2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

投稿者: aiaiganka Page 45 of 313

常温の水コップ1杯

■20241008(火曜日:雨)

北海道、「道の駅 北オホーツク はまとんべつ」へ向かう道です。
冬には、この間が道路であることを、左右の矢印が示しています。

■まだ雨は降り始めていませんが、これから東京・東海地方は終日雨のようです。大人しくしているのが正解です。

昨日は買い物に行って、温野菜や金曜日の夕食の買い出し後に、フィットネスクラブに行って、筋トレとランニングを行いました。筋トレは、スミスマシーンでの、いつもの内容でしたが、バーベルスクワットの重量を36キロに上げました。

3クールのうちの最初のクールが、一番重く感じたましたが次第に慣れました。ランニングは30分で一度休み、トイレに行き、その後30分を追加しました。速度は、最初の30分をキロ8分程度、そして、後半の30分はキロ7分30秒程度です。

結局、1時間1分54秒、7.53kmを走り、これで今月は2回のランで11.18kmを積み重ねることができました。30分で一度休み、休憩を挟むことで、1時間をしっかりと走りきることができました。しかし、全体としてペースがゆっくりなのは改善の余地があります。

やはり、キロ7分で走りきらないといけません。有酸素運動としては適切なのでしょうけれども、大会での制限時間を考えると、少しずつペースを上げることも必要です。

■3日前から、「眠れないほど面白い 図解 自律神経の話 順天堂大学教授 小林弘幸」に従って、毎朝起きると、まず口の中をすすぎ、寝ている間に溜まった雑菌を洗い流した後に、コップ1杯の常温の水を飲み始めました。

これにより、腸を目覚めさせ副交感神経が高まり、自律神経が整えられるというのです。さらに体内時計のリズムも整い、自律神経の安定に役立ちます。

気のせいかもしれませんが、夜中目覚める回数が減ったように感じます。しばらく続けてみて、どれだけ効果があるのか、確認しようと思っています。

本を読み進めていくと、自律神経の重要さを再認識します。男性の場合、30代以降、10年ごとに15%ずつ自律神経の総合力が落ちるというのです。つまり、70歳の男性の場合、60%近くも自律神経の力が落ちています。

若いうちは無理をしても、副交感神経の力が強く、血流も滞ることもないので、老廃物が溜まることも少くないのですが、高齢になるほど、回復に時間がかかるようになります。

ここ数年で、自分自身の身体に起こってきている様々な変化の多くは、自律神経の変調が大きな原因に違いありません。

自律神経を整えることの重要性は、いくら強調しても、し過ぎることはないようです。

産官学金労言

■20241007(月曜日:晴れ)

北海道音威子府(おといねっぷ)から浜頓別(はまとんべつ)へ
向かっています。牛が放牧されていました。

■今朝は爽やかな青空が広がっています。風も涼しげで、ようやく秋らしくなってきました。今日の写真は北海道の初夏です。今年の6月に初めて参加した「丘のまち びえいヘルシーマラソン」のあと、富良野から稚内へ向かう途上の様子です。

北海道大好き人間の私は、北海道のあの大地を思い出すだけで、心が広々してきます。今年は5月から6月の1ヶ月半の間に、なんと3回もマラソン大会に参加しました。

かなり無謀なことは分かっていたのですが、そんな事ができるのも今のうち。来年になったら、もうそんな気力は湧いてこないかもしれないと感じて、挑戦してみました。

どれも、なんとか完走して切り抜けることができましたが、さすがに来年は違う日程を予定しています。それでも北海道で最低3回は、大会に参加しようと思っています。

そんな私にとって、以下の記事は大変気になるのです。

石破首相が就任前に発言
「リニアに使うお金があれば北海道の鉄道に使うべき」
 北の鉄路は石破政権で蘇るか

サホロで毎冬、二人でスキーをしていた頃、静岡空港、新千歳空港、新千歳空港駅、南千歳駅、そして新得駅という道のりで、スキー場まで通いました。南千歳駅18時発あおぞら9号で、新得駅19時33分着の列車です。新得駅には、スキー場ホテルの送迎バスが待ってくれていました。

そんな旅行の中で、JR北海道石勝線に乗って感じることの一つに、窓が汚れているということがあります。最初は理由も分からず、JR北海道の怠慢だ、程度に思っていたのですが、もちろんそうではありません。

上の記事を読むと、北の大地での鉄道路線の維持管理が、いかに大変かが分かります。切り捨てるのは簡単です。しかし積極的廃線と称して、次から次へ鉄道事業を廃止している北海道は、バスへの転換も成功せずに、結局取り残されて人が住めない地域になるばかりです。

夕張市長から北海道知事なった鈴木知事は、その先頭を走っていましたが、多くの魅力を消失した夕張が、知事のこれまでの仕事の象徴です。北海道の不幸です。鉄道事業に一家言(いっかげん)を持つ石破首相とは、大違いです。

北海道庁「一方的に鉄道廃止決める」姿勢は石破政権で変わるのか!?地方創生は地域の知恵結集要と所信表明

石破首相には、厳しい批判が巻き起こっていますが、私は岸田首相よりは、ずっとマシだと信じています。今は隠忍自重(かんにんじちょう)の時なのでしょう。選挙によって政権基盤が少しでも固まれば、石破首相の一家言を、ぜひ少しでも実現して欲しいと願っています。

あと3ヶ月

■20241006(日曜日:曇り時々晴れ)

「ランドスケープふらの」の朝食です。
地元の新鮮な食材で作られています。

■今日は新沼津カントリークラブの大西杯Sクラス月例でした。競技委員としてお手伝いしました。15組57名の参加がありました。全員がスタートするまでに、ほぼ2時間立ち会う必要があります。

9時頃までは、時折雨がぱらつく天候でしたが、日差しが出るようになってからは、むしろ暑さが応える天候でした。それでも、先月の暑さに比較すれば、全然楽なことは間違いありません。

5番ホールのバンカーには、水が溜まっていることには驚きました。昨日かなりの雨が降ったのです。

■今夜は、Turuちゃん夫婦との恒例の夕食会。「ひろ繁」で楽しいひと時を過ごしました。腸の調子も良いのでしょう。お料理を完食することができました。美味しくいただけるということは、本当にありがたいことです。元気でなければ完食できません。

いつまで、こうして夕食会を続けることができるか、それは神のみぞ知る事です。今年も、あと3ヶ月。無事に乗り切ることだけを考えて、完走するしかありません。

神のみぞ知る

■20241005(土曜日:雨)

6月9日の富良野・四季彩の丘。植えられているのは、千寿菊です。
花々が咲き乱れるには、1ヶ月早すぎました。

■今朝は気持ちよく目覚めることができました。5時半です。せっかくなので、散歩にでも出かけようと玄関を出たのですが、雨がぱらついてきました。諦めてパソコンに向かうことにしました。

昨夜は、なぜか一度しか目が覚めず、トイレに行ったのも1回で済みました。睡眠診断アプリによれば、指標の何もかにもが「普通」でした。総合得点は82点。

昨日は疲れが蓄積して、仕事を終えたあとには、喋るのも億劫なのが、自分でも分かりました。それでも、20時前には、フィットネスクラブに出かけて、最小限の筋トレだけは行いました。金曜日の夜は、なぜかフィットネスクラブも空いています。

帰ってきてシャワーを浴びて、寝しなにSunと二人で350mlの缶ビールを、いつものように分け合いました。就寝前のアルコールは利尿作用のため、むしろ禁忌なのですが、昨夜はそれもマイナスには働かなかったようです。

今日は午後から静岡で勉強会ですので、仕事が終わったら、昼食後に出かけなければなりません。忙しない一日になりそうです。

■さて、いつもの知恵袋、田中宇さんの分析です。

★イランの失敗
田中宇の国際ニュース解説 無料版 2024年10月4日

いまや中東は、イスラエルのやりたい放題になっています。他人の土地を焼け野原にした上、いずれは自分たちの領土にしよう、というわけです。犠牲者の数は、もう報道されもしなくなりました。数え切れないのでしょう。そして、誰もそれを止めることができません。

アメリカは武器を送り続け、最大限支援しています。軍需産業は、空前の好景気のようです。それが、「アメリカの平和」の現状です。なぜ、こんな事になっているのかは、田中さんの分析を読むと理解できます。

テレビでは決して報道されない現実です。イスラエルが、どこまでやれば気が済むのかは、神のみぞ知るようです。

抗重力筋

■20241004(金曜日:雨)

6月9日の富良野・四季彩の丘です。
花々が咲き乱れるには、1ヶ月早すぎました。

■昨日は、今月初めてのランニング積み重ねとして、33分20秒、3.65 km を走りました。いつもなら筋トレ後に、ランニングをするのが最近の決まりなのですが、筋トレもせず15分ほどしか走っていないにも関わらず、体が重くて、これは無理をしない方が良い、と走りながら感じました。汗のかき方で、体調をある程度推し量ることができます。

スミスマシンによる筋トレが、とても良い効果をもたらしているのは、充分実感しているのですが、やはり高齢者は疲労回復を図りながらでないと、逆効果になってしまいます。トレイナーによるレッスンビデオなどでも、その点は強調されています。

筋トレすると必ず組織の破壊が起こり、そこから筋の修復、そして肥大という過程を経るのが、修復が済まないうちに、さらなる破壊が起きてしまい、正のサイクルにならないようです、

それでも、ここ1週間ほどは、立っている際に必要な抗重力筋群が以前よりもしっかりしてきたのか、立っている際に、とても安定していることを実感しています。腰回りが、しっかりしているという実感です。

立位姿勢を保持するためには、抗重力筋の機能がとても重要です。

抗重力筋とは、読んで字のごとく「重力に抗う筋肉」です。

具体的には背筋(背中の筋肉)、臀筋(お尻の筋肉)、ハムストリングス(ももの後ろの筋肉)、下腿三頭筋(ふくらはぎの筋肉)などの筋肉のことです。

これらの筋肉群の鍛錬は、スクワットで、かなりカバーできそうです。同窓会から帰ってきてSunが言うには、皆に会ってまず目に付くのが、同年輩以上の仲間の姿勢の悪さだったそうです。老人特有の姿勢の変化が避けられません。

まぁ、気長に取組しかありません。一朝一夕に解決できる問題ではないからです。楽しみながら、続けていきましょう。

就学時健診

■20241003(木曜日:晴れ後雨)

JR北海道富良野線「美瑛駅」です。
駅の横の駐輪場で、完走後に着替えをしました。

■さて今日から恒例の、就学時健診が始まります。来年小学校へ入学する生徒さんの健康診断です。少子高齢化で入学者数も年々減少しています。検診をする立場からすれば、少ないほうが楽なのですが、地域に子どもたちの声が聞こえなくなるのは、寂しい限りです。

先日は友人のY先生から連絡をいただき、今年度限りでクリニックを閉じるつもりだ、と連絡をもらいました。まだ70代なかばですので、継続は可能なのでしょうが、持病もあって決断されたようです。

私よりも数年前に開業され、地域のまとめ役として長い間お世話になった先生ですので、ついにその日が来たのだ、と感慨深いものがありました。その次は自分だ、という思いが、いよいよ現実味を一気に増してきました。

担当している学校医は、他の先生にすでに依頼済みで、次年度からの移行にも問題がないように手配されたようです。こうした地域での公的義務が、閉院の際には重しになります。代替医療機関を探す必要があります。面倒な仕事ですから、本当は誰も引き受けたがりません。

日本中の地方で、おそらく同様の変化が、これから続出するはずです。高齢化した開業医が、マイナカードを始めIT化の高波を乗り切れずに、閉院に追い込まれるパターンです。

無医村の状態になる地域が、激増するはずです。そこまでの変化を、この目で見る時間的な余裕は無さそうですが、そうした状況の到来は、まさに目に見えています。

孫たちが成人する頃の日本社会は、いったいどんな様相なのか。あまり想像したくないというのが、正直な思いです。

秘すれば花なり

■20241002(水曜日:晴れ)

「丘のまちびえいヘルシーマラソン」。走り終わって、ホット一息。
丸山運動公園陸上競技場です。

■10月に入っても暑い日が続いています。日中も未だに冷房がないと、外来は暑苦しくなります。自分の体が変化に適応できずに、右往左往しているのが、よく分かります。

■さて、新しい内閣も発足し、どんな政治が行われるのか期待と不安が錯綜します。そんな時にも、やはり知恵袋が大切です。以下の田中さんの指摘は、とても貴重なものと私には思えます。一人でも多くの日本人に読んでもらえることを祈るばかりです。

★★中国敵視を使って対米自立
田中宇の国際ニュース解説 無料版 2024年10月1日

テレビやマスコミの通り一遍の解説では、何が起ころうとしているのか、さっぱり分かりません。

アメリカとの関係が主軸になるのは、誰が総理になっても変わることはないのですが、大きく世界が変化する今、日本の舵取りは難しい局面です。考えてみれば、アメリカ一辺倒と一見思われていた安倍総理は、中露の首脳と何度も会談しています。

安倍総理だからこそ、親中だ、中国のスパイだと非難されずにいたのです。日本が生き抜くためには、両属的に生き抜くことが必要だ、と安倍総理は考えていたのでしょう。

さて石破総理は、どのような舵取りをこれからするのか。安倍総理の最後を見ているだけに、よほど慎重に、そして周到に事を進めないと命取りになります。

リベラル勢力のように、脳天気な反米だけを叫ぶだけでは、何も解決しません。結局のところ、「秘すれば花なり」というところでしょうか。

「秘すれば花なり秘せずは花なるべからず」

(世阿弥「風姿花伝」)

「秘めるからこそ花になる、秘めねば花の価値は失せてしまう」という意味で、隠し事はよくないかもしれませんが、隠しておいたほういいこと、黙っていたほうがいいことというのは確かにあって、それが物事の価値を実は決めていることもある、ということを知っておいたほうがいいでしょう。

高度成長時代

■20241001(火曜日:晴れ)

「丘のまちびえいヘルシーマラソン」。20キロ地点。
残りは1キロ強です。あと、もう少しです。

■今日から10月。爽やかな朝です。ちょうど60年前に、東京オリンピックが開催されました。忘れもしません、10月10日が開会式でした。本当に爽やかな青空のもと、国立競技場で開催されたのです。

当時11歳だった私(これは確かです)は、小学校から急いで家に帰り、白黒テレビで開会式を見たように記憶していますが、これは不確かです。後に学校からクラスの仲間揃って、近くにあった東映映画館に、市川崑監督の記録映画を観に行ったことで、記憶がごちゃ混ぜになっているかもしれません。

古関裕而さん作曲の入場行進曲を聞く度に、あの日を思い出すことができます。ちなみに、生成AI に「日本の高度成長時代って、いつのこと?」と尋ねてみると、

日本の高度経済成長時代は、戦後1955年から1973年にかけての約20年間で、実質経済成長率は年平均10%前後でした。

高度経済成長の主な要因は次のとおりです。

経済優先の政策、資源開発を伴うエネルギー革命、中東からの安価な原油の輸入、 円安。

★高度経済成長の時代には、次のようなことが起こりました。

(1)技術革新が製造施設の拡大を促し、テレビ、冷蔵庫、自動車などの耐久消費財が飛ぶように売れた

(2)政府は重化学工業の発展や合理化による輸出の拡大を目標とした

(3)1960年代の終わりには世界第2位の経済大国となった

(4)1964年に東京オリンピックが、1970年に大阪で日本万国博覧会が開催され、日本の戦後復興と経済力が世界に向けてアピールされた

(5)高速道路や新幹線など交通網の整備が進んだ

1953年生まれの私には、物心ついてから成人するまで、ずっと高度成長が続いていたことになります。簡単に言えば、昨日より今日、今日より明日、生活は必ず良くなると、単純に信じることのできた時代だったのです。

そして、間違いなく、そうなって行ったのでした。社会人になってからも、幸い傾向としては同様でした。一生懸命働けば、収入も増えました。

ところが、今の30代、40代の人たちは、不景気な時代しか経験していないので、未来に対する思いが、ぜんぜん違うことに驚きます。

今また、(4)の再現を狙って東京オリンピックと大阪万博を開催しようとしていますが、いかに時代が様変わりしたかは歴然としています。結局、我々の発想は60年前と、少しも変わっていないということです。

そして結果は、まるで別物になっているのです。

48 キロ

■20240930(月曜日:曇)Haruto 誕生日

「丘のまちびえいヘルシーマラソン」。19キロ地点。
残りは2キロ強です。下り坂ですが、次の上りが辛いのです。

■昨日は昼前に、フィットネスクラブに行って走りました。48分3秒、6.14kmを走り、これで今月は9回のランで52.92kmを積み重ねました。エプソンのホームページに接続すると、月間50km走達成おめでとうございます、と祝ってくれています。

日曜日で時間がしっかりと取れますので、走る前に、まずは筋トレを普段の夜以上に丁寧に行いました。スミスマシーンで、いつものように、チェストプレスとスクワットを行ったのですが、昨日からバーベルの重さを少しだけあげました。

チェストプレスでは、一番軽い1.25kgを左右に追加し、スクワットでは、2.5キロの重りを左右に追加しました。これでチェストプレスは、23.5kg、そして、スクワットは36.5kgとなりました。

インストラクターの解説をネットで読むと、バーベル・スクワットの目安は、初心者では体重の80%だそうです。つまり60キロの人であれば、初めて取り組む際は、48キロを上げるのが良いとのこと。

この数字には、かなり驚きました。大谷選手のように120キロで行うつもりはサラサラありませんが、私の場合、全然足りていません。これから少しずつ負荷を上げていこうと思っています。バーベルスクワットのご利益は、自分の体で実感していますので、続けていく動機は十分です。毎月、少しずつ上げていくことにします。

■今朝の写真は、今年の6月に初めて出場した美瑛マラソンの様子です。なだらかな丘を、登ったり下ったりなのです。景色は最高です。天気さえ良ければ一日かけて、ゆっくりと歩いてみたいのですが、制限時間がありますので、そうはいきません。

でも、いつの日か、そうしてこのコースを歩いてみたいと、真剣に思い始めています。夢ですね。

盛者必衰の理

■20240929(日曜日:曇)

「丘のまちびえいヘルシーマラソン」。
18キロ地点から20キロに向かって走っています。

■今朝は曇り空です。そして、涼しげな風が窓から吹き込んできます。空には、ところどころ青空が覗く天候です。今日からSunは同窓会でお出かけです。駅まで今、送ってきたところ。京都から滋賀を回るようです。青空が見えてくれていると良いのですが。

■さて以下の記事には驚くとともに、時代の流れの過酷さを感じます。

★インテル「独り負け」招いたCEO肝煎り事業の混沌、
時価総額はAMDの半分以下、直近業績は赤字転落

インテルといえば、マイクロソフト社とともに、パソコン時代の絶対王者でした。その歴史を簡単に振り返ってみると、

(1) 1971年10月 – NASDAQに株式を公開。

(2) 1981年8月 – IBMが同社初のパソコンIBM PCを発表。CPUに8088が採用されたことは、インテルが急成長するきっかけとなった。

(3) 1985年10月 – DRAM事業から撤退し、CPUの開発・生産に経営資源を集中。

(4) 1991年5月 – Intel Insideロゴ(日本では『インテル、入ってる』として広く知られている)を発表。CM、カタログなど様々なメディアで広く世界中で使用されたが、これは日本発のブランディング・キャンペーンである。

1981年のIBM PC の発売に際して、当時コンピューター業界の絶対王者だったIBMが、独占禁止法違反を恐れて、パソコンの2大主要部品、CPUとOS(基本ソフト)を外部から調達したところから、歴史は大きく動きました。

その2大主要部品を提供したのが、インテルとマイクロソフトだったのです。その当時は、恐竜と我々の祖先たる哺乳類ほどの違いがありました。

その後、マイクロソフトはMS-DOSからWindows にOSを進化させます。Windows 1.0は、1985年11月20日に米国で発売されました。「Windows 1.0は、マイクロソフトが開発した最初のGUI(グラフィカル・ユーザー・インタフェース)環境のOSで、MS-DOSの上で動作していました。それまでは、コマンドをキーボードから入力するだけのMS-DOSが業界標準でした。Windows 1.0は、できることが少なく、動作が遅く、評判は悪かったと言われています」とネットにはあります。

Windowsは3.1 なって、初めて使い物になるOSになった、と言われています。その影にはインド人IT技術者の貢献が大きかったと、ネット上では囁かれています。

「Windows 3.1は、英語版が1992年4月に、日本語版が1993年に発売されました。DOS上で動作する点は変更ありませんでしたが、安定性が飛躍的に向上し、実用性が高まりました。日本では初めて普及したWindowsとなりました」とあります。

何事もバージョン3以降でないと、実用的な安定性が得られないのは、マイナ保険証などを見ていても、間違い無さそうです。それまでは、トラブルに巻き込まれる人柱の連続です。

■こうして、ウインテル帝国は永遠に不滅かと思いきや、黄昏を迎えています。まさに平家物語の語るとおりです

祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。

娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

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