2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

カテゴリー: FC Page 15 of 51

MIRAフィットネスクラブに出掛けた日。

ショーの幕開け

■20250115(水曜日:晴れ)

台湾・国立中正紀念堂です。こちらは、大孝門。
反対側には、大忠門がありました。

■もう1月も半ばになりました。快晴の日が続いています。沼津市でも、戸田地区で山火事があり、驚きました。ロスアンゼルスほどでは、もちろん無いものの、乾燥が続いているためでしょうか。オーストラリアも心配です。

年末から、ほとんど雨が降っていません。インフルエンザ大流行の一つの要因でもあります。冬の乾燥は体に良くありません。もう少し雨が降ってくれることを望むばかりです。

■さて、いつもの知恵袋「田中宇の国際ニュース解説」です。先日も、ある友人と話していて、テレビ報道と、ほぼ真逆の分析である田中さんの解説を披露しても、鼻から受け付けません。ロシアは侵略者で、中国は海洋進出を強めるけしからん国だ、というわけです。

トランプ氏を擁護しようものなら、知的レベルすら疑われかねません。

★トランプ返り咲きで世界が変わる、という演出
田中宇の国際ニュース解説 無料版 2025年1月14日

2025年が終わろうとする頃、世界はどのように変わっているのか。そして、日本はどのように舵取りをしていくのか。まもなく、ショーの幕開けです。

ライフスタイル

■20250113(月曜日:晴れ)成人の日

台湾最高法院です。最高裁判所でしょうか。

■今日は成人の日で休日です。午前8時44分現在、風もほとんど無く、穏やかな晴天です。今年は年始から風邪を引いてしまい、熱発はしなかったものの、喉の痛み、咳、そして体の怠さに苦しみました。

気管支が私は弱いのです。2度も肺炎を患っています。その時に、死んでいても、おかしくはありませんでした。医師を始め医療機関の皆さんのお陰で、こうして生きながらえているわけです。

感染症には、やはり抗生物質が絶大な威力を発揮します。抗生物質の無かった頃は、本当に大変だったはずです。例えば、「チャングムの誓い」を観ただけでも分かります。チャングムは患者の膿瘍から、自らの口で膿を吸い出していました。

自壊して、排膿されれば、全身に回ることもないのでしょうが、敗血症になれば、昔なら、まず助かりません。ペニシリンは、まさに魔法の弾丸だったはずです。フレミングがペニシリンを発見した物語は、あまりにも有名ですが、様々な分野での、こうしたエピソードを集めた本を、子どもの頃読んだ私は、大きな影響を受けました。

世の中には、面白いことが一杯溢れていそうだな、というワクワク感です。アドラー流に言えば、私のライフスタイルは、その頃に確立したのかも知れません。何か好きなものを見つけては、飽きること無く、ワクワクして取り組んでいる自分を見ていると、そう感じます。

もう、残された時間は長くはありませんが、それでもワクワクして何かに取り組み続けていれば、自分らしくて首尾一貫していそうです。

漢字

■20250111(土曜日:晴れ)

台湾の地下鉄にあった優先席です。
「博愛座」と言います。

■台湾や中国に出かけると、当然のことながら周囲には漢字が溢れています。それだけで、緊張感が解けるというか、安心感があります。2016年北京に行った時、ホテルへの帰り道にコンビがありましたが、看板にこう書かれていました。「中国人自己的便利店」。

中国語では、コンビニエンス・ストアは文字通り、「便利・店」だそうですが、中国語の「自己的」は「自分の」という意味。

台湾では、「コンビニは、便利商店(biànlìshāngdìan)もしくは 超商(chāoshāng)」。例えば、セブンイレブンは「台湾のセブンイレブンの名前は統一超商(中国語:トンイー・チャオシャン)」と言うそうです。

所変われば名も変わるということで、発音だけ、そのままカタカナに変えて使っているのは、芸がない気がしますが、どうでしょう。意味も分からず発音だけ、そのままの言葉が、さも高尚なもののように、連発されるのは、文化的劣等感の裏返しに見えるのですが。

期待と不安

■20241228(土曜日:晴れ)

美瑛・三愛の丘展望公園から見た大雪山系です。
今年見た中でも、最も雄大な景色でした。

■今日が仕事納め。年末から出かける予定があるためか、逆に年末という気が少しもしません。大晦日から元旦への変化を、時間とともに実感するのが、やはり良いようです。

今年も色々な所へ出かけました。今日の写真は、6月9日に走った北海道「丘のまち びえい・ヘルシーマラソン」での一コマです。以前、富良野のペンションに泊まった際に、ご主人が大会について教えてくれました。

本当に美しいコースです。森の中からスタートして、なだらかな丘をいくつも登り降りする道のりは、見晴らしの良さもあって、なかなか他の大会では味わえない経験でした。

空気は澄んでいますし、微風のもと、雲が流れる青空の爽やかさ。清々(すがすが)しいとは、あの日のことです。

とは言っても、走っている間は、それどころではありません。ほとんどが苦しい時間帯でした。当日は気温が高かったこともあり、暑さとの戦いもありました。スポンジから冷水を、何度も頭からかけて暑さをしのぎました。

制限時間が3時間だったことが救いでした。幹線道路を遮断してランナーを通過させる、という必要が無いおかげです。お伊勢マラソンでは、自動車専用道路を走る機会もありました。さすがに、その場合は長時間遮断するのは無理です。

2月の冷たい雨の中を走ることからスタートした、今年のマラソン大会出場でしたが、季節とともに周囲の景色も変わっていきました。地域ごとの、そんな自然の変化を実感するのも、マラソン大会参加の醍醐味です。

来年は、どんな自然が待っていてくれるのか。どんな様相を呈してくれるのか。期待とともに、実は不安も一杯なのです。

月100キロ走

■20241227(金曜日:晴れ)

3月11日の沼津市原海岸です。今年も何度も、この堤防を走りました。

■昨日は午後から、フィットクラブで筋トレの後、ランニングマシーンで1時間走りました。有酸素運動を目指していますので、心拍数を私の場合は 、120 bpm を超えないように心がけました。

これで今月は、3回のランで合計 37.19 km を積み重ねました。先月も 3 回のランでしたが、たったの 23.88 km しか走ることができなかったことを思うと、少しはマシです。12月1日に、川口マラソンを走りましたので、今月は頑張りました。

今年の走行距離を振り返ってみると、2月に 100.96 km と 100km を超えたものの、それが唯一の月でした。横浜でハーフを走った月でした。11月の 23.88 km が最小でした。

結局1年を合計すると、87 回のランで 697.38 km を積み重ねました。2014年11月21日に、エプソンのランニングウォッチで統計を取り始めてからの合計は、1,553回のランで 10,926.22 km となっています。

最も多く走ることができたのは、2017年で 171 回、走行距離 1,357.33 km と記録されています。2015年の3月からは、 2016年10月に 94.11 km と一度だけ 100 km を切った以外は、2019年11月まで月100キロ走を続けました。

筋トレの成果かどうか、また月100キロ走を達成できそうな気がしてきました。来年からの課題です。

観劇

■20241226(木曜日:晴れ)

2024年1月28日、東京芸術劇場で観劇しました。

■今年は一度だけ舞台を見に出かけました。劇作家・演出家の永井愛さんの作品です。Sunも私も彼女の作品のファンですので、今までに何度も出かけています。

それでも、池袋駅に行くのは、私にとっては何年ぶりでしょうか。駅に降り立ってみると、本当に浦島太郎の気分です。川口に住んでいた頃は、デパートに買い物に行く、あるいは名画座に行く、というのが池袋へ行く目的でした。

デパートも、東武デパートと西武デパートがあって、競い合っていたように記憶しています。1960年代には、日曜日に家族でデパートに出かけ食事をするのが、一番の贅沢でした。当時は、家族連れで満員でした。

■生身の人間の演技を、直接見ることのできる舞台は、テレビドラマとは迫力が違います。前列の席ですと文字通り、役者の汗が直接飛んできます。井上ひさしさんの「國語元年」を見た時には、佐藤B作さんの熱演を彼の汗とともに鑑賞した記憶があります。

佐藤B作率いる劇団東京ヴォードヴィルショーの創立50周年記念公演「その場しのぎの男たち」が、2023年7月21日に東京・紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYAで開幕した。

と、ネットにありました。佐藤さんは私より4歳年上ですが、まだまだ現役で活躍されています。

調べてみると、舞台化される前の1985年に放映されたNHKドラマ版では、主人公の南郷清之輔を川谷拓三さんが演じていたとは、知りませんでした。機会があれば見てみたいものです。

来年は、どの舞台を見に行くことができるか、楽しみです。

名産

■20241225(水曜日:晴れ)

2024年元日の日の出です。
このあと能登半島で大地震が起こるとは、夢にも思いませんでした。

■今年はTaku一家が年末から来てくれていました。元日の朝に、早起きをして家を出ました。ご来光を仰ぐためです。

穏やかな日の出でした。孫たちと過ごした元日でした。交通機関が混み合うといけないからと、少し早めに帰宅の途につきました。それが正解でした。能登地震による混乱を避けられたからです。

一日も早い復旧を祈るばかりです。

■今年の1月は、熊本、鹿児島を旅しました。天草から霧島です。天候にも恵まれ、地元の新鮮な食材を満喫しました。いつものことながら、ドライブの途中、途中で道の駅に立ち寄って、その土地、土地の名産を見て回るのも楽しみの一つです。

日本各地に名産があり、その豊かな多様性が日本の魅力の一つだと実感します。人口が減少し、ますます大都会に人口が集中した後に残る日本姿を想像すると、とても寂しい気がするのです。

テニスコート

■20241224(火曜日:晴れ)

埼玉県川口市青木町公園テニスコートです。
60年前の中体連で、軟式テニス部の一員として戦ったコートです。

■今年最後のマラソン大会は、川口マラソンでした。まさかまさか、川口でマラソンを走るとは、夢にも思っていませんでした。川口は私の心の故郷です。19歳まで両親と一緒に暮らした公団住宅が、川口市飯塚町3丁目にあったのです。

大学に通いきれずに下宿を始めた19歳以降、両親と暮らすことは2度とありませんでした。71年の人生で両親と一緒に暮らしたの、実はたったの19年しか無かったのです。

その19年のうち、川口に暮らしたのは16年弱です。幼稚園から高校まで、今思えば毎日を、何の心配もなく楽しく暮らしていたのです。

日本も高度成長期の真っ只中。今日よりは明日のほうが良くなる。今年よりは来年のほうが豊かになる、と信じることができた時代でした。身の回りに今まで無かったものが、次々と登場した時代です。

ある日テレビがやってきました。またある日は、固定電話機が取り付けられました。冷蔵庫、洗濯機、極めつけはクーラーでした。それまでは、どんなに暑くても扇風機を回すしかありませんでした。

鉄筋住宅の公団住宅は暖かく、冬は快適だったのですが、夏は暑くて大変でした。夏休みは、家で勉強するのは暑くて無理でしたので、自転車で陸橋を超えて、市立図書館に毎日通いました。

当時の面影を感じることは、どこを歩き回っても無いのですが、そんな激変にも関わらず、テニスコートが当時の場所に、そのまま残っていたことは、大きな驚きとともに、一瞬にして自分を中学時代に連れ戻してくれたのです。

樹齢千数百年

■20241223(月曜日:晴れ)

岡宮浅間神社のクスの木です。樹齢千数百年です。

■昨日はTuruちゃん夫婦と、ウォーキングを楽しみました。我が家から岡宮浅間神社まで、なんと 7.2 km です。13時に我が家で待ち合わせて、スタートしました。当初は途中の何処かに駐車して、そこから歩く予定でしたが、Turuちゃんの一声で全行程を歩くことになりました。

到着して最初に撮った写真には、15時10分と記録されていますから、2時間以上歩き続けたことになります。風もほとんど無く陽射しもありましたから、往路では寒いという事はありませんでしたが、16時を過ぎると寒さが襲ってきます。

疲れもあって帰りは予定を変更して、沼津駅まで歩き電車で原駅まで戻りました。これは正解でした。その頃には日陰を歩いていると寒さを感じ始めました。

クスの木の横に立っている説明の案内板には、令和6年10月と書かれていました。きっと、NHKの番組「こころ旅」の収録のために新調したのだろうと、みんなで話していました。あの番組を見て訪れた人は多いはずです。わたしたちも含めて。

さすがに16時を過ぎて寒くなってきました。17時半には「ひろ繁」で夕食の予約がしてあります。さて、どうするか。そのまま来た道を歩いていては、間に合いそうにありません。沼津駅まで歩いて、電車で戻ることにしました。

神社から沼津駅までは、3.1 km とあります。正直、歩きながらも寒くてまいりました。私の服装がまずかったのでしょう。下着をしっかり着ておくべきでした。

原駅には17時前に到着し、無事に「ひろ繁」辿り着きました。13時に家を出ましたから、4時間後でした。ところが、17時半に予約してあったために、お店がまだ閉まっていました。さすがに、あの寒さの中で30分も待つのはキツイので、インターフォンを鳴らして、申し訳なかったのですが、早めにお店を開けてもらいました。ようやく、暖が取れました。生き返りました。

こうして楽しかった、こころ旅も無事に終えることができました。

立ち往生

■20241221(土曜日:晴れ)

6月2日に参加した千歳JAL国際マラソンです。
あと2キロほどでゴールです。

■今年5回目のマラソン大会は、第44回千歳JAL国際マラソンでした。2014年に初めてこの大会に参加した時には、Takuも一緒でした。Takuは10キロの部。そして私はハーフを走りました。

こうした大会に、Takuは参加したことは無く初めてでしたので、とりあえず10キロの部に出てみたら、と誘ったところ、意外なことに、すんなりと同意しました。

私が走り終えたあとに10キロの部はスタートでした。どの程度のタイムで戻って来るやら、さっぱり分かりませんでした。Sunと二人で、まだ早そうだけど応援に行こうか、と沿道に出てみたところ、風のようにTakuが走り抜けて行ったのには、二人して驚きました。

Takuのマラソンデビューでした。

■今年も写真のように爽やかな天候に恵まれて、最高のマラソン日和。無事に完走しましたが、今年は次週にも北海道にやってきて、びえいヘルシーマラソンを走る予定でしたので、温泉に行くことも諦めて、その日のうちに帰ることにしました。

帰りの便が羽田空港で雷雲に遭遇し、着陸は無事に終えたものの、滑走路で足止めを食らって、それこそ立ち往生したもの、いまとなれば楽しい思い出です。

来年は、どうなりますことやら。

Page 15 of 51

Powered by WordPress & Theme by Anders Norén