2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

カテゴリー: 残日録 Page 91 of 152

日常再開

■20200106(月曜日:晴れ)

今年のおせち料理も箱根で完食しました。

■さて、いよいよ今日からは日常生活が戻ります。昨日2時間走を敢行しましたので、今朝は6時までゆっくりと休みました。思ったほど、昨日は疲れが出ませんでした。これは意外でした。自分では思っていた以上に、順調に2時間の間走ることができたことに、大変驚くとともに、少し自信も湧いてきました。

年末に風邪をこじらせてしまい、すっかり体力が落ちてしまったのは、年齢のためであって、もう以前のようには走ることはできないのかと悲観的だったのですが、昨日は気持ちを新たにすることができました。また日常生活が始まるこの時期に、こうした気持ちを取り戻すことができたのは、何をおいてもありがたいことだと感謝しています。

どんなに頑張ったところで、元気で自由に体を動かして、思ったような活動ができるのは、せいぜいあと10年です。つまりあと10回四季を送れば、それで満足しなければなりません。

ということは、これから何よりも大切なのは、一回一回の春夏秋冬を、本当に心を込めて味わう事しかないのです。

元日に思う

■20200101(水曜日:晴れ)

島根県の日御碕灯台です。

■さて、いよいよ2020年の始まりです。昨夜は年越しそばを食べて、2人で久しぶりに冷たいビールを飲んで、年が明けるのを待ちました。紅白歌合戦も最近は観ていても少しも面白くありませんので、私はリナックスについて少し勉強していました。

リナックスとは、パソコンを動かす基本ソフトの1種です。多くの方がパソコンといえばWindowsで動いていると思っておられるかもしれませんが、リナックスの最初の原型がインターネット上に発表されたのは確か1991年だったと思います。

フィンランドの学生だった、リーナス・トーバルズさんが遊びでこんなものを作ってみたんだけれど、皆さん使ってみてくれませんか、と投稿されたのが始まりでした。

やがて、Windows95が発売され、パソコンといえばWindowsが、まさに世界標準となりました。しかし、その間もリナックスの改良はインターネット上で続けられ、まずはインターネットの縁の下の力持ち、サーバーを動かす基本ソフトとしてリナックスが次第に勢力を増していきます。

さまざまな努力にもかかわらず、パソコンを動かす基本ソフトとしてのウインドウズに立ち向かった勢力は、すべて撃退されました。情報端末はパソコンで決まり、そしてwindowsが世界を支配すると誰もが思っていたところに出現したのがスマートフォンでした。

最初はアップル社がつくるiPhoneでした。瞬く間にiPhoneは身近な情報端末として数量的にはパソコンを凌駕していきます。その後発売されたのが、Androidを搭載したスマートフォンです。

Androidは基本的にGoogleから無料で配布されますので、世界中のメーカーがiPhoneとは異なる基本ソフトで動くスマートフォンを発売し始めたのです。そして今やスマートフォンの多くが、Android端末となったのです。

そして、このアンドロイドという基本ソフトは、実はLinuxからできているのです。デスクトップ市場でウインドウズの代替機になろうとしたすべての試みは、葬り去られましたが、実は、スマートフォンの出現によって情報端末を動かす基本ソフトとしては、リナックスがウインドウズを打倒したのです。この間の歴史は大変興味深いので、また詳しく調べてみたいと思っています。

■さて今朝の東京新聞元日版は、残念ながらあまり読みたくなるような記事がありませんでした。この中で一番興味を惹かれたのが「新春川勝知事に聞く、リニアは考え直せ」でした。環境への配慮が最重要、と題した項目の中で、川勝知事はこう語られています。

20世紀は戦争の世紀あるいは革命の世紀と言われている。それに対応させると21世紀は環境と生命の世紀と言えるのではないか。その中で首都圏、中京圏、関西圏による6500万人の一つの経済圏を作るのは本当に必要なことか。富士山の下にリニアが通るとなったら誰も許さないと思う。南アルプスならいいのか。芸術の源泉や自然に対する畏敬、信仰の対象。そういう念を持たなければいけない。環境と生命の世紀という観点から言えばはっきりしている。リニアは考え直せと。

また対談をされた、東京新聞鈴木孝昌・東海本社編集局長の以下の発言は、なるほどと納得させられるものでした。

リニア建設の国家プロジェクトか、住民の暮らしか、という構図は、原発と似ている。国や事業主は絶対安全、大丈夫だと言いながら、事故が起きたら想定外でしたと言う。地域の人たちは故郷を追われる。同様のことが起こり得る。

マスコミの力もあって、川勝知事だけがゴネていると誤解されている節もあります。しかしながら川勝知事が主張されていることは、21世紀にとって、まことに極めて重要な問いかけなのです。

私たち静岡県民はこの知事の主張を応援しなくてはなりません。取り返しがつかなくなってからでは遅いのです。いつまでたっても、日本は同じことを繰り返す国であってはならないのです。

■さて今日は、休日当番日。順番ですから致し方ありません。8時から17時まです。重症な患者さんが来ないことを祈るのみです。

昨年は自分自身が白内障の手術を受けました。正直恐ろしかったのです。一つは、どうしても避けられない合併症の問題があります。どんなに注意をして手術をしても、現在でも2千例に一例、眼内炎が発症します。つまりは重篤な視力障害を残す、ということです。自分はそうした確率には該当しないだろうと、誰もが思うのですが、もちろんそれは単なる気休めに過ぎません。

幸い私は術者としては、こうした症例を経験したことはありませんでした。しかし自分が逆の立場に立たされないという保証は、どこにもないのです。それに何が起こるかわからないのが手術です。どんな名人が行っても、100%絶対安全な手術など、どこにもないのです。

そのことを理解しているだけに、自分がいざ手術を受けるとなると、やはり恐ろしいのです。それでも受ける気になったのは、やはり見にくいということが、大変不便で不快だからです。仕事に差し支えることも、当然大きな理由でした。

私の場合、強度近視の不同視でした。本を読む際には、老眼にもかかわらず右目で本が読めました。布団の中に入って寝付くまでキンドルで読書をするのが日課でした。寝付くまで老眼鏡をかけて読書をするのは、不便ですし興ざめです。

手術が無事に終わってみて、幸いいまのところ合併症も無く、本当に快適です。日常生活には眼鏡は必要ありません。目をぶつけるのが怖いのと、中学校の時からメガネを掛けていましたので、眼鏡なしでは、なんだか裸で外を歩いているようで恥ずかしさもあります。

裸眼で不自由が無くなりましたので、度なしのレンズでも良くなりました。つまりはファッション・グラスで、おしゃれもできるようになったのです。メガネ無しの自分の顔は、鏡に写してみると、なんだか間が抜けているように自分には見えます。誰もそんなことは気にもしていないのですが。

昼間の運転には不自由がありません。夜の運転も、走り慣れた道、明るい道なら問題ないのですが、その逆のコースを走るとなると、いささか不安ですので、これから目も変化していくとは思うのですが、とりあえずの運転用のメガネも作成しました。軽度の近視眼鏡です。

しかも以前と違って、ほとんど左右一緒の度数です。まだ時間が経っていないので、なんとも言えないのですが、左右差が無くなったことで、肩こりが起こらなくなったように感じます。

中学生の時から、肩こりが扁桃腺炎とともに、私の二大持病でした。受験勉強をしている時は、たいへん苦しみました。昔は肩甲骨に隣接した、いわゆるケンビキと呼ばれる肩こりのツボをビール瓶で叩いてもみほぐしたりもしました。これは辛い治療法でした。叩いた後に湿布薬を貼って治すのです。いまでは、とても推奨できない治療法です。

やがて20年前ぐらいでしょうか、ぶらさがり健康法を始めました。ぶら下がることでケンビキをストレッチして、血流を良くして、肩こりを改善するのです。これは私に、とても合っていました。つまりは、とても楽になったのです。嘘のように肩こりが消失したのです。

ぶら下がりを最初始めた頃は、3秒くらいしかぶら下がれずに驚きました。自分の体重を支えるだけの腕の筋力が、もはや無くなっていたのです。滑り落ちてしまうのです。これも気長に少しずつ時間を伸ばしていきました。今では一分間ぶら下がることも可能となりました。肩が凝った時にぶら下がると、ケンビキが伸ばされていくのが体感できて、本当に天国に来たような、幸福感を覚えました。

ところが手術をしてからは、肩こりが起こっていないのです。まだ時間的に2週間しか経っていないので、結論を出すのは早すぎますが、左右のバランスが取れて、しかも経度の近視という疲れ難くい屈折状態が奏功しているのかもしれません。

兎にも角にも、35年ほど前に扁桃腺を摘出したことを除けば、自分にとっては中学以来、50年ぶりの最大の肉体改造手術だったようです。眼内レンズの度数を変えることで、左右の違いを帳消しにしてもらいました。これが功を奏しているかもしれません。とにかく、これからも体の変化を記録していくしかありません。

■さて今朝の東京新聞を読んで拍子抜けしたのは、年頭に当たって今という時代がどういう時代なのか、そして今後日本はどうあるべきなのか、という大きな視点の記事が見られなかった点です。

例えば山口県で発行されている長周新聞の以下の記事と比較すると、よくわかります。「カネが支配する社会変える新時代の政治運動の始まり ―年頭にあたってのご挨拶―」。クリックすればページを読むことができます。

私は定期購読者ですが、まだ配達されてきていないので、あとでゆっくりと読む予定です。誠にそのとおりだ、と思いながら私も読みました。このままの政治を続けていると、本当に国が壊れてしまう。十分今でも壊れているとは思うのですが、テレビを見ているだけでは、そのことに気付かないのです。そこが一番恐ろしい点なのです。しかも多くの日本人が日常的にテレビしか見ない状態で生活しています。

絶望的な状況とは、まさに今の日本の状態です。為政者に国民を幸せにしようという気概がない。その場限りで誤魔化しておけば良い、という信念で政治をしていますから、救いがありません。マスコミや労働組合、そして野党を含めて歯止めが見つかりません。ブレーキが効かない状態で坂道を下っているようなものです。

2020年は、オリンピックに浮かれている場合ではないのです。根本的に社会のあり方を変えるつもりで、一人ひとりが真剣に自分の頭で考えないと、日本は本当に奈落の底に落ちてしまいます。二度と立ち上がることができないかもしれないのです。

居場所

■20191230(月曜日:曇)

埼玉県川口市。この境内で、夏休みはセミを取ったものです。

■今朝は6時まで、ゆっくり休みました。残すところ今日と明日だけになってしまいました。2019年も、まもなく終わろうとしています。今年は元号が平成から令和に移りました。

Ayaちゃんの結婚式に出席するために、たまたまオーストラリアへ行っていたので、私はその喧騒のさなかに巻き込まれることはありませんでした。元号が変わることで、新しい時代に入るということは、とても素晴らしいことだとは思うのですが、残念ながら多くの国民の苦しい生活が楽になる訳ではありません。

安倍政権の7年間、国民の実質賃金は下がりっぱなしなのです。簡単に言えば、多くの国民は毎年、毎年、生活が苦しくなっているということです。

■そうした暗く息苦しい国民生活の中で、7月に行われた参議院選挙での山本太郎代表率いるれいわ新選組の活動は、まさに闇夜に光でした。日本社会における生きづらさ、それは一人ひとりの人間を、まるで部品のようにしか考えない、今の社会に対する山本代表の抗議だったのです。

福祉国家の代表としてよく引き合いに出される北欧諸国に、私は残念ながら暮らしたことはないのですが、想像するに、そうした国では少なくとも国民の一人一人が単なる部品のようには思われていないのでしょう。

そんな観点から今日の東京新聞の記事「来る者 拒まず、40年余、東京・小金井の学習塾、不登校生に生きる力、来週で幕」は、とても考えさせられる内容です。塾長の斉藤悦雄さんが開塾したのは1979年4月。当初は一般的な学習塾と同じく夜だけでしたが、85年に不登校の少年の受け入れを頼まれたのを機に昼の部を始めました。

小学校時代にいじめに遭って以来、学校に行っていなかった、その子は中学2年生でした。不登校を思い悩み、自殺願望まで、ほのめかし家出をしていたのです。斉藤さんはこう語っています。

当時は不登校の子が悪いという風潮があった。ここまで追い込む勉強、学校とは何なのか。生きることの方が大事だという思いを強くした。

斎藤さんには、近年の教育は子供のためという視点が乏しく、利益優先に映っているようです。そしてこう述べています。

子どもを商品のようにしてはいけない。子どもが幸せになるために、どう考え、どう生きたいのかを大切にしないといけない。

子供達も全て金のなる木、商品としてしか見ていない政治が、まさに今の政権そのものなのです。

誰もが自分はここに居ても良いのだという所属感を持てる居場所を確保していけば、社会は大きく変わり、生きていて良かったと思える社会へと変わるはずに違いありません。

見えない貧困

■20191227(金曜日:雨)

 
松江の小泉八雲記念館です。

■今朝は5時に目覚ましを鳴らして走るつもりでいたのですが、屋根を打つ雨音が聞こえてきました。窓を開けて手を出してみると、少しですが、雨が降っています。

正直今日は疲れのためか、走る元気が出ませんでした。雨これ幸いと、もう一度寝床に入り眠りにつこうとしましたが、すっかり目が覚めてしまいました。こういう時はいくら寝付こうとしても眠れないものです、思い切って起きだして、朝食の準備を始めました。

昨日の昼休みにロータリークラブの例会で、依頼されていた卓話も無事に終了し、これで残っていた肩の荷を全て下ろしたことになりました。これで本当に楽になると思っていましたが、今日はいささか拍子抜けというか力が抜けてしまったようです。

年賀状に例年のごとく一言直筆で添える作業がまだ残っていますので、とりあえずはそれに集中することにしましょう。2019年の反省と総括は、その後にゆっくりとしようと決めました。

■「300円も無理」と題するネットの記事に目が止まりました。山本太郎さんの立ち上げた、れいわ新選組に関連する記事なのですが、なぜ今まで、こうした人々に光が当たってこなかったのか、今になると、実に不思議でなりません。

子供の7人に1人が貧困、単身赴任の女性3人に1人が貧困という状況が突然、今年になって出現した訳では勿論ないのです。それにもかかわらず、山本太郎さんが取り上げるまでは、まるでこの世にそんな事実は存在しなかったかの如く、多くのマスコミが無視して来たのです。上記の記事を読むと、いかに事態が深刻なのかは容易に理解できるのですが、政治はこうした人達に救いの手を差し伸べては来なかったのです。

小泉政権以来、日本の政治の目的が、それ以前とすっかり変わってしまったように感じます。新自由主義という名のもとに、一部の国民のために多くの国民を切り捨てる政治が、大手を振ってまかり通っているのです。目くらましとしてのマスコミの役割が、とても大きかったように思います。

草の根の運動を通して、こうした現状を変えようという山本太郎さんの試みは、日本では誠に珍しい、真の意味での民主主義運動に他ならないのではないでしょうか。香港の民主化運動報道に多大の時間を費やしながら、れいわ新選組を無視し続けるNHKの欺瞞性が、日本のマスコミ現状の象徴です。私は心から、れいわ新選組に声援を送るものです。

無事終了

■20191226(木曜日:曇のち雨)

松江城の堀川めぐりです。

■今年も残り1週間を切りました。12月22日が冬至でしたから、今は毎日、毎日日照時間が伸びていることになります。とは言っても、寒さはこれからが本番です。

今日のお昼は沼津西ロータリークラブの、今年最後の例会でした。今年10月に行ったベトナム枯葉剤被害者支援の旅の報告を行ないました。毎年クラブからは活動への支援金を頂いていますので、今年どんな活動をしたのか報告する義務があります。30分の中で、どれだけ皆さんに理解していただけたかは分かりませんが、とにかく原稿には時間を費やしました。

いつもですと、早めに原稿を完成させ、スマホに録音し報告の時にはスマホから無線でイヤホンに飛ばして、自分の声を聞きながら話をするのですが、今回は原稿作りが間に合いませんでした。今朝は5時半に起きて原稿の最後の部分を完成させました。出来上がったのが8時前でしたので、それから録音する元気は残っていませんでした。

ところが、これが幸いしたのです。人生まさに、人間万事塞翁が馬です。通常ですと13時から卓話の時間となり、演者が話を始めるのですが、今日はその前に色々な発表が重なってしまい、実際に始まったのは13時5分を過ぎていました。5分間分の原稿をその場で減らすというのは、容易なことではありません。録音しておいたとすると、とても出来る相談ではないのです。

しかし、今回は原稿を印刷して持って行きましたので、なんとか無事に乗り切ることができました。若干オーバーしてしまったのですが、それは勘弁してもらうしかありません。

17日に白内障の手術を受け、演台に立って手元に置いた原稿をメガネなしで読むことができるようになっていたのも幸いでした。以前でしたら持っているメガネのどれをかけても原稿を読むことができませんでした。本当にラッキーだったと思います。

自分にできる限りの準備をし、努力をしたことを神様は見逃したり、見捨ててはいないようです。持参したパソコン、Acer Chromebook R13 もしっかりとPreziのファイルを再生してくれました。

Preziのファイルはとても重いので、再生するのが容易ではありません。クラウド環境下ですので致し方ないのですが、ウインドウズパソコンでは心配で、とても安心してプレゼンができません。出かける前にしっかりと完全にファイルをダウンロードし、展開した状態でパソコンを会場に持ち込み、メモリー上に展開したファイルを、そのまま再生するという形を取るのが一番安全のようです。

とにもかくにも、これで本当に忙しなかった師走に、自分に課せられたノルマを無事に全て終了することができました。本当に感謝、感謝です。

月100キロ走の目標だけが達成できそうも無いのですが、これは致し方ありません。無理をして体を壊しては本末転倒です。風邪をひいて体調を崩したうえに白内障の手術をした訳ですから、まるまる2週間以上、走ることができませんでした。

理論上はまだ時間が残されていますが、今から達成するとなると死ぬ気で走らなくてはなりません。新たな目標に向かう方が賢明でしょう。

今夜は、ご苦労さん会と称してSunと一緒に日帰り温泉に入って、一杯やる予定です。あとは年賀状が、残るのみです。本当に、ご苦労さまでした。

一段落

■20191223(月曜日:曇)

松江城内のお茶屋さんでいただいた和菓子です。

■今朝もゆっくりと休むつもりだったのですが、5時過ぎに目が覚めて起き出しました。今日は白内障の手術を受けてからの1週間後の検診です。今日診察を受けて特に問題なければ、頭も自分で洗えるようになりますし、日常生活もほぼ手術前と同じに戻すことができるようです。

手術を受けてから感じることは、今まで目の前に一枚膜がかかったようになっていたのが綺麗に外れて、とても鮮明に見えるようになったこと。

そして何より私は近視が強かったので、眼鏡をかけないと遠くは見えなかったのが、今では眼鏡なしでもほぼ不自由なく生活ができるようになったことが大きな変化です。

昼間でしたらメガネなしで車も運転できますし、新聞も大きな文字であれば、読むのに不自由はありません。ただし当然のことながら、細かい数字を見るということになると、やはり老眼鏡が必要です。

今こうして入力しているのは、スマホから音声入力アプリのSimejiを使って書いていますが、少し離せばメガネ無しでも入力が可能です。

昨夜は寝床に入って、久しぶりにKindleで読書をしようと思ったのですが、今までの文字の大きさですと見にくくて読みにくかったのですが、そこは電子書籍です。文字の大きさを拡大すれば充分、眼鏡なしで読むことができることに気づきました。そうです、文字を拡大すれば良かったのです。

近眼が強かった私が、唯一便利だと感じていたのは、寝床に入って自分の目で読書ができるということでした。電子書籍のありがたみというものに、改めて感謝する思いでした。老眼鏡をかけて文庫本を読むよりも、文字を拡大して自分の目で電子書籍を読む方が、ずっと楽で疲れません。

さて、そろそろ病院に行く準備をしなければなりません。夜になったら、もう一度考えをまとめて入力しましょう。

扇動ゲーム

■20191222(日曜日:曇)

松江城の中にある茶屋です。

■今朝も、ゆっくりと休みました。昨夜は沼津西ロータリークラブのクリスマス例会でした。例年ですと、これが今年最後の例会となるのですが、今年は来週もう一度26日に例会が開催され、最終例会となります。

その最終例会で、私が仲間と共に今年の10月に行った、ベトナム枯れ葉剤被害者支援活動について報告しなければなりません。したがって、今その資料を作成中です。

今朝は6時に目覚ましを合わせてあったのですが、その後しばらく布団の中で、ウトウトと時間を過ごしました。平日ですと、そのようなまどろんだ時間を持つことはできませんので、今朝は、まあいいか、と時間の流れに身を任せました。

色々な夢が浮かんでは消え、消えては浮かんできました、内容は、やはり子供たちのことが多かったように記憶しています。子供達が、いくつになっても、やはり自分にとっては子供なのです。

さて今朝の東京新聞朝刊「時代を読む」欄では、哲学者の内山節さんが、「権力者の扇動ゲーム」と題して書かれています。自分が何かを判断しなければならない時に、自然はこの問題をどう思っているのだろうかと考え、判断の材料にすると、内山さんは書かれています。

日本の伝統的な考えでは、社会とは自然と人間によって作られているものだから、人間の論理だけで勝手に社会を作ってはいけないと人々は考え、絶えず自然という他者に思いを寄せてきた、とも書かれています。今、そうした思いがなくなって、人間の論理だけで社会づくりが進められる時代に変わってしまった、と内山さんは嘆いておられます。

そうして1年間を振り返り、今年を象徴する出来事は何かと考えた時に、内山さんは、桜を見る会をめぐる一連の出来事だと断じているのです。なぜなら、それは権力は腐敗するということを立証する出来事だったからであると言われています。

20世紀を代表する社会学者であるマックス・ウェーバーの「職業としての政治」を引用し、国家は暴力の独占によって作られた強い権力機関であり、それゆえこの権力に携わる者は腐敗、堕落しやすい。そうならない方策として、マックスウェーバーは政治に関わる者達に高い倫理観、道徳観を求めたのだ、と書かれています。

ところが現実の世界では、倫理観など持ち合わせてはいないとしか言えない政治家たちが、世界中で跋扈していると嘆いているのです。そしてこう述べられています。「そのひとつの表れが、桜を見る会の出来事だった。税金や権力を私物化しても平気な人々が、日本の政治を握っている。その人達に高い倫理観を求めても、そもそも倫理観など持ち合わせてはいないのだろう」。そして今の政治が権力を掌握するための扇動ゲームになってしまっていると指摘しているのです。

アベノミクスという何年やっても何の成果も上がらない経済政策で国民を扇動し、外国の脅威で扇動する。野党批判で扇動し、女性活躍、働き方改革などの扇動スローガンを次々に打ち出し、格差社会の現実や加計学園の獣医学部開設などであらわになった、権力の私物化から、人々の目をそらそうとする。このような扇動型の腐敗政治の象徴が、桜を見る会をめぐる一連の出来事の中にも表れていた。

明治に始まった日本の近代社会。150年の時を経ようとしている現在、ちょうどその半ばに敗戦を迎え、その敗戦の焼け野原から立ち上がった日本人が、さらに半分の月日をかけて築き上げてきたのが現在の政治だとすれば、日本の近代社会の行く末は、どこへ向かおうとしているのか。暗澹たる気持ちに陥るのは、私だけではないはずです。

本屋の行方

■20191221(土曜日:曇り)

高崎駅前です。

■17日火曜日に白内障の手術を受けて以来、走ることができずにいます。そのお前の風邪騒動から含めれば、もう2週間近く走らない日が続いていますが、こんなことは5年ぶりではないでしょうか。

運動をしない訳ですから、当然消費エネルギーは減ります。したがって、体重を増やさないためには食事に注意するしかありません。炭水化物ダイエット、即ちロカボの実践です。穏やかな低炭水化物食の摂取です。

例えば今朝の朝食の内容は、コーヒーカップ一杯と納豆を一パック、ヨーグルト、そしてりんご半分でした。ランニングをした後であれば、これに食パン一枚とチーズ、ソーセージなどが加わります。

この食事のおかげかどうか、今のところ継続して測定している、体重、体脂肪率などに大きな変化はありません。

■さて、今朝の東京新聞「大波小波」欄を興味深く読みました。「本屋さんに問うヘイト本」です。こう書き出されています。『永江郎の『私は本屋が好きでした 溢れるヘイト本、作って売るまでの舞台裏』(太郎次郎社エディタス)が出た。店頭にヘイト本を積み上げて恥じない本屋への決別の書にして、なぜヘイト本が出続けるのかを出版業界全体に問うた告発の書である』。

著者は出版業界を丹念に遡りながら、こう問うています。「出版業界はアイヒマンなのか」。『ナチス時代、ユダヤ人虐殺に手を貸したのは、悪魔のごとき存在ではなく、アイヒマンのように与えられた仕事を淡々とこなす普通の人々だった』。そして最後にこう結論付けています。

ヘイト本を送り出す人々に広がるのが疲弊、無責任、想像力の欠如、無関心等ならひとり出版業界だけの問題ではあるまい。これはダメだ、これは間違いだ、これはもう止めよう。少しの勇気と少しの声と行動が今、私たちに求められている。

12月に入って私の町の書店もフィットネスクラブに衣替えしました。町の本屋さんが無くなってきているのです。先日も沼津駅前の商店街に行った際に、老舗の本屋さんに立ち寄ってみたのですが、大変驚いたのです。雑誌売り場の一角が嫌韓本で溢れているのです。本当に驚きました。

これまでにも差別はあったし、影では嫌韓を主張する人はいました。しかし、これほど露骨に、しかも街の本屋さんに山積みになっている嫌韓本を見ると、恐ろしくなると同時に、日本という国のタガがどこか外れてしまったのではないか、と考えざるを得ないのです。

それは、まさに品性の劣化です。テレビやマスコミでは、日本は素晴らしいのオンパレードですが、実際に起きていることは全くの真逆なのです。さまざまな理由が考えられるのでしょうが、一番私が正鵠を射ていると思われるのは、貧すれば鈍する、です。

日本は確実に貧しくなっているのです。それは山本太郎さんが指摘する如く、20年にわたるデフレの中で政府が国民への投資を怠ってきた結果に他なりません。一部の国民がより豊かになる一方、多くの国民が疲弊しているのです。その結果道徳は廃れ、品性は劣化していくのです。

それに対して政権与党は、道徳教育をしっかりすべきだ、などと主張していますが、全くの噴飯ものです。今こそ、私たちは舵を切らないと本当にどん底にまで、日本は落ち込んでしまう可能性があります。組織の幹部から、そう命じられたからではなく、一人ひとりが自分の頭でしっかりと考え行動しなければダメなのです。

再出発

■20191220(金曜日:晴れ)

■今朝もゆっくりと休みました。火曜日に白内障の手術をしてから、今まで続けてきた朝のジョギングはしばらくおあずけですので、目覚ましは6時に合わせて起きています。もう2週間近く走っていません。もう一度前のように定期的に走ることができるようになるのかかなり不安ですが、今は堪忍自重の時です。

手術前に罹患してしまった風邪も、ようやく完治の一歩手前まで来ました。まだ鼻水が時々出たりしますが、体自体の調子は普段と変わらないものに戻りました。

昨日からは仕事も再開し、とても不安だったのですが、幸い自分の裸眼視力だけで十分仕事ができることが分かりました。もちろん、これから術後安定する1ヶ月までは見え方は変化するでしょうから、一喜一憂しても仕方ありません。兎にも角にも今は手術は大成功で、以前と違ってとても鮮明に物が見えるという喜びを噛み締めています。

今このブログを更新しているのは、スマホで行っているのですが、この画面の字の大きさですとプラス1Dの老眼鏡で作業すると、とても楽に行えます。つまりは文字が大きくハッキリ見えるということです。本当に綺麗に見えます。

昨日は手術前から読んでいた中村梧郎さんの「母は枯葉剤を浴びた」を読み継いだのですが、以前と比較して文字がとても綺麗に見えるので、読むのがずっと楽になりました。

使用していただいた眼内レンズは単焦点のレンズですので、遠くも近くもみんなよく見えるというわけにはいきません。先生にはマイナス2Dになるように計算してもらいました。つまりは50センチ先に、ちょうどピントが合うような計算です。軽度の近視状態です。

ある論文によれば、この程度の近視が遠方も近方も一番不満が少ない、屈折度数らしいのです。私は手術前は右は強度近視に近く、左は中等度の近視という不同視でしたが、近くの細かい字は右目で見えましたので、読書に関しては最後まで、それほど苦労することはありませんでした。寝床に入って眠る前まで、Kindleで読書をするのも眼鏡なしで問題ありませんでした。

今のところ、この睡眠前の寝床での読書はできません。少し離してみても文字を読むのが困難です。もちろん老眼鏡を使えば全く問題なく綺麗に見えるのですが、寝床の中で老眼鏡をかけることは自分にはかなりの抵抗があります。

まあ、新しく生まれ変わったようなものですから、落ち着くまでに時間もかかりますし、慣れるのにも時間がかかるということでしょう。それに適応して必要なメガネを使って、無理をせずに生活する、ということが求められている訳です。

手術をする前はある一定の距離からは光が届いていないような感じがしました。例えてみれば、射程距離の短いヘッドライトを付けた車で運転しているような感じでした。それ以上先の距離は、光が届かずぼんやりしてよく見えなかったのです。それは白内障のためでした。それが全くといいほど消えました。どこまでもピントが合うということはもちろんないのですが、光はどこまでも届いているという感覚が戻りました。あとは慣れることしかないようです。

親子

■20191219(木曜日:曇)

松江市の武家屋敷邸の庭です。

■今朝はゆっくりと休みました。家で休むのが一番安心です。今日は術後2日目ということになります。とりあえずは最初の24時間が一番大事です。急性期の感染症が最悪ですから、とりあえず24時間を乗り切れば一安心です。

不潔な水が目に入ってはいけませんので、まだ頭も洗えませんし、顔も洗うこともできません。顔は拭くだけ、頭もタオルで拭くだけです。

そして、食事の後、さらに寝る前に目薬をつけなければなりません。三つありますので、それぞれ3分から5分を空けるとなると全部終わるまでには一仕事になります。患者さんの気持ちがようやく実感できました。

術後2日目の見え方の状態は、新聞の見出し程度は自分の目で問題なく読めます。ただし細かい記事の内容となると少し苦しいので、軽い老眼鏡をかければバッチリ見えるという状態です。私の願っていた、部屋の中にいる限り不自由なく生活できると、いう意味では全く問題なく満足する状態です。

今日から仕事ですので手元に置いたカルテと顕微鏡を通してみる患者さんの目の状態と、そしてパソコンに映った電子カルテの内容を更新するという、三つの距離を見分けなければなりません。それがどうなるか、いささか心配ではあります。

■さて、今朝の東京新聞朝刊「筆洗」欄の記事には考えさせられます。ぜひとも皆さんにも読んでいただきたい内容なのですが、一部を引用させていただきます。親の一人として考え込まずにはいられない内容です。

「転々」などの小説家、藤田宜永さんは母親との折り合いが悪かった。学校の試験で良い点をとってもほめられたことはない。間違ったところばかり、しつこく責められる、自分は母親から愛されてない。やがて家を飛び出し、亡くなるまでぎくしゃくした関係が続いたそうだ。

母親が81歳で亡くなった。葬儀の時、その顔に驚いたと書いている。自分を叱っていたヒステリックな顔ではなく「小さな小さな可愛い顔」だったそうだ。心の中で母親に語りかけたという言葉が切ない。

「どうして、その顔で僕を育てなかったんだい」

そして、その後に続く内容が、元農水次官が暴力を振るう長男を刺し殺した事件なのです。

■親子関係は本当に難しいことばかりです。子供は一つの人格を持った、全く自分とは異なる存在だということは、頭では理解していても、半分は自分の遺伝子を持っているわけですから、当然のことながら全く別の人間ではありません。

他人ではないのです。他人ならば許せることも親子では許せないことは、たくさんあります。親として本当に子供の事が可愛いくて、そして心配することばかりなのです。

そんなことは当たり前のことなのですが、だからといって毎日食事をする度に、お前のことがどれほど可愛くて心配なのかを延々と語られたら、子供はうんざりしてしまうでしょう。

本当に愛しているものに対して、どのようにその愛情を表現したら良いか。これこそ最高難度の問題かもしれません。

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