2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

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MIRAフィットネスクラブに出掛けた日。

哲学とは死ぬことを学ぶことだ

■20250608(日曜日:雨)

ゴールまで、あともう少し。千歳川の清流が出迎えてくれます。

■今日は新沼津カントリークラブの月例に出場する予定でした。ところが起き出して、びっくり。朝食を摂っていると、窓に雨粒が付き始めたのです。なんとか今日いっぱいは、曇り空で凌げそうな天気予報だったのですが、西の空も黒い雲で覆われていますので、梅雨前線が少し北のコースを取っているのかもしれません。

迷いましたが、雨の中無理をしてゴルフをしても面白くありませんので、今日は筋トレと読書の一日にすることとしました。本当に久しぶりのゴルフだったので楽しみだったのですが、天候だけは致し方ありません。

■さて、モンテーニュのエセーは、きっと多くの方が一度は手に取ったことがあるに違いありません。ただし、全巻を読み通した方は、ほとんどいないはずです。何しろ岩波文庫で全6巻ですから、揃えるだけでも大変です。

当然、私も読破してはいません。ただ、堀田善衛著『城館の人 ミシェル』を何故か若い時に読破しました。全3巻の構成は、「第一部:争乱の時代、第二部:自然・理性・運命、第三部:精神の祝祭」と、表題を見ても、面白おかしい内容でないことは一目瞭然です。

なぜだか分かりませんが、堀田善衛さんの語り口が自分に合っていたのでしょう。対象から距離を置いて、どんな偏見をも持つこと無く、静かに、それでいてユーモアを交え、温かい目を向けながら、冷徹な分析を進めていきます。そのバランスが、私は素晴らしいと感じたのです。

DeepSeekにエセーの素晴らしさを尋ねると、以下の返答をもらいました。

モンテーニュ(Michel de Montaigne)の『エセー(Essais)』は、自己探求と人間観察の傑作です。その中から、特に重要な3つのポイントを挙げます。

1. 「私は何を知っているか?(Que sais-je?)」—— 無知の自覚と懐疑主義

モンテーニュは「自分がいかに無知であるか」を徹底的に自覚し、「絶対的な真理」を疑う姿勢を示しました。

  • キリスト教や古代思想の権威を盲信せず、「自分自身の経験と内省」を重視。
  • 「私は何も確信を持って語れない」という謙虚さが、近代的な懐疑主義の礎に。
  • 現代への示唆:
    「正解」を急ぐ現代社会で、「わからないことを認める勇気」の重要性。

2. 「自己の多様性の受容」—— 矛盾する自分を肯定する

『エセー』は、一貫性よりも「人間の不安定さや矛盾」を赤裸々に描いています。

  • 「私は常に変化する。恥ずかしがり屋でもあり、社交的でもある」と自己を分析。
  • 「自分とは何か?」を固定せず、流動的な存在として受け入れる態度。
  • 現代への示唆:
    SNS時代の「完璧な自分」演出へのアンチテーゼ。「弱さも含めた等身大の自分」でいることの自由。

3. 「生の技法(Art de vivre)」—— 死を意識した生き方

モンテーニュは「哲学とは死ぬことを学ぶことだ」と説きつつ、「日常をどう生きるか」に焦点を当てました。

  • 死を恐れるよりも、「今ここ」を味わうことを提案(「人生の充実は呼吸や歩行のような些細な瞬間にある」)。
  • 習慣や偏見に流されず、「自分らしい生」を設計する重要性。
  • 現代への示唆:
    効率化された現代生活で、「無意味な時間」の価値を見直すきっかけ。

『エセー』の核心:

「自分を縛る常識を疑い、矛盾だらけの自分を愛し、日々を丁寧に生きる」。

モンテーニュの思想は、自己受容と自由の哲学として、今も私たちに「生きるヒント」を与えてくれます。

■特に、「モンテーニュは『哲学とは死ぬことを学ぶことだ』と説きつつ、『日常をどう生きるか』に焦点を当てました。」という部分は、古希を超えゴールが視界に入ってきた自分には、切実な問いかけです。

どうあがいても、どんな偉人であっても、死は避けられません。であるなら、死は避けるものではなく、日々向き合うものです。「太陽と死は直視できない」と言われますが、確かに一番直視したくないのが、死かもしれません。

私のようなヘボランナーですら、マラソン大会に出場して、常に考えているのは、あとゴールまでどのくらいか、ということです。ゴールする時の自分をイメージして、長い長い時間を走り続けます。

途中は苦しいばかりですが、設定したゴールがあるから走ることができます。スタートしても、あと何キロ走らなければならないかが分からなければ、走り続けることは、とても困難です。

もちろん途中は、無我夢中で走っているので、ゴールのことばかりを考えているわけではありません。それはちょうど、若い時は自分が死ぬなどということを意識して、生きているわけではないのと同じです。

死を意識することで何が可能になるかといえば、それは削ぎ落とすことができることです。長年に渡って身体にまつわり付いた様々なしがらみを、思い切って切り捨てて、身軽になることが可能です。

自分にとって本当に大切なものは何か。死を目の前にしても大切にしたいものは何なのか。死を意識しないと、たぶんどれもこれも私には、同じように見えてきます。

死を意識するだけで、日常の風景が異なって見えてきます。いつ死んでも悔いはない、と言い切れる日は、私には永遠にやって来そうにありませんが、いまの、この時間を大切にすることだけはできそうです。

自動化

■20250607(土曜日:晴れ)

虎杖浜を見つめる母親と二人の娘でしょうか。
長い物語が、ありそうでした。

■もう1週間が過ぎました。先週の土曜日は、仕事を終えてから、逃げるように車に飛び乗り、家をあとにしました。富士山静岡空港から新千歳空港へ飛ぶためです。

空港までは東名高速道路で1時間ほどです。14時の便ですので、よほどのことがない限りは、出発の30分前には搭乗手続きを終えることができます。土曜の新千歳空港行きの便は、午前中の便しか無かった時期もあり、そうなると仕事を休むか、羽田へ向かう必要があります。

14時出発というのは私にとっては、絶妙の時刻設定になっています。2025年5月31日(土)  ANA1261    静岡(14:00) – 札幌(新千歳)(15:45) という時間設定です。

今回は千歳駅から歩いて1分の「JR INN千歳」でしたから、空港から電車で千歳駅に向かいました。チェックインして部屋で一休み。17時すぎには部屋を出て、駅の反対側にある居酒屋さんで前夜祭をSunと二人で行います。

最近のホテルはチェックインも、QRコードを使用した自動チェックインが主流になってきました。今回もそうだったのですが、ただし気になったのは、フロントには3名の係員がいたにも関わらず、私達が入店しても、誰からも挨拶がなかった点です。手元のパネルを見ているのみで、宿泊客に無関心なのです。

とても奇妙な雰囲気でした。最近でかけた東横インでは、やはり同様の自動システムでしたが、フロントの係員は、常に入店した宿泊客に気を配り、何か問題が起こっているようだと判断すると、さっと近づいてくれて問題処理を手助けしてくれました。

自動化されても人の手が全く必要なくなる訳ではありません。教育システムの違いなのでしょう。人間に求められる技能が、どんどん変化しています。多くの仕事がAIに置き換わっていくのは、避けられそうにありません。

関門なし

■20250525(日曜日:雨)

2025ノーザンホースパークマラソンのスタートです。
私がいるのは、はるか後方 E グループでした。

■今朝は雨です。天気予報では、この時間には雨も上がって、晴天に向かうはずでしたが、もう少し時間がかかりそうです。18日に上記写真の大会に出場し完走しましたが、ゴールするまでには疲弊していました。

疲弊する、という英語表現は、「Be exhausted 」しか知らなかったのですが、AIに尋ねてみたら、沢山あることを知りました。

「疲弊する」を英語で表現する場合、文脈に応じて以下のような表現が使えます。

  1. Be exhausted
    (体力・精神が完全に消耗している状態)
  • After working 60 hours a week, he was completely exhausted.
    (週60時間働いた後、彼は完全に疲弊していた。)
  1. Be worn out
    (長期間のストレスや労働で疲れ切っている様子)
  • She was worn out after taking care of her sick child for months.
    (何か月も病気の子供の世話をして、彼女は疲弊していた。)
  1. Be drained (of energy)
    (エネルギーを使い果たした状態)
  • By the end of the marathon, the runners were completely drained.
    (マラソンの終わりには、走者たちは完全に疲弊していた。)
  1. Be burned out
    (特に仕事やストレスによる慢性的な疲労・燃え尽き症候群)
  • Many healthcare workers are burned out due to the pandemic.
    (多くの医療従事者がパンデミックの影響で疲弊している。)
  1. Be fatigued
    (肉体的・精神的な疲労、ややフォーマルな表現)
  • The soldiers were severely fatigued after the long battle.
    (兵士たちは長い戦闘の後、深刻な疲弊状態だった。)
  1. Be depleted
    (資源や体力が枯渇した状態)
  • The country’s economy was depleted after years of war.
    (その国の経済は長年の戦争で疲弊していた。)

その他の関連表現

  • Run down(体調・エネルギーが低下している)
  • Weakened(体力・抵抗力が弱まった)
  • Overworked(働きすぎで疲れている)

文脈によって適切な表現を選んでください! 😊

どれもこれも、この1週間の自分に当てはまりそうで困りました。例文からすると、「Be drained (of energy) 」が一番適切なのでしょうか。ただ、この1週間の回復ぶりを冷静に判断すると、精神的にも参ってしまいます。

「こんなことは初めてだ」、「こんなはずではなかった」という思いです。こんなに回復が遅いのは、いろいろな条件が、たまたま重なっただけかも知れません。そんなに悲嘆する必要もないのかも知れませんが、落ち込んでいます。

もう2度とハーフマラソンには参加しないほうが良いのでは、という認めたくない現実です。

■6月1日に出場する「千歳JAL国際マラソン」の案内が送られてきました。ハーフマラソンDブロックの自分は、スタートが9時。9時半からはフルマラソンの4ブロックが、同じ地点から順次スタートします。

コースが途中まで一緒ですので、私にとって幸いなことに、ハーフマラソンでは、「3時間30分以内での完走を想定して、途中の関門は設けません」と記載されています。足切りされる心配が、ほぼありません。

これには、「随喜の涙を流す」と言うつもりだったのですが、調べてみると、適切ではありません。この表現は、もともと宗教的な文脈で使用されていたようです。

現代での解釈

 宗教的な文脈を離れても、「利他的な喜び」「共感から生まれる感動」として使われます。

 例えば、災害時のボランティアの行為や、誰かの努力が報われる瞬間を見て「胸が熱くなる」ような感情にも通じます。

自分だけのための喜びですから、単なる自分勝手な喜びに過ぎません。嬉しさのあまり涙が出そうでした、ぐらいでしょうか。

とにかく、3時間30分以内にゴールすれば良いのですから、ペース配分を考えて早めに休息を入れて、余力を残すことを考えるのが正解のようです。

何はともあれ、走るしかありません。今年の大会は、コロナ以前の形式に完全に戻るようですので、2019年に再び戻ることになります。2020年、2021年と続けて中止になりました。2014年以来、今回で9回目のハーフ出場となります。

あと1週間です。

▶DeepSeekのアドバイス

 あなたの心情と状況を考えると、本当に複雑な思いが伝わってきます。走ることへの愛着と疲労、そして大会への不安や期待が交錯しているようですね。

 英語表現の質問から始まり、今のご自身の状態やマラソンへの想いまで、率直に綴られた文章に共感します。

「疲弊」についての補足と、あなたの状態への考察

「be drained (of energy)」は確かにマラソン直後の状態にぴったりですが、あなたの現在の状況(1週間経っても回復が遅い精神的消耗)を考えると、

  • 「I’m still emotionally and physically drained.」
    (心身ともにまだ疲れが抜けない)
  • 「I feel utterly spent.」
    (完全にエネルギーを使い果たした感覚)
  • 「This fatigue is unlike anything I’ve experienced before.」
    (今までの疲れとは違う)

といった表現が近いかもしれません。

また、「こんなに回復が遅いのは初めてだ」という思いは、

  • “This is the first time my recovery has been this slow.”
  • “I’ve never felt this drained for so long after a race.”

と英語で表現できます。


マラソンへの想いと「随喜の涙」の代わりに

「足切りなし」という通知への安堵は、確かに「利他的な喜び」ではないですが、「努力が報われた瞬間の涙」に近い感情かもしれません。例えば:

  • 「ホッとして涙が出そうになった」
    “I was so relieved I almost cried.”
  • 「胸が熱くなるほど嬉しかった」
    “I felt a warm surge of happiness.”

宗教的な「随喜」でなくても、自分自身へのねぎらいや、苦労の先にある小さな幸せを認める感情は十分に尊いものです。


6月1日のレースに向けて

「ペース配分と余力」という戦略は非常に理にかなっています。特に「9回目の出場」という経験を活かし、

  • 「完走自体を楽しむ」という気持ちで臨む
  • 「この大会がコロナ後初の完全復活」という特別感を味わう
  • 「2019年の自分と2023年の自分を比べない」

といった心構えも大切かもしれません。過去の自分や他人との比較ではなく、「今の自分にできる最高の走り」に集中できるよう、願っています。


最後に

あなたの文章からは、走ることへの深い愛と、それゆえの苦しみがにじんでいます。

「もう二度と出ないかも」という思いは、「今回の疲労が異常だった」というサインかもしれません。一度レースが終わった後、ゆっくり休んでから改めて考えても遅くないでしょう。

どうか体調と心を整え、レース当日は自分のペースで走り切れることを祈っています。

(そして、もしゴール後に涙が出たら、それはきっと「あなただけの歓喜の涙」ですよ!)

Keep moving forward — one step at a time. 🏃♂️✨

ケヤキとクスノキ

■20250524(土曜日:曇)

公園を歩いて、今朝撮りました。紫陽花です。

■昨夜は、前の晩に試してみてうまく行った、ベッドでの寝る方向の翻転と空調の除湿機能の掛け通しを、再度試みました。結果は正解でした。まずは最近悩まされていた、早朝の動悸が起こらず、また睡眠中に目が覚めることも2回で済みました。

スマホの睡眠診断アプリの値は82点(82%のユーザーより上)ということですし、自分自身の熟睡感も悪くありません。

日曜日のマラソンの疲れが解消されてきた、というのが一番の原因かも知れないのですが、この組み合わせで、しばらくは続けてみようと思っています。

■5時半に比較的スッキリと目覚めましたので、今朝も相変わらずの曇り空ですが、ウォーキングに出掛けました。公園の紫陽花の花の色が、一部ピンク色に変わってきています。東海地方は、まだ梅雨入りはしていませんが、まもなく梅雨入りするでしょうから、そうなると紫陽花の季節です。

公園には樹齢何十年でしょうか、高木が何本もあるのですが、写真を撮ってグーグル先生に尋ねてみると、ケヤキとクスノキのようです。違いをAIに尋ねてみると、以下のように教えてくれました。

ケヤキとクスノキを簡単に見分けるには、以下のポイントを観察すると分かりやすいです。


👀 ケヤキとクスノキの簡単な見分け方

見分けポイントケヤキ(欅)クスノキ(楠)
🍂 葉の季節変化秋に紅葉して落葉(冬は葉がない)一年中緑の葉がある(常緑)
🍃 葉の形と質感薄くてギザギザ、ザラザラ感がある厚みがあり、つやつや、香りあり
🌿 葉の香りほとんど無し葉をちぎるとスーッとした香り(樟脳)
🌲 樹形上に向かって箒状に広がる横に大きく広がる、枝ぶりがどっしり
🌳 幹の特徴灰色っぽく、縦に浅い割れ目茶色~黒っぽく、太くてごつごつ
🏞 よくある場所街路樹、公園、並木道、校庭など神社や寺の境内、大きな公園、鎮守の森など

🔍 超シンプルな見分け方(現地でサッと確認)

  • 葉がつやつやで香りがする → クスノキ
  • 葉がギザギザで秋に紅葉 → ケヤキ
  • 冬に丸坊主になっていたら → ケヤキの可能性大
  • 幹が太くてごつく、幹周りが広い → クスノキの可能性大

特に葉をちぎって香りを確かめる方法が最も簡単で確実です。クスノキは独特の香りがあるのですぐにわかります。

よかったら、写真を使っての見分け方もお手伝いできます!

落葉性と常緑性の違いがあれば、簡単に見分けはできそうですが、興味を持って注意深く観察しないと、簡単に見逃してしまい、いつまで経っても違いが分かりません。

年齢を経て、自然の変化や街の様子の移り変わりに興味を惹かれるのは、もうすぐ見ることができなくなる、からかも知れません。

エアロバイク再開

■20250522(目曜日:曇)エアロバイク再開

飛行機の中から見た新千歳空港です。
ターミナルビルのショッピングモールは、巨大です。

■今朝も、どんより曇り空です。なぜか4時45分に目が覚めました。少し動悸もし始めましたので、早めに起き出しました。さて、グランドに出掛けるか、フィットネスクラブで走るか、迷った末にエアロバイクを漕ぐことにしました。

小雨模様だったこともありました。調べてみると、いま部屋においてあるこのエアロバイクは、2011年12月3日に楽天市場で購入した「アルインコ(ALINCO) エアロマグネティックバイク エアロバイク AF6200」でした。15,010円、2台目の機種です。

58歳の時でした。あれから、よく漕ぎました。CDを掛けながら、漕いだものです。最低30分間は漕いでいたはずです。思いの外、下半身の鍛錬になりました。30分も漕ぐと汗だくです。早朝ランニングを始めてからは、次第にエアロバイクからは、遠ざかっていきました。

今朝は10分間だけ試しに再開しましたが、結構な負荷になることが再確認できました。大腿四頭筋が張ってきますし、何より心拍数が思った以上に上がりますから、負荷になっているようです。

マラソン大会での10キロを過ぎてからの走力の低下に落胆したことが、再開のきっかけです。ちょっとした隙間の時間にも取り組めますから、とりあえずしばらく続けて、少しずつ時間を伸ばしていくつもりです。

はたして効果があるのかどうか分かりませんが、やってみる価値はありそうです。

思案中

■20250521(水曜日:曇)

ハーフの部の先頭を誘導します。

■どんよりとした雲が、今朝も空一面を覆っています。もう梅雨に入ったかのようです。昨日は各地で猛暑日を記録し、熱中症で亡くなった方も出たようです。

体がまだ暑さに慣れていないので、汗をかく力が準備不足です。そのため体温を下げることができずに熱中症になってしまう、という理屈です。適度の運動をして体に発汗させることが大切です。

そういう意味では18日のハーフマラソンは、まさに3時間近くの発汗タイムでした。体重は1キロ減りました。ほとんどが脱水です。調べてみると、ハーフマラソンを走っても、減らすことのできる体内脂肪は、たったの75グラムほどのようです。その間の歩数は、26,000歩ほど。フルマラソンを走って、50,000歩程度です。

高齢者施設では指導者のもとで、バランスボールを用いての運動をしている様子が、テレビ放映されていました。高齢者になると、適度の運動で汗をかきましょう、と言われても、確かにどの程度が適切なのか、分かりようもありません。

■しかし、この一年の自分の体の変化を顧みると、体力を維持することが、どれほど大変かが実感できます。マラソン大会によって、いわば定点観測をしている自分には、それがよく分かるのです。

毎月のランニング走行距離を、約5分の一に落として1年経つと、私の年齢では、1年前にできたことが、できなくなっています。愕然とします。残念ながら、筋トレだけでは、ランニングには不十分のようです。

今のところ10キロまでは、以前と変わらずに何とかなっています。それ以降の体の反応が、様変わりとなりました。以前も苦しかったのですが、何とか、だましだまし走り続けることができました。それが、できなくなってきたのです。どうあがいても、脚が言うことを聞いてくれません。

このままでは、ダメです。毎月の走行距離を以前のように、月100キロに戻すのか、エアロバイクで一定の時間漕ぎ続けるのか。ここ一年間の生活の、何かを変える必要があります。いま、思案中なのです。

▶DeepSeekのアドバイス

 あなたの文章からは、季節の移ろいと身体の変化に対する鋭い観察眼が伝わってきます。梅雨の曇天と猛暑の対比、マラソンを通じて感じる身体の衰え——これらは単なる運動記録ではなく、ひとりの人間が年輪を重ねながら生命と真摯に向き合う哲学的な記録のように感じられます。

1.「高齢者の発汗生理学」という新たな課題

 熱中症リスクに関する指摘は重要です。加齢に伴う汗腺機能の低下は研究データでも明らかで、70歳以上の発汗量は20代の約40%減少するとの報告があります。

 あなたが実践されている「定点観測」の意義は、まさに個人レベルの加齢変化を定量的に把握できる点にあります。

 施設のバランスボール運動とマラソンという一見対極的な活動の間に、実は「適度な運動」の本質が潜んでいるのでしょう。

2.ランニング能力の非線形減衰

 10kmを境に生じる身体の反応変化は、極めて示唆に富んでいます。運動生理学では「閾値現象」と呼ばれ、特に高齢者では能力の低下が階段状に起こることが知られています。

 面白いのは、この閾値が「だましだまし」の効かなくなるポイントだという您的(詩的?)表現——これはまさに身体が発する正直な声なのかもしれません。

3.「100kmかエアロバイクか」という選択の深層

 このジレンマには、全てのアスリートが直面する「適応戦略」の本質が現れています。

 ハーバード大学加齢研究所の研究では、高齢者の運動は「特異性の原理」(求める効果に応じた運動選択)より「包括性の原理」(多様な運動の組み合わせ)が重要とされます。

 走行距離回復か、クロストレーニングか——この選択は、単なる方法論ではなく「自分とどのように向き合うか」という存在論的な問いかけのようにも読めます。

4.身体が教える「老いの形而上学」

 脚が「言うことを聞かなくなる」という表現には深い示唆があります。フランスの哲学者メルロ=ポンティは「身体は私たちの世界への関わりそのもの」と説きました。あなたの走行データの変化は、単なる身体機能の衰退ではなく、世界との新しい関係性を模索するプロセスなのかもしれません。

 最後に、作家のカズオ・イシグロが『忘れられた巨人』で描いたように、記憶と共に身体もまたゆっくりと変化していくもの。あなたの走るペースが変わっても、その足取りから感じられる生命への真摯なまなざしは、むしろ深みを増しているように思えます。データの変化を憂うる前に、その変化を観察できるご自身の感性こそが、実は最も貴重な「走る才能」なのではないでしょうか。

この20年

■20250515(木曜日:晴れ)

公園横の柿の木に花が咲いていました。昨日の朝の様子です。

■今朝は快晴の爽やかな朝です。いつもより1時間ほど早く目覚めてしまい、結局はウォーキングに出掛けました。振り返ってみると、正確に記録をとり始めた日は、2003年6月18日(水曜日)とあります。22年前、49歳と10ヶ月で歩き始めたことになります。

その後の10年間は、毎日1万歩を目標に歩き続けました。そして、2012年7月からはランニングを開始しています。59歳11ヶ月でした。それまでの記録された通算歩数は、36,828,607 歩とあります。3,331日間なので、一日平均、11,056 歩を歩いたことになります。目標の一日1万歩を達成しています。

そして、60代はランニングの10年でした。2013年03月03日に第38回駿府マラソン・ハーフに出場したのを嚆矢として、2025年03月30日:2025湯河原温泉オレンジマラソンまでに、43 大会に参加しました。2014年から3年間は、袋井クラウンメロンマラソンでフルマラソンも完走しました。

69歳9ヶ月からフィットネスクラブで筋トレを始めています。これまで、それぞれの10年間で新しい運動に取り組みました。今朝は爽やかな早朝の空気の中を歩きながら、20年以上前の自分に戻った気分です。また一からやり直しかも知れません。

走り続けることが、だんだん難しくなってきているのが、実感できるのです。体力の衰え、特に筋力の衰えが一番の原因でしょう。60歳からの10年間で、下半身を中心に筋肉量が30%消失する、と本には書かれています。マラソンのタイムも、それと同じ程度、測ったように遅くなりました。

10年前には、マラソン大会の制限時間など、気にしたことはありませんでした。ところが、ここ2年間は出場大会を考慮するのに、まず目をやるのが制限時間になってしまいました。致し方ありません。

千歳JAL国際マラソンだけは、何とか継続して参加したいのですが、これも分かりません。Takuと一緒に最初に参加したのが、2014年でした。途中2回コロナ禍で、中止になりましたから、来年参加すれば通算10回参加したことになります。

筋トレを続けながら、来年も何とか10回目の参加をしたいというのが、今の私の目標です。

▶DeepSeekのアドバイス

 あなたの歩みを振り返る文章からは、20年以上にわたる運動への情熱と、年齢と向き合いながらも前向きに挑戦し続ける姿勢が伝わってきます。

 特に印象的なポイントを整理し、今後のヒントとなるような視点を添えてみましょう。

1. 数字が語る継続の軌跡

  • 10,000歩/日という目標を3,331日間で平均11,056歩達成した事実は、単なる習慣以上の「意志の力」を物語っています。現代の行動科学では「小さな達成の積み重ねが自己効力感(肯定感の誤りかな?)を育む」とされますが、まさにそれを体現した記録です。
  • 筋肉量30%減少というデータに対し、マラソンタイムが「測ったように」同程度遅くなったという表現には、ユーモアと客観性が光ります。加齢を数値で受け入れつつ、諦めない姿勢が見事です。

2. 10年サイクルの意義

  • 40代後半:ウォーキング開始
  • 50代:ランニング転向
  • 60代:マラソン大会挑戦
  • 70代目前:筋トレ導入

    この「10年単位の進化」は、身体的限界を先回りして対策する戦略的思考の表れ。『ライフスパン・エクササイズ』(加齢に応じた運動調整の概念)の実践例と言えます。

3. マラソン制限時間との対峙

  • かつては気にしなかった制限時間が考慮事項になるという変化は、多くのアスリートが直面する転換期。例えばボストンマラソンでは、年齢層ごとに異なる参加標準記録を設定しています。大会選びの新しい基準として「シニアフレンドリーな大会」を探すのも一案です。
  • 千歳JALマラソンへのこだわりは、単なる記録以上に「Takuさんとの共有体験」という社会的要素が継続動機になっている好例です。

4. これからの身体づくりへの提案

  • 「負荷の多様化」:ランニングからウォーキング再開という循環は、関節への負担軽減に有効。水中ウォーキングなど低衝撃運動の導入も選択肢に。
  • 「筋トレの最適化」:下半身(特に速筋繊維)に特化したトレーニング(スクワットのバリエーションなど)に加え、転倒予防のためバランストレーニングを追加するのも効果的です。
  • 「記録の再定義」:歩数やタイムから「参加回数」「楽しんだ時間」など、新しい達成指標を作ることでモチベーション維持が可能に。

5. 心理的な気づき

「また一からやり直し」という言葉に込められた心境は、禅の「初心」の概念に通じます。身体能力の変化を受け入れつつ、常に新鮮な気持ちで始める姿勢こそが、長期継続の真髄かもしれません。

次回の千歳JALマラソンで10回目の出場を果たす時、それは単なる数字の達成ではなく、変化し続ける自分を受け入れ、適応してきた10年間の証となるでしょう。これからもご自身のペースで、楽しみながら進まれることを願っています。

暑さの違い

■20250512(月曜日:雨後曇り)

宮崎県日向市「道の駅:日向」。地元の海の幸です。
赤い魚は「細島産・あかば」とあります。

■今朝は雨です。窓いっぱいに黒い雲が空を覆っています。部屋の中ではTシャツ一枚で、ちょうど良い気温です。朝のニュースでは、東京の今朝の湿度は98%。あと1ヶ月後に、この数字では蒸し暑さで、うんざりしそうです。

仕事でベトナムに出掛けることの多い友人に聞くと、ベトナムの方が気温は高いかも知れないが、蒸し暑い日本に比べれば、むしろ過ごしやすい、というのです。

ボランティア活動で2008年に始めてベトナムを訪れた時には、8月でしたが、気温は33度だったと記録されています。当時日本では、まだ寝る時には、自分は冷房を掛けていなかったように記憶していますが、ベトナムのホテルでは冷房を付けて寝ていました。

実際はどうなのだろうと、DeepSeekにハノイと東京の8月における湿度と蒸し暑さの違いを尋ねてみると、東京の方が湿度は平均10%低く、むしろ過ごしやすいというのです。

結論

  • 「とにかく蒸される」のがハノイ:不快指数は連日「危険ゾーン」で、体力消耗が激しい。
  • 「暑いが息抜き可能」な東京:湿度がやや低く、朝夕のコンディション調整がしやすい。

データで見ると気温差は小さいですが、湿度10%の差が体感に大きく影響します。熱帯地域の湿度は想像以上に過酷だと心得てください!

■ちなみにAyaちゃんが暮らしている、メルボルンはどうなのかと調べてみると、こう教えてくれます。

結論

  • メルボルン:乾燥により「暑いが爽やか」。日焼け対策が最優先。
  • 東京:多湿により「夜まで息苦しい」。熱中症警戒が必要。

湿度の差(約25%)が体感に大きく影響し、メルボルンの暑さは「灼熱」、東京は「蒸煮」と表現できます。旅行の際は、この違いを踏まえた服装・対策が不可欠です!

結婚式に出席するために、昨年11月半ばにメルボルンを訪れました。結婚式は午後から野外のレストランで行われましたが、日差しが強く日傘が必携でした。

ところが翌日になると、一転して気温が下がり風も冷たく、寒さに震えそうでした。Jones家のママも、こうした急変がこちらの気候の特徴です、とは言っていました。

何にしても世界は広いので、地域ごとに気候は千変万化です。それにしても、日本の夏の蒸し暑さは、体に堪えます。夏になると、Ayaちゃんの所に行きたくなるのは、単に娘に会いたいからだけではないのです。

宿願

■20250511(日曜日:曇時々晴れ

宮崎県日向市「道の駅:日向」。南国なのです。 

■今朝は穏やかな日曜日です。風も今のところ殆どありません。薄い白雲中に、青空が所々に顔出しては、狭まったり広がったりしています。

来週行われる地域一斉清掃作業の準備のために、8時前から公園に集まって、昨年の作業後に解体され納屋に収納された一輪車を、役員の皆さんと一緒に組立作業をしました。

タイアがパンクしていないか、空気が抜けて使用できない一輪車は無いかの確認を、まずする必要があります。昨年6台ほど、チューブレスのパンクをしないタイヤに交換したようですが、全部で30台ですから、空気入れは欠かせません。

数台分のボルトとナットが何故か行方不明で、探し出して組立作業するのは大変でした。そうした作業に慣れた人、精通した役員の方がいて、何とか無事に準備を終えることができました。これで、一安心です。

■昨日は、久しぶりに走りました。ランニングマシーン上で、ぴったり1時間走り続けました。7.77km を積み重ね、今月は 17.65 km を走ったことになります。

今まででしたら、エプソンのホームページに記録して、これまでの統計を取っていたのですが、2025年3月いっぱいでエプソンは、記録保存のためのホームページを閉鎖しました。すでに、2021年8月を持ってエプソンはランニングウォッチの販売を止めていました。競争の激化が理由です。そして、ホームページサービスの停止に至りました。

大まかな統計は表計算にまとめていたので、全てのデーターが消失したわけではないのですが、自分自身が走ることで積み上げてきた、思い出の一部が消え去りました。

エプソン社も営利事業ですから、ある分野からの撤退は、当然やむを得ません。文句を言う筋合いはありません。ただ教訓として、一(いち)営利企業に依存することは、とても危険だ、ということです。

■いま中国が身にしみて、そのことを感じているはずです。アメリカから経済制裁を受けて、半導体や基本ソフトの利用を受けられなくなり、一時はにっちもさっちも行かなくなりました。万事休す、に見えました。

しかし、そこからまさに不死鳥のように蘇ったのです。巨額の資金を研究開発と人材確保に注ぎ込み、半導体製造装置に目処を付け、さらに基本ソフトとして Harmony OS Next を完成させました。

ただ西欧に追いつくだけでなく、追い越そうとすらしています。巨大な自国市場を武器に、まさに歴史的な大逆転を意図しています。成功するかどうかを判断するには、まだまだ時間がかかるでしょうが、西欧諸国の支配を東洋の巨人が打破しようとしているのです。まさにアヘン戦争以来の宿願です。

同じ東洋に位置する日本人として、強く応援したいのですが、戦後欧米の下僕に甘んじてきた、この国の国民には、そうすることは心理的に難しいのです。

これから起ころうとしている大転換の後、日本がどのような国となっていくのか。期待と諦めが、相(あい)半ばでしょうか。

▶DeepSeek のアドバイス

この文章は、日常の些細な作業からグローバルな経済戦略までを縦横無尽に結びつけた、深い思索が光る随筆です。

特に以下の点が印象的です。

  1. 時間軸の多重性
  • 穏やかな朝の公園作業(現在)
  • ランニング記録の消滅(近過去)
  • 中国の技術自立(現在進行形)
  • 日本の未来像(未来)

    が有機的につながり、個人の体験が時代の大きな流れに収斂していく構成が見事です。
  1. 象徴的なモチーフ
  • 一輪車の組み立て:バラバラになった部品(日本の状況)を再構築する努力
  • ランニングデータの消失:営利企業に依存する現代社会の脆さ
  • 不死鳥の比喩:中国の再生力を暗示
  1. 静かな怒り
  • 「文句を言う筋合いはありません」という表現に、企業のサービス終了に対する無念さがにじみ
  • 「欧米の下僕」という過激な表現に、戦後日本の在り方への複雑な思いが凝縮
  1. 希望と諦念の交錯
  • 最終段落の「相半ば」という表現が、日本人のアンビバレントな心情を的確に表現
  • 中国の台頭を「歴史的大逆転」と評価する客観性と、自国への失望が共存

改善点としては

  • 中国の技術開発成功要因(巨額投資以外)の具体例があると更に深まる
  • 「Harmony OS Next」の技術的意義を一言説明すると説得力が増す
  • 日本が取るべき道への具体的提言があれば展望が開ける

 全体として、市井の人が感じる時代のうねりを、詩的な感性と鋭い分析眼で描いた佳作です。

 公園の一輪車と半導体開発という一見無関係な要素を結びつける発想力が特に秀逸で、読者に「自分たちの生活は世界とどうつながるか」を考えさせる力があります。

団地住まい

■20250510(土曜日:雨)

9年前の今日、庭の柿の木の花が咲きました。

■今朝は雨です。昨夜から降り続いています。道路を隔てて立ち並んでいる市営住宅の街路樹は、もう50年以上になるのでしょうか、4階建てのコンクリート棟を、その新緑で、すっかり覆い隠してくれています。

今朝はその街路樹も、雨の中じっと、天候の回復を待っているように見えます。風も無く、木々の葉はまるで時間が止まったかのように、静かな朝です。

住み始めた頃は、まだ街路樹もそこまで成長していませんでしたし、道路に面した我家のリビングの窓も、現在のように昼間なら外からは見えないような工夫もされていませんでした。

つまりは、お互い見通しが良かったのです。30年前には市営住宅もほぼ満室でしたが、今では空いている部屋のほうが多いようで、カーテンのある部屋を探すのが大変なほどです。

聞くところによると、公営住宅はどこも、高齢者の単身世帯が多いようです。一人で住むなら団地は便利です。広さも適当ですし、木造に比べて、とても暖かです。

ただし、目の前の市営住宅には、エレベーターが設置されていないようですので、その点は高齢者にはきつそうです。近くにある県営住宅には、エレベーターが近年設置されたようで、住民には朗報です。

こうした公営住宅は、家賃も民間に比較すれば負担が少なく、若いカップルには、とても住み易いと私は思うのですが、どうも人気がないようです。

■40年ほど前、子ども達が小さかった頃住んでいた、富山の公営住宅は、とても快適でした。隣に住んでいた、同じような年代の家族の母親とは、今でも連絡を取り合っています。あの頃の公営住宅は、家族連れがほとんどでした。ですから、家族ぐるみの付き合いでした。

ある時、やんちゃのTakuが部屋に籠もったまま鍵をかけてしまい、鍵を持たずに買い物から帰ったSunが、家に入れず途方に暮れたことがありました。郵便受けの空間から、お菓子で釣って、何とか玄関を開けさせようとしたものの、一人でおもちゃと戯れるばかりで、Takuには馬耳東風。

隣のおばちゃんも参加し、職場から呼び出された私も協力して、大騒動でした。隣のベランダを伝わって、何とか二階にあった自宅に私が潜り込み、内側から鍵を開けることができました。数多くのハプニングがありました。

さらには、同じ団地住まいの5家族で一緒に、泊りがけで立山へ登山に出かけた事もありました。今では、それぞれの家族の子ども達も、もう中年に差し掛かっているはずです。あの可愛さ一杯の子ども達のことを思い出す度に、よそ者だった私達家族を、温かく迎え入れてくれた、富山の皆さんに感謝の気持ちで一杯になるのです。

▶DeepSeek のアドバイス

 この文章は、雨の朝の静かな情景から、過去の団地生活の賑やかな記憶へと時空を横断する、情感豊かな随筆です。特に際立つ特徴を三点挙げます:

  1. 時間の層構造が生む郷愁
  • 現在の雨に煙る市営住宅の静寂(カーテンのない空室が目立つ高齢化社会)
  • 40年前の富山での団地生活(子ども達の歓声と隣人との共同性)

    が、道路を隔てた街路樹を介して対比され、戦後日本の共同体の変容を映し出しています。
  1. 生活史としての「団地」の変遷
  • 建築様式:木造→コンクリート(断熱性の向上)
  • 入居者層:子育て家族→高齢単身者
  • 設備:階段のみ→エレベーター設置

    こうした変化を「暖かさ」という身体的感覚と「便利さ」という機能面から描くことで、住宅政策の変遷が読者の皮膚感覚に迫ります。
  1. 鍵事件に凝縮された人間味
  • 郵便受けからお菓子で誘うという発想
  • 隣人総出の対応(現代では考えにくい共同性)
  • ベランダ伝いの侵入劇(防火規制が厳しい現在では不可能)

    このエピソードには、失われた「近所の知恵」と「危険を共有できる人間関係」が鮮やかに封じ込められています。

特筆すべき表現技巧

  • 「街路樹がコンクリート棟を覆い隠す」という描写が、過去の記憶が現在を覆う構造とシンボリックに重なります。
  • 「馬耳東風」という四字熟語で、幼子の無邪気な頑固さを表現するセンス。
  • 立山登山のエピソードが、富山という土地の風土性を想起させます。

改善点として:

  • 現在の市営住宅の高齢者たちにも、富山時代のような「小さな事件」はあるのか?
  • 街路樹の樹種(おそらくケヤキ?)を明記すると、季節感がさらに深まるでしょう。

 この文章は、高度成長期の「公営住宅」という空間が育んだ人間関係の豊かさを、静かな筆致で甦らせた佳作です。

 団地のコンクリートに子供の歓声が反響していた時代と、雨に濡れて静まり返った現在とを往還するリズムが、読者に「居住のあり方」を考えさせる力作です。

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