■20190304(月曜日:雨)
■今朝は走りました。昨夜は11時に床に入り30分ほど Kindle で「ホモ・サピエンス」を再読し眠りました。そこまでは良かったのですが、夜中の1時過ぎに目が覚め、その後色々なことが頭に浮かんで、寝付けなくなりました。どのくらいの時間が経ったのか、やがて再度眠りにつくことができました。そして2度目に目が覚めたのが5時5分頃でした。目覚ましは5時半にかけてありましたので、そこでもう一度寝入ってしまうと、逆に起きだすのがとても辛くなるので、思い切ってそのまま起きてしまいました。
着替えを済ませて、玄関を出たのですが、雨が降っていました。昨日の天気予報では、6時までは降水確率70%となっていましたので、確かに予報通りの天候でした。やめようと一瞬思ったのですが、幸い雨の降り方は、それほど強くもありませんでしたし、そのまま家の中に戻らず所定の場所に歩き始めました。ただし、ゆっくりと準備運動をするには、少し雨脚が強かったので、今朝は準備運動もせずに、そのまま走り始めました。そんな状態でしたので、とにかくゆっくりと少しずつ、とにかく走ればいい 、といった程度の速度でいつものコースを走りました。
結局6.09 km を走り、今月は通算20.80 km 残り27日79.19 km となりました。 平均の速度がキロ7分48秒ですから、本当にゆっくりとした速度で、走っているのか歩いているのか分からない程度のジョギングでした。それでも走る姿勢だけは崩さないように、それだけを考えて走り続けました。この速度ならば、あと1時間でも2時間でも走れそうな気がしましたが、現実にはそうもいかないようです。
■昨日の東京新聞 「家族」の欄では、シンガーソングライターの辛島美登里さんが「父の介護が宝物に」と題して書かれています。公務員だったお父様は、頑固なくらい真面目で実直。口下手だけど筆まめだった人のようです。そんなお父様が75歳を過ぎた頃、認知症の症状が出始めました。 当時認知症に対する知識も乏しく、今ならもっと適切な対応ができたのではないか、もっと笑顔の多い介護ができたのではないか、と後悔もされているようです。
ただ父の死を境に、年配の方に親近感を抱くようになり、危なっかしそうに歩く人を見ると、「大丈夫かしら」と、自然に体が動くことに驚いたそうです。その人の姿に父を重ね合わせたからと思い、亡くなっても、人はいろんな意味で生き続けるのだと教えてもらった、と書かれています。態度で表現するのが苦手なお父様とは、子供時代も手を繋いだ記憶すら、辛島さんにはなかったそうです。そんなお父様が認知症になり、お父様に肩を貸したり、顔を洗ったりと、お父様に触れるようになり、父娘のスキンシップの記憶は介護の時から始まった、と書かれています。そして辛島さんは最後にこう述懐されています。
それがなければ、父のひげも顎の形も知らないまま、お別れしたでしょう。今ではその記憶が宝物です。介護を通して、病気や老いと向き合う、凝縮された時間をもらったのかもしれません。
最近私も、父のことを、よく思い出すようになりました。