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2014 年 01 月のページ

2014年01月31日(金曜日:晴れ)


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■今日からは父のいない日々が始まります。今までも一緒に住んでいたわけではありませんから、目の前から消えて無くなった、というわけではないのです。それでも会いたくても永遠に会えなくなった、という事実は、妙に重苦しいものです。また日常が始まりますから、次第に、そんな気分も薄れていくのでしょう。それでも心の片隅にでも良いから、父の安らぐ場所を作っておいてあげたい、という思いがあります。いつもいつも思い出しているわけではないものの、ひょんな時に父の笑顔が蘇ってくる、そんなふうにできれば、少しは親孝行が出来るのかも知れないと思っているのです。

 忘れられていなければ、人はこの世から消え去ることはありません。そうであれば、死ぬことに何の恐れもないのです。心の中に住処を移しただけなのですから。



2014年01月30日(木曜日:曇りのち雨)父の告別式


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■今日は父の告別式。朝 8 時すぎの電車に乗って辻堂まで出掛けました。両親が茅ヶ崎の施設に移ってからは辻堂駅に降りることも無くなりました。午前中は曇り空ながら暖かな日和でした。葬祭場に到着すると、まだ誰も来ていませんでした。父の棺が安置されている部屋に入ると、姉が選んだ花に飾られた遺影が目に入りました。父らしい笑顔の写真でした。



2014年01月29日(水曜日:晴れ)


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■今日は納棺の儀が行われました。兄と姉、そして義兄が力を合わせて明日の告別式の準備を進めてくれました。私は一日仕事をして、夜は医師会の会合に出席し通常通りの一日を送らせてもらいました。

 昨日父の死に顔に対面したのですが、覚悟ができていたためか、正直涙も出ませんでした。まだ明日の最後の別れが待っていますので、その時に果たしてどうなるのか、自分でもよく分かりません。今までは父が元気でいてくれたお陰で、何というか、順番が詰まっている、というのでしょうか、いずれは自分も旅立つ日が来るのだ、という当たり前の事が実感として迫ってこなかったのです。しかし父が旅立てば、天の蓋が外れたように、次は当然自分の番であって、子ども達であってはならないわけです。

 還暦を迎え、自分が年寄りの仲間入りをして、いずれはこの世におさらばしなければならない日がやってくることが、他人事ではなくなってきた矢先の父の死ですから、本当に自分自身の人生を整理整頓しなければならない時が近づいているのです。また、そうした思いで、これからの毎日を送らなければいけない、というのが父の死が意味するところなのでしょう。



2014年01月28日(火曜日:晴れ)父の旅立ち


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■今朝も起きだして走り始めました。ただし今日はコースを変えてみました。近くの小学校のグランドを走ったのです。膝の痛み以来、コンクリートの道路上を走るのが、心配だったからです。やはり土のグランドは負担が少ないだろう、という思いからです。ところが皮肉なことに、グランドで走り始めて 10 分も経たないうちに、今日は右の膝が痛み始めました。東京マラソン・ランでは左膝が痛んで苦しみましたが今朝は右膝です。

 何が悪いのか分かりません。屈伸運動をしたり、走り方を色々替えたりして、何とか騙し騙し 6.5 キロを走りましたが、何とかしなければいけません。どうした訳か左膝は痛まないので不思議です。これではフルマラソンどころか、20 キロの伊豆マラソンも危ないほどです。何とかしなければなりません。

■仕事が終わってSunと二人で夕食を取っていると、義兄から電話がありました。父が急死したというのです。先日の姉の電話では状態が落ち着いたので、退院同意書に署名して欲しいと病院から求められている、という話でしたので、ただただ驚くばかりでした。退院後の施設を探さなければダメだね、と姉と相談していた矢先でした。

 そんな状況でしたので、今夜はワインを少し飲んでしまっていたので、Sunに運転を頼んで、取るものも取りあえず車に飛び乗りました。ガソリンが少なくなっていたので、途中で給油して東名高速道路沼津インターに向かいました。先週の木曜日と異なり今夜はバイパスからインターを目指しました。家からですと、給油もあったのですが、30 分はかかってしまいました。高速に乗ってからは順調に渋滞に遭うこともなく厚木インターで降り、一般道を病院まで走りました。一時間半の道のりでした。途中義兄から電話をもらい遺体は病院から葬儀場に移したので、そちらに来るようにと連絡をもらいました。

 葬儀場に到着すると、姉と義兄が葬儀社の方と段取りを相談していました。父の兄弟、親戚の方も高齢化し病気がちですので、はるばる来てもらうのは大変だ、ということで、家族葬として執り行う、というのは以前から兄弟三人で相談してありました。とは言っても家族葬の形態も千差万別。取り決めなければいけないことが山ほどあるとは、今夜初めて知りました。

 兄も駆けつけてくれ兄弟三人揃って、細々した事を相談しながら一つ一つ決めていきました。途中、遺体の処置も終わりましたので、ご対面をお願いします、という担当の方の案内に従って、駆けつけてくれたTakuも含めて全員で父と対面しました。

 もともと大柄だった父が、すっかり小さくなってしまった姿を見て、これが旅立つということなんだ、と実感しました。穏やかな顔でした。たぶん、それほど苦しむこともなく旅立ったに違いありません。これといった大病をしたこともない父は、私達子ども達に心配を掛けることは、これまでほとんどありませんでした。それだけ日常生活に気を付けていた、と言えます。退職してからもウォーキングを欠かしませんでした。子ども達に面倒を掛けたくなかったのでしょう。気丈だったのです。自分を律していたのです。几帳面でもありました。施設の自分の部屋は、いつもきちんと片付いていました。

 そんな父も、ここ二年ほどは足腰がすっかり弱ってしまい、自分で自分の体が思うようにならないことに苛立っていました。涙もろくなって、そんな自分が情けないのか、会う度に泣き出すことが多くなりました。トイレひとつ行くのにも難行苦行になってしまった自分が、とても情けない様子でした。転んで骨折してからは、リハビリにも懸命に取り組んでいました。箱根のリハビリ病院から現在母も入居している施設に昨年9月1日に移ってからも、新しい環境に適応しようと努力していたようです。ただ昨年の終わり頃からは眠り勝ちになることが多く、会いに出かけても、うとうとしていることが多くなっていました。

 どうも元気が無いようだ、ということで診察を受けた結果肺に水が溜まっている、として抜去し楽になったようなのですが、少し熱もあるし入院した方が良いだろう、ということで施設の近くにある市民病院に入院しました。そして先週木曜日の主治医の先生の呼び出し、となったわけです。



2014年01月27日(月曜日:晴れ)


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■昨日の静養の効果があったのでしょうか。今朝は無理なく起きて走りだすことが出来ました。それにしても、寒い朝でした。夜明け前の金星と上弦の月が一番美しく東の空に輝く頃、最も気温が下がります。それでも走っていれば寒さに凍えるということはありません。7.6 キロを走りました。

 前回の走り込みから心配だった膝の痛みが、今朝も少し出始めたのが気になるのですが、もう少し長い距離を走ってみないと分かりません。準備運動を、もう少し念入りにする必要があるかもしれません。

■最近の夜の読書は、齋藤孝さんの「現代語訳 論語 (ちくま新書) [Kindle版]」を読んでいます。現代語訳ですので、スイスイと読めてしまうのですが、もちろん内容は深いものです。孔子という人が 2,500 年も前に生きていた人とは、とても思えないことに、まずは驚きます。そして、何より一見とても当たり前の事を語っている事に、二度驚くのです。まるで諺のように、それだけ馴染み深い、と言っても良いのかもしれません。

 先日もある温泉施設の脱衣室で若い父親が、小学生の一年生でしょうか、小さな息子さんを諭しているのです。縁台の上を濡らして座っている子どもに対して、ちゃんと体を拭いてから座らなければダメだ、自分がそんな濡れた上に座るのは嫌だろう、自分がされて嫌なことをしてはダメだ、というのです。驚きました。今の若い奴はなっていない、という年寄りの愚痴をよく聞きますが、そんなことはありません。今や年寄りの方が、よほどマナーを忘れています。この父親の諭しの元は論語ですね。若い父親が論語を読んでいたかどうかは、定かではありませんが、それだけ日本人の血肉に論語がなっている、ということです。きっと欧米では、それが聖書でありシェークスピアの作品なのでしょう。

 ただ私も論語を最後まで読んだことはありません。断片的に読んだだけです。山本七平さん、下村湖人さんの作品などを通してです。今回は、ぜひ最後まで読破したいものです。

■さて今夜のNHK番組クローズアップ現代を観ていると、本当に暗い気持ちになると同時に、強い憤りを覚えずにはいられません。テーマは、「あしたが見えない~深刻化する“若年女性”の貧困~」。ネットによれば、

 貧困状態に苦しむ若い女性が増えている。親の生活苦の影響を受け、早朝と夜間のバイトを掛け持ちしながら家計を支える 10 代の女性。困窮を抜け出そうと苦学して専門学校に通ったものの、正社員になれない 20 代の女性。

 中でも、先の見えない生活を強いられているのが若くして子どもを産んだシングルマザーである。国の成長戦略で「女性が輝く」ことがうたわれる中、深刻化していく若い女性の貧困。現場のルポから現代社会の新たな課題を浮き彫りにしていく。


 私が何よりも憤りを感じたのが、貧困の連鎖、階級の固定化という現実です。結果の平等を求めるのは、もちろん間違いです。しかし、それは可能な限り機会の均等を担保した上での話であって、最初からハンディキャップが付きすぎていればレースになりません。非正規雇用の若年女性の多くが、同様の環境にある非正規雇用の男性としか巡り会えないという現実。結婚も考えられないし、結婚しても、とても子育てなどできない、という現実。

 シングルマザーの多くが正規の職業に就けないがために保育所にも子どもを預けることができずに、痒いところに手が届くようにして手を差し伸べる風俗産業というシェルターに救いを見出さざるを得ない現実。こんな現実が認められてい良いはずがありません。いずれ行き着く先は、暴動か革命しかなくなるという指摘は、決してあり得ない話ではないのです。

 最新の田中宇の国際ニュース解説 会員版(田中宇プラス)2014 年 1 月 27 日版、「強まる金融再崩壊の懸念」では、アメリカの景気回復に高まる期待、というマスコミの報道のデタラメぶりを余すところなく暴いています。一部を引用させていただくと、

 失業増の米国では、中産階級から貧困層に転落する人が増えている。就労年齢層の米国民の 53 %が年収 3 万ドル(約 300 万円)以下で、40 %が年収 2 万ドル以下だ。雇用形態はフルタイムが減り、パートタイムが増えている。

 夫婦2人が共稼ぎでそれぞれ複数のパート仕事を掛け持ちし、何とか家計を支える不安定な世帯が増えている。対照的に、金融投資で大儲けする大金持ちの資産も増加傾向で、米国の貧富格差は史上最悪になっている。


 さらに、こんな指摘もあります。ダボス会議といえば、世界の賢者が集まって世界の未来を語り合う世界最高峰の賢人会議というマスコミの報道ぶりですが、


 しかし、スイスのダボスに米欧や新興市場の金持ちや政治家、王侯貴族ら「世界の上層部」を集めて開かれている「ダボス会議」では、今年の実質的なテーマが「米経済の蘇生、成長再開」だという。本質を外れた、表面だけ、報道だけの粉飾である「米国の好調」が、大まじめに語られている。ダボス会議は「裸の王様」たちの会議になってしまった。

 米国からダボスに参加した大金持ち自身は、米国経済に愛想を尽かして株を売り放っているのに、そうした本質も議論に反映されない。世界は「大量破壊兵器」「民主化」「地球温暖化」「シェールガス」などだけでなく、経済分析の面でも、粉飾が大見出しになり、本質が隠される傾向になっている。


 こんな世界を、どこから手をつけて行けば良いのでしょうか。この世界をまっとうな、真面目に額に汗して働く人々が報われる世界にするためには、どうすれば良いのか。一人一人が自分の頭で考え、そして何よりもまず投票所に脚を運ばなくてはいけないのです。一票からしか日本を、そして世界を変えることはできないのですから。



2014年01月26日(日曜日:曇)


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■昨日は二人で父の見舞いに行って来ました。思ったよりも病状が安定していることに、ほっとしました。ただ意識が完全には戻っていないので、主治医の先生からの言及は無かったのですが、脳梗塞を起こしているのか、脳の萎縮が以前から少しずつ進んでいたのか、そのあたりが不安です。胸腔ドレナージ液が血性になっていたのを帰りがけに見つけて、いささか心配になりました。

■今日はロータリークラブのIMという会合が富士宮で行われる予定で、私も参加のつもりだったのですが、午前中いかんせん体がだるくて参りました。考えてみれば先週の日曜日に 42 キロを走り、木曜日の夜中に病院までドライブをして帰ってきたわけですから、還暦のお爺さんには負荷が大きすぎました。

(●^o^●)

 皆さんに会えるのを楽しみにしていたのですが、明日からの仕事のことも考え、無理をせずに欠席する旨を会長さんに連絡して、ご勘弁を願いました。家で安静にして疲労回復を図るしかありません。

 ところが人間は不思議なもので、欠席すると決めて連絡した途端、なんだか元気が出てきたような気がするから現金なものです。こうなったら家の片付けと掃除をするしかありません。こんな時でもないと、中々面倒なことには取り掛かる気がしませんので、ちょうど良いチャンスと思って掃除を始めました。

 幸い気温も上昇して、掃除をするには最適の一日です。

(●^o^●)

■ところが、昼前に姉から連絡があり、父が熱発をしているとのことで、これから病院に行ってきます、とのこと。姉には苦労を掛けてばかりですが、お願いするしかありません。大したことがなければ良いのですが。

■先日ロータリークラブの例会で、ある会員から長距離走を走っている間に何を考えているのですか、その点にとても興味があります、と質問されました。確かに、自分自身も長距離走に取り組み始める前は、走っている人って何を考えているんだろう、と不思議に思っていました。先日質問を受けた時は、ただ苦しいだけです、と答えたものの、実は答えになっていないことに後ろめたいものを感じていました。

 19 日に 42 キロを走った時には、靭帯炎による左膝痛のために、痛み以外に考える余裕がなかった、というのが正直な思いです。でも最後の 500 メートルを一人で走り始めた時、生まれて初めて感じたような孤立感というか、宇宙空間に一人放り出された時の無重力状態のような、そんな本当に一人きりになる瞬間を感じる事ができることも、長距離走の魅力の一つではないか、と気付いたのです。ただし通常の大会では周囲に応援団がいますし、ゴールまで、そしてゴールしてからも一人きりになることは通常ありえません。先日のような私的な走る会での、しかもあの日の私の様に取り残されてしまった特殊な状況でのみ感じる事ができる一瞬です。無になる一瞬です。

 そうです。運が良ければ無になることが出来る、この一瞬を得られるかもしれないのが、長距離走の真の魅力なのではないでしょうか。今は、そんな事を思っています。いずれ、また違った回答が得られるかも知れません。



2014年01月25日(土曜日:晴れ)


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■今朝は鶴ちゃんといつものウォーキング。久しぶりのような気がします。今朝は冷え込みも一段落。やはり大寒が過ぎて、春も少しずつ近づいているのでしょうか。そう考えると、19日の東京マラソン・ランは最寒の日に走ったことになりそうです。寒かったはずです。

(●^o^●)

 父の具合も一段落でしょうか。今日も仕事が終わって午後からSunと二人で病院に見舞いに行く予定です。今朝歩きながら、鶴ちゃんのお母様も体調を崩された、という話を聞いていると、本当に高齢化の問題は誰にとっても他人事ではありません。もちろん明日は我が身です。

 旅立つための準備を怠らずに、子ども達にも迷惑をかけないように、用意周到に準備をするつもりですが、こればかりは思ったようにはなりません。夜にはTakuにも連絡をしました。試験も終わって、ほっと一段落ということでした。何十年後には、今の私の立場にTakuが立たされるわけですから、人生は本当に持ち回りです。



2014年01月24日(金曜日:晴れ)


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■昨夜は大変でした。Sunと二人で温泉に行き、ゆっくりと体を温めた後に、久しぶりにカツを食べに立ち寄りました。野菜もたくさん食べて満足の後に、家でのんびりとコタツに入っていると、義兄から電話をもらい、入院中の父が危ない、という主治医の先生からの連絡が入った、というのです。午後から姉と二人でお見舞いに行った時は、少しずつ回復しているかな、と思ったほどだったので、その連絡に義兄も驚いたようです。

 取るものもとりあえず、Sunと二人で車に飛び乗り茅ヶ崎の病院に向かいました。こうして家を出たのが、20時半でした。いつもなら二人で一杯やっているのが常なのですが、昨夜はどうした訳か、二人とも飲もうと言い出しませんでした。カーナビに病院名を入れ、目的地に指定すると、東名高速道路を通るルートが、やはり一番近いようでした。

 さすがに、この時間になると、東名高速道路も渋滞することは無いようです。東名厚木インターで降りてナビの支持に従って運転し、病院に到着したのは、22 時を過ぎていました。義兄が玄関で待っていてくれました。

 駆けるようにして病室に行ってみると、酸素マスクをした父が横たわっていました。やや苦しそうに息をしながら、呼びかけにもあまり反応しませんでした。母がベッドの傍らで椅子に座って父を励ましていました。姉の子どもたち、そして孫達も駆けつけてくれていました。ちょうど先生の処置が終わったばかりのようでした。

 しばらくしてから主治医の先生のお話を聞くことが出来ました。膿胸と一部に心筋梗塞を起こしている、ということで、心臓血管外科の先生にも診てもらったようです。先日溜まった胸水を抜いたのですが、様々な変化が体に負担をかけたのでしょう。90歳の高齢ですし、これまでの経緯からは再び昔のようにげんきになる、ということは望むべくもありません。とにかく苦しまずにいてくれれば、それでよしとするしかありません。

 無理な延命治療は遠慮させていただきます、と先生にお願いして病室に戻りました。こんな時間まで患者さんのために病院につめてくれていることに、ただただ感謝するばかりでした。まだ 30 代の両先生でしょうか、自分もあんな時期があったのだなぁ、と懐かしい思いもしました。

 兄弟三人で、これからのことを色々相談し、状態からすれば今夜はすぐにどうこうなることは無さそうでしたので、私達は 23 時を超えた頃、病院を後にしました。歳を取るということは、本当に大変なことです。そして誰もが避けることのできないことなのだと、痛感しながらハンドル握って家路につきました。



2014年01月23日(木曜日:晴れ)父の状態急変


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■昨夜はSunと日本酒を二合飲みましたが、酔が回りました。普段飲んでいる量ですので、特段深酒をしたわけではないのですが、やはり日曜日の疲れが抜けていないのに違いありません。今朝はとても走ろうなどという気持ちは起きませんでした。そうでしょうね。還暦のお爺さんが膝の痛みに耐えて、42キロを走ったのですから、一週間は疲労困憊で当然です。

 さて先日のランで、最後の最後までお世話になった、ランナーズをサポートする役割を果たしてくれた西谷さんと連絡が取れました。ショップに連絡して西谷さんにメールを転送してもらい、返信をいただいたのです。サポーター制度というのがあって、ショップで募集したそうです。一定の経験とタイムを持つランナーが、いわばアルバイトとしてサポーターに登録し、先日のように初心者である参加者と伴走して、参加者の安全な完走のお手伝いをする、というシステムだそうです。

 私が感じたのは、西谷さんはきっと本業のお仕事でも、誠実で手抜きの無い、きちんとした信頼される仕事をしているに違いない、という確信でした。100万円もらえば、私にでも先日の西谷さんのような対応はできたかも知れません。現実は、もちろん、そうではないはずです。でも、報酬額の多寡が問題ではないのです。報酬が、たとえいくらであっても、仕事として任されたことを、どれだけきちんと誠実に最後までやり遂げるか。その一点なのです。日曜日の私は、いわばそのサービスを受ける立場だったわけですが、常日頃サービスを与える逆の立場に立って仕事をしている自分を、深く反省しました。自分が、あれだけの誠実さを持って仕事をしているだろうか、と本当に心から自省しました。

 こんな事を考えさせてくれただけでも、あの苦しかった一日は、私の人生にとって、決して無駄ではなかったと、いささか大袈裟かも知れませんが、強く感じたのでした。豊洲駅から東京ビッグサイトへ向かう交差点への道。走る人が誰もいなくなった最後の 500 メートルを一人で走りながら感じた、あの心細さ。交差点を曲がって、その後のゴールへ向かう道のりは、走ったことのない私には想像のしようもありませんでした。大会なら、きちんとゴールがあり多くの人が迎えてくれます。当日は、単なる走る会ですし、他の参加者はすでに走り終えていますから、ゴールに辿り着いても誰も迎えてくれる人はいません。何より、どこが今日のゴールなのかすら、分からない状態だったのです。日が落ちて夕闇が迫ってきました。寒さが一段と募りました。周囲を見渡しても道をゆく人は誰もいません。40 キロ以上を走り疲労困憊の状態で感じた、あの時の心細さと言ったら、今まで経験したことが無いものでした。この世に一人だけ取り残されたような、そんな気がしたほどです。

 そんな時に西谷さんが、ゴールから戻って来られて私のために、もう一度ゴールまで伴走してくれたのです。地獄に仏、とはあの時のことです。あの時の感謝の気持ちは、一生忘れることは無いでしょう。

■さて自分の症状を調べてみると、以下の記述がありました。

 ここでは初心者を脱した、走ることが楽しくて仕方がない人が陥りやすい怪我・障害の代表であるランナー膝についてまとめてみました。

★ランナー膝とは

 ランナー膝とは長距離を走るランナーなどに起こりやすい障害で、主に膝の外側が痛くなる腸脛靭帯炎などを言います。

 腸脛靭帯炎は走る時の膝の屈伸による摩擦で大腿部の外側を覆っている腸脛靭帯と大腿骨の膝の部分とが何度も擦れて炎症を起こす症状を言います。

 この炎症をおこすと膝の周辺、特に外側の部分が痛みます。

★ランナー膝の原因

 ランナー膝の主な原因は、やはり脚を酷使し過ぎることによって発症する場合が多いようです。

 自分の体力以上に長距離を走り過ぎたり、スピードが速すぎたりするのはいけません。

 特にアスファルトでの長距離や下り坂などはリスクが高い様です。

 あまり無理をして脚に大きな負担がかかり続けると、身体が悲鳴をあげてしまうのでしょう。

 また疲労の蓄積も原因の1つですので、自分の身体と相談しながら頑張り過ぎず、楽しく走るようにこころがけましょう。

 さらにはランニングフォームのバランスが悪かったり、O脚なども原因の1つに挙げられています。

★ランナー膝の症状

 膝が痛いときにランナー膝かどうかの判断は難しいと思います。

 腸脛靭帯炎の場合、初期段階では走り終わった後に膝の外側部分に違和感や痛みを感じます。

 そのままランニングを継続すると、走っている時にも膝の外側に痛みが発症しますが、止めると痛みが和らぎます。

 但し、それを繰り返しているとやがて走っていないときも、膝の外側に痛みを感じます。歩行や階段の上り下りも困難な状況となります。


 私の症状は、まさに、この通りです。私のことを診察して診断したかのごとくです。今のところ走り終わって翌日になれば、日常生活に不便を感じることはありません。ただ、これまでの経験からは、体の状態や天候にもよると思いますが、20キロを過ぎると症状が出現するようです。したがって、その限界を 20 キロから 40 キロに伸ばす工夫や努力が、これからの自分には必要だ、ということです。昨日からスクワットを始めました。成果が出ることを祈って、鍛錬を続けるしかありません。

 苦しいばかりに思えますが、長距離走は学ぶことが大変多いことに今更ながら驚いています。生きること、そのものかもしれません。



2014年01月22日(水曜日:晴れ)スクワット開始


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■日曜日に42キロを走って、もう走るのはしばらくは止めようと思っていたのですが、今朝は走りました。体の新陳代謝が正常に戻ったのか、昨夜はやたらとお手洗いに起きる始末。低体温と脱水の改善に心がけて暖かいスープとお茶を取っていたのですが、どうやらそれも必要が無くなったようです。

 とは言っても、膝の心配もありますし疲れも抜けていないので、今朝は4キロ弱で止めました。あとは左膝をどうするか。やはりトレーニングをして膝周囲の筋肉を鍛えていくしか無いのではないか、と考えています。まぁ、のんびりやりましょう。

■さて昨夜は医師会の理事会。ペーパレスに向けて配布している資料をホームページ形式で見やすくデモしたのですが、なかなか変革する、というのは大変です。やりなれないことをするのは、歳を取れば取るほど面倒です。自分にとっては何ということでもないことが、慣れない人には難行苦行なのかも知れません。時間が解決するでしょう。



2014年01月21日(火曜日:晴れ)


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■日曜日の東京マラソン・ランで疲弊してしまった体も、何とか回復しつつあるようですが、今日になって大腿部の筋肉痛が出てきているのは、困ったものです。膝の痛みは幸い大したこともなく、階段の昇降など日常生活に不便は感じないのですが、力不足を痛感せざるを得ません。骨に異常があるわけではないことは、部位からも痛みの経過からも間違いは無いとは思うのですが、30キロを過ぎてからの痛みの出現は、これからどのようなトレーニングを積んでいけば40キロの長い道のりを痛みなしで乗りきれるのか思案にくれています。

 日曜日の夜は悪夢にうなされることもなかったのですが、一日経って昨夜になって、思い出したくもない夢をみるのは筋肉痛同様、歳のためでしょうか。

 夢といえば、土曜日に出席した高校の同期会で仲間の一人が、最近になって中学、高校時代の夢を、しかもかなり現実味を帯びて夢を見ることが多くなった、と話していました。夢の中でここにいる皆さんと会っているかもしれません、と話していましたが、これもまたそういう年齢になったということでしょうか。



2014年01月20日(月曜日:晴れ)大寒


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■今日は大寒。一年で一番寒い頃です。昨日あれだけの寒さを体験すると、大寒なんて糞食らえです。

(●^o^●)

 寒さというと思い出すのは、映画「ひまわり」です。ビットリオ・デ・シーカ監督作品で、マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンが共演しました。ヘンリー・マンシーニの音楽が、実に切なく美しい作品でした。

 第二次世界大戦に従軍したイタリア兵士マルチェロ・マストロヤンニが自軍の部隊と離れ離れになってしまいロシアの冬の荒野をさまよいます。そんな時に、ふと掘っ立て小屋を見つけます。これで暖を取れるとドアを開けると、そこには同じように暖を取るために入り込んだ兵士が、文字通り立錐の余地もないほどに小屋を占領していたのです。結局彼は小屋を出て、さらに彷徨を続けます。

 映画館で観ていても、背筋が寒くなるようなロシアの冬の荒野でした。昨日の東京は、そこまで言うと大げさですが、私にとってはロシアの冬の野と変わらないほどの寒さでした。



2014年01月19日(日曜日:晴れ)2014東京マラソン・ラン完走:2013 年 7 月からの通算走行距離 1,500 キロ突破


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■昨日は高校の同期会に出席し、そのまま青物横丁駅前のビジネスホテルに投宿し、朝の6時15分に目覚ましをかけました。ホテルの朝食は 7 時からですので、一番でオニギリを二個掻き込むように食べて、7 時 9 分発の電車に飛び乗りました。こうして地獄の一日が始まったのです。




2014年01月18日(土曜日:曇り)浦和高校同期会


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■今朝は恒例の鶴ちゃんとのウォーキング。最近は走ることが多くなりましたので、歩いているとまだるっこしい思いがしないでもありませんが、鶴ちゃんと四方山話をしながら歩くのも楽しいものです。鶴ちゃんは凝り性ですから、何事も妥協しません。仕事での使用もあり、先日パソコンを買い替えたそうですが、私のようないい加減な選択はしません。

 きちんと調べて、自分の用途、器械の仕様などなど吟味に吟味を重ねて購入したようです。私には手の届かないような最新式のもののようです。私は見たことがないので分かりません。折りたたみ式のタブレットとしても使える、ウインドウズ 8 のソニーのバイオだそうです。SSDというディスクに基本ソフトも書き込まれていて起動しますので、HDD製のものと違い立ち上がりがダントツに早いそうです。

 ウインドウズは長く使用しているうちに不要なファイルが溜まってきて、立ち上がるのも終了するのにも、とても時間がかかるようになりイライラします。そこがタブレットやスマホと決定的に違う点です。通話が終わるたびに携帯の電源を切るようなイメージですね。そんなことをする人はいません。パソコンって、決して使いやすい道具ではないのです。アップルのスティーブ・ジョブズが、iPad を発売した時、熱狂的に迎えられたのは、そうした理由があるのです。誰も好き好んでパソコンなど使っている人は少ないと思います。世界を制覇したインテルのCPUとマイクロソフト社のウインドウズという組み合わせは、使う人に優しい器械とは決して言えないのです。スマホやタブレットの登場で、やっと歴史が動き始めました。

■さて仕事が終わって浦和へ向かいました。高校の同期会に出席するためです。浦高 24 回生。同窓会総会の幹事年度が還暦の年度と決められていますので、私達の年度が今年の5月の全体総会の仕切り役という事になっています。地元に活動の拠点がある仲間が中心になって進めてくれていますが、枯れ木も山の賑わいで私も参加しているというわけです。今日の写真は、その面々です。34 名が集まりました。

 二時間ほどの間に、歓談し必要な事を相談、決定した後は最後に、それぞれ近況報告をしました。多士済々ですので報告を聞いているだけでも、大変興味ふかいものでした。高校時代は授業に追いついていくだけで精一杯でしたので、クラブにも入らず他の皆さんとは、それほど付き合いもなく、出席された方をあまり覚えていない、というのが正直な感想なのですが、それでも当時の面影が蘇ることもあり、本当に楽しいひと時でした。

 会合が終わって京浜東北線で宿まで向かったのですが、江田さんと一緒になり、一時間弱でしょうか、二人きりで色々な話をしたのは、とても良い思い出になりました。ベンチャー企業の創業者として、今は一分一秒でも惜しい時のようです。三月からの本格的な新商品の発表に向けて、日本語化に悪戦苦闘しているとのことでした。根が仕事人間のようで、悩みは尽きないようです。

 そのな訳で、帰途はあっという間に過ぎ去り、21 時過ぎにはホテルに到着。チェックインして部屋に入り、シャワーを浴びて眠剤を飲み、早々に床に入りました。明日は、何しろ 42 キロを走らなければなりません。



2014年01月17日(金曜日:晴れ)


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■今朝は走らずに大人しく6時まで寝ていました。日曜日の東京マラソン・ランへ向けてのモードに入っているからです。長距離を走る二日前からは安静に入らないと、疲れが残って当日が辛くなります。しかも土曜日は浦和で高校の同期会があって、懇親会にも出席した後に品川まで戻って宿泊し、翌日日比谷のランニングショップに集まって東京都庁まで地下鉄で移動し、9時から出発という強行軍です。大丈夫でしょうか。自分でも心配です。まぁ、のんびり行くしかありません。

■どうも先週末から寒さの底にあるようです。こちらは北海道でマイナス 15 度の世界にいましたので、帰ってきてマイナス 2 度だろうが、3 度だろうが、暖かいとしか感じません。

(●^o^●)

■さて先日読了した、「在中日本人 108 人のそれでも私たちが中国に住む理由」の中には、知り合いのアナウンサー高橋恵子さんも投稿されていました。高橋さんがFM沼津のパーソナリティーをされている時に、二度出演させていただいた事がありました。筋金入りのマラソンランナーの高橋さんと、いつかご一緒にマラソンを走るのが、私の夢の一つでもあります。

(●^o^●)

 現在は中国に渡られ、中国国際放送局(北京放送)で活躍されています。その活躍のご様子は、以下のブログで楽しく拝見することができます。

 108名の方は、それぞれに現地で活躍されています。それが、そのまま日中の友好にどれほど貢献していることか。本をお読みになれば分かります。そんな 108 名の方々からすると、わざわざ喧嘩を売るような、尖閣諸島の国有化問題に始まる日本政府の対応は、きっと腹立たしいに違いありません。なぜ、そんな愚かしい行動に走るかは、たぶん田中 宇さんの分析をお読みになると目から鱗とばかり得心されるのではないでしょうか。自己の利益のために国の道を誤らせる。いつか来た道とは、このことではないでしょうか。



2014年01月16日(木曜日:晴れ)チャイナ・ジャッジ読了


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■今朝は冷えました。最低気温が零度未満の冬日だったようです。今朝も5時に起きだして走り始めました。走り始めれば寒いということはありません。桃沢神社までの往復、7 キロ弱を走りました。これで今月は、65 キロ弱を走り、通算の走行距離は、1,454 キロとなりました。帰ってきて昨夜の残り湯で体と湯船を洗い、さて熱いシャワーでリフレッシュと思いきや、なんと凍っていてお湯が出ないのです。これは最悪です。致し方無いので、寒風摩擦しかありません。乾いたタオルで体を擦って摩擦熱で体を温めるしかありませんでした。一冬に二・三度は起こります。美しい日の出は、こんなことも引き起こすのですね。綺麗なものには、やはり刺があるのです。

(●^o^●)

■さて昨夜は、遠藤 誉さんの「チャイナ・ジャッジ」を読み終えました。アマゾンによれば、

 政治局委員解任事件以来、国内外でその動向に注目が集まっている薄煕来。毛沢東を彷彿とさせる個人崇拝、4000億円の不正蓄財、妻の殺人容疑など、破天荒な半生をひも解くことで、中国全体に蔓延する危機や腐敗の構造をあぶり出す。


 と、あります。中国は法治国家でなく人治国家だ、とはよく言われることですが、日本とは比較にならないようです。どこの国でも人脈が大切なことは論を待ちません。シリコンバレーでも同じでしょう。しかし、ちょっと違うのですね、中国は。不正蓄財も桁違いです。

 文化大革命から学んだ、個人崇拝に基づく大衆運動の恐ろしさ。集団指導体制の護持。薄煕来は、そうした一番犯してはならない部分に踏込でしまったのです。ところ変われば品変わる、ということなのでしょうが、私などには想像もつかない、大国の統治の難しさ、という問題に日々悩まされているのでしょう。

 それでも、何とか中国が統一を保ちながら平和と安定、そして経済的な発展を遂げてくれることが日本にとっても最良のシナリオであることは間違いありません。

 先日読み終えた、「在中日本人 108 人のそれでも私たちが中国に住む理由」の中には、そんな現在の中国で活躍というか、悪戦苦闘している日本人の皆さんの様子が描かれています。



2014年01月15日(水曜日:曇時々雪)在中日本人 108 人のそれでも私たちが中国に住む理由 [Kindle版]読了


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■今日の写真は、3月13日(月曜日)のサホロの日の出です。実に美しい日の出でした。気温は、恐らくマイナス10度を下回っているはずです。キラキラと光る小さな粒子状の雪が舞っていました。こんな美しい夜明けに巡り会えただけで、北海道に行ったかいがありました。

■さて昨夜は羽田空港から京浜急行線で品川まで行き、品川 18 時 44 分発の三島止まりのこだま号に乗ることができました。これに乗ることができると、三島駅からの下り東海道線など、あともスムーズに家までたどり着けます。原駅前の駐車場に止めておいた車に乗って、家に辿り着いたのが 20 時過ぎでした。



2014年01月12日(日曜日:晴れ)- 14日(火曜日)クラブメッド サホロ


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■今朝は五時半に起きてホテルの送迎バスに乗りました。羽田空港へ向かうためです。エアドゥ便で、とかち帯広空港へと飛び立ちました。7 時10 分発でしたが、当初Sun が JAL 便と勘違いをしていたためにカウンターで誤解を指摘され、そこから慌てて第二ターミナルへと移動しました。危うく乗り遅れるところでした。

 飛行機は定刻通り 8 時45 分に着陸しました。機長のお話では帯広の気温は、マイナス 14 度と言うことでしたが、空港で確認したところでは、マイナス 10 度でした。青空が広がり、寒いと言うよりは、凛とした空気が張り詰めていました。

 クラブメッドのバスに乗り、1 時間15 分後にクラブメッド サホロに到着しました。昨日、一昨日にかなりの積雪があったようです。サホロは二年ぶりです。この時期に来たのは初めてですので、パウダースノーが楽しみです。

 先ずは施設全体の説明を受けた後、部屋に案内されました。サホロは通算これで五回目でしょうか。これまでは春休みに来ることが多かったのですが、今回はスキーシーズン真っ盛りに来ましたので、雪質、積雪量には心配がありません。あとは体が付いてくるかどうかです。走り込みの成果があれば良いのですが。

 スキーのレンタルを申し込み、自分に合ったものを選んでもらいました。まる2日間で一人 12,000 円ほど。年に一回ですから、こんなもんでしょうか。さてこれで準備万端です。ちょうど昼食の時間です。食堂へ向かいました。昼間からビールを飲んで腹一杯食べるなんて、有り得ないことですが、バカンスの有難さです。

 午後は 13 時 30 分からクラス 3 に入りました。本当の初心者から数えて三段階目ということです。先生はノブさん。日系何性でしょうか。ちょっと日本語が苦手な日本人のようです。こちらは二年ぶりのスキーですから、まずはともかく怪我をしない事だけを考えて滑るしかありません。

2014年01月11日(土曜日:晴れ)


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■今朝は冷えました。鶴ちゃんと桃沢神社までのウォーキングをしましたが、凍えそうになりながら歩きました。走った方がよほど暖かくなって楽なのですが、鶴ちゃんは絶対に走りません。

(●^o^●)

 北海道では、マイナス 20 度を記録。聞いただけで寒気に襲われそうです。

■さて以下の記事を読むと日本人として自尊心がくすぐられます。

 2020年の東京オリンピック開催が決まり、前回の東京大会の頃の様子が話題になりますが、記録によればあの頃の日本は、今に比べればきれいな街だったとはお世辞にも言えなかったようです。ゴミは捨て放題。国電の中でも自由にたばこを吸っていた時代があったのですから。

 清潔好きだ、という国民性のおかげもあるとは思いますが、日本人だけが特別優秀なのだ、とか、世界で一番素晴らしい民族なのだ、といった、過度な自惚れには陥らないことが大切です。下手をすると、どの国と戦っても神風が吹くから負けるはずはない、とすら言い出しかねない昨今の風潮ですから。


2014年01月10日(金曜日:曇り後晴れ) QHM 勉強会


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■新年の仕事が始まって初めての週末を迎えようとしています。週休二日制ではないので、まだ明日の仕事が残っているのですが、金曜日の夜まで来ると、ホッと一段落、という気持ちになります。眼科的にはアレルギーも始まっていませんし、今は暇な時期です。
 
 今朝も走りました。連日の走りこみで疲れも溜まっていましたので、昨日はさすがに休息日としました。ニューウェルサンピア沼津でゆっくりお風呂に入って、疲れも取れたようです。今朝の 6.6 キロを加えて今月は、通算 53 キロ超となりました。目標の月間 100 キロは何とか達成し、ひょっとすると最高記録を更新できるかもしれません。今までの最高記録は、昨年 11 月の 104 キロ。今月は、19 日の東京マラソンコース・ランで 42.195 キロを走る予定ですので、新記録も視野に入ってきました。怪我と風邪に気をつけて毎日を送れば、何とかなりそうです。

■さて昨日は沼津西ロータリークラブの今年最初の例会でした。久しぶりに仲間と顔を合わせて歓談するのは、本当に楽しいものです。上は 80 歳から下は 40 歳までと、幅広い年代の方々と毎週お話ができるのは、とても刺激になります。しかも異業種の皆さんですから、耳に入る情報は知らないことばかりですので、大変勉強になります。

 あと二日、仕事に精を出しましょう。

(●^o^●)

■残念な知らせです。5 日、評論家の森本哲郎さんが亡くなられました。88 歳でした。その著書のファンであった私には、とても残念な訃報です。与謝蕪村関連の著書、そして「言葉への旅」、「生き方の研究」など、新聞記者出身らしい分かり易い簡潔な文章で綴られた作品は、何度も読みました。今夜、また読みなおしてみたいと思います。

 ご冥福をお祈りします。

■さて今日は注文した LED ライトが届きました。人を感知して点灯するタイプのライトです。幅 30 センチほどの小型で、単四電池三本で駆動して、感知すると 30 秒間点灯し、25 時間ほどの寿命があるようです。三本注文してありましたので、とりあえず玄関、洗面所、そして下着などを入れたタンスのスペースに取り付けました。

 これは優れものです。明るさも十分。完治能力も十分。したがって電灯を点ける必要が無くなりそうです。いちいちスイッチに手をやらなくても自動的に点灯し、しかも自動的に消灯してくれるわけですから、こんな結構なものはありません。これは良い買い物でした。あとは耐久性と、どれほどの期間使えるかが問題ですが、こればかりは時間が経たないと分かりません。

 とりあえず、あと一箇所は取り付けが必要そうですので、追加注文しました。

■昼休みに医師会の事務長さんと事務局の方が来られて、QHMの勉強会をしました。医師会のホームページも今は業者任せ。色々痒いところに手が届きません。自分たちで知恵を出し合ってより良い形にしたいのですが、それには、この QHM を学ぶのが一番の早道。無料のサーバーを借り受けて、私がとりあえず作成した理事会用のページを教科書にお二人に使い方をご指導しました。こんな所で自分が学んできたことがお役に立つとは思いもしませんでしたが、まずは第一歩が踏み出せたようです。


2014年01月09日(木曜日:曇り後雨)


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■昨夜は医師会の役員新年会でした。近隣の首長さんもお越し下さり、自治体の現状などを教えていただきました。また保険所長さんには、救急医療、在宅医療の現状や、これからの問題点に付いてお話を頂きました。地域の医療を守る、というのは、本当に大変なことです。今後ますます進む高齢化社会では、今までのやり方では財政的に破綻するのは目に見えています。医療を提供する側も、される側の市民も真剣に考えていかないと、地域社会が成り立たなくなってしまいます。

 ところで、某公立病院の院長先生から聞いたお話には、驚きました。不足が指摘されている某科の医師を確保するために大学病院の医局を訪問したそうですが、医局長が対応に出られて、パソコンに登録されている数百人の医局員をまるで将棋のコマを動かすように差配していた、というのです。それはまるで人材派遣会社そのもののだったそうです。さらに驚いたのは、その高額な報酬です。言葉は悪いですが、人の足元を見たような、その報酬、勤務時間体系には常勤として病院に勤務し、多忙な毎日を送る医師たちには、ちょっと許しがたいような内容でした。私が研修医だった頃とは別世界のようなお話でした。

 しかし、そんな事が続くわけがありません。ウォール街で跋扈する貪欲な証券マンが私の頭に浮かんだほどです。研修医システムが変更され、医者の数は増えたものの東京、神奈川の大都会に集中し地方の医療は崩壊寸前です。誰がどんな目的で今の研修医システムを策定したのか。絶対安全だ、と専門家が豪語していた原発の事故を思い出すのは、私だけではないはずです。

■さて注文してあった LED ライトが届きました。私が診療する空間の蛍光灯を替えました。診察のために電気をつけたり消したり、しょっちゅうしなければなりませんので、蛍光灯を替える頻度も一番高い場所なのです。あまり明るい必要はありませんので、本数を一本減らして装着してみました。チラツキもなく十分な明るさを確保できて喜んでいます。もちろん一本の単価は3 -4 倍ほどするようですが、消費電力の少なさは、とても重要です。脱原発を叫ぶなら、可能な限り自分が消費する電力を減らさなければなりません。

 自宅部分は、かなり交換が進んだのですが、職場も少しずつ、LED ライトに切り替えて行くつもりです。



2014年01月08日(水曜日:曇り後雨)「リンゴの心」読了


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■曇り空のためか、今朝の冷え込みは緩かった。ですので起きるのは楽でした。5 時前に目が覚めてしまい、体感的には、そろそろ 5 時だろうな、と思っていると、4 時 45 分でした。そのまま布団の中でまどろみ、目覚ましが鳴り出しのを機会に起きだしました。今朝は早朝ランニングの三日目。さすがに3日続けると私の体力では、いささか疲れが残るようです。

 それでも、とにかくゆっくり走ること。それだけを心がけて走れば、それほど苦痛でもありません。結局今朝は、桃沢神社までの往復路 6 キロの道のりを走りました。これで今月の通算距離は、40 キロを超えました。

■さて昨夜は、リンゴの心 [Kindle版]木村秋則 (著)を読み終えました。無農薬、無肥料でのリンゴ栽培に挑戦し、文字通り悪戦苦闘の末に、見事成功した木村さんと仏教者の荒 了寛さんの対談集です。11年にも及ぶ苦闘の末に成功を手にするわけですが、木村さんのお話を読んでいると、人間が率直になる、ということは、こういうことなんだ、と納得します。つまり周囲の人々、そして自然に助けられて思いが遂げられるのですが、普通の人はそれに対して心から率直に感謝する、ということが、なかなか出来ません。

 自分の成功に奢ったり、自分を見失って道を外れてしまうことが多いのです。荒さんの仏教から見た解説も、大変参考になります。我々は、やはり自然の中で、自然とともに、自然に生かされて命を育んできたのであって、自然と戦い自然を征服して文明を築いてきたのではないのだ、ということを再確認します。西欧文明的な自然征服思想では、地球は滅亡を待つばかりです。

 宗教学者の山折哲雄さんが、西欧の宗教は信じる宗教で日本の宗教は感じる宗教だ、という趣旨の発言をされています。日本人は自然の中に神や仏を感じて生きてきた、というのです。西欧ではこうした考えは原始的な宗教にすぎないと一蹴されてきた訳ですが、それがいかに誤りに満ちたものであるかは、少し歴史を振り返れば、誰でも容易に察しがつくはずです。

 今こそ我々は、自然とともに生きるという、我々の先祖が長い間培ってきた文明を世界に発信すべき時ではないでしょうか。自然を征服するなどということは、できるわけがないのです。



2014年01月07日(火曜日:曇り)ヘッダの写真変更


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■今朝も走りました。今朝は起きるのが辛くて、いささか逡巡したために、走りだすのが普段より 15 分ほど遅れました。それでも、どういうわけか、走りだすと、今朝は体も軽く昨日よりも 2 キロ長く走ることが出来ました。8.5 キロを、キロ 6.11 分のペースで走り切ることができました。これで今月は、通算 41 キロを走ったことになります。目標は、あと 59 キロです。

■さて宮本輝さんの「流転の海」全六巻を読み終えましたが、大河小説というのでしょうか、主人公の人生を丹念に追っています。語り上手の宮本さんですから、飽きることはありません。ただ、まだ一回目を読み終えたばかりなのですが、終わり方がいささか唐突に感じたのは私だけでしょうか。一人息子が思春期に入った時点で物語は終わっています。

 この後、どう物語を書き続けるのだ、と問われても、もちろん私は答えようもないのですが、あれ、これで終わっちゃったの、というのが正直な感想でした。今一度、良い直してみましょう。違った感想が得られるかもしれません。

 昨日はアマゾンのセールでキンドル版の本を何冊か購入しました。これから毎晩読み進めるのが楽しみです。今年は、月に二冊読破の目標を立てました。電子書籍なら可能だと思います。さて、どうなりますことやら。

■4日に出かけた末廣亭での落語家たちの話の中で、猪瀬前東京都知事の 5,000 万円授受の話が何度も登場しました。5,000 万がキーワードでした。そして査問委員会での猪瀬さんの様子、特に耳から汗を流していた、という話には驚きました。私はテレビを見ていませんでしたので知らなかったのですが、人は緊張すると耳からも汗をかく、という点に皆さんが注目したのですね。

 今日の東京新聞を読むと、都議会与党である自民・公明両党が、散々前知事を追求しておきながら辞任した途端に知らん顔を決め込んだのは、自分たちの思い通りにならない猪瀬さんを追い落とすための追求劇だったのではないか、もっと両党は責任を持って対処すべきだ、という趣旨の内容が書かれていましたが、そのとおりだと思います。それに同調するマスコミの醜さは、もう誰もが知っていることですが、有権者はもう少し賢くならないと、日本の未来は本当に暗いものになってしまいます。

■ページの一番頭の写真が変更になりました。いわゆる凝ったロゴを入れてクールにするのが、プロの技なのでしょうが、私にはそこまでの力量がありません。今ご覧になっているのは、昨年Sun と一緒に出かけた北海道の宗谷丘陵で撮った写真です。このページを作成しているソフト、QHM ではこの部分の写真の大きさは、横 1,000 x 横 118 と決まっているようです。撮った写真の中から、ページのこの場所に相応しい写真を選び、さらに印象的な部分を、その中から切り抜きます。最後に大きさを加工して適切に配置するのは、なかなか手間のかかる作業でした。でも、クールだと思いませんか?

 季節ごとに変更するのが、粋というものでしょう。そうできるように努力してみます。


2014年01月06日(月曜日:晴れ)仕事始め


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■今日の写真は年末の千本浜を飛ぶ鳥の様子です。カモメでしょうか。白砂青松とは、よく言ったものです。沼津は素晴らしい自然に恵まれています。本当に住みやすい街ですが、衰退に歯止めがかかりません。どこの地方都市も同じなので、沼津だけがダメなわけではないのですが、往時を知るものとしては寂しい限りです。

■いよいよ今日から仕事始めです。例年ですと、年始は暇です。患者さんは年末のうちに薬などは取りに来てくれていますので、経過観察だけの患者さんは少ないのが通例です。まぁ、一週間は様子見でしょうか。

 今朝も走りました。6キロの道のりです。先週アマゾンから購入した LED ライトを持って出かけました。単三電池一本で10時間以上点灯するようです。明るさも十分でした。何しろ朝の 5 時半から走りますので真っ暗です。道によっては街灯というものが無く、足元も見えない中で走るわけですから、危険極まりありません。車への注意喚起という意味でもライトは必需品です。

 土曜日、日曜日と走りませんでしたので、本来なら今日のランニングは軽快なはずだったのですが、昨日は二万歩ほど歩きましたので、いささか疲れが残っていたのか、軽快というわけには行きませんでした。それでも完走しただけでも由としなければいけません。これで今月は 30 キロほどの通算距離となりました。100 キロまで、あと 70 キロです。道のりは遥かです。

■さて今日から診療なのですが、仕事用のパソコンを XP からウインドウズ 7 にバージョンアップしました。今日業者の方が来てくれて、仕事用ソフトのバージョンアップをしてくれることになっています。と言っても、たった二種類だけなのですが、これがないと仕事になりません。リナックス上で処理できれば、その方が処理もスムーズですし安定していますから、こちらはそうしたいのですが、どうしてもウインドウズ上で無いと動かないソフトがあるから困ります。さて、どうなりますことやら。

 という事で、レセコンソフトの会社の担当者の方に、朝一番で来てもらいウインドウズ 7 用のソフトを新たに導入してもらいました。これ無しでも仕事をしようと思えばできないことはないのですが、無駄な時間ばかりが積み重なります。その分患者さんと応対する時間が無くなります。ITのお陰で、昔と比較すると本当に時間を有効に使うことができるのは有難い限りです。もちろん物は使いようですから、使うことに振り回されるのは本末転倒です。まだまだ進化するに違いありません。

 それでも基本は患者さんと対話する、ということですから、それを割愛するわけにはいきません。人間相手の仕事だと、つくづく思います。



2014年01月05日(日曜日:晴れ)「流転の海」読了:森本哲郎さん逝去


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■今日で年末年始のお休みも終わります。Takuが来て、両方の両親を見舞って、落語を楽しんで、そして今日は久しぶりにゴルフでした。

 ゴル友の一人大島さんと一緒にプレイしましょうと、昨年から話はしていたのですが、なかなかチャンスがありませんでした。今日はロータリークラブの仲間も医師会の仲間も都合が合わずに、一人で出かけたところ、ちょうど三人でプレイ予定の大島さんと、ご一緒できました。昨年からのショットの迷いを、古市プロ流で貫くんだ、という強い思いでラウンドしました。結果は久しぶりに自分としては良いスコアでした。やはり迷っている間はダメですね。たとえ乱れたホールがあったとしても、スイングを信じて貫かないと、ラウンドを通しての結果は伴わないことが、よく分かりました。幸先の良いスタートが切れました。

■さて帰ってきて今日の東京新聞朝刊を読むと、ボーリングの中山律子プロの回想録が掲載されていました。1970年8月21日女子プロとして史上初めて公式大会でのパーフェクトを記録した、とあります。私の誕生日でもあるのですが、その日のテレビ放映をはっきりと今でも覚えています。

 知り合いのジャーナリスト北村元さんが、当時朝日テレビのアナウンサーとして実況中継をされた、という話は、それから 40 年近く経ってから直接伺いました。あの日からボーリングブームに火が付きました。本当にすごかった事を覚えています。雨後の筍のようにボーリング場が建設され、早朝割引サービスでプレイするために、多くの方が早起きをしたのです。私も、その一人でした。

 高校一年生でしたでしょうか、高校の間は暇がありませんでしたが、大学に入ってしばらくは一生懸命ボーリング場に通った記憶があります。その後就職して何年目でしたでしょうか、自己最高の 208 点を叩き出したことを覚えています。今はボーリングをすることは、まずありません。鶴ちゃんと何年か前にしたきりでしょうか。手軽に出来ますし、それほど高額の費用がかかるわけでもありませんから、もう少し愛好者が増えても良い気がしますが、意外と通っている人は多いのかも知れません。自分が通わないので知らないだけかも知れませんね。

■さて何はともあれ、正月休みも終わりです。明日からは、また日常が始まります。今年も、とにかく事故だけはないように、それが一丁目一番地です。健康管理に気を付けて、まずは風邪を引かないこと。そして念願のフルマラソン完走を目標に毎日を有意義に過ごしていきたいものです。



2014年01月04日(土曜日:晴れ)新宿末廣亭正月初席


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■昨夜はTakuが、わざわざ浅草橋の宿まで出てきれくれて、三人で新年のお祝いをしました。居酒屋のはしごをしました。

(●^o^●)

 最初の店は、味も良く、落ち着いた感じて雰囲気も良かったのですが、ただ一点だけ。メニューが少ないのがSunの逆鱗に触れました。生ビールでの乾杯が終わって、料理の注文が一段落するとSunが、食べ終わったら店を替えよう、という始末。こういうことは決断が早いのです。

(●^o^●)

 二つ目の居酒屋はサラリーマン向けのお店で、Takuが学生時代に同じチェーン店で何度かお世話になったようですが、値段は安いものの、まぁ、ちょっと雑然としていてTakuはあまり行きたそうではなかったのですが、話の種に行こうか、といことになり店に入りました。1月3日ですのでサラリーマンの顔は見えず、店は空いていましたので、逆にゆっくりできました。値段の安いことに、ただただ驚くばかりでした。お鍋も食べてお腹一杯になって店を出ました。

 最後はコンビニで、いつものようにアイスクリームを買って宿に戻りました。

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 料理自体は美味しかったのですが、ちょっとメニューが足りませんでした。


■今日はSunと二人で新宿末廣亭で寄席を楽しみました。以前御徒町の鈴本演芸場で寄席を楽しんだことがありましたので、今回で二度目となります。1月10日までは正月初席ということで、三部構成の高座です。今日は第一部 11 時からの三時間。第二部 14 時半からの興業と、第三部は入れ替えなしという事で、そのまま 6 時間楽しむこともできますが、今回は第一部のみということで、お後がよろしいようでした。

(●^o^●)

 あっという間の三時間。最後のトリは桂米丸師匠。米寿だそうですが、お元気なのには驚きました。声もよく通り、母と同じ年とは思えませんでした。笑うことは免疫力を高めて寿命が伸びるそうですが、確かにその通りに違いありません。



2014年01月03日(金曜日:曇り)Taku と一杯


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■三ヶ日も今日で終わりです。昨日から始まった箱根駅伝も、午前8時スタートで午前9時10分現在、もう7区にタスキが渡ったのでしょうか。今日は午後から茅ヶ崎の両親を見舞って、そのまま東京へ行きます。Takuと会って一杯やる予定です。

 昨日までの日差しのある穏やかで暖かな日から、日差しの無い分、少し肌寒い天候です。どうも天候は下り坂のようです。

 今朝は目覚ましを掛けるのを忘れていましたが、7時半に起きて走り始めました。これで三ヶ日、毎日走りました。今日も桃沢神社までの往復6キロです。少しずつ、この三日間でペースも上がってきたようです。まぁ焦らずのんびりと続けていくしかありません。

■さて午後からは施設に入っている両親の見舞いに出かけました。姉から様子は聞いてはいたものの、90 歳を超えた父の衰え方には、辛い思いでした。自然に枯れて行く、と言えば聞こえは良いのですが、元気な頃と比較してしまうと悲しいばかりです。眠っていることが多いようで、部屋に入った時も静かに寝ていました。

 起こすのも迷ったのですが、せっかく来たのですから言葉も交わさずに帰るのでは、切な過ぎます。目が覚めて言葉を交わしてみたものの、思うように意思の疎通が取れない状況には、現実とは言いながら受け入れるのは簡単ではありません。

 母の方は、足腰がすっかり弱ってしまい、食事に部屋を出るとき以外は、殆ど横になっているようです。それでも歩かないと歩けなくなるからと、車椅子には乗らずに食堂に行っているようです。母は言葉もしっかりとし話も十分できるのですが、自由に動き回ることは、もうできないようです。

 本当に難しい問題です。そして他人事ではないのです。誰もがいずれは通らなければならない道であることを痛感しながら施設を後にしました。



2014年01月02日(木曜日:晴れ)走行距離 1,400 キロ突破


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■昨日の強風が嘘のような穏やかな朝です。日本海側や北日本では暴風雨あるいは雪で大荒れのようでしたが、一夜明けて落ち着いたのでしょうか。午前7時34分現在穏やかな夜明けです。昨日は午後から LSD を行い、通算の走行距離が 1,400 キロを超えました。新年早々おめでたいことです。

 昨日は 10 キロを超えた時点から、むしろエンジンがかかってきたような感じで、もう少し続けて走っても良かったのですが、まぁ、慌てることもありません。余力を持って止めて、また少しずつ積み重ねていけばよいのです。一人で走り続けるのは、なかなか難儀です。誰かが一緒に走ってくれるか,沿道で応援する人でもいれば別ですが、たった一人で延々と二時間、三時間と走り続けるのは、精神的にはとても苦しいものです。ですからキロ 6 分半で 3 時間を走り続けることができるようになれば、私のこれまでの経験では、特別な故障が起こらない限り、フルマラソンを完走できるような気がします。昨日は 88 分でしたから、もうあと 30 分を継続するのが次回の目標としましょう。

■今日は新春恒例の箱根駅伝です。以前SunとTakuと三人で箱根に宿を取って観戦に出かけたことがありました。地元の小川選手が出場する、という事で応援に出かけたのです。あの時は、1月2日の夜に雪が降り二日目の復路は大変でした。私とTakuはテレビ観戦でしたが、下り坂で選手が転倒していました。

 今年は、東洋大学が双子の設楽悠選手が大活躍。往路の優勝をさらいました。私もテレビ観戦が終わってから、義兄が千葉から到着するには、まだ時間がありそうでしたので、6キロほどを走りました。

 それから義母の所へみんなが集まって新年の挨拶を交わしました。高齢の義母のこれからのことを姉妹が集まって協議するのを、じっと聞くだけでしたが、本当に大変です。どこもかしこも高齢化した両親の面倒を、誰がどのように看るのか、という問題で頭を悩ますばかりです。

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 韮山で一人暮らしを続けていた義母も、体調を崩してしまい、現在は義妹のもとで暮らしています。本当に難しい問題で容易に解決策が見つかりません。



2014年01月01日(水曜日:晴れ)元日:元旦歩こう会に参加


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■今日の写真は朝日を浴びる富士山です。晴天の元旦でした。朝の 6 時に起きて車で浮島地区センターまで行き、そこから東海大学開発部に向かって歩き始めました。少し遅れましたので、大学に到着する少し手前で日の出となりそうでしたので、適当な場所を見つけてシャッターチャンスを待ちました。

 今年はSunも還暦を迎えます。「還暦になって、何か変わった?」と、しばしばSunに訊かれるのですが、還暦になったからといって、突然自分が変わるわけもありません。ただ自分が年寄りの仲間入りをしたのだ、という思いを、時折強く感じます。ロータリークラブで年下の友人から、「還暦ですか!」と言われると、なんだか突然自分がお爺さんになったような気がするから不思議です。10年前はロータリークラブでも自分は若い部類でした。会長を務めた時も、ガバナー補佐を務めた時も、若いですね、とお偉方から、よく言われたものです。もう、そんなことは誰も言ってくれません。もう年寄りですから、当然です。

(●^o^●)

 そうは言っても、子ども達は独身で子どももいませんから、まだお祖父ちゃんと幸か不幸か言われることはありません。たぶん孫から、お祖父ちゃんと呼ばれるようになると、人は本当に老けたのだなぁ、と実感するに違いありません。嬉しいよな悲しいような、という実感でしょうね、たぶん。

 今年は、子ども達にとって大きな変化がある年になりそうです。ぜひとも子ども達にとって良い年になって欲しい、と心から願って朝日に手を合わせました。

■昨夜は紅白歌合戦一色の大晦日でしたが、興味の無い私は、古今亭志ん朝さんの落語をひたすら楽しみました。志ん朝さんは、何度聞いても飽きません。口跡の清々しさは誰も真似ができないように、私には思えます。惜しい人を亡くしたものです。もっともっと長生きして欲しかったと、そのビデオを見る度に残念でなりません。

 落語というと思い出すのは、夏目漱石です。漱石は志ん生師匠の落語を好きで、寄席にしばしば通ったそうですが、「吾輩は猫である」などは、そのまま鈴本演芸場で落語を聞いているような気がしてくるから不思議です。何時間も志ん朝の落語を聞いていると、自分の話し方がだんだん似てくるのに驚きます。あの間の取り方といったら、堪りませんね。正月明けには、診察室で高座に上がったつもりにはなって、患者さんのご機嫌を伺っているかもしれません。

(●^o^●)

■さて、お昼に一眠りしてから、年始のランニングに出掛けました。昼過ぎからは風も強くなって、強い向かい風の中を走ることになりました。とにかく、ゆっくりと、そしてしっかりと走ること目指しました。桃澤神社までの道程を二往復しました。1 時間 30 分弱、13 キロ弱を走り切りました。計算すると、昨年 7 月以来の通算走行距離が、1,400 キロを超えました。新年早々、大変おめでたい事です。

 さて明日は、どうしたものか。起きた状況で考えましょう。