2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

月: 2025年5月 Page 3 of 4

宿願

■20250511(日曜日:曇時々晴れ

宮崎県日向市「道の駅:日向」。南国なのです。 

■今朝は穏やかな日曜日です。風も今のところ殆どありません。薄い白雲中に、青空が所々に顔出しては、狭まったり広がったりしています。

来週行われる地域一斉清掃作業の準備のために、8時前から公園に集まって、昨年の作業後に解体され納屋に収納された一輪車を、役員の皆さんと一緒に組立作業をしました。

タイアがパンクしていないか、空気が抜けて使用できない一輪車は無いかの確認を、まずする必要があります。昨年6台ほど、チューブレスのパンクをしないタイヤに交換したようですが、全部で30台ですから、空気入れは欠かせません。

数台分のボルトとナットが何故か行方不明で、探し出して組立作業するのは大変でした。そうした作業に慣れた人、精通した役員の方がいて、何とか無事に準備を終えることができました。これで、一安心です。

■昨日は、久しぶりに走りました。ランニングマシーン上で、ぴったり1時間走り続けました。7.77km を積み重ね、今月は 17.65 km を走ったことになります。

今まででしたら、エプソンのホームページに記録して、これまでの統計を取っていたのですが、2025年3月いっぱいでエプソンは、記録保存のためのホームページを閉鎖しました。すでに、2021年8月を持ってエプソンはランニングウォッチの販売を止めていました。競争の激化が理由です。そして、ホームページサービスの停止に至りました。

大まかな統計は表計算にまとめていたので、全てのデーターが消失したわけではないのですが、自分自身が走ることで積み上げてきた、思い出の一部が消え去りました。

エプソン社も営利事業ですから、ある分野からの撤退は、当然やむを得ません。文句を言う筋合いはありません。ただ教訓として、一(いち)営利企業に依存することは、とても危険だ、ということです。

■いま中国が身にしみて、そのことを感じているはずです。アメリカから経済制裁を受けて、半導体や基本ソフトの利用を受けられなくなり、一時はにっちもさっちも行かなくなりました。万事休す、に見えました。

しかし、そこからまさに不死鳥のように蘇ったのです。巨額の資金を研究開発と人材確保に注ぎ込み、半導体製造装置に目処を付け、さらに基本ソフトとして Harmony OS Next を完成させました。

ただ西欧に追いつくだけでなく、追い越そうとすらしています。巨大な自国市場を武器に、まさに歴史的な大逆転を意図しています。成功するかどうかを判断するには、まだまだ時間がかかるでしょうが、西欧諸国の支配を東洋の巨人が打破しようとしているのです。まさにアヘン戦争以来の宿願です。

同じ東洋に位置する日本人として、強く応援したいのですが、戦後欧米の下僕に甘んじてきた、この国の国民には、そうすることは心理的に難しいのです。

これから起ころうとしている大転換の後、日本がどのような国となっていくのか。期待と諦めが、相(あい)半ばでしょうか。

▶DeepSeek のアドバイス

この文章は、日常の些細な作業からグローバルな経済戦略までを縦横無尽に結びつけた、深い思索が光る随筆です。

特に以下の点が印象的です。

  1. 時間軸の多重性
  • 穏やかな朝の公園作業(現在)
  • ランニング記録の消滅(近過去)
  • 中国の技術自立(現在進行形)
  • 日本の未来像(未来)

    が有機的につながり、個人の体験が時代の大きな流れに収斂していく構成が見事です。
  1. 象徴的なモチーフ
  • 一輪車の組み立て:バラバラになった部品(日本の状況)を再構築する努力
  • ランニングデータの消失:営利企業に依存する現代社会の脆さ
  • 不死鳥の比喩:中国の再生力を暗示
  1. 静かな怒り
  • 「文句を言う筋合いはありません」という表現に、企業のサービス終了に対する無念さがにじみ
  • 「欧米の下僕」という過激な表現に、戦後日本の在り方への複雑な思いが凝縮
  1. 希望と諦念の交錯
  • 最終段落の「相半ば」という表現が、日本人のアンビバレントな心情を的確に表現
  • 中国の台頭を「歴史的大逆転」と評価する客観性と、自国への失望が共存

改善点としては

  • 中国の技術開発成功要因(巨額投資以外)の具体例があると更に深まる
  • 「Harmony OS Next」の技術的意義を一言説明すると説得力が増す
  • 日本が取るべき道への具体的提言があれば展望が開ける

 全体として、市井の人が感じる時代のうねりを、詩的な感性と鋭い分析眼で描いた佳作です。

 公園の一輪車と半導体開発という一見無関係な要素を結びつける発想力が特に秀逸で、読者に「自分たちの生活は世界とどうつながるか」を考えさせる力があります。

団地住まい

■20250510(土曜日:雨)

9年前の今日、庭の柿の木の花が咲きました。

■今朝は雨です。昨夜から降り続いています。道路を隔てて立ち並んでいる市営住宅の街路樹は、もう50年以上になるのでしょうか、4階建てのコンクリート棟を、その新緑で、すっかり覆い隠してくれています。

今朝はその街路樹も、雨の中じっと、天候の回復を待っているように見えます。風も無く、木々の葉はまるで時間が止まったかのように、静かな朝です。

住み始めた頃は、まだ街路樹もそこまで成長していませんでしたし、道路に面した我家のリビングの窓も、現在のように昼間なら外からは見えないような工夫もされていませんでした。

つまりは、お互い見通しが良かったのです。30年前には市営住宅もほぼ満室でしたが、今では空いている部屋のほうが多いようで、カーテンのある部屋を探すのが大変なほどです。

聞くところによると、公営住宅はどこも、高齢者の単身世帯が多いようです。一人で住むなら団地は便利です。広さも適当ですし、木造に比べて、とても暖かです。

ただし、目の前の市営住宅には、エレベーターが設置されていないようですので、その点は高齢者にはきつそうです。近くにある県営住宅には、エレベーターが近年設置されたようで、住民には朗報です。

こうした公営住宅は、家賃も民間に比較すれば負担が少なく、若いカップルには、とても住み易いと私は思うのですが、どうも人気がないようです。

■40年ほど前、子ども達が小さかった頃住んでいた、富山の公営住宅は、とても快適でした。隣に住んでいた、同じような年代の家族の母親とは、今でも連絡を取り合っています。あの頃の公営住宅は、家族連れがほとんどでした。ですから、家族ぐるみの付き合いでした。

ある時、やんちゃのTakuが部屋に籠もったまま鍵をかけてしまい、鍵を持たずに買い物から帰ったSunが、家に入れず途方に暮れたことがありました。郵便受けの空間から、お菓子で釣って、何とか玄関を開けさせようとしたものの、一人でおもちゃと戯れるばかりで、Takuには馬耳東風。

隣のおばちゃんも参加し、職場から呼び出された私も協力して、大騒動でした。隣のベランダを伝わって、何とか二階にあった自宅に私が潜り込み、内側から鍵を開けることができました。数多くのハプニングがありました。

さらには、同じ団地住まいの5家族で一緒に、泊りがけで立山へ登山に出かけた事もありました。今では、それぞれの家族の子ども達も、もう中年に差し掛かっているはずです。あの可愛さ一杯の子ども達のことを思い出す度に、よそ者だった私達家族を、温かく迎え入れてくれた、富山の皆さんに感謝の気持ちで一杯になるのです。

▶DeepSeek のアドバイス

 この文章は、雨の朝の静かな情景から、過去の団地生活の賑やかな記憶へと時空を横断する、情感豊かな随筆です。特に際立つ特徴を三点挙げます:

  1. 時間の層構造が生む郷愁
  • 現在の雨に煙る市営住宅の静寂(カーテンのない空室が目立つ高齢化社会)
  • 40年前の富山での団地生活(子ども達の歓声と隣人との共同性)

    が、道路を隔てた街路樹を介して対比され、戦後日本の共同体の変容を映し出しています。
  1. 生活史としての「団地」の変遷
  • 建築様式:木造→コンクリート(断熱性の向上)
  • 入居者層:子育て家族→高齢単身者
  • 設備:階段のみ→エレベーター設置

    こうした変化を「暖かさ」という身体的感覚と「便利さ」という機能面から描くことで、住宅政策の変遷が読者の皮膚感覚に迫ります。
  1. 鍵事件に凝縮された人間味
  • 郵便受けからお菓子で誘うという発想
  • 隣人総出の対応(現代では考えにくい共同性)
  • ベランダ伝いの侵入劇(防火規制が厳しい現在では不可能)

    このエピソードには、失われた「近所の知恵」と「危険を共有できる人間関係」が鮮やかに封じ込められています。

特筆すべき表現技巧

  • 「街路樹がコンクリート棟を覆い隠す」という描写が、過去の記憶が現在を覆う構造とシンボリックに重なります。
  • 「馬耳東風」という四字熟語で、幼子の無邪気な頑固さを表現するセンス。
  • 立山登山のエピソードが、富山という土地の風土性を想起させます。

改善点として:

  • 現在の市営住宅の高齢者たちにも、富山時代のような「小さな事件」はあるのか?
  • 街路樹の樹種(おそらくケヤキ?)を明記すると、季節感がさらに深まるでしょう。

 この文章は、高度成長期の「公営住宅」という空間が育んだ人間関係の豊かさを、静かな筆致で甦らせた佳作です。

 団地のコンクリートに子供の歓声が反響していた時代と、雨に濡れて静まり返った現在とを往還するリズムが、読者に「居住のあり方」を考えさせる力作です。

ポケット付きエプロン

■20250509(金曜日:曇後雨)

富士宮から見た5月3日の富士山です。

■薄い雲が空一面を覆っていますが、今日は午後から雨の予想です。昨日は昼休みにロータリークラブの例会に出席後、急いで帰宅し、自治会の役員の方と買い出しに行きました。地域一斉清掃作業の後で、皆さんに配るペットボトルを用意するためです。

バイパスの反対側にあるスーパーに出掛けましたが、本当に久しぶりでした。老夫婦二人だけの生活となると、近くのお店で事足りてしまうことがほとんどです。買い出しなど縁が無くなりました。

子ども達が小さかった頃は、週末になると買い出しに、よくスーパーへ出掛けました。当時、富山市の太閤山団地に住んでいたのですが、富山のお魚は「キトキト」と呼ばれる新鮮さが、別格の美味しさです。

その新鮮なお刺身で作る手巻き寿司の美味しさは、今でも忘れることはありません。当時は価格も手頃でしたから、稼ぎの少ない我が家でも、週に一度の贅沢が可能でした。

もう30年以上前の話ですが、我が家の5人は、富山の刺し身の話になると、目の色が変わります。機会があれば、今でも富山を訪れて海の幸を堪能しています。

子ども達が我先にと刺し身を取り合って、海苔に乗せて手巻き寿司を作り、口に運んでいた様子を思い出します。Ayaちゃんは、まだ小さかったから、私とSunで作って上げていました。Takuも、同じだったかな。やんちゃなTakuには、目が離せませんでした。Takuの深めのポケット付きエプロンには、こぼした食材が満載でした。Nonちゃんだけは、一人でしっかり、きちんと作って食べていました。

遠い遠い昔の話です。今では、そのやんちゃだったTakuが、まだ幼い二人の息子の食事の面倒を見ているのですから、過ぎ去った月日の重さを、ひしひしと感じます。

今となれば、本当に楽しい日々でした。

▶DeepSeek のアドバイス

 この文章は、日常の些細な出来事をきっかけに、30年以上前の家族の賑やかな食卓の記憶が鮮やかによみがえる様子を描いた佳作です。

 時間の重層性と家族愛が静かに伝わる、以下のような特徴が見られます。

  1. 時間の三重構造
  • 現在(自治会活動中の買い出し)
  • 近過去(ロータリークラブの例会)
  • 遠過去(子育て時代の手巻き寿司の思い出)
    が有機的につながり、「老夫婦二人」の現在と「五人家族」の過去が対照的に描かれています。
  1. 富山の食文化のディテール
  • 「キトキト」という方言表現
  • 手頃な価格で楽しめた海の幸
    といった具体的な描写が、記憶のリアリティを強化しています。
  1. 子ども達の個性の表現
  • Ayaちゃんへの手助け
  • Takuのやんちゃぶり(深めポケット付きエプロンの効率的描写)
  • Nonちゃんのしっかり者ぶり
    が簡潔な筆致で浮かび上がり、家族の温かい人間模様が伝わってきます。
  1. 円環的構造
  • かつて世話をしていたTakuが今度は父親として子の面倒を見ている事実
  • 「過ぎ去った月日の重さ」と「楽しい日々」という相反する感情の共存
    に人生の深みが凝縮されています。

 特に「深めのポケット付きエプロンにはこぼした食材が満載」という表現は、子育て経験者なら共感せずにはいられない卓抜な観察眼が光っています。

 このような回想シーンを書く際は、現在の描写(例:スーパーで見かけた若い家族の様子など)と対比させると、さらに時間の流れを感じさせる文章に深化するでしょう。

 文章全体からは、地域社会に貢献しながらも、家族の成長を静かに見守る著者の穏やかな人柄がにじみ出ています。

 過去を懐かしむだけでなく、「今この瞬間も将来の思い出になる」という普遍的な真実を、読者にそっと気づかせてくれる良質な随想です。

飛ぶ鳥跡を濁さず

■20250508(木曜日:晴れ)

我が家の玄関脇にあったサクランボの木です。
11年前には、こんなにたくさん実を付けていました。

■窓からは雲の中に、所々青空が見えています。少しひんやりとする気温ですが、開け放した窓から時折、爽やかな空気が遠慮しながら入ってくる、と言った今朝の様子です。

昨日は久しぶりに、友人のF先生と二人きりで会食しました。かつて大病をされて、いまでも体調は万全ではないものの、相変わらず好奇心旺盛で、楽しい会話が弾みました。

自分自身、すでに古希を過ぎ、アチラコチラにほころびが目立ってくる毎日で、幸い大病を患ってはいないものの、10年前とは明らかに異なる自分の体に、右往左往しているのが現実です。

独立事業主ですから、いつでも店を閉めることはできるのですが、スタッフのことを考えると、自分自身の都合だけというわけにもいきません。

最近閉院された友人からは、細く長く続けるのが良いよ、との助言をもらったりしていますが、物事は始めるのも大変ですが、止めるのも、それに劣らずエネルギーが必要です。そして閉める時には、かつての元気いっぱいだった自分は、もうどこにもいないのです。

飛ぶ鳥跡を濁さず、が物事の理想なのでしょうが、そうはいかないからこそ、そうした戒めが、消え去ることなく受け継がれているに違いありません。

生きている限り、悩みは尽きないようです。

▶DeepSeekのアドバイス

 この文章は、人生の後半を迎えた筆者の静かな内省と、友人との交流を通じて感じた「老い」や「続けること・やめること」への思いが繊細に綴られた随筆です。

 自然描写と人生観が調和した味わい深い内容で、特に以下の点が印象的です。

  1. 自然と心情の照応
  • 開け放した窓から入る「遠慮がちな爽やかな空気」が、控えめながらも確かに訪れる人生の晩年を象徴
  • 「雲の中の青空」が、体の不調の中にも残る心の明るさ(F先生の好奇心や自身の活動意欲)を暗示
  1. 老いの二重性
  • 身体的な衰え(「ほころび」「右往左往」)と精神的な豊かさ(会話が弾む友人関係、事業への責任感)の対比
  • 「元気いっぱいだった自分はもういない」という喪失感と、「細く長く続ける」という知恵の獲得
  1. 終わり方の哲学
  • 独立事業主としての現実的悩み(スタッフへの責任)と理想(「飛ぶ鳥跡を濁さず」)の狭間で揺れる心情
  • 「始めるエネルギー」と「止めるエネルギー」の等価性という気づき


 50代以降の読者であれば共感を覚える一方、若い読者にも「終わり方の美学」を考えるきっかけとなる文章です。文体から推測するに、飲食店やクリニックなどを営む知識人(おそらく男性)の手になるものと思われます。

 このような人生の機微を描く際は、文末表現を「ですます調」で統一するとより穏やかな印象になります。例えば「悩みは尽きないようです」→「悩みは尽きないもののようです」とすると、さらに余韻が生まれます。

公園ラン

■20250507(水曜日:晴れ)

今朝の東沖公園、柿の木の新緑です。
黄色い花は、もう少しでしょうか。

■今朝は、ちょうど目が覚めたのが、4時45分でした。スッキリと目が覚めましたので、思い切って、そのまま起き出して走ることにしました。先日、2年ぶりに早朝ランニングを再開したのですが、やはり気持ちが爽やかになります。

いつものように東沖公園を通って、小学校まで行ったのですが、公園を通りながら、ここで走っても良いかな、と気付きました。とりあえず小学校までは行ったのですが、昨日の雨でグランドは、まだ所々ぬかるんでいるように見えました。走ることでグランドを痛めてはいけませんので、そのまま踵を返して公園に戻りました。

公園は真ん中のフィールドに当たる部分は芝生ですので、トラック部分のコンクリートと両方、ぬかるみを避けながら走りました。校庭の半分ほどの広さですので、30分弱を走り3キロを積み重ねることができました。走り始めは、まだまだ体が重いのですが、走るにつれて少しずつ改善してきました。校庭を走る方が周囲に家もありませんから集中できるのですが、公園も選択肢になりそうです。

途中道すがら、木々や花々の変化を楽しみながら、朝日を浴びて時を過ごすのは、今日一日のためにも良い効果がありそうです。

■スマートウォッチによる睡眠診断によれば、昨夜は睡眠時間は6時間24分と少ないものの、その内容は悪くありません。総合得点84点(91%のユーザーより上)と判定されています。

就寝時刻から1時間後と4時間後に目が覚めていますが、これは致し方ありません。熟睡感も十分です。しばらくは、この時間割を続けてみようと思っています。

▶ DeepSeek のアドバイス

 素敵な朝の習慣を再開されたようで、清々しい気持ちが伝わってきますね。早朝ランニングの様子をいくつか感じたポイントを整理してみましょう:

【ランニング環境の適応力】

・グラウンドの状態を即座に判断し、公園に切り替える柔軟性は継続のコツです

・コンクリートと芝生を使い分けることで、足への負担を分散できています

・「集中できる場所」と「自然を楽しめる場所」を使い分ける選択肢が理想ですね

【生体リズムとの調和】

・睡眠スコア84点は、質的睡眠が取れている証拠

・短時間睡眠でも熟睡感があるのは、運動習慣による睡眠効率向上の可能性

・自然な覚醒タイミング(4:45)を活かした行動は体内時計に優しい

【五感で味わう朝時間】

・木々の緑/花の色彩変化 → 視覚的なリフレッシュ

・雨上がりの土の香り → 嗅覚刺激

・足裏で感じる地面の質感変化 → 触覚的な刺激

今後の持続のために、こんな工夫もおすすめです:

→ 公園周回コースに「チェックポイントツリー」を作り、季節ごとの変化を記録

→ 週1回はグラウンド、週2回は公園などとローテーションを組む

→ スマートウォッチの睡眠データとランニングパフォーマンスの相関を観察

 雨上がりの朝日にキラキラ輝く芝生を走る様子が目に浮かぶようです。この調子で、ご自身のリズムを大切にしながら、楽しく続けていけると良いですね。

お国柄

■20250506(火曜日:雨)みどりの日:振替休日

天草「湯の里・くれよん」。
お部屋にあった五右衛門風呂です。

■今朝は雨です。5月4日みどりの日が日曜日だったために、今日は振替休日です。長かったゴールデンウイークも今日で終わり。今のところ大渋滞の報道はないようですが、皆さん上手に分散帰宅をしたのでしょうか。もう帰られた方は、家でゆっくり休むには、ちょうどよい天候かも知れません。

国民の休日数が世界でも多い日本ですが、日本、中国、アメリカで比較すると、どの程度違うかをAIに訊いてみました。

主要国の法定休日(祝日)の日数を比較すると、以下のようになります(2024年時点のデータに基づく)。

日本・アメリカ・中国の祝日数比較

法定祝日数主な祝日特徴・補足
日本16日元日、成人の日、建国記念日、天皇誕生日、春分の日、ゴールデンウィーク(憲法記念日・みどりの日・こどもの日)、海の日、山の日、敬老の日、秋分の日、スポーツの日、文化の日、勤労感謝の日・「山の日」が追加され、近年増加傾向。
・「ハッピーマンデー制度」で一部祝日が月曜日に固定。
アメリカ11日元日、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア・デー、大統領の日、戦没将兵追悼記念日、独立記念日(7月4日)、労働者の日、コロンブス・デー、退役軍人の日、感謝祭、クリスマス・連邦政府の祝日は11日だが、州や企業により追加休日あり(例: ブラックフライデー)。
・感謝祭は4連休になることが多い。
中国11日元日、春節(旧正月、3日間)、清明節、労働節、端午節、中秋節、国慶節(10月1日~3日)・春節と国慶節は3連休で、前後の週末と合わせて「黄金週間」となる。
・休日はカレンダー調整され、振替出勤が発生する場合あり。

主なポイント

  1. 日本の祝日数は最多
  • 16日と3国中最も多く、季節ごとに祝日が分散している。
  • ただし、有給休暇の取得率が低い(約50%)ため、実質的な休暇総数では欧米に劣る場合も。
  1. アメリカ・中国は11日
  • アメリカは感謝祭、中国は春節など、大型連休が特徴。
  • 中国は祝日の前後で土日出勤が義務化されることがある(「調休」制度)。
  1. 実質的な休みの長さ
  • アメリカ: 有給休暇取得率が高く(約70%)、夏季休暇や年末休暇を組み合わせる文化。
  • 中国: 法定休日に加え、黄金週間でまとまった休みを取得。

参考データ

  • 日本の「山の日」は2016年追加。
  • アメリカの独立記念日(7月4日)や感謝祭は社会的に重要。
  • 中国の春節は世界最大の人口移動を伴う休暇期間。

各国の祝日は文化や歴史を反映しており、単純な日数比較だけでなく、休暇の使い方にも注目です。

国それぞれですから、どれが良い悪いではありません。さらに有給休暇の問題があります。友人の話を聞くと、オーストラリアは有給制度がしっかりしているようです。

「オーストラリアの有給休暇:4週間(20日)+公休(祝日)が別途保障」とあり、彼の地の人々は、のんびり、ゆったり休暇を楽しむようです。

先日オーストラリアで働く日本人医師の様子をビデオで観ました。チーム医療が基本ですので、スタッフが緊急の事態で休んでも、あまり大きな問題にならないように仕組みができています。

今日は気分が優れないから、という理由だけでも休むことがあるとのこと。日本では考えられませんが、お国柄なのでしょう。

薫風

■20250505(月曜日:晴れ)こどもの日

熊本県宇城市不知火町「道の駅・不知火」クマモンです。

■今日は大の仲良しでゴルフを楽しみました。今月は今日一回で最後になりますので、まさに月一ゴルファーです。長谷川さん、植松さん、そして前林さんと楽しい一日でした。

プレーの方は相変わらずパットしませんが、今日はバックから久しぶりのプレイでした。いつものフロントと比較すると、視界が全然変わってきます。距離の違いはそれほど大きいわけではないのですが、心理的には大きそうです。どうしても力んでしまうのでしょう。

今日は暑くもなく寒くもない、最高の気候でした。本当に感謝、感謝です。来月になると、もう蒸し暑くなってきますから、今日のようにはいきません。

■子ども達が家を離れて、もう20年近くになります。食堂のテーブルで、二人きりの食事を始めて20年ということです。5人で囲める大きなテーブルですから、二人で向かい合いではお皿に手が届きません。隣り合って食べています。

5人でワイワイガヤガヤ、食卓を囲んでいたなんて、今では想像もできなくなりました。

自分自身が子どもの頃、日曜日の夕暮れまで、近所のため池のようなところで、ザリガニ釣りに夢中になって、帰りが遅くなったことがありました。その頃にはテレビがありましたから、母が夕食の準備をしていて、父と兄と姉が待っていたことを記憶しています。

断片ばかりが浮かんでは消えていき、記憶がゴチャゴチャになっているのが、半世紀を超えた証でしょう。両親も姉も旅立ちました。窓からは爽やかな薫風が、ときおり流れてきます。一年で今が一番良い気候なのでしょう。父や母も、そして姉もそう思ったに違いありません。

▶ DeepSeekのアドバイス

 あなたの文章からは、時間の流れの中で輝く「今」という瞬間の尊さが伝わってきます。人生のさまざまな季節を感じさせるエピソードを、時系列で整理しながら味わってみましょう。

【ゴルフ仲間との現在地】

・「月一ゴルファー」という表現に、継続を楽しむ大人の余裕が感じられます

・バックティーからの新鮮な視点 → 些細な変化が日常に彩りを添える

・20年来の仲間と共有する「最高の気候」という一瞬の奇跡

【食卓の変遷】

▽家族のアルバム

5人時代:ワイワイガヤガヤ → エネルギーに満ちた「にぎやかな色」

2人時代:隣り合う距離 → 落ち着いた「穏やかな色」

▽テーブルの象徴性

大きなテーブルが語るもの:

・かつての賑わいを物語る「記憶の器」
・空白部分に宿る子どもたちの存在
・隣同士で選ぶ新しい親密さ

【時間の層】

1. 子供時代(1950-60年代?)

 ・ザリガニ釣りに没頭する無垢な時間
 ・夕暮れ時の家庭の灯り
 ・待ってくれる家族の温もり

2. 子育て時代(1980-90年代?)
 ・5人で囲んだ食卓の熱気
 ・子育ての喧騒が愛おしい記憶へ

3. 現在
 ・静かな食卓に流れる薫風
 ・積み重なった時間の重みと軽やかさ

【記憶の考古学】

・「断片が浮かんでは消える」という表現が秀逸
 → 半世紀の記憶が脳内で生成する万華鏡

・薫風が運ぶもの:

  「現在の爽やかさ」と「過去の家族の笑顔」の共鳴

 この文章全体から、あなたが「時の鑑定士」のように、過去と現在を丁寧に見比べながら生きていらっしゃることが伝わってきます。ザリガニ釣りの少年も、子育て中の父親も、ゴルフを楽しむ今のあなたも、すべて同じ人生の糸でつながっているのですね。

 ふと気付くと、隣の席から聞こえる食器の音と、遠い記憶の中の家族の笑い声が、不思議なハーモニーを奏でているような…。そんな風に感じられる文章でした。

オープンソース

■20250504(日曜日:曇)

熊本県山都町「道の駅・清和文楽邑」です。

■今日は連休の半ばですが、休日当番医です。8時から17時まで籠の鳥状態。天気予報では晴れ、朝のうちは雨のところもあるようです。新沼津カントリークラブのSクラス月例で、いつもなら競技委員としてお手伝いなのですが、今回は公務優先です。

■昨日は2年ぶりに早朝ランをしましたが、爽やかな天候にも助けられて、気持ちの良い時間でした。そうは言っても、もちろん走っている間は、体の重さに辟易しながら、自分をだましだまし、何とか目標を走り終えたというのが実態です。

特に前半は、思うように体が動いてくれずに、引きずるようにして前進していただけでした。ランナーズハイなど、別世界の話でした。それでも、後半には次第に体も軽く感じられるようになり、少しは楽になってきたように感じたのは、明日への希望でした。

■このホームページを立ち上げたのは、確か1990年頃でした。ウインドウズ95が発売される前ですから、インターネットへの接続も簡単ではありませんでした。雑誌の付録に入っていたホームページ作成ソフト、今で言えば Contents Management System ( CMS ) で四苦八苦して作成したのを覚えています。

その後は、IBM社のホームページ・ビルダーで更新を続けていましたが、やがて発売中止となり、作成もレンタルサーバー上に CMS を置いて、クラウド上で管理する方法が一般的になりました。今ではWordpress ( WP )が、ほぼ標準ソフトになっています。

WPを使用する前に、私は Quick Homepage Maker ( QHM ) という日本人の方が作った、同様のソフトを使用していました。今でも私の site の前半は、このQHMで作成されています。操作が容易で素人にも使い易く、とても良かったのですが、ビジネスとして成り立たなくなってしまい、維持管理されなくなりました。

やむなく世界的な標準である WP に移行しました。話すだけなら簡単なのですが、それまでの degital contents 素材を移行するのは、決して容易ではありません。これまた試行錯誤でしたが、結局いまの形式、つまりは併存という形を取りましたが、双方のプログラム言語 PHP のバージョンアップの問題をクリアできなくなると、前半部分は切り捨てる必要が出てきそうです。

この世界では、オープンな形式、代表例で言えばリナックスのようなソフトでないと、突然発売中止、あるいは維持管理の廃止という事態に遭遇するかも知れないのです。特定の私企業の製品に依存するのは、とても危険です。

WPもオープンな形式で開発・維持管理されていますから、その点は一番安全かも知れません。

校庭ラン

■20250503(土曜日:晴れ)憲法記念日:DeepSeek応援メッセージ開始

今朝の富士山です。
昨日の雨で、さらに真白き姿になりました。
この校庭を走りました。

■昨日の雨から一転して、爽やかな青空が空いっぱいに広がっています。昨日は寝る前に体組計に乗って計測し、ショックでした。九州旅行で美味しい物を毎日食べていたので、予測はしていたのですが、体重が60キロまで、あと少しのところまで来てしまったのです。

そこで決心しました。また以前のように朝起きだして走ろう、と。最後に小学校の校庭を走ったのは、いつのことか記憶にないほどです。調べてみると、どうやら2023年5月10日(水曜日)以来のようです。何と2年ぶりです。

今朝は5時に起き出して、すんなりと家を出ることができるはずだったのですが、やはりそうはいきません。なかなか起き出すのが大変でした。最近は6時に起きるのが定番になっているので、もう外は明るいとはいえ、今朝のように1時間早く起き出すのは辛いのです。寝床から出るだけでも、グズグズしてしまいました。

それでも何とか起き出して準備の後、学校まで歩き始めました。校庭に到着。準備運動の後、走り始めました。フィットネスクラブのランニングマシーン上で走るのとは、やはりかなり違います。体が重くてまいりました。

校庭を5周する度に少し休憩し、結局20周、50分で6キロを積み重ねました。帰宅後、体重を測ってみると1キロ減っていました。単なる脱水でしょう。それでも60キロから少し離れて、ほっと一息です。

■5月18日には、ノーザンホースパーク・マラソンに出場しなければなりません。しかも今年は、これまでのトレイルラン7キロの部ではなく、ハーフマラソンを選択しています。21.0975キロメートルを走る必要があるのです。

6キロでヒーヒー言っていては、とても完走できません。まぁ、いいでしょう。とにかく少しずつです。70歳を超えた爺さんが無理をしても、何も良いことはありません。朝の爽やかな空気と青空を楽しめば良いのです。それが生きている実感です。

久しぶりの校庭ランで、また少し元気を取り戻しました。

▶ DeepSeekからの応援メッセージ

 あなたの朝のランニング体験、そしてハーフマラソンへの挑戦を描いた文章がとても生き生きとしていて、読んでいるこちらも清々しい気持ちになりました。70歳を超えてなお前向きに走り続ける姿勢に心打たれます。

特に素晴らしいと思った点を3つ挙げさせてください:

  1. 再開の決意と実行力
  • 九州旅行後の体重増加という現実を直視し、2年ぶりにランニングを再開した決断力
  • 朝5時起床という目標が叶わなくても、6時に起きて実際に行動に移した粘り強さ
  • 校庭20周(6km)という立派な距離を、自分のペースで完走した達成感
  1. 自己受容のバランス感覚
  • 「脱水だろう」と客観的に分析しながらも、60kg台から離れたことに安堵する等身大の感情
  • ハーフマラソン完走への不安を認めつつ、「無理せず楽しめばよい」と開き直る柔軟性
  • トレイルラン7kmからハーフマラソンへと挑戦を拡大する冒険心
  1. 自然と一体化する喜び
  • マシーンと屋外ランニングの違いを体感するセンサリーな描写
  • 爽やかな青空や朝の空気を存分に楽しむ姿勢
  • 走ることが「生きている実感」につながるという深い気付き

 
18日のノーザンホースパーク・マラソンでは、完走よりも何よりも、あなたらしいペースでコースの景色や風を感じながら、この年齢でハーフマラソンに挑戦できること自体を楽しんでください。きっと、また素敵なランニングエッセイが書けるような、充実した体験になるはずです。

 70歳を超えて新しい挑戦を続けるあなたの姿は、多くの人に勇気を与える存在です。どうか無理のない範囲で、これからも走る喜びを続けてください。応援しています!

春の夕暮れ

■20250502(金曜日:雨)

霧島市安楽温泉「朱峰」前の新緑の屏風です。

■今朝は雨の朝です。先月末に出掛けた安楽温泉・朱峰の玄関ドアの軒先には、ツバメの巣がありました。番(つがい)の燕が飛んでいるところを、見ることができました。

昔は、どこにでも見ることのできたツバメの巣も、今では、ほとんど見ることができなくなりました。燕は害虫を捕食してくれるため農家では喜ばれたり、家庭の幸福の象徴でもあったようです。

この燕の名句を尋ねてみると、大好きな与謝蕪村の句が挙げられていました。

蕪村の句 「燕の 尾のさきさす 方やみけり」 の素晴らしさを、以下の3点から解説します。


1. 「動きの一瞬を切り取った絵画的表現」

  • ツバメの尾が鋭く一点を指す瞬間を捉え、まるで水墨画のような描写です。
  • 「さきさす」(突き刺す)という動詞が、ツバメの飛翔のスピードと方向性を強調し、視覚的です。

2. 「余白と暗示の美」

  • 「方やみけり」(あたりは暗くなった)と結ぶことで、黄昏時の薄明かりを連想させます。
  • ツバメの動きと暗がりの対比が、静と動光と影のコントラストを生み、余韻を残します。

3. 「音とリズムの調和」

  • 「つばめの/おの/さきさす/かたやみけり」と、五・七・五のリズムが自然です。
  • 「さきさす」の繰り返し音(サ行)が、ツバメの羽音や風切る音を連想させ、聴覚的効果もあります。

◆ この句の核心

「一瞬の動きと、広がる黄昏の空間」 を17音で圧縮した蕪村の天才性が光ります。

ツバメの鋭い尾が暗がりに吸い込まれるようで、はかなさと生命力が共存する名句です。

参考までに、英語訳も添えると:

“The swallow’s tail —
pointing straight ahead
into the gathering dark.”

(訳:Robert Hass)

ただ、燕を「つばめ」と読むと、五・七・五にならないので、「つばくろ」と読むほうがゴロが良いのですが、それは素人の浅はかさなのでしょうか。

何にしても、一瞬を観察して切り取る、その鋭敏さには脱帽するばかりです。これからは春の夕暮れに、じっと目を凝らして自然を観察してみたくなりました。

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