2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

カテゴリー: FC Page 19 of 55

MIRAフィットネスクラブに出掛けた日。

期待と不安

■20241228(土曜日:晴れ)

美瑛・三愛の丘展望公園から見た大雪山系です。
今年見た中でも、最も雄大な景色でした。

■今日が仕事納め。年末から出かける予定があるためか、逆に年末という気が少しもしません。大晦日から元旦への変化を、時間とともに実感するのが、やはり良いようです。

今年も色々な所へ出かけました。今日の写真は、6月9日に走った北海道「丘のまち びえい・ヘルシーマラソン」での一コマです。以前、富良野のペンションに泊まった際に、ご主人が大会について教えてくれました。

本当に美しいコースです。森の中からスタートして、なだらかな丘をいくつも登り降りする道のりは、見晴らしの良さもあって、なかなか他の大会では味わえない経験でした。

空気は澄んでいますし、微風のもと、雲が流れる青空の爽やかさ。清々(すがすが)しいとは、あの日のことです。

とは言っても、走っている間は、それどころではありません。ほとんどが苦しい時間帯でした。当日は気温が高かったこともあり、暑さとの戦いもありました。スポンジから冷水を、何度も頭からかけて暑さをしのぎました。

制限時間が3時間だったことが救いでした。幹線道路を遮断してランナーを通過させる、という必要が無いおかげです。お伊勢マラソンでは、自動車専用道路を走る機会もありました。さすがに、その場合は長時間遮断するのは無理です。

2月の冷たい雨の中を走ることからスタートした、今年のマラソン大会出場でしたが、季節とともに周囲の景色も変わっていきました。地域ごとの、そんな自然の変化を実感するのも、マラソン大会参加の醍醐味です。

来年は、どんな自然が待っていてくれるのか。どんな様相を呈してくれるのか。期待とともに、実は不安も一杯なのです。

月100キロ走

■20241227(金曜日:晴れ)

3月11日の沼津市原海岸です。今年も何度も、この堤防を走りました。

■昨日は午後から、フィットクラブで筋トレの後、ランニングマシーンで1時間走りました。有酸素運動を目指していますので、心拍数を私の場合は 、120 bpm を超えないように心がけました。

これで今月は、3回のランで合計 37.19 km を積み重ねました。先月も 3 回のランでしたが、たったの 23.88 km しか走ることができなかったことを思うと、少しはマシです。12月1日に、川口マラソンを走りましたので、今月は頑張りました。

今年の走行距離を振り返ってみると、2月に 100.96 km と 100km を超えたものの、それが唯一の月でした。横浜でハーフを走った月でした。11月の 23.88 km が最小でした。

結局1年を合計すると、87 回のランで 697.38 km を積み重ねました。2014年11月21日に、エプソンのランニングウォッチで統計を取り始めてからの合計は、1,553回のランで 10,926.22 km となっています。

最も多く走ることができたのは、2017年で 171 回、走行距離 1,357.33 km と記録されています。2015年の3月からは、 2016年10月に 94.11 km と一度だけ 100 km を切った以外は、2019年11月まで月100キロ走を続けました。

筋トレの成果かどうか、また月100キロ走を達成できそうな気がしてきました。来年からの課題です。

観劇

■20241226(木曜日:晴れ)

2024年1月28日、東京芸術劇場で観劇しました。

■今年は一度だけ舞台を見に出かけました。劇作家・演出家の永井愛さんの作品です。Sunも私も彼女の作品のファンですので、今までに何度も出かけています。

それでも、池袋駅に行くのは、私にとっては何年ぶりでしょうか。駅に降り立ってみると、本当に浦島太郎の気分です。川口に住んでいた頃は、デパートに買い物に行く、あるいは名画座に行く、というのが池袋へ行く目的でした。

デパートも、東武デパートと西武デパートがあって、競い合っていたように記憶しています。1960年代には、日曜日に家族でデパートに出かけ食事をするのが、一番の贅沢でした。当時は、家族連れで満員でした。

■生身の人間の演技を、直接見ることのできる舞台は、テレビドラマとは迫力が違います。前列の席ですと文字通り、役者の汗が直接飛んできます。井上ひさしさんの「國語元年」を見た時には、佐藤B作さんの熱演を彼の汗とともに鑑賞した記憶があります。

佐藤B作率いる劇団東京ヴォードヴィルショーの創立50周年記念公演「その場しのぎの男たち」が、2023年7月21日に東京・紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYAで開幕した。

と、ネットにありました。佐藤さんは私より4歳年上ですが、まだまだ現役で活躍されています。

調べてみると、舞台化される前の1985年に放映されたNHKドラマ版では、主人公の南郷清之輔を川谷拓三さんが演じていたとは、知りませんでした。機会があれば見てみたいものです。

来年は、どの舞台を見に行くことができるか、楽しみです。

名産

■20241225(水曜日:晴れ)

2024年元日の日の出です。
このあと能登半島で大地震が起こるとは、夢にも思いませんでした。

■今年はTaku一家が年末から来てくれていました。元日の朝に、早起きをして家を出ました。ご来光を仰ぐためです。

穏やかな日の出でした。孫たちと過ごした元日でした。交通機関が混み合うといけないからと、少し早めに帰宅の途につきました。それが正解でした。能登地震による混乱を避けられたからです。

一日も早い復旧を祈るばかりです。

■今年の1月は、熊本、鹿児島を旅しました。天草から霧島です。天候にも恵まれ、地元の新鮮な食材を満喫しました。いつものことながら、ドライブの途中、途中で道の駅に立ち寄って、その土地、土地の名産を見て回るのも楽しみの一つです。

日本各地に名産があり、その豊かな多様性が日本の魅力の一つだと実感します。人口が減少し、ますます大都会に人口が集中した後に残る日本姿を想像すると、とても寂しい気がするのです。

テニスコート

■20241224(火曜日:晴れ)

埼玉県川口市青木町公園テニスコートです。
60年前の中体連で、軟式テニス部の一員として戦ったコートです。

■今年最後のマラソン大会は、川口マラソンでした。まさかまさか、川口でマラソンを走るとは、夢にも思っていませんでした。川口は私の心の故郷です。19歳まで両親と一緒に暮らした公団住宅が、川口市飯塚町3丁目にあったのです。

大学に通いきれずに下宿を始めた19歳以降、両親と暮らすことは2度とありませんでした。71年の人生で両親と一緒に暮らしたの、実はたったの19年しか無かったのです。

その19年のうち、川口に暮らしたのは16年弱です。幼稚園から高校まで、今思えば毎日を、何の心配もなく楽しく暮らしていたのです。

日本も高度成長期の真っ只中。今日よりは明日のほうが良くなる。今年よりは来年のほうが豊かになる、と信じることができた時代でした。身の回りに今まで無かったものが、次々と登場した時代です。

ある日テレビがやってきました。またある日は、固定電話機が取り付けられました。冷蔵庫、洗濯機、極めつけはクーラーでした。それまでは、どんなに暑くても扇風機を回すしかありませんでした。

鉄筋住宅の公団住宅は暖かく、冬は快適だったのですが、夏は暑くて大変でした。夏休みは、家で勉強するのは暑くて無理でしたので、自転車で陸橋を超えて、市立図書館に毎日通いました。

当時の面影を感じることは、どこを歩き回っても無いのですが、そんな激変にも関わらず、テニスコートが当時の場所に、そのまま残っていたことは、大きな驚きとともに、一瞬にして自分を中学時代に連れ戻してくれたのです。

樹齢千数百年

■20241223(月曜日:晴れ)

岡宮浅間神社のクスの木です。樹齢千数百年です。

■昨日はTuruちゃん夫婦と、ウォーキングを楽しみました。我が家から岡宮浅間神社まで、なんと 7.2 km です。13時に我が家で待ち合わせて、スタートしました。当初は途中の何処かに駐車して、そこから歩く予定でしたが、Turuちゃんの一声で全行程を歩くことになりました。

到着して最初に撮った写真には、15時10分と記録されていますから、2時間以上歩き続けたことになります。風もほとんど無く陽射しもありましたから、往路では寒いという事はありませんでしたが、16時を過ぎると寒さが襲ってきます。

疲れもあって帰りは予定を変更して、沼津駅まで歩き電車で原駅まで戻りました。これは正解でした。その頃には日陰を歩いていると寒さを感じ始めました。

クスの木の横に立っている説明の案内板には、令和6年10月と書かれていました。きっと、NHKの番組「こころ旅」の収録のために新調したのだろうと、みんなで話していました。あの番組を見て訪れた人は多いはずです。わたしたちも含めて。

さすがに16時を過ぎて寒くなってきました。17時半には「ひろ繁」で夕食の予約がしてあります。さて、どうするか。そのまま来た道を歩いていては、間に合いそうにありません。沼津駅まで歩いて、電車で戻ることにしました。

神社から沼津駅までは、3.1 km とあります。正直、歩きながらも寒くてまいりました。私の服装がまずかったのでしょう。下着をしっかり着ておくべきでした。

原駅には17時前に到着し、無事に「ひろ繁」辿り着きました。13時に家を出ましたから、4時間後でした。ところが、17時半に予約してあったために、お店がまだ閉まっていました。さすがに、あの寒さの中で30分も待つのはキツイので、インターフォンを鳴らして、申し訳なかったのですが、早めにお店を開けてもらいました。ようやく、暖が取れました。生き返りました。

こうして楽しかった、こころ旅も無事に終えることができました。

立ち往生

■20241221(土曜日:晴れ)

6月2日に参加した千歳JAL国際マラソンです。
あと2キロほどでゴールです。

■今年5回目のマラソン大会は、第44回千歳JAL国際マラソンでした。2014年に初めてこの大会に参加した時には、Takuも一緒でした。Takuは10キロの部。そして私はハーフを走りました。

こうした大会に、Takuは参加したことは無く初めてでしたので、とりあえず10キロの部に出てみたら、と誘ったところ、意外なことに、すんなりと同意しました。

私が走り終えたあとに10キロの部はスタートでした。どの程度のタイムで戻って来るやら、さっぱり分かりませんでした。Sunと二人で、まだ早そうだけど応援に行こうか、と沿道に出てみたところ、風のようにTakuが走り抜けて行ったのには、二人して驚きました。

Takuのマラソンデビューでした。

■今年も写真のように爽やかな天候に恵まれて、最高のマラソン日和。無事に完走しましたが、今年は次週にも北海道にやってきて、びえいヘルシーマラソンを走る予定でしたので、温泉に行くことも諦めて、その日のうちに帰ることにしました。

帰りの便が羽田空港で雷雲に遭遇し、着陸は無事に終えたものの、滑走路で足止めを食らって、それこそ立ち往生したもの、いまとなれば楽しい思い出です。

来年は、どうなりますことやら。

坂道コース

■20241220(金曜日:晴れ)

2024ノーザンホースパーク・マラソン・トレイルです。
競走馬訓練用坂道です。

■今朝も晴れ渡っています。昨夜は沼津西ロータリークラブのクリスマス例会でした。家族で参加された方もいて、賑やかな夜でした。

■さて、今年4回目のマラソン大会は、2024年05月12日に開催されたノーザンホースパーク・マラソンでした。この大会の特徴は、「競走馬育成施設(ノーザンファーム坂路コース)を駆ける唯一のマラソン大会」とあります。新千歳空港から送迎バスで30分ほどです。開催場所ノーザンホースパークのコンセプトは、

馬と自然とひとつになる、
Brilliant Momentsブリリアント モーメント~輝く時間

ノーザンホースパークは1年を通じ、ゲストが気軽に馬と接していただけるさまざまなアクティビティやイベントをご用意しております。

ご来園いただいた1日を通じて皆さまに輝く時間をお届けできるよう、北の大地の恵みを活かした美味しい食事をお楽しみいただけるレストランのほか、ライフイベントでも輝く時間を経験していただけるよう、ノーザンホースパークではオリジナリティ溢れる結婚式の会場ならびに演出をご用意。

また、競走馬生産育成牧場のリーディングファームであるノーザンファームを母体としており、日本の馬事文化の発展を担う施設として、乗馬競技会場その他の設備も充実しております。

ノーザンホースパークを訪れたゲストの皆さまが「Brilliant Moments~輝く時間ひととき」を体感いただけるよう、ノーザンホースパークスタッフ一同サービスを提供してまいります。

と、ホームページには記載されています。あの名馬ディープインパクトのお母さんが、老後を過ごしていることでも有名です。全国からファンが、未だに訪れています。

施設内を散策するだけでも、四季折々の自然の変化を充分楽しめます。2回目の参加でしたから要領は分かっていました。天候にも恵まれ、爽やかな空気を満喫できました。

2回ともトレイルコースでの参加でしたので、来年はハーフに挑戦しようかと思い始めています。制限時間は3時間と記載されています。申込開始までに、ゆっくり考えましょう。



9年の歳月

■20241219(木曜日:晴れ)

4月7日に焼津港に集まったランナーたち。

■今年3回目の大会は2024年4月7に開催された、第39回焼津みなとマラソンでした。2015年4月15日に開催された第30回大会にも参加していました。その時は、61歳でした。2時間6分33秒で完走しています。

ハーフの部は、2,500 名の参加です。50歳以上の部に出場し、完走を目指しましたが、制限時間を超えることができませんでした。

制限時間 130分。ハーフは中間地点で1時間5分、15km地点で1時間35分、20km地点で2時間4分の関門を設けます。関門の時間を超過した場合は、競技を中断し係員の指示に従ってください。

15 km 地点での関門で、あえなく競技を中止。用意されたバスに収容されました。競技を中止したランナーで、バスは満員でした。昨年の大井川キウイマラソンについでの途中棄権でした。

関門の少し手前で、大会関係者が旗を振っていました。携帯したスマートウォッチは、走り始めてから 15 km と表示されています。ここが関門なのか、と思いました。屈伸運動を念入りにしてから再開し、カーブを曲がると、制限時間に3分足りませんでした、と役員の方が案内していました。

屈伸運動などせずに走り続けていれば、間に合ったかもと思いましたが、体力的には限界でした。次の関門は超えられなかったでしょう。

ひいひい言いながらも、9年前には問題なく超えることのできた関門も、9年経って走ってみると、超えることができなくなっていました。歳月は正直です。そして残酷でした。

9年の歳月を実感した一日でした。

折り返し点

■20241216(月曜日:晴れ)

これぞオーストラリアの草原です。
ジーロングからメルボルンへ向かう車の中から撮りました。

■12月も折り返し点を過ぎて、いよいよ大晦日も視野に入ってきました。起き出して窓のブラインドを開けると、今朝は西の空から満月がこちらを見つめています。今夜が15夜でしょうか。

今年を振り返る時期になりました。まず1月です。元旦には夕方、能登半島で大地震が起こり、年末帰省していたTakuたちが、間一髪で無事に家に辿り着きました。続いて2日には、JALのジェット機と海上保安庁の飛行機が、羽田空港で衝突する事故が起きました。

出だしから、これだけの大事件が続くことに、大きな不安を覚えた年の始まりです。

1月4日から九州旅行へ出かけました。富士山静岡空港から熊本空港に飛びました。天草・霧島を巡りました。天気も良く、二人で仲良く弥次喜多道中です。

最後は阿蘇山に行きましたが、気温0度ということで、さすがに車を降りて散策しようとは思いませんでした。そんな年始の1月でした。

Page 19 of 55

Powered by WordPress & Theme by Anders Norén