■1年間様々な活動に取り組みました。いつまで、こんな事ができるのか。時間との戦いです。
■2024年は新たな出直しの一年でした。2023年はマラソン大会に3回しか出場しませんでした。出場する気力が無かったという方が正確です。
2024年は、もう一度原点に戻って挑戦してみようと、2月の横浜での雨の中での大会から始まり、合計7回の大会に出場しました。4大会は初めての参加でした。自分でも、よく頑張ったと思います。3月で東部眼科医会会長を勇退し、肩の荷を下ろす予定だったことも背中を押してくれました。
何よりも大きな変化は、年始から月曜日を休診としたことです。医者になって43年間、週休二日のことは一度もありませんでした。勤務医時代も土曜日は仕事だったのです。日曜日が当番医となると、連続して2週間、働き詰めということも珍しくありませんでした。
それが大きく変わりました。日曜日にマラソン大会に出場しても、翌日休みですから、ゆっくりと疲れを取ることができます。気持ちの面で大きな違いです。ゆとりができました。それが7回の参加という結果に繋がりました。
6月2日、6月9日と2週続けて北海道に出かけて、ハーフマラソンを走りましたが、もう2度とそんな事はできそうにありません。
ただし、タイムという面では、衰えとの戦いでした。2014年には、ただがむしゃらに走っても、制限時間内に完走できた焼津マラソンも、今年は制限時間を突破できませんでした。昨年のキウイ・マラソン以来、2度目の途中棄権でした。途中棄権は惨めです。運営車に収容されて大会会場に戻るのは、なんとも寂しい限りです。
今年最後の大会だった川口マラソンでは、最後2つの関門をタッチの差で通過しましたが、最終関門通過には、ほぼ全力疾走が必要でした。運営管理者が、とても親切でした。案内板に「関門まで、あと300メートル。残り2分です」と大きく掲示して、ランナーたちに知らせてくれました。知らせてくれなかったら、時間切れで私は途中棄権だったでしょう。
全力疾走後は、ふくらはぎが痙攣して往生しました。それでも何とか騙し騙し、最後まで走り切りました。60歳からの10年間で、下半身を中心に30%の筋肉が消失する、と本には書かれています。タイムも10年前より、30%遅くなっています。ドンピシャリです。
3月からは筋トレも、それまでの全方位鍛錬から、スミスマシーンによるベンチプレスとバーベルスクワットに絞りました。それ以来、立っていることが苦にならず、しっかりと起立している、という実感があります。太ももも太くなりました。器具なしで家の中でも、しっかりとスクワットができるようになりました。成果を実感しています。
川口マラソンの後には、完走を祝って孝平ちゃんと一杯やりましたが、これもまた最高の喜びでした。ただし、川口マラソンへの参加は、今年が最初で最後になりそうです。来年は完走することが難しそうだからです。
■仕事面では、一週間のリズムが様変わりしました。火曜日、水曜日の混雑を乗り切るのが、ひと仕事になりました。仕方ありません。それでも、そこを乗り切れば落ち着いた時間を持つことができるようになりましたから、筋トレにもじっくりと取り組むことができるようになり、充実した時間を満喫しています。
医師会の役員は、すべて勇退するつもりでしたが、成り行き上、沼津医師会理事を、さらに2年間続けることになりました。沼津医師会眼科医会会長、静岡県眼科医会副会長は、希望通り引き継ぎが完了し、ホッとしています。肩の荷が降りました。
■今年はジーロングのママが、娘さんの結婚披露宴に、のんと一緒に私たち夫婦も招待してくれました。正直、喜び一杯でオーストラリアへ行きたかった訳ではありません。何しろ遠いのです。成田空港からメルボルン空港まで9時間以上かかりますから、決して楽な旅ではありません。今回はJAL便でしたが、ビジネスクラスにしました。
リクライニングシートですので、ゆっくりと寝ることができ、その点は楽でした。ただし、早朝に着いて、ママが予約してくれたホテルへタクシーで向かったのですが、ママがしっかり確認してくれたにも関わらず、昼までしか部屋は使えない、の一点張りで、結局12時前まで眠って、その後は荷物を預けて、時間を潰すしかありませんでした。
周辺を二人でブラブラしたのですが、幸い天候は良かったので、寒さで震える、あるいは暑くてぐったりする、などの心配はありませんでした。眼の前が立派な病院で、見学しながら内部を覗きました。肥満体の人が、やたらに目につきましたが、あれでは動脈硬化からの病気が多いはずです。
夕方になって、ようやくママたちがホテルに到着し、フロントと掛け合ってくれました。部屋に戻って、夕食まで少し休むことができました。夕食はホテルのレストランで立食パーティー形式でした。何しろ久しぶりに皆さんと会うので、誰が誰だかさっぱり分からず身の置き場がなかったのですが、マチューが相手をしてくれて、何とか凌ぐことができました。