2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

カテゴリー: LSD Page 4 of 7

東京マラソン

■20240303(日曜日:晴れ)

今朝の我が家の「あやちゃん桜」河津桜です。

■今朝は久しぶりに校庭で走りました。朝日を浴びながら地面の上を走るのは、フィットネスクラブに行ってランニング・マシーン上で走るのとは、全く違う心地良さがあります。

とは言っても、以前のように早起きして朝食前に走るということが、なぜかとてもハードルが上がってしまい、今ではフィットネスクラブに行って走ることが、殆どになってしまいました。

地面を蹴って走る方が、やはり荷が重いようです。今朝は、50分06秒、8.11キロを積み重ねました。3月最初の一歩です。ペースを見てみると、最初の3キロは、キロ6分台後半ですが、次第にペースが上がって、5分台に入っています。

ただし、5キロを走ったところで一旦休憩しました。苦しくなったからです。実際の大会では、いつも10キロ地点でトイレ休憩を挟むことで、休息を取っています。たとえ数分でも休息を取ると、生き返ります。

今日は後半の部では、キロ5分台前半で走っています。ところが、そこで中止せざるを得なくなりました。野球チームの練習が始まったからです。致し方ありません。もう少し早くから走り始めることができれば、このように時間帯が重なることは無かったのですが、睡眠周期の関係で起き出すのが遅れました。

4時半頃に一旦目が覚めて、再び寝入るのに手間取りました。そこからは、レム睡眠に入ったのか夢ばかりを見ていたようです。しかも、あまり楽しい夢ではなかったので、目覚めた時にスッキリと起き出すことができませんでした。

ということで、校庭にたどり着き、準備運動が終わって走り始めたのは、6時53分と記録されています。苦しい時間でしたが、とにかく今月の第一歩を踏み出せたことは、嬉しい日曜日でした。

■さて、今日は東京マラソンが開催されました。パリ五輪出場の、最後の男性ランナーが決まる大会です。設定タイム2時間5分50秒以内をマークし、日本人最上位に入ればパリ切符獲得でしたが、日本選手は記録を突破できませんでした。

最後は、まさに死力を尽くしての戦いでしたが、こればかりは、致し方ありません。

そして、補欠選手として、川内優輝選手が確定しました。自分自身が参加した、2014年の千歳JAL国際マラソン招待選手が川内優輝選手でした。とにかく精一杯、手を抜くこと無く走り切る川内選手のスタイルは、あの頃から少しも変わっていません。当時は、まだ公務員ランナーとして参加していましたが、可能であれば、ぜひオリンピックにも出場してもらいたいものです。

来週は、小田原尊徳マラソンに参加予定です。苦しそうですが、完走できるように養生しなければいけません。

実りある老後

■20240229(木曜日:晴れ)月間100キロ走達成

昨年11月に出掛けた富良野平野です。早朝には、もう霜が降りていました。

■うるう年の今年は、2月も29日あります。今日は最後のチャンスですので、午後からフィットネスクラブに行って最後の10キロを走り、目標の月100キロ走を2ヶ月ぶりに達成する予定です。

左足甲の痛みのために、また2月4日に横浜でマラソン大会に出場予定でしたので、1月後半は安静に努めて無理をしませんでした。そのおかげで、横浜大会も、雨と寒さの中、無事に完走でき、ほっとしました。

今年最初の大会でつまずくと、まさに出鼻を挫かれてしまいます。1年間ダメージが続きそうでした。無理をせずに正解でした。おかげで、今月は順調に積み重ねができて、日数の少ない月にも関わらず、目標達成ができそうです。

筋トレのおかげか、走り方を工夫したおかげかは分かりませんが、無理をせずに、それほど苦しく感じること無く、1時間走り続けることができるようになったのは、自分なりに大きな進歩です。

地面の上でなく、ランニング・マシーン上での走り込みですので、爽快感という点では物足りないのですが、贅沢を言っても切りがありません。雨が降ろうが風が吹こうが、どんな天候でも時間帯に関係なく走ることができるのは、フィットネスクラブの有難みです。

■今週は25日、26日と連続して、1時間走(LSD)を行いましたが、自分自身驚いたのは、走った後の夕食の内容でした。今までですとLSDの後は、それなりに消耗していますから、軽めの食事を身体は求めるのですが、今回は通常の量にプラス、少し大きめの鳥の手羽先を食べたのです。

走り終わって、なぜか無性に肉が食べたくなりました。たぶん胃腸の調子がとても良いのでしょう。食事の量が最近、少し増えたように思います。すべて、温野菜のおかげと自分では信じています。温野菜を毎朝摂り始めて、ちょうど1年が経ちました。

たまたまかも知れませんが、時を合わせて、気力も体力も目に見えて回復しています。2年前からの低空飛行状態から、ようやく脱しつつあります。駅前の広場に立って、「皆さん、体調の優れない方は、温野菜を毎日摂りましょう」と叫びたい気持ちです。

とにかく、調子が良いのですから、今の生活パターンを続けるのが正解です。また状況が変われば、その時になって考えれば良いだけの話。そうして、試行錯誤しながら、工夫しながら日々過ごしていくのが、実りある老後の過ごし方に違いありません。

夢のハワイ

■(月曜日:晴れ)

昨年3月5日の名古屋城の梅林です。

■今朝は久しぶりの青空です。昨日は終日雨でしたので、その青さは格別です。

昨日は、午前中にフィットネスクラブに行き、1時間2分46秒、10.30kmを走り、これで今月は8回のランで、80.04kmを積み重ねました。残り4日で19.96キロメートルのところまで来ました。

うるう年とは言っても、2月ですから、通常の31日の月と比べると、2日短いので最後の追い込みが大変です。

昨日は、1時間走り込みましたが、それほど苦しくなることも無く、走り続けることができました。こうして積み重ねていくと、少しずつ力がついていくようです。

昼には、Nonちゃんもやってきて一緒に昼食をとることができました。よもやま話に花が咲きましたが、なかなか会うことは難しいのですが、話していると楽しい時間が過ぎていきます。

もうすぐ2ヶ月が終わってしまいます。1年の6分の一が過ぎてしまうのです。本当にあっという間です。一日一日を大切に生きるしかありません。

■さて以下の記事を読むと、日本は自分が若かった時に、まるで逆戻りしているように感じます。

★ハワイやグアムが「高根の花」に
…日本経済の衰退で「国内旅行がやっと」になった日本人

諸外国の物価が日本に比べて高いことは、テレビでも放映されています。記事の中にもある通り、身の回りの物価が上がっていると言っても、まさに桁違いの上昇ぶりです。

私が子どもの頃は、クイズ番組で優勝すると「夢のハワイ」へ旅行に行けました。私が初めてハワイを訪れたのは、1995年のことです。ネット調べてみると、

1995年4月19日、ドル円は1ドル79.75円を記録しました。これは1973年に変動相場制が導入されて以来の円の最高値でした。

現在1ドル=150円程ですから、80円で買えたものが、今では150円出さないと買えない、ということです。逆に米ドルを1ドル持っていれば、同じ1ドルで、日本に来れば倍近い量の買い物が可能です。安い日本の再来です。

まだまだ、日本製品の品質は高いとは言っても、安かろう悪かろに向かっているのは間違いありません。賃金が上がっていないので、殆どの日本人が30年前に比較して、貧しくなっているのです。

その原因を、その多くの日本人が自分が頑張っていないからだ、と誤解している点が、一番の問題点なのです。なぜなら、そう考えている限り、自分たちがまともな生活ができる環境は、永遠にやって来ないからです。

経済政策が間違えているのです。間違った治療法を選択しながら、回復しないのは患者の努力が足りない、と医者が言っているようなものです。有権者が一刻も早く、その点に気付かない限り、まだまだ下り坂は続きそうです。

凡人の知恵

■20240225(日曜日:雨)

昨年3月に受けた人間ドックの個室です。
コロナ禍で外出禁止でした。

■今朝も雨の朝です。とても静かで、心穏やかな時間が過ぎていきます。今朝は、いつもより1時間、目覚ましを遅くしました。半で押したように、6時に合わせて起きていたのですが、日曜日だけは特別でも、バチは当たらないでしょう。

せっかちというか、落ち着かないというか、勝手に言えば勤勉なのでしょう。じっとしていると、時間がもったいないと感じて、落ち着きません。テレビのバラエティー番組を観ていると、本当に時間を無駄に過ごしていると、腹が立つほどです。

高齢者と話していると、今日は一日中テレビを観ていた、と話す方が結構います。自分もあと10年したら、そうなるかも知れません。テレビは一方的ですから、ただただ情報を受け取るだけです。

こうして毎日ブログを綴っていて、何の意味があるのか疑問に思うことも、もちろんあります。ただ経験的に、こうして乏しい脳細胞から言葉を絞り出す作業を繰り返していると、いざという時に役に立つことを実感しています。

つまりは、言葉に詰まってしまう状況で、ピンチを切り抜けられるのです。挨拶をしなければいけない場面、会合などで議事進行を円滑に進めなければならない時など、社会の中で生きていくには、言葉はいわばエンジンオイルのようなものです。

■自分が、とっさの判断力に乏しいことは、中学生の頃から身にしみていました。こんな事がありました。

中学生の頃、なぜか廊下に消火器が泡を立てながら転がっていたのです。誰かが誤って、蹴飛ばしてしまったのかも知れません。何人かが呆然と眺めていました。たまたま通りかかった私は、なんとかして泡の噴出を止めようと、その場で色々試みたのですが、どうにもなりません。

そこへ同学年のK君が通りかかって、その消火器を窓の外へ放りだしたのです。つまり、泡の噴出をその場で止めようとするのではなく、外へ出すことで、廊下への泡の散乱を見事に食い止めたのです。

私は、本当にびっくりしました。そんな解決方法があったことに、驚いたのです。同時に、K君が輝いて見えました。とっさに、そんな解決策を思いつき実行できる、その能力に羨望を感じました。そして、とても自分が惨めでした。

そんな経験は誰にでも、一度や二度はあるかも知れません。まさにコロンブスの卵なのですが、思い付かなかったのです。とっさの機転、あるいは瞬発力に私は乏しいのです。

ですから、十分な準備をすることが自分には必要だと、身にしみて心に刻んできました。繰り返して準備をしていく中で、少しは機転も利くようになったかも知れません。

これからも惨めな思いをするでしょうが、それはそれで前向きに考えて行くしかありません。それこそが、凡人の生き抜く知恵です。

春の雨

■20240219(月曜日:雨)

沼津市三津内浦から見た、
昨年2月24日の富士山です。

■今朝は雨です。昨日の暖かな晴天から一転しました。今週は雨模様の日が続くようです。気温は低くありませんので、雨とは言っても、悪くありません。静かな朝です。

スマホの睡眠診断アプリによれば、昨夜の睡眠の質点数は、90点。「昨夜の睡眠の質は非常に良好です」と判定されています。3回目が覚めて、トイレに行きましたが、すぐに入眠していますので、熟睡感は十分です。

昨夜は恒例のTuruちゃん夫婦との、月に一度の夕食会。「ひろ繁」で、今月も先月に引き続いて、ふぐ鍋を追加でお願いしました。同じ年回りのカップルである4人は、結婚記念日まで、2月と同じ。子育て、そして子離れ。喜びも悲しみも幾歳月、と似た者同士です。

とにかく、体調管理に集中して、お互い元気で、こうして夕食会を楽しもう、と言って毎回別れています。とは言っても、お互い悩みが全く無くなっているわけでは、もちろんありません。

それでも、そうした問題とも付き合っていくしかありません。文句ばかりを言っていても、何の解決にもならないからです。旅立つまで、そうした日々が続くのでしょう。

■さて、雨は心静かにしてくれます。本を読むも良し、原稿を書くも良し、様々な思いに静かに向き合うには、ちょうど良いのです。あと何回、こうして元気で春を迎えることができるのか。

そんな所まで来ていることも確かです。

■今日はフィットネスクラブで1時間1分21秒、10.01kmを走り、これで今月は5回のランで56.43kmを積み重ねました。目標の月100キロ走までは、残り10日で43.57kmです。

エプソンのホームページにアクセスすると、月間50km走達成おめでとうございます、と祝ってくれました。今月は29日しかありませんので、100キロ走達成は困難ですが、なんとか目標まで近づけたいと思っています。

今日は体調も良かったのでしょう、あるいは昨日の睡眠が良好だったのかもしれません。走っていても、あまり辛く感じることはありませんでした。

明らかに以前とは異なって、持久力が付いてきました。ランニングマシーン上での1時間と、地面の上での1時間は、実際には身体への負担は、かなり違います。今のところは、ランニングマシーン上の方が、ずっと楽に感じます。

走る際には、姿勢に気をつけて、天から頭、そして腰が引き上げられてるようなイメージで、そして力を抜いてリラックスして、足首の力を抜いて走りました。足首の力を抜いたことで、自然と足の裏が後方へ向いてスムーズな走り方になるようです。

体に負担をかけない、つまり疲れにくい走り方というのは、なかなか難しいものです。少しずつ工夫しながら、会得していくしかないようです。

インドの旅

■20240215(木曜日:曇のち雨)

天草市「道の駅・有明」です。

■暖かな日が続いています。所によっては、最高気温が20度に届いています。暖かくなってくると、身体も楽になって、少し動いてみようか、となります。

でも、考えてみれば、寒いときほど動いたほうが楽になります。そのことを、この冬は実感しました。夕食後にお茶を飲んで、コタツに入ってしまうと、もう動く気がしません。

ところが、フィットネスクラブに行って筋トレをすると、もう寒さが気になりません。その後のルーティーンが、きちんとこなせます。体を動かすと、それだけで体温が上がって、暖房要らずになります。

■昨夜は、ネットで推奨されていた、睡眠中に何度も目が覚めないように、という股関節のストレッチを試しました。初めてでしたが、結構身体にきつかったのは、それだけ体が固いのでしょう。

こうした慣れない運動の後は、えてして夢見が悪いのです。昨夜も、訳の分からない夢でした。学会参加のために出掛けた茨城県(?)から、帰ってくることが出来ない夢なのです。

路面電車に乗って帰ろうとするのですが、その電車がどこへ向かっているのか、そしていつになったら、既知の駅に辿り着けるのか、さっぱり分かりません。自分がどこにいるのか、見当がつかないのです。

地元の人に尋ねても、今日中にはここからは出られないなぁ、というばかり。徒労感ばかりが募って、夢を見ていても疲れます。なんでこんな夢を見るのか、夢分析の専門家に尋ねてみたいほどです。

■さて、いつもの知恵袋・田中宇さんの解説です。今回は、いつもと少し趣が異なりますが、薄々私も疑問に思っていた、日本人の宗教感について、分かりやすく私見を述べられています。

★印度は意外と居心地良い
田中宇の国際ニュース解説 無料版 2024年2月13日

学校では教えてくれない内容です。インドには旅行したことはありませんが、機会があったら出掛けてみたくなりました。

曲がり角

■20240212(月曜日:晴れ)休日

熊本県・天草空港のフロントです。

■昨日が建国記念日でしたので、今日は「振替休日」です。休んでいても、働いていても手取りの変わらない立場の方は、休日は多いに越したことはありませんが、そうとは限りません。

派遣社員が4割以上を占めるようになった現在では、多くの場合、日給月給のような体系でしょうから、休日がむやみに増えるのは死活問題です。

「総務省の森」というウェブサイトでの記載では、

◆事例:国民の祝日と日曜日が重なった時の休日

 当社の就業規則では「日曜日及び国民の祝日を休日とする」と定めてあり、いわゆる振替休日となる月曜日は就業させています。従業員から、この月曜は祝日法の休日なので休日ではないかと指摘を受けました。休ませなければなりませんか。

◇回答—————————————————————-

いわゆる振替休日である月曜日は、日曜や祝日がずれこんだものではなく、祝日法で特別に設けられた休日です。基準法及び就業規則上の休日でないため、休みとしなくても問題ありません。

■解説—————————————————————-

基準法の休日は、毎週1回以上または4週4回以上与えなければならないと規定されています。就業規則でこれ以上の休日を定めることはもちろん結構なことです。

一方、国民の祝日については、週1回の休日が与えられている限り、祝日に休ませなくても基準法違反にはなりません。但し解釈例規では、祝日は国民こぞって祝い感謝し記念するための休日であることから、その日に労働者を休ませることが「望ましい」とはされていますが。

国民の祝日に関する法律では、日曜日と祝日が重複した場合その翌日を休日とする旨規定されています。
(祝日法第3条第2項)

 祝日法でいう「祝日」は同法第2条に定められており、原則として特定日が列挙されています。基本的にはその日が休日となりますが、日曜日と重複した場合は翌日(月曜)を「休日」とするだけであり、祝日そのものが翌日になるわけではありません。言い換えると、祝日は日曜、お休みは月曜ということになります。祝日と休日が分離した考え方です。

あえて言うなら、この月曜(いわゆる振替休日)は、祝日法で定められた特別な休日になります。

 従ってこの日は、もちろん基準法上の休日ではなく、また事例にある就業規則上の祝日にも該当しないこととなります。

 なお、祝日法に定める特別な休日としては5月4日もあります。祝日法第3条第3項に「祝日と祝日に挟まれた日は休日とする」と定めがありますが、労働法令上はこの日も前記と同様です。

 もちろん、事業の状況を勘案しながら、これらの日を休日とすることはもとより差し支えありません。人材の採用や定着の観点からは、むしろ不可欠な条件になっています。

 とはいうものの、お役所や銀行と違い、多くの企業では休日が多くなると生産性等の問題も生じます。週休2日制を標榜する企業の中には、祝日は休日とするものの「祝日のある週の土曜日は休日としない」とする規定も見られます。

 なお、事例にある振替休日を休日とするには、就業規則に「日曜日及び国民の祝日(日曜日と重なったときは翌日)を休日とする」のように、括弧書きの部分を挿入すれば明確になります

要するに、今日は祝日ではなくて振替休日なのだ、ということです。労働基準法での休日はないのです。「祝日は日曜、お休みは月曜ということになります。祝日と休日が分離した考え方です」となります。

そもそも日本は、休日が多いのか少ないのか、よく分かりません。どんどん増えているのは分かるのですが、調べてみると以下の記載があります。

日本の祝日は、主要7カ国(G7)で最も多い年間16日で、諸外国と比べて多い方です。

2020年の祝日数は、イタリアとカナダが12日、フランスが11日、英国とドイツが9日でした。米国は州ごとに定める祝日がありますが、全国では11日です。

祝日が多い国は中国やタイで、年間20日以上の祝日があります。

一方で、アメリカやフランスは年間10日程度しか祝日がありません。ドイツやイギリスに至っては年間10日を切っています。

日本ではゴールデンウィークやシルバーウィーク、お盆休み、年末年始休暇などがあるため、一年間のうちに大型連休の機会が複数存在します。

また今日のような振替休日を調べてみると、

2024年の振替休日は5日あります。2023年と比べると土日は1日減りますが、祝日および振替休日は1日増える暦です。

2024年の祝日は16日で、振替休日を加えると21日となります。

日曜日に祝日が重なっているケースが例年より多く、カレンダーの並びとしては月曜日が振替休日となり、土/日/祝の3連休が多いのがポイントです。

2024年の3連休は次のとおりです。

1月6日(土)~1月8日(月)成人の日
2月10日(土)~2月12日(月)建国記念の日(振替休日)
2月23日(金)~2月25日(日)天皇誕生日
4月27日(土)~4月29日(月)昭和の日
7月13日(土)~7月15日(月)海の日
8月10日(土)~8月12日(月)山の日(振替休日)

2024年のお盆休みは、8月13日(火)から16日(金)の4日間です。前後の土日も合わせると、有給を使わずに最大9日間の大型連休をとることが可能です。

働く人の一人でも多くの方が、恩恵を受けてくれれば良いのですが、そうもいきません。

日本のマスコミでは報じられませんが、諸外国では労働者のストが頻発しています。労働条件の悪化で生活が苦しくなる人々が増えているのです。資本主義は曲がり角を迎えています。

初日の出

■20240101(月曜日:晴れ)

今朝の日の出です。7時少し過ぎでした。

■いよいよ2024年の幕開けです。年末からTaku一家がやってきて、孫たちとの年末年始です。

今朝はいつものように6時に起きて、軽く朝食を済ませてから、初日の出を拝みに出掛けました。7時少し過ぎでしたでしょうか、東の空から上がってくる、初日の出を拝むことができました。多くの人が同じように、東の空を見つめていました。

とにかく、家族の健康が第一の願いです。元気であれば、あとは儲けものです。ケガや事故、病気で心配するのは、一番辛い時です。

■さて踵を返して、フィットネスクラブに行き、ランニングマシンの上で1時間1分39秒、10.53kmを走りました。2024年積み重ねの第1歩です。今日もベアフットランが課題です。踵を付かないように、それだけを意識して、走り続けました。

左足薬指の付け根あたりが、時に痛みを感じるのが気がかりでしたので、なるべく親指側で着地するように意識しました。足底筋膜の弾力を活かすような走りだけを心がけました。

何とか1時間を走り続けることができ、幸先の良いスタートです。どんなランニング時間を、今年は送ることができるのか。楽しみでもあり、不安でもあります。

とにかく、当たって砕けろしかありません。挑戦してみないことには、何も始まらないからです。2月から6月までの5ヶ月で、6回の大会に参加予定です。体調管理が第一です。

■30日の夜から、たく一家が帰省してくれていますので、2人の孫と遊ぶのが、自分の仕事となっています。もちろん可愛いのですが、相手するのも大変です。

毎日、相手をするとなったら、それは大変だろうと実感しました。まもなく実業団駅伝の最終ランナーがゴールする頃、電車に乗って帰っていきました。

残された時間

■20231231(日曜日:雨のち晴れ)

ピカソのゲルニカです。未だに世界は、
この地獄から抜け出ることが出来ません。

■いよいよ大晦日。今日で一年の締めくくりです。昨日は休日当番医で、8時から17時まで籠の鳥でした。穏やかな日和の絶好の帰省日和でした。8時から次々と患者さんが来院され、混みように驚きました。

殆どが結膜炎と麦粒腫。不安になって駆け込んできた、というわけです。17時ギリギリに電話で、いまから行きますので待っていてください、という最後の患者さんを診終わって、一年の仕事を無事に終えることが出来ました。

16時過ぎには、Taku一家も無事に到着し、ホッとして仕事を終えました。

■さて、この一年、様々なことが起こりました。10月7日に中東では、ハマスがイスラエルを攻撃。それ以来、戦争状態です。いつもの知恵袋、田中宇さんによれば、

10月7日の開戦直前、何者かがイスラエルの株や債券の売り先物を巨額に契約し、開戦直後の株や債券の暴落で大儲けした。

ハマスだけでなくイスラエル(や米諜報界)の上層部も、事前にガザ開戦を知っていたはずだから、先物売りが誰の仕業であっても不思議でない。

911テロ事件の直前に、米国で株などの売り先物を契約して大儲けした者がいたのと同じ仕掛けだ。

無数の犠牲者の影で、ボロ儲けしている人々がいるのも、現在の資本主義の姿です。ナチスによって大量虐殺を受け、難を逃れた子孫たちが、今度はパレスチナ人を皆殺しにしようとしています。そして、大国からの差し止めも受けずに、どうやら目的を完遂しそうです。

日本のマスコミも、申し訳程度にガザの様子を報道しています。瓦礫の下には数十万の犠牲者が横たわっているはずだ、という指摘もあります。こうした犠牲の後に、はたしてどんな世界が待ち構えているのか。最低限、冷たい平和であってほしいものだと、つくづく思うのです。

■二人とも風邪による体調不全から、スキー旅行のキャンセルから今年は始まりました。もう古希を迎えたのだから、怪我をする可能性を考えればスキーはやめるべきだ、というのがNonちゃんの考えで、確かに言われてみれば、その通り。

二人ともショボンとして、それ以来スキーに出かける話はたち消えです。その代わり、可能な限りマラソン大会に出場することにしました。そして北海道の大会では、二人そろって出かける予定です。

今年は、初めてノーザンホースパークマラソン・トレイル部門に出場しました。走り終わった後で、二人でのんびり牧場の中を散策し、本当に心洗われる時間を過ごしました。老夫婦が元気で晴天のもと、あのような時間を共に過ごせることほど幸せなことはない、と実感しました。マラソン大会のおかげです。

来年、何が待ち受けているのか。もちろん予測できるはずもないのですが、残り少なくなった時間を、無駄に過ごすことだけは止めようと決意しています。元気なうちにできることに取り組もう、というのが第一です。

今年は5月からフィットネスクラブに入会し、今ではほぼ毎日のように出かけています。ランニングマシーンで走るか、筋トレをしています。12月に入ってからは、ベアフットランにも挑戦しています。体に最も負担をかけずに、そして健康に良い有酸素運動を目指しています。

その成果が来年の大会で出るのかどうか。とりあえず、2月から6月までの5ヶ月の間に、6回の大会に申し込みました。トレイルを除き、すべてハーフです。

一番の難関は、2024年4月の焼津マラソンで、制限時間が2時間10分なのです。平坦なコースなので、前回出場した2015年は、2時間7分でギリギリセーフでした。あれから9つ、歳を取りましたから、今回は厳しそうです。

兎にも角にも、健康でこその人生です。いつ、どんな災難が待っているかもしれません。だからこそ、毎日を悔いなく過ごすことしか、自分たちにできることはありません。もう、この歳になれば、つまらない事で他者に振り回されることは避けて、自分の身体と精神に集中して、残りの時間を過ごしたいものです。

■今日はMasato達が起きてくる前に、朝食後フィットネスクラブに行って走りました。いつものようにベアフットランを心がけ、膝を上げるようなつもりで、1時間4分59秒、11.01kmを走り、これで今月は17回のランで117.33kmを積み重ね、目標の月100キロ走を達成しました。

途中、30分で1度トイレ休憩を取り、引き続いて走りました。最後の1分程で急に気づいたのですが、足底筋膜の弾みを利用して、後ろに蹴り上げるような走り方ができることが分かったのです。これは大きな発見でした。次回走った時にもう一度この点を確認してみたいと思っています。

以前、フィットネスクラブで、ある男性ランナーの走ってる様子を見ていて、見とれてしまいました。とても美しいのです。見事に後方に蹴り上げて、リズミカルに走っている様子は、美しいとしか言いようがありませんでした。

どうしてあんな走り方ができるのか不思議でならなかったのですが、そのヒントらしきものが見つかったのかもしれません。次回が楽しみです。

供養

■20231224(日曜日:晴れ)

今日走った、原海岸の堤防です。

■今日は日曜日。久しぶりに予定が入っていませんでしたので、海岸縁の堤防を、ゆっくりと有酸素運動を心掛けて走ることにしました。朝食を食べて2時間ほどして家を出ました。

本当に久しぶりです。何ヶ月ぶりでしょうか。写真を調べてみると、どうやら5月4日以来のようです。半年以上、海岸を走ることはなかったようです。

心掛けることは、ただ一つ。つま先立ちのベアフットランです。いつもの道を歩き、海岸の堤防にたどり着いて、タイマーを30分にセットしました。往復で一時間の予定です。スピードを上げることは考えませんでした。踵をつかないように走ること、そして鼻呼吸をすることを心がけて走りました。

走ったり途中で休んだりしながら、3時間16分43秒をかけて、10.83キロを積み重ねました。これで今月は13回のランで、87.01kmを積み重ね、目標の100キロ走までは、残り7日で12.99キロを残しています。

■帰り掛け1号線バイパスを渡り、昨年5月12日に亡くなった、親友の会社の本社前を通り、かつて招き入れてくれた、最上階の社長室の方に向かって手を合わせて、思い出を語り合いました。本当に寂しい限りです。

ロータリークラブで知り合い、どういうわけか馬が合った2人は、何かにつけて楽しいひと時を一緒に過ごすことができました。私よりも9歳年上でしたので、元気でいらっしゃれば、来年80歳を迎えることができたはずです。

健康には人1倍いや、人2倍ぐらい気をつけていた人でしたので、本当にまさかの急逝でした。今でも、旅立たれたということが信じられないほどです。楽しい思い出は本当に、山のように心の中に残っています。

忘れないことが一番の供養だと思い、堤防を走った時には必ず本社前を通り、手を合わせて心の中で語り合っています。

■さて、ベアフットラン、つま先立ちにも慣れてきたようで、2時間以上の時間、ほとんどをつま先立ちでいることができるようになりました。走っている時も感じたのは、目線が下に向くことが無いということです。背筋が伸びますので、自然と視線が遠くに向かいます。きっと走っている姿も、少しは若々しく見えているはずです。

帰りがけにフィットネスクラブに立ち寄り、シャワーを浴びて帰宅しました。歩いて3分の距離だからできることです。

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