2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

カテゴリー: 残日録 Page 129 of 153

黒澤明

20180323(金曜日:曇)

 

富士通沼津工場の桜です。まだまだ二分咲きでしょうか。

 

■今朝は走りました。月曜日に走ってから四日ぶりですので、ずいぶんと久しぶりの様に感じます。凍えるような雨の日があり、とても走るどころではありませんでした。これで 76.86km を積み重ね、目標まで 23.14km を残すのみです。残り8日ですから、計算上は達成可能ですが、何が起こるか分かりません。体調を崩すこともあり、怪我をする可能性もあります。最後の最後まで気を抜いてはいけません。

■さて今日は黒澤明監督の誕生日だそうです。1910年(明治43年)3月23日 – 1998年(平成10年)9月6日とありますから、今年は没後20年という節目の年でもあります。没後10年でしたでしょうか、NHK BSで特集を組んだように思います。今年はどうなのでしょうか。

「悪魔のように細心に、天使のように大胆に」というキャッチフレーズがあったはずですが、そのこだわりには逸話が尽きません。

Wikipediaを参照すると、以下の記載に目が止まります。

 

小学校低学年の頃、気の弱かった黒澤は、泣き虫でいじめられっ子だった。3年生の時、図画の時間に描いた絵が個性的であるために他の生徒に笑われる中、担任だった立川精治はこの絵を褒めるということがあった。すると、それ以来絵を描くことが好きになり、同時に学校の成績も伸び、やがて級長にもなった。後に黒澤は、立川を「生涯の恩師」と語っている。

さらに実兄の丙午(須田貞明)から厳しい指導を受けたことや、終生の友となる級友の植草圭之助に出会ったこと、父に言われ剣道を始めたことなどで、心身ともに逞しくなり、卒業式では総代として答辞を読んだ。

 

どういうわけか、たびたび入学試験に落ちているのも、天才黒澤にしては意外です。なるべくしてなったように思いがちですが、幾つもの分かれ道の後に、世界の黒澤が誕生していることに、ある意味、勇気をもらえることも事実です。

 

 

春の雪

20180322(木曜日:雨)

 

Ayaちゃん桜、河津桜もすっかり葉桜になってしまいました。

 

■今朝は、ゆっくりと休みました。昨日の天気予報では午前中は雨。午後から晴れるとのことで、無理をせずに、走るのは明日にしました。天気予報はよく当たります。午前7時24分現在、激しいと言えるほどの雨が降っています。

昨日は、まさかの寒さで、御殿場では10センチほどの雪が降り、車が立ち往生して大変だったようです。

今日は午後から急激に気温が上がり、一気に4月の暖かさが戻るようですが、本当にジェットコースターのような気候です。

■昨日はNonちゃんと三人でお寿司を食べました。寒々しい雨の降る中でしたが、三人で色々話をすることができました。考えてみると2年前にAyaちゃんがオーストラリアへ行ってから、我が家は激動のサイクルに入ったようです。物事が動くときというのは、こんな風に動くのかな、という思いです。

それまで静かに、そして密かに様々な思いが、それぞれの心のなかで現れては消えていたのでしょうが、一気に地表に吹き出したのです。

親としては、とにかく受け入れていくしかありません。信頼するしかありませんし、また実際に信頼を裏切るような選択はしていないようです。三人共、自分なりにしっかりと考えた末の結論ですから、全面的に応援するのみです。

■昨日の夜には驚くニュースが飛び込んできました。大沼沼津市長が突然亡くなったのです。2016年10月の市長選挙での、まさかの当選以来、激動の連続でしたが、任期半ばでのご逝去でした。私がクラブ会長を務めていた沼津西ロータリークラブの例会にお越しいただき、卓話をしていただいたのが、つい昨日のことのように思い出されます。

沼津駅の高架化問題で、一進一退を繰り返している市政が、これからどうなるのか、市民としては注視するしかありません。

 

 

春分の日

20180321(水曜日:雨、強風)

 

昨年の3月19日にNonちゃんと三人で名古屋へ行きました。新東名高速道路ネオパーサ駿河から見た伊豆半島です。

 

■今日は春分の日。昼と夜の長さが、ほぼ等しい一日です。「国民の祝日に関する法律」には、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日と定められています。どこの国でも、どの文明でも、昼と夜の時間が等しくなる日は、とても大切にしています。

火星に人間を送ろう、という計画すらある現代に生きる私たちは、過去の文明を軽視しがちですが、古代に生きた人々は我々よりもずっと自然と対話しながら生きていたに違いないのです。

マヤ文明の天文学的知識の凄さは、まるでミステリーのようです。科学によって得たものは、もちろんとてつもなく大きいのですが、同時に失った感覚、感受性も大きいに違いありません。

■今朝の東京新聞文化面の記事、「象徴のうた 平成という時代」はいつもながら読み応えがあります。歌人で細胞生物学者の永田和宏さんが書かれています。

今日の内容は、国民のために「為す」です。

平成八年の歌会始での皇后陛下の歌、

 

日本列島田ごとの早苗そよぐらむ 今日わが君も御田(みた)にいでます

 

を取り上げて、平成の30年は「象徴」とは、どうあるべきかを今上天皇が自ら模索続けた30年だったのではないか、と永田さんは位置づけています。そして、こう書かれています。

 

それは常に「国民のために何ができるか」という、「成すこと」を基盤においた発想以外のものではなかった。

ーーー「在ることによる象徴から、為すことによる象徴」への模索の一つの形だったのだと私には思われるのだ。

 

そして、最後にこう永田さんは語られています。

 

それ故に、体力的な衰えの自覚が、退位の決意へとつながるのは必然でもあった。退位表明の「お言葉」に対して、天皇は皇居でじっと祈ってくれれば十分だという〈有識者〉がいたが、それは平成の天皇による新たな「象徴」像の確立を無視した発言であったと言わざるをえないだろう。

 

なるほど。こうして分かりやすく解説してもらえると、平成天皇が、ぐっと身近な存在となってくることを体感できるのです。

 

 

パスポート

20180320(火曜日:雨)

 

はるか向こうに見えるのは、長泉の街のようです。

 

■雨の朝です。昨夜8時過ぎ頃から降り始めました。降ることが分かっていたので、いつもより目覚ましも一時間遅く合わせました。のんびりと寝ました。

■先週の木曜日、14日にパスポートの更新に市役所まで行ってきました。10年の有効期限が、この5月に切れるためです。前回の更新の時には駅前の県の庁舎に出かけました。現在では市に業務が移管されたようです。

前もってネットで調べて行きましたので、要領は分かっていました。必要なものは所定の顔写真と現在のパスポート、そして所定の費用だけです。必要な書類を記載した上で市役所の一階7番窓口に向かいました。

係の方が親切に応対してくれましたので、とくだん困ることも、煩わしいこともありませんでした。ただ一点感じたのは、顔写真の件です。係の方のお話では、持参した写真では幾つかの問題点があり、できたらそうした点のない鮮明なものの方が望ましい、というのです。

大きさについても、縦45ミリ、横35ミリという企画がありますが、写真ボックスで撮影したパスポート用の写真を自分で切りましたので、多少のズレは生じます。その点も言われましたが、それ以上注意されることはありませんでした。

ただ写真には眼鏡の反射が写っているために空港で認証の際に余分な時間を取られる可能性がある、というのです。10年前の写真にもメガネは装用していましたが、確かにあの頃は庁舎の中の写真機で撮った気もします。運転免許証が、未だにそうです。持参の写真は認められていません。

暗に取り直した方が良い、という感じでしたが、そのままで結構です、と答えました。今さらもう一度取り直すのも面倒ですから。それに顔認証の技術は、10年前に比べて格段に向上していますから、眼鏡の反射がほんの少し写っているからと言って認証ができないとは、とても思えないからです。

メルボルン空港でしたか、帰る時に顔写真による認証で審査を行われたことがありましたが、本当にあっという間でした。どの空港でも、こんな風に済めば空港での審査も楽だろうに、と思いました。

したがってパスポート用の写真を撮る際は、メガネは外して撮影すべきだと思いました。通常メガネを装用していても審査の時だけ外せば済むことですし、コンタクトレンズをたまたま装用していれば、そのままで良いわけですから。

個人認証の技術も年々進歩しています。10年後の再更新の時には、どんな技術が出現しているか、それも興味深いものです。

 

創造力

20180319(月曜日:曇)

 

沼津ゴルフクラブの空です。

 

 

■昨日は沼津西ロータリークラブのゴルフコンペ。土曜日に会議があって、そして翌日のゴルフですが、楽しい仲間とのひと時ですので、楽しまなければ損です。

沼津ゴルフクラブでの一日でしたが、大変混んでいました。朝ゴルフ場に到着して驚いたのは、駐車場が車で一杯なこと。ずっと上まで登って、最後の区域に駐車したほどです。

■さて今朝も走りました。今朝は昨日のゴルフで無理して使った筋肉の整理運動のつもりで走りました。6.11km を走り、総計 70.71km を積み重ねました。残り30キロを切りました。天気予報では、これから数日雨のようですので、走ることのできる天候の日には、必ず走っておことことが必要です。

■さて今朝の東京新聞には、横尾忠則さんが、「創造の力 老いて豊か」と題して書かれています。年を取るということは大変なことなのですが、何事にも物事には裏表があります。

体力的なものは歳とともに衰えるのは当たり前。しかし歳を重ねることで、今までできなかったことが出来るようになる、ということもあるはずです。その一つが創造力かもしれません。

横尾忠則さんが対談した、錚々たる高齢者、瀬戸内寂聴さん、金子兜太さん、山田洋次さん、などなどに共通する幾つかの点に触れています。

85歳の作曲家・一柳慧さんは

 

年を取ってからのほうが、社会からの束縛が無くなるぶん、好奇心や冒険心に純粋に従えるようになる

 

最終章では9人の方と対談を終えて発見が綴られています。その一つは、自分の内なる声に耳を澄ますことの大切さ。

 

ある程度の年令になると『そうなんだ、答えは自分の中にある』と。色んな本を読まなくても、自分の体の中に図書館があることに、自然と気づく」

 

まだまだ、はっとさせられる点が綴られています。年を取るのも、悪いことばかりでは無さそうです。

 

 

点字ブロック

20180318(日曜日:晴れ)

 

沼津ゴルフクラブの空です。

 

 

■昨日は仕事が終わって一息ついてから、長泉にある米山梅吉記念館に向かいました。来年は記念館ができて50週年。記念事業実行委員の一人として、これからの準備を検討するためです。

日本のロータリークラブの生みの親、米山梅吉ゆかりの地に、様々な資料を収集しています。

 

米山梅吉記念館

 

■さて今日は、視覚障害者誘導用ブロック、通称点字ブロックが世界で初めて日本で敷設された日だそうです。Wikipedia によれば、

 

センターの初代理事長である三宅精一が友人の失明をきっかけに1965年に発案・発明し、1967年3月18日、岡山県立岡山盲学校に近い旧国道2号の原尾島交差点の横断歩道周辺に計230枚が世界で初めて敷設された。

その後、歩道・鉄道駅・公共施設、商店の出入り口付近、横断歩道の手前、車道の横断歩道部分、など「エスコートゾーン」に設置されている。諸外国の公共施設などでも敷設されているが日本ほど多くはない。

 

世界で初めて日本の岡山県で敷設されたとは知りませんでした。規格は日本製が標準とのこと。凄いことです。世界で誰もしていなかったことを形にする、というのは並大抵のことではないはずです。三宅精一さんの功績を私たちは学ぶ必要があります。

 

愛情を注ぐ

20180317(土曜日:晴れ)

 

タクマンボが満開です。青空を背景に、よく映えています。

 

■今朝は気持ちのよい朝でした。昨夜は天気予報に従って掛け布団を準備しました。冷え込み具合を勘案して選んだのです。ドンピシャリでした。つまりは暑くなく寒くなく、ちょうど良い加減だったのです。よく眠れました。

記録によれば、睡眠時間は6時間30分。深い眠りは2時間15分。浅い眠りが4時間15分。そして目覚めが5分でした。深い眠りが2時間15分とは異例の長さです。まるでSunの眠り記録です。Sunの Lifesense band2 の記録を間違ってスマホが拾ったかと思うほどです。

(●^o^●)

そして今朝も走りました。暖かくなってきて起き出すのも、それほど難行苦行でもありません。布団の中でまどろみたくはなるのですが、一大決心と言うほどでもなくなってきました。それでも今週は日曜日と木曜日の朝を覗いて全て走りましたから、体は重いままです。6.09km を走り、総計 64.59km を積み重ねました。残り14日で、35.40km を走る必要があります。

■今朝の東京新聞、「65歳になったらーーーしなくていい宣言!」は、第50回「愛情を注ぐ」です。こう書き出されています。

 

高齢になり孤独な状況の中でも、誰かに愛情を注ぐことはできるでしょう。いつも会えないにしても、家族や友達への愛情を保つことを心がけてはいかがでしょうか。すでに亡くなった自分の親や兄弟への愛情も、保ち続けたいものです。

 

つくづく思うのは、人は愛さずにはいられない、そして愛されずには生きられない、ということです。両親を亡くし、姉を亡くした自分にとって、最後の一文は、とても心に響きます。

 

 

 

孤独

20180316(金曜日:雨)

 

庭の柿の木の芽が膨らんできました。5月の連休中に花が咲きます。

 

■今朝の天気予報は、6時から雨。ならば、その前に走っていまえば良い、と5時に目覚ましを掛けました。真っ暗ですので窓から手を出して雨が降っていないのを確認した後、着替えをはじめました。

今日は生ゴミの日でしたので、所定の位置に置いてから走り始めました。6.87km を走り、総計 58.50km を積み重ねました。キロ6.13秒ですから、決して悪くありません。体は重くて参ったのですが。

■昨夜はこの冬初めて冬用の暖かな敷布を外しました。上半身だけ暖かくなるように縦ではなくて横にベッドを横断する形で敷いていたのです。そうすることで、肩口から首にかけての冷えを防いでいたのです。昨夜はほてり過ぎました。最後の砦だった冬用の敷布も外したことで、いよいよ春がやってきたようです。

玄関を出て歩き始めると沈丁花の花の香が、ツーンと鼻を刺激してきました。あの香りです。感性に乏しい私でも、この香りだけは掴むことができます。

■さて今朝の東京新聞、「65歳になったらーーしなくていい宣言!」は、第49回。「孤独に慣れ、楽しむ」です。言うまでも無く、人は一人で死んでいきます。樋口裕一さんは、だから「今から孤独に生きる練習をしておきたいと思っている」と書かれています。そして、こう結んでいます。

 

孤独というのは、老いとともに誰もが通ってきたし、また通っていく道です。生きるということは、孤独を味わうことでもあります。避けることのできないものであるなら、できるだけ楽しむことを心がけてみませんか。

 

まことに、その通りだと思います。孤独があるから仲間との触れ合いも大きな喜びなのです。一人でどう楽しむか。それは、人がどう生きているか、と同義語のように私には思えます。

 

自給自足

20180315(木曜日:晴れ)

 

我が家のタクマンボです。サクランボの花が満開です。やがて実を付けますが、ほとんどは鳥たちが食べてしまいます。

 

■今朝はゆっくりと休みました。目覚ましは6時にかけてのんびりとまどろみました。睡眠時間は6時間30分、深い眠りが1時間10分、浅い眠りが5時間20分、そして目覚めが10分という結果です。4回の深い眠りが記録されています。暑くなく寒くなく、ちょうど良い気温でした。本当に有り難いことです。

■さて今朝の東京新聞2面には、東日本大震災7年と題して特集記事が掲載されています。「原発のない国へ」その3です。

570戸の街 丸ごと発電所、と第しています。神奈川県藤沢市の大型分譲地。全戸が太陽光パネルなどを備え、再生可能エネルギーで地域の需要を上回る電気を生み出しています。

価格は500万円ほど高くなったようですが、移り住んだ人の一人は、

 

原発に依存しない安全な電源の確保を、最も重視しました。

 

と語っています。蓄電池の設置で短期間なら停電もありません。

 

経済産業省によると、太陽光発電(10キロワット未満)で余った電気を電力会社に売る契約を結んでいる家庭は、17年度末で約105万軒。全国で50軒に一軒は電気を自ら作っている。

 

我々の消費する電気を巨大な発電所が供給するだけでなく、自らの手で可能な限り生み出していくのは、最大の安全保障でもあるのです。社会の全ての仕組みが、そうした方向へ向かっていることは間違いありません。

 

 

友情

20180314(水曜日:晴れ)

 

新沼津カントリークラブの雲です。

 

■今朝も走りました。昨夜は寝床に入ってから、一時寝つけなくなりました。記録を見ると、深い眠りが35分、浅い眠りが4時間25分、そして目覚めが20分となっています。覚醒の20分は多い方です。4時54分から5時14分まで深い眠りが記録されていますが、目覚ましが5時15分に鳴りましたから、深い眠りから叩き起こされた、ということになります。

6.11km を走り、総計が50キロを超えました。パソコンの画面が、50キロ達成しました、と祝ってくれています。51.63km を積み重ねました。明日は休んで休養を取りましょう。

■今朝の東京新聞、「65歳になったらーーしなくていい宣言!」のテーマは、47回 友情をはぐくむ、です。

この中で壮年期と65歳を超えた時期の違いを語っています。

 

壮年期には、社会的な成功が友人関係の上でも大きな意味を占めます。不遇な人と社会的に成功した人とでは話が合いませんし、生活状況が違いすぎて互いに興味をもてません。しかも、どうしてもしがらみが生まれて、言いたいことを言えません。

 

よく分かりますね。何十年も経って高校の同窓会などに出席してみると、つくづくと上記の言葉を実感します。しがらみの無かった学生時代の思い出だけでは、話が続かないのです。

 

しかし、そのような状況から脱却すると、学生時代と同じように、同等の立場で人間関係を築くことができます。しがらみもなく、言いたいことを言えるようになります。言えないような相手とは、だんだん疎遠になっていけばよいのです。そうして、晩年になって無二の親友を持てることもあるでしょう。

 

なるほど。65歳を過ぎて名刺の関係を捨て去ってからが、本当の友情を築く絶好の機会かもしれません。

 

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