2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

カテゴリー: 残日録 Page 59 of 152

ローカル線

■20220221(月曜日:晴れ)

新千歳空港ショッピングワールドです。函館の「いかめし」も漁獲量が激減して、高値の花になりつつあります。

■今朝は走るつもりで目覚ましを合わせてあったのですが、起き出す元気が出ませんでした。以前でしたら走り出すことができたと思うのですが、年齢のせいでしょうか、あるいは新型コロナワクチンの影響もあるのでしょうか、無理をせずにそのまま寝ていました。

小林一茶の句「今しばし しばしとかぶる ふとんかな」という気持ちが、よくわかる朝です。

■さて、今朝の東京新聞には「こちら特報部」で、ローカル線の特集をしています。「止まらぬ乗客減、公共交通の未来は」「ローカル線存続の岐路」「JR西・木次(きすき)線でトロッコ列車終了へ」。

書き出しはこうです。

中国山地を縫うように走るJR木次線は、宍道駅(松江市)ー備後落合駅(広島県庄原市)の全長81.9キロを結ぶ。沿線には出雲神話にまつわる観光地も点在。そんな歴史ロマンあふれるローカル線が存続の岐路にある。

このJR線木次線にある、とある駅名は、映画好きには忘れられない駅名です。それは松本清張の小説「砂の器」、松竹映画・昭和49年製作の中で登場する亀嵩(かめだけ)駅です。

松本清張自身が、備後落合の宿に泊まった際に聞いた、隣室で語り合う夫婦の言葉、出雲方言が東北弁に酷似していたという経験に、物語の種子があったというのです。

この映画に登場した重要な舞台である亀嵩(かめだけ)駅のある木次線が存続の岐路にあるのです。人口の減少、それに伴う利用者の落ち込み、そしてコロナ禍がとどめを刺そうとしています。

地元住民を巻き込んだ様々な取り組みが行われていますが、利用者の減少はいかんともしがたいのです。日本にとって大切な風景が次々と失われていきます。時代の流れと言ってしまえば簡単ですが、果たしてそれで良いのでしょうか。

最後の「デスクメモ」には、こう書かれています。

数えるほどしか本数がないのに、乗客はまばら。そんなローカル線がある。すべてを残すのは難しいのだろう。とはいえ疑問符がつく新幹線が建設され、リニアの工事には巨額が投入される。そちらを見直せば、もうちょっとなんとかなるのでは。素人考えでそう思ってしまう。

素人の私も、そう考えてしまうのです。

多文化共生の先駆者

■20220218(金曜日:晴れ)

小樽市天狗山スキー場です。市内から車で15分ほどです。市内が一望できます。

■今朝はゆっくりと休みました。23時に眠りに入り4時半頃まで、昨夜はどういう訳か、一度も目が覚めませんでした。最近では極めて稀なことです。

目覚まし時計は5時半に合わせてありましたので、再度1時間眠りました。その間に様々な夢を見ていました。暖かな布団の中で、うとうとと時を過ごすのは悪くありません。

昨日は北陸地方を中心に大雪となりました。テレビでは福井や岐阜の雪の様子が流れていました。屋根に積もった雪が落下して、下を通っていた通行人を巻き込み、命を落とすことすらあるのです。まさに命懸けです。

もうしばらくの辛抱だとは思うのですが、豪雪地帯は本当に大変です。

■さて、今朝の東京新聞文化欄「大波小波」では、『多文化共生の先駆者』と題して、西條奈加著「六つの村を越えて髭をなびかせる者」が紹介されています。

江戸時代に蝦夷地を調査した最上徳内を描いています。筆者は、こう書かれています。

本書を読んで興味深かったのは徳内はもちろん、見聞隊の上司にあたる山口鉄五郎、青島俊蔵らもアイヌに偏見を持っていなかったことである。アイヌと交流した徳内たちは、幕府に松前藩の非道を訴える報告書の作成を開始する。

とても興味深く読みました。

さて、この本を購入しようと思い、ネットで検索したのですが、一番の問題点は印刷された書籍を買うか、電子書籍を購入するかです。

印刷された書籍は、いずれ処分しなければならなくなります。よく言われるように、スペースインベーダーになってしまうのです。

電子書籍であれば、誰かに貸してあげるということはできませんが、端末の中に何百冊と入る訳ですから、邪魔になることはありません。文字も拡大して読むことができるので、老眼世代にはとても助かります。

楽天市場で電子書籍を購入しようとすると、koboというアプリで読むことになるのですが、どうも以前のアプリでは購読できなくなり、ルールが変わってしまったようです。

AmazonのKindleは昔と同様に読むことができるようです。そうした意味ではkindle版を購入する方が正解のようです。ただ、日本の会社である楽天市場で購入したい思いがあるのですが、継続性がないのであれば不安ですので、無難なところで、Kindle版ということになるのでしょうか。

40年

■20220216(水曜日:晴れ)

新千歳空港から飛び立つ飛行機です。青空に吸い込まれて行きます。

■今朝は、ゆっくりと休みました。昨夜は寝入ったのが23時。そして夜中に一度、0時過ぎに目が覚めました。再度寝入ってから目が覚めたのは5時でした。

今朝は走るつもりがありませんでしたので、目覚ましを6時に合わせてあったのですが、そのまま起きてしまうか、もう1時間休むか少し迷いましたが、たまにはのんびり寝てもいいかと、もう一度寝床に入りました。ということで、今朝は久しぶりに、ゆっくりと眠ることができました。

6時に起き出して、新聞を取ってきてから朝食の準備を始めました。いつもの定番ですが、納豆に混ぜたオカラパウダーが良いのか、豆乳ヨーグルトが良いのか分かりませんが、腸の調子が最近はとても良いのです。

■昨日は瀬戸内寂聴さんの「無常」について書きましたが、常に変わり続けるのは、何も形あるものだけではありません。

世間で起きていることを見ていると、あれほど愛し合って一緒になったカップルが、いつの間にか憎しみあうようになり、別れてしまうことは日常茶飯事のように感じられます。

弁護士さんの仕事として、離婚調停がとても多いことを以前知り、大変驚きました。世間では、それほど別れるカップルが多いとは、なかなか実感できないものです。幸い私の親戚やSunの親戚にも、そうしたことはなかったので、なかなか実感しづらいことでした。

しかし、人の心の変化は、もちろん誰もが経験することであり、決して驚くべきことではありません。

私たち夫婦も結婚して丸40年が経ちました。つまり人生で一番長く身近な人間関係を続けてきた間柄です。もちろん、そのありようは40年の間に変化してきました。

そして今思うことは、40年かかって作り上げてきた2人の人間関係こそが、自分自身の人生そのものではなかったかということです。仕事関係、友人関係、さまざまな人間関係はもちろんありますが、連れ合いほど身近で濃密な人間関係は他にありません。そういう意味では、まさに人生そのものです。

もし、これまでの時間で築き上げて来たものに満足が得られるとすれば、それは自分自身の人生に対して得られた満足に違いないのです。間違いなく平々凡々たる人生だったに違いありませんが、だからこそ最後の最後に、楽しい人生だったと2人で語り合えれば、それ以上の人生はありません。

常に変わり続ける、まさに無常の世の中ですから、変わりながらも途切れることなく、共に過ごした時間は、かけがえのないものだったのです。

再参入

■20220209(水曜日:晴れ)

恋人岬から見た伊豆半島です。

■今朝は走るつもりで目覚ましを合わせてあったのですが、睡眠のタイミングが合いませんでした。

昨夜は23時に眠りについて、0時半に一度目が覚めました。そして二度目の覚醒が、4時半だったのです。5時に起きて走るのは、現実的ではありません。無理をせずに、6時に目覚ましを再設定しました。

考えてみると、最近は日光を浴びることが、ほとんどありません。自宅で仕事をしているので、昼休みにでも外へ出かけない限りは、一日中屋内で過ごすことになります。

日の光を浴びないと日内変動のリズムが、うまく取れないのかもしれません。つまり睡眠のリズムが狂ってしまうのです。日の光を浴びることで、睡眠を誘導するメラトニンが作られ、睡眠のリズムが出来上がる訳です。

朝走るのも今の季節ですと、真っ暗闇の中を走ることになりますし、仕事が終われば、もう外は日暮れています。たいてい、そのまま夕食となりますので、改めて考えてみると、本当に日差しを浴びることがありません。

これからは、昼休みに少し散歩をした方が良いかもしれません。15分でも20分でも、日差しを浴びて外を歩くことで、体内時計がうまく形成されて、睡眠のリズムが整うかもしれません。真剣に考えないといけない問題です。

■さて、今朝の東京新聞には、韓国の現代自動車が、日本の乗用車市場に約12年半ぶりに再参入すると、2月8日に発表したと報道されています。電気自動車と燃料電池車の注文を5月から受付け、7月以降に納車するとのことです。

現代自動車は販売不振で、2009年12月に日本の乗用車市場から撤退していました。ここへ来て日本市場に再参入する訳ですが、世界的な脱炭素化の流れを受けて日本でも、電気自動車のアイオニック5、燃料電池車のネッソを販売することになりました。

電気自動車のアイオニック5の価格は500万円前後。1回の充電で618キロ走れると記載されています。この航続距離については色々な指標があって、実際上はこれほど走行できるわけではないようです。

クーラーをつけながら、高速道路を100キロで走っても走行可能な指標であるEPAというアメリカの基準があるようですが、これですと多分8掛けぐらいの走行距離になるのでしょうか。

販売はオンラインでのみ行われ、今年中にはカーシェアリングや毎月定額料金を支払って乗る、サブスクリプションと呼ばれるサービス形態も利用できるようになるようです。まずは乗ってみて、その良さを知ってもらいたい、という試みのようです。このサブスクリプションという形態については、テスラの販売においても、ネットで推奨されていました。

電気自動車に対する様々な懐疑点が、まだまだ払拭されていない現状では、とにかく乗ってみて、その良さを確認するということが大事なのではないでしょうか。

ネットには、様々な情報が掲載されていますので、電気自動車に対する不安も次第に払拭されていくと思います。急速充電網がダントツに、先進国の中では遅れている日本では、電気自動車を日常的に利用するのは、まだまだ難しいというのが現状のようです。ガラパゴス国家にならないことを祈るばかりです。

自動車に関しては、日本のハイブリッド車は世界で一番進んでいると言えますので、国民の国産車に対する忠誠心は、まさに信仰に近いものがあります。

しかし、時代は大きく変わろうとしています。常に変化できる者だけが生き残れるというのは、生物界だけでなく、すべての世界において当てはまる原則に違いありません。柔軟に対応することが、日本社会に求められているのです。

見事な脱皮

■20220208(火曜日:曇)

恋人岬の椿です。寒さ厳しい冬に咲くスイセンも、可憐ですね。

■今朝の写真は、水仙です。冬の句として、「水仙の 花の高さの 日陰かな(河合智月)」が有名です。感受性の乏しい私は、ただそれだけ?、としか感じなかったのですが、ネットによれば、rindouさんは、こう書かれています。

水仙は早春に咲きます。他の植物がまだあまり伸びていないうちに。 他の草花が生い茂っていると水仙くらいの高さの植物など目立ちませんが、早春に水仙が咲くころには、まだ閑散とした庭です。 寂しかった庭にやっと水仙の高さの日影ができたな、と春の訪れを嬉しく思ったのではないでしょうか。

■今朝は走らずに、ゆっくりと休みました。とは言っても、この年になると、なかなか熟睡、あるいは爆睡できないものです。自然と目が覚めてしまうのです。

今朝も5時半に、目覚ましを合わせてあったのですが、5時前に目が覚めてしまい、あとはウトウトと夢を見ながら、目覚まし時計が鳴るのを待っているような状態でした。

昨日の朝、走りましたので、今日は休養日です。疲れ具合からいけば、今朝も続けて走ってもよかったのですが、やはり続けて走ると疲れが溜まってしまって、かえって体調を崩しそうで怖いのです。

■さて、今朝の東京新聞10面には、「やわらか文化論・ポップカルチャーのススメ」と題して、宗教学者の内藤理恵子さんが書かれています。今日は「一休さん・とんち小僧見事な脱皮」です。

室町時代の禅僧・一休宗純の幼少期をモチーフにしたアニメ「一休さん」は、1970年代から80年代にかけてテレビ放映されました。

可愛らしい一休さんが、いつもと同じ楽しい世界から、決定的に変化したのは最終回でした。

修行と言いつつも、楽園の住人であった一休さんは、幸せな日常に埋没している自身を客観的に見るようになり、「このままではいけない」と外の世界に飛び出すのです。

ラストシーンは、旅に出る一休さんが歩く曲がった道が「悟りへの道をしめす真っすぐな道と金色の雲、浄土を思わせる夕日」という抽象表現に置き換わります。最後に内藤さんは、こう書かれています。

最終回直前までは「とんち小僧」という型にハマったキャラであり、最終回では蝉が脱皮するように後者のタイプ(性格の変化を読者に見せるラウンド・キャラクター)となります。

作務を積み重ねて悟りに至る禅僧の心の旅路を、アニメキャラクターの特性を逆手に取って描いた見事な結末だといえるでしょう。

■一休さんのアニメは、私も見た記憶があります。ほのぼのとして楽しい番組だったことを覚えていますが、そのような劇的な展開が、最後に待っていたとは知りませんでした。また見る機会があったらぜひ、最終回を見てみたいものです。

対面が共感力鍛える

■20220206(日曜日:晴れ)

■今朝は、ゆっくりと休みました。金曜日に走りましたので、一日置いて今日長めに走っても良かったのですが、元気が出ませんでした。決して調子が悪いというわけではないのですが、気分的に乗りませんでした。

1週間ほど前から、寝る時の暖房設定温度を18度から17度、そして16度に下げてきました。立春も過ぎて地熱も上がり、家の中でも寒いながらも、床の温度も上がってきました。

そこで寝室温を少し下げても大丈夫だろうと思ったのです。そして、昨夜は夜中の1時に目が覚めてトイレに行った時に暖房を切りました。

寒くて、その後に目が覚めるということはなかったのですが、そのためかどうか、夢見が良くありませんでした。悪夢というわけではありません。何度も見てきたパターンの夢なのです。

新しい家に引っ越して、色々後片付けに追われたり、町並みの様子が登場してくるのです。その町の様子は、幼少期を送った埼玉県の川口市の様子を、思い起こさせるような気もします。

私が幼少期を送った頃の町並みは、商店が立ち並ぶ昔ながらのものです。そんな中でも、忘れることができないのは、母と一緒に通った市民病院です。その頃、私は病弱でした。気管支が弱かったのです。

その折、帰り掛けに町の中華料理屋さんに入って、時々ラーメンを食べました。病院に通っていたのは、小学校に入る前だと記憶していますので、1950年代の終わり頃でしょうか。

ラーメンは、当時一杯40円でした。その後、50円に値上がりしたことを覚えています。いわゆる普通の中華そばでした。

でも、とにかく美味しかったのです。世の中に、これほど美味しいものがあるのか、と思うほど美味しかったのです。

今では美味しいものが身の回りに溢れています。インスタント味噌汁からカップラーメン、そして冷凍食品まで、まずいものは一つもない、と言っても過言ではないほどです。技術が進歩したおかげなのでしょう。保存技術も発達しました。

というわけで、寒くて熟睡できなかったわけではないのですが、肩口から首回りが冷えると、夢見が悪くなるような気がします。逆に言えば、部屋全体を温めなくても、その部位を冷やさないことで、悪い夢を見ることを避けることができるかもしれません。一度試してみましょう。

■さて、今朝の東京新聞17面文化欄では、総合地球環境学研究所長の山極寿一さんが書かれています。『「対面」が共感力鍛える』です。「マスク外せる環境を」と訴えられています。

コロナ禍によってマスクが外せなくなり、同僚たちの顔を思い出すことができなくなったという内容から書き出されています。

人間の脳の大きさが増加し始めたのは、今から200万年前で、ホモサピエンスが登場した約20万年前以前に、現代人並みの脳の大きさになっていたことが、化石記録から明らかなのだそうです。

とすれば、脳が大きくなったのは、7万年前に言葉が登場したおかげでもないし、文化や文明が発達したためでもないようです。一緒に暮らす仲間の数が増えて、仲間の性格や癖をよく知って付き合うようになって記憶容量が増したからではないか、と山極さんは指摘しています。

猿たちも一緒に生活する仲間のことをよく知っているのですが、その知識はとても限られているそうです。その知識は原則として親子や兄弟姉妹といった血縁関係、自分と仲間や仲間同士の優劣関係に限られています。そして、猿の群れでは互いに強い弱いという格差を認め合い、トラブルを防ごうとするルールが徹底していて、そのルールさえ守れば詳しく仲間のことを知らなくても、平和に暮らせるそうです。

人間では強い弱いだけではなく、相手が求めていることと、自分の欲求や能力を見定めて行動を変える必要があります。ですから、その時その場の状況を判断するだけでなく、相手と自分に関わる過去の歴史や未来の好ましい関係などを頭に巡らしながら、付き合い方を柔軟に変化させている訳です。

つまり、人間は猿にない共感能力を十分に発揮して仲間とも関係を縦横無尽に作り替える社会技術を持っている。それが、これほど大規模で複雑な社会を構築する原動力になったのだ。

と、山極さんは指摘されています。では、どうやって人間は仲間のことを知るのだろうかと考えた時に、言葉のない時代には、直接仲間の行動を見るか、仲間同士が接する態度を見て察するか、仲間が作ったものから判断していたのでしょう。

しかし、言葉ができてからは、人々の噂話で仲間の行為や個性を知ることができるようになりました。

さらに、5,000年前に文字ができてからは、広範囲に広がるようになり、150年ほど前には電話が、そして40年前にはインターネットの発明により、情報通信技術は加速しています。

しかし、仲間の気持ちを知る方法として、まだまだ言葉は、うまく使いこなせていない不完全なコミュニケーションだと先生は指摘しています。

時と場を共有し、対面して、相手の表情や態度から気持ちを推し量ることが、未だに最善の方法である。

となれば、何とかしてマスクを外せる環境を整備しなければ、従来の社会関係を築くことができなくなる恐れがあるのです。

特に成長期にある子供達にとって、共感力を鍛える場を作ることが不可欠であると思うと、山極先生は最後に指摘されています。

■必ずマスクを着用して授業を受け、仲間の表情も確認できず、一言も喋ることなく黙食を続ける子供達が、将来どのような心のありようとなり、仲間と関わっていき、社会を作っていくのかを考えてみると、少し恐ろしくなるのは私だけでしょうか。

生の奇跡

■20220205(土曜日:晴れ)

恋人岬の椿です。寒さ厳しい冬に咲くスイセンも、可憐ですね。

■今朝は5時半に目覚ましを合わせて起き出しました。昨夜は夢を見ました。テニスをする夢です。何故だか、よく分からないのですが、私にとっての悪夢が、いつもそうであるように、準備に時間がかかり、コートになかなかたどり着けません。決して見ていて楽しい夢ではありません。

なぜ、こんな夢を見るのか見当もつかないのですが、精神的に何か引っかかるものがあるのか、あるいは単なる疲れなのか不明です。

昨日は立春。暦の上では春です。リビングの板の間の冷たさが、明らかに変わりました。裸足では冷たくて、歩くことが辛かったのが、つい昨日のことのようです。

スリッパを履いてリビングを歩くのですが、こたつの所で引っかかって、何度か思わず転びそうになりました。来院された高齢者の患者さんでも、玄関からスリッパを履いて、様々な検査や診察を受ける際に、つまずいてしまうことがありますので、状況を見ながら、スリッパを脱いでもらっています。

もう他人のことを、とやかく言える状況では、自分自身ないようです。

■さて、今朝の東京新聞読書欄では、「自分がおじいさんになるということ」勢古浩爾(せこ・こうじ)・著が取り上げられています。

評者は、東京経済大学教授・作家の大岡玲(あきら)さんです。「生の奇跡」味わう新境地  」と題されています。

大人気『定年後のリアル』シリーズの最新刊である。著者は定年後の自身の暮らしや思考・行動を10年以上にわたり、このシリーズで実況中継してこられた。「74歳、いよいよ老後も佳境に突入。」とオビにある通り、新境地にも足を踏み入れている。それは、著者が「『ただ生きているだけで楽しい』という感覚を得た、という点だ。もちろんこの「楽しい」は、「ただ息をしているだけで」「楽しくてしょうがない、ということではない。そんなこと、あるわけがない。

からだの自由がきき、五官が働き、人と話したり、飲食ができたりという「『身体元素』がきちんと機能し、それに合わせて「なんでもない青空」といった「『自然元素』の美が味わえる。そんな瞬間に覚える「心身の浮遊感」を、「とりあえず『楽しい』といってみる」ということなのである。そして、それは「ただしずかなるを望(のぞみ)とし、憂へ無きをたのしみとす」と、鴨長明が『方丈記』で述べた心境へとつながっている。

つまり「楽しい」の大前提には、「ここまで無事に生きてこられたことは奇跡というほかない」という感慨があるのだ。「生誕から死まで無事な人生を送ることができる人間」が世界中にどれほどいるのか、という現実を横に並べる時、本書はひときわ陰影を濃くする。

とあります。

■まさに、そのとおりだと自分自身、深く実感するのです。これまで、生きながら得たのは、人一倍努力したからでも、誰よりも豊かな才能に恵まれていたおかげでも、もちろんありません。ただ単に、幸運だったのです。奇跡なのです。心底そう思うのです。

$English version

This morning, I set my alarm for 5:30 and got up. Last night I had a dream. I dreamed that I was playing tennis. I don’t know why, but as is always the case with my nightmares, it took me a long time to get ready and I couldn’t get to the court. It’s not a pleasant dream to have.

I have no idea why I’m dreaming like this, but I don’t know if it’s something that’s bothering me mentally or if I’m just tired.

Yesterday was Risshun. It’s spring on the calendar. The coldness of the wooden floor in the living room has clearly changed. It seems like only yesterday that it was so cold that it was hard to walk barefoot.

I wore slippers to walk around the living room, but they got caught on the kotatsu and I almost fell down several times. The elderly patients who come to the hospital sometimes stumble when they put on their slippers from the entrance and undergo various tests and examinations, so I ask them to take off their slippers while observing the situation.

It seems that I am no longer in a situation where I can complain about other people’s problems.

In this morning’s Tokyo Shimbun book review column, there is an article titled “Myself Becoming an Old Man” written by Koji Seko.

The reviewer is Akira Ooka, a professor at Tokyo Keizai University and a writer. The article is titled “The Miracle of Life: A New Frontier to Savor.

This is the latest book in the popular “Real Life After Retirement” series. The author has been reporting on his life, thoughts and actions after retirement for more than 10 years in this series. As the obituary says, “At 74, old age has finally reached its climax,” he has entered new territory. This is the point where the author says, “I have gained the feeling that ‘it is fun just to live. Of course, this “fun” doesn’t mean “just breathing” or “having fun. There is no such thing.

The “physical elements” such as the freedom of the body, the functioning of the five organs, talking with people, eating and drinking, etc., are all functioning properly, and in conjunction with this, you can enjoy the beauty of the “natural elements” such as the “plain blue sky. The “floating feeling of body and mind” that one experiences in such moments is “just ‘fun’ for now. This leads to the state of mind described by Kamo no Chomei in his “Hojo-ki” (The Record of the Hojoki): “I hope only to be quiet, and I look forward to having no worries.

In other words, the basic premise of “enjoyment” is the feeling that “it is nothing short of a miracle that we have been able to live this long without incident. This book becomes even more shadowy when it is juxtaposed with the reality of how many people in the world are able to lead a safe life from birth to death.

This is exactly what I think.

This is exactly what I feel deeply myself. It is not because I worked harder than anyone else, nor because I was blessed with richer talents than anyone else, that I have been able to survive so far. It was simply luck. It’s a miracle. I believe that with all my heart.

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節分

■20220203(木曜日:曇)

土肥・松原公園の様子です。曇り空でした。

■今朝は走らずに休みました。目覚ましは5時半に合わせてあったのですが、やはり習慣でしょうか、5時少し過ぎに目が覚めてしまいましたので、そのまま起き出しました。

今朝は缶・ビン・ペットボトルを集める日ですので、昨日分別しておいた三つの袋を持って、所定の場所まで持って行きました。新聞をとって家に戻り、朝食の準備を始めました。

今朝は走りませんでしたので、少し量を減らしました。クロワッサン一個とコーヒー、そして納豆におからパウダーを加えた後よくかき混ぜ、豆乳ヨーグルトには少しジャムを入れて朝食としました。果物としては、ぶどう6粒とバナナ1本を2人で分け合いました。ぶどうは、シャインマスカット。洗うだけで、皮ごと食べられるのは本当に楽ですし、甘味もあって最高です。

■さて、今日は節分です。ネットで調べてみますと、節分とは本来は季節の分かれ目である立春・立夏・立秋・立冬の前日のこと。年に4回ありますが、室町時代あたりから、節分といえば立春の前日を指すようになりました。

旧暦では、春が新年の象徴だったため、立春前日の節分は大晦日のようなもの。昔は季節の変わり目には邪気(人の身に病気を起こすと信じられた悪い気)が入りやすいと考えられ、年の変わり目でもある立春前日の節分に、邪気の象徴である鬼を追い払う行事が定着した、とあります。

炒った豆を神棚にお供えし、夜に家長が行うのが豆まきの正式なやり方だそうです。我が家も毎年、私が北と南の玄関と窓から外に向かって豆を撒いています。

2年からは新型コロナウイルスという邪気が世界中を覆っています。一刻も早く、コロナウイルスが人類と共存できるように変異して、世界が落ち着いてほしいと願うばかりです。

■どうして豆で鬼退治するの?

鬼は邪気や厄の象徴。形の見えない災害、病、飢饉などの人間の想像力を越えた恐ろしい出来事は、鬼の仕業と考えられてきました。

鬼を追い払うためにまくのは大豆。大豆は五穀のひとつで、穀霊が宿るとされていました。そして、「豆を炒る」ことが「魔目を射る」に通じて「魔滅(まめ)」となるため、煎った大豆(福豆)を使って鬼を払うのです。

豆はまく前に、枡に入れて神棚に供えると、神様の力が宿って鬼を退治するパワーが増すそう。神棚がない場合は南の方角の目線より高い場所に、白い紙を敷いてお供えしましょう。

■豆まきはいつ、どうやってやるの?

鬼は真夜中にやってくるとされているので、豆まきは夜に行います。できれば家族全員がそろっているとよいでしょう。

豆まきは一家の幸せを願う行事なので、本来は家長が豆をまきます。その年の「年男」や「年女」も吉とされています。

豆まきのしかたは地方や家によって異なりますが、基本的には、窓を開け「鬼は外!」と大きな声で唱えながら外に向かって豆をまき、鬼が戻ってこないようすぐに窓を閉めて「福は内!」と室内に豆をまきます。家の奥から順番に、最後は玄関までまいて家中の鬼を追い払いましょう。

豆まきのあとは、1年を無病息災で過ごせるよう年の数だけ福豆を食べましょう。食べる豆の数は一般的には満年齢+1。全部食べきれない場合は、梅干しと塩昆布と豆3粒を入れた「福茶」を飲むといいですよ。

■英語版

This morning I rested instead of running. My alarm was set to go off at 5:30 a.m., but I woke up a little after 5:00 a.m., probably out of habit, so I just got up.

This morning was the day for collecting cans, bottles, and plastic bottles, so I took the three bags I had sorted yesterday to the designated place. After picking up the newspaper, I came home and started preparing breakfast.

I didn’t run this morning, so I cut back a bit on breakfast. I had a croissant, coffee, natto (fermented soybeans) with okara powder and stirred it well, and soy milk yogurt with a little jam for breakfast. As for fruits, we shared six grapes and a banana between the two of us. The grapes were Shine Muscat. It’s really easy to just wash them and eat the whole skin, and they have a great sweet taste.

Well, today is Setsubun. Today is Setsubun, the day before Risshun, Risshun summer, Risshun autumn, and Risshun winter, which is the division of the seasons, according to the Internet. There are four such days in a year, but since the Muromachi period (1336-1573), the term Setsubun has come to refer to the day before Risshun.

In the old calendar, Risshun was the symbol of the New Year, so Setsubun, the day before Risshun, is like New Year’s Eve. In the old days, it was believed that evil spirits (bad spirits that were believed to cause illness in people) could easily enter at the change of seasons, and the event to drive away demons, the symbol of evil spirits, was established on Setsubun, the day before Risshun, which is also the change of the year.

It is said that the official way of throwing beans is to offer roasted beans to a Shinto shrine and have the head of the household do it at night. Every year in our house, I throw beans from the north and south entrances and windows.

Since the 2nd year, a new type of coronavirus has been sweeping over the world. I can only hope that the coronavirus will mutate to coexist with humanity as soon as possible and the world will settle down.

(Q)Why do we use beans to kill demons?

(A)Oni is a symbol of evil spirits and bad luck. Horrible events beyond human imagination, such as invisible disasters, diseases, and famines, have been thought to be the work of demons.

To drive away the demons, soybeans are sown. Soybeans are one of the five grains, and it was believed that the grain spirit resides in them. Roasted soybeans (Fukumame) are used to drive away demons because “roasting beans” is the same as “shooting demons in the eye”, which means “destroying demons”.

It is said that if you put the beans in a masu (a box) and offer them to a Shinto shrine before throwing them, the power of the gods will dwell in the beans and increase their power to drive out demons. If you don’t have a Shinto shrine, place it in the south direction, above your eye level, and lay out a piece of white paper to offer.

(Q)When and how do we do Mamemaki?

(A)It is said that demons come in the middle of the night, so bean-throwing is done at night. It is best if the whole family is present.

Since Mamemaki is an event to wish for the happiness of the family, the head of the family usually throws the beans. It is also said to be good luck for the “New Year’s Boy” or “New Year’s Girl” of the year.

The method of bean-throwing varies from region to region and from house to house, but basically, open the window and chant “Oni wa soto! (Oni wa soto!) in a loud voice, and then quickly close the window to prevent the demons from coming back. and throw the beans inside the house. Start from the back of the house and go all the way to the front door to drive away all the demons.

After the bean-throwing ceremony, let’s eat as many beans as the number of the year so that we can live a year with good health and good health. If you can’t eat all of the beans, you can drink a cup of “Fuku-cha”, which contains dried plums, salted kelp, and three beans.

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冬芽

■20220201(火曜日:晴れ)

土肥・松原公園の土肥桜です。

■今日から2月・如月です。ひと月が、あっという間に経ってしまいました。

今朝は、ゆっくりと休みました。昨年10月に体調を崩して以来、連日走るのはやめました。必ず一日、休養日を置いて走ることにしたのです。今のところ、そうしたペースで走り続けている方が、体調が良いようです。

昨年から走るコースも変えました。知り合いの一人住まいの高齢者の方の家の前を通り、安否を確認してから踵(きびす)を返し、小学校の校庭に向かいます。

そこでスマホのタイマーをセットし、校庭を走るのです。21分間走り続けてきましたが、昨日は23分にセットしてみました。たかだか1、2分の違いなのですが、最後はやはり苦しく感じることもあります。

もうあと1分伸ばせば、合計7キロ走ることができそうです。そうして週3回走れば、21キロx4週間で84キロとなりますから、目標の30日88キロも、決して無理な目標ではなくなります。

昨年8月、9月と天候が悪い中、つまり走るには苦しい暑さや雨の続くなか、なんとか頑張って、月100キロ走を達成したのですが、そのツケが10月にどっと回ってきました。

まるで、下り坂で強烈なエンジンブレーキがかかったような状態になってしまったのです。自分でも、どうしてそんな状態になってしまったのか、検討も付きませんでした。

とにかく走る意欲が湧いてこないのです。本当にガス欠状態になってしまいました。食欲が無くなり、胃腸薬が欠かせなくなりました。疲弊状態です。

単純に、頑張りすぎだろう、疲れが溜まったのだろう、年のせいだろう、と色々理由を勝手に考えていたのですが、ひょっとしたら、新型コロナウイルス・ワクチンの副反応の影響もあったかもしれません。

その他の症状、例えばあちこちに出現した筋肉痛なども、一つの証左かもしれません。ワクチン接種後に、同様の筋肉痛や疲労感に苦しんでいる友人から話を聞くと、得心できる点が多いのです。

結局のところ真偽は不明ですので、無理をしないで大切にするしかないのですが。

■今朝の東京新聞10面には、「今週のことば」和田重良 NPO 法人・くだかけ会代表が書かれています。

「夢を見し  木蓮冬芽  輝きぬ」曳地トシ『24節気で楽しむ庭仕事』。書き出しは、こうあります。

もうじき立春ーー光の春がやってきます。冬枯れの山でじっと寒さに耐えている木々の姿は苦を味わう人生にも似ています。人生にもエネルギー切れのように感じてしまう日々もあり、すっかり色あせた時と思うこともあります。

そして、こう結んでいます。

こんな季節には日だまりのオオイヌノフグリの小さな花と冬芽の観察がお勧めです。この句から春を待つ元気をいただきました。

確かに周囲を見ていると、どこもかしこも冬枯れでしたが、その中にも、春の準備が隠されているのです。先日は土肥桜が咲いているのを、Nonと3人で見ることができました。

河津桜は、これからです。それでも、つぼみが膨らんできていました。自然の営みは、どんな時でも、とどまることはないのです。

若者

■20220128(金曜日:曇)

2019年、二人で出掛けた北海道・旭岳の様子です。台湾からの観光客の皆さんでした。

■今朝は走らずに休みました。昨日は午後から、建築屋さんと改築について相談し、終了後は少し早めに、日帰り温泉に二人で行きました。まん延防止等重点措置が静岡県でも宣言されて、アルコールの提供ができないのではないかと心配したのですが、午後8時までは提供可能だということで、安心してお風呂に入りました。

帰ってきてから寝る前に、甘酒生姜湯を2人で飲みました。Sun が以前買ってあったものが、忘れられていました。寒い冬には、体が温まるのではないかと飲んだのですが、これが効いたのでしょうか。今朝は朝方暑くて目が覚めたほどです。

■さて、今日で28日。1月も残り少なくなってきました。今日は孫のMasata の誕生日です。自分たち夫婦に孫が産まれるなんて、想像もできませんでしたが、生まれてみると、本当に可愛いものです。

そして、育てている2人の様子を見ていると、子育てとは、なんと大変なものかと改めて感じました。本当に大変です。3人もの子供たちを、よく2人で育てたものだと驚いています。

今から同じことを、以前のようにしてみろと言われても、とてもできそうにもありません。無我夢中で毎日を送っていた、というのが正直なところです。ただ、それだけでした。

■先日の東京新聞には「余った果物→甘ーい高級品」と題した記事が掲載されています。「山形の大学生が新事業 特殊加工で一年中 旬の味」。

東北屈指の果樹生産地、山形県東根市で、大学生の中川史明さん(21歳)が、農家の所得拡大と食品ロスの削減を両立させる取り組みを続けています。

山形を中心に国内で過剰在庫になったサクランボやブドウ、モモなどに、果汁由来の特殊なコーティングを施し、マイナス35度で急速冷凍することで、果実からの離水を抑えて、甘さや瑞々しさを失わず、1年以上保存できる製造技術を開発し、特許出願する方針です。

「売れ残り捨てられる果実を、高級品に生まれ変わらせることができた」と、中川さんは手応えを感じています。国内外の百貨店などの販路を見据えています。

また、新たな会社を立ち上げ、過剰在庫や規格外で廃棄になった農産物を、ネットでも販売しています。中川さんは、こう語っています。

出荷できない農産物でも、消費者の需要は高い。農家の収入確保に加え、食品ロスの削減でSDGs(国連の掲げる持続可能な開発目標)にも貢献できる。

ITを活用した素晴らしいアイデアと行動力だと思います。若者のこうした行動力が、これからの日本を支えていくのでしょう。いつの世も同じであるに違いありません。

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