2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

投稿者: aiaiganka Page 146 of 314

組織文化

■20220110(月曜日:曇:成人の日)

6年前に出掛けた川崎大師の様子です。大勢の参拝客で大混雑でした。商店街もにぎわっています。

■今日は成人の日、休日です。昔は成人の人は1月15日だったように記憶していますが、いつの頃からか連休になるように変更になりました。休日で休む私のような仕事の場合、それはそれで助かります。

しかし現在では、働く人の4割が非正規社員ということで、いわば日給・月給のような形で働いていますので、休日が必ずしも、ありがたいわけではないようです。

働ける日数が減れば収入も減るわけですから、休日が増えればありがたいと単純には言えない面があります。同じ給料がもらえるのであれば、休みが多い方が良いに決まっていますが、そうした環境にある方は次第に、少なくなってきています。社会全体が大きく変わり、ゆとりがなくなってきています。

■さて、今日の東京新聞には、さまざまな興味ある記事が載っていますが、6面では「あの人に迫る・勝ち残るために組織を変革せよ・中竹竜二チームボックス代表取締役」が語られています。

書き出しの部分はこうです。

「変化の激しい時代の中で、勝ち続ける企業や組織に求められるものとは。企業のリーダー育成を手がける「チームボックス」代表取締役の中竹竜二(48)さんは、目には見えない「組織文化」の変革こそが大切だと説く。

早稲田大学ラグビー部監督時代、部員から「日本一オーラがない監督」と言われながら母校を二度、全国優勝に導いた。常勝への第一歩は、自らの弱さを認めることだという。」

この記事を読んで感じたのは、これは何も企業における組織文化だけの問題ではなく、日本という国全体に当てはまることではないかという思いです。

変化の激しい時代、国際社会で勝ち残っていくために日本企業に求められることは何か、という記者の質問に対して、中竹さんは、こう答えています。

「グローバル化では資本や資源を持った企業が勝つので、安易にそこの競争に乗らないこと。自分たちの価値を定義し、文化を大事にすることが大切だと考えます。

経営者はもちろん、一般の社員も、自分たちの組織の価値は何かを考える機会を作っていくことが求められている。組織文化の変革は時間のかかる作業ですが、根気よく続けることですね。」

日本の社会が大きく劣化しているように見えます。戦後、勢いだけで突き進んできた時代を経て、変化に対応しきれていないように思うのです。

そんな時に、国民一人ひとりが、自分の頭で考え、どう行動すべきなのかを、中竹さんは教えてくれているように私には思えるのです。

■今日は休日です。穏やかで部屋の中にいる限りは、暖かな日和です。部屋の掃除をしたり、布団を干したりしながら、たまたまテレビで再放送を見ました。「おらが春」です。

おらが春〜小林一茶〜

初回放送日: 2002年1月3日

15 歳で故郷・北信濃から江戸へ奉公に出された小林一茶(本名・弥太郎)(西田敏行)は、葛飾派の俳諧師として、江戸で活動していた。相撲番付ならぬ俳人番付では、小さく下のほうに載る程度の活躍だったが、富津の名主の奥方・花嬌(かたせ梨乃)には慕われている。花嬌が亡くなり、父・弥五兵衛(財津一郎)が倒れた、という知らせを聞いて一茶は帰郷し、妻をめとり、子を授かるが、生家との確執は続き、妻や子を次々亡くし…。

20年前の作品です。どの俳優さんも若いのに驚きます。それにしても、壮絶な小林一茶の人生です。そして、すごいエネルギーです。51歳にて故郷(柏原:長野県信濃町)に戻り、ようやく安定した生活を始め、何と52歳で最初の妻を迎えます。

しかし最初の妻との間に生まれた子供4人は夭折し、妻にも先立たれます。そしてネットによれば、

再婚相手との結婚生活は早々に破綻し、身体的には中風の発作を繰り返し、64歳の時に3度目の結婚をするものの、65歳で亡くなる数カ月前には火事で自宅を焼失するなど、後半生も不幸続きの人生であった。また一茶は弟との遺産相続問題などが尾を引いて、故郷柏原では必ずしも受け入れられず、一茶自身も故郷に対して被害意識を最後まで持ち続けた。

1828年1月5日に亡くなっています。豪雪地帯である故郷柏原を読んだ句は、決して誇張ではないそうです。

これがまあ つひの栖(すみか)か 雪五尺

メッシュWi-Fi

■20220109(日曜日:晴れ)

6年前に出掛けた川崎大師の様子です。大勢の参拝客で大混雑でした。

■先週からメッシュWi-Fiを導入してから、インターネット接続が格段に安定しました。2台の機器(コントローラとエージェント)が相互に連絡を取りながら、どんな端末からの接続にも、対応してくれるのです。ネットによれば、

「メッシュWi-Fi」は、コントローラとエージェントが協調して動作するため、コントローラとエージェントは、環境の変化に応じて最適なスループットが得られるよう自動で接続先を変更しなおします。

モバイルデバイスは、コントローラとエージェントの数だけ無線の接続先が見えますが、「メッシュWi-Fi」からの接続先情報の提供により、最適なスループットが得られるよう、高速ローミングで常に最適な接続先に自動で接続しなおします。

と、解説されています。理屈は難しくて、よく分かりませんが、利用者としては円滑に高速に接続できれば、それで結果的にOKです。

2台セットで1万円と少しで購入できますから、決して高価ではないと思います。TP-Link 社は台湾の会社だと思いますが、世界的なメーカーです。ネットの書き込みを見ると、むしろ日本のメーカーの製品に対する辛辣な評価を目にして驚きます。

日本の製品はソフトウェアがいただけない、貧弱だというのです。もちろん私には判断のしようもないのですが、ここ10年はTP-Link 社製品を愛用しています。不満はありません。安定しています。

とりあえず一階と三階に設置していますが、2階でも、こうして問題なく接続できています。ただ時間的に混雑している場合は、速度が低下しますが、苛(いら)つくということはありません。

以前、ソフトバンクの孫さんが、5Gが普及すればWi-Fiは必要が無くなる、と発言して驚きを招きました。でも確かに、そうなるかもしれません。今は光ファイバーを入れて、インターネット接続業者と契約して、といった段取りが一般的です。

しかし5G接続が一般的になれば、それだけで全てが賄える可能性があります。そんな時代が来るのでしょうか。

■さて今日は新沼津カントリークラブAクラスの月例です。最近はスコアが悪く、このままではBクラスに陥落の危機的状況です。

いつもの仲良し長倉さん、長谷川さん、そして前島さんと一緒でした。暖かく風も、それほど気になることはありませんでした。本当に幸運です。

プレイの方は、ボギーで良いと割り切ってプレイしました。大叩きをしないことだけを第一選択としました。そのお蔭か、前半は48回でした。後半も最初のホールを見事パーで切り抜けましたが、2ホール目で罠にハマりました。

第一打は危うくOB。ところが幸運にもギリギリセーフ。林の中から脱出を目的に打った第二打が、何と木に当たってOBラインを超えてしまう不運。確実にフェアウェイに出しておくべきでした。後悔先に立たず。このホールのダブルパーでコケました。

結局、合計102回。100を切れないのですから情けないこと限りなしです。それでも、目的としたプレイに少し近づきましたので、良しとして次回に備えるしかありません。

ただ前回まで、さんざん苦労したパターに、少し光が差し込んだのは嬉しい一日でした。しっかりと真っ直ぐに打てることができたパットが、前回よりも格段に増えました。お蔭でパーを3回拾いました。これは収穫です。

あとは素振りを重ねて、しっかりと体にスイングを覚えさすのが、第一にしなければいけない事のようです。

■米ハリウッド(Hollywood)で黒人俳優として初めて大きな人気を集めたシドニー・ポワチエ(Sidney Poitier)さんが死去した。94歳。バハマ政府が7日、発表しました。

ネットによれば、

1958年の『手錠のままの脱獄(The Defiant Ones)』で黒人として初めて米アカデミー賞(Academy Awards)主演男優賞にノミネートされ、その6年後には『野のユリ(Lilies of the Field)』の演技で黒人として初めて同賞を受賞。

米国で人種間の緊張が高まっていた1950~1960年代、『招かれざる客(Guess Who’s Coming to Dinner)』や『夜の大捜査線(In the Heat of the Night)』(いずれも1967年公開)などで、黒人俳優としての草分けとなる役柄を次々と演じ、広く人気を博した。

私には、『夜の大捜査線(In the Heat of the Night)』が忘れられません。ロッド・スタイガーとの共演が、とても印象に残っています。ご冥福をお祈りします。

第40回アカデミー賞作品賞、主演男優賞(ロッド・スタイガー)、脚色賞(スターリング・シリファント)、音響賞(サミュエル・ゴールドウィン撮影所サウンド部)、編集賞(ハル・アシュビー)を受賞した[1]。また2002年にアメリカ国会図書館が、アメリカ国立フィルム登録簿に新規登記した作品である。

発達障害という才能

■20220108(土曜日:曇)

6年前に出掛けた川崎大師の様子です。大勢の参拝客で大混雑でした。

■今朝は走りました。いつものように5時に目覚ましを合わせて起き出しましたが、少しもたついてしまいました。

昨夜はSunがキムチ鍋を作ってくれましたが、ちょっと無理をして食べ過ぎたかもしれません。夜中に3回も目が覚めて、お手洗いに行きましたが、その分睡眠が少し足りなかったようです。

それでも、5時の目覚ましで起きだして、いつものコースを走り、今日は3日ぶりに積み重ねができました。今朝は41分16秒、6.11kmを走り、これで今月は3回のランで18.67kmを積み重ね、目標の88キロまでは残り23日で69.33kmとなりました。

目標ラインよりは少し足りない状態ですが、とにかく積み重ねができる日は、確実に走っていきたいと思っています。

■さて、今朝の東京新聞読書欄には様々な書評が掲載されていますが、その中に「発達障害という才能」昭和大学精神科教授の岩波明先生が執筆された本について、香山リカさんが書評を書かれています。

内容を煎じ詰めれば「発達障害の人達がうちに秘める『社会や文化をガラリと変える力』を受け入れ、生かしていこう、と世の中に呼びかける意欲作なのである」と書かれています。

この本の中では様々な世界で活躍している発達障害の特性を持つ人々、例えばイーロン・マスクやオードリー・タンさんはASD(自閉症スペクトラム障害)であり、エジソン、モーツァルト、ピカソ、ニトリの創業者はADHD(注意欠如多動性障害)だそうです。ダヴィンチに至っては両方の特性があるということです。まさに華麗なる人脈だと書かれています。

彼らがその特性を社会的成功として花開かせるためには「周囲に当人の能力を見抜いて適切なサポートをする人物と、制約なく活躍できる場所が必要だ」と著者は指摘しています。

しかし、残念ながら日本はその真逆だとして、才能ある個人を育てようとせず、しきたりや世間の空気に従わせようとする傾向が強いとも著者は指摘しています。

こういった不寛容さは、発達障害の特性を持つ人達だけではなく、全ての人を萎縮させ生きづらくしているだろう、とも書かれています。

■まさに著者が指摘している通りだ、と私も感じています。日本で最も力を持ち、尊重されるのは、その場の雰囲気ではないでしょうか、いわゆる空気です。

空気の読めない人にとっては、日本はとても住みづらい国です。空気が読めないという点が、発達障害と言われる人達の一番の辛さではないでしょうか。日本では、そうした人達は排除されがちです。

素晴らしい才能を持ちながら、それを育むことができない日本の社会の未来というものは、残念ながら、21世紀のデジタル社会においては、大きなマイナス点に違いありません。

自分の子供がこのような特性を持ち、しかもその中に才能を見いだした時、もしも可能であれば、海外でその才能を磨く方がずっと子供の幸せになるのではないか、とつくづく私はそう思うのです。

人への投資

■20220107(金曜日:曇)

2018年、初めて訪れたメルボルンの様子です。世界で最も住みやすい都市として有名です。

■昨日は東京でも4年ぶりの大雪ということで、テレビでは新宿辺りの様子を盛んに報道していました。ここ沼津でも、昼頃からパラパラと降り始め、夕方まで雪が舞っていました。途中からは雨に変わりましたが17時頃からは雨も止み、幸い積雪になることはありませんでした。

昨夜はロータリークラブの新年会でした。久しぶりに、みなさんで集まって食事をとりながら歓談する機会が出来ました。ついでもらった焼酎を、私は久しぶりに3杯ほどお湯割りで飲んだのですが、気持ちは良かったのですが、いささか飲みすぎたようです。

夜中に動悸がして困りました。軽い排尿障害も出る始末で、自律神経のバランスを取るのが、本当に難しくなってきていることを実感します。

ということで、今朝は走らずに6時までゆっくり寝ました。午前7時28分、ようやく青空が覗いてきたようで、南側の窓に朝日が当たっているのが分かります。今日は晴天になりそうです。

■さて、今朝の東京新聞三面には、「アイヌ通史」を邦訳した英国人研究者マーク・ウィンチェスター(42)さんが、「この人」の欄に登場しています。

英国南部の自然豊かな村で生まれたウィンチェスターさんは、8歳で空手を始め、武道への憧れから日本全体に興味を持つようになったそうです。英国の大学で恩師の歴史社会学者リチャード・シドル氏の下で日本の人種差別を研究しました。

その後、一橋大学大学院に進学し、知人から邦訳を熱望されたことも後押しし、国立アイヌ民族博物館に勤務する傍ら、恩師シドル氏の著書の邦訳「アイヌ通史」を出版されました。「研究するならとことん向き合い、多くの当事者が読める言語で」と語っています。

記事は最後に、こう書かれています。「偏ったイメージを押し付けられながらも、主体的にアイデンティティを確立すべく苦闘してきたアイヌの思想を追い続けたいと意気込む。北海道白老町在住。」

こうした海外の日本研究者が、私達日本人が気づかない、さまざまな視点から分析してくれることは、とても大切なことです。こうした多くの研究者を抱擁できることが、文化国家であることの一つの証に違いありません。

以前どこかの本で読んだことなのですが、英国では優秀な人物ほど歴史や哲学といった分野に進む、といった内容がありました。21世紀の今は、果たしてそれがそのままなのかどうか分かりませんが、英国の懐の深さをうかがわせる逸話ではないでしょうか。

今の日本は、人への投資をあまりにケチりすぎです。人しか財産のないこの国で人への投資を怠れば、あとは貧しい、貧相な国になることは誰にでもわかることですが、今の政治を司っている人達には理解できないようです。本当に残念なことです。

91年ぶり

■20220106(木曜日:晴れ)

2018年、初めて訪れたメルボルンの様子です。世界で最も住みやすい都市として有名です。

■いつの頃からか、三階でWi-Fiが繋がらなくなりました。いままで特に問題はなかったのですが、パソコンで繋がったり、繋がらなかったりと訳が分からなくなりました。TP-Link社製のWi-Fiルーターを交換しなければいけないのか迷いました。電波が壁などに遮られて、届きにくいようです。ルーターの位置を、いまの診療机の下から棚の上に移しました。

それだけでも遮るものが減って電波の到達度が変わるようです。それでも安定して三階で接続することは難しいので、次の手段を取ることにしました。

結局メッシュネットワークを導入しました。次世代向けメッシュネットワークシステム・無線ルータTP-Link Deco M4 11ac/n・Wi-FiシステムWiFiルーター無線LANルーター 2ユニットです。

一階のWi-Fiルーターと一台目を接続、そして二台目を三階に置いたのです。結果は正解でした。しっかりとした接続を維持できています。

■さて、今朝の東京新聞三面には、とても印象深い記事が並んでいます。一つは「ソニーEV参入へ・春に新会社、競争激化」。そして、その下には「トヨタ 米で初の首位、21年に新車販売 GM 以外91年ぶり」とあります。

トヨタ自動車が1月4日発表した2021年の米新車販売台数は、前年比10.4パーセント増の233万2,262台となり、米ゼネラル・モーターズ GM を上回って米国市場で初めて首位となった。

米メディアによると、国外メーカーが年間販売台数でトップになったのも初で、GM 以外の首位は1930年以来。

と発表されています。まさに歴史的な出来事です。

GM は半導体不足や供給網の混乱で、昨年9月以降に北米の多くの工場が生産停止に追い込まれたことが響き、12.9パーセント減の221万8,228台でした。トヨタがアメリカにおいてトップになったのです。

1950年代から60年代にかけて、日本の車がアメリカに輸出されるようになりましたが、現実的には受け入れられることは難しかったのです。NHKで以前特集を組んでいましたが、初期の頃には高速道路を走っていた日本製の車のボンネットが、いきなり開いた映像が映し出されていました。要するに安かろう悪かろうの典型的商品だったのです。

1970年代、排ガス規制法案の成立によって、状況は大きく変わりました。アメリカの自動車会社はハナから無理だと相手にしなかった、排ガス規制を見事クリアしたのが日本の車だったのです。そしてプリウスを筆頭に、ハイブリッド車がアメリカを席巻しました。日本車は、壊れない車の代名詞になったのです。そして、2021年にトヨタが、ついにトップに立ったのです。

しかし、時代は今大きな曲がり角に立っています。ソニーが電気自動車に参入すると発表したのです。この同時に並ぶ二つの記事が、まさにそれを象徴しています。

これからの10年、どのような展開が待っているのか。自動車自体に、それほど興味のない私でも、時代の展開は興味深々なのです。

■午前11時頃から、ここ沼津でも何と雪が舞い始めました。午後2時38分現在、窓の外は雨のような霙のようなものが、しきりに降っています。東京でも雪のようです。

ロータリークラブの新年会が、街中でありますので、今夜は出かける必要がありますが、この天候では家を出るのが、本当に億劫です。木枯らしが吹き荒れるのも、辛いですがみぞれ混じりの天候も外出するには同様です。致し方ありません。

■さて午後からは、この天候では出かけることもできませんので、購入してあった精密機器用保護フィルムClearView社のProtectiveFilmをChromebookに取り付けました。有機EL画面ですので、画面を痛めるのが怖かったのです。

スマホと違って13.3インチと大きいので、取り付けも気を使います。取扱説明書は分かりやすいとは言えず、はたと考え込んでしまいました。どの面を取り付けて、どの面を外すのかが、どの面も同じように透明で、とても分かり難いのです。

それでも何とか無事に取り付けを終えたようで、混入した空気も無事取り除けたようです。これで安心して画面にタッチできます。マウスで指示しても良いのですが、スマホのように指で作業する方が、ずっと楽な場合も多いのです。

一旦スマホの作業に慣れてしまうと、パソコンで作業をしていても、ついつい指が画面に向かってしまうことが多くなります。慣れというのは恐ろしいものです。

社会的富

■20220105(水曜日:晴れ)

2018年、初めて訪れたメルボルンの様子です。世界で最も住みやすい都市として有名です。市場の中で3人で昼食を取りました。

■さて、今日から仕事始めです。今朝は走りました。いつものように5時に目覚ましを合わせて起きだし、準備運動の後、走り出しました。今朝は今月2回目のランで41分34秒、6.21kmを走り、今月は2回のランで12.56kmを積み重ね、目標の月88キロまでは、残り26日で75.44kmとなりました。

目標ラインとしては悪くありません。最近ではこの時間、そして距離が定番になってきました。毎回41分、6キロほどを走るのが、無理なく継続できるランニング形態のようです。

今日から仕事が始まりますので、また新たな1年が始まります。今年も大過なく終わることができるように、注意をしていかなければなりません。

■さて、警視庁のまとめによると、2021年に全国で起きた交通事故の死者数が、前年比203人減の2636人で、統計が残る1948年以降で最少となったことが分かりました。最少を更新するのは5年連続で、都道府県別では神奈川県が142人で、初めて全国最多となりました。

2021年は新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、緊急事態宣言が出されるなどして、「宣言により移動が制限されるなど、日常生活への影響はあったが、交通事故死者数との関連はわからず、今後分析する」と警察庁担当者は話されています。

緊急事態宣言のもと、人々は外出することをかなり控えていたのではないでしょうか。外へ出なくなれば当然、交通事故に遭う確率はぐっと減ります。車を運転する人も、横断歩道を渡る人も、数が減れば事故を起こす確率は減ることになります。

自分も車を運転していて、危ない目にあったことはもちろん何度もあります。最近では、自転車を運転している方が高齢者の場合など、見ていて大変危なそうに見えるのは注意が必要です。

日本では、自転車専用レーンがありません。車道と歩道が分離していない為に、子供達が事故に巻き込まれるのは論外ですが、自動車と自転車のレーンが分離していないために、大変危険であることは明らかです。

オランダに行った時に大変驚いたのは、自転車大国オランダでは、道が大変整備されているということです。安心して自転車で通勤・通学、そしてサイクリングを楽しむことができます。社会的な富の蓄積の違いを、まざまざと見せつけられた思いです。

日本は、まだまだ先進国などとは、とても言えないのです。

壁を越えて

■20220104(火曜日:晴れ)

2018年、初めて訪れたメルボルンの様子です。世界で最も住みやすい都市として有名です。市場に行きました。

■昨日で三が日も終わり、今日から仕事始めの方も多いはずです。私は1日だけ休暇を伸ばし、仕事始めは4日からとしました。仕事柄、年末は忙しいのですが、年始は暇なのです。

昨日は2人で箱根駅伝を最初から最後まで楽しみました。調べてみると、10年前の2012年に、Takuと3人で箱根へ出掛け、小涌園のカーブの所で選手を応援しました。ちょうど宿が取れたのです。

あの時は2日の往路では3人で応援に行ったのですが、3日は雪が降ってSunだけが歩いて宿から出かけ応援に行きました。

もう、あれから本当に10年が経ってしまったのです。家族の様子も、すっかり変わりました。それぞれが自立して家庭を持ち、Sunと2人だけの生活が当たり前になってしまいました。

それでも元日には、NonちゃんとTomo君とおせち料理を食べ、正月を祝いましたし、昨日はTakuからビデオ電話が入り、MasatoやYukoさんの元気な顔を見ることができましたので、とても嬉しい元旦でした。

年末年始の帰省ラッシュで道路は大混雑になりますから、今年は日をずらして、Taku一家とは月末にみんなで会うことにしました。それまで風邪を引かずにお互い身体を大切にしよう、と話して終わりになりました。

■さて、今朝の東京新聞には、「出自の鎖 強みにした・隠さず就活 福祉の道へ」。厚労省職員・高橋未来さんが、「壁を越えて」欄に登場しています。

高橋さんは3歳から名古屋市で暮らした後、家庭内暴力のため、9歳から18歳は東京都渋谷区の児童養護施設で育ちました。静岡大学卒業後、2020年厚生労働省に入省。現在は血液対策課に勤務されています。

家庭では物心つくと、父親が家族に暴力を振るっていました。自分の下にはきょうだいが2人いて、家はとても貧しかったそうです。父親の暴力から逃れ、子供達は母親とも離れ保護所に一時入りました。

子供たちは夜毎、親を求め部屋の隅で膝を抱えて泣いていましたが、高橋さんは違いました。「ここの方がまともな暮らしができる」。

18歳まで施設で過ごし、100年以上続く施設の歴史で初めて大学に進学しました。高校時代のアルバイトで貯めた100万円を手に、静岡大学へ。家賃700円の壁一面カビの生えた学生寮で、待ちに待った20歳を迎えました。

「成人し後見人も必要ない。ようやく自由になれる」。しかし、就職活動をするたびに、新たな壁にぶつかりました。緊急連絡先、身元引受人、実家の住所などなど。当初は正直に施設について書類に書き、面接で語ったそうですが、企業側は理解できなかったようです。

最終面接に残ったインフラ系大企業の人事担当者は、内定には保護者の承諾書が必要だ、と言い、取れませんとうつむく高橋さんに、「あなた、大学まで行かせてもらって、育ててもらって、親に相談せずに就職先を決めるの?親への感謝が足りない」。

頭が混乱し、帰りますと言い残し、内定を辞退、そのまま休学したそうです。

施設から離れ、新しい自分として、強く前向きに生きていくんだって、希望を持って生活していたのに、22歳でまた、壁にぶつかって。やっぱり私は逃れられない運命なんだって。ショックだった。

その後、高橋さんは厚生労働省の面接試験では、施設で過ごした自分の半生をありのままに語り、採用されました。現在、血液対策課に勤務しています。

「貧困、生活保護、母子家庭、家庭内暴力、様々経験した私は福祉分野で役に立てると思うけど、いつまでも過去に縛られるつもりはない。今の仕事も楽しいから」。厚生労働省は、ナイスです。公務員の大切さを再認識させられました。

誌面ではこれからも、困難な状況に人はどう向き合い、どんなことを感じながら乗り越えるのかを、年齢や性別、国籍など様々な壁に挑む人達を紹介する、と最後に書かれています。次回の連載が楽しみです。

走初

■20220103(月曜日:晴れ)

2018年、初めて訪れたメルボルンの様子です。世界で最も住みやすい都市として有名です。

■今朝は走りました。2022年の走り初めです。昨日は2022年の初打ちでしたが、今日は走り始めです。箱根駅伝は今日が復路。昨日は見逃してしまいましたが、今日は8時のスタートに合わせて、今ブログを更新しています。

今朝は2022年1月最初のランで、41分44秒、6.35kmを走り、初めての積み重ねをすることができました。まさに、千里の道も一歩から、ということで、今年も昨年末に立てた目標、月30日で88キロの新たな目標を毎月達成していきたいと思っています。

家に帰ってきて、今日は新聞が配達されていることを知りました。ということは、元日と2日の二日間のみが発行を休んだのみです。本当に大変です。

そして昨日の残り湯で体を洗い、熱いシャワーで体をリラックスしようと思ったのですが、何と水道管が凍結しています。寒いのなんのって。今年始めての水道管凍結です。

それでも走ってきた後ですので、そのまま急いで服を来て、何とか事無きを得ました。

■昨日は、これまでのランニングの記録を整理してみました。2019年には1191.67km、2020年には1191.04km、そして昨年2021年は1064.75kmを走りました。2014年にエプソンのランニングウォッチで記録を取り始め、12月には初めてのフルマラソンとして、袋井クラウンメロンマラソンを完走しました。この年は記録では112.37kmを走っています。

2014年から2021年までの間の記録を見てみると、一番長い距離を走ったのが2017年の1357.88kmであり、最も少なかったのが、残念ながら2021年の1064.75kmでした。

結局のところ、きちんと統計を取り始めた2014年からの総計は、昨年末までで11,043キロを走りました。なんとか15,000キロまでは走り続けたいと思っています。

15,000キロは、ちょうどシルクロードの奈良からローマまでの距離に等しいとのことです。一つの区切りではないでしょうか。

今年は、千歳JAL国際マラソンも3年ぶりに開催されるようですので、2月の申し込み開始日には、早速申し込みをしようと思っています。とにかく体調を管理すること、そして少しずつ積み重ねていくこと、それしかありません。

年始にあたって気持ちをあらたにしました。箱根駅伝を見て、もう少し頑張って走ってみようと思いました。

■このパソコンLenovo Ideapad Duet 560 Chromebook を、昨年末に購入しました。どちらにするか、散々迷いました。HPの製品が、より安価で手に入るからです。HP製よりは処理速度の点では劣るかもしれませんが、画面が有機ELであること、バッテリーの持続時間が、公称15時間であることなどが、決め手になりました。

CPUがSnapdragonである点も、初めてのことなので、いささか不安でしたが、結果的には正解でした。画面は鮮明で、処理速度は私には何の不満もなく、バッテリーの使用可能時間も充分です。キーボード入力も、好き嫌いはあるでしょうが、このタッチはキビキビしていて私は好きです。

ただバックキーが小さいので、誤入力してカーソルを戻す時に、やや不便な点は感じます。パソコンが 13.3 インチと小型なので、キーボードの面積の問題で、致し方ないとは思います。

Zoomが可能であることも確認できました。つまりは、ネット上で私が行う全ての処理を円滑にこなしてくれます。実に快適です。ファンも無いので静かですし、発熱もありません。

動画の編集などはしませんので、私にはこれで必要十分です。ネットでの指摘では、持ち歩くにはやや重い、とありましたが充分携帯可能です。

ただしType-C USB3.0×2(Powerdelivery対応、DisplayPort出力機能付き)
であり、HDMI端子がないので、プレゼンを会場でするなら、Type-C USB3.0-HDMI 変換ケーブルを購入する必要があります。

タブレットとしても使用できますが、今のところはパソコンとしてしか使用していません。タブレットして電子書籍の読書にも最適かもしれません。何しろ画面が鮮明で目の疲れも少なそうです。ギラツキもありません。画面が美しいというのは、製品の有効使用期間が長くなります。

ということで、今のところは選択に誤りはなかったと満足しています。富士通が新たにChromebookを発売しました。学校での需要が見込まれるからです。地元の小学校では、ギガスクール構想により導入した機種は、ASUS社製のようです。

次回からは富士通製になりそうです。子どもたちがChromebookに慣れ親しめば、パソコンのシェアは大きく変わる可能性があります。インターネット上での作業が主であれば、ウインドウズパソコンがいかに無駄の塊か、実感として理解できるからです。

ある人が言っていたように、「ハエを取るのにバズーカ砲を持ち出すようなもの」なのです。

最新鋭、そして最速仕様のパソコンを追い求めてきた業界、そしてそれに踊らされてきた消費者も、少し賢明になるはずです。適材適所の使用端末が、自ずと棲み分けしていくでしょう。

打ち初め

■20220102(日曜日:晴れ)

2018年、初めて訪れたメルボルンの様子です。世界で最も住みやすい都市として有名です。路面電車が、とても便利です。

■昨日の元日は、午前中にNonちゃんとTomo君と一緒に、義父・義母、そしてペットのお墓参りに行きました。富士山が、とても綺麗でした。帰ってきて、家でゆっくりと昼食を共にしました。四人で四方山話に花が咲きました。とても楽しいひと時でした。私は調子に乗って、いささか食べすぎました。

こうして元日も、あっという間に終わってしまいました。

■さて今日は、大の仲良し長倉さんと一緒に新年の打ち初めです。前田さん、そして名人・堀田さんと4人でのプレイでした。いつものように、7時にフロントへ行き組み合わせを待ったのですが、一番スタートは混雑していて取ることができませんでした。

それだけメンバーで混雑していた、ということです。いつもなら一番スタートなのですが、今日は3番スタートとなりました。混んでいるのかと思っていましたが、結局ビジターは少数で、混雑したのはスタートの時間帯だけだったようです。

スタート前には霙が降る時間帯がありましたが、一日を通して穏やかな日和で、風もほとんど無く、1月2日にしては贅沢な一日でした。

プレイの方はギッタンバッコンで、パーもあればダブルスコアもある、というスコアメイクのできない下手くその典型でした。もう少し頭を使ってプレイすれば、それなりのスコアで上がることもできるかもしれない、ということが分かりました。次回の月例が楽しみです。

■ということで、今日は箱根駅伝もテレビ観戦することはできませんでした。明日の復路はコタツでのんびりとテレビ観戦するつもりです。

今日ご一緒した堀田さんは、藤沢がご自宅なので、遊行寺・権太坂周辺で応援することもあったそうです。

昨年のアンカーでの大逆転が、今年は再現されるのかどうか。明日が楽しみです。

山月記

■20220101(土曜日:晴れ)

富士宮の墓地から見た元日の富士山です。最高の青空でした。

■さて、新しい年が始まりました。2022年(令和4年)です。

昨夜はSunと2人で日帰り温泉に行って、お風呂に入ってから一杯飲んで帰ってきました。当初は、韓流ドラマ「イ・サン」の録画ビデオを見ながら焼き芋を作り、出来たてを高齢者一人住まいの知り合いの方に届けて温泉に行く予定だったのですが、なんと機械のスイッチを入れるのを誤って忘れていました。

自分では入れたつもりだったのですが、入っていなかったのです。結局ビデオを見終わってから再度スイッチを入れて、45分待つことになりました。いつもは50分間、焼き芋機をかけているのですが、そんな事情で出掛けるのが遅くなるために、5分短くして45分でセットしました。

ところが意外と、この最後の5分が重要だったのです。さつまいもの芯の部分にまで、まだ完全に熱が通っていませんでした。結局、もう10分間熱を加えなければならず、できたてを包んで届けた後、家に帰り急いで温泉に向かったのは17時過ぎでした。

日帰り温泉ザブーンは大混雑でした。普段は女性風呂もそれほど混んでいないようですが、Sunの話では、ほぼ満杯の状態だったようです。併設されている食堂もほぼ一杯で、多くの方が来られて食事を楽しんでいました。

昨夜は大晦日限定の年越しそばを、最後に頼みました。温かい天ぷらそばです。900円でした。

帰ってきてテレビのスイッチを入れて、紅白歌合戦を見始めたのが、19時を過ぎていました。結局、最後まで紅白歌合戦を見て、ゆく年くる年を確認して床につきました。

私自身はテレビを聞きながら、ホームページの改定作業に当たりました。年に一度デザインを更新しています。

今朝は目覚まし時計を7時に合わせました。こんなことは元日だけです。今朝は走る予定もありませんでしたし、床につくのも遅かったので、この時間になるまでゆっくりと休みました。

■さて、今朝も新聞を取ってリビングに戻ってきました。元日の新聞というと、昔は普段の10倍はあるのではないかという程の厚みがあったのですが、現在ではそんなこともありません。広告がいつもよりもかなり多いのですが、新聞自体はテレビ欄が厚いものの、昔のように元旦特集のようなタイプのものはなくなりました。

ネットの影響が大きいのでしょうが、新聞の役割というものが、ここ20年ですっかり変化してしまいました。もう20年ほど前になるでしょうか、ロータリークラブのゲスト演者として、静岡新聞東部支局長の方に話をしていただいたことがあります。

インターネットの黎明期で、自分自身も夢中で取り組んでいた頃でしたので、支局長さんに、新聞に与えるインターネットの影響を尋ねてみたのですが、支局長さんからは期待していたような回答は得られませんでした。もっとも、時間もありませんでしたから、ありきたりの返答しかできなかったのでしょう。

あれから20年で、世界中の新聞が坂を転げ落ちるように衰退に向かっています。アメリカでは、名門と呼ばれる多くの新聞社が買収されています。

■さて、今朝の東京新聞26面「こちら特報部」は、中島敦の特集です。山月記で有名な作家・中島敦です。

「今年は寅年・・・虎が出てくる物語の名作」「山月記・なぜ今も魅了?」「中島敦没後80年・高校教科書掲載260回超」とあります。

山月記は私も何度も読みました。

中島氏は1933年に東京帝国大学を卒業後、横浜高等女学校の教師として働きながら、執筆活動に励みましたが持病の喘息が悪化し、1942年12月に33歳の若さで、ほぼ無名のまま亡くなっています。

1949年、山月記を収めた「中島敦全集」が毎日出版文化賞を受賞し、広く知られるようになりました。山月記が高校の教科書に掲載された回数は、2019年までに260回を超え、これは夏目漱石の「こころ」や芥川龍之介の「羅生門」よりも多いそうです。

山月記の魅力を、高校の国語教師を約20年間務めた作家・北村薫さんは、こう言われています。

若い頃に理想を抱いても現実にぶつかって自尊心が傷つく物語には、多くの人が共感する。

高校生もテストの点数や進路に悩むなどし、誰しもが大人になる過程で思うようにならない悲しみを抱える。そうした若者の心に入りやすい。

いわば『青春の文学』なんです。

きっと誰もが通る道なのでしょう。自分自身に照らしてみれば、叶った夢もあり、叶わなかった夢も当然あります。そうは言っても、こうして自分自身の人生を振り返って総括してみれば、幸運だったとしか言いようがありません。

まずは、事故や病気で早死することはありませんでした。なんとか古希に近い歳にまでたどり着いています。70歳は古希、つまり古来稀なりということなのでしょうが、そこまでたどり着ければ幸運なのでしょう。

家族にも恵まれ、子供達も今のところ親より先に旅立つことはなさそうです。それだけでも感謝しなければいけません。何より一番辛い苦しみ、悲しみとは、子供に先立たれることだからです。

とにもかくにも、年始にあたって、今年も一年間、事故や病気に気を付けて、無事に大晦日までたどり着けるように、毎日を送ることが何よりだと感じています。

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