎖し、現在は最後のホテルが営業中です。
会合や宴会を開くとなると、選択肢がありません。それだけの需要がないのです。地方都市は、どこも同じような状況でしょう。
同じテーブルに同席した先生方と話すのも、なかなかに大変です。普段理事会で顔を合わせてはいるものの、年代も専門科も出身大学も異なるとなると、話の糸口を探し続けるのは、いささか難儀です。向こうも、そう思っているに違いありません。昔話をしても、世代が違うと愚痴にしか聞こえないでしょう。
そうして次第に出席する顔ぶれが変わっていきます。多くの先生方が、次々に旅立っていきました。こうした会合に出る度に最近思うのは、やはり与謝蕪村の句「人老いぬ 人また我を 老と呼ぶ」です。QwenChatに読みどころを尋ねてみると、こう教えてくれました。
与謝蕪村の句「人老いぬ 人また我を 老と呼ぶ」の読みどころとして、以下の2点が挙げられます。
1. 鏡像的な構造と自己認識の深さ
この句は「他人が老いているのを見る → その他人が自分を『老い』と呼ぶ」という流れで、他者を通して自己の老いを認識する様子を描いています。
他人の老いが鏡のように自分を映し出し、「自分もまた老いている」と気づかされる瞬間が、静かにしかし鋭く表現されています。
このような他者と自己の往復構造は、蕪村らしい知的で内省的な視点の現れです。2. 言葉の繰り返しによるリズムと重層性
「人」という語が二度繰り返され、「老」も二度登場することで、言葉のリズムが生まれるとともに、老いの普遍性・連鎖性が強調されます。
この反復は、老いが個々人の問題にとどまらず、人間共通の宿命であることを暗示しており、読む者に深い共感と諦念を呼び起こします。こうした点から、この句は単なる老いの嘆きではなく、他者との関係性の中で浮かび上がる自己のありようを、洗練された言葉で浮き彫りにした名句といえます。
まさに、この句を思い出しながら、忘年会の時間を過ごしていたのです。

コメントを残す