2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

カテゴリー: 残日録 Page 102 of 152

雪解け

■20190412(金曜日:雨)

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北陸新幹線、かがやき号です。

■今朝はゆっくりと休みました。6時に目覚ましをかけて起きだし、 Sun が用意してくれてあった生ゴミを持って公園まで出かけました。玄関から歩いて30秒です。黒い雲が空を覆っているものも、雨は降っていませんでした。 雨が降り出し、今7時33分ですが雨が降り続いています。どうやら今日は一日雨のようです。

昨日は昼休みに久しぶりにロータリークラブの例会がありました。 御殿場に住んでおられる会員の方とお話ししてみると、一昨日の冷え込みで御殿場では雪が降ったようです。4月に入っていますのでタイヤは通常のものに交換してしまい、季節外れの雪に大変困った、と言われていました。Nonちゃんは交換をしていなかったようなので、それはそれで大正解でしたが、もうそろそろ替えた方が良さそうに思います。

もう30年以上前になりますが、私が富山で住んでいた頃には、まだスパイクタイヤを使用していた時代でした。確か3月15日が交換の日だったように記憶しています。 タイヤを交換し、ようやく春がやってくるのかな、と実感できる嬉しい日でした。 雪国では文字通り、目に見えて季節の変化が実感できます。一面真っ白だった視界の中に、次第に緑が現れ、そして色とりどりの花が咲いていくのです。雪との戦いは決して綺麗事だけではすみませんが、 今となってみると、とても良い思い出です。

亡命者

■20190410(水曜日:雨)

富山県護国神社近くで撮りました。
富山県護国神社近くで撮りました。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日の夜の天気予報では、 西から低気圧が近づき雨が降る上に、北の低気圧のために冷たい空気が入り込むために、関東地方でも平野部で雪が降る可能性があるとのことです。日中の最高気温が、札幌よりも東京の方が低いとも予想されています。さすがに今日は皆さん外出を控えるのではないでしょうか。昨夜は掛け布団の上から薄手の毛布をかけて休みました。今朝は5時38分に目が覚めて起きだし、ビニールゴミを持って雨の中を、所定の公園前まで傘をさして行きました。まだ、それほど強い雨ではありませんでした。

■さて今朝の東京新聞「この道」欄では、歌手の加藤登紀子さんが、「あなたに捧げる歌」と題して第2回目を書かれています。今日の題名は「ハルビンの詩」です。ご両親が昭和10( 1935)年、新婚生活を始めたハルビンを、昨年12月に旅行をされました。当時のご両親の様子を綴られていますが、最後にこう書かれています。

父や母が一緒に暮らしたロシア人の多くは、ロシア革命の時に亡命した貴族や思想弾圧を受けた文化人、ユダヤ人など、国籍を持たない移住者たちだった。守ってくれる国がなくても、伝統や食習慣を守り、音楽の絶えない彼らの生き方に、母はたくさんのことを教えられた。敗戦ですべてをなくした戦後の荒波を毅然と生きぬくことができたのは、彼らを見ていたからだと、母は言っていた。

私などのように日本に生まれて日本で育った人間には、亡命者の生活など想像もできません。多くの日本人にとっても同様でしょう。しかし考えてみれば、1945年8月を境にして日本人は、いわば庶民全員が亡命者のような状態に突き落とされたのではないでしょうか。何しろそれまで信じてきた一切のものが、一気に崩れ落ちてしまったわけですから。 道徳も、そして国自体も。そう考えると加藤さんのお母さんが言われていたことに、とても納得できるのです。

国の形

■20190407(月曜日:雨)

松川沿いの桜です。
松川沿いの桜です。

■今朝は目覚ましを5時に合わせて走るつもりでした。目覚ましの音で目を覚まし耳を澄ますと雨音が聞こえてきました。起きだして窓を開け外を見てみると地面が結構濡れています。これでは走ることはできませんので、目覚ましを、もう一度6時に合わせ直して、眠りにつきました。6時に起きだして玄関を出てみると、雨脚がかなり強まっています。週末に、この雨が降ったら大変でした。お天気の神様は、今回の味方をしてくれたようです。

■昨日は統一地方選の前半戦でした。41道府県議選と17政令市議選が行われましたが、道府県議選では総定数に占める無投票当選者の割合は、過去最多の26.9パーセント。四人に1人が有権者の審判を受けないで、議員に就くことになります。 私自身は土曜日の午後から出張でしたので、木曜日の午後に期日前投票を済ませていました。 県議会議員選挙の沼津選挙区も、選挙区の定員4人に対して、新人が一人立候補したために無投票とはなりませんでした。 しかし得票率の低迷が続いています。

政治はとても大切です。自分たちの未来、或いは幸せを決定すると言っても、言い過ぎではありません。低得票率が続いている間に、国の有様は、どんどんと劣化しているのです。 自由に投票できる民主主義国家では、とても皮肉なことなのですが、それが現実なのです。国民はそのことに気づいていないか、あるいは気づこうとする様子もありません。 国民が着実に豊かに幸福になっているのなら、それも良いかもしれませんが、そう信じることのできる方は、多分少数派であるに違いありません。

先週末富山を訪問した際に驚いたのは、花見を楽しむ市民の中に、多くの外国人と思われる方がいたことです。外国語が飛び交っていました。観光客には見えませんでした。 日本はすでに立派な移民大国のように思えます。知らない間に、なし崩し的に、国のあり様が変わっていくのは、アメリカの現状を見ると、とても心配になります。ごまかしの数字でなく、ごまかしの説明でもなく、きちんとした予想を国民に開示して、国の形を議論していかないと、とても危ないのです。日本の民主主義も、私たちが考えているほど、強靭ではないのかもしれません。

歴史の重み

■20190406(土曜日:晴れ)

新沼津カントリークラブの桜です。
新沼津カントリークラブの桜です。

■今朝はゆっくりと休みました。 昨夜は夕食後に時間が取れましたので、録画してあったルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「山猫」を最後まで観ることができました。イタリアのシチリアを舞台にした映画です。シチリアの歴史を知っていれば、より深く映画を理解できるのでしょうが、残念ながら私にはその知識がありません。ただ私の一番の愛読書である、「地中海のほとり」に、シチリアの歴史に触れた一章があり、とても興味深く読みましたので、全く予備知識がない、というわけでもなかったのです。

ヴィスコンティ監督自身が貴族の末裔だったそうです、自分自身が消えゆく階級の一人であった、という背景が色濃く映画の中に出ています。 何百年にも渡る貴族たちの家系が持つ重みが、ひしひしと感じられるのです。 そして時代は、その貴族たちを舞台から葬り去ろうとしているのです。 新しく勃興する階級、そして消え行く階級。いつの時代にも、そしてどこの国でも繰り返されてきた歴史の一部です。 一つの階級が消え去るということは、一つの文化が消え去るとも言えます。

彼らが長い時間をかけて築き上げてきた文化。それは衣装であったり、絵画であったり、料理であったり、ダンスですらあります。そうした消えゆくものへの哀惜が色濃く感じられるのです。 長い長い年月をかけて築き上げられた、こうした文明の重圧が、アメリカ社会には無いのかもしれません。 それがアメリカ社会の素晴らしい点でもあり、 同時に難しさなのかもしれません。

そんなことを強く感じた映画でした。

電子書籍

■20190405(金曜日:晴れ)

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国道1号線バイパス沿いの桜並木です。もう少しで満開です。

■今朝はゆっくりと休みました。朝方冷え込むまでは、暖かな夜でしたので、掛け布団を一番薄手のものに変えました。 ところが朝方の冷え込みで、今度は寒くて寝付けなくなり、再び掛け布団を掛け替えることになりました。 今日は暖かいものの、風が強くなるという予報です。毎日、毎日天気予報に一喜一憂しながら、天候の変動に振り回されています。暖かさと寒さが、 入れ替わり立ち代わり、舞台に登場するような毎日です。

■私より十歳年上の先輩と、昨日お話をする機会がありました。もう本を読むのが億劫になってしまい、最近はほとんど本を読まなくなった、とお話しされていました。その気持ちは、とてもよくわかります。 高齢者が印刷された本を読むことに困難さを覚えるのは、次の2点にあると、私は思っています。一つは文字の大きさです。老眼鏡をかけなければならないのはもちろんですが、それでも文字を追うという仕事は、なかなかに負担が大きいのです。もう一点、私が感じるのは、ページをめくるという行為が、若い時に比べてずっと面倒になってきた、という点です。指先の感覚が衰えてきているのでしょう。文庫本などの小さくて、使用されている用紙が薄い書物の場合、その困難さを特に感じます。

しかし年をとればとるほど、楽しみの中に占める読書の割合は、若い時よりも、むしろ大きいように私には思えます。年をとればとるほど、外へ出ることが億劫になりますし、活動することも面倒になってきます。 多くの高齢者は、こたつに入ってテレビを見続けるという生活が、結局ほとんどになってしまいます。 もちろん、それはそれで悪くはありません。誰に迷惑をかけているわけでもありませんから、それはそれで良いのですが、ただもったいないような気がするのです。生きている限り、考えること、そして体を動かすことを、続けていきたいと私は思っています。考えるためには文字を読むことが不可欠です。そしてアウトプット、つまり考えたことを文章として記録していくことも、とても大切だと思うのです。考えているだけでは、空を漂う雲のようなもので、とりとめもなく、あっという間に消え去ってしまいます。文字という形に固定することは、考えをまとめる上で不可欠なのです。

そこで電子書籍の出番です。昨日の先輩にお話を伺うと、 電子書籍は利用されていないようです。とてももったいないと、私は思うのです。電子書籍を利用するためには、特別な能力や、多くの資金が必要なわけではありません。極端に言えば、今ではスマホがあれば電子書籍を読むことができます。ただしスマホでは文字が小さすぎて、高齢者には難しいと思います。液晶画面というのは、とても綺麗ですので、映画などを楽しむには最適なのですが、長く文字を読み続けると、やはり負担が大きいのです。絵画についての本、あるいは写真を多用した本などでは、カラー写真を綺麗に見ることができますので、確かに液晶画面が最適です。しかし文字だけを読むのであれば、液晶画面よりも、むしろ白黒画面で読む方が、ずっと目に対する負担は少なくて済みます。eInkの出番です。 昔と違い、技術も進歩しましたので、この電子インクの画面は印刷された書物を読むのと、ほとんど変わらずに読書を楽しむことができます。 代表的な製品が、 Amazon の Kindle です。日本語が表示できなかった頃からの利用者である私には、その進歩には、文字通り目を見張る思いがします。ページの移動なども、とてもスムーズになりました。改良して欲しい点は、まだまだありますが、その利便性は、印刷された書物を十分上回っていると思います。

楽天も今では、Koboという電子書籍用の端末を発売しています。外国の会社を買収して発売しているはずです。私はこの製品を利用したことはありませんので、 Kindle との違いは分かりません。ただ Kindle ではKobo 用の電子書籍を読むことはできませんし、その逆も然りです。 Kindle にはなくて、Kobo 用にだけ発売されている電子書籍というものがあるのかどうかは、私には分かりません。 どちらかだけにしか対応していない電子書籍があれば、私たちは端末を二つ用意しなければならないことになります。これは、とても不便です。そうしたなか、最近中国のある会社が、こうした電子書籍用の端末を発売していることを知りました。Likebook という製品です。 eInk を使用した、画面の大きさも Kindleよりも大きい、 Android 端末という製品です。こうした製品が、日本の会社からではなく、中国のベンチャー企業から発売されているというのが、今の実情なのです。

先輩に電子書籍の利用を勧めてみようと思っています。

文化財

■20190403(水曜日:晴れ)

伊豆半島。恋人岬の休憩所です。
伊豆半島。恋人岬の休憩所です。

■今朝はゆっくりと休みました。昨夜の天気予報では、今朝の冷え込みはプラス1度でした。真冬並みの冷え込みです。ということで準備をして布団に入ったのですが、夜中に暑くなってフリースを脱ぎ、薄手の毛布を外しました。しかし明け方になって、やはり冷えてきたようです。薄手の毛布を掛け布団の上に、かけ直しました。5時半に起き出してビニールゴミを所定の位置においてきた後で、朝食をとりました。今朝の朝食は、コーヒー一杯、バナナ一本、納豆一パック、そしてヨーグルトでした。月曜日の夜、そして昨日の夜と、夕食が重めでしたので、今朝は軽めにしました。

■今朝の東京新聞「本音のコラム」欄では、文藝評論家 斎藤美奈子さんが「文化財への道」と題して書かれています。元号が次第に文化財への道をたどっているのではないか、という趣旨の内容です。 例えば、こう書かれています。

それでいくと平成は、昭和以上に元号が形骸化した時代だった。東日本大震災が平成何年だったか覚えています?答えは平成23年だけど、単に何年かと問えば、多くの人は2011年と答えるはず。ーー行政文章で使用されているとはいえ、合理性や国際性が求められる時代に、元号は合わなくなっている。直接生活の役には立たないが、歴史的・文化的な価値があるものを文化財という。従来の機能を失った現在の元号もすでに文化財に近い。

なるほど、たしかに一理あると思います。そして最後にこう書かれています。

ことの性質からいけば、元号は内閣と切り離し、文化庁か宮内庁の所管にしたっていいほどだ。政治利用よろしく首相が得々と意味を解説するなんて醜悪な姿も見なくて済むし。

確かに、首相の長々した解説には、うんざりでした。そしてそれを、営々と放映し続けるテレビ局は、さらに醜悪でした。

山猫

■20190330(土曜日:曇)

バイパス沿いの沼川で、親子連れのカモが水遊びをしていました。
バイパス沿いの沼川で、親子連れのカモが水遊びをしていました。

■今朝はゆっくりと休みました。と言っても、5時半には起き出しました。昨日の朝走って、月100 km の目標を達成しましたので、次の月に向けての休息としました。今日は夕方からTakuとYukoさんが来沼します。戸田の民宿に一泊する予定です。 Takuも仕事を始めてから、まるまる1年以上経ちました。どんな様子なのかを聞いてみるのも楽しみです。

■さて昨夜は、録画してあったルキノ・ヴィスコンティ監督の「山猫」を観ました。シチリアの歴史を描いた作品です。 新しい時代の到来と共に、古い社会が滅びて行きます。 その中で人々は、どのように生きていくのか。 永遠のテーマに違いありません。

平成に入り冷戦が終焉しました。旧ソ連から多くの国々が生まれましたが、 この様子は惨状と呼ぶにふさわしかったようです。ロシアでは、社会のあまりの変化に人々がついていけず、アルコール中毒から亡くなる人が増え、成人男性の平均寿命は先進国の中でも最悪の状況となったようです。 それまで国有財産であった多くのものが処分されましたが、結局のところ、片手で足りるほどの人々が、ほとんどの資産を保有するという極端な社会になってしまったのです。 オリガルヒと呼ばれる人々です。Wikipedia で調べてみると、

ロシアの新興財閥は、ソ連時代の社会主義的政治・経済体制から、資本主義体制に移行する過程で形成された。旧ソ連体制下で国有財産であったはずの所有権が、いかに民間に移転されていったかについては不明な点が多いが、2000年代初頭の日本の経済財政諮問会議や、総合規制改革会議とその後継の規制改革・民間開放推進会議による民間有識者主導の意思決定で、グリーンピアやかんぽの宿・メルパルクなどの郵政関連施設の売却が行われたように、一部の政治家と官民の癒着により、立法措置を含んだ違法性を問いにくい手続きがとられたとみられている。

何のことはない。日本でも同じようなことが行われていたのですね。そして日本では、現在進行形で引き続き、同様の処理が行われつつあることを忘れてはならないのです。

リコーダー

■20190328(木曜日:曇)

新沼津カントリークラブの雲です。
新沼津カントリークラブの雲です。

■今朝はゆっくりと休みました。昨夜は5時半に目覚ましを合わせて休みました。 先日録画してあった「椿三十郎」をブルーレイディスクに保存しました。 現在使っているテレビ番組を録画するためのブルーレイレコーダーが、かなり古いのです。パナソニック製で性能には不満はないのですが、ハードディスクの容量が500 MB しかなく、ほとんど満杯なのです。撮りためてあった子供達の小さかった頃のビデオも、ほとんどはカセットテープタイプだったのですが、なんとかデジタル化して、このレコーダーに保存してあります。それを再度 DVD に落とし込んであるのですが、 ディスクの場合は、どこにどんな内容のビデオが保存されているのかを探し出すのが大変なのです。

現在では、録画用のリコーダーのハードディスクの容量は、テラバイトが当たり前で、余裕を持って録画できますが、昔はそうではありませんでした。Sunが 地元の家電量販店で購入してきた録画用の外付けハードディスクの容量は、2テラバイトです。録画する際の画質など気にすることなく、どんどん録画することが可能です。先日私も外付けのハードディスクを購入して、自分用に使用しようと考えたのですが、残念ながら、我が家のシャープ製のテレビには、外付けハードディスクは1台しか接続できませんでした。

ということで、昔ながらのブルーレイレコーダーに、 苦渋の選択の上に、削除、削除を繰り返しながら、本当に残しておきたい番組、あるいは映画の録画をし、ブルーレイディスクに書き込んでいます。録画する際に画質を、 DVD 用のXPでなく、ハイビジョン用のHL以上で録画すれば、ブルーレイディスクに書き込むときに、1時間半の作品でも10分ほどで書き込みが終了します。ところが XP で録画してしまうと、ブルーレイに書き込む際に、1時間半まるまるかかってしまうことがわかりました。 一つ賢くなりました。

こうした方法で、先日録画した「用心棒」と「椿三十郎」を無事に、ブルーレイディスクに書き込むことができました。今日予約してある番組は、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「山猫」です。私の一番の愛読書「地中海のほとり」にも登場する作品です。 シチリアの歴史を描いています。最後まで観たことがありませんので、いずれ時間を作ってゆっくり見るつもりです。

■パソコンの世界も昔と違って様々な製品が販売され、興味が尽きません。 Windows 95が発売されてからは、パソコンと言えば Windows パソコン。デザイナーや医師などは好んでマッキントッシュを使っていましたが、 良きにつけ悪きにつけパソコンはウインドウズに席巻されました。 パソコン用のソフトも昔はパソコンを販売している、その会社専用のソフトを購入しなければなりませんでしたが、 Windows 以降では、 Windows 用のソフトを購入すれば、互換性に問題はなくなりました。事実上の標準が決まるということは、そういうことです。ディファクト・スタンダードというやつです。現在に例えると、 QR コード決済のようなものです。形式が乱立しています。まさに百花繚乱です。 いずれ収斂されていくでしょう。

ところが2011年に、全く新しい形のパソコンが発売されました。それが chromebook です。 数年前でしたでしょうか、学会出席のために東京に出かけた際、有楽町の家電量販店で、パソコン売り場に立ち寄りました。担当の方に、Chromebookは置いていますかと、尋ねてみたのですが、そんなもの聞いたことはない、という表情でした。アメリカでは、学校現場におけるパソコンの約6割のシェアを、Chromebookが占めているそうです。アメリカの Amazon . com のサイトでChromebookを検索してみると、以前に比較して、かなりたくさんの種類のChromebookが発売されていることがわかります。それだけ需要があるということです。

Chromebookとは、簡単に言えば、 Windows の代わりに、 Google 版のブラウザであるchrome だけが利用できるパソコンということです。そんなもの何の役に立つのかと、多くの方は思われるかもしれませんが、デジタルデータを保存するための経費が、ほとんどゼロに近づいた現在では、情報をクラウド上で処理し保存しておけば済みますので、自分のパソコン上で情報処理する必要がほとんどないのです。つまり自分が使用しているパソコンの性能に関して、以前のように、いかに強力で、短時間で情報を処理してくれるかを競う必要がないのです。 言い換えれば、中央演算装置 CPU を独占しているインテルの言いなりになる必要がなくなった、とも言えるのです。Chromebookは、 Windows パソコンに比較すれば、ずっと安価ですし、同時に非力です。

私が今この入力のために使っているのは、 Acer  Chromebook R 13です。タッチパネルタイプですので、スマートフォンのように、画面をタッチすることで処理もできます。今は七つのタブを開いて、それぞれで同時に違う処理を行っています。この画面では、 Google ドキュメントで音声入力を利用し原稿を入力しています。そして作り上げた原稿を別の画面で、読み上げソフトを使って音声に変換し、文章に間違いがないかを確認しています。そのようにして出来上がった原稿を、さらに異なった画面で立ち上げてあるブログソフトを使って、ブログを更新しているのです。 とても便利です。色々試してみましたが、今のところ私にとっては、この方法が最適のようです。こうした使用方法にとっては、 Windows パソコンは向いていません。とても使いづらいのです。

昨日こうしたChromebookに、今まで知らなかった製品があるのを知りました。 Poin2 Chromebook 14(2018)です。韓国の会社の製品です。他の会社でChromebookの開発に携わっていたメンバーが、新しく立ち上げたベンチャー企業のようです。アメリカで発売されているChromebookを製造・販売しているのは、ヒューレットパッカードであったり、 Dell であったり、エイサー、 Lenovo といった錚々たるメンバーです。その中には、韓国のサムスンも含まれています。Samsung 製のChromebookは、かなりの高評価を受けて、販売も好調のようです。

以前は東芝製のChromebookも、アメリカでは発売されていて、それなりに人気がありましたし、私もアメリカから個人輸入して使用しましたが、とても良くできていて私は好きでした。今でもSunの使用しているChromebookは、東芝製です。しかし残念ながら、経営危機に陥ってからは、Chromebookの製造販売はやめたようです。とても残念なことです。今や日本で製造されているパソコンは、軽くて丈夫で安心して使える、というとても高価な会社専用のパソコンしか事実上販売されていません。 もちろん、いくつもの会社が、個人向けのパソコンを製造販売しているのですが、ワクワクするような製品を作っている会社は、ほとんどありません。 とても残念です。

春眠暁を覚えず

■20190326(火曜日:曇)

新沼津カントリークラブから見た愛鷹山です。
新沼津カントリークラブから見た愛鷹山です。

■今朝はゆっくりと休みました。目覚ましを5時に合わせてあったのですが、4時半に目覚めてしまい、このままもう一度眠ってしまうと、起きだすのが辛いだろうと、目覚ましを5時半に合わせなおしました。これは正解でした。5時半の目覚ましで、 目が覚めたのですが、実に心地よいのです。暖かい布団の中で、まどろんでいる時間は、まさに至福のひとときでした。春眠暁を覚えず、とはこういう状態を言うのでしょうか。 ネットによれば、

「春眠暁を覚えず」の類語は「朝寝」
俳句の「春の季語」に「朝寝」があります。「春眠暁を覚えず」を出典として、その意味から派生した言葉です。いつまでも布団の中でゆっくりしていたい春の気分を表しています。

もとの漢詩は、以下の通りです。

『春暁』 春眠不覚暁 処処聞啼鳥 夜来風雨声 花落知多少

<書き下し文>

春眠暁を覚えず 処処啼鳥を聞く 夜来風雨の声 花落つること知る多少

(しゅんみんあかつきをおぼえず しょしょていちょうをきく やらいふううのこえ はなおつることしるたしょう)

<現代語訳>

春はぐっすり眠れるものだから、夜が明けたのに気づかず寝過ごしてしまった。

あちらこちらから鳥の鳴き声が聞こえる。

昨晩は、風や雨の音がしていたが

花はどれくらい落ちてしまっただろう。

作者については以下の記述がありました。

「春眠暁を覚えず」を詠んだのは「孟浩然(もう こうねん)」という中国唐代の詩人です。出世欲がなく、各地を放浪しながら歌を詠んだ人のようです。孟の生きた古代中国の役人は朝が早く、厳しい規律に縛られていました。そのような世俗の生活を揶揄して詠んだ歌なのかもしれません。

この漢詩を学んだのは、いつのことでしょうか。高校時代だったような気もしますし、中学の頃だったかもしれません。漢文とか古文とか、あの頃は、こんなこと勉強して何になるのかな、と試験勉強をするのが嫌で、そんなことばかり考えていましたけれども、今になって、こうして断片的にでも思い出すことができるのは、あの時授業で教えてもらったおかげです。 1,000年以上前に中国で暮らしていた人も、今朝の私と同じように、布団の中でまどろんでいたのかと思うと、 とても不思議な思いがします。 この漢詩のおかげで、いにしえの人と心が通じたと思うと、いささか大げさですが、芸術の持つ力のお陰だな、と実感するのです。

にっぽんのメロディー

■20190323(土曜日:曇)

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■今朝は6時に目覚ましを合わせて、ゆっくりと休みました。昨日の朝走り、目標達成には今月あと3回走れば間に合うところまで来ました。今朝は一休みです。昨夜は夜間救急待機当番でしたので、どこへも出かけることができませんので、片付けようと思っていた本の PDF 化を行いました。  NHK のアナウンサーであった中西 龍(りょう)さんの本です。 中西龍さんと言っても、ご存じない方が多いかもしれません。 Wikipediaによれば、

1953年に明治学院大学英文科を卒業し同年、NHK入局(同学年の同僚に鈴木健二がいる)。一人称として「私」ではなく「当マイクロフォン」を使った。1977年から1991年までNHKラジオ第1放送で放送された『にっぽんのメロディー』では、「歌に思い出が寄り添い、思い出に歌は語りかけ、そのようにして歳月は静かに流れていきます」のオープニングナレーションがリスナーに強い印象を残した。思い入れたっぷりの語り口は、アナウンサーとしては異例ながら、歌謡番組にはぴったりとはまり人気を呼ぶ。1984年6月16日、NHKを希望退職。『にっぽんのメロディー』のほか、フジテレビ『鬼平犯科帳』やCMのナレーションを担当し、フリーとして活動の場を広げる。1998年10月29日、脳梗塞のため死去。

グーグルで中西龍と検索すると、ユーチューブで、「にっぽんのメロディー」を聞くことができます。その語り口は本当に独特で、 とても懐かしく、どういうわけか自分自身が小さかった頃のことを思い出してしまうのです。たぶん日本人ならば、誰もがそのような思いを抱くのではないでしょうか。中西さんは俳句にとても造詣が深くて、何冊もの本を書かれています。 俳句の手帖(1985年)、俳句の楽しみ方、私の俳句鑑賞(1987年)などです。 たった17文字の奥に秘められた物語を、独自の解釈で、見事に描き出してくれます。 そんな物語が秘められていたのかと、驚くと同時に、 人の心の持つ情感の豊かさを、あらためて知ることができます。

せっかく購入してあったのですが、ページをめくって読むことが、指先の感覚の衰えもあって、面倒くさくなっていました。そこでスキャンにかけて PDF 化し、 Dropbox を介して、9インチのタブレットに取り込み、SideBooks というソフトで読むことにしました。ページをめくるのも画面をタッチするだけですから、とても簡単ですし、何より文字が大きいので読み進めることが、とても楽です。高齢者にとっては、読書における最高の友です。

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