2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

投稿者: aiaiganka Page 229 of 316

さらなるトラブル Day 3

■20191019(土曜日:晴れ)

ベトナム・ニンビン省の夜明けです。

■今朝は6時半に起きて朝食をとり、8時半にホテルを出ました。3時間のバス旅行の予定で、昨年まで活動をしていたバクザン省の職業訓練センターに向けて出発しました。こちらでの活動を依頼していた被害者協会のビンさんは、不手際が露呈して以来、結局今日も顔を見せることはありませんでした。私達としては、一言で良いから不手際を侘びてほしい、という気持ちで一杯でしたが、その行動には、とても残念な思いでした。人としての取るべき道、という点で、他山の石でした。

途中トイレ休憩を挟みながら、懐かしいバクザン省のホテルに到着したのが11時頃でした。ホテルに寄って予約を確認し、昼食を取るためにバスに乗り店まで出掛けました。

毎度、毎度同じように見える、ベトナムのご飯ですが、新しい料理が、その度に一つぐらいは登場します。今回は鳩の肉料理でした。頭まで丸焼きにしてありますので、ちょっと食べにくいのは間違いないのですが、食べてみると味付けはよくできていました。お店の女将さんはとても親切にしてくれて、珍しい食材をわざわざ紹介してくれました。

さて昼食も終わり、午後から支援活動ができると期待していたところ、急用のため本日は施設が利用できないという連絡が入りました。詳細は全くの不明ですが、あの施設長さんがいい加減な約束をすることはないと思いますので、こちらの通訳との間で十分意思の疎通ができていなかった可能性も考えられます。とにもかくにも相手のあることでので、こればかりはこちらの思いだけでは、いかんともし難いのです。

みんなで再度相談しました。明日には間違いなく施設の受け入れは可能だ、ということなのですが、疑心暗鬼ばかりが先行してしまい、見通しが立ちません。いままでこんなことが無かっただけに、みなさん失望と落胆の気持ちでいっぱいです。忙しい中、時間をやりくりして駆けつけてたわけですから、無為のまま帰るわけには行きません。二軒の被害者家庭訪問だけでなく、なんとか残りの活動も完結して帰国しなければ、と気持ちが焦るばかりです。

活動開始 Day 2

■20191018(金曜日:曇り)

ホン・サン・ピースホテルロビーにある立派な木彫りです。

■昨日は午後から新幹線と京浜急行を乗り継いで羽田空港に到着し16時35分発のベトナム空港便でハノイノイバイ空港に到着しました。現地時間のちょうど夜8時頃でした、日本時間では夜の10時となります。現地の気温は25度。蒸し暑いという程ではありませんが、台風一過すっかり秋らしくなった日本とは、やはりかなり差があります。

タインさん、息子さんのトゥン君、そして運転手さんのチュンさんが出迎えてくれました。早速バスに乗って、まずはハノイ市内に向かいました。道路は毎年整備が進み、ところによっては片側五車線の道路もありました。軽く夕食として牛肉フォーを食べました。1年ぶりのベトナム食でしたが、この店のフォーはとても美味しかったのです。

今年初めてのベトナム食です。懐かしのフォーです。専門店だけあって美味しかったです。

どういうわけか、牛肉フォーしか置いていない店が多いのです。私としてはチキン・フォーが希望なのですが、行った先々で牛肉フォーしかありませんでした。

今年最初のベトナムでの乾杯です。ベトナム語で言える数少ない語彙です。

さて、それからもう一度バスに乗り込みニンビン省のホテルに向かいました。ホテルに向かうハノイ市内の様子は、道路の周辺に高層ビルが立ち並び、昨年よりもさらにいっそう大都市化しかしているようでした。ハノイを抜けてからは有料高速道路が整備されていて、車は順調に目的地に向かうことができました。

ホテルに着いたのは現地時間23時30分。三星のホテルということで、とても立派なホテルでした。810号室に一旦みんなで集まり、支援物資の確認をしました。ようやくベッドに入ることができたのが、零時半を回っていました。明日はフロントに9時に集合し、活動の開始予定です。

ニンビン省のホテルに到着。右から三番目の時計が東京の時刻、午前1時半を示しています。

「「「 活動開始 」」」

■昨日は飛行機バスと乗り継いて、夜中の12時前にホテルに着きました。さすがに皆さん疲労困憊でした。今朝は7時に目覚ましを合わせ、これから朝食を取るために一階におります。外は曇り空、幸い雨は降っていないようです。

ホテルは三星の立派なホテルなのですが、昨夜シャワーを浴びて見て驚きました。排水が全くと言っていいほどできないのです。つまり、シャワーを浴びると、浴室中が水浸しになってしまうのです。床の傾きが排水口とは反対方向になっているのです。一見、作みはとても一派なのですが、これはいただけません。今日は苦情を告げてみる予定です。9時にはフロントに集まって出発ですので、それまでに朝食をとる必要があります。

少食を取りに食堂へ行きました。仲間の皆さんに話を聞くと、それぞれの部屋で問題があったようです。私の部屋は浴室だけでしたが、電気系統に問題があり、スマホの充電ができなかったり、ショートを起こして、湯沸かし器が壊れてしまったり、電灯の金具が外れだりと、多事多難です。このホテルには4泊しますので、なんとか対策を建てる必要がありそうです。

家庭訪問の前にホテル前で記念撮影。ビンさんに役所から問い合わせの連絡が、すでに入っていたようです。

上の写真は家庭訪問出発前の撮影ですが、ビンさんの困惑した表情には、状況の厳しさが反映されていることが、今にしてみれば明らかです。この後、ビンさんは行方をくらましてしまい、二度と会うことはありませんでした。なぜ段取りがきちんとできずに、そんな事態になったかの説明は一切ありませんでした。

01ブー・フェー・ホアン
02ディ・ヴァン・カイ

■Day 1 一軒目 ブー・フェー・ホアン 

祖母が子供の面倒を見ていました。

ブー・ フェー・ ホアンさん。2011年生まれの男の子。動くことはできず、生まれてからずっと、寝たきりの生活です。今は祖母と一緒に2人で暮らしています。祖父が従軍し枯れ葉剤を浴びた。父は亡くなったが、母は家出をして現在家にはいない。枯葉剤を浴びた祖父の妻である祖母と2人で残り暮らしている。父は5年前に死去、母は生後2ヶ月で家出をした。周囲の方から母乳を集めて、祖母は孫を育てた。祖父の軍人年金と枯葉剤被害者への支援金を合わせ1ヶ月90万ドン(約 4,215 円)で生活している。祖母には子供が外に4人いるが、経済的に苦しく支援はない。椅子に座らせて時折、外に連れだしている。食事はお粥、流動食のみ、祖母が作って与えている。診察も受けることなく、薬の服用もしていない。自分自身では、食事の要求もできない。会話は出来ない。祖母は57歳。ホアンさんは枯葉剤とは関係なく身体障害者支援金を受けている。

2 軒目 ディ・ヴァン・カイ 

障害を持った20歳の息子さんです。

2番目の家庭は1999年生まれのディン ヴァン カイさん、20歳。兄は健在。ハノイで仕事。父は58歳従軍中に枯れ葉剤を浴びたが障害は無い。祖父が枯葉剤被害者で、すでに死亡。支援金は無し。父が仕事で生活。100万ドン。言葉は理解出来る。知的障害はない。本人は枯葉剤被害者認定無し。身体障害者補助のみ。家から病院まで10キロ以上。両親で交替で子供の面倒を見ている。

■昼飯を食べて、午後の活動を確認した時に驚くべきことが発覚しました。ニンビン省枯葉剤被害者協会のビンさんに活動の手配を依頼していましたが、人民委員会などの役所の許可が取れていないことが判明したのです。ボランティア活動をするためには、観光と違い、許可を得ないといけないのです。ところが、その許可が下りていなかったのです。

役所の担当者の方が来られてパスポートを確認し、活動の目的などを事情聴取されました。午後の活動は結局中止となり、相談の結果みんなで世界遺産の見学に出掛けました。夕方になり連絡を取ったものの、結局明日からの活動も許可は出ないとことになり、急遽昨年まで活動をしていたバクザン省職業訓練訓練センターの所長さんに連絡を取りました。

Thuy所長さんも私たちの申し出を喜んで受け入れて下さり、急遽明日の午前中にバクザン省へ移動することになりました。3時間の道のりです。明日の午後は職業訓練センターでの活動、そしてその後は可能であれば被害者家庭の訪問ができるかどうか、いま問い合わせを急遽しているところです。

ボランティア活動のためとはいえ、被害者の家庭を訪問するためには、人民委員会、被害者協会などの許可が必要な為に手続きに時間がかかるのです。今年はそういった面での手配が十分できていなかったことになります。支援隊の皆さんはお忙しい中、時間を作り、参加費を捻出した上での参加ですので、活動もしっかりせずに帰るわけにはいきません。支援物資を寄付や、支援金をいただいた皆さんの期待を裏切るわけにもいきません。大釜支援隊会長をはじめ、みんなで知恵を出し合って、残された時間内で、いかに有効な活動ができるか話し合いました。

こうした非常事態の時にこそ、仲間の団結と助け合いが何より大切なのです。非難し合っているだけでは、何の問題も解決しません。前向きに事態と取り組むしかないのです。

方丈記そして旅へ Day 1

■20191017(木曜日晴れ)

羽田空港出発ロビーです。16:35分発VN385便です。

■いよいよ旅立ちの日がやってきました。あれからもう1年が経ってしまったのです。今日は午前中の仕事を終えた後に新幹線、そして京浜急行の電車を乗り継いで羽田空港まで行く予定です。ベトナム枯れ葉剤被害者支援の旅2019です。

昨夜はのんちゃんと3人で夕食をとりましたが、思い返してみると初めてベトナム支援のために出かけたのは2008年でした。あの時はノンちゃんもあやちゃんも参加しましたので、家族4人での旅でした。11年前です。その後色々なことがあって、結局今も残っているのは、家族の中では私1人だけになってしまいました。

あの当時の支援隊の仲間も様々な理由から別れてしまい、結局今年出かけるのは八名となりました。何事も続けるというのは大変なことです。隊員の皆さんも高齢化が進み、活動すること自体が体力的にも難しくなってきています。

被害者の家庭訪問をするとなると、バスで回って、さらに家まで歩かなければなりません。例えば膝が痛いとなると、これが結構負担になるのです。昨年は山奥に住んでいる被害者宅を訪問したのですが、施設からバスで、なんと3時間もかかりました。家の玄関先まで車で行くことができないので、途中でバスを降りて、そこから15分ほど山道を歩いた事もありました。膝の痛みを抱えた高齢者には、かなりの負担なのです。

今年の支援活動が、どのようなものになるのか。昨年とは異なった地域を訪問する予定ですので、楽しみでもあり不安でもあります。

■さて、今朝の東京新聞「私の東京物語」欄では、あのポップデュオ「トワエモア」の白鳥英美子さんが「愛すべき阿佐が谷」と題して書かれています。白鳥さんは神奈川県の横須賀で生まれましたが、お父様の仕事の関係で3歳の頃に、杉並区の阿佐ヶ谷にある会社の寮へ家族で引っ越されてきたそうです。白鳥さんはこう書かれています。

私の家から杉並第1小学校までは歩いて10分ぐらいの距離だ。学校のそばには神社とお寺が道を隔てて並んでいた。大きな銀杏の木があった神社では、放課後ランドセルを木の幹において友達と馬跳びをしたり、お寺の方では、かくれんぼや鬼ごっこをして遊んだ。世尊院という名のそのお寺は、今では境内のあった場所に道路が開通し、駅から早稲田通りに繋がる中杉通りとなっている。

なぜこの記事が目に止まったかといえば、私も同様の経験をしていたからです、京都生まれの私は3歳頃まで京都にいたのですが、父の仕事の関係で東京を経て、埼玉県の川口市の団地に引っ越しました。

今でも自分では、埼玉生まれの埼玉育ちのような気持ちでいます。3歳から19歳までの時期を川口市で過ごしましたので、そう思っても不思議ではありません。

白鳥さん同様、近くのお寺や神社で過ごした時間が、今でも私にとっては貴重な思い出となっているのです。川口市飯塚町にあったその団地も、今では区画整理でマンションとなってしまい、家族とともに過ごした家は、もうどこにも無くなってしまいました。あとかたもありません。

まさに方丈記が何百年も前に描いた、そのままです。きっとこれからも同じことが繰り返えされていくのでしょう。

 

無関心

■20191016(水曜日:雨)

昨年訪れたベトナムのある農家です。枯葉剤被害に苦しむ一家です。

■今朝も走るつもりで準備をしていたのですが、なかなか起きだせませんでした。3時少し過ぎに一度目が覚めて、また眠ろうとしたのですが、どうやら掛け布団が薄すぎて、寒さの為に目が覚めてしまったようです。

10月に入っても気温が高く、暑さのために寝苦しい日があったことが、つい昨日のことのように思い出されます、今度は寒くて熟睡できない季節になったのです。

しかも、よく耳をすますと雨音が聞こえてきました。今朝は雨のようでしたので、起き出すのは止めました。5時半頃起き出して、ビニールゴミを所定の位置に運び、家に戻って朝食の準備をしました。

昨日の夜は医師会の理事会があり、出かけましたが、今日は学校医をしている近隣の小学校の就学時検診です。昼休みに出かけなければなりません。団地を多く抱える私の地域では、昔は小学校1年生は3クラスから4クラスもありましたが、今では一クラスになってしまいました。今日出かける学校の就学時検診の児童数も30名ちょっとだそうです。

検診は短時間で終わるので、楽といえば楽なのですが、これだけ子ども数が減ってしまうと、地域に子どもたちの声が響くことがあまりなく、寂しい限りです。子どもは宝だな、と本当に痛感するばかりです。

■さて今朝の地元の地方紙には、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんが、地元の高校で講演した様子を伝えています。題名は「写真で伝える世界の子どもたち 高校生だからできること」です。

安田さんは高校二年生の時にボランティアで出かけたカンボジアでの経験を語っています。「トラフィックド・チルドレン」と呼ばれる人身売買の被害を受けた子どもたちです。

長い内戦の後の貧しい農村では、「子どもを学校に通わせながら働かせることができる」などと騙され、教育を受ける機会のなかった親達は子ども達を連れていかれた、ということが頻発しました。

その子どもたちは実際には一日中物売りなどとして働かされ、酷い虐待を受けることもありました。高校生の安田さんが出会ったのは、そんな体験をした後、保護されて施設にいた子どもたちだったそうです。

しかし、施設にいた子どもたちは自分のことよりも家族のことを気遣い、家族のために自分は何の仕事ができるか、そのためにこれから何を身につけるべきかを考えていた、というのです。

その姿を目の当たりにして、「自分以上に大切な人がいると、人はこんなにも優しく、強くなれるんだ」と感じ、私も人を守れる人間になりたいと、安田さんは思ったそうです。

国際協力は何かをしてあげるのではなく、出会った人から頂いた経験、学ばせてもらったことに対して、何をお返しできるかだと思う

と安田さんは述べています。

最後に安田さんは取材で訪れた、内戦に苦しむシリアの子どもたちの写真を映し出し、シリアで言われ続けてきた言葉を紹介しました。

自分たちのことを本当に追い詰めてきたのは何か、知っていますか。シリアでこれだけのことが起きているのに、世界は自分達のことを無視しているということ。

安田さんは無関心でいることの罪を伝えながら、「大切なものを失った子、奪われた子のことを、みなさんも大切な人と分かち合ってほしい」と高校生たちに呼び掛け、お話を締めくくりました。

■明日から私も仲間たちと、ベトナムへでかけます。ベトナム戦争時に、アメリカにより散布された枯葉剤の後遺症に苦しむ人々に支援物資を届けるためです。

枯葉剤に含まれていたダイオキシンによる遺伝子損傷のため、従軍世代から数えて、第三世代、第四世代にまで被害者が、いまでも出ているのです。ベトちゃん、ドクちゃんの世代で被害が終わったわけではないのです。

もちろん私達にできることは限られていますが、現地の様子を確認し、帰国してからは、その様子を仲間の皆さんに可能な限り伝える努力をしています。日本にいると無関心になりがちな皆さんに少しでも関心を持ってもらえれば、それでよいのです。

 

氾濫

■20191015(火曜日、曇り)

わが町の夕焼けです。

■今朝も走りました。今朝は5時に目覚ましをかけていたのですが、4時過ぎに目が覚めてしまい、このままもう一度眠ると5時に起きるのはかなり辛そうだったので、そのまま起き出して走る準備を始めました。

玄関を出てみると、道はかなり濡れていました。昨日は終日曇り空で時折雨が降る天候でしたが、それほど強い雨にはなっていませんでしたし、天気予報では今日から回復するとのことだったので、ちょっと意外でした。それでも雨が降っているわけではなかったので、生ごみを所定の位置まで運び、準備運動も終え、スタートの準備をしました。

ということで、今朝はいつものコースを走り、6.05kmを積み重ね、今月は9回のランで62.55キロメートル。残り16日で37.44kmのところまで来ました。

今週木曜日の午後に羽田空港に行き16時35分発のベトナム航空便で、ハノイ・ノイバイ空港に向かう予定です。22日に帰国しますが27日には、たくと一緒にハーフマラソンを走らなければなりませんので3日前から休息するのが通例です。ということは、ベトナムに出発してからは走る事のできる日は、帰国後の翌日23日のみということになります。

もちろんベトナム滞在中に走っても良いのですが、今年は今までボランティア活動に出かけたことのないニンビン省での活動が予定されています。昨年までの活動を行ったバクザン省では、定宿のホテルの前が広い広場になっていて一周1キロ弱とちょうど良い、ジョギングコースにもなっていましたので安心して早朝に走ることができたのですが、今年でかける予定のホテルは大きな道路の真ん前にありますので、昨年までのようにはいきません。滞在中に走るのは、どうやら無理のようです。一応身支度だけは用意していくつもりですが。

■さて台風19号のために、関東地方、東北地方などで、各地の川の堤防が決壊して大変な被害が出ています。内容は全然違うのですが、我が家の玄関先のポートの屋根も飛んでしまい、経年変化による劣化が原因なのだろうと思われました。全国各地の堤防や道路、橋などインフラも同様に高度経済成長時代に作られた設備が、次々に経年劣化を起こしているに違いありません。

これからは、そうした設備の補修に多額の費用が必要になります。税金の使い道がいよいよ難しく、また重要になってくるのです。

変わらないもの

■20191014(月曜日:曇)

新沼津カントリークラブのクラブハウスから見た伊豆半島です。

■昨日の夜は、つるちゃん夫婦と定例の夕食会を開きました。大してアルコールを飲んだ記憶はないのですが、疲れもあったのでしょうか、いささか二日酔いになってしまい、朝方眠れなくなってしまいました。アルコールの度が過ぎると私は、いつも肩が凝って頭が痛くなってしまうのです。横になって寝れなくなります。これはとても辛いのです。ところが不思議なことに、寝床を離れて立っていると辛くないのです。

ということで、今朝は思い切って走ることにしました。今日は LSD を敢行する予定だったのですが、さすがにこの調子では無理だと考え、いつものコースを走りました。6.08kmを走り、これで今月は8回のランで56.50km。残り17日で43.49kmのところまで来ました。

■さて今朝の東京新聞論説室から「私説」欄には、『弁護士立会権は?』と題されて書かれています。新聞にはこう書き出されています。

日弁連は徳島で開催した人権擁護大会で、取り調べの際、弁護人の援助を受ける権利の確立を求める宣言を採択した。その前提には「日本の刑事司法制度は国際的水準に達していない」という認識がある。

たびたび誤認逮捕が報道されるのですが、今年の7月には愛媛県警が窃盗事件で女子大生を誤認逮捕しました。今月3日には裏付け捜査を怠ったことが原因との調査結果を明らかにしましたが「任意性を欠く違法な取り調べはなかった」と、自白の強要は否定しています。

ところが女子大生は「自白の強要をされたという認識に変わりはない」と反論しています。紙面では、いまだにこんな水掛け論になるのかと嘆かわしい、と書かれています。最後に筆者は、こう結論付けています。

密室でのやり取りに、事後検証が不可能に近いからだ。弁護士の立会いが任意段階から認められていれば、誤認逮捕という人権侵害もなかったはずだ。

まことに、その通りに違いありません。未だに実現していない日本の刑事司法制度は中世のままだ、という外交からの批判は、当たらずとも言えず遠からず、なのではないでしょうか。

ひょっとすると、この点も戦前から、あまり変わっていないのかもしれません。

台風一過

■20191913(日曜日、晴れ)

今日の駿河湾です。新沼津カントリークラブ10番ホールから見た駿河湾には、昨日の台風による濁流が流れ込んでいます。

■昨日は台風19号が伊豆半島に上陸し一晩中暴風雨が荒れ狂いました。テレビの天気予報を見ていると、超大型の台風が日本に向かってきているのですが、ここ沼津では時々雨と風が吹くものの、18時までは大したことはありませんでした。ところが18時を過ぎた頃から風が強まってきました。

関東地方では、かつて経験したことのないほどの雨量が記録されている、としきりに報道しています。今にも氾濫しそうな川の様子が次から次に、テレビの画面に映り出されています。

いつもの通り、夜の10時には寝床に入りましたので、その後どうなったのかは、わかりません。今朝も5時に目覚ましを鳴らして起き出してみると、窓を開けてみた空には一片の雲もなく、まさに秋晴れです。

今日は新沼津カントリークラブの大西杯が行われます。今週はAクラス、そして来週はBクラスの大会となっています。競技委員として、今日は私もお手伝いをしなければなりません。現在の時刻は、6時40分。そろそろ出かけなければなりません。昨日の嵐のために荒れてしまったコースを総出で整備しているに違いありません。

■無事にお務めも終わって家に帰ってみると、Sunが大変なことが起こった、と言っています。病院の玄関のポーチの屋根が飛んでいるのです。道路に散乱していたようです。隣の方が、教えてくれました。経年劣化が進んでいたのでしょう。開業して、もう30年が経ちます。あちこち、ガタが来ていてもおかしくありません。連休がけたら修理の依頼をしなければなりません。

毎月恒例の夕食会です。それぞれ似たような年齢構成で、家族構成も近く、話が弾みます。

合わせ鏡

■20191012(土曜日、暴風雨)

3歳から19歳までを過ごした川口市の荒川沿いの土手です。

■台風19号が接近し、東海地方はこれから暴風雨に見舞われそうです。鉄道や飛行機も昨日には早々と欠航が決まり、今日に備えています。土曜日からですと三連休のお休みですので、絶好の行楽日和になるはずでしたが、それどころではありません。観光地にとっては大打撃に違いありません。

ホテルなどのキャンセルも、原因が台風であればキャンセル料を取ることもできないようです。相手が自然ですから、誰に文句を言うわけにもいきませんが、それにしても日本は、本当に天災列島だと思います。

ラグビーW杯で来日している、ニュージーランドの代表選手が、今まで台風というものを経験したことがないので、どうして良いか分からない、という趣旨の発言をしていました。私達日本人からすると、台風を経験したことがない、という話自体が信じられない思いです。

地震にしてもしかりです。以前ベトナムの方とお話をしていて、確かその方は地震を経験したことがないと話されていました。私からすると信じられない思いでした。世界中には台風も地震も経験することなく、生活できる地域があるのだと知って、世界は広いなと痛感するのです。

■さて、長周新聞第8409号には、NHK ETV特集シリーズ「日系人強制収容と現代」の記事が掲載されています。「日系人への差別排外主義 3世4世を追うドキュメンタリー アメリカの強制収容の歴史考える」ともあります。

長周新聞は山口県で発行されている地方紙の一つですが、内容は読み応えのある重いものが多く掲載されています。読み流すということが、できにくい構成となっています。しかし、それだけに自分の頭で、しっかり考えなければいけない内容なのです。

この記事では、第2次世界大戦中に、敵性国民として強制的に隔離収容された日系アメリカ人の子供達(三世・四世)の現在を追うドキュメンタリーについて書かれています。この記事の中で、私がなるほどなと思ったのは、以下の部分です。

この番組から思い浮かぶ疑問は戦後ナチスのユダヤ人強制収用への批判は比較的やられてきたが、それに通じるアメリカの日系人強制収容が長い間、なぜ問題にされなかったのかということである。それは後に「市民権を得た」とされる日系人の社会的地位や差別的な待遇がなんら変わらずに来たこととも関わっている

戦後アメリカは原爆投下をはじめ、第2次世界大戦におけるアメリカの戦争犯罪、非人道性に関わる報道を一切禁じました。こうしたアメリカの自由・民主・人権にひれ伏した潮流が、近隣の朝鮮や中国に対する植民地的な侮蔑意識を克服できず、ある場合にはそれを剥き出しにして恥じないでいることは偶然とは思えない、と記事は指摘しています。

東に向かっては卑屈となり、西に向かっては居丈高に振る舞う、未だに続く日本人の行動が、私にはまるで合わせ鏡のように見えるのです。最後に紙面は、こう終わっています。

日系アメリカ人の強制収用の歴史をとらえ直すことは、戦後形成された対米屈従の社会構造のもとで生活基盤の破壊に直面する日本国民の側から、アメリカ為政者の無慈悲な人種差別政策に批判の矢を放つ作業でもある。それはまた、アジア諸民族へのレイシズムを克服し、日本国民の誇りある生き方を取り戻す道筋を探っていくことにとつながっている

西洋諸国に言わば、武力で無理やり開国されて始まった日本の近代以降、未だに克服されていない日本人の精神的な課題のように、私には思えるのです。この点を克服しない限り、真の自由も平等も博愛も、日本人には手に入れることは、できないのではないでしょうか。

 

不公平

■20191011(金曜日、曇り)

この夏一番の思い出です。北の国からの舞台。富良野です。

■今朝は走らずに休みました。と言っても目覚ましい通り、5時に起きることは起きました。昨日まで4日間連続、朝走りましたので、天気予報を勘案しながら金、土、日曜日と3日間休み、月曜日の休日に、できれば20キロの走り込みをしようと予定しています。

今のところ空は曇り空なのですが、天気予報では午後から、そして明日いっぱいは大荒れになるようです。台風がなんとか東に逸れて、大被害を受けた千葉県に、さらなる被害が及ばないように、と願うばかりです。

■さて、今朝の東京新聞には「消費税10% 10日経過」と題して、小売業への様々な影響を取材しています。「前回より駆け込み消費弱い」あるいは「ポイント還元大手から批判」などと書かれています。

この消費税増税の問題を考えてみると、今までなぜ深く消費税について考えてこなかったのが不思議なほどです。そして、れいわ新選組 山本太郎代表が繰り広げた運動の力が、とても大きかったように感じました。

つまりは、素朴で基本的な疑問である、消費税は果たして本当に必要なのか、あるいは政府が説明しているように、きちんと国民のために消費税は使われているのか、という疑問です。

財務省やマスコミの力もあって、多くの国民は消費税を社会保障の安定的財源として捉え、もしも廃止などしたら次の日から、社会保障が無くなってしまうのではないかと考えています。

ところがそうした思い込みが、実はかなり胡散臭いということが、山本太郎さんの詳しい説明によって多くの国民が気付き始めたのです。

東京新聞によれば、政府主導のポイント還元制度にイオンの岡田元也社長は、国が負担する制度では、フランチャイズに加盟して中小企業が運営するコンビニは対象となるが、イオンをはじめとした大手は対象外である点を指摘して、以下のように不満を述べています。

こんなに不公平なことが堂々と行われて良いのか。キャッシュレスでなければ割高という考え方は、お客様不在の考え方だ。

と、批判しました。

ネットの解説によれば、大手企業への税金優遇措置は、全くの不公平であり、トヨタ自動車などは大きな利益を上げていながら何年も法人税を払っていなかった、と指摘されています。

消費税増税というこの機会を捉えて、私達は国の根幹である、公平な課税制度というものを、しっかり考えてみる必要があるようです。あまりにも不公平が大手を振ってまかり通っている現状は、国を破滅に導きかねません。

電気の世紀

■20191010(木曜日晴れ)

吉野彰さんが、ノーベル化学賞を受賞しました。

■今朝も走りました。いつものコースを6.08km走り、これで今月7回目のランで、50.41kmを積み重ねました。ホームページに繋いだエプソンの画面が、50キロ走達成おめでとうございます、と告げてくれています。残り21日で49.58kmとなりました。進捗状況としては悪くありません。これで4日連続して走りましたので蓄えができました。明日からは台風の影響で天候が荒れそうですので、走れる時に走っておかないと間に合わなくなる恐れがあります。

昨夜は沼津にある四つのロータリークラブの合同例会がありました。仕事が終わって駆けつけたのですが、おおぜいのロータリーアンと楽しく歓談することができました。

■帰ってきてテレビのニュースを見ると、吉野彰さんがノーベル化学賞を受賞したというニュースを知りました。吉野さんが、リチウムイオン電池の開発に多大の功績があったということは知っていたのですが、受賞のニュースをとても嬉しくみました。

今やリチウムイオン電池のお世話にならない日は1日もありません。ソニーが世界で初めての量産型リチウムイオン電池を発売したのが1991年ということですから、それほどの時間は経っていないのですが、リチウムイオン電池のなかった時代のことは、もう想像できません。

ある本によれば、電池を制する者が世界を制する、今や、電池の時代だとも言われています。そして、その電池は、リチウムイオン電池なのです。先日も京セラが、クレイ型の新しいリチウムイオン電池を来年から発売すると発表しました。液体型ではなくて、粘土状の中に電池を作り込むことが可能になったようです。そのことで安全性が非常に高まったという解説がありました。

リチウムイオン電池は時々火を噴いてしまうことがあり、それが唯一ともいえる欠点だったのです。トヨタが開発している全固体型のリチウムイオン電池も、そうした安全性の問題を乗り越えるために、今必死に開発されてるようです。パソコンだったら火を吹いてもそれほど危険はないのかもしれませんが、車ではそうはいきません。人の命がかかっていますので、安易にリチウムイオン電池を使用することはできないようです。私が乗っている三代目のプリウスも、リチウムイオン電池は積んでいません。

今よりも格段に容量が大きく、安全性の高いリチウムイオン電池が開発されれば、車も電気自動車に大きく移行していくことは間違いありません。まさに時代は、電気の時代なのです。

NHKの特集番組「映像の世紀」を観ると、20世紀が電気の世紀として出発した様子が、克明に記録されています。20世紀初頭、アメリカでは電気をふんだんに使った遊園地が、コニーアイランドに開場し、庶民でも楽しむことができるようになった、と映像が告げています。

21世紀となり、リチウムイオン電池の力で、もう一度新しい電気の世紀が始まろうとしているのかもしれません。

 

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