2022 年 02 月 11 日 北海道小樽市街と石狩湾です。

月: 2019年4月 Page 1 of 3

Ayaちゃんとの再会

■20190430(火曜日:晴れ)

街を歩いていて遭遇したインド料理のお店です。
街を歩いていて遭遇したインド料理のお店です。

■昨日ようやくメルボルンに到着し、0時を過ぎて休むことができました。ホテルはパンパシフィックメルボルンホテル。昨年1月に初めてメルボルンで宿泊したホテルよりも、かなり立派なホテルでした。昨夜は添乗員の松岡さんのお手伝いで、無事にチェックインが出来ました。毎日百ドルのディポジットが請求されるようです。つまり保証金でしょうか、何もなければ日本に帰って早々にクレジットカードの口座に返金されるそうです。

今朝は7時に目覚ましを合わせておきました。こちらでは、ほとんど夜明けの時間という空の様子でした。7時にホテルを出て、周囲の様子を見に散歩をする予定です。カフェがあれば入って、モーニングを食べようと思っています。

さてシャワーを浴びて八時過ぎにホテルを出ました。ぶらぶらと街を散策するためです。気候はとても爽やかで、湿度がとても低いのでしょう、日差しの下を歩いていると少し汗ばむほどですが、日陰に行くと風が冷たく感じるほどでした。ホテルの隣がコンベンションセンターでしたので、とてもわかりやすい場所にありました。ホテル自体が高く、名前がどこからも見えますので、迷子になることはなさそうでした。

ホテルを出るとすぐヤラ川があり、それに沿ってしばらく歩くと、大通りに出ました。そして懐かしい、あの市電、トラムが見えたのです。メルボルンはトラムが縦横無尽に走っており、しかもほとんど無料なのです。ちょうど通勤時間帯に当たったためでしょうか、多くのビジネスパーソンが急ぎ足で通り過ぎていました道路も広く、歩道も広いので、自転車通勤の方も結構見受けられました。

オーストラリアは、これから冬に向かうところです。街路樹は色づき始めています。爽やかなそよ風が、暖かな日差しと相まって、とても気持ちの良い気候です。行き交う人々を見ていると、半袖の人もいれば背広を着ている人もいる、という具合で本当に人それぞれです。人種も様々ですし、多様な街であることがよく分かります。

10時半にあやちゃんがホテルに来て、今部屋でお土産を分配しているところです。分配が終わったら、これからあやちゃんが去年から住み始めた新しい家に3人で向かいます。

さてホテルの前でタクシーを拾って行くのかと思っていたら、あやちゃんがこちらで契約しているDDという会社の車を手配してくれました。口座を登録してあるので、その場でお金を払う必要もありません。こうしたサービスでは、uberがとても有名ですが、オーストラリアではさらに別のサービスがあるのです。両者の違いはと言えば、それは価格です。さらに安い値段で利用できます。私たちが利用した車は26歳のインド人の方が営業されていた車でした。会計士の免許を、こちらで取られた、やはりインド人女性と、2年前に結婚されたそうです。2年間大学で勉強し、1年間の実務経験を経て、資格を得たとのことです。数字に強いインド人のことですから会計士は、おてのものでしょう。

メルボルンの街を歩いていると、インド人と思われる外国人が多いことに驚きます。もちろんその他のアジアの国からと思われる外国人の方もとても多く、それは日本の比ではありません。昔、学校で習ったオーストラリアの白豪主義というのは、今では全くの死語のようです。オーストラリアは物価がとても高く、日本から来てみると、なにを買うにも一旦手を止めて、考え込んでしまうほどです。

カーネギーという場所にある、新しい住まいに着くまでに、20分ほど車に乗ったでしょうか。静かな落ち着いた、郊外の住宅街という佇まいでした。こちらでは住宅費は週払いだそうで、月額に直すと16万円ということで、かなりの負担です。

メルボルンでは家賃が上昇して、適当な値段の住まいを探すのが、次第に困難になりつつあるようです。二人とも車を運転しないので、トラムの駅が近くでないと生活に困ります。そうして見つけたのが、いまの住まいです。大通りで車を降りて、少し中に入った所にある家に、ようやくたどり着きました。

ところがここで、ひと騒動が起きました。家の前でスマホの紛失に気付いたのです。慌てて通りに戻りましたが、すんでのところで車を取り逃しました。仕方なく家に入り、一息つくとリュックのポケットにスマホが入っているのに気付きました。いつ、しまったのか記憶に無いのですが、とにかく見つかって良かったです。万が一タクシーに置き忘れたとすると、今回のサービスでは、直接ドライバーに連絡を取るのが難しかったようなのです。そうなると大変でした。本当にラッキーでした。

さて、家から3人でぶらぶら歩きながら、昼食をとるレストランを探しました。結局、日本式ラーメンの店に入りました。私はとんこつラーメンを注文し、四川ラーメンと激辛ラーメン、そして餃子という昼御飯となりました。

食べ終わっていったん家に戻り、婚姻届に必要な書類を書き揃えました。新しい家は二階建て。日本から見ると、造りがとにかくちゃちです。ぞんざいというか、いい加減というか、地震も無いためか、それでも何の問題も無いようです。

さて、必要な書類も書き終わり、今度は電車に乗って、明日利用するサザンクロス駅まで行きました。駅の近くのスーパーでお土産を買いました。先年も利用したスーパーですが、精算が自動というか自分で行なう方法なので、慣れない高齢者は大変そうです。その後にホテルに帰り、一休みしてから夕食を食べに、再度出かけました。

メルボルン

■20190429(月曜日:晴れ)

今回宿泊したパン・パシフィック・ホテルです。
今回宿泊したパン・パシフィック・ホテルです。

■昨日は沼津から新幹線で東京へ行き、皇居を見学してから成田に泊まりました。ちょうど皇太子ご夫妻がお出かけになるところに出くわし、手を振ることができましたが、残念ながらお顔を拝見することはできませんでした。ご家族でのワゴン車に乗ってお出かけでしたが、窓が締まっていた為に、お顔を拝見することはできませんでした。

今朝は6時に起きて食堂に行き、朝食をとって8時のバスで成田空港へ向かいました。ホテルは外国の方も含めて、大入り満員でした。空港からバスで15分ほどのところにあるホテルでしたが、昨日の送迎バスも満員で大変な混雑でした。朝食を取るために開始時刻よりも十分ほど早く、食堂に行ったのですが、もう満員で長蛇の列でした。準備も無事終わり8時の送迎バスに乗ることができました。

昨夜と違ってバスはスムーズに空港に到着。先ずは予約してあったWiFiルーターと話題の自動翻訳機ポケトークを受け取りました。J-WiFiから昨日確認のメールを受信。その中のQRコードをかざすだけで、受け取ることが出来ました。ポケトークがどの程度の力を発揮してくれるか不安ですが、それを話題に話しが盛り上がれば、それで十分元は取れるはずです。

出国手続きなどの審査も顔認証のおかげもあって、スムーズに進み、9時には出発ゲートに到着することができました。75番ゲートです。JL773便です。座席は50Gと50Fです。日本時間10時半に出発して現地に到着するのは、21時55分。長い旅です。

■さて、ようやくホテルに到着しました。日本時間で22時20分、こちらとは現在1時間の時間差がありますので、メルボルンではもうすぐ30日になる頃です。平成も明日一日で終わりということになります。もちろん、ここメルボルンでは特別な感慨があるわけでもありませんし、催し物があるわけでもありません。

飛行時間は予定では9時間半でしたが、10分ほど早く着いたようです。飛行機はボーイング787で、乗客数は200名ほど。乗っていても足元のスペースも私には十分ですし、乗り降りもとてもスムーズにできますので、このぐらいの大きさの飛行機が一番乗りやすいかもしれません。

飛行中に映画を3本も見てしまいましたが、中でも、「グリーンブック」はとても良かった映画でした。人種差別を扱った定型的といえば定型的な内容ですが、さすがによく練られた脚本のおかげでしょうか、飽きることがありませんでした。人種差別問題は本当に深刻な問題なのですが、そこをいわば逆手にとって、こうした優れた娯楽作品を作り上げるところが、アメリカの懐の奥深いところではないでしょうか。いつも感心するばかりです。正面から取り込んでいます。日本では、アイヌの問題、そして沖縄の問題も、多くの日本人には、他人事なのです。

入国審査も終わり、到着口に行くと、JTBの案内を持った女性の方が待っていてくれました。

旅立ち

■20190428(日曜日:晴れ)

昨年旅した釜山港の様子です。
昨年旅した釜山港の様子です。

■さて今日から連休の始まりです。昨日は午前中に仕事を終えて、ほっと一息。朝から雨が降っていましたので、走るどころではなかったのですが、午後4時過ぎ頃でしょうか、雨雲も過ぎ去り青空が見えてきました。寒冷前線が通過したのか、雷も鳴っていました。月100 km の目標に向かって、残り12キロのところまで来ていましたので、少しでも積み重ねておこうと、雨上がりの 凛とした空気のなか走り始めました。 ところが何が悪かったのか不明なのですが、あまりの脱力感に走るところか歩くのも辛くなってしまいました。

おとといの夜にロータリクラブの次年度の委員長会議があり、皆さんと一杯やったのですが、会場の居酒屋さんがやたらに寒く感じていました。他の皆さんもそう言っていたので、自分だけが変だとは思わなかったのですが、風邪をひいてしまったのでしょうか。右の背筋が痛むのも単なる寝違えかと思っていたのですが、関係があったのか。とにかく走り始めて、あまりの辛さに、最初歩き始め、そして途中からは道端に座り込んでしまいました。なんとか2.44 km を積み重ね、総計90.43 km。残り2日で9.56 km のところまで来ました。 通常であれば何という距離でもないのですが、さすがにこの体調では無理をするわけにはいきません。

今日は成田に泊まって、明日の飛行機でメルボルンに行かなければならないからです。 Ayaちゃんの結婚式に出席するためです。 Takuの結婚式もそうでしたが、まだまだ先の話かと思っていたのですが、あっという間にその日が近づいてきました。

反NHK

■20190427(土曜日:雨)

昨年でかけた釜山の様子です。
昨年でかけた釜山の様子です。

■いよいよ今日から10連休の開始です。 私も今日の午前中に診療を終えて、その後は連休に入ります。たまたま連休中の当番医に当たりませんでしたので、 お休みを取ることができました。しかしこれだけ休みが続くと、話は簡単ではありません。 特に医療関係では、病気も休みを取ってくれるわけではありませんので、 対応するのが大変です。公的病院では連休中も何日かは診療をしてくれるところが多いようです。県のホームページに、 連休中の診療状況などを掲載してくれてあります。 とにかく無事に連休が終わってくれることを祈るばかりです。

■今朝の東京新聞には、「反 NHK の党」なぜ躍進、と題して記事が掲載されています。統一地方選挙で与野党とも勝ち負けがはっきりしない中、劇的に躍進した団体が「 NHK から国民を守る党」(立花孝志代表)です。全国で26人が当選し、地方議会の党勢を一気に3倍に拡大しました。 彼らの訴えは、地方が抱える様々な問題はさておき、 NHK受信料の徴収への反感を中心にした「反NHK」 の一点のみ。それにもかかわらず、なぜこれほどの票を集めたのか、飛躍の背後にある有権者の意識を探っています。

党の代表である立花孝志氏は元 NHK職員。

「日本を二度と戦争しない国にするために、公共放送の果たす役割は大きいと志望した」。だが、 入局すると「受信料収入は私的に流用され 、裏金作りに加担させられた」と明かす。制作費を搾取した元職員は裁判で有罪に。さらに不正を告発しようとしたが「局内の立場がまずくなり、退職を余儀なくされた」

こうした経験を基に政治活動を始められたようです。具体的に目指しているのは「スクランブル放送の実現だ」と語っています。

「新聞の勧誘は断れる。水や電気でさえ、自分の意思で井戸を掘ったり自家発電したりして賄える。なぜ NHK の受信が義務で、昼夜を問わず訪れる集金人の営業行為を断れないのか」

紙面では「確かにヘン」として、 ・政権より? ・ワンセグでも受信料 ・「皇室の祖先の天照大神」と報道、などなどを挙げています。

右からも左からも「偏向報道」として非難されがちな NHK ですが、私もおかしいと感じている一人です。私が決定的におかしいと感じたのは、小沢一郎さんと菅直人さんが民主党の代表選挙で争った際の NHK の報道でした。夜の NHKニュースナインに出演した二人の候補者に対して、当時の大越キャスターが質問をされていましたが、小沢さんに対して明らかに厳しい 質問をしていました。それは視聴者に対して、小沢さんが金の問題で汚れた政治家であるかのごとく印象付けようとする意図が明々白々だったのです。 なぜそのような態度をとるのか、当時の私には分からなかったのですが、後で調べてみて納得がいきました。小沢さんはマスコミのあり方に疑問を持ち、改革をしようとしていたのです。ネットによれば以下のような指摘がありました。

小沢一郎は国庫財源として電波の適正使用料を設定し、EUに倣い電波入札制度を導入、そのうえ資本による情報寡占を抑制するため⑤‘クロスオーナー・シップ(新聞社によるテレビ局経営)’の解体を目指していたのだから、メディアがパッシングに狂奔するのも当然だ。

なるほどマスコミは小沢さんをバッシングして潰そうとするはずです。 国民はいいように操られているに過ぎません。しっかりと自分の頭で考えないと、本当に国の未来は暗いものになってしまいます。

世界が一つに

■20190426(金曜日 雨)

昨年四人ででかけた釜山の海です。
昨年四人ででかけた釜山の海です。

■昨日は昼休みにロータリークラブの例会があり、終了後に家に帰り1時間ほど休みました。さすがに昨日一日で疲れました。眠ることで溜まっていた疲れも少し取れましたので、準備をしてから走り出しました。今月の目標100キロに対して、残りが20キロを切っていますが、29日の日曜日には家を出て、成田空港に向かわなければなりませんので、残された機会は木、金、土曜日の3日だけとなります。明日の朝は雨との天気予報ですので、今日中に少しでも走っておかないと、あとが大変になってしまいそうです。

しかし走り始めてみると、蒸し暑さのためもあって、体がだるくて参りました。なんとか七kmを積み重ね、残り12キロの地点まで到達できました。土曜日中には、なんとか目標を達成し遂げなければなりません。蒸し暑さと蓄積された疲労のためもあって、疲労困憊の状態で走り終わることになりました。走り終わってシャワーも浴びずに、そのままニューウェルサンピア沼津に行き、ゆっくりとお風呂に浸かりました。体重が2キロも減っていました。たった7キロ走っただけなのに、これだけ疲れてしまうようでは、フルマラソンはおろか、ハーフマラソンですら完走は難しいと、いささか落ち込みました。

■今朝の東京新聞28面は、「社会変える 斬新な発想」と題して子供の平成を特集しています。デジタルネイティブ(下)です。 副題は「プログラミング、楽しいから」。 記事の中の IT 関連年表を見ると、平成という時代にこんなことがあったのかと驚かされます。例えば平成元年1989年に、任天堂が携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」を発売しています。 平成四年1992年には、国内でインターネットサービスプロバイダーの設立が始まっています。そして平成7年1995年には、 Windows 95日本語版が発売されました。 Windows 95と印刷されたパッケージが家電量販店で、まさに飛ぶように売れている映像が、毎日のようにテレビの画面を飾っていました。

今思うと私にとってインターネットが最も楽しかったのが、この92年から95年の間であったように思います。インターネットに接続するための料金が、今では考えられないほど高額だったのです。当時は電話をかけて接続ポイントからインターネットにつながる形式でした。この接続ポイントまでの電話代が、今では想像できないほどの費用がかかったのです。 一番最初は東京へ電話をかけていたように思います。やがて熱海でしたでしょうか、接続ポイントがぐっと近づきましたので、接続料金もだいぶ低額となりました。 NTT の ISDN 回線が導入されたのも、このころではないでしょうか。夜の10時から朝の7時でしたか、インターネットへの接続に定額制が導入され、 だいぶ助かるようになりました。

この頃毎朝のように夢中になったのがインターネット電話でした。 今では外国にいる子供たちや友人と、インターネットを通じて会話するのは当たり前のことです。 LINE でも Facebook でも、そして Skype で世界中と通話ができるのです。しかし当時は国際電話というのは、とても高価なものでした。おいそれと、できるようなものではなかったのです。 それが無料で出来たのですから、本当に驚き以外の何者でもありませんでした。 インターネットフォーンや Web フォーンというソフトを使って、今オンラインにいる人を世界中から探して電話をかけるのです。もちろん使用される言語は英語が、 最も一般的でした。つまりはインターネットの普及で、英語が世界共通語になり始めたのです。

インターネットも元をたどれば、アメリカで開発された軍事技術の一部だったようですから、冷戦の崩壊によって解放された技術であったに違いありません。 冷戦の崩壊とインターネットの普及によって、世界はひとつになり始めたのです。

語り合う

■20190425(木曜日:雨)

京都の東寺の様子です。
京都の東寺の様子です。

■今朝はゆっくりと休みました。 残り20 km を切った今の時点で、本来なら今日走らなければならないのですが、さすがに昨日の疲れと、雨という天気予報では休むしかありませんでした。最近の天気予報は本当に良く当たります。 今朝は6時までは降水確率80%。6時以降50%に減少しますが、いつも自分が走っているのは5時から6時の間ですので、走るのは無理だろうというのが昨夜の判断でした。まさに、その通りになりました。

日曜日には成田に向かって出発しなければなりませんので、無理をすれば日曜日の朝に走ることはできます。でもそれは避けたい選択肢の一つですから、昼間は晴れるという天気予報に従って、今日の夕方走っておくのが正解のようです。 そうしておけば、最後のあと一回分は土曜日に達成できそうです。

■今朝の東京新聞文化面には、興味深い記事が掲載されていました。「ベストセラーは置かず 大阪の個性的書店が閉店」。 大阪ミナミのアメリカ村の書店「スタンダードブックストア心斎橋」(大阪市)が4月7日、ファンに惜しまれながら閉店したのです。 開店してから10年余りですが、ベストセラーはほとんど置かずに、店員のセンスで、販売する書籍を厳選した独特のスタイルが支持されてきました。 経営者の中川和彦さん(57)は「人と人が出会う場所を作りたい」と、新しく始める店の構想をすでに描いているようです。

売れ筋にこだわらず、店員が商品となる書籍と雑貨を選び抜くのが特徴でした。店内には約100席のカフェがあり、暖色の明かりで居心地のよい雰囲気を醸し出すよう工夫していました。「目的もなく過ごせる公園や広場みたいなもん」と中川さんは振り返っています。

活字離れが進むと言われる昨今。「これからは愛着のある店じゃないと続かない。『あそこの店、この街に必要や』と思ってもらえる店にしたい」と中川さんは意欲を見せています。

年をとればとるほど、読書の持つ重みは大きくなってくるような気がします。体力の衰えからくる活動量の減少も大きな要因だと思います。暑いから出かけるのはよそう、寒いから出かけるのはよそう、となりがちです。自分にとって共感できる本に出会えることは、本当に大きな喜びなのですが、その共感を語り合える仲間というのは、身近にいないものなのです。人それぞれ興味には違いがありますから、私が面白いと思った本でも、同じように子供たちが面白いと思うことは、あまりないようです。 ベストセラーがよく売れるのは、もちろんその作品が魅力あるもので作品だからなのですが、売れているから売れるという面も大いにあると思います。 ほとんど誰も読んでいない本を読んでも、 ともに語り合う相手も機会もないからです。

この歳になってつくづく感じるのは、大人になると語り合う内容に行き詰ってしまうのです。結局は仕事仲間と仕事の話をしているのが、一番無難で話題にも事欠かないということになります。それはそれで、もちろん必要なことなのですが、長生きすればするほど、 身の回りの世界が狭苦しくなってくるように思います。 残された行きつけの場所が公共の図書館だけだった、という定年退職で会社勤めを終わったビジネスマンの話は、決して稀有な例でも、他人事でもないように思えます。経験も知識も蓄積してきたはずであろうのベテランビジネスマンの最後の居場所が、公共図書館という現実は、少し寂しい気がします。その蓄積された知識や経験を、少しでも社会を良くするために、貢献できる仕組みがあれば、本人にとっても生きがいになるはずなのですが。現実はとても難しいようです。

悲しいまでに凡庸

■20190424(水曜日:曇後雨)

京都の東寺の様子です。
京都の東寺の様子です。

■今日は初めての会議への出席でした。新沼津カントリークラブ2019年4月度理事・分科委員会です。今年から競技委員を仰せつかり、2月の月例から競技委員を務めていましたが、 本年最初の理事・分科委員会に初めて出席させていただきました。 ゴルフクラブの運営に関して、メンバーの中からボランティアを募り、より良いクラブとなるように皆さんが知恵を出し合うのです。今まで全く知らない世界でした。コースの整備計画に始まり、ローカルルールの作成、あるいはプレイヤーの服装基準に至るまで、誇りの持てる、品位のあるクラブとするためには、 様々な手間暇が必要になるのです。 仲間に加えていただいたことを大変嬉しく思っています。

現役としてまだまだ仕事をしなければならない立場ですので、なかなか平日に時間を取ることは難しいのですが、今日は思い切って出かけることにしました。岩崎理事長さんをはじめ、理事の皆さんとも、少しずつ顔なじみになり言葉を交わすようになりました。大変ありがたいことだと思っています。自分にできる範囲内で、お役に立てればと思っています。

平成30年度の新沼津ゴルフカントリー クラブ総入場者数は、4万人弱とのことです。 幸いなことに、一昨年、そして昨年と比較して入場者数は若干ながら増加しています。今年の1月から3月までが暖冬でしたので、来場者数も多かったようです。しかしながら最近では異常気象が頻発し、昨年の7月には週末に立て続いて台風が上陸したり、10月には営業日数30日の内、15日が雨となり、キャンセル数がなんと1,150名にも達しました。確かに昨年の7月に予定されていた、高度医療機器管理者講習会も台風のために延期となり、静岡県眼科医会の川村会長も中止と延期のための連絡に、てんやわんやだったようです。

■さて夏の参議院選挙が衆議院選挙との同日選挙になりそうです。我が国を率いる安倍晋三総理については、様々な批評がなされています。一度目の総理時代の失敗を糧に、徹底的に野党を脆弱化させるためにマスコミを動員し、実に巧みに政権運営をしている点は、野党も大いに見習うべき点です。分割統治の見本です。

しかし以下の記事を読むと、本当に暗澹たる気持ちに沈みます。世界から称賛される国民性の根っこにある、それは私達日本人の本性なのかもしれません。

「悲しいまでに凡庸」だった青年が日本政治の頂点に君臨し、この国の姿を変容させるまで 安倍晋三氏のルーツを探る

戦後の高度成長時代、日本は『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(原題:Japan as Number One: Lessons for America)は、社会学者エズラ・ヴォーゲルによる1979年の著書により、天にまで上り詰めました。もちろん優れた日本人の特質が、この繁栄をもたらしたことは事実です。しかし、それは冷戦という特殊な世界環境の中で実現できたことだったのです。上記の記事を読む時、アメリカとの戦争に国を上げて邁進したこの国の国民性は、少しも変わっていないのではないか、と未来に不安を覚えるのです。

8つの政策

■20190423(火曜日:曇)

京都の二条城です。
京都の二条城です。

■今朝は走らずに、ゆっくりと休みました。昨日は10キロを走りましたので、さすがに疲れが溜まっています。学校も臨時休校だったためか、昨日の外来は大混雑でした。朝10キロ走って外来も大混雑では、疲れないはずはありません。東京では、気温が25.6度まで上がり、夏日となりました。暑さのために窓を開けたくなりましたが、花粉症が心配です。まだまだ花粉症は続いています。もちろんいっときのスギ花粉症のような激しさはありませんが、今はヒノキでしょうか、まだまだ患者さんは多いのです。それでも、我が家では窓を開けても、くしゃみが酷くなるということもようやく無くなり、昨日の夕方からは窓を開けて食事をとることにしました。

■今朝の東京新聞こちら特報部では、山本太郎氏「れいわ新選組」結成へ、と題して書かれています。 新党の設立にあたり八つの政策を紹介しています。記事では、そのいくつかの政策について、実現の可能性や整合性について論じています。八つのうち、主な政策は以下の通りです。消費税の廃止、最低賃金1500円を「政府が保証」、公務員を増やす、辺野古新基地建設中止、原発即時禁止などなどです。

平成は人々が疲弊した時代。生活を底上げする政策を言わなければならない。例えば消費税を5%に減税した場合、導入後6年目には一人当たりの賃金は1年で32万円上昇する。

と山本太郎氏は訴えています。4月22日現在、新党へは4,100万円ちょっとの寄付金が集まったとしています。その中には、わずかではありますが私の寄付も含まれています。

消費税の問題にしても、最低賃金の問題にしても、マスコミに洗脳されている私たちにとっては、彼の政策は荒唐無稽のように思えるのは事実です。 でも少し考えてみると、おかしな点がいくつもあるのです。例えば輸出頻度が高い自動車産業は、消費税率の引き上げを、むしろを後押ししています。消費税が上がれば国民は車を買うのを控えますから、売り上げは減り自動車会社にとってもマイナスかと思うのですが、実はからくりがあるのです。消費税が適用されるのは国内だけなので、 自動車会社がアメリカに車を輸出した際には、 仕入れ時に国内で支払った消費税額が自動車会社に還付されるのです。 つまり消費税率が上がれば上がるほど、自動車会社にとっては還付される消費税額が多くなるのです。 これでは消費税率の引き上げに対して賛成するはずです。 自分たちの懐が潤うからです。

最低賃金の引き上げについても、色々な意見があるのは事実です。引き上げを行った韓国の経済が破綻寸前だと、しきりにマスコミは報じています。 都留文科大名誉教授の後藤道夫氏(社会哲学・現代社会論)によると、これも十分に実現可能とされます。 企業が生み出す付加価値全体のうち、どれだけ労働者に賃金などとして還元されているかを示す「労働分配率」は近年、下がり続け、「現在、史上最低クラス」になっているそうです。つまり、賃金が低すぎて、消費に金が回っていないのが現状だというのです。

単身の非正規労働者が必要な月の生活費は、22万円から24万円という調査結果がある。それを平均的な月労働時間で割ると1時間約1500円。中期的な目標としては、妥当性がある数字だ。

最後に欄外のデスクメモにはこう書かれています。

国会での山本氏の質問は痛快だ。街頭での熱心な演説ぶりも知られ、政策も人気取りの甘言ではなさそうだ。いわゆるタレント議員とは違うと感じる人も多かろう。とはいっても、多数の支持を得られるとは限らない。目下、最大の敵は、国民の政治への無関心ではなかろうか。

山本太郎氏には、是非頑張ってもらいたいと私も思いますし、国民がどれだけ彼を応援できるかで、この国の将来が決まりそうな気もします。国民が政治に対して無関心でいる間に、この国はすっかり劣化してしまいました。本当に情けないことです。

戦前・戦中の様子を元にしたテレビドラマなどを見ていると、自分たちの国が本当にこんな状態だったのかと大変不思議に思います。 今から考えれば、本当につまらないことで、 憲兵や警察から庶民が殴られ、刑務所に放り込まれていたのです。今思えば、暴力団のいちゃもんとあまり大差ないようにも思えるほどです。 敗戦によって日本人は生まれ変わったと思われていますが、しかしよく考えてみると、根底にある精神状況というものは、実は水面下に潜ってしまっただけではないか、とも思えるのです。

この辺りは心理学の岸田秀さんが書かれた「ものぐさ精神分析」が鋭く分析されています。つまり再び条件が整えば、私たち日本人は、もう一度あの喜劇のような悲劇を演じるのではないか、と私は心配しているのです。 精神科医がマスコミで、これほどもてはやされている時代も、なかったのではないでしょうか。しかし一番肝心な点の分析が抜けているように、私には思えます。 明治以降の日本近代史を振り返る時、 日本人の精神状態については、まだ整理整頓が済んでいないように感じるのです。

アプリ

■20190422(月曜日:曇)

京都清水寺でのカエルです。
京都清水寺でのカエルです。

■今朝は走りました。目覚ましを5時に合わせていたのですが15分ほど前に目が覚めました。もう一度寝てしまうと、今度は起きられなくなりますので、そのまま起きだして走り出すことにしました。今日は、とにかくゆっくり長く走ることを心がけました。10.52 km を走り、これで今月は通算80.83 km 。残り8日で19.16 km の地点まで到達です。来週の日曜日には成田へ移動しなければなりませんので、走ることができるのは今週いっぱいということになります。 今週の予定をしっかり確認した上で何としても目標達成しなければなりません。

■今朝の東京新聞には興味深い記事が掲載されていました。「びっくり新技術」というコーナーで、「弱視の人 買い物支援 価格や色を音声に、アプリ開発」と題して解説されています。弱視の人は、店員やヘルパーの手助けなしでは買い物が難しいものです。そこで商品の電子タグの情報を読み取るリーダーと接続し、その情報をスマホで音声案内するアプリを作られたのです。東京大学工学部の嶋田紅緒さんと矢谷浩司准教授が開発されました。

矢谷准教授は、このアプリの対象を洋服などにも広げて数年後の実用化を目指している。

とのことです。 誰もが手元にコンピューターを持つ時代が来ました。スマホです。 IBM が何億円もする大型汎用機でコンピューター市場を牛耳っていた頃、 コンピューターを個人でも使えるようにしたいという夢を持って挑戦したのが、 Apple のスティーブジョブズでありマイクロソフトのビルゲイツだったのです。「 全ての情報をあなたの指先に」というキャッチフレーズを掲げたのはビルゲイツでした。その夢を実現したのは、 PC つまりパーソナルコンピューターというよりは、 むしろスマートフォンだったのではないでしょうか。 あらゆる情報はスマートフォンを通して、私たちに届けられる時代が、もうそこまで来ているのです。

おフランス様

■20190421(日曜日:晴れ)

京都の清水寺です。
京都の清水寺です。

■今日は新沼津カントリークラブの B クラス月例です。 B クラスに陥落してからは、ゴルフの調子もさっぱりで、100を切るのは難行苦行になっていました。 昔はどうやって80台を出していたのか不思議でならないほど、調子の悪いことが続きました。どうしたらいいのか、さっぱり分からなくなってしまったのです。

ところが先日練習をしていて、あることに気づきました。クラブヘッドのソールというのでしょうか、底の部分が地面と平行になるようにスイングをすると、クラブを格段にスムーズに振り切れることに気づいたのです。手首を今までよりも、手前ではなくて向こう側に折るような気持ちでボールを捉える、と言えば分かりやすいかもしれません。 そのように意識してスイングをすると、打った球の方向が格段に安定しました。 前半では残念ながら一ホールだけ OB をたたき、スコアが9となってしまいました。これがなければ、というやつです。フェアウェイからの第2打だったのですが、つま先上がりの傾斜がありました。ここでもやはり平行に振ればよかったのですが、それが出来ずに、ボールは大きく右に曲がりOBになってしまいました。しかしそれ以外のホールでは、本当に安定していました。ボールを捉える時のクラブヘッドの角度が、安定していたからでしょう。 私にしてみれば大きな進歩です。結局のところスコアは50回と49回、合計99回となんとか百回を切ることができた程度なのですが、その内容は明らかに今までとは異なっています。

もう一点の注意点はスイングのトップの位置で、左肩越しに右足つま先を見るようなイメージ。今日はこの二つで、格段の進歩を遂げたように自分では思います。合計4つのショートホールのうち、続けて3ホールがパー。最後のホールもパットが数センチ外れてボギーとなりましたが、こんなことはめったに起こりません。 しかも驚くことに、一度もワンオンしていないのです。 つまりは寄せて1パットだったわけです。これも私にしてみれば驚くべき進歩です。次回がとても楽しみです。

■先日の東京新聞「週刊 ネットで何が・・」という記事では、「おフランス様」高まる反感、と題して書かれています。ネットでは「たたいて OK な対象」のコンセンサスが生まれたらバッシングが加速する、フランスにその役が回ってきてしまった、とあります。

先端的な考えを持つ日本人は、何かにつけてフランスを引き合いに出し、日本は遅れているという主張を展開します。「女性は40代以降からより素敵とされ若い女性だけをちやほやする日本とは違う」「夫婦はデートをする」「移民に寛容」などと同国の先進性や日本との違いを述べるのですが、これに反発する人もいます。

ガソリン価格の高騰から大暴動になった際、マクロン氏が「ガソリンが高いなら電気自動車を買えばいい」と発言したとの記事が拡散。マリー・アントワネットの発言とされる「パンがないならケーキを食べればいい」を連想させ、「さすがフランス人が言うとリアリティーがあるな」との声が出る。

確かにマクロン大統領は、いかにもエリート然としていて、お高くとまっていると多くの人が感じるのではないでしょうか。 大統領としてのその発言は、どこかの国の首相とは違って、格調高く、教養にあふれていることは間違いありません。しかし、どうも鼻につくことも間違いないのです。何か嘘っぽく感じるのです。 しかしこれは何もマクロン大統領に限った話ではありません。先日 NHK BS で放映された、映像の世紀において、19世紀末から20世紀初頭におけるパリの様子を映し出していました。 当時、万博も開催されています。英国留学に向かう途上で、夏目漱石もこの万博を見学しているのです。

動く歩道に象徴される、科学技術の進歩が、まさにバラ色の未来を感じさせていた時代だったのです。 しかし同じ頃、フランスはベトナムを始めアジアで過酷な植民地支配を行っていました。どれほど多くのアジアの民が彼らのために悲惨な生活を送っていたかを考える時、彼らが誇らしげに語る、自由・平等・博愛は、まさに偽善以外の何ものでもないのです。欧米諸国が繁栄と発展として語る19世紀から20世紀にかけての歴史は、 まさに身勝手な、偽善に満ちた歴史に他ならないのです。私たちはそのことを、しっかりと見つめなければなりません。

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