■20260103(土曜日:晴れ) ( D 217 )
2024年1月5日に訪れた、 熊本県 「RVパークsmart 道の駅有明 リップルランド」 ■昨日から始まった箱根駅伝も、5区の山登りで大逆転があり、スリル満点でしたが、毎年毎年区間新記録が出るのは、どうしたわけでしょうか。ランニングシューズの進歩が、背中を押しているのは間違いなさそうですが、どうなのでしょう。 科学的な知識に基づいた、新しいトレーニング法も取り入れられた成果かもしれません。アテネ五輪で優勝した野口みずき選手は、自分の現役時代には、マラソン選手が筋トレをすることは、むしろ避けることが当たり前だったが自分は積極的に取り入れた、というお話をしていました。 それまでの常識が真逆になっっという点では、ランニングシューズの進歩も典型的です。それまでは可能な限り靴底は薄い方が良い、という常識が、規制しなければならないほど厚底に変わってしまいました。 ■スポーツ界における驚くべき転換といえば、走り高跳びのフォスベリー飛びが、まず思いつきます。QwenChatに尋ねると、こう教えてくれました。
走り高跳びにおける「フォスベリー・フリップ (Fosbury Flop)」――背中からバーを越えるあの独特な跳躍スタイルは、今や世界中の陸上競技で標準となっていますが、その誕生は、まさに「常識を覆す発想」と「失敗からの学び」の物語です。
■ 誕生の舞台:1960年代のアメリカ ディック・フォスベリー (Dick Fosbury)は、1947年アメリカ・オレゴン州生まれの高校生でした。当時の走り高跳びの主流は、以下の3つのスタイルでした:
はさみ跳び (Scissors):脚を交互にバーの上に振り上げる、最も古い形。ベラシッチ跳び (Straddle):腹を下にしてバーを越え、脚を広げるテクニック(当時のトップ選手が使っていた)。ロールオーバー (Western Roll):斜めにアプローチし、体を横に回転させて越える。高校2年生のフォスベリーは、身長は高かったものの、運動神経は特別優れておらず、はさみ跳びで1.52mしか跳べませんでした。コーチに「他のスポーツをやれ」と言われるほどでした。
■ 失敗から生まれた“変な飛び方” 彼は「もっと高く跳ぶにはどうすればいいか?」をひたすら試行錯誤しました。 ある日、ふと「バーの上を背中から越えれば、重心をバーの下に通せるのではないか? 」という発想に至ります。
なぜなら、物理学的には、体の重心がバーの下を通過できれば、同じエネルギーでより高く跳べる という原理があるのです。
彼は、助走をカーブを描くように斜めにつけ 、最後のステップで体を反らせて背中からバーを越える というスタイルを独学で開発しました。 最初は「見た目がヘン」「危なっかしい」と周囲に笑われ、地元新聞には「世界で唯一、バーに向かって逃げている選手 」と皮肉られました。
しかし、彼は諦めませんでした。
■ 一躍脚光を浴びた1968年メキシコシティ五輪 高校を卒業し、オレゴン州立大学に進学したフォスベリーは、この「背中跳び」を磨き続け、1968年のメキシコシティオリンピック に出場。
当時の世界記録は2.28m、彼の自己最高は2.21m。メダルは微妙と見られていました。
しかし、五輪決勝で彼は2.24m を成功させ、見事金メダル を獲得します。 しかも、その跳び方は、会場の観客や他国のコーチ陣に「衝撃」と「驚き」を与えました。
写真や映像が世界中に流れ、「フォスベリー・フリップ 」という名称が定着。 当初は「一時的な奇策」と思われましたが、重心を効率よくコントロールできる科学的優位性 が認められ、やがて世界中の選手がこのスタイルを採用していきます。
■ 革命の本質:「失敗を恐れず、自分を信じた」こと 面白いのは、フォスベリー自身、物理学の知識はほとんどなく、ただ「感覚的にこれで高く跳べる気がした 」という直感で試していたことです。 後に、「当時は自分でもどう動いているのか分からなかった。ビデオで見るまで自分のフォームを知らなかった」と語っています。
このエピソードは、既存の常識にとらわれず、自分なりの解を探し続けることの大切さ を教えてくれます。
■ 現在の影響 1980年以降、世界記録を更新した選手は全員がフォスベリー・フリップ を使用。 男子世界記録は2.45m (ハビエル・サトーマイヤー、1993年)、女子は2.09m (ステフカ・コスタディノヴァ、1987年)——いずれもこのスタイルで達成。 今では、小学校の体育でも「背中から跳ぶ」のが当たり前となっています。 ■ 一言でまとめると 「変だと思われても、自分にとって“正解”だと信じたことを貫いた一人の少年が、世界の常識を変えていった」
それが、フォスベリー・フリップの誕生秘話です。
彼の名前は、スポーツ史に「革命児」として永遠に刻まれています。
■これからも、非常識に挑戦する選手が現れてくれるのが楽しみです。