2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

月: 2024年12月 Page 2 of 3

矜持と気力

■20241212(木曜日:晴れ)

オーストラリア・ジーロングの住宅街にある歯科医院です。

■今日の写真は、散歩中に見かけた歯科クリニックの写真です。オーストラリアでは、歯科診療に保険が効かず、治療費が高額なことで有名です。ワーホリで出かけた日本人が、虫歯の治療に20万円かかった、という投稿も見られます。円安の今ですと、もっと高額になります。

オーストラリアに滞在する場合は、日本で治療を済ませておくのが、鉄則のようです。

■さて、トランプさんは大統領になったら、中国製品に関税をかけて締め出そうとしています。敵視政策は一貫しているのですが、指をくわえて座して死を待つ中国ではありません。

跳ね返すだけの力が中国にはありそうです。将来衝突することを予想して、着々と準備をしてきたのです。以下は1例に過ぎません。

中国半導体最前線PartⅢ 
AI半導体GPUで急成長した「中国版NVIDIA」ムーア・スレッド

もちろん、思ったように成果が上げらずに、苦しんでいる分野もたくさんあります。しかし、いつまでも他人の言いなりになっていては、自立することができません。

言いなりになるばかりです。平身低頭、唯々諾々と身を処するだけでは、奴隷国家になりさがります。他山の石とできるだけの矜持と気力が、果たして日本に残っているのかどうか。

これから最後のチャンスが回ってきそうです。

文化センター

■20241211(水曜日:晴れ)

右手の建物が「川口総合文化センター・リリア」です。

■昨日はフィットクラブへ行くつもりでしたが、疲れが溜まっていたのか止めました。その時間を利用して、バナナケーキを作りました。Sunが友人からいただいたリンゴがあり、大きめなので毎朝二人で半分ずつ食べてはいるのですが、それだけではもったいないので、何とかレパートリーを増やそうというわけです。

いつものバナナケーキに、サイコロ状に刻んだリンゴを入れて、炊飯器に掛けました。結果から言えば、美味しいのですが中心部が、まだ固まりきれていない、という仕上がりです。

リンゴケーキのレシピを見てみると、砂糖をかなり使うものがほとんどです。砂糖は極力使いたくないので工夫のしどころです。蜂蜜を代わりに使用したり、何とか手軽に美味しいリンゴケーキに辿り着きたいと思っています。

■さて今朝の写真は、埼玉県川口市の駅前にある総合文化センターです。とても立派な建物です。現在、大規模改修中とのことです。そのためでしょうか、催し物が少なくて驚きました。市民のために様々に利用されているのでしょうが、ホームページでは、ちょっと分かりにくいのが残念でした。

これだけの規模の箱物を維持するのは大変そうです。相当の規模の自治体でないと無理です。東京を羨ましく思うのは、舞台とか演劇とか講演会とか、そうしたものを身近に容易に楽しむことができる点です。

地方ですと県庁所在地が、それに相当するのでしょうが、いかんせん人口規模に違いがありすぎるので、主催団体にとっては経済的にも開催は困難です。

人混みが苦手な自分にとっては、地方での生活は性に合っているのですが、これからますます格差が拡大しそうです。

適正回数

■20241210(火曜日:晴れ)

荒川の土手から見た川口市立原町小学校です。
私が通ったのは、飯塚小学校でした。

■先週の土曜日から、フィットネスクラブでのベンチプレスの負荷を上げました。バーベル自体の重量が11.3 kg ありますが、それに重り、つまりプレートを追加します。今までは 5 kg x 2 = 10 kg を付加していたのですが、さらに 1.25 kg x 2 = 2.5 kg を追加したのです。大胸筋や三角筋、上腕三頭筋などの筋肉を鍛えるトレーニングですが、たったこれだけの追加でも、限界です。

もう一つのトレーニング、バーベルスクワットでは、今までの負過分を 20 kg から、さらに 2.5 kg x 2 = 5.0 kg 上げました。大腿四頭筋(太もも前側)や大臀筋(お尻)、ハムストリングス(太もも後ろ側)が鍛えられるのはもちろん、お尻まわりの筋肉を鍛えることでヒップアップ効果も期待できます、とあります。つまり最大級の筋肉で行いますので、一気に 5.0 kg 上げることも可能でした。

ただ、調べてみると「バーベルスクワットは週2回が目安です。 他のトレーニングに比べると負荷が大きいため、筋肉を休める期間が必要だからです。 結果を求めて毎日バーベルスクワットを行うのはかえって逆効果。 トレーニングの継続は重要ですが、効果が出やすい頻度で行いましょう」。知りませんでした。

「スクワットを毎日行う場合は、回数を少なめにしたり、器具は使わず自重トレーニングにしたりなど、軽めにすることを意識しましょう」ともありますので、プレートは付加せずにバーベルだけの日を入れるのが、正解かもしれません。

■今朝の写真は、川口市立原町小学校です。川口市立西中学校には、原町小学校、飯仲小学校、そして私が通った飯塚小学校から生徒が集まります。

川口市立西中学校のクラス数は16。全校生徒数は583名で、中規模校に分類されます。生徒数は、飯塚小学校 652 名、飯仲小学校 499 名、原町小学校 433 名。

ちなみに、沼津市立原中学校の生徒数は、334 名。川口市の人口は沼津市の約3倍ですから、生徒数も多いはずです。学校医の先生も大変そうです。

思い出

■20241209(月曜日:晴れ)

川口市立西中学校脇にある三領水門です。
荒川の洪水で中学校が浸水したことがありました。

■荒川の支流である菖蒲川が、西中学校の脇を流れています。記録を見ると、1958年(昭和33年)狩野川台風の来襲で、荒川の大洪水が起こっています。

子どもの頃、押し寄せてきた洪水を、団地の2階から眺めた記憶があります。何年だったか、正確な記憶はないのですが、1958 年では私は 5 歳ですから、いささか怪しい記憶です。

ただ、その後の大きな洪水というと、1974年(昭和49年) 台風16号による、となりますので、これではないことは確実です。最近では、2019 年 10 月の台風 19 号で浸水被害を受けたようです。

高層住宅が立ち並び、以前と比較しても地面の保水力が低下していることは間違いので、川口市として対策を急いでいるようです。

■中学校の美術の授業で、スケッチをする機会がありました。土手の上から、この水門を私は描きました。美術の成績が、いつも2だった私が、美術の先生に唯一褒められたのが、その水門の絵でした。

そんな嬉しい思い出を、この水門は蘇らせてくれるのです。

自動車工場

■20241208(日曜日:晴れ)

オーストラリア・ジーロングのガソリンスタンドです。

■今朝の写真は、今年の11月に出かけたオーストラリア・メルボルン近郊のジーロングの様子です。現在オーストラリアでは、1台の車も生産していません。全て輸入車です。

Jones家のパパは、生前フォードの工場に勤務されていたそうです。調べてみると、オーストラリアでのフォードは、ジーロングから始まっていました。

1925年3月31日フォードは、オーストラリア本社をビクトリア州ジーロングに置くことを発表した。1925年6月ジーロングの使用されていなかったウールストアに、急ごしらえされた生産ラインからラインオフしたモデルTが、オーストラリアで最初に組み立てられたフォード車となった。

翌1926年にはブリスベンとアデレードにも組み立て工場を開設。1928年には生産車がモデルAに切り替えられ、32年にはフォード・V-8へと続いた。

パパは夜勤の勤務をされていたとのことで、最盛期は24時間体制で工場も稼働していたかも知れません。

2016年10月7日、予定通りこの日をもってジーロングとブロウドメドウス工場を閉鎖し、91年間続いたオーストラリアでの自動車生産に幕を閉じた。

ブロウドメドウス工場は1959年8月20日の操業開始以来、4,356,628台のフォード車を生産した。

日本のトヨタも、生産から撤退しました。

 2017年10月03日、トヨタ自動車(株)(以下、トヨタ)の豪州製造・販売事業体であるToyota Motor Corporation Australia Ltd.(以下、TMCA)は、本日、豪州での54年にわたる生産を終了した。

■現在のオーストラリアのガソリンの価格は、日本より若干高い程度でしょうか。賃金は日本よりずっと高いので、割安感はありそうです。ただ、日本とは距離感が全然違います。市街地を抜ければ、あとはぶっ飛ばすだけ、みたいなところが多いようです。ガソリンの消費量は、日本よりずっと多そうです。

単なる印象ですが、オーストラリアの人たちは、ゆったりと暮らすことが大好きのようです。あくせく働く、というのは国民性に合わないようです。

固定観念の崩壊

■20241207(土曜日:晴れ)

荒川の土手から見た川口西中学校です。
右側に並ぶ高層ビル群は、駅周辺です。

■今朝も、よく晴れています。これから強烈な寒気が流れ込むために、北陸地方は雨から大雪になりそうです。被災地には、さらに重荷になりそうです。

■さて、いつもの知恵袋・田中宇さんです。

★韓国戒厳令の裏読み
田中宇の国際ニュース解説 無料版 2024年12月5日

あまりに突然の韓国からの報道に、どうなっているんだ、と驚くばかりでした。田中さんの解説は、いつものことながら、筋が通っていて納得ができます。

世界は変わろうとしています。長い間に作られた固定観念が、崩れていくかも知れません。東西ドイツだって、永遠に分断されているだろう、と誰もが思っていたはずです。

大国の思惑で分断されてきた、同じ民族の国家が、統合へ向かうのは自然な流れです。大国によるタガが外れれば、時間はかかっても一つになろうという思いが勝るはずです。

地域の大国にとっては、隣で起こる争いごとには、何のメリットもありません。とにかく話し合いで解決しようとします。それこそが正常な姿であり、これからの目指すべき方向です。

そうなってくれることを、心から願っています。

時の流れ

■20241206(金曜日:晴れ)

川口市の荒川の土手です。京浜東北線に向かって真っすぐ伸びています。

■今朝も、よく晴れています。今朝の写真は、先日出掛けた川口の様子です。幼年期を過ごした川口は、私の心の故郷です。川口といえば、映画「キューポラのある街」です。

『キューポラのある街』(キューポラのあるまち)は、1962年(昭和37年)4月8日に公開された日本映画である。浦山桐郎の監督デビュー作。文部省選定。

主演の吉永小百合が当時最年少のブルー・リボン主演女優賞を受賞し、以後大スターへの道を躍進することにもなった記念すべき作品。

私が9歳の時に公開されています。鋳物工場職人の家庭に生まれた、主人公の成長を描いた作品です。当時私が住んでいた公団住宅の周囲にも、多くの鋳物工場がありました。

写真の土手の麓には、長屋のような住宅が建て並び、多くの友人の家族が住んでいました。その様子も映画には描かれています。

石黒ジュンを演じる吉永小百合さんが、自転車に乗って土手を走り去る場面もありました。先日訪れた川口駅前の様子など、映画からは想像もできないほど変貌しています。

映画で描かれた当時と今も変わらない点に、川口駅に止まるのは京浜東北線だけである、という点があります。線路は山のように数多く通過しているのですが、駅に止まるのは一つだけ。

川口駅から東京駅まで各駅停車でも29分ですから、他に必要がなかったのでしょう。それでも、川口駅に上野東京ラインを停車させようという計画がありますが、実現するのは2037年以降になることが見込まれているようです。

駅から歩いて数分のところに、店舗建住宅の巨大なビルができていたことに驚きました。Koheiちゃんによれば、5年前には無かったとのことです。先日も駅から中学校まで散歩をしたのですが、人手の多いことに圧倒されました。

さて、5年後に川口市と沼津市は、どう変わっているのか。そして自分自身も、どうなっているのか。時の流れは加速しそうです。

手荷物

■20241205(木曜日:晴れ)

川口マラソンで手荷物を預けるために集まった皆さん。

■今日の写真は、先日の川口マラソンで、スタート前に手荷物を預けに集まった皆さんです。こうした大会に参加する場合、色々準備が必要です。まずは、会場に一人で行くか、仲間で行くか、家族で行くかで状況が大きく変わります。

冬のことが多いですから、Tシャツ一枚で会場に行くことはありえません。今回も家からは、ベンチコートを着て出かけました。着たのは、フリースとトレーニングパンツ。とにかく軽くて、折りたたんだ時に、容積の小さくできる衣類が最適です。

預ける際に、一つの大きいビニール袋に、全てを収める必要があるからです。ただし家族が一緒なら、ビニールシートをひいて場所を確保すれば、そんな必要はありません。

貴重品は預かってもらえませんので、ランニングポーチに収めて走ります。スマホ、スイカ、そして健康保険証などを仕舞って走ります。電車の切符は前もって買っておきますので、財布は持ち歩きませんが、万が一のために、現金を少し持参します。

今年のびえいマラソンで、旭川駅から美瑛駅まで富良野線に乗ったのですが、旭川駅ではスイカで乗車したものの、降りる際に駅員さんから、現金で支払いを求められました。

念の為に現金も持参していたので、何とか間に合いました。そんなこともあります。

大会実行委員会からは、収納用のビニール袋は支給されませんでしたので、以前参加した伊豆マラソンで支給された、懐かしい収納袋を今回は持参しました。トレンチコートなどを収めても、ちょうど良い大きさなのです。

前もって支給されたタグを付けて預けました。ゼッケンナンバーで確認して返却する、という流れです。8時30分スタートで、返却最終時刻は11時30分でした。3時間以内に受け取らなければなりません。

私がゴールしたのが、11時少し前でしたから、計測チップの返却など、後始末をして手荷物を受け取り、身体を清拭して着替え終えたのは、11時30分ギリギリでした。担当のボランティアの方にお礼を言って、預かり場を後にした時には、手荷物はきれいに片付いていました。残っていたのは、一人、二人でした。

本当に多くのボランティアの方に、大会が支えられているのが、よく分かります。今回の大会は、開催場所もコンパクトで分かりやすく、運営もスムーズで気持ちの良い大会でした。沿道での声援も、ずいぶんと力になりました。子どもたちと、何度もハイタッチしました。完走できたのも、そんな応援のおかげもありました。感謝です。

動悸

■20241204(水曜日:晴れ)

埼玉県川口市立西中学校のグラウンドです。
荒川の河川敷にあり、土手を越えて運動に行きました。

■昨夜は少し寒さを感じたので、掛け布団を二枚にして休みました。ところが、それが仇になりました。朝方から動悸に襲われました。暑すぎると動悸が起こるのです。分かってはいたのですが、警戒を怠りました。

男性は30代をピークに自律神経機能が衰え、70歳になるとピーク時よりも、なんと60%も機能が低下するというのです。体温調節機能不全も動悸の発生も、それが原因なのでしょう。

文句を言っても仕方ありません。上手に付き合うしか無いのです。自分の身体の変化を敏感に察知して、対応するのです。死ぬまで、その繰り返しです。

■さて何年かぶりに中学校を訪れて、昔を思い出しました。残念ながら、小学校の頃の思い出は、あまりないのです。川口市立飯塚小学校の木造校舎は覚えています。下駄箱のあった玄関口から、職員室のある一階廊下。階段を登って教室が並んでいました。

6年間通ったのですから、もう少し覚えていても良いとは思うのですが、残った記憶は本当に断片的です。楽しかったのでしょう。嫌な記憶というものも、ありません。無邪気に過ごしていたのです。

人生の第4コーナーを回ったのですから、これまでの記憶も整理整頓が必要そうです。

終わりゆく支配

■20241203(火曜日:晴れ)

1964年の東京オリンピックで国立競技場を飾った聖火台。
鋳物の街・川口の職人が作りました。

■今朝も晴れ渡っています。日本海側では本格的な冬の到来を前に、寒ブリが豊漁のようです。富山では冬に雷がなると寒ブリが取れるので、この時期の雷はブリ起し、と言われる事を知りました。

太平洋側に住んでいると、冬の雷というものに実感が湧きません。夏の入道雲しか、私には連想できませんでした。日本は自然の多様性に富む国なんですね。

■さて、いつもの知恵袋・田中宇さんです。

★終わりゆくEUやユーロ
田中宇の国際ニュース解説 無料版 2024年12月2日

今後の世界を見るうえで、極めて大切な指摘を田中さんはされているのですが、なぜかテレビ・新聞は報道することがありません。各国の右派政党には、極右政党とレッテルを貼って、まるでファシスト政党並みの扱いです。今の支配政党こそが、実はファシスト政党のようになりつつあるのが、実態にも関わらずです。

欧米が世界の中心から離脱するのは、とても良いことです。世界を覆う暴力の連鎖は、まさに欧米の真骨頂だからです。鉄砲の発明以来、暴力で世界を支配してきたのが欧米諸国だったのです。

一直線には行かないでしょうが、世界は良い方向へむかっている、と私は感じています。

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