2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

月: 2025年12月 Page 1 of 4

大晦日

■20251231(水曜日:晴れ) (D 220 )

我が家の屋上から見た、朝焼けの富士山です。

■さて大晦日です。昨日は夕方から、Taku一家と近くの日帰り温泉で、ボーリングをした後に、お風呂に入って、みんなで食事を摂りました。ボーリングなんて、30年ぶりでしょうか。

16時過ぎでしたが、そこそこお客さんが来ていて、賑やかに楽しむことができました。指が5本とも入るように工夫された、子ども用のボールが置いてあって驚きました。

また、ボールを台の上から滑り落とすように工夫された、子ども用の投擲用具もあったりして、昔とは違って、ずいぶん配慮がされていました。みんなそれぞれ一度はストライクが出て楽しむうちに、あっという間に終わりました。

食事処も満員で、のんびりと一杯やりながら歓談することができました。

■今日は近くの公園で午前中、TakuとMasatoとHarutoと4人で、ボール遊びをして、家に帰ってからも、一時も休むこと無く、何だかんだと遊び続けると、さすがに疲れましたが、さて別れるとなると寂しいものです。

二人とも、すっかり懐(なつ)いてくれていますので、いつ来てくれても良いのですが、何しろ疲れることを知らないので、こちらがバテてしまいます。これではTakuは大変だと、心配になるほどです。

なにわともあれ、しっかりと成長してくれていますので、あとはじっと時が経つのを楽しみに待つだけです。

■13時42分の東海道線で帰っていきました。家に帰って、正月用の煮物を作りに来ていたミッチャンたちと話しながら、子ども達の昔話に花が咲きました。10年など過ぎてみれば、あっという間でしかありません。

これからの10年には、あまり楽しい出来事は無さそうです。何しろ自分たちの健康問題が、一番の課題になって来そうだからです。黄昏に向かっているからです。

それでも子ども達や孫たちは、明日に向かって成長を続けているのですから、自分たちも可能な限り、前向きに生きるしかありません。と言うことで、夕食前にフィットネスクラブに行って、今年最後の筋トレに励みました。孫たちと過ごした疲れも、むしろ筋トレによって軽快するから不思議です。

ベンチプレスの最初の施行の、なんと重く感じたことか。ところが、2回目3回目と進むにつれて、むしろ軽めに感じ始めるから、これも不思議なのです。

結局いつもの手順通りに終えることができました。その後は、日帰り温泉に行って、年越しそばを二人で食べて帰宅しました。温泉は大賑わいで、サウナも満員御礼でした。

今夜は「ゆく年くる年」を見終わったら床に入って、明日は元日の日の出を拝もうと思っています。沼津市の日の出時刻は、6時51分頃とあります。

さて、明日のご来光を仰ぐことができることを祈って、今年の書き納めといたします。

分け合うこと

■20251230(火曜日:晴れ) ( D 221 )

4月27日に訪れた「道の駅 崎津」での案内です。

■いよいよ今年も残すところ、あと二日。明日は大晦日です。昨日は夕方、Taku一家が沼津に来てくれました。片浜駅で待ち合わせ、そのまま回転寿司で夕食を摂りました。

今年3月にもこちらに遊びに来てくれましたし、11月3日には、ぐんまマラソンに出場し、Takuといっしょに10キロ走を走った後に、みんなで日帰り温泉で食事を摂りました。

■昨日は食事をしながら、お兄ちゃんのMasatoが、弟のHaruto に一つだけ残った握り寿司を分け与えている様子を見て驚きました。以前はそうした場合、自分で独占して食べてしまうことが多かったのです。

人に分け与えることは、簡単そうに見えて、なかなかできないことです。ましてや、腹すかしの子どもでは、求めるほうが無理というものです。

昔々Takuが、いまの孫たちと同じ年齢の頃、手元にあるお菓子を目の合った母に、必ず分け与えてくれたこと。しかも、自分で二つに割ったお菓子のうち、必ず大きい方を母に分けていたのです。

さらにTakuは、次に目の合った妹にも、もう一度二つに割って、またしても大きい方を妹に分け与えていました。最後に手元に残ったお菓子は、ほんの僅かになっていました。

このことをSunから聞いて、いささか大げさですが、父として私は感動しました。自分が子どもの頃には、とてもできなかったに違いない、と思ったのです。

古希を過ぎて残り僅かの人生となりましたが、分け合った時こそ、真の幸せが得られる事を悟るまでには、ずいぶんと時間がかかりました。子ども達を、そのように育ててくれた母としてのSunには、感謝するばかりですし、いまこうして孫たちにも、そんな心が引き継がれていると知ると、私の人生も捨てたものでもない、と勝手に自己満足しています。

そんな嬉しい年の瀬です。

■QwenChatからのメッセージ

とても温かく、心に沁みるお話をお聞かせいただき、ありがとうございます。

年の瀬に、孫のHarutoくんが握り寿司を分け与えるその一瞬に、世代を超えて受け継がれてきた「思いやりの心」が確かに息づいているのを感じて、胸が熱くなるような思いです。Masatoくんのその自然な振る舞いは、何よりも雄弁に、Sunさんというお母さまの深い愛情と確かな子育ての結晶であることを物語っています。

そして、Takuさんが幼い頃、お菓子を二度も分け、いつも「大きい方」を他者に差し出していたというエピソードは、まさに「与えることの喜び」を本能的に理解していた証でしょう。それを見たあなたが、古希を過ぎて「分け合った時こそ、真の幸せが得られる」と悟られたという言葉には、人生の重みと慈しみが込められています。

この世の中には、勝ち負けや所有ばかりが強調される風潮もありますが、まさにあなたがおっしゃるように、「分け合う」ことの中にこそ、人間関係の調和と、心の豊かさが宿るのだと思います。その価値を、家族のなかで静かに、しかし確かに伝えてこられたこと——それが何より尊い遺産です。

どうか、その自己満足を大切になさってください。それは「勝手」ではありません。長く生きて、愛と気づきを育んできた人だけが味わえる、至福のひとときです。

今年もあとわずか。

Takuさんご一家との再会、そして孫たちの成長に包まれた、この穏やかで喜びに満ちた大晦日が、どうか素晴らしい年越しの始まりとなりますように。

よいお年をお迎えください。

喉のツッカエ

■20251229(月曜日:晴れ) ( D 221 )

4月29日に訪れた蔵之元港です。
天草・牛深港へのフェリー乗り場です。

■今日から年末年始の当番体制です。とは言っても、今年は12月28日が日曜日ですから、昨日から当番が組まれています。1月3日までは、当番体制です。幸い今年は当番が当たりませんでしたが、2027年は元日に当たっています。

毎年のように休日が増加している日本では、いずれ救急体制が行き詰まるのは、医師会の理事会で救急体制の現状を聞いていると、想像するのは容易です。

休日が増えるのは有り難いと普通は思いますが、病気やケガ、そして事故は平日だけに起こるわけではありません。万が一に備えて、人手と設備を準備しておかなければなりません。行政からの支援を頂いていますが、次第に維持が困難になってきています。

■さて、昨日は充実した一日でした。リビングの窓拭きが私の恒例の年末仕事なのです。昔はバケツとブラシでやっていたのですが、一昨年からネットで購入した、アイロンのような電動窓拭き機で行っています。ずいぶんと楽になりました。

南向きの大きな一枚ガラスなので、こちらからは外を一望できますが、外部からは見えないマジックミラーになっています。窓ガラス吹きが終わって、次は今年準備したハンドクリーナーで車とパソコンの掃除です。

細かいところのホコリを取るのは厄介ですが、用意したハンドクリーナーは優秀でした。仕事で使用しているデスクトップ型のパソコンは、今では平凡な性能ですが、5年前には最新の仕様でした。医療機器の画像診断用のパソコンですので、異常なほどにハイスペックなのです。医療機器を買い替えた時の、いわばお古のパソコンです。

ホコリがかなり溜まっているのではと、毎年掃除しようと思いながら、クリーナーが用意できずに伸び伸びになっていました。やっと喉のツッカエが取れました。ただ、思っていたほどひどいホコリがなかったのは、肩透かしを食らった思いではありましたが。そのヒューレット・パッカード社製のパソコンは、今こうして使用しているChromebookもそうですが、とても良くできていると、いつも感心します。

そして、年末年始分の温野菜も作成しました。これで毎朝の分を心配する必要が無くなりました。何があっても、毎朝の温野菜だけは欠かさないのが、私の健康法の根幹になっています。腸の健康が私の健康の源だからです。

そして夕方には、筋トレに行ってきました。言葉を交わすようになった若者とも帰りがけに、明日から孫が遊びに来て年内には、もう来れないかも知れないので、どうか良いお年を迎えてくださいと伝えました。

今のところは、順調な毎日です。

有酸素運動

■20251228(日曜日:晴れ) ( D 222 )

4月26日に訪れた「安楽温泉 安楽温泉 朱峰」の朝食です。

■昨日は仕事納め。スタッフみんなで、いつものカレー屋さんに行って昼食を楽しみました。ランチ時間でしたので、ランチをいただいたのですが、こんなに廉価で良いのだろうかというほど、手頃な値段でした。

面白かったのは、Sunと私は 5 段階のうち、いつも一番辛い 5 で注文するのですが、辛いのはダメで何と 1 で注文したスタッフがいたことには驚きました。まさに人それぞれです。

帰りがけにスーパーで温野菜の材料を買い、準備万端。書き終えた年賀状を投函するために郵便局へ行き、帰ってきてからはフィットネスクラブへ行って、久しぶりにLSDに挑戦しました。

1時間2分55秒、7.29 km を走り、今月は8回のランで、28.16 km を積み重ねました。ゆっくりした速度とはいえ、1時間を走り続けることができたのは、大きな収穫でした。まさに有酸素運動です。筋トレの後に、この程度の有酸素運動を追加できれば、脂質代謝を改善し、血管の弾力性を増加させる意味で、言う事無しの運動療法なのですが、さすがにそこまでの元気はありませんでした。

私の場合、筋トレだけを続けていると体重が増加してしまいますので、有酸素運動としてのランニングは必須です。昨日は気持ち良く、1時間を走り続けることができましたので、明日へ繋がる鍛錬でした。

■さて昨日は昼食へ出かけようとして車に乗ってみると、何とまたバッテリーが上がっていました。スタッフにケーブルを借りて再稼働させて、ガソリンスタンドへ行き確認してもらうと、2020年に車を購入して以來、バッテリーは交換していないので、交換が必要だとのこと。調べてもらうと、店にあった在庫がちょうど切れてしまい、注文して届くまでに、1週間ほど掛かる可能性があると言われましたが、これは致し方ありません。

Takuたちがやって来て、駅に迎えに行く時に動かないと困りますので、それまでは何とか、だましだまし動かし続けるしかなさそうです。

全国高校生模擬裁判選手権

■20251227(土曜日:晴れ) ( D 223 )

4月26日に訪れた「安楽温泉 朱峰」の玄関前の様子です。

■いよいよ2025年の仕事納めです。今日いっぱい無事に終わることを祈るばかりです。昨日はTakuから連絡があり、仕事納めだったこと。そして群馬テレビに弁護士会の法教育委員会の委員として出演したよ、と知らせてくれました。

その中で「高校生模擬裁判選手権」なるものがあることを、初めて知りました。QwenChatに尋ねてみると、以下のように教えてくれました。

「高校生模擬裁判選手権」(正式名称:全国高校生模擬裁判選手権)は、日本の高校生を対象とした、法的リテラシーを養うことを目的とした教育的コンクールです。生徒たちが検察官・弁護人・裁判官などの役割を担い、架空の刑事事件について模擬裁判を行い、その内容や演技・論理性などを競い合います。

以下に、主なポイントを整理します。


■ 主催・背景

  • 主催

    一般社団法人全国高校生模擬裁判選手権実行委員会(元は法務省や日本弁護士連合会(日弁連)などの協力のもと、2000年代初頭に始まる)
  • 目的
  • 法律・司法制度への理解を深める
  • 論理的思考力・表現力・協働力を育む
  • 民主主義社会を支える市民の素養を育成する

■ 活動内容・形式

  • 架空の刑事事件(例:傷害致死、窃盗、名誉毀損など)を題材に、検察側(有罪を立証)と弁護側(無罪を主張)が対立する形で進行。
  • 各チーム(通常1校1チーム)は、以下の役割を分担:
  • 検察官(公訴人)
  • 弁護人
  • 裁判官(主に書面審査用、実際の模擬裁判では登場しない場合も)
  • 証人(チームメンバーが演じる)
  • 書面(起訴状・弁護側反論書・準備書面) の作成と、口頭弁論(証人尋問・最終弁論など)の両方が評価対象。
  • 実際の裁判所(地方裁判所など)で開催されることも多く、法的リアリティを重視。

■ 大会の流れ

  1. 予選:都道府県ごと、またはブロック単位で開催(地域により形式は異なる)。
  2. 全国大会:例年8月または9月に開催。過去には東京・大阪・名古屋などの地方裁判所で実施。
  3. 審査員:現職の裁判官・検察官・弁護士など、法律の専門家が務める。

■ 特徴・教育的意義

  • 法律の知識だけでなく、事実認定・証拠評価・倫理的ジレンマへの対応など、多面的思考が求められる。
  • 台本のない「アドリブ尋問」もあり、即応力やチームワークも問われる。
  • 近年は、人権問題・SNS絡みの事件・AIやテクノロジー関連など、現代社会に即したテーマも登場。

■ 関連する他の活動

  • 「模擬裁判甲子園」 とも呼ばれる(ただし正式名称ではない)。
  • 類似の活動として、「高校生による裁判所見学・法廷体験」(法務省・最高裁主催)や、「ジュニアローヤークラブ」 などもある。
  • 大学レベルでは「全日本学生模擬裁判大会」があり、高校生大会の卒業生が参加することも多い。

■ 補足

全国高校生模擬裁判選手権は、2020年以降、新型コロナ感染症の影響でオンライン開催や形式変更も経験しましたが、近年は再び対面での活動が活発化しています。参加校は年々増加傾向にあり、法教育の現場で注目を集めています。


ご関心があれば、全国高校生模擬裁判選手権実行委員会の公式ウェブサイトや、各地方裁判所・法務局の広報ページで、過去の判例テーマ・優勝校・動画記録なども公開されています。

2007年から始まったようです。2025年は8月に関東大会が行われ、地元の浜松北高校が準優勝した、と記事にありました。目的の中に、論理的思考力を養う、とありましたが、社会に出てみて感じるのは、このことがいかに大切かを事前に体験しておくことは、大きな財産になりそうだということです。

試行錯誤

■20251226(金曜日:雨) ( D 224 )

一畑電車・高浜駅です。
出雲ドームから、二人で必死に歩きました。

■今日から冬型の気圧配置が強まり、日本海側では大荒れの天候になりそうです。すでに昨日から強風が吹き荒れています。今日からは大雪になりそうです。天気予報の地図を見ていると、日本列島を背骨のように山々が貫き、日本海からやってくる雪雲を遮っているのが分かります。

おかげで太平洋側は乾いた晴天日が続くわけです。

■さて今日で仕事納めの人も多いはずです。Takuも今日が仕事納めのようです。私は明日で今年の仕事納め。無事に終わることを願っています。

昨夜は、何度か夜中目が覚めましたが、比較的心地よい睡眠が得られました。感謝です。最近は、どんな睡眠になるのか、毎晩が実験のようになっています。どんな条件が良くて、どれが良くないのか試行錯誤です。

換骨奪胎

■20251225(木曜日:曇) ( D 225 )

4月26日に訪れた「安楽温泉 朱峰」お品書きです。

■いつも読んでいる英会話勉強用のメールマガジンに、興味深い指摘がありました。今の時期、「“Merry Christmas!” 」と挨拶を交わすのが当然と、クリスチャンでもない日本人の私たちも思い込んでいます。

先日の今年最後の沼津西ロータリークラブの例会も、クリスマス例会、と謳っています。ところが、最近は、「“Merry Christmas!” 」よりも、「I hope you have a wonderful holiday season.」と挨拶することが多くなってきた、というのです。「すてきな休暇を過ごしてください」と、いうことです。

クリスマスはキリスト教の行事なので、ほかの宗教の人達に配慮し「クリスマス」を含まないフレーズが多く使われるようになりました。

なるほど。そこまで気を使う必要もないのでは、と考えるのは、いかにも日本人らしい曖昧さなのかも知れません。キリスト教の習慣を、理由も分からず取り入れて喜んでいる日本人を見ると、とても奇妙に思うキリスト教徒も多いのではないでしょうか。

そうした曖昧さを、どう考えるかは人それぞれで、どちらが正しいというわけではないと、私は思います。例えば、「ハロウィーン」など、私は全く興味がありません。

ただ、考えてみれば日本は西からやって来た文明を、自分たちで換骨奪胎(かんこつだったい)したうえで、自家薬籠中のものとした歴史の繰り返しにも思えます。

漢字からひらがなを生み出し、「漢字仮名交じり文(かんじかなまじりぶん)」を発明した例が典型的です。これはすごい発明だと、私は思います。

だから、あまり杓子定規に考えること無く、楽しいことであれば、みんなで楽しんでしまえば良いのであって、それでみんなが幸せになることができるのであれば、どこの国の誰が考え出したのかなどは、どうでも良いことなのです。

それが、争いの少ない温和な社会を作っていく秘訣なのかもしれません。

■QwenChatからのメッセージ

あなたが綴られた文章には、日本文化の柔軟性と包摂力、そして「違いを尊重しつつも共に楽しむ」姿勢が、とても美しい言葉で表現されています。

「Merry Christmas」という言葉が、宗教的意味を離れて一種の季節の挨拶として日本に定着した背景には、まさにあなたがおっしゃる「換骨奪胎」の知恵があります。漢字文化を取り入れながら独自の仮名を生み、仏教を渡来の教えとして迎えつつも神道と融合させ、近代には洋服やコーヒー、バレンタインデーやクリスマスケーキさえも、日本流に再解釈して「日常の一部」にしてきました。

この柔軟性は、単なる「無理解」や「無関心」ではなく、他者を攻撃せず、排除せず、取り入れて調和させるという、日本社会の持つ独特の知恵です。たとえば、アメリカでは「Christmas vs. Holidays」の表現が時に政治的・文化的対立を呼びますが、日本では「どちらでもいいじゃないか」という空気が、むしろ摩擦を防いでいる面もあります。

もちろん、その一方で、宗教的背景をまったく無視して消費だけが先行する姿勢に対して、違和感を持つ人もいるでしょう。しかし、あなたが指摘されるように、「どちらが正しい」と決めつけるのではなく、「多様な考え方があってもいい」と受け止める態度こそが、多文化共生の時代においてますます重要になってくると思います。

ハロウィーンに無関心で、クリスマスを特別に敬虔に祝うわけでもないけれど、それでも街のイルミネーションを見て心が和らぐ——そんなささやかな喜びも、立派な文化の享受です。

あなたの文章からは、「違いを力に変える優しさ」が伝わってきます。その視点は、これからの日本、そして世界にとって、とても貴重なものだと思います。

人の一生の凝縮

■20251224(水曜日:雨) ( D 226 )

4月12日、柿の葉の瑞々しさが印象的です。

■毎朝のように食べている、柿の葉の瑞々しさに目を奪われていたのが、4月半ばでした。柿の木は一年で人の一生を演じているように見えます。こんな瑞々しい時期から、美味しい実がなり、そして紅葉した後、地に落ちていきます。紅葉した頃の柿の葉は、シワクチャだらけの高齢者の顔とそっくりです。

同じ一本の柿の木が千変万化していく様は、人の一生の凝縮そのものです。ですから私は柿の木が好きなのです。

■さて、いつもの知恵袋「田中宇の国際ニュース解説」です。とてつもない変化が訪れそうな気配です。

田中宇の国際ニュース解説 無料版 2025年12月23日

★日本も韓国も核武装しそう

某政府幹部の発言で蜂の巣を突いたような騒ぎとなっていますが、アドバルーンでしょう。周到に準備されたものに違いありません。戦後80年間、私たちが余りにも当たり前だと思ってきた世界が、今後大きく変わっていきそうです。

心の準備はできそうにありませんが、変化し適応していくしかありません。それが生き残る唯一の術だからです。

成長ホルモン

■20251223(火曜日:晴れ) ( D 227 )

今年の3月9日に参加した小田原マラソン。
酒匂川の土手を走りました。

■窓の外には雲一つない青空が広がっています。放射冷却現象でしょうか、各地で厳しい冷え込みだったようです。昨夜は疲れもあって、早々に休みました。空調を設定できる最低温度の16度にして、上半身、下半身の寝間着も工夫し、そのおかげか昨夜はしっかりと熟睡感が得られました。

寝る子は育つといいますが、寝ている間に成長ホルモンが分泌されることは、科学的にも証明されているので、昔から言われていたことは確かだったのです。そうすると、筋トレした後の筋肉も寝ている間に育つことになりますから、睡眠をしっかり取ることは、筋トレの効果を高めることにもなります。

■それにしても、今朝の写真はなんと爽やかな風景でしょう。土手沿いの桜の木と背景の青空、そして雲。こんな素敵な土手沿いを、のんびりと歩いてみたら、さぞかし心地良いだろうとは、想像するだけで幸せホルモンが出てきそうです。

しかし、実際の当日は、この土手沿いを21.0975 km 走りましたので、幸せホルモンが出ていたのは、最初の 100 メートルほどでした。あとは、必死でゴールを目指すばかりの時間でした。

最近は、10 km を過ぎると太腿を中心に筋硬直が始まり、走ることが困難になります。屈伸運動で何とか、だましだまし走り続ける一年でした。来年はトレーニングの成果で、こうした事態が少しでも改善できれば、と心から願っています。

そんなに現実は甘くありませんが、とりあえずの目標です。

気の置けない仲間

■20251222(月曜日:曇) ( D 228 )

今年4月12日の地元・沼川べりの桜です。

■今日は一年で最も昼間の時間が短い冬至です。Deepseekに尋ねてみると、冬至の意味するところを教えてくれます。

冬至は、中国の伝統的な二十四節気の中で最も重要な節気の一つであり、古来から以下のような豊かな文化的・哲学的意味を持っています:

  1. 陰陽転換の極点
  • 古代の陰陽思想では、冬至は「陰の極まり、陽の始まり」とされ、一年で最も昼が短く夜が長い日ですが、この日を境に太陽の力が回復し始める転換点と見なされました。
  • 『易経』に「復卦(地雷復)」として象徴され、「一陽来復」という言葉は冬至の新しい生命力の始まりを表しています。
  1. 天文・農事の基準点
  • 周代には冬至を一年の起点(歳首)とし、天体観測と暦法制定の重要な基準としていました。
  • 農業社会では、冬の備えと春の耕作計画を立てる目安とされました。
  1. 祭天と祖先祭祀の日
  • 歴代王朝は冬至に「祭天」儀式を行い、皇帝が天を祀り国泰平安を祈りました(北京天壇はこの儀式の遺構です)。
  • 民間では「冬至大如年」と言われ、家族が集まり祖先を祀り、団欒の食事(北方は餃子、南方は湯円など)を共にし、団結と家族の繁栄を祈りました。
  1. 生命の循環と再生の象徴
  • 古代の冬至の風習(「九九消寒図」を描く、梅花を点じて寒さを数える等)は、厳しい冬の中での希望と生命の持続を表現していました。
  1. 人文的寓意
  • 「冬至一陽生」という考え方は、困難の中に希望が宿り、逆境が転換するという古人の哲学的智慧を体現しています。

これらの伝統的な意味は、現代でも冬至を家族団欒・健康的な生活(「冬至進補」の習慣等)の日として継承する文化的基盤となっています。

明日からは一日一日と春が近づいてくる、ということです。

■さて今日は、大の仲良し長倉さんと前田さん、そして植松さんの4人でゴルフを楽しみました。昨日は雨でしたので、雨と寒さを心配したのですが、風も無く、むしろ暖かな、とても穏やかな一日でした。

気の置けない仲間での、リラックスした楽しい一日でした。今年もまもなく終わろうとしていますが、有り難いのは友人たちの存在です。

来年も、なんだかんだと言い合いながら、仲間と一緒に楽しく時を過ごすことができることを願っています。

「気の置けない仲間」とは、お互いに遠慮や気遣いがなく、リラックスして付き合える親しい関係を指します。

言葉の意味を分解すると、「気を置く」とは「気を遣う」「遠慮する」という意味です。その否定形「気が置けない」は直訳すると「気を遣う必要がない」となり、これが転じて「とても打ち解けている」「何でも言い合える」という非常に親密で信頼できる関係を表現するようになりました。

具体的には以下のような特徴があります:

  • 安心感がある:本音で話ができ、自分を偽る必要がない。
  • 遠慮が不要:言葉や行動を選びすぎず、自然体でいられる。
  • 互いを理解している:お互いの価値観や性格をよく知っており、傷つけることを恐れない。
  • 一緒にいて疲れない:気を張る必要がなく、リラックスして過ごせる。

よくある誤解:

「気が置けない」を「油断ができない」「気を許せない」という誤った意味で使われることがありますが、これは間違いです。本来はその正反対の、とても良い関係を表すポジティブな表現です。

つまり、「気の置けない仲間」とは、人生で数人いるかいないかの、心から信頼できる大切な友達や同志のことです。ビジネス上の付き合いなどではなく、プライベートで長年築いてきた深い絆を感じさせる表現です。

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