■20240630(日曜日:曇)
■今朝も曇り空です。天気予報では午前中は何とか天気も持ちそうですが、午後からは雨が強まりそうです。今日で6月も終わりです。2024年も折り返し点を過ぎようとしています。
昨年古希を迎え、自分自身の人生に対する考え方が、変わったように思えます。古希70歳は、単なる人為的な区切りですから、次の日から何かが突然、変わるわけではもちろんありません。同じ様に時間は流れていくのです。
こうした区切りは、先人たちが経験的に編み出した、人生をよりよく生きるための知恵です。振り返ってみると、地元のある新聞に2005年5月、こんな投稿をしていました。19 年前、当時 51 歳だった私の心境です。
インドには四季はないが四期がある、と言われます。必要な知識を得るための「学習期」。家族のために働く「家住期」。ゆったりとした老後を送るために町を離れ、静かな森の中にささやかな住まいを持ち、そこで思索や瞑想の日々を送る「林住期」。そして最後に、夫婦で聖地を巡礼する「遊行期」。インド人の頭の中には、こうした人生の節目が明確に刻まれているようです。
昭和28年(1953年)生まれの私は、家族のためにまだまだ働かなければならない家住期にあると言えますが、少なくとも心のあり方としては、そろそろ林住期に足を踏み入れるべきなのではないか、と思い始めています。
かつては、人生50年と言われました。自分自身が夏目漱石よりも長生きしていることに、とても不思議な気がします。とはいえ、人は誰も永遠には生きられません。いつかは、旅立つ日がやってくるのです。そうであるなら、人生の節目を明確に意識し、日々の有り様を思い描きながら生きていくことは、充実した一生を送るためには、不可欠のことではないでしょうか。
2年ほど前から体調管理のために始めた早朝ウォーキングが、そうした意味で、これからの生き方に、とてもプラスになっていることに気付きました。毎朝、近くの愛鷹山を歩くのです。一時間半ほどのウォーキングで、最近は体調も良好です。ただ歩くことに精一杯だった頃には気付かなかった四季の変化の発見という望外の収穫は、林住期の成果かもしれません。最近は柿の葉を見るのがとても楽しみです。春になり新しい芽が現れ、それが実に瑞々しい若葉になる。そして秋になると何とも言えない渋い色あいに変化する。もう瑞々しい若葉になれない自分も、努力すれば秋の柿の葉のようにはなれるかもしれない。
俳人与謝蕪村の句に、「茨野や夜はうつくしき虫の声」があります。茨の生い茂った野原が、夜になると虫かごのように美しい虫の音を響かせている、というのです。もちろんこれは単なる草むらを詠んだ句ではありません。昼の茨野は俗世、そして虫の音が響く夜の茨野は蕪村の頭脳の中に作られる美の王国だ、というのです。人は誰しも、日常というしがらみの中で生きざるを得ない。しかし、その中に自分なりの美を、想像力により作り上げることはできるのです。全体を見渡せるだけの余裕を心に持ちつつ、美しきことを発見しながら、幕末の志士、高杉晋作の歌を蕪村風にもじった以下の歌のように、残りの人生を生きてみたいものだ、と私はいま思っているのです。
「美しき ことも無き日を美しく すみなすものは心なりけり」
こうして振り返ってみると、あるサイクルが、これまでの20年の中に見えてきます。体調管理のために49歳からウォーキングを開始、59歳からはフルマラソン完走のためのランニングを始め、そして69歳からはサルコペニア(筋肉減少症)と戦うために筋トレを始めたのです。
その間に子どもたちは自立・結婚し家庭を持っています。自分自身の役割も大きく変わりました。あとはお迎えが来るのを、待つだけです。やるべきことは、やり終えた気もします。
それでも、まだ終わったわけではありませんから、より良き人生を送るために、自分は今、そしてこれから何をなすべきかを考えていくしかありません。