2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

投稿者: aiaiganka Page 244 of 316

窮鼠猫を噛む

■20190522(水曜日:曇)

 

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Melbourneで始めてみたピンク色の池です。Salt Water Lake。世界中で四箇所、確認されているそうです。

 

 

■今朝は走りました。昨日の夜は沼津医師会の理事会があり、地域医療における様々な問題点を検討しました。今朝は5時に目覚ましを鳴らし、起き出すのに少し逡巡しましたが、準備運動を済ませて5時半には走り出すことができました。10.65 km を走り、今月の通算は83.13 km。 残り9日16.86 km のところまで来ました。最初の5 km ほどは体も重く、足取りはとても軽快とは言えませんでした。それでも7キロを過ぎてからは、それ以前に比較して、随分と軽やかに走ることができたように思います。

 

6月2日の JAL 国際千歳マラソンに出場しますので、三日間の休養が必要です。ということは5月30日、31日そして6月1日には、走らずに休養しなければなりませんので、それまでに100キロを走らなければなりません。なんとか今月も目標を達成して、51ヶ月連続月間100 km の記録を達成したいと思っています。

 

■トランプ政権の中国通信機器大手のファーウェイへの圧力が強まっています。トランプ大統領の禁輸措置を受け、アメリカ企業が Huawei へのソフト提供や電子部品の出荷を停止する動きが広がってきました。ロイター通信によれば、 Huawei 社製のスマートフォンに関して、 Google の「 Gmail」や傘下の 動画投稿「 YouTube」 といったアプリの利用まで、将来的に制限される可能性がある、と報道されています。 2018年度の日本国内のスマホ出荷台数シェアで、Huaweiは5位の6.2%を占めています。私自身も Huawei 社製の p 10 Lite を利用しています。故障することもなく、十分満足できる性能を発揮してくれています。ファーウェイは昨年、パナソニックや京セラなどの日本企業から6700億円規模の部品を調達しています。 Huawei 社製のスマホが失速すれば、それは同時に日本企業の業績にも影響するのです。

 

トランプ政権の中国いじめが続いていますが、テレビの解説によれば、それは世界的な覇権争いの様相だというのです。中国には決して覇権を手渡さないぞ、というアメリカの宣言だというのです。田中宇さんの解説では、むしろ真相は逆のような気がしますが、どちらにしても結果として引き起こされるのは、「窮鼠猫を噛む」という状況ではないでしょうか。中国は大国です。日本とは違います。大国となった今、これまでのように、アメリカの風下で、ひっそりと力を蓄える、という段階は過ぎ去ったのでしょう。大国としての矜持も、そして責任も果たさなければならないのです。トランプ大統領は、いわば中国の尻を叩くことで、大国としての責任を引き受けさせようとしているのではないでしょうか。スマホのことに関しても、アメリカの半導体など、部品供給が停止されれば、もちろん一時的には窮地に陥るでしょう。しかし中国は、そのまま黙って引き下がるようなことはしないはず。自分たちの力で、それに代わる製品を自力で作り上げ、自立していくはずです。それだけの能力が、今の中国には十分蓄積されていると、トランプ大統領は踏んでいるのでしょう。中国が本当に潰れてしまっては、アメリカにとっても世界にとっても、何も良いことはないのです。そのあたりはトランプ大統領は十分理解した上での行動であるはずです。

 

以前万里の長城を登るために中国に行った時に、まず驚いたのは、インターネットに繋がっているにもかかわらず、 Google が利用できないことでした。噂では聞いていましたが、まさか本当に Google と接続できないなどとは、実際に遭遇してみて本当に驚きました。 Google を通して情報がアメリカ政府に筒抜けだ、という危惧から中国政府は接続を制限しているのだ、とも言われていました。結果として中国では、検索するにも Google を通してではなく、中国の会社であるバイドゥを使っていることがほとんどのようです。Amazon がなくてもアリババがあれば、中国の人は何も不自由していないのです。中国政府に対するさまざまな批判があることはもちろんですし、民主的とは言えないことは間違いありません。しかしアメリカの会社の言いなりになっていたとすれば、梯子を外された時に、社会はパニック状態になってしまいます。安全保障とは、何も戦闘機や空母を作ることだけが、安全保障ではないのです。今の危機状態を、 Huawei 社が、そして中国政府が切り抜けた時には、今よりもさらに強い存在として生まれ変わっているに違いありません。

 

裁判員制度

■20190521(火曜日:豪雨)

 

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昨年Melbourneを訪れた際に投宿した Swanston Hotel です。隣が有名なチョコレート屋さんです。

 

■今朝はゆっくりと休みました。昨夜の天気予報では、今日の昼までは大雨の予想です。その予想通りに、昨夜から降り始めた雨は、午前7時4分現在、激しく降り続いています。 予定されていた小学校の遠足も午後からに延期されたようです。こんな時はジタバタしても致し方ありません。静かに雨音に聞き入るか、黒い雲に覆われた空を眺めるかしかありません。

 

■さて今朝の朝刊には、「裁判員・強制起訴施行10年」と題して記事が掲載されています。共同通信が行った全国の裁判員経験者へのアンケート調査によると、「判決に市民感覚が反映された」と回答された方が92%でした。こうした市民が参加した判決を、裁判官だけで審理する控訴審が覆す割合が、昨年は1割を超えています。「経験してよかった」が87%、「ある程度」が11%となり、ほぼ全員が肯定的な評価を示しています。「裁判員制度を続けるべきだ」としたのは84%。「やめるべきだ」は3%。「分からない」 は13%でした。

 

私は裁判員制度を経験したことはありませんが、アメリカの制度である陪審員制度を描いた名作「12人の怒れる男」を何度も観ていますので、少しは想像できるのではないかと思っています。陪審員制度では、有罪か有罪でないかを、12対0になるまで議論を続けて決着をつける方式のようです。 有罪か無罪かを決めるわけではないところがミソでもあります。 映画の中では何度も「reasonable doubt 」 という言葉が語られます。 つまり、どう考えてもおかしいという点が拭い去れないのであれば、それは有罪にはできない、という考え方です。 被告は有罪であるということを立証する責務が、検察官にあるのであって、自分自身が無罪であることを立証する責任が、被告にあるわけではないのです。その点は憲法に保障された個人の権利であると、映画の中では陪審員の一人であるヘンリー・フォンダが語っています。 法律には、もちろん私は詳しいわけではありませんが、映画を観ながら思うことは、この点がアメリカと日本では違っているように感じるのです。 まさかそんなことはないとは思いますが、日本では自分自身が無罪であることを被告自身が立証しない限り、有罪になってしまうのではないかとすら感じてしまうのです。

 

アメリカのテレビ映画「Law and Order 」を観ていると、アメリカの容疑者がまず言うことが、「弁護士を呼んでくれ」です。アメリカでは弁護士の立会いを要求することは、当然の権利なのです。残念ながら、日本では異なるようです。 そして裁判所で、まず決めなければならないことが、保釈するかどうかの決定です。検察官が勾留請求の理由を述べ、それを裁判官が勘案して保釈するか勾留するかの決定を下します。拘留期間の長さの違いも、両国間の裁判制度の違いを反映してるようです。 それぞれの国にはそれぞれの文化・歴史がありますので、どちらかが正しくて、どちらかが間違っている、というものではないのでしょうが、もしも自分が被告の立場に立たされたとしたら、どちらの制度を希望するかは明らかであるように私は感じます。

 

reasonable doubt 合理的な疑い、についてはWikipediaには、以下の記載がありました。

 

日本の刑事訴訟において、裁判所が公訴事実を認定するには、当該事実につき「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証」あるいは「合理的な疑いを超える証明」が必要であるとされる。ここでいう「合理的な疑いを差し挟む余地がない」というのは、「反対事実が存在する疑いを全く残さない場合をいうものではなく、抽象的な可能性としては反対事実が存在するとの疑いをいれる余地があっても、健全な社会常識に照らして、その疑いに合理性がないと一般的に判断される場合には、有罪認定を可能とする趣旨である」とされる(最判平成19年10月16日)。被疑者及び弁護側からみれば、無罪を主張する際には容疑について完全無実を証明する必要は無く、犯罪行為を行ったことについて合理的な疑いを示すことができればよいことになる。

戦後、英米法から導入された概念であり、アメリカでは、陪審員は「合理的な疑い」が排除されない限り、有罪の評決をしてはならないとされる。

 

8,000キロ

■20190520(月曜日:晴れ)

 

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Melbourne市内を流れるヤラ川沿いの夜景です。毎晩多くの人が行き交っています。

 

■今朝は走りました。来月2日に行われる千歳マラソンに参加しなければなりません。その前に3日間は休養をとらなければなりませんので、それまでに100キロを走っておかなければならないのです。昨日の疲れも残っていたのですが、とにかく、ゆっくりで良いので走り切ろうと決めていました。10.56 km を走り今月の通算は72.48 km、 残り11日で27.51 km のところまで到達しました。残りの日数から考えれば、目標達成は決して難しくはなさそうに見えますが、何が起こるかわからないのが人生です。油断をせずに、最後までしっかり走りたいと思っています。

 

先月もなんとか月100 km の目標を達成しました。大型連休中にメルボルンに出かけなければなりませんでしたので、せわしない毎日でしたが、なんとか達成することができました。メルボルンでも2回走り10 km 以上を積み重ねました。記録を見てみると、 2015年3月に月100 km の目標を達成して以来、これで50か月連続、月100 km を走りました。記録に残っている全通算走行距離は、現在8,007 km となっています。我ながらよく積み重ねたものです。これからも続けていきたいと思っています。

 

 

他者とともに在れ

■20190519(日曜日:晴れ)

 

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Melbourne市内の交差点です。信号無しで、上手に対応しています。信号より、むしろ安全なのかもしれません。

 

■今日は新沼津カントリークラブ B クラスの月例です。最近は同じメンバーで競技に参加しています。久松さん、篠崎さん、そして今日は植松さんが都合で出られませんでしたので、3人でのプレイでした。雨も心配されたのですが、曇り空だったものの、幸い雨が降ることはなく、むしろ暑くなくてプレイをするにはちょうど良い気候でした。クラブヘッドの動きを少し理解できたおかげで、前回からはめちゃめちゃ酷いスコアを出すことはなくなりました。今日も OB は一度もなかったものの、 パーを取ることがなかなかできずに、 結局前半52回、後半は47回、合計99回で、なんとか100回を切ることはできたものの、とても満足できるスコアとは言えませんでした。 少しずつ改善されてはいるものの、フォームがしっかり自分のものになっていませんので、 今のままでは良いスコアは、出そうにありません。毎日の素振りを欠かさずに行い、ホームをしっかり自分のものにすることが、今一番しなければならないことのようです。

 

■さて今日の東京新聞「時代を読む」欄では、関西学院大学准教授・木戸理恵さんが「上野祝辞の意図」と題して書かれています。女性学・ジェンダー研究で知られる上野千鶴子さんの東京大学での祝辞が話題となりました。
祝辞ではスタートラインの不平等に触れ「頑張れば報われる」と思えるのが実は特権的なことだと説かれた。「あなたたちの頑張りを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれない人々を〈中略〉助けるために使ってください」。

この部分は「高貴な義務」すなわち「特権的な立場の人には奉仕の義務がある」とする貴族的な思想と解釈され、注目を集めました。しかし木戸さんは、これを高貴な義務を果たす支配者のすすめとして受け取ることはできない、そこには能力主義批判が語られていると書かれています。

木戸さんは、

 

能力主義は、人を単体で見て「できる・できない」を決める。「できる」とされた人は優位な立場を「頑張ったから当然だ」と考え「できない」とされた人は劣位の位置を「自己責任」と引き受けさせられる。それは「誰の助けも借りない自力だけの勝負」をさせることで個々人を切り離す、孤独な主張である。しかも実際には、機会の平等はたてまえに過ぎず、様々な不平等があることが分かっている。

「つながりの中で生きたい」というニーズに、一人では生きられない弱者は気づきやすい。だが強者はどうか。「自分は勝ち組」という意識は、弱い他者への共感や連帯の感覚を鈍らせ、果ては自分の中にもあるかもしれない弱さへの想像力をも奪っていく。それは孤独ではないか。

 

そのように考えれば、受け取りたいのは「高貴な義務のすすめ」というより「他者とともに在れ」というメッセージである、と木戸さんは指摘しています。

 

新自由主義全盛の昨今ですが、その主義の目指すところは、まさに個人個人をバラバラにし孤独に陥れ、分割支配を容易にすることではないか、と私には思えます。支配者にとって最も恐ろしいのが、連帯であることは、 歴史を通じての不変の真理ではないでしょうか。

 

海鳴り

■20190518(土曜日:曇)

 

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Melbourne市内の青果店です。朝日を浴びて輝いています。

 

■今朝は5時15分に目覚ましを鳴らして起きだしました。昨日10 km 以上走りましたので、今日は休養日です。そして土曜日です。一週間の仕事が終わる日です。今週の学校検診で、全ての担当学校を回ったと誤解していましたが、来週もう一回残っていました。それで私の担当は終わりです。

 

子どもたちの数が本当に減りました。自分の子どもたちが通っていた小学校では、クラス数が激減し、今では各学年ひとクラスになってしまいました。一時期はその小学校のためだけに新しい中学校をつくろう、という意見も出ていたようですが、今では他の小学校との合併が議論されています。 いつのまに、こんな状況になってしまったのか。当然マスコミでは以前から報道されていたのでしょうが、こうして自分自身が仕事の一部として関わると、その変化の大きさを痛感します。

 

身近に子どもたちの元気な声を聞く機会が、ほとんどなくなりました。 社会全体で子ども達を支える政策をとることで、 日本の未来を考えていくことが、喫緊の課題ではないでしょうか。

 

■今朝の東京新聞・筆洗には、廃プラの輸出などを規制するバーゼル条約の改正が決まったことを報じています。 中国が輸入禁止を決めたために、 輸出することで処分を回避してきた日本も、国内での処理の対応を迫られています。

 

この記事の書き出しは以下の通りです。

 

作家の藤沢周平さんに故郷山形の海に触れた随筆がある。海沿いのホテルで夜、眠れずに、海鳴りをしばらく聞いた。心に浮かんできたのは単純な懐旧の情ではない。

〈若さにまかせて、人を傷つけた記憶が、身をよじるような悔恨を伴って甦る〉

海の声と形容されることもある波音や海鳴りは、美しい思い出だけでなく、過去への悔いもかきたてようか。

 

と、続けています。大好きな藤沢周平さんの作品を、再読してみたくなりました。

 

物価上昇

■20190517(金曜日:晴れ)

 

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Melbourne 市内のコンビニと言うか、カフェの様子です。コンビニのようなお店でも、かなり本格的なコーヒーを作ってくれるのが、Melbourneでしょうか。

 

■今朝は走りました。いつものように5時に目覚ましを設定しておきましたが、3時半頃一度目が覚めてしまいました。さすがに3時半では、些か早すぎますので、そのままもう一度寝入って5時少し前にまた目が覚めました。今日も爽やかな朝でした。昨日の天気予報によれば、今朝の気温は15°ほどということでしたが、湿度が低いためか気持ちの良い朝でした。今朝も、とにかくゆっくりでいいから、しっかりと走ろうと思いましたが、体が重くて参りました。それでも何とか10.53 km を走り、今月の通算は61.92 km。残り14日38.08 km のところまで来ました。

 

今朝走った様子を、ランニングウォッチの記録を見て振り返ってみると、当初はキロ7分30秒程度から、次第に右肩上にペースを上げて、最後はキロ6分を切るペースで走り終わっています。例のチーランニングを心がけ、足も手もなるべく後ろに蹴るように心がけたのですが、 途中からは地面そのものを足で掴んで、後ろへ追いやるようなイメージで走りました。それが正しい走り方なのかどうかわかりませんが、地面からの力を前進する力に替えるというイメージが大事なのかもしれません。

 

■今朝の東京新聞「視点」は、編集委員・久原穏さんが、「生活者から遊離する物価目標・目指すべきは賃金上昇」と題して書かれています。 日銀が2%物価上昇を目標にしているのは周知の通りです。物価が上がれば庶民は生活が苦しくなると、素人の私は考えるのですが、 どうもそうではないようです。 2018年の1年間でも、消費者物価指数のうち、生鮮食品を除いた総合指数は、2%の目標どころか1%にも達していません。 しかしこうした統計ではパソコンやカメラの機能が向上すれば実質的な値下げと判断したり、自動車は現実に価格が上昇しているのに、機能向上によって価格は横ばいとするなどの換算がなされているとは知りませんでした。「実態以上に物価を低く見せている」と批判する専門家もいるようです。「2%物価目標」が実現したと仮定した時、食料品の物価への影響を考えた上で、直近5年間で単純計算すると、食料品の上昇は25%に達し、現在の2倍以上に達するという計算もあります。

 

現状の「2%物価目標」が国民の望む政策とずれているのは明らかだ、と久原さんは語っています。現在の食料品高騰はコストが押し上げる悪い物価上昇であり、賃金上昇を起点に需要が引き上がる形の物価上昇こそが良い物価上昇であり、それこそが政府の目指す政策であるべきなのです。 今の政府の目指しているのは、何もかにも、本末転倒にしか私には見えないのです。

 

この瞬間

■20190516(木曜日:晴れ)

 

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Melbourne 市内の The Tea House です。

 

■今朝は走らずに5時15分に目覚まし時計を鳴らしました。昨日の朝は10 km 走りましたので、今朝は無理をせずに休養です。風もなく、ひんやりとした空気に包まれた爽やかな朝です。昨日は新聞を読んでいて、二人の方が亡くなられたことを知りました。女優の京マチ子さんと、米国を代表する歌手そして女優であったドリス・デイさんです。京マチ子さんといえば、私にとっては映画「羅生門」でした。その妖艶さは強烈な印象を与えました。

 

一方ドリスデイさんについては、ヒッチコックの映画に出演されていたのを何度か観ました。

 

1953年の西部劇風ミュージカル映画『カラミティ・ジェーン』の大ヒットで人気を不動のものとした。1956年のアルフレッド・ヒッチコック監督作品『知りすぎていた男』の劇中で歌った『ケ・セラ・セラ』が大ヒットし、アカデミー歌曲賞を受賞した。

 

映画の中の彼女は、健康的で明るく朗らかな、まさに戦後アメリカを代表する、理想的な女性像だったように思います。ところが十歳の時に両親が離婚し、彼女自身も生涯に4度も結婚しているのを知ると、そう単純でもないようです。今朝の東京新聞筆洗には、 彼女の生涯が書かれていました。

 

12歳の時には父親が家を出て行った。寂しい生活にも夢があった。ダンサーになる。幼い時からレッスンを受けてきた。 大きな街へ出て、ダンスで生きると決意する。悲劇は出発の前夜に起きる。少女が乗った車が列車に衝突し、大切な脚に大けがを負う。ダンサーの夢を諦めた。長い入院生活の中で一つの楽しみに出会った。ラジオから流れる音楽である。自分もそれに合わせて歌う。上手に歌える。今度は歌手を目指そう。やがて少女は米国を代表する歌手、そして女優となる。

 

大ヒット曲『ケ・セラ・セラ』は、小さな娘が母親に質問をし、それに対して母親が答えるという歌詞でした。私は大きくなったら美人になるかしら、私は大きくなったらお金持ちになるかしら、といった具合です。 それに対する母親の答えが、ケ・セラ・セラ(なるようになるのよ)、というわけです。確かにその通りに違いありません。未来のことなど分かりようがないのです。アドラー心理学を広く知らしめた大ベストセラー「嫌われる勇気」に書かれてあった印象的な部分には、こうあります。

 

過去に起きたことなどは今の自分には何の関係もない。未来のことなど分かりようもない。人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那なのです。そしてふと周りを見渡したときに「こんなところまで来ていたのか」と気づかされる。

 

だから、アドラーの言うように、「いま、ここにスポットライトを当てて、ダンスを踊るように生きていく」しか無いのです。ドリスデイも、きっとそのように生きたに違いありません。

 

やませ

■20190515(水曜日:晴れ)

 

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メルボルン市内の総合診療医診療所です。まずは予約を入れて、ここに掛かる必要があります。

 

■今朝は走りました。5時に目覚ましを鳴らして起き出し、ビニールゴミを持って所定の場所へ行き、準備運動した後に走り始めました。今日は15日。5月も半ばになってしまいました。今朝は10.59 km を走り、今月の通算は51.38 km と50 km を超えました。パソコンの画面が50 km 達成おめでとうございます、と告げています。これで残り16日48.61 km のところまで来ました。 ランニングウォッチの記録を見ると、7 km を過ぎるまでは随分とゆっくりとしたペースでしたが、そこからは足取りが軽くなったように感じました。走り終える頃には、まだまだ走れそうな気がしたほどでした。

 

6月2日には JAL 国際千歳マラソンに参加しなければいけません。Takuが出場をしませんので、今年も一人で走らなければならないのは寂しい限りです。でも致し方ありません。参加するのはハーフの部ですが、 といっても21キロ以上を走らなければなりませんので、10 km で喜んでいる場合ではないのです。しかもコースはスタートから11キロあたりまで上り坂が続く、結構きつい設定なのです。とにかく積み重ねるしかありません。

 

■今朝の東京新聞を読んでいてとても嬉しかったのは、25面に掲載されていた「青森・下北のいちご 成長株に」という記事でした。

 

東北地方に吹く冷たい季節風「やませ」が追い風になり、全国的に品薄になる夏場に出荷できる点が最大の武器。需要に供給が追いつかない状況で、新規就農者も続々と出ている。

 

一般的な国産イチゴは冬から春に出荷されるのに対し、下北のイチゴは夏、秋に出荷する。イチゴは冷涼な気候を好むため、やませが吹き付ける下北は絶好の栽培場所となっている。

 

単位面積当たりの生産額は、米の18倍であり、狭い土地で高単価な商品が作れることがポイントだそうです。下北半島といえば、これまでその厳しい気候のために、 豊かな歴史を持てなかったように思います。明治維新後、会津藩の人々が強制的に移住させられたのも、確か下北半島だったように思います。やませという厳しい自然条件を逆手にとって、 豊かな農業県になってくれれば、これまで苦労されてきた先人も喜ばれるのではないでしょうか。

 

右翼療法

■20190514(火曜日:雨)

 

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メルボルン市内の様子です。1956年にはオリンピックが開催されました。

 

■今朝は走るつもりで5時に目覚ましをかけていました。ところが午前2時過ぎでしょうか激しく雨が降ってきて、その雨音で目が覚めてしまいました。窓を開いていないか、起きだして確認して歩きました。 結局6時まで寝てしまいました。生ゴミを所定の位置に運び、新聞を取って家に戻りました。いつものように朝食をとり、今こうして入力をしています。

 

今日は午前中、学校検診です。今日で受け持ちの学校すべてが終わります。 学校医としての関わりは、新年度早々の学校検診と、秋の就学時検診が主なものとなります。 昔と違って子供たちの数が減りましたので、どんなに生徒数の多い学校でも、私の場合は2日に分けてすることはありませんけれども、 その度に休診にして出かけなければなりませんので、 帰ってきてからが大変です。

 

■東京新聞朝刊の連載「私の東京物語」は、現在作家の雨宮処凛さんが執筆されています。雨宮さんの本を私は読んだことはなかったのですが、この連載記事を読みながら、ぜひ雨宮さんの本を読んでみたいと思うようになりました。 今朝の題名は、まさかの「右翼療法」、です。大変興味深いと共に貴重な示唆に富んでいると感じました。 生きづらさを抱えて悪戦苦闘している雨宮さんが、 作家見沢知廉(ちれん)さんとの出会いを通して変わっていった自分を、正直に綴られています。

 

それまで、自分が生きづらいのは全て自分の個人的な資質のせいで、いじめられたのも人生がうまくいかないのも貧乏なのも、全部自分が悪いのだと思っていた。しかし、右翼の人たちは「アメリカ」と「戦後民主主義」が原因だと言うではないか。生まれて初めて、私は「免責」された。

 

そして、その右翼団体に入った雨宮さんは、それまであんなに激しかったリストカットがピタリと止まったというのです。「右翼療法」だった、と形容しています。

 

1997年。バイトもしょっちゅうクビになり、大学には入れず、就職氷河期で就職など夢のまた夢、 東京には家族もいなければ地域社会にも属さない地方出身フリーターの私には、所属する中間団体が一つもなかった。そんな私は「国家」に優しく包摂された。

 

と、書かれています。 雨宮さんと似たような状況下で悪戦苦闘している人達は数多くいるに違いありません。 結局のところ、どのように生きていくかを決めるのは自分自身でしかないのですが、自分一人だけの力で生きていける人がいないことも確かなのです。人生とは、所属感を求めての旅だ、という言葉を思い出します。

 

命の宿命

■20190513(月曜日:曇)

 

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ご近所さんの庭の様子です。

 

■昨日は朝10キロを走った後、午前中に沼津千本浜の海岸清掃ボランティア作業を行いました。沼津西ロータリークラブの奉仕活動です。加藤学園インターアクトクラブの皆さんと一緒に例年行っています。朝の9時半に集合して、皆さんの写真を撮ってから、軍手とビニール袋と ゴミはさみの3点セットを皆さんに配って海岸に向かいました。防波堤を越えて海岸に降りてみると、ゴミの少なさに驚きました。クラブでの清掃活動はもう20年以上続いていますが、これほど海岸にゴミの少ないことは記憶にないほどです。後で聞いてみると、海岸沿いの自治会の皆さんが、定期的に集まって清掃作業をしてくださっているようです。そのおかげで例年に比べてゴミが少なかったようです。それでも1時間ほどの作業で、ゴミ袋が50袋弱も集まりました。

 

例年よりは少ないものの、どうしてこのようなごみを放置する人々がいるのかと、本当に腹立たしく思うとともに、悲しくなってしまいます。 きっと海の中には目には見えないものの、膨大な量のゴミが堆積しているに違いありません。いずれ海の中に住む魚の重さよりも、廃棄されたプラスチックの量の方が重くなるだろうという予測は、決して荒唐無稽ではなさそうです。ホモサピエンスとは、決して賢い生き物とは思えないのです。

 

■ボランティア活動から帰ってきて少し休んでから、連休の間溜まっていた新聞の整理をしました。オーストラリアへ出かけていた間に読み損なった新聞です。平成から令和へと、歴史的な転換の時期だったのですが、たまたま出かけていたために、そうした日本国内の熱狂を実感することはありませんでした。 私自身が令和への移行を実感したのは、連休が明け仕事を始めた朝、 コンピューターを立ち上げて患者さんの記録を入力し始めた時です。日付の欄が「h」から「r」へ変更されていることに気づいたのです。この時はっきりと、時代が変わったことを実感しました。 平成天皇が本当に退位されて、令和天皇が即位されたことを実感したのです。

 

私がクリニックを開業したのは平成元年でした。そしてその平成の間に、3人の子供達は成長し、一人前の社会人として自立し家庭を持ちました。我が家族は、まさに平成と共に成長し、平成の終焉とともに、 三つの家庭に別れて行ったのです。細胞が分裂し増殖していくように、 それは生命の宿命です。これまでも、そしてこれからも、永遠に続いていくに違いありません。

 

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