2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

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検査結果

■20260226(木曜日:晴れ) ( D 166 )

2023年3月5日にAyaとBenと3人で食べた名古屋の「ひつまぶし」です。

■今朝は青空です。昨日の雨で今朝の富士山は、ま白き富士になりました。朝日を浴びて、見事な姿を見せてくれています。やはり富士山は、こうでなくてはいけません。

■今日は1月に行った、がんセンターでのがんドックの結果を聞くために、仕事を休んで出掛けます。担当の先生と話をしていて、3年前に受けた大学病院での人間ドックの結果を持参することになり、自分でも再度、その結果を見直してみました。

その際は、PET検査も含めて全て特に問題ない、という説明でしたので、ざっと検査結果を見ただけでしたが、自分自身で再度確認してみると、こんな検査もしていたのだ、と少し驚いたほどです。

骨密度はもちろん、頸動脈の超音波検査など、動脈硬化所見の精査は受けなければいけないと思っていたのですが、その時すでに検査済みとは気付きませんでした。

さて、今日はどんな結果を告げられるか心配なのですが、こればかりは開き直るしかありません。

初戦の案内

■20260222(日曜日:曇り) ( D 170 )

2023年2月の伊豆半島です。原海岸の堤防から撮りました。

■今日は日曜日、そして明日は天皇誕生日と世間は連休です。2年前から月曜日を休診としてからは、日曜日に安心して、マラソン大会にも参加できるようになりました。それまでは、日曜日に走っても翌日は仕事でしたので、休む暇がありませんでした。

それでも何とかなっていたのは、単純に若さのおかげだったのでしょう。とは言っても、初めてフルマラソンを完走したのが、61歳4ヶ月の時でしたから、もう還暦を過ぎていたのです。大会に参加するのが楽しくてならない、60代の10年間でした。

■3月8日に参加する小田原尊徳マラソンの案内が、昨日送られてきました。ビブスや記録チップなど一式です。今年で3回目の出場です。ゲストランナーは東洋大学陸上部となっています。

朝早く家を出て、東海道線、小田急線を乗り継いで小田原まで行きます。螢田駅から歩いて15分ほどの小田原アリーナが会場です。昨年はハーフの部に出場しましたが、今年は無理をせずに 10 km の部にしました。10キロ60歳以上男子の出場選手数は、250名弱のようです。

昨年出場したハーフ60歳以上男子では、151 人中 121 位の成績でした。完走しただけで、私の場合は上出来です。

コースは酒匂川沿いの土手を走ります。制限時間は、10キロの部、ハーフの部が、それぞれ90分、170分です。昨年の私の記録を確認すると、ハーフの部で 163 分 04 秒ですから、ギリギリカスカスでした。15キロを過ぎてからは、本当に苦しい時間ばかりでした。

それでも完走した時の達成感は、何物にも代えがたい、そして得難いものです。完走できるのだろうか、という不安感一杯のスタートラインから、疲れや寒気や、時には脚の痙攣などに襲われながら、何とかゴールした時の安堵感は、何度経験しても貴重なのです。だから苦しくても止められないのです。

今年の初戦は横浜での大会でしたが、父の法事と重なってしまい、出場が叶いませんでした。今年は、この小田原が初戦になります。一年間、とにかく無事に全ての大会で完走できるように、体調管理に努めるつもりです。

こうして大会案内が送られてくると、さて走らなくては、と背中を押されるのです。今日もこれから、1 時間の LSD をする予定です。

さて、どうなりますことやら。

人生50年時代

■20260211(水曜日:雨) 建国記念の日 ( D 180 )

2020年2月に出掛けたさっぽろ雪まつりの様子です。
たくさんの出店が並んでいました。

■今日は久しぶりのまとまった雨です。太平洋側では、あまりの少雨のために、ダムの貯水量が激減し取水制限が行われています。午前中いっぱいは降り続くようですから、恵みの雨になってくれると良いのですが。

■6年前の写真を見ながら、当時のことを思い出していました。サホロでスキーを楽しんだ後に、電車で戻り新札幌駅前に宿を取り、雪まつりを見に出かけたのです。

ある区画では、鍋の素を販売している会社がスポンサーとなって、鍋料理を無料で提供していました。お椀一杯いただきました。たまたま、東京から仲間と一緒に来ていた大学生の皆さんと話すことができました。

まさに青春真っ盛りの頃です。男女揃って楽しそうに話をしていましたが、もう皆さん社会人になっているはずです。この6年の歳月は、あの若者たちの毎日を大きく変えたに違いありません。私にとっても楽しい思い出です。

■今朝のNHKの朝ドラを見ながら、意外なことに驚きました。小泉八雲といえば松江と反射的に連想してしまうのですが、14年5ヶ月のうち、実はたったの1年半しか松江には住んでいません。この事実は、松江の小泉八雲記念館で知りました。

しかし松江を離れた理由が、冬の間の寒さに耐えきれなかったから、という事を今朝のドラマで初めて知りました。おそらく事実なのでしょう。松江には私も何度か行き、小泉八雲記念館も見学しましたが、寒さに耐えきれず松江を離れた、という記載は目にしませんでした。

当時の日本では、蒸し暑い夏に耐えられるように、風通しの良い木造住宅でしょうから、冬の寒さは現在では考えられない程の厳しさだったと思われます。

しかも調べてみると、彼は生まれてから日本に来るまで、寒さ厳しい地に住んだことが無さそうなのです。

以下は、QwenChatからの引用ですが、

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、1890年4月に日本に来るまで、以下のような地域で暮らしていました:

1. ギリシャ(出生)

  • 1850年6月27日、ギリシャ西部のイオニア諸島・レフカダ島(レフカス島)で生まれる。父親はアイルランド系イギリス人軍医、母親はギリシャ人。[[29]]

2. アイルランド(幼少期〜思春期)

  • 2歳の頃(1852年)、アイルランドのダブリンに移り、大叔母に育てられる。[[32]]
  • 両親から事実上見捨てられ、アイルランドで孤独な少年時代を過ごす。[[45]]

3. イギリス・フランス(教育期)

  • イギリスとフランスでカトリックの教育を受ける。[[27]]
  • 16歳の頃、遊戯中に左目を失明するという不幸な出来事も経験する。[[32]]

4. アメリカ合衆国(青年期〜壮年期)

  • 1869年(19歳)、経済的困窮を理由にアメリカへ渡航。[[36]]
  • シンシナティ:約8年間(1869〜1877年)を過ごし、新聞記者として赤貧から這い上がる。[[39]]
  • ニューオーリンズ:1877年から約10年間(1877〜1887年)、ルイジアナ州ニューオーリンズで新聞記者・編集者として活躍。クレオール文化に深く触れ、『クレオール料理の本』などを執筆。[[43]]

5. 西インド諸島・マルティニーク(短期滞在)

  • 1887〜1889年、フランス領マルティニーク島に約2年間滞在。この経験をもとに『マルティニークの二夏』(Two Years in the French West Indies)を執筆。[[47]]

日本行き

  • 1889年、ハーパーズ・マガジンの依頼で日本取材の旅に出発し、1890年4月に横浜に到着。以後、日本で生涯を終えるまで暮らす。[[41]]

ハーンは「西へ西へ」と移動を続け、一度も故郷に戻ることなく、40歳でようやく「心の故郷」となる日本にたどり着きました。[[31]]

以上の記録から見ると、フランスで厳しい寒さに出くわした可能性はありそうですが、あとは比較的暖かな地域のようです。それが日本に来て、最初の冬が松江となると、辛かったことは想像できます。暖房器具も不十分です。重ね着をしても限界があります。

日本での引っ越しの様子を調べると、以下のとおりです。

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、1890年(明治23年)4月に来日し、1904年9月に亡くなるまで約14年5ヶ月日本に滞在しました。地域別の滞在期間は以下の通りです:

滞在地域と期間

  1. 島根県松江市:1890年4月〜1891年10月(約1年半)
  • 来日直後、松江藩士の武家屋敷に住み、枯山水の庭を愛でるなど日本的生活を送りました。[[6]]
  • 1891年1月に松江の士族の娘・小泉セツと結婚し、同年6月に別の武家屋敷に転居、約5ヶ月を過ごしました。[[14]]
  1. 熊本県熊本市:1891年11月〜1894年10月(約3年)
  • 第五高等学校(現・熊本大学)の英語教師として赴任し、最初の1年は手取本町の家に居住しました。[[11]]
  • 長男が誕生するなど、家族生活を送りました。[[12]]
  1. 兵庫県神戸市:1894年11月〜1896年8月(約2年)
  • 神戸クロニクルなどの英語新聞で記者業と著述活動に従事しました。[[9]]
  1. 東京都:1896年8月〜1904年9月(約8年)
  • 1896年に日本に帰化し、「小泉八雲」という日本名を正式に採用しました。[[7]]
  • 東京帝国大学で文学の教授を務め、『怪談』などの代表作を執筆し、1904年9月に東京で亡くなりました。[[15]]

ハーンは日本各地で異なる生活を送りながら、日本の文化・風俗を深く理解し、『知られぬ日本の面影』『怪談』などを通じて世界に紹介する重要な役割を果たしました。

静岡県民にしてみると、ここで、あれっと思うはずです。焼津に「小泉八雲記念館」が、あるではないかと。と気付いて調べると、焼津は夏の避暑地だったことが分かります。

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、焼津に連続して何年も住んでいたわけではありません。焼津は彼にとって避暑地・バカンス地であり、以下のような短期滞在でした:

焼津滞在の実態

  • 初めて訪れたのは1897年(明治30年)8月4日で、妻セツや子どもたちを伴い、焼津の旅館「秋月楼」に約1週間滞在しました。[[3]]
  • その後、1897年から1904年(没年)までの間に計6回、夏の避暑として焼津を訪れました。[[10]]
  • 毎回の滞在期間は数週間〜2〜3ヶ月程度の短期間で、本拠地はあくまで東京(1896年8月〜1904年9月)でした。[[20]]
  • 焼津では魚屋・山口乙吉の家を借りて夏を過ごし、駿河湾の荒々しい海での水泳を楽しみました。[[19]]

補足

  • 1968年(昭和43年)9月16日に焼津の家は解体され、現在は愛知県犬山市の「博物館明治村」に移築・保存されています。[[4]]
  • 焼津市には「焼津小泉八雲記念館」があり、彼の焼津での足跡や作品を紹介しています。[[11]]

つまり、焼津に「何年間住んでいたか」という問いに対しては、「長期滞在はなく、6回の短期避暑滞在」が正確な答えです。彼の日本での主な居住地は松江(約1年半)、熊本(約3年)、神戸(約2年)、東京(約8年)でした。

■さて最後に思い出すのが、熊本、東京で同じように英語あるいは英文学を教えた日本人がいました。そうです夏目漱石です。

夏目漱石は、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の後任として、1903年(明治36年)4月に東京帝国大学文科大学英文科の講師に就任しました。ただし、正確には「教授」ではなく「講師」としての就任です。

詳細な経緯

  • 小泉八雲は1896年8月から東京帝国大学文科大学の英文学講師として勤務していましたが、1903年1月15日に学長・井上哲次郎名で解雇通知を受け、同年3月31日に正式に退職しました。[[47]]
  • 解雇の理由は、帰化していたにもかかわらず「お雇い外国人」並みの高給を受けていたことや、講師の身分でありながら長期休暇を取得していたことなどが挙げられています。[[50]]
  • その後任として、1903年1月にイギリス留学から帰国したばかりの夏目漱石が、同年4月に第一高等学校嘱託と東京帝国大学英文科講師に同時に就任しました。[[37]]
  • 当時の学生からは、情緒豊かで人気の高かった小泉八雲の講義と対照的に、漱石の理論的・知識詰め込み型の講義は不評だったという記録もあります。[[14]]

補足

  • なお、熊本の第五高等学校でも、小泉八雲の後任として夏目漱石が赴任しています(1896年4月)。[[65]]
  • 漱石は1907年(明治40年)に東京帝国大学を辞職し、朝日新聞社の専属作家となって以降は作家業に専念しました。[[37]]

したがって、正確には「小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の後任として講師に就任」が事実です。漱石は東京帝国大学で「教授」には昇進していません。

なかなかに興味深い偶然です。共通するのは、どちらも還暦を迎えることができなかったという事実です。人生50年の時代でした。

健康診断

■20260126(月曜日:晴れ) ( D 196 )

お隣さんの庭の梅の花です。

■相変わらずの晴天です。昨日は午前中にフィットネスクラブで筋トレの後、久しぶりにランニングマシーンで、 1 時間走りました。1 時間 2 分54秒、 6.77 km を走り、今月は 30.14 km を積み重ねました。22 日以来ですので 3 日ぶりです。

体調が良かったのか、走っていても気持ち良く時間が経過しました。いつもの筋トレルーティーンをこなした後でしたので、途中で体力が尽きるかと心配したのですが、杞憂でした。

有酸素運動としての LSD ですから、ゆっくりペースなのですが、それでも続けられないようでは、10キロ走はおろか、ハーフマラソンなど、まず完走できそうにありません。

すこし自信を取り戻しました。

■さて、二日がかりの健康診断です。どうなりますことやら。

ab workout

■20260122(木曜日:晴れ) ( D 198 )

2025年6月1日に参加した千歳JAL国際マラソン。
完走後に送迎バス乗り場に向かうランナーたちです。

■今朝は冷えています。埋立ごみの日ですので、朝食を終えて集積場へ運んだのですが、昨日までとは寒さが違いました。北陸、東北地方では大雪の予報が出ています。

■さて昨夜は久しぶりにフィットネスクラブへ出掛けました。夕食後ですので、時間帯的に混雑していました。いつも使用しているスミスマシンも最初は使用できませんでしたが、腹筋運動などをしている間に空きました。

いつもより軽めに短時間で終えて帰宅しましたが、自宅でブルガリアンスクワットを続けていたおかげか、スムーズに終えることができましたが、腹筋運動はきつかったです。傾斜付きの台での 30 回 x 2 クールで昨日は止めました。

ところで、いわゆる腹筋運動といっても、色々種類があるようで、DeepSeekに教えてもらいました。

「腹筋運動」は英語で、abdominal exercise もしくは core exercise が一般的な総称です。ただし、文脈によって使われる具体的な表現が異なります。

以下に分類してご説明します。

1. 総称として「腹筋運動」を指す場合

  • Abdominal exercises (腹部の運動)
  • Core exercises (体幹の運動)
    • 「体幹トレーニング」に近く、腹筋だけでなく腰や背中の筋肉も含む概念です。
    • 最も一般的で、フィットネスの場面で広く使われています。
  • Ab workout (腹筋トレーニング)
    • 「ab」は「abdominal muscles」の略語で、カジュアルな会話やSNSでよく使われます。

2. 特定の種目を指す場合

一般的に「腹筋運動」と言ってイメージされる、仰向けで上体を起こす運動は、特定の名前で呼ばれます。

日本語名英語名説明・備考
シットアップSit-up足を固定し、完全に上体を起こす運動。近年は腰への負担が懸念され、指導者が推奨しないこともあります。
クランチCrunch足を上げ、背中を丸めるようにしておへそを見る運動。腹直筋上部に効きます。最も一般的な種目です。
レッグレイズLeg raise足を伸ばしたまま上げ下げする運動。腹直筋下部に効きます。
プランクPlank腕立て伏せのような姿勢で静止する運動。体幹全体を鍛える基本種目です。

3. 会話での使い分け例

  • 「腹筋運動を始めました。」
    ”I’ve started doing ab exercises.” または ”I’ve started working on my core.”
  • 「今日のワークアウトでクランチを100回した。」
    ”I did 100 crunches in today’s workout.”
  • 「腰を痛めないように、シットアップではなくプランクを勧めます。」
    ”To protect your back, I recommend planks over sit-ups.”

要約

  • 日常会話や総称としては ab workoutcore exercises が自然です。
  • 具体的な種目を指す場合は、crunch(クランチ)や plank(プランク)などを使います。

「腹筋を割る」や「腹筋ローラー」など、腹筋に関連する他の英語表現についても、ぜひお尋ねください。

なるほど、腰への負担を減らし、また弛んでくるのは丹田、つまりヘソから下の部分であることを考えると、Leg raise が良いのかも知れません。

落語を聞きながら

■20260117(土曜日:晴れ) ( D 203 )

2015年1月に父の法要に訪れた鎌倉建長寺の椿です。

■太平洋側は晴天が続いていますが、一雨欲しいところです。テレビでは各地で火事が相次ぎ亡くなる人も出ている、と報道しています。山梨の山火事も、未だに収まっていません。山火事が相次ぐと聞くとオーストラリアを思い出してしまいます。

■昨夜は夢ばかり見ていたような睡眠でした。その夢に何の意味があるのか、自分ではさっぱり分かりませんが、間違いありません。スマートウォッチの睡眠診断アプリでは、レム睡眠の割合は 16 % で、標準値 10-30 % の範囲内でした。レム睡眠はストレスを解消してくれるそうですから、それ自体は問題なさそうです。

アプリの診断では、目覚めた回数が4回と多かったものの、浅い睡眠の割合が、55 % を超えて 58% であった以外は、平均的で特に問題のない睡眠との診断です。深い睡眠の割合も参考値内にあり充分でした。

夢が多くて熟睡感が得られなかった原因は、自分には知りようもありません。疲労感が残っていないだけマシだと思うしかありません。

■さて、最近は筋トレが優先されて、ジョッギングが後回しになっています。有酸素運動としてのLSD を、今日はする予定です。前回は、古今亭志ん朝さんの落語を聞きながら走り続けたのですが、こころなしか走っている間の苦しさが軽減されたように思いました。

作家の村上春樹さんも、自分の好きなジャズを聴きながら走っている、と本の中で語っていました。辛い苦しいと感じるのは脳でしょうから、音楽で脳をリラックスさせるのは理に適っているに違いありません。

さて、今日は何を聞きながら走るか、これから考えましょう。

全国高校生模擬裁判選手権

■20251227(土曜日:晴れ) ( D 223 )

4月26日に訪れた「安楽温泉 朱峰」の玄関前の様子です。

■いよいよ2025年の仕事納めです。今日いっぱい無事に終わることを祈るばかりです。昨日はTakuから連絡があり、仕事納めだったこと。そして群馬テレビに弁護士会の法教育委員会の委員として出演したよ、と知らせてくれました。

その中で「高校生模擬裁判選手権」なるものがあることを、初めて知りました。QwenChatに尋ねてみると、以下のように教えてくれました。

「高校生模擬裁判選手権」(正式名称:全国高校生模擬裁判選手権)は、日本の高校生を対象とした、法的リテラシーを養うことを目的とした教育的コンクールです。生徒たちが検察官・弁護人・裁判官などの役割を担い、架空の刑事事件について模擬裁判を行い、その内容や演技・論理性などを競い合います。

以下に、主なポイントを整理します。


■ 主催・背景

  • 主催

    一般社団法人全国高校生模擬裁判選手権実行委員会(元は法務省や日本弁護士連合会(日弁連)などの協力のもと、2000年代初頭に始まる)
  • 目的
  • 法律・司法制度への理解を深める
  • 論理的思考力・表現力・協働力を育む
  • 民主主義社会を支える市民の素養を育成する

■ 活動内容・形式

  • 架空の刑事事件(例:傷害致死、窃盗、名誉毀損など)を題材に、検察側(有罪を立証)と弁護側(無罪を主張)が対立する形で進行。
  • 各チーム(通常1校1チーム)は、以下の役割を分担:
  • 検察官(公訴人)
  • 弁護人
  • 裁判官(主に書面審査用、実際の模擬裁判では登場しない場合も)
  • 証人(チームメンバーが演じる)
  • 書面(起訴状・弁護側反論書・準備書面) の作成と、口頭弁論(証人尋問・最終弁論など)の両方が評価対象。
  • 実際の裁判所(地方裁判所など)で開催されることも多く、法的リアリティを重視。

■ 大会の流れ

  1. 予選:都道府県ごと、またはブロック単位で開催(地域により形式は異なる)。
  2. 全国大会:例年8月または9月に開催。過去には東京・大阪・名古屋などの地方裁判所で実施。
  3. 審査員:現職の裁判官・検察官・弁護士など、法律の専門家が務める。

■ 特徴・教育的意義

  • 法律の知識だけでなく、事実認定・証拠評価・倫理的ジレンマへの対応など、多面的思考が求められる。
  • 台本のない「アドリブ尋問」もあり、即応力やチームワークも問われる。
  • 近年は、人権問題・SNS絡みの事件・AIやテクノロジー関連など、現代社会に即したテーマも登場。

■ 関連する他の活動

  • 「模擬裁判甲子園」 とも呼ばれる(ただし正式名称ではない)。
  • 類似の活動として、「高校生による裁判所見学・法廷体験」(法務省・最高裁主催)や、「ジュニアローヤークラブ」 などもある。
  • 大学レベルでは「全日本学生模擬裁判大会」があり、高校生大会の卒業生が参加することも多い。

■ 補足

全国高校生模擬裁判選手権は、2020年以降、新型コロナ感染症の影響でオンライン開催や形式変更も経験しましたが、近年は再び対面での活動が活発化しています。参加校は年々増加傾向にあり、法教育の現場で注目を集めています。


ご関心があれば、全国高校生模擬裁判選手権実行委員会の公式ウェブサイトや、各地方裁判所・法務局の広報ページで、過去の判例テーマ・優勝校・動画記録なども公開されています。

2007年から始まったようです。2025年は8月に関東大会が行われ、地元の浜松北高校が準優勝した、と記事にありました。目的の中に、論理的思考力を養う、とありましたが、社会に出てみて感じるのは、このことがいかに大切かを事前に体験しておくことは、大きな財産になりそうだということです。

無償教育

■20251206(土曜日:晴れ) ( D 261 )

モルディブ・マレ市内の小学校です。

■今朝も青空が広がっています。2日前から寝る直前に、ベッドに片足を置いて、ブルガリアンスクワットを10回ずつしています。ベッドに入る直前ですから、理屈から考えると逆効果のように思えます。心拍数も高まり、交感神経優位になってしまうからです。

ところが意外なことに、ベッドに入ってから起こる、短時間の動悸などが無くなり、むしろスムーズに入眠できているのです。続けてみないと、なんとも言えませんが、今のところは良い結果を得ています。

最初は、7,8回目頃からバランスを得るのに苦労していたブルガリアンスクワットも、次第に10回なら何とかできるようになったのは、成果に違いありません。バーベル・スクワットだけですと、このバランス感覚を得るのが難しいのです。

■さて、今日の写真は、モルディブの首都マレ市内の小学校です。先日見学ツアーに参加しました。ガイドの方はリゾートホテルに勤めていた頃から、日本語を学び始めたそうで、ガイドの方が日本語で話し始めたのを見て、びっくりしました。私と同年輩でした。

その中で、モルディブの教育状況の説明がありました。子どもがたくさんいるので、午前、午後の2部制を取っている、というお話でした。DeepSeekに尋ねてみると、以下の回答が得られました。

モルディブの初等教育(通常6~12歳、1年生~7年生)の現状は、急速な発展と課題の両方を抱えています。以下に主要なポイントをまとめます。


1. 教育制度の基本

  • 無償教育:モルディブでは、幼稚園から高等教育まで全ての教育が無償です(憲法で保障)。
  • 義務教育:初等教育(7年間)は義務教育です。
  • 言語:低学年ではディベヒ語(モルディブの公用語)で授業が行われ、英語は重要な第二言語として早期から導入されます。教科によっては英語で行われることもあります。
  • カリキュラム:モルディブ国家カリキュラム(National Curriculum Framework)に基づき、ディベヒ語、英語、数学、イスラム教、科学、社会、環境科学などを学びます。

2. 近年の進展と強み

  • ほぼ普遍的な就学率:就学率は非常に高く(ほぼ100%)、男女格差はほぼありません。
  • インフラの整備:政府の積極的な投資により、離島を含む多くの島に学校が建設され、施設・設備が向上しています。
  • デジタル教育の推進
    • 「モルディブ・スマートスクール・プロジェクト」を立ち上げ、全ての教室へのインターネット接続とICT機器の導入を進めています。
    • 特にCOVID-19パンデミック後は、オンライン学習プラットフォーム(「FasMee」など)の整備が加速しました。
  • 教員の質向上:国立教育学院(National Institute of Education)による教員研修が強化されています。

3. 主な課題

  • 地理的分散による格差
    • 約200の有人島に学校が点在するため、離島と首都マレ(及びその近隣)の教育の質に大きな格差があります。
    • 離島では教材や設備、特に十分な訓練を受けた教員の確保が困難です。
  • 教員不足と質のばらつき
    • 教員の多くは外国人(特に南アジア諸国からの教員)に依存しています。
    • 離島勤務を嫌う傾向があり、首都圏と離島で教員の経験・質に差が生じています。
  • カリキュラムと評価の問題
    • 暗記中心の傾向が強く、批判的思考や創造性を育む教育への転換が課題です。
    • 進級試験(特に7年生修了時)のプレッシャーが大きいという指摘があります。
  • 多言語環境の課題
    • 英語力の習得レベルにばらつきがあり、それが他の科目の学習に影響を与えています。

4. 政府の取り組みと今後の方向性

  • 「モルディブ第4国家開発計画」や「教育セクタープラン」 では、「質の平等」 を最重要目標に掲げています。
  • 「シングルシフトスクール」 の導入:多くの学校で行われていた二部制(午前・午後のシフト制)から、全日制への移行を進め、学習時間を確保しています。
  • 離島教育の改善
    • 離島の学校への予算配分の増加。
    • 教員の離島勤務に対するインセンティブ(手当てなど)。
    • 遠隔教育(eラーニング)の活用による質の均てん化。

まとめ

モルディブの初等教育は、地理的に分散した島嶼国家ならではの大きなハンディキャップ(離島格差)を抱えつつも、デジタル化とインフラ整備による「教育の民主化」を積極的に推進している状況です。

「全ての子どもに学校へ行く機会を」というアクセスの確保はほぼ達成しましたが、次の段階である「全ての子どもに質の高い教育を」の実現が現在の最大の挑戦となっています。そのため、政府はICTを駆使した解決策と教員の質向上に重点的に投資を続けています。

■なるほど、多くの離島を抱えた国独自の課題が見えてきます。リゾートホテルの従業員にも様々な国の人々がいて、送迎水上バスの発着場の係の方と話をしたら、出身はネパールだとのこと。バレーボールが好きで、日本の西田選手のファンです、と聞いてびっくりしました。

英語が共通語であるのは間違いありません。日本に帰国すれば、英語を使用することはありませんので、日本人が英語を習得するのは、かなり難しいのは致し方なさそうです。

生涯の印象

■20251122(土曜日:晴れ) ( D 275 )

鳥取県北栄町の「コナン通り」です。名探偵コナンの故郷です。

■さて今朝も一面の青空です。週末ですから、絶好の行楽日和。残念ながら、またしても仕事日和です。1979年に社会人になって以來、私は週休二日の生活をしたことがありませんでした。病院も昔は、土曜日にも診療をしていたのです。

70歳を機に、思い切って週休二日にしました。そして感じたのは、2日続けて休めることの有難さです。行楽、会合、当番医などなど、なんやかんや日曜日には、行事が入ります。

となると実質2週続けて休み無し、といった状態になります。若い時には、それが当たり前で、それほど大変とも思わなかったのですが、さすがに70歳になって、残り少ない時間を、ゆとりを持って過ごしたい、と思うようになりました。そこで月曜日を休診日にしました。

自分がしなければならないこと、そしてできることの第一は、24時間の時間配分でしょう。貧乏人も金持ちも、持ち時間は一日24時間です。その点、人生は公平です。何に使おうが自由です。そして、その積み重ねが、その人の人生となります。

いま自分が一番取り組んでいるのは、筋トレとマラソン参加です。高齢者が筋トレに励んで、はたして生活の質を、どの程度向上させることができるのか、人体実験しているのです。

その結果は自分だけでなく、大切な家族や友人たちにも、ぜひ還元したいと思っています。大切な人には、長生きするだけでなく、元気で長生きして欲しいのです。

そんな筋トレの伝道師になることができたら、と考え始めています。70代の過ごし方が、晩年の人生を決定すると同時に、その人の生涯の印象を決めてしまいます。元気でいるためには、筋肉の手助けが絶対に必要なのです。

フレイルの元凶

■20251120(木曜日:晴れ) ( D 277 )

北海道富良野・三愛の丘から見た富良野平野です。

■10月27日に訪れた富良野は、初雪を観測していました。今はもう雪に覆われているに違いありません。あんなに暑かった夏もあっという間に過ぎ去って、日が落ちれば寒さに震える毎日です。

昨夜はロータリークラブのテーブル会。仲間と楽しく歓談しましたが、会員数の減少に悩むのは、どこのクラブも同様です。解決策は容易には見つかりそうもありません。

■さて、身の回りには、いわゆるフレイルに陥った高齢者が増えてきました。以下の記事は参考になります。

片足で何秒立てる?

「開眼片足立ちテスト」であなたの<血管・骨・筋肉>の衰えをチェック。

100歳まで動ける体を作るのに大切な3つのポイント

簡単で分かりやすいテストです。実際にやってみると、その難しさがよく分かります。60歳未満が60秒、60歳代が50秒、そして70歳代は40秒とありますが、72歳の私がやってみると、40秒あたりからふらつき始め、残りの20秒は、結構きつくなります。

幸い、まだ私は60秒持続は可能なのですが、何もしないでいると、あっという間に継続可能時間が40秒になってしまいそうです。

先日も、70代の友人が転倒し、骨折は免れたものの、かなり不自由な生活を強いられている、との連絡がありました。筋肉減少症・サルコペニアはフレイルの元凶だ、と再認識しました。

高齢者こそ筋トレに励むべきだ、という思いを強く感じました。

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