2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

カテゴリー: ゴルフ Page 17 of 23

創造的休暇

■20200419(日曜日:晴れ)

錦帯橋から見た錦川です。鵜飼が行われます。

■今日は新沼津カントリークラブのBクラス月例でした。大の仲良し、植松さん、甲野藤さん、そして小泉さんと4人で回りました。コロナウイルス感染により緊急事態宣言が発せられ、東京から来られる方はほとんどいませんので、出場者も通常の半分ほどです。来週からは営業形態もガラリと変わり、レストランも閉鎖、風呂場も閉鎖、そして基本的に一カート3人で回ることになるようです。

今日は、とにかく最高の天候でした。抜けるような青空、そして、そよ風が吹き渡り、駿河湾も一望することができました。プレーの方は相変わらず安定しませんでしたが、後半からは大切な点が理解され、それを繰り返すことができましたので、自分ではかなり進歩したプレーができたと感じました。

バックスイングで右腰にスペースをとる点と、バックスイングで左腕をしっかりと伸ばしてダウンスイングに入ること。その二点を繰り返したおかげで格段に安定しました。

スイングは体重移動というよりは左足を軸にして回転運動で打つイメージが自分の体には合っているようです。腰の回転が出来れば自分としては満点のスイングと言えます。最後の点がなかなか難しいのです。

■さて今朝の東京新聞社説には「試練の戦利品を未来へ」と題して書かれています。新型コロナウイルスの蔓延によって、政府の緊急事態宣言が発令され街の様相は一変しました。また人々の行動も変わらざるを得なくなりました。

今まで良いことだと思われていた勤勉な通勤や通学、見聞を広めるための旅行などが、ウイルスをばらまく迷惑行為と批判されるようになったのです。意欲的な姿勢や積極性が悪徳へと転換したことになります。

歴史を振り返れば、こうした世界的な感染症の拡大は、もちろん初めてではありません。14世紀ヨーロッパを襲った、黒死病、いわゆるペストによって、当時のヨーロッパの人口の3分の一から4分の一に当たる2500万人から3000万人が命を落としたと言われています。

中国を支配していた帝国、元の版図拡大などに伴い、ユーラシア大陸の東と西が繋がったのです。当時のグローバル化が疫病を広げたことになるのです。

人口が激減したことによって荘園制度や身分制は徐々に崩壊。次の世代のルネサンスにつながり、近代への扉が開いていきます。

ペストは十七世紀にも再びヨーロッパに広がり、ロビンソン・クルーソーの作者デフォーは、ロンドンだけで十万人が亡くなったと伝えています。

大学も休校になりました。暇になってある学生がいくつかの構想を思いつきます。その一人が万有引力の法則などを突き止めた科学者ニュートンです。「創造的休暇」とも言われているそうです。

私達は生活様式を大きく変えつつあります。電車に乗って会社に行く通勤が当たり前のことでしたが、今では家で仕事をすることも決して珍しいことではなくなりました。いや業種によっては、むしろ在宅勤務の方が効率が上がる場合も散見されるのです。

在宅勤務によって家族との絆が深まる場合もあるかもしれません。今まで当たり前だと思っていたことが、実はそうではないという気づきをもたらす場合も多いかもしれません。

それによって感染の蔓延が峠を越えた時、私達は新しい社会を迎えるのかもしれません。人間も社会も変化するためには、とても大きなエネルギーが必要です。危険を伴う変化などを進んで引き受ける人は稀なのです。組織も同様です。

ましてや社会が変わるというのは並大抵の事ではありません、そういう意味では新型コロナウイルス感染蔓延も奇貨として、私たちは日本社会をより良い方向へ導く責任があるのです。

本当の意図

■20200412(日曜日 曇)

道の駅での数々の惣菜、お弁当です。お腹がいくつあっても足りません。

■今日は月例競技の競技委員を務めましたが、ゴルファーの間でのコロナウイルスに対する認識というか、危険度の考え方は様々なようです。

レストランで共に食事をすることも危険なので、食事なしでプレーをさせてほしい、いわゆるスルーでプレーさせて欲しいという方もいれば、弁当を用意して自由に食べさせて欲しいと言われる人もいるようです。

あるいは極端な方は、東京からの客とは一緒にプレーしたくない、と言われる人もいます。

風呂についても同様です。風呂に入っただけで感染してしまうと恐れている方がいるようで、風呂に入らずに帰る方も増えているようです。副支配人によれば、風呂も閉鎖した方が良いか検討しているとのことです。

いわゆる3密を避けることはもちろんですが、一番危ないのはウイルスの付いた手で顔を触ることによって、目、鼻、口の粘膜からウイルスが感染することだ、とイギリスの先生は言われています。

ゴルフ場ではレストランのテーブルはもちろん椅子なども、お客さんが席を離れると、すぐにアルコールで消毒をしています。入り口には、もちろんアルコールが置かれていて、プレイヤー自身が自分の手を消毒できるように配慮されています。

感染しているかどうかの検査ができない現状では、誰が感染しているのか感染していないのか確認のしようがありません。みんながそれぞれ疑心暗鬼になっている訳です。

感染を確認するPCR法の確からしさが、それほど高くない現状では問題があるにしても、やはり、とにかく簡便に検査ができるように国がしっかりと対応しないと、不必要な恐怖感ばかりが増幅されて、社会は混乱するばかりです。

検査体制がいつまでたっても確立されないのは、怠慢というよりも意図的としか思えません。政府の本当の意図は、どこにあるのでしょうか。

昨夜のNHKスペシャルでも、コロナウイルスに対する日本の対策委員会の活動ぶりが報道されていました。家に帰ることも出来ずに、缶詰状態で対応に追われているスタッフの皆さんは本当に大変だと思います。

ただクルーズ船の問題以来、日本政府の対応は世界とは異なり日本独自の対応策を取ってきた、と報道されていましたが、結果として感染拡大が封じ込められたのであれば、日本独自の対策は素晴らしかったと結論されるのでしょうが、結果として感染拡大を抑えることができず、非常事態宣言が出されるまでになったとすれば、やはり日本独自の対応は問題があったと結論せざるを得ません。

その点に対する総括がなされていないように思われたのは、とても不思議でした。独自対応のどこに問題があったのか、きちんと総括、反省しない限り、また同じことを繰り返す危険性が高いのではないかと私には思われるのです。

左腰

■20200409(木曜日:晴れ)

道の駅 ソレーネ周南での海の幸です。

■今日は仕事をお休みにして、大の仲良しと一緒にマスターズ月例杯に出場しました。初めての経験です。いつも一緒に遊んでくださる大の仲良し、坂口さん、甲野藤さん、井上さんと4人でプレイしました。

コロナウイルスの関係で東京方面の方が、かなりキャンセルされたので出場人数も当初の半分ほどでした。天候は最高でした。途中、半袖でプレーしても、ちょうど良いくらいの気温でした。風もそれほどなく、最近には珍しく天候に恵まれました。

インからの8時36分一番スタートで、前半は46、後半は52。トータル98と、自分としてはまあまあの出来です。

プレー中、心がけたのは右の壁をしっかり作ることと、左の腰の回転を意識することでした。ドライバーショットからサンドウィッチによるアプローチまで、その二つの点を忘れずにプレーしようと思ったのですが、全てのショットにそれが適応できた訳では、もちろんありません。

それでも、その二点をしっかりと意識できた時は、今までとは全く違うと言っていいほど、飛距離も方向性も安定していました。

そして何より目に見えて変わったのは、弾道の高さです。左の腰の回転からスタートするイメージでスイングすると、とにかくボールが高く上がります。自分でスイングしながら驚くほどでした。

ドライバーショットも何度か曲がりましたが、しかし以前とは異なり、格段に確率も良くなり、飛距離も2割以上伸びたように思います。

今日のティーグラウンドはレギュラーティーでしたので、いつものようにバックティーからではありませんので、コースの距離が違ってきます。そのために精神的なストレスが、ドライバーショットでまるで違ってきます。ティーグラウンドに立った時の風景が、かなり変わるのです。不思議なもので、それだけでも随分と異なってきます。

仲間の皆さんには、私よりもずっと年齢的に先輩でありながら、ショットの力強さも飛距離も、私よりも数段上の方がたくさんいらっしゃいます。本当にすごいものだと感心するばかりです。

■今日はグリーンをオーバーしてからの難しいアプローチショットを3度寄せてパーを拾えたのは収穫でした。

例えば12番ショートホールでは、第1弾を右奥に外してしまい、強い下り傾斜のグリーンに向かってアプローチしなければなりませんでした。しかしサンドウィッチでのアプローチは、オッケーパーの距離にピタリと付きました。本当に、ここしかないというワンポイントに落とすことができました。これもやはり左腰の回転を優先することで、確率がグッと上がりました。

また16番のロングホールでは第3打が、120ヤードほど残りましたが、ちょうど木がグリーンを遮っており、インテンショナルフックをかけて7番アイアンで打ちました。少し大きくてグリーンをオーバーしてこぼれましたが、下り斜面のグリーンに向かっての9番アイアンでのアプローチショットが、これまたピタリと決まり、オッケーパーでした。

また最後のホール9番のロングホールでは、やはり第三打をオーバーしてしまい、これは最高難度の難しいアプローチショットとなりました。20ヤード以上あるラフを越えてグリーンに乗せ、しかもピンはグリーンエッジから5ヤードほどのところに切ってありましたので、文字通りグリーンエッジに高いボールでピンポイントに落とさないと、寄るのは不可能だという状況でした。ランニングアプローチも考えたのですが、ラフが深く、これはサンドウィッチで高く上げてピンポイントに落とすしかないと決断して左腰の回転を意識し、振り抜きました。これがなんと狙った通り、グリーンエッジに落ちて、ピンまで1.5メートル程に寄ったのです。そしてパットを沈めて、見事にパーを拾いました。

今日はこのようにグリーンをオーバーしたにも関わらず、下り傾斜の難しいアプローチを、何度かぴたりと寄せることができたのは大きな収穫でした。手だけで打とうとすると、ミスショットをしてしまうのです。

ただしパットがいけませんでした。やはり手だけで打ってしまうと、強すぎたり弱すぎたり安定しません。両肩と手で三角形をしっかりと作り、左肩そして右肩というイメージで、しっかりと真ん中でボールを捉えれば、大きなミスはしないことが分かりました。

色々収穫のあった一日でした。

貧困化

■20200405(日曜日:晴れ)

北九州空港の様子です。エレベーターで三階に着きました。三階から見た二階の様子です。

■今日は久しぶりのゴルフでした。いつも教えていただいているシングルの手塚さんと田中さんとご一緒にプレーすることができました。

7時前に到着するように家を出たのですが、ゴルフ場に着いてみてビックリ。駐車場はガラガラで私が三台目か四台目でした。今日の来場者は80名足らずとの事で、4人一組で行けばカートが20台。アウトとインで、それぞれ10台ずつほどという来場者です。

沼津ゴルフクラブに出かけた友人の話では、昨日の土曜日は結構混んでいたようです。新沼津カントリークラブも、昨日はそこそこ来場者があったようですが、こんなに空いている日曜日は、私は初めての経験でした。

今日一緒に回ってくださった、手塚さんはお仕事で東京へお出かけになることが多いのですが、新幹線もやはり空き空きとのことで、先日などは一車両に7人か8人しか乗っていないので、全員を数えられたというのです。本当に驚きました。

当然のことながら東名高速道路も空いているようです。普段とは全く異なる状況のなのです。

■オーストラリアがどんな状況なのか、あやちゃんに連絡を取ってみましたが、ここ数日本格的な寒さがメルボルンを襲ってきたようです。オーストラリアではロックアウトになって、つまり都市封鎖が行われて2週間ほどになるそうですが、在宅勤務をしている方も多いようです。

東京でも、志村けんさんの死去以来、みなさん恐怖におののき始めたようです。基礎疾患を持った方、あるいは高齢者の方は身近な脅威として感じ初めているのでしょう。

経済への打撃も深刻なものがあり、1929年の大恐慌以来のことではないかと戦々恐々です。日本は昨年10月の消費税の増税以来、景気が完全に下り坂に落ち込んでいたところに、コロナショックですから、まさにダブルパンチでダウン寸前です。

この20年のデフレによって、若い世代が貧困化しています。今や20代で貯金ゼロという人が6割近くいると言われています。派遣労働の連続では貯蓄も容易ではありません。多くの日本人が貧しくなってしまったのです。

それが政治の責任であることは明白です。逆に言えば、政治を変えれば、まだまだより多くの日本人が普通の生活をできるだけの力を日本は持っているはずです。一刻も早く政治を変えるしか、この国を生まれ変わらせることができないのです。

培養肉

■20200308(日曜日:雨)

ベトナム枯葉剤被害者についての古典です。

■今日は新沼津カントリークラブ弥生杯Aクラスの月例でした。競技員としてお手伝い致しました。

残念ながら、日中は雨が降り続き、寒さも手伝って最悪の状況でした。最後までプレーされたのは合計22名の方でした。

午前中プレーしたものの、天気予報によれば雨が上がる様子はないので、さすがに切り上げた方も何人もいました。午後の2時過ぎからは雨も横殴りとなり、一日中雨に祟られた日曜日でした。

■さて、今日の東京新聞読書欄では「クリーンミート 培養肉が世界を変える」が取り上げられています。

本書は動物肉を試験管内で増やす「細胞農業」のスタートアップ状況を紹介したもので、試験管内で作る動物製品をめぐる熱い戦いを紹介したノンフィクションである。またこれに群がる投資家たちの動向も興味深い。

どこの国でも国民が豊かになると肉食が普及します。特に牛肉を食べることが、いわば豊かになることの証のようになっています。

ところが、牛肉というのは1キロを作るために9キロの飼料が必要になる、と言われるほど無駄が多いというか、環境への負荷が大きいのです。

また牛たちが病気にならないように、早く成長するようにと抗生物質が多量に投与されていることにより、耐性菌の発生を促進する危険性も高いのです。

牛肉というと牛の放牧という光景が思い浮かびますが、アメリカなどでは実は鶏の飼育、つまりブロイラーのように牛を育てて牛肉を生産していることは、あまり知られていません。

肉が柔らかく美味しいうちに屠殺するために、2歳程度で牛肉が市場に提供されていることもあるようです。そうした現状を知ると牛肉も食べる気持ちが失せてしまいます。

この本では、培養肉について書かれているようですが、アメリカでは大豆を中心とした植物タンパクから、人工肉を製造する会社が大きく業績を伸ばしています。ハンバーグなどで食べる分には、ほとんど食感が変わらず、判別ができないとする報告も多いのです。

健康のためにという意味で、ベジタリアンを中心に植物性の食品を好んで食べる傾向が広がっているようです。

日本ではまだまだ口にすることは難しいようですが、いずれアメリカの流れが日本にも伝わってくるのは間違いありません。

しかし、その原料となる大豆は結局のところ、アメリカから輸入することになりますし、アメリカでは遺伝子組み換えの大豆がほとんどでしょうから、その辺りは健康にとってどうなのか、疑問な点も大いにあります。

これに関しては、意外な情報もあります。ロシアの極東地域は大豆の一大産地。日本の年間大豆輸入量300万トン余りの7割はアメリカからの輸入ですが、ロシアからの輸入は微々たるもの。地の利に加えて、ロシアでは遺伝子組み換え大豆の栽培が禁止されているのは、国民のために有益な点です。

どうみても、ロシアからの輸入量を増やすほうが、国民の利益になりそうですが、そうはならないところが、思考停止に陥っている日本の悲しい現実です。

悟り

■20200301(日曜日:曇)

2月に行った北海道旅行の食事です。

■今日から3月弥生です、つい先日大晦日を迎え、元日の朝が来たと思ったら、もう3月です。カレンダーは2ヶ月単位で作られていますので、これで一枚を破いて二枚目に移ったことになります。

今年に入って1月、そして2月と連続して月100キロ走を達成することができました。一旦途切れてしまうと、なかなか再開するのは難しいのですが、なんとかまた軌道に乗りそうなことにほっとしています。

■今日は本当でしたら静岡で、コメディカル講習会の司会と1時間の講習をしなければならなかったのですが、コロナウイルスの関係で中止となりましたので、思い切ってゴルフに出掛けました。

最近は月例などの大会に出場するのであれば、否が応でも出発しなければなりませんので躊躇することはないのですが、今日のように誰とも約束をしていた訳では無い場合には、家を出るまで今日はやめておこうかと、めげてしまうのが正直な心境です。

先月の最後の連休が、まさにそのような心持ちで、結局行くのをやめてしまいました。風も強いし寒いし、ということでめげてしまったのです。今日は寒さや雨の心配はありませんでしたので、その点だけは安心でした。

家を7時ちょうどに出ましたので、到着したのが7時20分頃でした。この時間ですと、いつもの仲間は、もう組を作り終わっていますので、途中入れてもらうことができませんでした。

ということで、今日は初めてのメンバーで回ることになりました、御殿場にお住まいの杉本さんご夫妻でした。3人でのラウンドは初対面でしたので、最初はぎこちなかったのですが、途中からはとても楽しく語らいながら回ることができ、またぜひ一緒に回りましょうと言っていただいて最後は別れました。

プレーの方は相変わらずひどかったのですが、後半になってあることに気づきました。悟りを開いたと言っても言い過ぎではないほどです。今までナイスショットをした時に、自分でどうしてナイスショットが打てたのか、よく分かっていなかったのですが、今日はその点について、ある閃きが得られたのです。

しっかりと左肩を入れてバックスイングをとった後に、ダウンスイングのスタートをどこから始めていいのか、よくわかっていませんでした。左肩からスタートするというイメージが、今日の後半で分かってから、格段にショットが安定し、飛距離も伸びました。

左肩をアドレスの位置に戻してから手を振り始める、というイメージです。これがとても重要だということに気づきました。まさに悟りと言っても良いほどの効果でした。このことによって、スウィングが詰まってしまうことがなくなりました。

つまり、しっかりと最後まで振り切れるようになったのです。この効果は絶大でした。このことに集中してスイングするようになってからは、ミスショットがほとんど無くなりました。次回のプレーが本当に楽しみとなりました。

ララ

■20200216(日曜日:雨)

新千歳空港上空から見た様子です。ゴルフ場は閉鎖状態です。

■今日は朝から雨でした。久しぶりの新沼津カントリークラブBクラス月例出場だったのですが、いかんせん天候が悪すぎました。結局ハーフだけ回って競技は打ち切り、お風呂に入って食事を取りながらの表彰式となりました。

大の仲良し甲野藤さんが見事3位に入賞し、今日たまたまご一緒した杉山さんも4位に入賞し、私達の組の4人のうち2人が5位以内に入賞という素晴らしい成績でした。

自分自身は全くひどいスコアで、最初の一番ホールで第1打は見事にチョロ。右に左にOBも重なり、本当に酷いスコアでした。月例への出場は3ヶ月ぶりでしたでしょうか、コースを回るのは久しぶりなので、まあこれも致し方がない、と次回を楽しみにするしかありません。

要は、フォームが身についていないのです。打つたびにバラバラですので、このスコアは致し方ありません。

■さて今日の東京新聞「昭和遠近 短歌に見る時代相 第6話 島田修三」は、なかなか身に詰まされる内容でした。「学校給食、敵国の支援に複雑な思い」です。山田あき歌集『紺』1951年の一首が紹介されています。

ゆたかなる ララの給食煮立てつつ 日本の母の 思いはなぎず

この一首は、栄養豊かなララの支援給食を煮立てながら、日本の一人の母親として私の思いは和むことがない、と歌っているのです。

ララとは、『アジア救済連盟の略称で、アメリカの複数の民間団体が連携し、窮乏する日本を始めアジア諸国にララ物資といわれた食料、医薬品などを供与した』と、あります。

島田さんは、しかしこうも書かれています。

一首が歌うように、ララ物資の給食は当時ではさぞ栄養豊かだったろう。栄養失調の危機に瀕する子供のためにはありがたく思いつつも、つい昨日までの敵国から受ける施しに母の心は穏やかではないのだ。

母親たちの思いは複雑です。戦争拡大に向けて、国家は母親達に産めよ殖やよと檄を飛ばし、将来の兵力の増強を目指したのです。そして敗戦と共に、この子供達を飢えさせ、かつての鬼畜米英の親玉から情けを受けているという母親の意識は複雑に屈折したものであったに違いない、と島田さんは指摘しています。

この屈折感は、実はその子供達にも影を落とし、後年まで引きずることになったとも指摘しています。

島田さんは昭和32年から38年まで東京の区立小学校に在学しましたが、ずっと給食で育ちました。忘れがたいのはララのミルク、脱脂粉乳だと書かれています。

ララの脱脂粉乳は特に粗悪で、本国では家畜の飼料用だったことを後になって島田さんは知りました。あの酷い不味(まず)さは、まさにそうだからなのだろうと納得したのです。納得はするが、心中は決して穏やかではない、という島田さんの気持ちは、同じ経験をした私にもよく理解できるのです。

日本人はいまだにこの屈折感あるいは屈辱感から立ち直っていないようにすら、私には思えるのです、精神的な整理整頓がきちんと未だに済んでいないのではないか。そして、その心の屈折感が、対米従属に甘んじながらもアジア諸国に対して居丈高に振る舞う私達の精神的な根っこになっているのではないか、とすら私は感じているのです。

■今日は北陸地方で春一番が吹きました。南風が吹いたのです。ところが明日からは大荒れの天候が予想されています。西日本では大雪が予報され、ふだん大雪など降らない地方でも、被害が心配されています。

今日で月の半ばが過ぎましたので、そろそろ月100キロの目標達成を気にしなければなりません。明日の朝は雨にはならないという予想ですので、なんとしても走って積み重ねをする必要があります。

一昨日には今年の直木賞を獲得した小説「熱源」が届きましたので、読み始めました。北海道の白老町にあるアイヌ記念館を作者が訪れたことから、この小説が芽生え始めた、という新聞記事を読みました。私自身も一昨年、千歳JAL国際マラソンを走った後に白老町のホテルに投宿しました。残念ながら、アイヌ記念館は訪問しなかったのですが、縁を感じます。

また宗谷岬から見た樺太は忘れることができません。二度訪問したのですが、最初の訪問で宗谷丘陵から、沖合に見事に見ることができました。本当に泳いで渡れそうにすら感じる距離なのです。

小説の舞台になっている樺太が、どんなところなのか、読み進めるのが楽しみです。

■現在20:00ですが、激しく雨が断続的に降り続けています。今夜いっぱいは、こんな天候が続きそうです。明日の朝には、間違いなく上がってくれていると信じて、明日は早起きするつもりです。

今日配信されてきた、田中宇さんの以下の記事は必読です。

世界に蔓延していく武漢ウイルス

事態が一刻も早く収束してほしいと願っていますが、現実は厳しいようです。政府の対応が後手後手に回って、いまや手遅れに近い状態になりつつあるようです。感染する母集団が大きくなれば、重症化率が低いとはいっても、犠牲者が増えることは容易に予想ができます。

アメリカは早い時期から中国からの人の出入りを遮断していました。日本では、そうしなかったのです。観光面などへの配慮があったのかもしれません。しかし今となっては、後悔先に立たず、となっています。深刻化しないことを願うばかりです。

東京マラソンの開催は難しそうですし、中止すべきだと私には思えますが。

バージョンアップ

■20200112(日曜日:曇)

富士山本宮浅間大社での初詣です。

■今日は新沼津カントリークラブのAクラス新年杯月例です。 競技委員としてお手伝い致しました。天気予報では雨が心配されたのですが、幸い全ての方がホールアウトするまで雨は降りませんでした。

東京方面から来られる方は天気を大変気にして、やはり冬の雨ですから、キャンセルされる方が多いようですが、今日は53名の参加ということで、最近としてはとても多い方でした。

■さて、このブログを書いているのはワードプレスといういわば世界の標準ソフトですが、このソフトはいわゆるオープンソースとして無料で開放されています。

今、利用しているこのサイトは、自分で立ち上げるのができない方のために、Wordpress.comという会社が一般の方にも簡単にブログをインターネット上に公開できるサービスを提供してくれています。もちろんそこには宣伝が入るわけですが、それで会社として収入を得ているわけです。

私としては、これはいわばバックアップのつもりで作り続けています。こうしてスマホから日本語変換音声ソフトSimejiを使って簡単に更新できますので、とても便利なのです。

自分専用にはさくらインターネットというプロバイダー上にレンタルサーバーを借りて、そこにホームページを掲載しています。そこには昔使っていた、Quick Homepage Maker というソフトで作り続けてきたページと、さくらインターネットのレンタルサーバー上に導入したWordPressで作っているページとが混在しています。

この二つのソフトは PHP という言語で書かれているのですが、これは更新されることが結構あります。つまり、処理速度も向上しますし、安全性も高まるわけです。現在ではバージョン7が基本のようです。

ところが、現在私が使用料を払って使っているQuick Homepage Makerは、PHP のバージョン7に対応していません。したがって、さくらインターネット上のレンタルサーバー上で PHP の最新版を利用するとwordpressは正常に働くのですがQuick Homepage Makerは、機能しないために、ページが表示されません。

そこでこれから最新版に対応した新しいバージョンに置き換えようとするのですが、これがなかなか危険な作業なのです。下手をすると全てのページが表示不能になってしまう可能性があるのです。さて、どうなりますか、恐る恐るこれから実行するところです。

派兵

■20191208(日曜日:晴れ)

島根県 足立美術館です。

■今日は新沼津カントリークラブのAクラス忘年杯月例です。私は残念ながらBクラスに陥落していますが、競技委員としてお手伝いすることができました。合計53名の方が参加され、腕を競いました。

今日は他の競技委員の方々は、お休みされる方が多く、表彰式では私がプレゼンターを務める羽目になりました。私などでは役者不足だとは思うのですが、もう一人ご出席された、登戸さんのご好意で大役を務めさせていただきました。

大の仲良し長倉さんも3位入賞という立派な成績で、商品をお渡しすることができたのは本当に嬉しいことでした。

来週は忘年杯 Bクラス 月例です。私も出場予定ですので、とにかくしっかりとプレーして入賞したいものです。なんとしても良いスコアを出してAクラスに戻りたいものだと考えています。

■さて、アフガニスタンで非政府組織、ペシャワール会で現地代表を務め、これまで長く活動を続けてこられた医師の中村哲さんが銃弾に倒れました。中村さんは現地で活動を続ける際、アメリカ軍とはなるべく距離を置き、彼らに守ってもらうことをなるべく避けていました。

守ってもらうことはありがたいのですが、それは一方の側に肩入れすることになりますので、軍事力に頼ることは、決して問題の解決にならないと考えておられたようです。

現地の人達の生活の向上を第1義的に考えて活動することが、中村さんの目的でした。そうしていれば、現地の人達が自分を守ってくれると信じていたのです。

こうした中村さんの活動を知って思い出すのは、ベトナム戦争の時にアメリカ軍以外の、アメリカの要請に従って派兵していた国々です。それは韓国軍であり、タイやフィリピン、オーストラリア、ニュージーランドも軍を派遣していたのです。

なぜこんなことを書くかというと、私はベトナム戦争において散布された枯葉剤の被害者支援の活動を続けてきたのですが、調べていると枯れ葉剤を浴びたのは決して、ベトナムの人達ばかりではなくて、アメリカ軍の兵士も、そして軍を派遣した韓国の軍人、その他派遣した国々の兵士達が枯れ葉剤を浴びて、その後遺症に苦しんでいるという事実があるのです。

もし日本もアメリカの要請にしたがって、自衛隊を派遣していたとすれば、自衛隊員の方々の中にも、枯葉剤による障害を負ってしまった方や、その子供達が先天的障害に苦しむという事態も考えられたのです。

憲法第9条のもと日本は海外に派兵出来ないとして、もしも時の政府がアメリカの要請を断ったのだとすれば、まさに憲法第9条が日本の自衛隊員の命、そして、家族を救ったことになるのです。

日本政府は、いま中東に自衛隊を派遣しようとしています。このベトナムでの経験を果たして、今の政府は肝に銘じて学んだのでしょうか。とても疑問でなりません。自衛隊員の命を軽んじているとしか、私には思えないのです。

強い憤りを感じるのです。

師走

■20191201(日曜日:晴れ)

高崎駅前です。

■昨日は診療が終わってから昼食をとり、少し休憩してから駅に向かいました。高崎へ行くためです。たくが務める法律事務所の高橋伸二所長が、ゴルフに誘ってくださったのです。勝男先生とたくと4人で、群馬県のレーサム&スパリゾートでプレーをするためです。

たくとは学生時代にテニスを随分しましたが、ゴルフをするのは今回が初めてです。就職してから所長さんの勧めもあってプロのレッスンをしばらく受けていたようですが、最近はどうもサボりがちで練習もご無沙汰していたようです。

昨日は高崎に着いたのが16時1分でした。新幹線を乗り継いで行けば、東京駅からでも高崎までは1時間ほどですので、決して遠くありません。たくが取ってくれてあった、駅前のビジネスホテルにチェックインし、高橋先生の自叙伝を少し読んだ後、17時10分に高崎駅の改札口で待ち合わせました。

ゆうこさんも一緒に来てくれました。家電量販店の入ったビルの七階にある駐車場に、たくが車を停めてありました。4人で車に乗って、高橋先生が予約してくれてあった、しゃぶしゃぶ料理のお店に出かけました。

お店は女将が取り仕切る昔ながらの立派な料亭という雰囲気でした。今ではなかなかお目にかかることのできないお店です。昔は沼津でも、それに値するようなお店があったのですが、全てと言っていいほど消えていってしまいました。

高橋先生のような方が利用されないと、なかなか維持管理するのは難しいのだろうな、と感じながら美味しい食事を頂きました。高橋先生には、この夕食をすっかりご馳走になってしまいました。18時から20時過ぎまで、高橋先生とじっくり色々なことを話し合う機会を得ました。

先生の自叙伝である「欅のごとく」という本を読み終えていたのですが、高崎に着くまでの新幹線の中で再度読み直しておきました。したがって話題には事欠きませんでした。何時間でも、対話をしようと思えば可能なだけの資料は、頭の中に入れておきました。

四人で楽しいひとときを過ごしました。

■さて、今日は念願の4人でのゴルフです、たくが7時20分に駅前に迎えに来てくれて、ゴルフ場まで送ってくれました。駅から30分弱でしょうか。レーサムゴルフ場は高橋先生が顧問を務められているようで、普段でも交流があるようでした。

高橋先生を一言で形容すると、今ではもう絶滅危惧種に属するのではないかと思われる、田中角栄さん的な親分肌の方なのです。気風もいいし、気配りもされるし、あれではほっておいても人が先生の周りに集まるはずです。今では先生のような方は、どこの世界にも本当にまれになったと思います。

8時40分にアウトコースからスタートしました。緊張でいっぱいだったのですが、ミドルホール、なんとか無事にティー・ショットを終えて、ラフからの第2打を打ちました。これが何とカップから15センチほどのところにぴったりと寄りました。オッケーバーディーでした。なんというスタートでしょうか。

しかし、ボロはすぐに出るものです。その後は、いつものドジを繰り返し、結局上がってみれば107回になってしまいました。両先生はお2人とも80台ということで、さすがに大したものです。

最高の青空でした。

それでも、たくと一緒に初めてゴルフ出来たという喜びは、何にも増して大きなものでした。終わった後はコーヒーでしばし雑談し、お2人と別れて風呂に入った後、たくに高崎駅まで送ってもらいました。

駅までは若干道路が混雑していましたが、17時42分発のMaxトキで東京駅に行き、そこから東海道新幹線で家まで帰りました。

■本当に楽しい週末でした、これも、たくが日頃しっかりとした仕事をしてくれているお陰だと、心から感謝しました。

高橋先生も楽しそうに歓談してくださり、謙虚さの中にも大親分たる片鱗が、そこかしこに見えました。多分田中角栄さんがご存命の頃は、接してみるとこのような方だったのではないかと感じたほどです。これでまた一つ、大きな山を越えることができました。

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