2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

投稿者: aiaiganka Page 84 of 314

宿命

■20230918(月曜日:晴れ)

1年前に出掛けた、金毘羅様です。やっと階段を下り終わりそうになりました。

■今日も昨日に続いて、ゴルフとなりました。2日続けてゴルフをすることなど、1年に1度あるかないかですが、今日は仲良し長倉さんが誘ってくれました。

3 人の友人と楽しくラウンドできましたが、暑くてまいりました。それでも昨日よりはマシでした。風があったのです。それだけでも随分と違います。海から拭き上げてくる風のおかげで、だいぶ救われました。

今日は思い切ってパターを換えました。使わずに仕舞っておいた、別のタイプのパターです。藁にもすがる思いとは、こうした事を言うのでしょう。昨日はとにかく、パターが入らずに往生しました。あれではスコアになりません。

両脇を締めて、肘でヘッドを動かすイメージで、今日は打ちました。昨日とは違い、格段の進歩です。ボールの転がりが安定しました。バックスイングが安定したのです。

それでもドライバーが不安定で、OBだ、ロストボールだとなれば、スコアはハチャメチャです。練習が足りません。努力するのみです。

■さて、全国的に梅毒の患者数が増えています。

★梅毒 静岡県内でも感染急増 
2023年最多ペース、300人
超える勢い

恐ろしいことです。正しい知識を持つことが、とても大切です。

愛読書の一つ、「地中海のほとり」の中には、とても興味深い記述があります。コロンブスが新大陸から持ち帰った梅毒が、ヨーロッパ中に蔓延し、王侯貴族を震撼させます。

そして、梅毒はトイレで感染するという誤解から、ベルサイユ宮殿からトイレが消え失せたというのです。今では信じがたい話ですが、知識が無かった時代には、誰もが恐れおののいたのでしょう。

新しい感染症とは、永遠に戦い続ける宿命に人類はあります。農業を始めた宿命です。

中国で慕われた坂本龍一さん

■20230917(日曜日:晴れ)

3年前に出掛けた占冠村のクラブメッドです。2棟見えているのが星野リゾートのタワーホテルです。

■今日は、新沼津カントリークラブの月見杯Bクラス月例でした。いつもの仲良し甲野藤さんと、ご一緒でした。午前中は曇り空で、暑さも少し楽だったのですが、午後からは日差しも戻り、暑さとの戦いになりました。

ゴル友に教えてもらったパットの練習を、付け焼き刃に行ったのが、間違いでした。ショートホールでワンオン4パットと、これではスコアがまとまるはずがありません。やはり、付け焼き刃はダメです。

それでも、最後の数ホールは、狙った通りにボールを送り出すことができ、次回につながるラウンドでした。それにしても暑い一日でした。

■さて、昨日放映された「NHKニュース おはよう日本」での、ある報道に心惹かれました。「中国で慕われた坂本龍一さん」です。以下はNHKのホームページの記載です。

今年4月、長江の畔で武漢に住む彭海涛さんが坂本龍一さんの楽曲を演奏した。前日には坂本さんの訃報が報じられていた。坂本龍一さんは映画「ラストエンペラー」の音楽を手掛けるなど中国に多くのファンがいる。

彭さんは4年前、脳卒中で倒れた父の看病のため地元へ戻り、亡くなるまでの半年間、疎遠になりがちだった父と過ごしたが親孝行が充分にできなかった事が心残りだった。

そんな時に思い出したのが電車の移動中にたまたま聞いたことがあった阪本さんの「Merry Christmas, Mr.Lawrence」だった。序盤は静かなメロディだが、後半に力強くなる所に彭さんは惹かれた。

2年以上練習を重ね、いつしか各地で演奏を披露するようになった。7月には坂本龍一さんを偲ぶイベントに出席し、ファンの前で演奏を披露。この音楽に救われた経験も語った。彭さんはこれからも中国の人に曲を届けたいなどとしている。

途中、「坂本」が「阪本」と間違えているのは、いただけません。

私が心惹かれたのは、彭さんの述懐部分でした。父親に充分親孝行ができなかった、という部分です。父親が自分のことを深く愛してくれていたのに、生前その事に充分気づいていなかった、というのです。

この点は、おそらく誰にとっても、悔恨の思いが蘇るに違いありません。私も、そうでした。父親は、深く愛してくれていたのです。私が、子ども達を深く愛しているように。

でも、その事に気づいていませんでした。いや、気付こうとしていなかったのかも知れません。気付いてしまうと、肩の荷がぐっと重くなるからです。

小津安二郎監督の「東京物語」が、永遠の名作として語り継がれる所以です。同じことが繰り返されてきましたし、これからも繰り返されていくに違いないからです。

二度生きる

■20230916(土曜日:曇)

3年前に出掛けた北海道猿払村の様子です。

■今朝は、ゆっくりと休みました。朝の5時に起きてフィットネスクラブで走りましたし、外来はなぜか終日混雑し、しかも昼休みはお客さんが来られて、昨日は終日休む暇がありませんでした。

疲れ切ってしまい、夜は10時前には布団に入りました。おかげで今朝は疲労もかなり取れました。今日頑張れば、明日から連休です。

昨夜は20時すぎ頃からか雷鳴が轟き、稲妻が走りました。停電するのではないかと、湯船に入りながら心配したほどです。幸い停電することは、ありませんでした。

■今朝の天気予報では、最高気温は未だに30度を超えそうですが、さすがに北海道は30度を下回りそうです。もう30度を超えることは、北海道ではないかも知れません。

それにしても、暑い日が続きます。調べてみると、昨年も9月13日には、日中35度に迫る暑さだったようです。それでも、翌日の14日には「とはいえ、さすがに寝る頃になれば気温も下がり、窓を少し開けておけば、暑苦しいということはありません」と昨年のブログの記載にありますので、今年よりは、マシだったかも知れません。

何にしても10年前には、フローリングの床の上にゴザを敷いて、真夏でも空調もつけずに、3階で窓を開けて寝ていたのですから、とても信じられません。硬い床の上で寝ていたことも、空調無しで寝ていたことも、とにかく信じられないことばかりです。

■「日記をつけなさい。日記をつけることは人生を二度生きることだ」という作家・長谷川 伸さんの言葉が、何かに付けて心に響いてくるのです。私が日記をつけ始めたのも、この言葉を知ってからのように記憶しています。

一回目の人生も、残り少なくなってしまいましたが。

区切り

■20230915(金曜日:曇)

宮崎市日向大島の海岸です。いつまで見ていても、飽きることがありません。

■今朝は5時に起きてフィットネスクラブに行き、走りました。火曜日以来ですので、3日ぶりです。今朝は34分13秒、5.08kmを走り、これで今月は3回のランで14.60kmを積み重ねました。

朝の5時は、まだ真っ暗だということに、久しぶりに気付きました。

起きてから、すんなりと走り出すことが、最近はなかなか難しくなってきました。今朝は目覚めはとても良かったのですが、それからが、なかなか難儀です。

5時15分頃に準備も終わり、家を出てフィットネスクラブでスタートしたのが、5時半。時速5キロぐらいから始めて、少しずつペースを上げ、総距離 5 kmを走ったところで、クーリングモードに落としました。

走った後は、フィットネスクラブでシャワーを浴びて家に戻り、朝食の準備を始めました。こうしたやり方を、週に3回続けることができれば、1ヶ月で60キロは走れる計算になります。

夜は筋トレに専念して、朝と夜の使い分けで順調に回ってくれるように、これからも試してみたいと思っています。

■昨日は阪神タイガースが18年ぶりに優勝したそうで、大阪は大変な騒ぎだったようです。私がセットアップをしなければならない、最後の勉強会も昨夜無事に終わりました。

来年度からは新しい会長に席を譲って、お手伝いする側にまわる予定です。公職はなるべく勇退して、若い先生にお願いする予定になっています。これで肩の荷も下りますので、自分自身の鍛錬に専念する毎日にしていこうと思っています。

古希を迎え、日々変化する自分の身体を見つめる、静かな日々を送りたいと願っています。ランニングと筋トレを続けていくことで、どんな変化が自分の体に訪れるのか。それが、とても楽しみなのです。

時の流れ

■20230914(木曜日:晴れ)

今朝の散歩の時に撮りました。サギでしょうか。東の空を睥睨しています。

■今朝は散歩にでかけました。すんなり起き出すことができずに、グズグズしてしまい、時間的にも散歩が最適でした。爽やかな晴天のもと、のんびり歩くのも悪くありません。

20年前に歩き始めた頃は、1時間以上掛けて、ずっと遠くまで出かけていました。30分ほど歩くと地元の桃澤神社に到着です。登校途中の小学生と挨拶を交わすようになったのも、そんな頃でした。

彼は、もう立派な社会人になっているに違いありません。戯れに、二人でじゃんけんをして遊んだりもしました。もう遥か遠くの、夢のような時間でした。

Takuと一緒に、キャッチボールやサッカーをして遊んだのも、もう30年前のことです。これもまた、夢の中の出来事のように思い出されます。

散歩途中で通りかかった、お茶問屋さんのご主人が、自慢の蓮の鉢の手入れをしていました。最後に言葉をかわしたのは、いつでしたでしょうか。10年前になるかも知れません。

ご主人はサイクリングが趣味で、まるで自転車レースに出場するような出で立ちで、颯爽と走り出したのを覚えています。これから、愛鷹山に登るのだ、と言われていました。地面に座り込んで鉢の手入れをしていた今日の老人からは、想像もできません。別人かもしれません。

何もかにも、過ぎ去ってしまえば、本当に夢のような出来事ばかりです。

今夜は、私が責任者として開催を準備する、最後の勉強会です。来年からは、若い先生にバトンタッチです。無事に終わることを祈るばかりです。

病みつき

■20230913(水曜日:晴れ)

7年前の富士山静岡空港の売店です。中国人観光客が爆買いしてくれたのです。

■今朝も晴天です。東京でも30度を超える予想です。北海道は、豪雨に襲われています。農産物に被害の出ないことを祈るばかりです。

昨日はフィットネスクラブに2回も出かけました。朝はランニングに、そして夜は筋トレのためにです。さすがに2回目は、上半身のトレーニングに限定して、いつもの半分ほどの時間で切り上げました。

前回出掛けた時に、時間の関係でマルチプレスをパスしていました。これに再挑戦するためです。5月に筋トレを始めて一番驚いたのが、このマルチプレスでした。負荷は女性用の一番軽いものから始めたのですが、まず挙上することが全くできませんでした。

重りと連動したワイヤーが、途中どこかで引っかかっていて、そのために動かなくなっているのかと、最初は考えたほどです。もちろん、そうではなくて、単に力が無いからだと分かった時には、正直ショックでした。

ランニングは続けていましたから、下半身の筋肉は、それほど貧弱とは思っていませんでしたが、上半身がこれほど惨めとは気づいていませんでした。

最初の負荷から次の重さの、男性用の一番軽いものに今は取り組んでいます。10回挙上して1分休んで、また持ち上げるということを3回繰り返して、マルチプレスは終了です。

3回繰り返すことが、今では確実にできるようになりました。自分としては大きな進歩です。先週取り組んだ際の最初の1回目で、初めて軽いと感じたことに、驚きとともに、大きな喜びを覚えました。

体組計の計測では、筋肉量値は5ヶ月前から大して増加していないのですが、確実に筋力が付き、力が増していることが実感できます。これは快感なのです。こうなると、筋トレは病みつきになります。

同じ施設に通っている、マッチョマンの心境が私にも理解できます。残念ながら、私があそこに辿り着く頃は、もう棺桶の中でしょうけれど。

大会中止

■20230912(火曜日:晴れ)

宮崎市日向大島の廃屋です。今では無人島になってしまいました。

■今朝は5時に起きて、フィットネスクラブで走りました。昨夜は夕食後に出かけて、筋トレをしましたので、いささか疲れも残って不安だったのですが、なんとか30分走り切ることができました。

今朝は31分36秒、4.48kmを走り、これで今月は2回ランで9.52kmを積み重ねました。月88キロの目標まで、たった10%しか達成されていません。

ランニングと筋トレのバランスを、どのように取れば良いのか、いまだに迷っています。スマホの健康アプリによれば、私の身体が今朝のランニングから完全回復するのは、9月16日土曜日、6時01分と表示されています。

そんなに掛かるのかと、当初は思っていたのですが、これが意外と的を得ているのです。疲れが抜けるのに、それだけ時間がかかる年齢なのです。残念ですが、それが現実です。

■さて以下の記事は、他人事ではありません。

マラソン大会でランナー死亡 400 人以上リタイア
盛岡市が途中で大会中止に<岩手県>

大会当日の気温は 29.5 度(午前 10 時時点)、湿度は 77 %(午前 9 時時点)、また熱中症予防の目安とされる「暑さ指数」は、10 日午前 10 時時点で付近の市内好摩が 29.5 と、激しい運動は中止の指針が示されている「厳重警戒」でした。

3 キロからハーフまでの 4 種目に 1,743 人が出場しましたが、熱中症の疑いでリタイアしたり、制限時間内に関門を通過できなかった人が 400 人以上にのぼり、大会は午前 11 時半ごろに中止されました。

当日の過酷な気象条件が分かります。8月末に行われた北海道マラソンでも、スタート時点での気温が、なんと30度だったという、ちょっと信じられない条件下でのレースとなっています。

盛岡でのレースは、最長ハーフでしたが、それでもこれだけの途中棄権が続出したのですから、気象条件がいかに苛酷か容易に想像できます。

私も何度もレースに参加していますが、さすがにこれほどの苛酷な条件で走ったことは記憶にありません。せいぜい、真夏の夜に10キロを走る、御台場でのナイトランに参加した程度です。

一番辛かったレースとして記憶にあるのは、味の素スタジアムで行われてレースで、あの時はハーフのコースをゴールすると大会役員の方が、わざわざバケツに入れた水を持ってきてくれて、私の頭から掛けてくれました。よほど私は辛そうに見えて、フラフラだったに違いありません。

10歳若かったから、そんな事もできたのです。懐かしい思い出です。無理をせずに季節を選んで、ハーフマラソンには、できる限り挑戦したいと思っています。

印G20サミット

■20230911(月曜日:晴れ)

JR阿蘇駅です。地震から完全復旧しました。

■昨日はスポーツの日でした。サッカーにラグビーにと、日本代表が大活躍でした。昔でしたら、なかなか勝利するのが難しかった相手に、見事な勝利でした。

まるで、これから日本は高度成長期に入りそうな勢いでした。現実は真逆であることが、とても不思議に感じられます。大谷選手を始め、海外で活躍する選手が続出しているわけですから、日本の勢いは止まらない、と思うのが普通です。

しかし、冷静に現実を見つめれば、日本が坂を転げ落ちていることは明白です。先進国の中で唯一、多くの国民が貧しくなり続けています。空気の漏れているバランスボールのように、次第に萎みつつあるのです。

そんな時に読む以下の記事には、深く考えさせられます。

多極化と米覇権低下を示した印G20サミット
2023年9月10日   田中 宇

日本のマスコミでは、決して報道されない世界の実態です。国民は、いつも蚊帳の外です。ぜひ多くの日本人に読んでもらいたい内容です。

200キロ

■20230910(日曜日:晴れ)

宮崎市日向大島の海です。南国です。

■今日は新沼津カントリークラブ月見杯Aクラス月例です。競技委員としてお手伝いしました。69名の参加がありました。先月までは、異常な暑さのために、参加者が例年より少なかったのですが、ようやく秋の気配を感じるようになり、参加者も戻ってきたようです。

それでも、プレイ中は暑さが堪えました。それでも日陰に入り、そよ風が吹くと、さすがに心地よさが感じられ、鰯雲の空とも合わせて、季節の移ろいを実感できた一日でした。

■同じ競技委員の方が、日産リーフの愛好家で、電気自動車EVについてのお話は、とても興味深いものがあります。まずは、EVに対する危惧として、電欠の問題があります。走行途中にバッテリーが切れたらどうするのだ、という心配です。

人により乗り方が違いますので、もちろん一概に結論できません。話を聞いていて私が感じたのは、たぶん私も同じように、一度に200キロ以上乗り続けることは、殆ど無いだろうということです。

Kさんは、栃木の実家に帰られる時に、必ず決まったサービスエリアで休みながら充電するそうです。30分ほどで、十分充電が可能とのこと。日産との保守契約で、毎月一定の金額を支払えば、日産のお店で無料で充電ができるそうです。

車検も日産のディーラーで、費用は税金プラスアルファ程度で可能だそうです。保守点検でも困ったこともないようです。細かいことは、確認の必要がありそうですが、EVに乗り換えても不便を感じることは、私も無さそうだと思いました。

その時が来ているかも知れません。

11日ぶり

■20230909(土曜日:雨のち曇)

熱海と初島を結ぶ便です。25分弱でした。

■今朝は5時に目覚ましを合わせて起き出し、フィットネスクラブに行って走りました。前回走ったのは8月29日でしたので、11日ぶりとなります。

先週の土曜日には、仕事を終えてから急いで電車に乗り、熱海駅のバス停で待ち合わせて、MasatoとTakuとNonと5人で熱海の初島に出掛けたのです。もう1週間が経ちました。あの日は暑い一日でした。

今朝は本当に久しぶりに走りました。もう走ることができないのではないか、と思ったほどだったのですが、なんとか31分34秒、5.04kmを9月の最初として積み上げることができました。

最近は走ることよりも、筋トレの方がスムーズに取り組むことができるようになりましたので、ランニングは後回しになっています。かかる時間を考えれば、むしろ走る方が、今日のように家を出てから帰るまでに、1時間はかからないのですから、こちらを優先しても問題ないのですが、やはり筋肉を維持したいという思いが、今のところ強いのです。

調べてみると、2023年に入って最も長い距離を走ったのが2月で、70.36kmを積み上げました。結局1度も、月100キロを走ったことがありません。先月はなんと、たったの32.85kmしか走り込むことが出来ませんでした。おそらく最低記録ではないでしょうか。致し方ありません。できる範囲内で取り組むしかないのです。

今年も残るところ、あと4ヶ月。とにかく毎日を大切に生きるしかありません。

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