2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

カテゴリー: LSD Page 6 of 7

LSD

■20210905(日曜日:曇)

沼津市大瀬崎の様子です。スキューバダイビングのメッカとして有名です。

■今朝は本当に久しぶりに、LSD ( Long Slow Disrance ) を敢行しました。ゆっくりで良いから、とにかく長く走るトレーニングです。天気予報では、時々雨の降る予想でしたが、幸い走っている間は降ることはありませんでした。

4時半に目覚まし時計を合わせて目を覚ましたのですが、睡眠のリズムの関係でしょうか、すんなり起き出すことができませんでした。体がだるく、今日は走るのを止めようと、何度も思いながらグズグズしていました。結局起き出したのは、1時間ほど経ってしまった5時半近くでした。

それでも、なんとか起き出して、スタートすることができました。結局今日は、1時間21分8秒、11.45キロを走り、これで今月は月3回のランで、23.02kmを積み重ね、月100キロ走まで残り25日で、76.98kmのところまで来ました。

校庭にたどり着いてからは、タイマーを1時間に合わせて再スタートしました。10キロ以上走ったのは、本当に久しぶりです。最後まで走りきれるか、とても不安だったのですが、とにかく、ゆっくりで良いから走り続けようと、そのことばかりを考えていました。

走っている間、色々なことが頭の中をよぎりました。来年3年ぶりに出場しようと思っている、千歳JAL国際マラソンで、これまで走ってきたコースのことを思い出していました。

Takuと一緒に走った楽しい思い出です。今日走った11キロ地点というのは、折り返し点を越えて下り坂に入ったあたりです。あのコースはスタートして、ほとんどずっと緩やかな上り坂になっていて、折り返し点で下り坂になります。

それからさらに、また途中で上り坂が入ったりして、その辺りが一番辛い場所になります。来年、果たして大会自体が開催されるのか、そして参加できた時に、完走できるのか不安ばかりですが、とにかくトレーニングを積んでおくしかありません。

■帰ってきて朝食をとり、テレビをつけてみると、パラリンピックのマラソンを放映しています。東京で開催されました。小雨模様でしたが、最後は雨も上がったようです。

走っている選手を見ていると、自分も大会に出てみたい、と心から思うのです。あのように美しいフォームで走ることは、もちろんできません。ただ苦しくて、もがいて走っているだけですが、ゴールした時の、あの達成感、喜びは、何にも代え難い、貴重なものなのです。

走り終わって3時間ほど経ちますが、疲れが出てきたようです。記録し終わったら、少し休みましょう。

目くらまし distraction

■20200426(日曜日 晴れ) 英語版掲載開始 click to English version

岩倉城です。

■今朝は走りました。そして本当に久しぶりに LSD を敢行しました。つまり、ゆっくりとなるべく長い時間走る Long Slow Distance ということです。今朝は5時に起きて、すんなりと準備をすることができました。

結局2時間16分51秒を走り17.73 kmを積み重ねることができました。途中で右膝、そして左太ももの内側に痛みを覚え、4回ほど屈伸運動をしなければなりませんでした。それでも、この時間はちょうどハーフマラソンを走り終えるほどの時間ですので、何はともあれ走り続けることはできたことは、とても嬉しく思いました。

楽しみにしていた、6月7日の千歳JAL国際マラソンが、新型コロナウイルス感染の問題から中止となってしまい、張り合いが無くなってしまいました。目標が消えてしまったのです。

今朝は暑すぎず、寒すぎず、ちょうど良い加減でした。今9時少し前ですが、風が強くなってきたようです。でも私が走っていた時間帯には、風もそれほどなく、とても爽やかな青空と空気の中を走ることが出来て、思いきって LSD に挑戦してよかったと思っています。

これで今月は12回のランで92.34kmを積み重ね、残り4日で7.65キロメートルのところまで来ました。なんとか目標を達成できそうです。

大型連休を前にしての日曜日で、外出自粛の要請が全国に出されていて、今朝は走っている途中でも、車とすれ違うことはあまりありませんでした。もちろんバイパス1号線には、それなりの交通量がありましたが、普段と比べれば、かなり少ないのではないでしょうか。

昨日のテレビの報道によれば、東海道新幹線において自由席の乗車率が0%の車両が2回ほどあったそうです。東海道新幹線が営業開始して以来、初めてのことではないでしょうか。

同様の番組の中で、渋谷交差点の様子を放映していましたが、その様子は私にはまるで、コンピューターグラフィックスで作った架空の映像のように思えたほどです。何か取って付けたような不思議な映像に感じました。本当に人通りがまばらなのです。でも現実なのです。

■さて今朝のテレビの番組では、パチンコ店の営業自粛について何人かの識者がコメントしていました。要請に従わないのはけしからん、という発言内容が多く、まるで非国民呼ばわりです。しかし、私はいささか疑問に感じました。

パチンコ店を槍玉にあげる一方、大切なことをわざと隠蔽しているような気がするのです。誰かを、あるいは何かをマスコミが吊るしあげ始めたら、それは何かを隠そうとしていると考えた方が正しいことが多いのです。

私達は散々騙されてきました。未だに騙され続けているのです。

小泉総理が郵政民営化を問うた総選挙において、「公務員ではダメなんですか?」と国民に訴え、大きな共感を得ました。しかし小泉総理が本当の目的としていたのは、郵便局の職員のことではなくて、私達の大切な郵便貯金を、いかにアメリカへ融通するかということだったのです。

私達は目くらましに騙されたに過ぎないのです。いまだに同じことを繰り返しています。農林中金や郵便貯金が、アメリカのクズのような債権を山ほど買い込んでいることは、どうやら本当のようです。

コロナウイルス危機で訪れる金融崩壊によって、一体どれだけの国民の財産が失われるのでしょうか。アメリカの強欲な債権・金融システムにドブに捨てるように吸い取られているだけなのです。

リーマン・ショックで散々桁違いの損失を出していながら、未だに同じことを繰り返しています。日本国民は一体いつになったら目が覚めるのでしょうか。日本人のためと言いながら、実はアメリカのウォール街の犬のようなことをしている人々が日本を取り仕切っているのです。

日本は本当は植民地なのです。そこから脱しない限り、本当の日本の独立はないのです。

アメリカの一極支配が崩れた後、私たちは自分たち自身の頭で考え、アジアの中で、そして世界の中でどう生きていくのかを真剣に検討し、未来を構築していかなければならないのです。

残された時間は、決して多くはありません。

■ 英語版 English version ■

I ran this morning. And I did LSD for the first time in a long time. In other words, you can run slowly for as long a time as possible, called the Long Slow Distance. I woke up at 5 am this morning and was able to get ready without a hitch.

I ended up running 2 hours, 16 minutes and 51 seconds and was able to accumulate 17.73 km. Along the way, I felt pain in my right knee and then the inside of my left thigh, so I had to do some bending exercises about four times. Still, this was just enough time to finish running a half marathon, so I was very happy that I was able to keep running no matter what.

The Chitose JAL international marathon on June 7th, which I was looking forward to, was cancelled because of the problem of the new type coronavirus infection, and I lost my enthusiasm. The goal has disappeared.

This morning it was just right, not too hot, not too cold. It’s a little before 9 o’clock now, but the wind seems to be picking up. However, during the time I was running, there was not much wind and it was very crisp blue sky and air and I am glad I took the plunge and tried LSD.

I’ve now accumulated 92.34km in 12 runs this month and have 7.65km with 4 days left to run 100km a month. I think I’ll be able to achieve my goal.

It was the Sunday before the big holiday season, and the whole country had been asked to refrain from going out, so I didn’t pass many cars this morning, even as I was running. Of course, there was a fair amount of traffic on Bypass 1, but compared to what we usually see, it’s a lot less.

According to a TV report yesterday, there were two times on the Tokaido Shinkansen that the free seat occupancy rate was 0%. Isn’t this the first time since the Tokaido Shinkansen began operating?

In a similar program, a scene at the Shibuya intersection was shown, which seemed to me like a fictional image created by computer graphics. It felt like a strange image, as if something had been attached to it. The streets are really sparsely populated. But it’s real.

In this morning’s TV program, some experts commented on the voluntary restraint of pachinko parlors. There are many statements that it is inexcusable that they don’t comply with requests, and they are called unpatriotic. However, I found myself wondering somewhat.

I feel that they are deliberately hiding important things while making a mockery of pachinko parlors. When the press starts hanging someone or something up, it’s often correct to think that it’s trying to cover something up.

We’ve been ripped off a lot. We are still being duped.

In the general election when Prime Minister Koizumi questioned postal privatization, he asked, “Can’t post office workers be civil servants? He appealed to the public and won a great deal of sympathy. But Prime Minister Koizumi’s real goal was not the employees of the post office, but how to get our precious postal savings to the United States.

We are merely fooled by our blindness. We are still making the same mistakes over and over again. It’s apparently true that Agriculture, Forestry and Postal Savings are buying up mountains of American scum-like bonds.

How much of the nation’s wealth will be lost as a result of the financial collapse brought about by the coronavirus crisis? They are simply being sucked into the dumps by America’s greedy credit and financial system.

They are still doing the same thing, even though they lost orders of magnitude during the Lehman shock in 2008. When is the Japanese people going to wake up? Those who say they are for the sake of the Japanese, but are actually running the country like dogs on Wall Street in the US.

Japan is really a colony. There will be no real independence of Japan unless we get out of it.

After the collapse of American unipolar rule, we must think for ourselves, seriously consider how we will live in Asia and in the world, and build our future.

There is never much time left.

既視感

■20200113(月曜日:晴れ) 成人の日

富士山本宮浅間大社です。

■今朝は走るつもりで目覚ましを合わせていたのですが、お腹の調子が悪くなり、起き出すことができませんでした。昨日食べたものの中で何か良くないものがあったのかもしれません。腹痛と下痢で少し辛かったのですが、出るものは出てしまえばスッキリして後は楽になりました。

10時頃には、だいぶ楽になりましたので、LSD を敢行しました。一応2時間のつもりで始めたのですが、今日は1時間で切り上げることにしました。結局1時間15分21秒を走り、10.34kmを積み重ね、総計44.02km、残り18日で55.97kmのところまで来ました。

先日購入したナイキの厚底ランニングシューズに、だいぶ昔に神田のお店で作ってもらった中敷、インソールというのでしょうか、私の足に合わせたものを前のランニングシューズから取り出して、ナイキの靴に挿入しました。今日走った限りでは最後には慣れてきて楽なような気がしました。

■昨日は午後から夜にかけて、ホームページの更新を行ないました。ホームページの更新と言ってもホームページを作っているソフトウェアの更新です。ホームページの素材を作り、画面上に提示する、Contents Management System (CMS)といわれるソフトの更新です。

昔は様々なソフトウェアが登場しては消えていきました。インターネットが普及し、誰もが Web Site 、いわゆるホームページを作ることができるようになりました。これは本当に画期的なことでした。

私が初めて、自分自身でホームページを立ち上げたのは1996年だったように記憶しています。当時の内容は今ではどこにも保存されていませんので、残念ながら再現することはできません。

あの頃はIBMが発売していたホームページビルダーというソフトが発売される前でした。無料で使える CMS が雑誌の付録などで利用することができたのです。

初めてホームページを立ち上げた時に、当時まずしなければいけなかったのは、自分がこんなホームページを作ったことを、みんなに知ってもらう必要でした。今ではGoogleがネット上のページの、いわばキーワードを自動的に拾い上げて、検索の対象にして結果を簡単に探すことはできますので、こんなページを作ったと、わざわざ自分がどこかに知らせる必要はありません。

あの頃はニフティでしたでしょうか、みんなが集まる広場のようなものがあって、そこに掲示板のような仕組みがあったのです。そこに、こんなページを立ち上げた、とたくさんの案内が貼り付けてあるような状態でした。その掲示板を見て、こんなページが作られたのだ、ということを知り、それを見に行くという順番だったのです。

もちろん掲示板の数には限りがありますので、次々に増えていくページを全部載せることはもちろんできません。新しいページが掲載されるたびに古いページは埋没していく訳です。

そこにグーグルが検索という仕組みを導入しました。昔を知る人間にとっては本当にびっくりする、まさに画期的なことだったのです。

■昨日の更新作業が、なんとかうまくいったようで CMS を作っているプログラム言語 PHP も、無事にバージョン 7 に更新しましたが、二つの CMS ソフトも無事に作動しているようです。

ただし古い方の CMS で作った5年前のブログの写真が所々抜けてしまっています。保存してあったハードディスクから転送しているのですが、上手くレンタルサーバーの方に移動していないようです。2000近い写真があるのですが、探し出すのは容易ではありません。

■そんな中で昔のブログを読み直していて驚くこともあります。例えば2015年4月20日のブログを読み直してみると、「家庭訪問」と題するページがありました。

ここで引用した、東京新聞筆洗の内容は残念ながら今ではネット上に掲載されていないのですが、私が書き写した部分を繰り返せばこうなってみます。

遠い昔の物語と思いがちですが、我々の見えないところで貧困が広がっている、と記事に書かれています。今の政権がやろうとしているのは、アメリカでの失敗の焼き直しだ、という指摘が聞こえてきます。中産階級の没落です。しっかりと目を見開いて自分の頭で考えないとダメなのです。

これを私が書いたのが2015年4月20日であることが驚きなのです。この後5年近くをかけて安倍政権が成し遂げた成果といえば、まさに中産階級を崩壊させ、国民所得を減少させ、少子化を加速させたことだったのです。

この間、国民は一体何を見て、何を考えてきたのでしょうか。政権運営にとって一番大事なのは、政策に取り組んでいるふりをすることだ、という総理を頂いているこの国の不幸は、とどまるところがありません。

こうして5年以上前のブログを読み直すことは、自分にとっても、自分を振り返るとても良い機会になることを改めて思い知りました。

LSD20200105

■20200105(土曜日:晴れ)

箱根のご来光です。

■年末年始の休暇も今日で終わりです。今年は1月1日の元日が休日当番日でしたので、年末からの休暇が途中で途切れる形になりました。したがって遠くへの旅行などはできませんでしたが、幸い箱根の宿が取れましたので、箱根駅伝を観戦することができました。

■今日は最後の休日ということですので、ゴルフにするか LSD( Long Slow Distance ) を敢行するか、どちらにするか迷ったのですが、結局選んだのはLSDでした。

昨年の12月に、月100キロ走の連続達成記録が途切れてしまいました。とても残念で何か糸がプツンと切れたような脱力感があったことも事実なのですが、大切なのはそうした場合にどう切り替えるかではないでしょうか。

今回、私は「70歳でもフルマラソン」という新たな目標を勝手に作って、それを目標とすることにしました。ということで、今朝はそれに向かっての第一歩、2時間の LSD を敢行したのです。

5時に目覚ましをかけていたのですが、今日はすっと起き出すことができませんでした。心地よくない夢を見たためもあったかもしれません。ぐずぐずと布団の中で逡巡してしまい、結局走り出したのは5時45分頃でした。

そんなわけでスタートが決してスムーズだったわけではないのですが、とにかくゆっくりでいいから走り続けよう、とだけ考えて、ひたすら走り続けました。結果として今回感じたのは、今までの2時間 LSD の中で最も順調な経過だったことです。

もちろん最後は腰の痛みとか筋肉の痛みとか、色々な変調はあったのですが、しかし走るのをやめなければ、と考えるほどの体の変調は起こりませんでした。これは大きな自信となりました。つまり、ペースとしては決して早くないのですが、2時間走り続けることが確実にできるという自信は、とても大きな収穫でした。

結局今日は2時間46秒を走り、15.34kmを積み重ね、今月は2回のランで21.44kmとなり、残り26日で78.55キロメートルを残すことになりました。ペースとしてはキロ7分52秒ですから、少しも自慢できるようなものではないのですが、とにかく走り続けることは出来た、という事実はとても大きな自信となります。

どういう訳かは分かりませんが、今日は2時間という時間が、とてつもなく長く感じることは一度もありませんでした。少しずつ少しずつ時間が経っていくのはもちろんわかるのですが、以前のように、まだこれだけか、まだこれだけかという、いわば愚痴のようなものとともに走り続けるということがなかったのです。

とても淡々と、少しずつ時間が流れていくという今日のランニングは、私にとって本当に初めてと言っても良いような経験でした。

白内障手術をしたおかげで目も体も軽くなって、こんなことが可能になったのかというのは、もちろん冗談ですが、本当にこれは驚くべきことでした。気温など条件が特に良かったことが一番の大きな原因なのでしょうが、それはさて置いても、今日は自分にとって、とても有意義な 2 時間でした。

■さらに大きな収穫だったのは、ある原稿を頼まれていたのですが、その結語というか、まとめをどのようにすべきなのか迷っていたのですが、それについて自分なりに良いアイデア、考えが浮かんで決断することができました。ちょうど走り始めて一時間を過ぎた頃でしょうか、そのアイデアが浮かんだのです。

私はこれまでにも走っている途中で、良い解決方法を見つけたことが何度かありました。それで救われたことも幾度かあったのです。そうした意味でも、今日の2時間の時間は、新年早々私に色々なものを与えてくれたように感じています。今年1年自分なりに出来ることを、少しずつ積み重ねていきたいと思っています。

そして何より幸運だと思ったのは、昨日のんちゃん達と魚河岸寿司に行ってお寿司を食べたのですが、時々タッチパネルで抽選のビンゴをしてくれるのですが、何と昨日は一発目のビンゴで見事当たってしまったのです。まず滅多に当たることはないのですが、なんと一発目でビンゴですから、これは本当に今年はきっと良いことがありそうな気がしました。

単細胞そのものなのですが、まあいいでしょう。何はともあれ、前向きに物事を捉え、努力を積み重ねること、それが一番大切だと実感するのです。

電柱

■20190916(月曜日、曇り)

テレビドラマ「北の国から」の舞台です。

■今朝は走りました。昨日の疲れも残っていたのですが、ここで頑張って走らないと間に合わなくなる可能性がありましたので、久しぶりのLSD(Long Slow Distance)を敢行しました。今朝は17.09kmを走り、これで今月は8回走り、61.99kmを積み重ね、残り14日で38.00kmとなりました。エプソンのホームページに記録を登録すると、画面には「月間50キロ走達成おめでとうございます」と告げてくれています。途中二度ほど休憩し、少し歩いてしまいました。そして10キロを過ぎて右膝の違和感も出現し、途中で止めてしまおうかと思ったこともあったのですが、とにかくなんとか最後まで走りきることができました。

2時間11分16秒も、かかってしまいました。2時間も走り続けたのは今年の6月に出場した、JAL国際千歳マラソン以来です。2時間走り続けるというのは、やはりなかなか大変です。途中で筋肉痛や膝の痛みなど、なんやかやで走れなくなってしまう時間帯があるのです。ゆっくりしたペースならば、何時間でも走っていられる、と豪語したいところなのですが、今の私の実力では、とてもそんなわけにはいきません。たとえゆっくりとしたペースではあっても、走り続けるというのは結構大変なのです。それでも苦しかった、走り始めて1時間ほどした時を過ぎると不思議なことに、また少し楽になってくるのです。あの苦しさは何だったのだろう、と後から思うと不思議な感じがするのですが、その苦しい時には本当に苦しいのです。

その苦しい時間帯を過ぎると、しばらくの間は、なんと言いますか、無の状態とでも言いましょうか、その時間だけ何か、消しゴムで消してしまったような、そんな時間帯がしばらく続くのです。周囲の様子も記憶に残っていません。ひたすら自分が走るだけで、まるでトレーニングルームで、ただ1人で走っているような、そんな時間帯なのです。膝の痛みも屈伸運動を1回してからは、少し楽になりましたので、なんとか、だましだまししながら、最後まで走り終えることができました。

■さて、台風15号で被害を受けた千葉県では未だに停電の状態が続いているようです。様々な解説がネットに溢れていますが、同様に暴風の影響を受けた東京都では電柱を地中に敷設してあった地域が多かったために、被害が軽かったという報告があるようです。つまり、風によって電柱が倒れ、それによって停電が起こり、復旧に時間がかかっているという説明です。

強力な台風が、これからも何度も襲ってくる可能性を考えると、単に景観上の問題から電柱を埋設すすべきだ、というだけではすまない問題になってきました。安全保障の問題とすら言える状況になってきたのです。

福島第1原発の被害者に対する賠償資金を捻出するために、東京電力が電柱の維持管理費を合理化したことが被害を大きくした、という指摘もあるようです。詳細は不明です。原因はどうであれ、これだけ長期にわたり停電が続くということは、国民生活への影響を考えると、早急に原因と対策をしっかりと立てるべきだというのは当然のことです。

最近は毎年のように大型台風が上陸し、同様の被害が発生していることを考えると、政府と電力会社はしっかりと協力して、有効な対策を取らなければならないのです。政治の怠慢は国民の命を危険にさらすのです、どうも今の政府は、そうした慮りに酷く欠けるようです。

祈りの旅

■20181230(日曜日:晴れ)

川口駅前から実家のあった飯塚三丁目へ向かう道路です。半世紀前には、大きな燃料研究所があり、そこを迂回しないと駅まで行けなかったのです。今は一直線の道路が走っています。

■いよいよ平成30年も明日一日を残すのみとなりました。昨日で仕事も終わりましたので、今日はゆっくりと休んでも良かったのですが、月100 km 走の目標がまだ達成されていませんので、今朝は走りました。 目標達成まで10 km 強残っていましたので、今朝は6時に目覚ましをかけて起きだし、6時半から走り始めました。この時間になれば明るくなり始めますので、ペンライトを持たずに安心して走ることができます。普段ですと仕事の関係で、この時間のスタートでは安心してゆっくり走ることができませんが、今日はもう仕事はありませんので、のんびりとゆっくりとペースを刻みました。結局12.47 km を走り総計が102.26 km となりました。 これで46ヶ月間連続月100 km 走を達成したことになります。統計を取り始めてからの走行距離が、通算7,596 km となりました。今年も無事に一年間しっかりと目標を達成することができたことを、とても嬉しく思っています。

ネット上での集計を見てみると、今年は180回、通算1246.04 km を走りました。最も多く走ったのが3月で、107.71 km。 最も少なかったのが2月で、目標ギリギリの100.64 km でした。 1年間にわたってしっかりとした統計を取り始めたのが、2015年からですか、この四年間の統計を見てみると、最も多く走ったのが昨年2017年の1357.33 km です。 こうして統計を見てみると、今年は昨年よりも少なかったことがわかります。今年はTakuが仕事について時間が取れずに、一緒にマラソンに参加することが昨年のようにはできませんでした。昨年は千歳マラソン、立川シティマラソン、そしてお伊勢さんマラソンと3回一緒に走ることができましたが、今年はお伊勢さんマラソンの一回だけでした。これは致し方ありません。私自身も参加したマラソンは、千歳マラソンとお伊勢さんマラソンの2回だけでした。残念ながらフルマラソンは一度も参加することができませんでした。高野コーチと一緒に走るのを本当に楽しみにしていたのですが、残念ながら私の今の実力では、一緒にフルマラソンを走るのは、なかなか難しそうです。

■さて東京新聞に連載されている、「象徴のうた 平成という時代」は、 細胞生物学者であり、また歌人でもある永田和宏さんが書かれています。 今回の副題は「再生への願い 国民と共に」です。被災地への天皇・皇后両陛下の旅の様子を綴られています。 平成23年の元日には天皇陛下の御製(ぎょせい)五首、皇后陛下の御歌(みうた)三首が発表されています。天皇陛下はこの五種のうち四種で、そして皇后陛下は三種全てで東日本大震災をお詠みになっています。

津波寄すと雄々しくも沖に出でし船もどりきてもやふ姿うれしき 天皇

「生きてるといいねママお元気ですか」文に項(うなじ) 傾し幼な児眠る 皇后

皇后陛下の御歌は、津波で両親と妹を亡くした4歳の少女が「ままへ。いきてるといいね おげんきですか」と手紙を書きながら、その上にうつぶして寝入ってしまった新聞写真をご覧になっての一首である。寄る辺のない幼児が蒙(こうむ)る悲劇に、国民の目線で同じように悲しみを共有しようとされる姿勢が感動を生むのであろう、とあります。

翌平成24年5月には仙台市訪問に際して、その数日後にエリザベス英女王の即位60年行事のため訪英の予定があったのですが、両陛下の負担を思って、奥山恵美子仙台市長はあえてこの時期においでにならなくても、もっと後でもと提案したそうです。それに対して

英女王の招待ももちろん大事ですが、被災地を訪問せず訪英するという判断はありません。被災地に行かずに海外に行くことはないと陛下はお考えです」という返事が宮内庁から届いたという『祈りの旅』

記憶しておきたい言葉である、と永田和宏さんは書かれています。永田さんの脳裏には、この順番を間違えているのではないか、と思える政治家の行動があったに違いありません。そんな政治家がのさばっている現状を許している国民のありさまは、まさに国家の危機に違いありません。

働く喜び

■20181123(金曜日:晴れ)勤労感謝の日

 

川口市立西中学校の前の道、「環状線通り」沿いです。この道を、よく歩きました。

 

 

■今日は走りました。LSDに挑戦です。7時から走り始め、18.92km を2時間10分10秒かけて走りました。残り7日で 10.68km まで来ました。来週の月、水曜日で目標の100キロを超える予定です。帰ってきてシャワーを浴びた後に体重を測ると、なんと 55.45kg で、体脂肪率は 12.20%の痩せ、となりました。脱水です。朝食の美味しかったこと。これも走った後の、ご褒美です。

 

■昨日は午後から保険の再契約手続きがあり、その後、夜は勉強会があり、座長を務めました。これで一つまたお役目が無事に終わり、あとは明日の静岡での眼科医療従事者講座の座長と、その後の講師との懇談会です。さらに来週木曜日に、東部眼科医会役員会が終われば、とりあえず今年の役割は無事に終了となります。その後は、お伊勢マラソンで完走することだけを考えれば良くなります。

 

(●^o^●)

 

■さて今日は勤労感謝の日。休日ですから、ホット一息なのですが、働くことについて考える機会でもあります。働くことは当然、生活のためでもあります。生活できなければ何も始まりません。それでは生活できればよいか、というと働くことには、それ以上の意味があります。今日の東京新聞の社説の題名は、

 

誰かの役に立つ喜び。働くって何だろう。

 
です。 一つの例を挙げています。京都にある一澤信三郎帆布(はんぷ)という根強い人気を誇る老舗カバン店です。一点一点職人が手作りし、修理を受け、長く使い続けるかばんを提供する。京都の店でしか売らない。「目の届く範囲、責任をとれる形で売る」からです。もうけを考えれば、70人いる職人に残業を求め、人数を増やしたほうが良いのでしょう。だが、そうはしないのです。

 

一澤信三郎社長は平然として言います。

 

世間は利益率やら投資効果、利便性のことばかり。だが暮らしに何十年と役立つものは、そんなもんからは生まれまへん。だから、とことん時代に遅れ続けような、って言うてんです。

 

最後に社説は、こう結んでいます。

 

職人の生活を守り、品質を守り、いいものを作り続ける。それが使う人の役に立つ。働くとはつまり、人をつなぎ、人を守るものではないでしょうか。

 

私が一番大切だと思うのは、長く続くことではないでしょうか。ゴーンさんのようにコストをカットして利益を出すことは、もちろん大切です。しかし利益を出すことは目的ではないと思うのです。なぜ利益を出さなければ駄目なのかと言えば、利益が出なければ会社を継続させる事ができないからです。一時的な利益だけでは会社は続きません。短期的な利益と長期的な展望。経営とは、本当に芸術だと私は思います。優れた経営者は、芸術家なのです。

 

数字は大切なのですが、数字だけでは文化は生まれません。長く続く会社には、必ず文化があります。人を引きつける文化があるのです。消費者だけでなく、そこで働く人々にも喜びを与えることができるのです。先程の一澤信三郎帆布も、京セラも、ソニーも、日本電産も、優れた会社には、人を引きつける文化があるのです。一時的にもてはやされる経営者も、長い時間に耐えるのは、並大抵ではできません。

 

やはり時間が最良の篩(ふるい)に違いないのです。

 

 

親の役割

■20180924(月曜日:晴れ)

 

 

■今日は秋分の日の振替休日です。日本は先進国の中で、最も休日が多い国に変身しました。日本人は働き過ぎだ、と諸外国から非難されたからです。しかし、どうも平日の働きぶりが効率的とは、お世辞にも言えないのが日本人の現状のようです。ダラダラ会社にいて、帰りは仲間と一杯。家に帰りたくないのではないか、とすら思えるのが日本人ビジネスマンの平均像なのは、あまりいただけない話です。

 

■さて今朝は、LSDに挑戦です。12月はTakuとお伊勢マラソンを走る予定ですが、現状ではかなり苦しい一日になりそうですので、一度は長い距離を走っておく必要を感じていました。ということで、今朝は5時に起きて5時半から走り始めて 16.23km を走りました。2時間6分8秒のLSDでした。

 

気温も高かったためか、とにかく苦しい時間でした。とちゅう2度、30秒ほど歩いてしまいました。とにかく苦しい時間でした。これで 90.31km を積み上げましたので、あと残りは 9.68km となりました。何とか目標は達成できそうですが、油断大敵です。

 

右太ももの痛みは、ほとんど消失しました。ただゆっくりと走っているので、痛みが出てきていないだけかもしれません。大会で一生懸命走れば、話が違ってきます。それに、この程度のLSDで、こんなに苦しかったかな、と悲観的になりました。これではハーフの大会ですら完走は大変です。

 

筋力の衰えか心肺機能の衰えか、単なる加齢現象か。よく分かりませんが、以前より辛く感じているのは確かです。これで何も鍛錬をしていなかったら、ものすごく衰えを感じるのだろう、と痛感します。今朝も走っていて、一度つまずきました。危うく前のめりに転倒しそうになりました。昨年のベトナム支援の旅でハノイ市内を早朝走った時に、やはり躓いて転倒し、その時は前歯を少し損傷しました。幸い目立つほどでも無く、神経も損傷しなかったので、何事も無かったかのごとく帰国して治療をして済みましたが、あの朝を思い出しました。

 

今朝は躓いた時に、自分の太ももを始め筋力で辛くもこらえて体勢を立て直した、という実感がありました。これが筋力の衰えとともに、堪(こら)えることが難しくなるのでしょう。そして転倒して怪我をするに違いないのです。いつかその日が、やってくるに違いありません。その日まで、鍛錬を積み重ねるしかありません。

 

■昨日はゴルフに行って、楽しい一日でしたが、さらに嬉しかったのは、御殿場で開催された勉強会に一日出席し疲れたNonちゃんが夕飯を一緒に食べようと、連絡をしてきてくれたことでした。お気に入りのレストラン「象の仔」で美味しい夕食を三人で食べながら、3時間以上話し込みました。

 

仕事の現状、家族の思い出、とにかく色々なことを話しました。感受性が鋭敏なNonの話には、鈍感な私にはついていけない面も多々あるのですが、自分の娘が、そうして社会人としても立派に地域社会に貢献している、と確認できることは本当に嬉しいことです。

 

父親として、特に何か特別なことをしてきたわけではないのですが、きちんと独り立ちして自分の頭で考えて自分で行動していることに安心しました。それでもう、親としての役割は、ほとんど終わりです。残されたのは、何か役に立てることがあれば、お手伝いする、ということだけです。それで良いのです。

 

帰りの車の中で、稲刈りの済んだ田んぼを見ながら、オヤジくんはこの刈り取られた田んぼを見て何を思う、とNonに質問されました。急な質問で戸惑いましたが、また一年が経ってしまったと感じた、と正直に話したところ、「この一年で自分は、どれだけ成長したのだろうか」と自問自答した、というNonの答えには驚きました。真面目な娘なのです。私は、そのなこと考えたこともありませんでした。

 

(●^o^●)

 

楽しいひと時でした。家族で語り合えるということは、現実にはなかなか難しいことに違いありません。家族だから難しい、という面もあるのです。だからこそ、自分は恵まれている、と感謝するばかりです。

 

 

 

 

こどもの日

20180505(土曜日:晴れ)

 

箱根ガラスの森美術館での写真です。清らかな水です。

 

 

■今朝は走りました。箱根の休日から帰ってきて夕食はかつ銀へ行きました。そしてニューウェルサンピア沼津でお風呂に入って帰宅し、体重を測ってみると、何と61キロになっているのです。2日以来、しばらく走りませんでしたし、食べ過ぎなのでしょう。今朝はLSDを敢行しました。

 

2時間4分28秒を走り続け、18.71km を積み重ねました。これで総計は 29.03km となりました。今朝のペースは、6分39秒/km ですから自分としては悪くありません。とにかくゆっくりと走ることだけを心がけました。ただし14キロ過ぎからは右膝が痛み始めて困りました。何度か屈伸運動を繰り返して、何とか完走しました。

 

この右膝の痛みは私のアキレス腱です。長距離を走り始めてから、何度となく苦しんできました。ランナーズ膝と呼ぶようです。不思議なことに何度か屈伸運動をすると、しばらくは痛みが消えるのです。しかし次第に、その寛解期が短くなり、ついには痛みで走り続けることが大変困難になります。とても辛いのです。

 

今日は20キロ足らずでしたから、何とかなりましたが、これがフルマラソンとなると後半は大変です。膝周りの筋肉を鍛えるしかないのでしょうか。

 

■こどもの日に因んで、今朝の東京新聞「筆洗」欄の記事は、興味深いものでした。

 

私の大好きな作家 中島敦が残した子育てに関する『チビの歌』と題した短歌集などを紹介しています。

 

33歳で早逝した作家を思うと切ない、と著者は書いています。

 

親といっても完全ではない。むしろ欠点だらけなのだけれど、なんとか子供を正しい方へ、導きたい。そんな父親の思いと葛藤が、見えてくる。きっと、いい親子の関係だったのだろうと想像できるほほえましさもある

 

とも、著者は書いています。また発達心理学の岡本夏木さんの著書『幼児期』を引用しつつ、岡本さんがしつけについて語る中で、中島敦の子育ての歌を紹介しながら、こうも書かれていることを述べています。

 

欠点を抱えながらも、大好きな親が努力してる姿を子供は手本に育つのだ。親も努力しなければ早起きできないなどと知ることが子供の努力を支えるのだ

 

なるほど。確かにその通りに違いありません。良くも悪くも手本になるのは、一番身近な親をおいて他にありません。努力している親が身近にいれば、人は努力するのが当たり前、と感じるでしょうし、むしろそれが当たり前で、歯を食いしばって努力する、などという悲壮感など持つこともなく、自然に努力が身につくに相違ありません。

 

寝る前には歯を磨く、という事が当たり前になれば、何も歯を食いしばって努力しなくても、自然と毎晩歯を磨いてから寝るようになるのとちょうど同じです。習慣ほど恐ろしいものはありませんし、同時に習慣ほど力強い味方も無いのです。そのことを教えるのが親の務めではないか、とすら私には思えます。

 

 

出会い

20180226(月曜日:曇)

 

昨日は静岡第三分区のIMでした。三名の米山奨学生が来られてお話をされました。

 

■先週後半から花粉症の患者さんが増えてきました。Sunも私も同様に花粉症持ちですから、辛いのは一緒です。でも私は年寄りになったためかどうか分かりませんが、以前よりはずっと症状が軽くなりました。

以前は私も鼻炎が酷く、眠ろうとしても鼻水で眠れないほどでした。花粉除去器を購入して寝室に置き、一晩中動かしていたほどです。ところが最近は、そんなことをする必要も無くなりました。鼻水も出ますし目も痒いのですが、付き合っていける程度に軽くなりました。

■さて昨日は朝方LSDをして、ゆっくり朝食を取り、9時にスタートした東京マラソンをテレビ観戦していたら、11時を過ぎてしまいました。12時3分の電車に乗らなければなりません。一寝入りしてから出かけようと思っていたのですが、それどころではありません。慌てて着替えをして駅に向かいました。

沼津駅で電車を降りる際に、新富士クラブの小山さんや富士山吉原クラブの曽根さんなどに会いました。

会場のリバーサイドホテルに到着。三階の会場に着き受付を済ますと、嶋村さんが待っていますよ、と呼び出されて来客用の部屋に通されました。特別講演の演者 石橋正男さんを始め東江戸川ロータリークラブのみなさんがおられました。

本日の開催テーマ『未来へつなごう 若者たちに私達ができること』のために、起こしくださったのです。

沼津柿田川クラブの手作り感一杯のIMは、内容に富んだとても素晴らしい会でした。有名な演者を呼んで単に講演をしてお茶を濁す、という一般的な方法を取りませんでした。時間も手間も掛かったでしょうけれども、訴えるものも大きかった会でした。

■先月富士宮クラブでさせてもらったベトナム支援の旅卓話のお礼状と、会員の皆様からいただいたカンパの領収書、そして4月に行う写真展のパンフレットを富士宮クラブの渡邊会長にお渡ししてありました。ところが米山奨学生の三名の方の中に、ベトナムからのマイ・ティ・フォン・ズンさんがいたのです。

山梨県立大学に在学中です。いったんお渡ししたのですが、写真展のパンフレットを一旦返却していただいて、懇親会の席でフォンさんにお渡ししながら私達の活動を簡単に説明することができました。

こんな出会いもあるのですね。

これからさっそくメールを出すつもりです。

 

懇親会の席で。前島さん、奨学生 フォン・ズンさん、私、そして雨宮さん。

 

 

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