2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

カテゴリー: 残日録 Page 100 of 152

技術属国

■20190530(木曜日:晴れ)

 

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Carnegie で昼食を取ったラーメン店の餃子です。

 

■今日からマラソン大会に向けての安静モードです。昨日の朝走ったのが、大会出場前の最後のランニングとなります。大会前の三日間は走らずに安静をとるようにしています。疲れが溜まってしまうからです。やはり年寄りにはきついのですね。ランニングの本に書いてあるように、食事もカーボローディング、つまりは炭水化物主体に食事を取り、体内にグリコーゲンとしてエネルギーを蓄積させるわけです。そして生ものを避けることが大切のようです。万が一にも食あたりを起こすと万事休すだからです。先日大相撲で優勝した前の山も、以前場所中に生牡蠣を食べて当たってしまったそうです。それまでは順調な成績だったのですが、その後全く駄目になってしまったという経験をしました。マラソンの瀬古選手もテレビでお話しされていましたが、試合前はお刺身などの生ものは、現役時代は一切口にしなかったそうです。

 

■元駐中国大使・丹羽宇一郎氏が、このままでは日本はアメリカの技術属国になってしまう、と警告されています。

 

このままでは日本はアメリカの技術属国になってしまう

 

中国の通信メーカーHuaweiを、アメリカが本気で潰そうとしているのでしょうか。5Gと呼ばれる最新式の通信技術を、Huaweiが他のメーカーに先んじて開発しています。アメリカのメーカーも、今のところは技術的に及ばないようです。 通信網の基幹部分を他国に握られてしまう恐れを、アメリカは感じています。 Huawei 社製の通信機器を通じて、アメリカの情報が中国政府に筒抜けになっているとして、制裁を課しているわけです。ことの真相は闇の中です。 Huawei 社製の製品を精査したが、情報が漏洩しているという証拠はなかった、とする報告もあるようです。

 

日本人の多くは、まだまだ中国を見くびっている面が多いようです。つまり中国の技術力などは、日本に比べれば、まだまだものまねの段階にすぎないのだ、という考えです。ものまねの、安かろう悪かろうが中国製品の実態だ、という認識です。もちろんそうした製品もあるには違いありませんが、今や最先端の通信技術、人工知能などにおいて、アメリカをすら凌駕しようとする勢いなのです。 何万人という単位で留学生をアメリカに送り込み、 「ウミガメ」と呼ばれる帰国組の、その鍛え上げた知能を中国で存分に発揮できるように、政府は全面的に応援しているのです。 それは、かつての日本が辿った道でもあるのです。1980年代、日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と世界から持ち上げられて、すっかりその気になってしまいました。 あれから30年以上の月日が流れ、様相はすっかり変わってしまいました。我々はそのことに一刻も早く気づき、これからどのような道を歩むべきなのかを、真剣に考える必要があるのです。 一国に頼るだけでは、立ち行かない時代になっているのです。丹羽さんの指摘は、そうした危機感の現れなのです。

 

この国民にして

■20190528(火曜日:曇)

 

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Ayaちゃんの Carnegie  での新居です。静かな住宅街です。

 

■今朝は走らずに休みました。昨日で月間100 km 走の目標は達成しましたので、とりあえず一段落です。昨日までの猛烈な暑さも、さすがに今日からは落ち着くようです。天気予報では午後から雨が強まるようです。 天候だけは、受け入れる以外にありません。晴れは晴れなり、雨は雨なりに一日を送るしか私たちにできることはありません。

 

■今日までアメリカのトランプ大統領が来日しています。 アメリカのマスコミによれば、来日中のトランプ大統領は、まるで観光客のようだ、と報道されているようです。 首脳同士の親密さを、これでもかと毎日アピールしている様子が報道されています。 それは首脳外交の見本だ、という意見もあるようですが、果たしてどうなのでしょうか。 トランプ大統領は、当然国益を代表して交渉に臨むわけですし、取引の達人だと言われています。安倍総理がトランプ大統領に 、是が非でもと承諾してもらった唯一の成果が、おそらく日米の貿易交渉妥結は参院選挙後になるという点ではないでしょうか。 日本が一方的に譲歩をする結果となれば選挙にマイナスの影響を与えることは、安倍総理も十分承知しているのでしょう。

 

アメリカ大統領に対して一歩も引かず、国益を守るために、体を張ってトランプ大統領と対峙しているのだ、という姿を国民の一人として見たいと思うのは当然です。どこの国においても、歴史ある、そして伝統ある国家の国民であれば、指導者のそうした誇りある姿を望むのではないでしょうか。今朝の東京新聞社説には、「なぜ選挙のあとなのか」 と題して、 書かれています。

 

あまりに露骨、横柄な物言いではないだろうか。日米の貿易交渉妥結は参議院選挙後までずれ込む見通しという。人々の暮らしを大きく左右する交渉である。選挙の材料に使ってはならないはずだ。

 

この文章に込められた怒りは、十分理解できるのですが、しかしその矛先がどこに向かっているのか分かりにくい部分があります。トランプ大統領に対してなのか、あるいは安倍総理に向かってなのか。あるいは双方に向かって語られているのでしょうか。 結果として日本がアメリカに大幅に譲歩した交渉結果となることは目に見えていますので、 選挙前の決着は選挙に不利だと判断し先延ばしした、安倍総理の賢明な判断に対して矛先が向いているのでしょうか。国益のためでなく、自分の選挙のための賢明な判断です。

 

この親にしてこの子あり、とはよく言われることですが、この国民にしてこの総理あり、と最近はつくづく思うことばかりです。 両首脳が一緒にゴルフを楽しんだり、炉端焼きを楽しんだりしているのを見て、こんなに仲がよいのだから、アメリカ大統領も日本には悪いようにしないだろう、と想像してしまう国民のなんと多いことか。 そしてそうした国民性をしっかりと把握した上で、 テレビやネットに映像を流し続ける安倍総理の戦略。きっと専門の広告宣伝会社が、 こうしたマスコミ対策を取り仕切っているのでしょう。多額の税金を使って。その結果として日本の農業は衰退し、国民の富が流出していくわけです。誠に立派な政治と言わざるを得ません。この国民にして、この総理ありです。

 

出張

■20190526(日曜日、晴れ)

 

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紫陽花が、少しずつ色づいてきました。

 

■今日は会議のため名古屋へ出張です。原駅7時18分発の東海道線で静岡駅に行き、そこでひかり号に乗り換える予定です。こだま号に比べると、45分ほども早く名古屋駅に到着します。東海道線に乗るのは十分ほどしか違いませんので、到着時刻の違いはとても大きくなります。10時から午後の2時まで、様々な課題を議論しました。6月の全国代議員会議に向けての準備です。

 

■さて今日は、全国で異常な高温を記録しました。北海道の佐呂間町で39.5℃、5月としては全国で史上最も高い気温を記録しました。来週の日曜日、つまりちょうど7日後にJAL 国際千歳マラソンを走る予定ですが、いくらなんでも35°を超える気温の中では走るのは危険です。もし30°を超えるようでしたら走るのは止めて、観光旅行に切り替えようと思っています。今年で6回目になる千歳マラソンへの参加は、私にとっては毎年の恒例行事になりました。昨年からはTakuが参加することができなくなりましたので、Sunと二人での北海道となっています。果たして天候がどうなるか、それだけが心配です。前日の土曜日に北海道に行くのですが、あまりの寒さに震えてしまい、風邪を引いたのではないかと翌日の参加を断念するか迷ったことも、以前にはありました。それが一転して、今年は暑さの心配をしています。その日を迎えてみないと、 本当に分かりません。

 

■土曜日にはアメリカのトランプ大統領が来日しました。午前中は安倍首相とゴルフを共にし、 大相撲は千秋楽でしたので、優勝力士に賜杯を手渡していました。友好ムードの中で毎日を送られているのは素晴らしい事なのですが、あまりの祝賀ムードに、私などはいささか違和感を感じています。 一色に塗りつぶされているマスコミの報道も、どこか変なのです。世界中でトランプ大統領に対する少なからずの批判が、まき起こっているわけですが、日本だけは別世界のようです。

 

まるで御領主様を迎える領民のように、見えなくもありません。暗黙理のうちに批判が許されない祝賀ムードというのは何か変です。国民の全てが、トランプ大統領に対して賛同しているわけでは、もちろんないのです。それにもかかわらず、批判することが許されないような雰囲気というのは、まるで戦前を思い出させます。日本は本当に、変わっていないのだなと、つくづく感じるのです。ひょっとすると、岸田秀さんが指摘しているように、明治以降の日本人の精神性というのは、未だに未解決のままなのではないかと、感じざるを得ないのです。

 

繋がりの信頼感

■20190524(金曜日:晴れ)

 

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Pan Pacific Melbourne Hotel のフロント近く。一時、憩える空間です。

 

■今朝は走らずにゆっくりと休みました。昨日は今年度最後の担当学校の学校検診が終わりました。 午前中に二つの小学校を掛け持ちして学校検診を行いました。数年前からは、学校へも手軽に持ち込むことのできる携帯用の機器を使用して、子供たちの目の状態を確認するようにしています。 3歳児検診があり、目の発達に問題がある子供達が、その時点で見つかれば問題はないのですが、残念ながらその検査をすり抜けてしまう子供たちが未だに後を絶たないのです。 特に遠視性の不同視弱視の子供達を見つけることは、とても大切です。100人に1人、こうした問題を抱えた子供達がいると言われています。小学校に入るまでに見つけて、メガネの装用や、適切な訓練を行えば、両眼ともに1.0以上の視力を獲得でき、両眼視機能も正常に発育します。

 

両眼視機能、つまり物事を立体的に見たり、あるいは動体視力の発育に問題をきたすと、様々な場面で困難をきたします。 動体視力が発達しないと、動きの速いスポーツ、例えばテニス、卓球などでは、ボールを的確に捉えることが、とても困難になります。運動神経には何の問題もない場合でも、 空振りしてしまうのです。運動神経が悪い、という一言で片付けられてしまう場合もあります。子供さんにとっては大変な不幸です。たとえ百人に一人ではあっても、その子供さんにとっては1回きりの人生ですから、 避けることのできるハンディキャップは、少しでも減らしてあげるのが社会の役割ではないでしょうか。

 

■今朝の東京新聞朝刊には、村上春樹さん特別インタビュー記事が掲載されています。「小説家40年と騎士団長殺し」です。第6回の今日は、「暗闇抜け 許しの心得る」。

 

この中で主人公の「私」が物語の最後に「私が免色のようになることはない」「なぜなら私には信じる力が備わっているからだ」と語っている言葉を取り上げています。 免色という登場人物が、「よその世界と繋がりを持つか、持たないかということの、その狭間にいる人です。何かに自分がコミットしているのか、していないのかということが自分でもよくわからない」のに対し、「私」は「結局もう一度結婚生活をやり直すことになった」のです。二人の違いはどこにあるのでしょうか、という問いかけに対して、村上さんは以下のように語っています。

 

もちろん愛なのですが、それ以上に、人と人との繋がりの信頼感というものが大事なことになります。免色さんには、そういう感覚が欠落しているんじゃないかな。

 

この村上さんの言葉を聞いて、私が思い出すのは、やはりアドラー心理学です。「人間の持つ全ての悩みは対人関係の悩みである」 とする、あのアドラー心理学です。 アドラー心理学の目指す最終目標である「共同体感覚」獲得への道。自己受容、他者信頼、そして他者貢献。 全ての道は、そこへ向かっているのかもしれません。

 

人民の学校

■20190523(木曜日:晴れ)

 

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今回投宿したPan Pacific Melbourneホテル・フロントです。

 

■今朝はゆっくりと休みました。昨日はさすがに疲れました。朝10 km を走り、仕事も無事にこなしましたが、さすがに疲れが蓄積してしまい、一日中気だるい思いをしました。早々に床に入り休みました。そのおかげか、今朝は気持ちも少し軽やかになりました。

 

今日は最後の学校検診です。午前中休診にして、二つの小学校を回る予定です。そして昼休みにはロータリークラブの例会があります。今日はいつも司会役をしているSAAの土屋さんが、仕事の関係でどうしても出席できず、副SAAの私が代役を務めなければなりません。今日の例会には、静岡第二グループの山口ガバナー補佐がお越しになりますので、粗相のないように会の進行をしなければなりません。いろいろありそうな1日になりそうです。

 

■5月20日付の東京新聞社説では、「民主主義を学ぶために 市民裁判員10年」と題して書かれています。 市民の司法参加は現代では先進諸国で広く行われており、米国の陪審制、西欧の参審制などがあるようです。

 

刑事裁判に市民の感覚を反映させる目的で、2009年5月21日に導入されたのが裁判員制度だ。二十歳以上の有権者から選ばれた市民6人が、裁判官3人とともに審理する。殺人や強盗致死傷など最高刑が死刑又は無期懲役・禁錮か故意に被害者を死亡させた事件だ。

裁判員は操作結果の追認ではいけないし、真実を見抜く眼力も欲しい。プロ裁判官と違い、市井の人として、それぞれの良識を活かしたい。

 

最後に社説は、こう結ばれています。

 

19世紀のフランスの政治思想家トクヴィルは米国の陪審制についてこう記した。

「人民の審判力を育成し、その自然的叡智を増やすように役立つ〈中略〉無料の、そして常に公開されている学校のようなものである」

 

単なる裁判ではなく、民主主義を養う人民の学校であると看破したのです。長い歴史を持つ陪審と比べ日本はまだ10年しか経っていません。この制度を、民主主義を成熟させる良き学校としたい、と社説は結んでいます。

 

私もまさにその通りだと感じています。こうした時にいつも思い出すのが、映画「12人の怒れる男」です。 英語の勉強にもなると思い、字幕には英語のセリフが出てくるようにデジタル処理したファイルをスマホに入れておき、時間が取れた時には繰り返し観るようにしています。 とてもよくできた映画だと、何度見ても思います。縁もゆかりもない、全く見知らぬ者同士である12名が一箇所に集まり、陪審員として議論を戦わせるわけです。 それぞれ異なる背景を持ち、異なる人生を歩んできた個性ある12名の議論の様子は、まさに人民の学校そのものなのです。12名は、それぞれ名前も知りません。映画の一番最後の部分、not guilty の結論が出て全員が裁判所を出ていく場面で、陪審員の一人が、ヘンリー・フォンダ演ずる陪審員に、 名前を尋ねる場面があります。お互い名前を伝えあって、そして別れるのです。ただ、それだけです。裁判員を務めることになった方には、ぜひ一度この映画を観てもらいたいものだと私は思います。

 

裁判員制度

■20190521(火曜日:豪雨)

 

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昨年Melbourneを訪れた際に投宿した Swanston Hotel です。隣が有名なチョコレート屋さんです。

 

■今朝はゆっくりと休みました。昨夜の天気予報では、今日の昼までは大雨の予想です。その予想通りに、昨夜から降り始めた雨は、午前7時4分現在、激しく降り続いています。 予定されていた小学校の遠足も午後からに延期されたようです。こんな時はジタバタしても致し方ありません。静かに雨音に聞き入るか、黒い雲に覆われた空を眺めるかしかありません。

 

■さて今朝の朝刊には、「裁判員・強制起訴施行10年」と題して記事が掲載されています。共同通信が行った全国の裁判員経験者へのアンケート調査によると、「判決に市民感覚が反映された」と回答された方が92%でした。こうした市民が参加した判決を、裁判官だけで審理する控訴審が覆す割合が、昨年は1割を超えています。「経験してよかった」が87%、「ある程度」が11%となり、ほぼ全員が肯定的な評価を示しています。「裁判員制度を続けるべきだ」としたのは84%。「やめるべきだ」は3%。「分からない」 は13%でした。

 

私は裁判員制度を経験したことはありませんが、アメリカの制度である陪審員制度を描いた名作「12人の怒れる男」を何度も観ていますので、少しは想像できるのではないかと思っています。陪審員制度では、有罪か有罪でないかを、12対0になるまで議論を続けて決着をつける方式のようです。 有罪か無罪かを決めるわけではないところがミソでもあります。 映画の中では何度も「reasonable doubt 」 という言葉が語られます。 つまり、どう考えてもおかしいという点が拭い去れないのであれば、それは有罪にはできない、という考え方です。 被告は有罪であるということを立証する責務が、検察官にあるのであって、自分自身が無罪であることを立証する責任が、被告にあるわけではないのです。その点は憲法に保障された個人の権利であると、映画の中では陪審員の一人であるヘンリー・フォンダが語っています。 法律には、もちろん私は詳しいわけではありませんが、映画を観ながら思うことは、この点がアメリカと日本では違っているように感じるのです。 まさかそんなことはないとは思いますが、日本では自分自身が無罪であることを被告自身が立証しない限り、有罪になってしまうのではないかとすら感じてしまうのです。

 

アメリカのテレビ映画「Law and Order 」を観ていると、アメリカの容疑者がまず言うことが、「弁護士を呼んでくれ」です。アメリカでは弁護士の立会いを要求することは、当然の権利なのです。残念ながら、日本では異なるようです。 そして裁判所で、まず決めなければならないことが、保釈するかどうかの決定です。検察官が勾留請求の理由を述べ、それを裁判官が勘案して保釈するか勾留するかの決定を下します。拘留期間の長さの違いも、両国間の裁判制度の違いを反映してるようです。 それぞれの国にはそれぞれの文化・歴史がありますので、どちらかが正しくて、どちらかが間違っている、というものではないのでしょうが、もしも自分が被告の立場に立たされたとしたら、どちらの制度を希望するかは明らかであるように私は感じます。

 

reasonable doubt 合理的な疑い、についてはWikipediaには、以下の記載がありました。

 

日本の刑事訴訟において、裁判所が公訴事実を認定するには、当該事実につき「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証」あるいは「合理的な疑いを超える証明」が必要であるとされる。ここでいう「合理的な疑いを差し挟む余地がない」というのは、「反対事実が存在する疑いを全く残さない場合をいうものではなく、抽象的な可能性としては反対事実が存在するとの疑いをいれる余地があっても、健全な社会常識に照らして、その疑いに合理性がないと一般的に判断される場合には、有罪認定を可能とする趣旨である」とされる(最判平成19年10月16日)。被疑者及び弁護側からみれば、無罪を主張する際には容疑について完全無実を証明する必要は無く、犯罪行為を行ったことについて合理的な疑いを示すことができればよいことになる。

戦後、英米法から導入された概念であり、アメリカでは、陪審員は「合理的な疑い」が排除されない限り、有罪の評決をしてはならないとされる。

 

海鳴り

■20190518(土曜日:曇)

 

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Melbourne市内の青果店です。朝日を浴びて輝いています。

 

■今朝は5時15分に目覚ましを鳴らして起きだしました。昨日10 km 以上走りましたので、今日は休養日です。そして土曜日です。一週間の仕事が終わる日です。今週の学校検診で、全ての担当学校を回ったと誤解していましたが、来週もう一回残っていました。それで私の担当は終わりです。

 

子どもたちの数が本当に減りました。自分の子どもたちが通っていた小学校では、クラス数が激減し、今では各学年ひとクラスになってしまいました。一時期はその小学校のためだけに新しい中学校をつくろう、という意見も出ていたようですが、今では他の小学校との合併が議論されています。 いつのまに、こんな状況になってしまったのか。当然マスコミでは以前から報道されていたのでしょうが、こうして自分自身が仕事の一部として関わると、その変化の大きさを痛感します。

 

身近に子どもたちの元気な声を聞く機会が、ほとんどなくなりました。 社会全体で子ども達を支える政策をとることで、 日本の未来を考えていくことが、喫緊の課題ではないでしょうか。

 

■今朝の東京新聞・筆洗には、廃プラの輸出などを規制するバーゼル条約の改正が決まったことを報じています。 中国が輸入禁止を決めたために、 輸出することで処分を回避してきた日本も、国内での処理の対応を迫られています。

 

この記事の書き出しは以下の通りです。

 

作家の藤沢周平さんに故郷山形の海に触れた随筆がある。海沿いのホテルで夜、眠れずに、海鳴りをしばらく聞いた。心に浮かんできたのは単純な懐旧の情ではない。

〈若さにまかせて、人を傷つけた記憶が、身をよじるような悔恨を伴って甦る〉

海の声と形容されることもある波音や海鳴りは、美しい思い出だけでなく、過去への悔いもかきたてようか。

 

と、続けています。大好きな藤沢周平さんの作品を、再読してみたくなりました。

 

この瞬間

■20190516(木曜日:晴れ)

 

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Melbourne 市内の The Tea House です。

 

■今朝は走らずに5時15分に目覚まし時計を鳴らしました。昨日の朝は10 km 走りましたので、今朝は無理をせずに休養です。風もなく、ひんやりとした空気に包まれた爽やかな朝です。昨日は新聞を読んでいて、二人の方が亡くなられたことを知りました。女優の京マチ子さんと、米国を代表する歌手そして女優であったドリス・デイさんです。京マチ子さんといえば、私にとっては映画「羅生門」でした。その妖艶さは強烈な印象を与えました。

 

一方ドリスデイさんについては、ヒッチコックの映画に出演されていたのを何度か観ました。

 

1953年の西部劇風ミュージカル映画『カラミティ・ジェーン』の大ヒットで人気を不動のものとした。1956年のアルフレッド・ヒッチコック監督作品『知りすぎていた男』の劇中で歌った『ケ・セラ・セラ』が大ヒットし、アカデミー歌曲賞を受賞した。

 

映画の中の彼女は、健康的で明るく朗らかな、まさに戦後アメリカを代表する、理想的な女性像だったように思います。ところが十歳の時に両親が離婚し、彼女自身も生涯に4度も結婚しているのを知ると、そう単純でもないようです。今朝の東京新聞筆洗には、 彼女の生涯が書かれていました。

 

12歳の時には父親が家を出て行った。寂しい生活にも夢があった。ダンサーになる。幼い時からレッスンを受けてきた。 大きな街へ出て、ダンスで生きると決意する。悲劇は出発の前夜に起きる。少女が乗った車が列車に衝突し、大切な脚に大けがを負う。ダンサーの夢を諦めた。長い入院生活の中で一つの楽しみに出会った。ラジオから流れる音楽である。自分もそれに合わせて歌う。上手に歌える。今度は歌手を目指そう。やがて少女は米国を代表する歌手、そして女優となる。

 

大ヒット曲『ケ・セラ・セラ』は、小さな娘が母親に質問をし、それに対して母親が答えるという歌詞でした。私は大きくなったら美人になるかしら、私は大きくなったらお金持ちになるかしら、といった具合です。 それに対する母親の答えが、ケ・セラ・セラ(なるようになるのよ)、というわけです。確かにその通りに違いありません。未来のことなど分かりようがないのです。アドラー心理学を広く知らしめた大ベストセラー「嫌われる勇気」に書かれてあった印象的な部分には、こうあります。

 

過去に起きたことなどは今の自分には何の関係もない。未来のことなど分かりようもない。人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那なのです。そしてふと周りを見渡したときに「こんなところまで来ていたのか」と気づかされる。

 

だから、アドラーの言うように、「いま、ここにスポットライトを当てて、ダンスを踊るように生きていく」しか無いのです。ドリスデイも、きっとそのように生きたに違いありません。

 

右翼療法

■20190514(火曜日:雨)

 

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メルボルン市内の様子です。1956年にはオリンピックが開催されました。

 

■今朝は走るつもりで5時に目覚ましをかけていました。ところが午前2時過ぎでしょうか激しく雨が降ってきて、その雨音で目が覚めてしまいました。窓を開いていないか、起きだして確認して歩きました。 結局6時まで寝てしまいました。生ゴミを所定の位置に運び、新聞を取って家に戻りました。いつものように朝食をとり、今こうして入力をしています。

 

今日は午前中、学校検診です。今日で受け持ちの学校すべてが終わります。 学校医としての関わりは、新年度早々の学校検診と、秋の就学時検診が主なものとなります。 昔と違って子供たちの数が減りましたので、どんなに生徒数の多い学校でも、私の場合は2日に分けてすることはありませんけれども、 その度に休診にして出かけなければなりませんので、 帰ってきてからが大変です。

 

■東京新聞朝刊の連載「私の東京物語」は、現在作家の雨宮処凛さんが執筆されています。雨宮さんの本を私は読んだことはなかったのですが、この連載記事を読みながら、ぜひ雨宮さんの本を読んでみたいと思うようになりました。 今朝の題名は、まさかの「右翼療法」、です。大変興味深いと共に貴重な示唆に富んでいると感じました。 生きづらさを抱えて悪戦苦闘している雨宮さんが、 作家見沢知廉(ちれん)さんとの出会いを通して変わっていった自分を、正直に綴られています。

 

それまで、自分が生きづらいのは全て自分の個人的な資質のせいで、いじめられたのも人生がうまくいかないのも貧乏なのも、全部自分が悪いのだと思っていた。しかし、右翼の人たちは「アメリカ」と「戦後民主主義」が原因だと言うではないか。生まれて初めて、私は「免責」された。

 

そして、その右翼団体に入った雨宮さんは、それまであんなに激しかったリストカットがピタリと止まったというのです。「右翼療法」だった、と形容しています。

 

1997年。バイトもしょっちゅうクビになり、大学には入れず、就職氷河期で就職など夢のまた夢、 東京には家族もいなければ地域社会にも属さない地方出身フリーターの私には、所属する中間団体が一つもなかった。そんな私は「国家」に優しく包摂された。

 

と、書かれています。 雨宮さんと似たような状況下で悪戦苦闘している人達は数多くいるに違いありません。 結局のところ、どのように生きていくかを決めるのは自分自身でしかないのですが、自分一人だけの力で生きていける人がいないことも確かなのです。人生とは、所属感を求めての旅だ、という言葉を思い出します。

 

命の宿命

■20190513(月曜日:曇)

 

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ご近所さんの庭の様子です。

 

■昨日は朝10キロを走った後、午前中に沼津千本浜の海岸清掃ボランティア作業を行いました。沼津西ロータリークラブの奉仕活動です。加藤学園インターアクトクラブの皆さんと一緒に例年行っています。朝の9時半に集合して、皆さんの写真を撮ってから、軍手とビニール袋と ゴミはさみの3点セットを皆さんに配って海岸に向かいました。防波堤を越えて海岸に降りてみると、ゴミの少なさに驚きました。クラブでの清掃活動はもう20年以上続いていますが、これほど海岸にゴミの少ないことは記憶にないほどです。後で聞いてみると、海岸沿いの自治会の皆さんが、定期的に集まって清掃作業をしてくださっているようです。そのおかげで例年に比べてゴミが少なかったようです。それでも1時間ほどの作業で、ゴミ袋が50袋弱も集まりました。

 

例年よりは少ないものの、どうしてこのようなごみを放置する人々がいるのかと、本当に腹立たしく思うとともに、悲しくなってしまいます。 きっと海の中には目には見えないものの、膨大な量のゴミが堆積しているに違いありません。いずれ海の中に住む魚の重さよりも、廃棄されたプラスチックの量の方が重くなるだろうという予測は、決して荒唐無稽ではなさそうです。ホモサピエンスとは、決して賢い生き物とは思えないのです。

 

■ボランティア活動から帰ってきて少し休んでから、連休の間溜まっていた新聞の整理をしました。オーストラリアへ出かけていた間に読み損なった新聞です。平成から令和へと、歴史的な転換の時期だったのですが、たまたま出かけていたために、そうした日本国内の熱狂を実感することはありませんでした。 私自身が令和への移行を実感したのは、連休が明け仕事を始めた朝、 コンピューターを立ち上げて患者さんの記録を入力し始めた時です。日付の欄が「h」から「r」へ変更されていることに気づいたのです。この時はっきりと、時代が変わったことを実感しました。 平成天皇が本当に退位されて、令和天皇が即位されたことを実感したのです。

 

私がクリニックを開業したのは平成元年でした。そしてその平成の間に、3人の子供達は成長し、一人前の社会人として自立し家庭を持ちました。我が家族は、まさに平成と共に成長し、平成の終焉とともに、 三つの家庭に別れて行ったのです。細胞が分裂し増殖していくように、 それは生命の宿命です。これまでも、そしてこれからも、永遠に続いていくに違いありません。

 

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