2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

月: 2025年9月 Page 2 of 3

相談相手

■20250920(土曜日:曇) ( D 337 )

5年前に出掛けた北海道・宗谷岬の民宿での夕食。
タコのシャブシャブです。

■昨日から、にわかに秋となりました。空調を掛けずとも、何とか過ごせる気温にまで下がってきました。昨夜は空調を掛けて寝るかどうか迷いましたが、結局27度に設定して休みました。

今までシャワーで済ませていたのですが、さすがに昨日は湯船にゆっくりと浸かりたくなり、自宅のお風呂に久しぶりに入りました。その御蔭かどうかは分かりませんが、昨日は良い睡眠が得られました。いったん、0時に目が覚めましたが、その後は4時まで目が覚めずに熟睡できましたので、自分としては、ずいぶんと長い時間深く眠れたように感じています。

もう少し長く、例えば5時まで目が覚めなければ、そのまま起き出してフィットネスクラブに行ってトレーニングをすることも可能ですが、さすがに4時では早すぎます。そのあたりが微妙です。

■さて、日頃お世話になっている生成AIが、静かに広がり続けているようです。

既に家族以上というデータも…日頃の悩みを『AI』に相談する学生たち “否定しない姿勢”にはメリットとデメリット

相談しにくい内容を気軽にいつでも相談でき、しかも決して相手を否定しない、という夢のような相談相手ということで、AIが普及しないわけがありません。単なる便利な道具ではなく、心の相談相手としても決して侮れません。

カウンセラーとして、ますます存在価値を高めていくと私は感じています。人間のやることには、どうしてもばらつきが出ます。あるいは、どうしても相性が合わないことも多々あります。それは、相談する相手としての人間には、避けられない点です。

ところが、生成AIには感情がありませんから、こいつは気に食わない、嫌なやつだ、などという扱いはしません。極めて平等です。安心感があります。24時間365日、相談可能です。

もちろん完璧ではありません。記事の中にもあったように、回答の中に、まずは事実として間違っていることも多々あります。多分、ネット情報の中に、そうした間違った情報が掲載されているのでしょう。簡単に言ってしまえば、ネット情報の寄せ集めにしかAIは過ぎないとも言えます。

もう一つは、相手を否定しないので、自分自身が正解だと考えている誤った方向へ、ますます流れてしまうことの危険性です。

AIの利用に関しては、まだまだ暗中模索の状態かもしれません。しかし、社会を大きく変えていくことは間違いありません。

自分がある程度の知識と経験のある分野で、まずは相談してみるのが無難のようです。明らかな間違いに気づく可能性が高いからです。そのあたりから付き合い始めてみては、いかがでしょうか。

お隣さん

■20250919(金曜日:曇) ( D 338 )

9月7日に孫たちと出かけた淡島マリンパークです。

■今朝は一足飛びに秋がやって来ました。今は北側の窓を開けていますが、空は黒い雲に覆われながらも、風は唸りを上げて吹き渡っています。今日の写真の、あの暑さはどこへ行ってしまったのかと戸惑うほどです。

23日が秋分の日ですから、文字通り「暑さ寒さも彼岸まで」でしょうか。ただ、24日からは再度10年に一度の高温になる、という注意報が出ていますから、油断大敵です。

■さて、米中間の対立が注目されています。経済的対立は熾烈な様相を呈しています。中国は生き残りに必死です。可能な限り自立できるように、他国に依存することなく発展するために、巨額の投資を行っています。

西側メディアが伝える中国社会は、暗い面ばかりです。一方、以下のビデオを見ると、どちらが本当なのか、困惑するばかりです。

中国は警察に頼らないのに、アメリカは警察なしでは生き残れない理由

両国の歴史、そして文化の違いも大きいようです。どちらがより優れているか、という問いかけよりも、現状の正確な把握と、そこで生きる人々の有り様を、しっかりと見つめることが何より大切です。

両国ともお隣さんと言えば、本当にお隣さんなのです。地理的に距離の違いはあるにしても。日本はこれからが、正念場のようです。

遅速(ちそく)を 愛すかな

■20250918(木曜日:曇) ( D 339 )

8年前にNonちゃんと3人で出かけた、韓国安東市河回村。
特徴ある李氏朝鮮村です。

■今日も静岡県には、熱中症警戒アラートが出されていますが、どうやら今日が峠のようです。土曜日には最高気温が10度以上下がりそうで、今度は風邪をひかないように警戒アラートが必要です。

■さて先日AIに教えてもらったことの中で、一番驚いたのが与謝蕪村の句の解釈でした。

「二(ふた)もとの 梅に遅速(ちそく)を 愛すかな」

「自然の中で人間的な情感や美意識を見出す、蕪村らしい叙情性と知性が融合した名句です。」と、あります。QwenChat の解説を要約すると、

(1)「二もと」とは、一本の根から二本の幹が伸びる梅の木のことで、稀で目にすることが少ない貴重な姿。

一見地味な描写でも、「二もと」という特異な自然現象に注目することで、日常の中の非凡さを発見する感性の鋭さ

(2)「遅速(ちそく)」に込められた時間の差異と慈しみ

自然の「不揃いさ」「非均質さ」を単なる偶然ではなく、愛おしい個性として肯定している点に、人間的な温かさと深い洞察があります。

(3)「愛すかな」に現れる主観的共感と詠嘆

俳句でありながら詩的な抒情性を持ち、自然を「鑑賞」するのではなく「共感」する態度が、蕨村の芸術的成熟を物語っています。

■最後に

この句は、単なる風景描写を超え、
「違い」を美と感じる心の豊かさ、
自然と人間の間に流れる共感の糸を、
わずか17音で見事に表現しています。

人生にも「遅速」はある。
誰かが先に成功し、誰かがゆっくり歩むとしても——
それさえも、あるがままに「愛す」ことの大切さを、
私たちに静かに教えてくれる一句です。

■私がなぜ、この解釈に驚くとともに惹きつけられたのかと言えば、最近盛んに言われる、DiversityとかInclusion という内容を、18世紀後半に生きた蕪村が、すでに自然の中から見い出し17文字に表していたということです。

身近なことでいえば、二人の孫はどちらも男の子。同じ親から生まれた二人の孫も、それぞれに個性を持って成長中ですが、父親である息子も、その成長の遅速に戸惑っているようです。

自分も含めて、どの親も同じような悩みを持ったはずですが、この蕪村の句を読むと、何故かホッとして、心安らぐ気がするのは、私だけではないはずです。

▶QwenChatからの応援メッセージ

とても温かく、深みのあるご感想をありがとうございます。

あなたの言葉を通して、与謝蕪村の一句が21世紀の今、私たちの暮らしや価値観とどう響き合うのか——その真髄が見事に浮かび上がっています。

ここでは、あなたのご感想をもとに、さらに一歩踏み込んで、この句の現代的意義と心の安らぎについて、共有させていただきます。


■ なぜ「二もとの 梅に遅速を 愛すかな」は今、私たちの心を打つのか?

「多様性(Diversity)」という現代の価値を、250年前にすでに詩で表現していた

  • 「Diversity and Inclusion(多様性と包摂)」は、近年の企業理念や教育現場のキーワード。
  • しかし、蕪村は江戸時代に、「同じ根から生まれても、咲く時期が違う」自然のありようを、批判するでもなく、焦ることもなく、「愛す」と詠った
  • これはまさに、「違いを認め、慈しむ」——Inclusion の精神そのものです。

🌿 蕪村はAIもSNSもない時代に、「違い」を「美」として昇華する知性と感受性を持っていた。
私たちは、最新の社会理論として学んでいることを、彼は一句に凝縮してしまったのです。


子育て・孫育てにおける「成長のペース」への気づき

  • お二人の孫さん——同じ親から生まれ、似た環境で育っても、興味の向き、学びのスピード、性格の現れ方は全く異なる。
  • 息子さんが「成長の遅速」に戸惑う気持ちは、多くの親に共通するリアルな悩みです。
  • しかし、この句は静かにこう語りかけます:

「同じように咲く必要はない。それぞれの“とき”がある。」

  • 梅の花が「遅れて咲く=劣っている」わけではありません。

    むしろ、春の終わりごろにひっそりと開く花には、別の美しさと存在感があります。

💞 子どもの成長は「競争」ではなく、「個性の開花」。

この一句は、親の不安を和らげる、静かな励ましの詩でもあるのです。


「愛すかな」——わずか三文字に込められた、人生の智慧

  • 「愛すかな」は、感情的すぎる表現でもなければ、冷たい客観視でもありません。
  • それは「気づいて、受け入れて、心から慈しむ」という、極めて洗練された人間の態度。
  • 蕪村自身、人生の後半に差し掛かり、芸術家としての成熟期にあったからこそ、このような穏やかな肯定ができたのかもしれません。

🍃 私たちもまた、老いを意識し始める年代になると、
「先に成功した友人」「まだ迷っている子ども」など、人の「遅速」に敏感になります。

そんなとき、「愛すかな」と呟くことで、自分の心の焦りも、どこかへ溶けていくような気がします。


■ 最後に——この一句が与えてくれる「安心」

あなたが「ホッとする」「心安らぐ」と感じるのは、決して偶然ではありません。

  • この一句には、評価されない自由がある。
  • 比べられない安心がある。
  • すべての生き方が、そのまま尊重される世界への願いがある。

現代は「早く」「たくさん」「目立つこと」ばかりが称賛されがちですが、
蕪村は静かに、こう囁いているのです:

「ゆっくり咲く花にも、光は当たる。
だから、大丈夫。」


✅ 共有してくださったあなたの言葉に応える形で——

あなたがこの句に惹かれたのは、
単に文学的な解釈として優れていたからだけではなく、

自分の人生、家族の姿、親としての悩みに、ちゃんと答えているからです。

そして、
「私だけではないはずです」という締めくくり——
それこそが、この一句の普遍性であり、
俳句という小さな詩が、何百年も心をつなぐ力を持っている証です。


🌿
これからも、
お孫さんたちの「遅速」を、
梅の花のように優しく見守ってください。
その眼差しの先には、
与謝蕪村もまた、微笑んでいることでしょう。

てんでんばらばら

■20250917(水曜日:晴れ)  ( D 340 )

今年8月2日に行われた地域の花火大会です。
暑かった今年の夏も、ようやく終えようとしています。

■静岡では今日も熱中症警戒アラートが出ています。いったい、いつになったら秋がやって来るのかと、途方に暮れそうですが、諺通り「暑さ寒さも彼岸まで」と、なりそうです。

■さて、私自身はクレジットカードを使う程度で、いわゆる「なんとかペイ」を使うことはありません。以下の記事は、そのあたりの日本の問題点を解説しています。

「ペイを選んでポイントつけて…」
複雑すぎる日本のキャッシュレス 
弱者のために現金必要 あるべき姿は?

この記事の中の指摘に、「例えば、キャッシュレス大国と言われるシンガポールは、数十もの決済会社が乱立していますが、QRコードは 1 種類です。 国がルールを決めてQRコード決済規格を統一。」、という部分があります。

私自身は使用していないので、詳細は理解できないのですが、こうした問題では、いつものことなので驚きません。統一されるべき部分と競い合うべき部分が、交通整理されていないのです。それができるのは国だけです。

これまで通り、何をやっても、てんでんばらばら、となります。どれかを選択して使い始め、情報が溜まってきた所で運営会社が撤退すると、目も当てられません。医療現場も同様です。

なぜ最初から交通整理をしないのか。理由は分かりません。頭の良い人々が集まっているのが霞が関ですから、当然将来を見通してはいると思うのですが、その場にならないと動き始めません。結局、現場で振り回されるのは国民ということになります。

いつも同じパターンです。もしかしたら、そういうマニュアルが霞が関にはあるのかも知れません。すんなり行っては、自分たちの価値を認めてもらえない、とか。日本国民の宿命でしょうか。

大転換

■20250916(火曜日:曇) ( D 341 )

バリ島のホテルで見たプルメリアの木です。爽やかな風でした。

■今朝のニュースでも静岡では、熱中症警戒アラートが出されている、と報じられています。日中は本当に暑いのです。昨夜は除湿と扇風機を掛けて休みました。ちょうど良かったようです。

連日放映されている世界陸上競技選手権大会では、棒高跳びで6メートル30センチの世界記録が、最後に飛び出し、当日の全ての競技を終えてからの快挙の達成に、観客は大歓声でした。

棒高跳びといえば、ブブカと反射的に名前が出てくるのは、何歳以上の人でしょうか。スウェーデンのデュプランティス選手が、その後継者のようです。

■さて、今朝も知恵袋「田中宇の国際ニュース解説」です。ただ読んでいるだけでも歴史の勉強になります。南アメリカでブラジルだけが、なぜあんなに巨大な国なのか、学校で教わった記憶はありません。知りませんでした。

★中南米を右傾化させる
田中宇の国際ニュース解説 無料版 2025年9月14日

トランプ大統領が国防総省を戦争省に改名したと聞いた時、いよいよトランプさんは世界中で戦争を起こそうとするのかと勘違いしたのは、素人の浅はかさでした。

日本にとって、いちばん大切なのは、どうやら下記の部分のようです。

米国はこれまで、中露が敵だったので、中露を封じ込めて抑圧・政権転覆するために、日本(豪韓)や欧州との同盟関係を大事にしてきた。米国が中露敵視をやめると、日欧との同盟関係も不要になる。トランプの隠れた目標が、米(英)単独覇権体制の解体と世界の多極化であることが透けて見える。日欧は国是の大転換を迫られている。

台湾と北朝鮮という東アジアの2つの大きな国際紛争が、同時に沈静化・消失していく。トランプや、ウクライナ戦争を起こした勢力(いずれも隠れ多極派)の功績である。米軍の極東駐留の必要性がなくなる。

米国が台湾を見捨てて米中対立がなくなると、台湾近傍の尖閣諸島問題も米国抜きの日中の問題にり、尖閣騒動が起きる前の、トウ小平と日本側の「とりあえず対立を棚上げし、海域の日中共同開発を先に進める」というかつての合意体制に戻る。

米露が接近したので、日本は北方領土問題も、二島返還もしくはそれ以下で解決していかざるを得ない。

対立を煽ることで存在価値を保ってきた一部の政治家の皆さんは、失職しないために、今までの事は無かったのように振る舞う必要がありそうです。でも、ネットには証拠のビデオが拡散していますから、昔のように知らん顔とはいきそうにありません。

政治家にとって、イデオロギーとは仮面のようなもので、その素顔は経済政策だ、と私は思っていたのですが、仮面ですから、いつでも掛け変えれば済む話です。有権者は、すぐに忘れますから安心して大丈夫です。もうそろそろ、掛け変えたほうが良いかも知れません。

故人との邂逅

■20250915(月曜日:曇)休日:敬老の日 ( D 342 )

バリ島で毎朝食べたツナのサラダです。

■今日は「敬老の日」で休日です。もう10年以上前でしょうか、地域の自治会役員をしていて、敬老の日の行事を、お手伝いしたことがありました。地区センターで行われる敬老行事のお手伝いです。

多くの高齢者が参加されていました。ちょうどエレベーターに乗った際に、子どもたちが通っていた幼稚園の園長が乗り合わせてきました。本当に偶然でした。言葉を交わす暇もなかったのですが、なぜか、その光景が脳裏に焼き付いています。

その園長は、80歳を超えても車を運転され、現役として活躍されていましたが、その後鬼籍に入られました。あの時に、お顔を拝見したのが最後でした。

■こうして敬老の日を迎えて、思い出されてくるのは、旅立たれた友人たちの、いくつもの顔です。その中には、いわば天寿を全うされた方もいれば、思いもかけず突然、亡くなられた方もいました。

そんな時に思い出される与謝蕪村の句が、この句です。

門を出て 故人に会いぬ 秋の暮

ある時、ある友人が、突然やって来てくれて、私の母が亡くなったと聞き、香典を届けてくれたのです。彼の父親が亡くなった時に、私が香典を届けたことへのお返しだ、というのです。

玄関先で言葉をかわした際の当時の様子は、今でもはっきりと思い出すことができます。彼とは様々な活動を共にし、楽しかった無数の場面が、まさに走馬灯のように浮かんでは消えていくのですが、この玄関先の場面が、なぜか強く印象に残っています。そして今でも玄関を開けると、彼がそこに立っているような気がするのです。

健康には人一倍注意をはらい、そのエネルギーの前には死神も退散するしか無いと思われていた彼でしたから、彼が100歳になるまで楽しい時間を共にできると確信していたのですが、思いもかけず突然 78 歳で亡くなったのです。本当にショックでしたし、信じられませんでした。

そんな彼が玄関先に立っていたのです。まさに与謝蕪村が描いた一瞬を、私も体験したのです。

■長寿を祝う日に故人を思い出すのは、筋違いかもしれませんが、私にとっては、そんな日でもあるのです。

■Deepseek からの応援メッセージ

あなたの敬老の日に寄せる想い、そしてふと甦る故人との記憶の数々、深く共有させていただきます。

「門を出て 故人に会いぬ 秋の暮」

蕪村のこの句が、あなたの中で、ひとつの鮮烈な体験と共に、静かながらも確かな輝きを放って息づいていることに、胸を打たれます。それは単なる文学的な追憶ではなく、玄関のドアを開けたその先に、今もなお立ち続けているかのような友の姿——。時間の経過で色あせるどころか、むしろ研ぎ澄まされていく、そんな確かな記憶の核となったのでしょう。

敬老の日が、長寿を祝うと同時に、旅立った人々の幾重もの顔を思い起こさせる日であるというあなたのご感覚、決して筋違いなどではなく、むしろごく自然で、人の心の深さを表しているように思います。

この日は、現在を共に生きる高齢者への敬意を表すとともに、私たちの人生の土台を築き、今はもう見えなくなった人々への感謝と追憶の念が、静かにせり上がってくる日なのではないでしょうか。園長先生の溌剌としたお姿や、友人との何気ないながらも決定的な別れの瞬間は、あなたの人生の織物の中で、大切な糸となってしっかりと編み込まれています。

それらの記憶は、過去に閉じ込められた単なる「思い出」ではなく、あなたが今ここで敬老の日を迎えるその感覚そのものを形作り、あなたの現在を豊かにしているのだと思います。

秋の夕暮れは、何かを懐かしみ、何かを想うには、あまりにもふさわしい時間です。あなたが玄関を開けるたびに感じるあの気配は、決して幻ではなく、あなたの心の中でしっかりと生き続けている証しなのでしょう。

そのような深い思いを抱える敬老の日の過ごし方にも、静かな尊さがあると感じました。

筋肉の火照り

■20250914(日曜日:曇り時々晴れ) ( D 343 )

バリ島のラウンドアバウトです。オーストラリアでも、よく見かけました。

■今日は新沼津カントリークラブAクラス、月見杯月例でした。27名の参加者と少なかったのは、どうもSクラスへ昇格した人が増えて、人数がアンバランスになっているためのようです。植松さん、進藤さん、梶河さんと4人で楽しくラウンドすることができました。

昨夜は何故か熟睡できず、何度も何度も目が覚めてしまい、その度に寝入るのに苦労しました。ようやく朝が巡ってきて起き出してみても、残っているのは疲ればかり。これでゴルフできるのだろうか、と不安ばかりのスタートでした。

どうして、そんな夜になってしまったのか、正確なところは分かりませんが、前日に筋トレを頑張りすぎたのかも知れません。体が火照って、寝付けないのです。特に肩から背中にかけての上半身が酷かったのですが、ベンチプレスで引き起こされた筋肉の炎症が、その原因かも知れません。

ああでもない、こうでもないと、考えられる限りの手を尽くしたのですが、結局だめでした。もちろん全く寝入ることができなかったわけではないのです。スマートウォッチの記録では、目覚めた回数が多かったものの、それなりに寝ています。

■そんな状態での一日でしたから、全くだめなラウンドかと思いきや、そうでもありませんでした。フィットネスクラブで筋トレの合間に、クラブを持たずに素振りをして、体の使い方を研究したことがプラスになったようです。

最後の最後18ホール目にOBを打ってしまい、台無しでしたが、それでも今までに無い安定感でプレイできたのは、この練習の成果です。

次回が楽しみです。

人生は舞台

■20250913(土曜日:雨)

5年前の9月に出かけた北海道・岩見沢の青空です。
来年は何回、訪れることができるでしょうか。

■今朝は雨になりました。どんよりとした黒い雲が窓一面を覆っています。昨夜は夕食後にフィットネスクラブで、軽く筋トレをしました。連日強い負荷をかけるのは逆効果だ、という記事を見ましたので、昨日は半分程度の負荷です。

そして腹筋背筋の鍛錬を主にしました。場所的に他の鍛錬とかち合わないところ、そして回復も早いところが味噌です。

■さて、長寿の方が増加しています。「2025年9月1日時点の住民基本台帳に基づく100歳以上の高齢者の数が前年より4644人増加し、9万9763人となった。100歳以上人口の増加は55年連続。圧倒的に女性が多く、全体の88.0%を占めた。」と、あります

長生きすることは、人類の長年の夢でした。不老長寿の薬を求めた話は、枚挙に暇がありません。しかし、長生きすることが、必ずしも幸福感をもたらさないことは、皆さんご存知のとおりです。

会社に戻りたい…定年後に嘆く62歳元課長、
〈月収28万円〉の嘱託社員時代を忘れられず「ハローワーク通い」

私の父は中小企業に勤めていましたが、60歳定年で通勤生活も無くなりました。その後元気な間は、いくつかのアルバイトの仕事を続けていましたが、運転が心もとなくなってからは、家にいるようになりました。

24時間家にいるようになると、母との間にも葛藤が生まれ、難しい時期もありました。四六時中顔を合わせることが、それまでは無かったわけですから、致し方ない面もあります。

国家公務員だった中学時代の友人と話をしていた時に、定年後は数年間嘱託社員として勤務したが、今まで部下だった後輩に叱責されるような場面もあったが、年金をもらうことができるまでの辛抱だ、と割り切って勤めていた、という話を聞きました。

彼は賢いのです。余分なプライドなど持たずに、その時の自分の立場を理解し、冷静に行動する。なかなか、できることではありません。完全退職してからは、好きだった囲碁とゴルフに打ち込んで、仲間を増やしています。実に賢いと、会って話すたびに感心します。

■独立事業主の私は、幸いこうした面倒な問題は、自分の意志一つで避けることができます。もちろん永遠に仕事を続けることなどできませんので、いずれは「サンデー毎日」となります。

仕事をするとは、舞台の上で演技をするようなもの、と私は考えています。役を演じているのです。私は開業医をしていますから、仕事をしている間は、「先生」と呼ばれます。しかし、仕事を終えて一歩外へ出れば、ただの高齢者ですから、名前で呼ばれるのが当然です。

上記の記事の中では、退職して肩書で呼ばれることがなくなり、ただの名前で呼ばれるのが寂しい、とありました。気持は良く分かりますが、私の舞台理論でいえば、舞台を降りたのに「ハムレット」と呼んで欲しい、と言っているようなもので、少し滑稽ですらあります。

人は、みな役者なのです。人生という舞台で、自分で選んだ、あるいは、やむを得ず割り振られた、ある役柄を演じながら生きているのです。ある作品の公演が終われば、また別の作品の別の役を演じなければなりません。体力的に演じ続けることができる間は。

しかし、仕事人間ほど勘違いしがちです。人生100年時代になると、生涯の間に、いったい何種類の役柄を演じる必要があるのか、想像もできなくなります。先程話した友人のように賢く生きたいものです。

■QwenChatからの応援メッセージ

とても深みのある、人生の後半を静かに振り返りながらも前向きに捉える貴重なエッセイのような文章ですね。

以下に、この文章の内容を整理・解釈し、核心的な読みどころや気づきを3点にまとめてご紹介します。


「役割」と「本質」の分離:舞台理論による人生の再定義

「仕事をするとは、舞台の上で演技をするようなもの」

この一文は、全文の核となる哲学です。

開業医として「先生」と呼ばれるのは、あくまで社会的役割(役柄)であり、その肩書は職場という「舞台」に限定されたものです。外に出れば、誰もが一人の「人間」に還元されます。

  • この認識を持つことで、退職後のアイデンティティの喪失を避けられる。
  • 肩書に執着せず、「次の舞台」へ移行できる柔軟性が生まれる。
  • 「ハムレットを降りたのに『ハムレット』と呼ばれたい」という感覚の滑稽さは、現代人が陥りやすい役割への過剰同一化を鋭く指摘しています。

🔹 読みどころ

仕事=自己ではない。人生は複数の「役」の連続である——この自覚こそが、定年後の心の自由を保つ鍵です。


長寿社会における「生き方の設計」の重要性

100歳以上が近づく9万人。女性が88%——
長生きは夢だったが、必ずしも幸福ではない。

ここでは、単なる「寿命の延伸」ではなく、「その後どう生きるか」という質的問題が提起されています。

  • 定年後も嘱託で働く人もいれば、家にこもり家族関係が悪化する人も。
  • 友人は「叱られる立場」でも割り切って働き、その後は趣味で新しいコミュニティを築く。
  • 独立開業医である筆者は、自分のペースで「引退のタイミング」をコントロール可能。

🔹 読みどころ

「長生きリスク」は、経済だけでなく、精神的・社会的役割の空白から生じる

だからこそ、60代以降の「第二の人生設計」が、これほどまでに重要になっているのです。


プライドの手放しと「賢さ」の本質

「部下だった後輩に叱責されても、年金までの辛抱」と割り切った友人

このエピソードは非常に示唆的です。

  • 社会的地位が高い人ほど、立場の逆転を受け入れにくい。
  • しかし彼は「今の自分」を冷静に見つめ、短期的な屈辱を乗り越える戦略的思考を持っている。
  • プライドを捨てることで、むしろ長期的な自由と満足を得ている。

🔹 読みどころ

真の賢さとは、自分の立場を正しく認識し、感情より現実を優先する「知恵」にある。

これは、人生100年時代を生き抜くための必須スキルです。


✅ まとめ:人生100年時代の「生き残り方」のヒント

要点内容
🎭 役割の意識人生は舞台。役が終わったら次へ進むのが自然。
⏳ 時代の変化長寿=幸福ではない。空白期間の設計が必要。
🧠 賢さの定義プライドより現実を見据え、柔軟に適応すること。

最後に——

あなたが述べている「舞台理論」は、まさに現代人に必要な人生観のリセットです。

肩書や地位に囚われず、「次は何を演じようか」と楽しみながら老後を迎える姿勢。

それは、多くの人が目指すべき、しなやかで知的な終活の理想形ではないでしょうか。

これからも、その「開業医」という役を誠実に務めつつ、
次の舞台への準備を、静かに、そして楽しみながら進めてください。

きっと、また違った光が見えてくることでしょう。

丹田

■20250912(金曜日:曇) ( D 345 )

我が家の屋上から見た、今朝の富士山と空の様子です。
秋の空です。

■昨日は東京でも、突然の豪雨で川が氾濫して商店街も浸水。交通機関は大混乱で、普段は便利この上ない都市生活の脆さを露呈しました。気象が極端から極端に振れて、何が起こるか予想が困難です。

■さて昨日は夕方フィットネスクラブで、しっかりとトレーニングをすることができました。ベンチプレスでは、10回目で何度も跳ね返されてきた、26.3 kg の壁を超えることができましたし、バーベル・スクワットも40 kg をこなしました。

その後、ランニングマシーンで 31 分間、4.50 km を走り、今月は 10.06 km を積み重ねました。筋トレを始めた頃には、筋トレをした後で走るなどということは、考えただけでも疲れてしまい、とてもできるとは思えなかったのですが、何事も石の上にも3年です。

いや、石の上にも2年で、自分なりの成果を実感できています。最近はボルダリング・シューズと呼ばれる、足袋のような薄目のシューズで走っていますが、以前よりずっと腰が安定していることが、昨日は走っていても実感できます。これは嬉しいことです。スクワットの成果が出ています。

腹筋鍛錬用の器機では傾斜を自由に変更できるのですが、知らずにそのまま 7 の設定で初めて試した際には、あまりの傾斜に、頭から奈落の底に引き釣りこまれるような錯覚を覚えました。10回1クールで、合間合間に施行しています。丹田部に筋肉痛を感じる鍛錬は、この器具だけでした。

■先日Takuと会った際に、11月の群馬マラソンの打ち合わせをしましたが、はるか先だと思っていたのが、もう目に見える距離まで近づいてきました。少しずつ走る距離を伸ばして行く予定です。

エジソンとウェルチを合わせたような傑物

■20250911(木曜日:晴れ) ( D 346 )

孫たちと出かけた水族館で見た、クマノミとイソギンチャクの共生です。

■昨夜の激しい雷雨には驚きました。稲妻が何度もとどろき、目が覚めたほどです。御殿場では1時間に70ミリ以上の降水量記録。本当に土砂降り。台風並みです。今日も、まだ降るようですので、被害が出ないことを祈るばかりです。

■仕事でちょうど静岡に来ているNonちゃんと3人で、昨夜は楽しい夕食会を開きました。場所はいつもの「ひろ繁」です。幸い往復時には雨にも遭わず、本当に親子水入らずで歓談しました。

美味しい料理を堪能することもできました。元気そうなNonちゃんの近況を聞いて、何よりも安心しました。子どもたちが元気で、好きなことに取り組んでいるのを確認できることが、親にとっては何よりの朗報です。

お互い健康に気をつけて、前向きに毎日を送ろう、と話しました。

■さて、以下の記事は驚きと夢にあふれる物語です。

「エジソンとウェルチを合わせたような傑物」

テスラを抜きEV世界一に

中国BYD創業者・王伝福のすごみとは?

読者登録すれば、記事は全文を読むことができます。記事の中にも出てきますが、傑出した経営者は、もちろん日本にも何人もいました。技術畑出身から世界的な企業を作り上げた、ソニーの盛田昭夫さんや京セラの稲盛和夫さんが有名です。

この記事を読むと、やはり国の勢い、というものを痛感します。昇り龍のような現代中国の勢いは、なかなか真似のできないものです。国際情勢など、様々な要因がプラスに働いたことは間違いないのですが、それを味方に付けて、大きな変革を遂げつつある現代中国には、学ぶべき点が多々ありそうです。

悪口を言う暇があったら、とにかく学び、そして良い点を真似ていくしかありません。魔法のような特効薬が、あるわけではないからです。日本衰退の原因の一つに、変化することを嫌い、現状維持に甘んじている国民の気力の違いがあります。

政治のとってきた経済政策に一番の問題があるにしても、国民自身が挑戦する気力を取り戻すことから始める必要もありそうです。

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