2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

カテゴリー: 残日録 Page 88 of 152

教育

■20200328(土曜日:雨)

榛名湖の周囲は、一面の雪でした。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日の夜はベトナム枯葉剤被害者支援のボランティア活動をしている、「はればれ支援隊」の定例会を行う予定でしたが、天気予報では雨がひどくなるということですし、仲間も体調が悪いようでしたので、延期としました。

私自身は2008年から活動に参加していますが、様々な変遷の後、結局4人の仲間だけになってしまいました。高齢化の波も押し寄せています。

考えてみると2008年からの12年間で私の家族にも大きな変化がありました。なんといっても子供たちの自立です。3人それぞれが様々な苦労の後に大学を卒業し、社会人として活躍し始めたのも、この期間でした。

人生は本当に人それぞれですから、何が一番良くて何が一番悪い、などという基準はありません。いわば自然体でいられる環境の中で、その人が自分を磨き続け、成長できることが一番大切だと感じています。

どんな世界にも向き不向きというものがあります。それは善悪の問題ではないのです。また、優劣の問題でも勿論ありません。水を得た魚という表現がありますが、望むことができるならば、そうした環境の中で一人ひとりの人が、のびのびと普通に生活できること。それが、その人にとっても、社会にとっても一番素晴らしいことなのではないでしょうか。

それには、やはり教育環境だと思います。可能な限りやり直しの効く教育環境を整えることが、社会にとって最も大切です。社会人として一度レールに乗ってしまうと、二度と学び舎に戻ることができないという仕組みは、進歩の早い今の時代には有効に機能しません。

学生の一括採用、そして会社での職業訓練という枠組みは高度経済成長の時代には、有効に機能したのでしょうが、今の時代には継続するのは難しいようです。やはり社会全体として、働く人の持続的な教育環境を整えることが、喫緊の課題のように私には思えるのです。

急がば回れです。

歴史的評価

■20200325(水曜日:晴れ)

榛名湖への道です。

■今朝はゆっくりと休みました。2日続けて走りましたので、今朝は休養です。今月は100キロ走まで、あと22キロ残っていますので、なんとかたどり着くつもりです。

■昨夜は安倍総理が東京オリンピックを延期することを発表しました。今の状況では、致し方ありません。この先どのように日程を組んでいくのか。総理のことですから、政治的にも利用できるものは、何でも利用しようとするでしょうから、解散・総選挙の日程も絡んできそうです。

昨夜はネットで、「横田一の現場直撃 54」を見ました。森友問題の新しい展開を解説していましたし、山尾しおり議員の立憲民主党離党問題も取り上げていました。新型コロナウイルスに関する緊急事態条項法案化について、山尾議員は党の方針に反して反対票を投じ、離党しました。その間の枝野代表の指導力の無さを、山尾議員が追求していたわけです。横田さんの説明を聞くと、本当に情けないと感じるとともに、これでは自民党安倍政権の永久政権になりかねない、と絶望感に襲われます。

緊張感の無い政治状況というのは、ここまで政治を、そして政治家を堕落させるものか、という歴史的な場面に私達は立ち会っているわけです。政治家が最後に審判を受けるのは歴史です。いくら公文書を隠蔽・偽造しても歴史的な評価が覆ることはありません。

100年、200年という単位で見れば、歴史的評価という恐ろしい審判が下るわけですが、安倍総理にはそうした視点が無いようです。ひょっとすると、歴史というものを勘違いしているのではないかとしか思えないフシがあります。

なんにしても野党第一党の党首が、指導力を発揮して政治を正す必要があるのですが、どうもそれも期待できないとなると、コロナウイルスが落ち着くまで、どんな方法であれ、とにかく生きながらえるほか、国民の生き残る道は無さそうです。

4年に1度

■20200318(水曜日:晴れ)

伊香保温泉での夕食です。

■今朝は起き出すことができませんでした。5時に目覚ましを合わせていたのですが、2日間続けて走ったためでしょうか、走り出す元気が出ませんでした。

昨夜は医師会の理事会があり、報告事項、検討事項、承認事項と山のように書類があり、時間もかかりました。新型コロナウイルス感染症の対応問題も大きな課題でした。全員マスク着用での会議も、異様と言えば異様でした。

感染はまだまだこれから広がるでしょうから、収束したと宣言できるのは、当分先の話ではないでしょうか。それまでに、経済的に行き詰まったり、精神的に息詰まったりして、感染以外の原因で犠牲者の出ないことを祈るばかりです。

■さて今朝の東京新聞こちら特報部では、「今夏の五輪開催、新型コロナで暗雲、延期論は無理筋、命のため早く中止決断を」と題して書かれています。

普通に考えると、これだけ世界的に感染が蔓延している現状では、今年の夏にオリンピックを開催することは、とても無理のように思えます。

たとえ日本が感染拡大を制御し、終息宣言ができたとしても、世界中から選手がやってくることができない可能性が高いからです。アメリカではまだ選手選考のための全米選手権が開かれていないようです。

IOCと東京都、そしてJOC(日本オリンピック委員会)が結んだ開催都市契約によれば、「2020年中に東京五輪が開催されない場合、IOC は大会を中止する権利を持つ」と書かれています。

これを踏まえて、橋本聖子五輪相が2020年内ならば延期が可能との認識を示しましたが、日本が20年内の開催を望んでも実現するとは限りません。まだまだ選手選考のための予選が終わっていない競技があるため、夏までに代表選考が終わるのは難しいからです。

しかも今年中となると感染の不安が払拭されない限り、日本行きをためらう選手が出るのではないか。近年はプロのアスリートが多く、感染すれば億単位の収入を失うから敏感になっているそうです。

となると、年内を諦めて1年後あるいは2年後の延期を考えればと思いますが、そうは問屋が卸してくれないそうです。五輪憲章を見ると、『夏季五輪は4年に1度開く』と明記されています。

このサイクルを崩して東京五輪を延期したいと考えた場合、憲章の改正が必要となり、それには IOC 総会の場で投票総数の3分の2以上の賛成が必要となります。

4年に1度の開催の意味を、JOCの元参事、春日良一氏はこう指摘しています。

五輪発祥の古代ギリシャでは4年に1度、武器を置いて競技にいそしみ、平和への思いを神に捧げた。

1896年に近代五輪が始まったのも、帝国主義がはびこる中、4年に1度は平和の精神に立ち返る機会を作ろうとしたから。

このサイクルを変えたら五輪の意味がなくなる。歴史を変えることにもなる。

奈良女子大の石坂友司准教授が最後にこう書かれています。

東京五輪を名目に競技場や道路などのインフラ整備が正当化され、東日本大震災からの復興とも結び付けられた。

行政側の思惑に市民が巻き込まれ、五輪が『大事なもの』にさせられた。

私たちはその点が大きな問題だったと反省した上で、何のための五輪なのか、改めて問い直す必要がある。

1936年ベルリンオリンピックが開催された時に、時のヒトラー総統はアーリア人種の優秀さを世界に示すために、あらゆるメディアを最大限に活用しオリンピックを利用したのです。

もう一度私達は、本当に東京五輪を開催する意味は何なのか、をしっかりと自分自身の頭で考える必要があるのではないでしょうか。

国への愛

■20200311(水曜日:晴れ)

ゲゲゲの鬼太郎列車です。

■昨日は夕方、雷鳴がとどろき激しく雨が降りました。北海道では雪解けが一気に進んだようです。

今朝は起き出すことができませんでした。夢見がとても悪かったのです。原因はわかりません。

朝、走ったために疲れが残っていたのでしょうか。何か心に引っかかる事があったのでしょうか。あるいは、食べたものの中に何か身体に合わないものがあったのでしょうか。いまだに、よく分かりません。

結局のところ、疲労感ばかりが先立ってしまい、夜の間にも何回も目が覚めて、起き出す元気はありませんでした。致し方ありません。

分かりもしない原因を、いくら考えても時間の無駄です。今日一日、心の平静を保って、また明日の朝、走れば良いことです。

■さて、今朝の東京新聞「大波小波」欄では、「大石誠之助の愛」と題して書かれています。大逆事件で処刑された大石誠之助を主人公にした柳広司『太平洋食堂』(小学館)を取り上げた記事は私も先月この欄で読みました。

天皇の権威を利用して、国体を盾に言論の自由も政策批判も認めない明治政府に対し、異なる説を唱え「国賊」と非難されるのです。

その上で、国を愛するのは当たり前なので、愛国を声高に叫ぶのは自信がないものがすることだ、と反論しました。

最後に筆者はこう書かれています。

弱者に寄り添い、政府の間違いを指摘することで国への愛を示した誠之助の姿は、権力にすり寄り、浅薄で空虚な言葉を使う現代の愛国者への痛烈なカウンターになっているのである。

弱者に寄り添うのでなく、権力者に寄り添い、夜な夜な夕食会に参加している現代の愛国者の有様は、きっと昔も今も変わらないのでしょう。隣国をあしざまに貶め、声高に愛国を叫ぶ一部の人々の存在も、これまた昔も今も変わりがないはずです。

さらに恐ろしいのは、そうした人々が我が物顔にマスコミにおいて跋扈していることです。戦前には無かったネット上でも同様です。

それをおかしいと多くの人が感じているはずなのですが、声の大きなものばかりが取り上げられると、それが当たり前になってしまう。

政府の無策のため、貧困により自信を喪失した人々の心に、こうした歪んだ愛国心が忍び込んでいくのです。これもまた昔も今も変わりがないようです。本当に恐ろしいことです。

日にち薬

■20200309(月曜日:晴れ)

境港駅で待っているゲゲゲの鬼太郎バスです。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日は雨の中、競技委員を務めましたが、さすがに体が冷え切ってしまったようです。家に帰ってきて夕食を取り、ゆっくりとこたつに入ったのは良かったのですが、腰のあたりの冷えが酷くなり、風邪をひいたのかと慌てました。

1時間以上こたつの中でじっとしていたでしょうか、ようやく冷えが消え去り、風邪ではなく単なる低体温だったということも分かりました。安心しました。何しろ今のご時勢ですから風邪を引くと、コロナウイルス感染ではないかと仕事もできなくなってしまう可能性があります。注意することにこしたことはありません。

今朝すんなりと起き出すことができれば、走ろうとも思ったのですが、さすがに止めました。無理をしても仕方ありません。幸い天気予報では明日の朝も雨が降ることはなさそうですので、今日も一日ゆっくり無理をせず体力の回復を待って、明日の朝走ることにしました。

■ということで、今朝は朝刊をゆっくりと読む時間が取れました。切り抜きも五つ以上することができ、色々考えさせられましたが、今日の一遍は「心に本を」です。中江有里さんが薦める1冊、というコーナーです。いつも私は愛読しています。

今日の本は「悲しみの秘儀 若松英輔 著」です。「時が痛みを取り去ってくれる」と題しています。かつて中江さんご自身が、数回の外科手術を受けられた時に、麻酔が切れて猛烈な痛みが襲ってきました。

そして眠れないほどの痛みに耐える夜中に、幾度となく頭をよぎったのは「日にち薬」という単語だったそうです。関西地方でよく使われる言葉で、時間に勝る薬なし、というような意味だそうです。

幼い頃、辛いことがあると決まって母が、「日にち薬やで」と言っていたのを中江さんは思い出していました。『言葉の効能は本当に辛い時に発揮される。そして誰かの言葉が、それを必要とする誰かに届くまでに、時差が生まれるのだろう』と中江さんは書かれています。

この中の一編「彼女」について考えを巡らしながら、その一節を引用しています。『出会った意味を本当に味わうのは、その人とまみえることができなくなってからなのかもしれない』。

中江さんは最後に、こう書かれています。

大切に思う人の顔を浮かべるのと同時に、やがて来る別れを思う。それが生きるということ、そして人を愛することなのだと教えられた。

国民への愛

■20200305(木曜日:晴れ)

新さっぽろ駅前で、いただいたデザートです。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日は夕方から雨が降り始め、いささか寒々しい天候でしたが、今朝は青空が広がっています。

でも天気予報によれば北海道では今日は、強い低気圧の接近で大荒れの天気になるようです。風や大雪で被害が出ないことを祈るばかりです。大好きな北海道の大地や人々が被害を被るのは、とても辛いことです。

■さて、今日の東京新聞編集局南端日誌では、「一斉休校要請で国の対応、完全自習の無責任」と題して書かれています。特報部デスク氏の息子さんが、こんなため息をついたというのです。

別に勉強したくないわけじゃないけど、これを自分でやっといてね、っていうならそもそも学校いらなくない?

実に鋭い指摘です。この一斉休校について色々な指摘がありましたが、母親を中心に、親御さんが仕事に行けなくなるから困る、という指摘が多くされています。問題はそれよりも、子供達の教育を受ける権利を一方的に剥奪していることに対する糾弾がなされない日本は、もう終わったという指摘は痛烈です。

安倍晋三首相の腹心と言われる文科相でさえ、一斉休講を知ったのは首相が新型コロナウイルス感染症対策本部で発表した当日の27日だったというのですから、文科省が混乱し各市町村教育委員会、さらに学校現場がドタバタするのも無理はなく、とにかくプリントやっとけ、という対応も仕方ないのかもしれない、とデスク氏は書かれています。

毎晩のように、お友達と夕食会を開いていながら、対策会議には顔を出すだけのような首相の対応では、こうなるのも致し方ないかもしれません。安倍晋三首相に決定的に欠けているのは「恥」でも「知」でもなく、国民に対する「愛」だと、つくづく私は思うのです。

香害

■20200302(月曜日:雨)

北海道、サホロでいただいたステーキです。

■今朝は昨日の天気予報通りに雨の朝でした。3月が始まりましたので、また一から100キロの積み重ねをしなければなりません。

いつもの月でしたら一日に、最初の10キロを走るのが常なのですが、昨日できませんでしたので、今日走るつもりでしたが、雨では致し方ありません。予報では今日の午後から晴れとなり、明日の朝に雨の降ることはなさそうですので、準備万端としなければなりません。

コロナウイルスの感染も次から次へと広がりを見せています。知り合いの小児科の先生によると、コロナウイルスの感染が心配なので検査をしてもらえと保育園から言われて、小児科を訪れる親御さんが多くて困っている、というお話を聞きました。

その様子は想像ができますし、小児科の先生は本当に大変だと思います。検査体制がいまだに充分でない中、突然一斉休校の発表があり、しかも保育園だけは除外される、ということでは現場は本当に大変です。

安倍総理の指導力は、お友達だけのためにしか発揮されないのかと思ったら、そうでもないようです。現場が混乱するのは、いつものことですが。

■さて、今朝の東京新聞こちら特報部には「香害 無理解にも苦しみ」と題されて書かれています。

臭いの元になる人工的な香りを加えた化粧水や柔軟剤などのために、頭痛や吐き気、めまいなどの症状を起こす人が少なくないそうです。日常生活が送れずに、健康被害も生じ、公害をもじって「香害」と呼ばれています。

まだ認知度が低いために、周囲から理解されずに1人で悩んでいる方も多いそうです。また、香水によって、職場で知らないうちに同僚が症状を引き起こすこともあるようです。

新聞にはこう書かれています。

一部自治体では、子どもを香害から守るという観点から対応に乗り出した。多賀城市や長野県安曇野市、茨城県つくば市の教育委員会が、保護者宛てに家庭での柔軟剤などの使用自粛を求める文書を出した。埼玉県は香害に関するポスターを制作した。

時に強い匂いの香水を使っている女性に遭遇しますが、確かに吐き気を覚えることがあります。本人は全く気付いておらず、それがたしなみだと思っている節すらあります。本当に困ったことです。

結婚記念日

■20200227(木曜日:曇)

札幌雪祭り会場のお店です。美味しい北海道の海産物が所狭しと並んでいます。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日の夜は大の仲良し、古屋先生と一緒に夕食を楽しみました。仕事が終わって出掛ける時には雨がぱらついていましたが、寒さも、思いのほか身にしみる気温でした。そんな天候でしたが、2時間以上2人でゆっくり色々とお話することができたのは、本当に楽しいひとときでした。

■さて今日2月27日は、私達夫婦の38回目の結婚記念日です。私は大学1年生の間は自宅から通いましたので、19年間は家族と一緒に過ごしました。そして夫婦として38年間生活を共にしましたから、両親と共に過ごした時間の倍を一緒に歩んできたことになります。

その間に3人の子供達に恵まれ、今その3人も自立して、結局また2人だけの生活に戻っています。連れ合いとはよく言ったもので、まさに人生という旅路の同伴者に違いありません。まぁ、色々ありましたけれども、仲良く楽しく38年間を振り返ることができるのは、本当にありがたいことです。感謝する以外ありません。

私は途中で肺炎になったり肩を脱臼したり、インフルエンザにかかったり白内障の手術を受けたり、なんだかんだとありましたが、それでも病気でやむを得ず、仕事を休んだことは7日しかありませんでした。最初の時は肺炎になってしまい、寝ていないと命の保証はないと主治医に言われましたので、さすがにそれ以外の選択肢はありませんでした。

最近は患者さんには申し訳ないのですが、時々休暇を取って2人で旅行に出かけたりしています。そうした選択をしてもバチは当たらないでしょう。卒業して40年以上、必死に働いてきたのですから、その程度のご褒美は許容範囲内だと勝手に考えています。

会社勤めであれば、もう定年を過ぎていますから、悠々自適な生活と行きたいのですが、自営業ですから、あとは自分でどのように始末を付けるか考えていくしかありません。

先月には初孫も生まれました。まだ一度しか会っていませんので、初孫の可愛いさはこれからの楽しみなのですが、残りの自分の人生をどう組み立てていくか、残り少ないとは言っても、しっかりと考えていく必要があります。

時間をかけて、いくら計画を練っても、勿論その通りに行くわけではありません。しかし何も考えなければ、ただただ時間が流れて終わってしまいます。いくつになっても、実現可能な適切な目標を持って毎日を送ることは、とても大事だと信じています。

連れ合いや子供たちに負担のかからないように、自分の体を維持管理しながら自分なりの目標を達成できるように、これからも生きていきたいものです。

日本人の世俗主義

■20200224(月曜日:晴れ)休日

札幌雪祭りの雪像です。今年は外国からのお客さんが少なく寂しい大会でした。

■今日は昨日と異なり、風もそれほど吹いていません。穏やかな晴天の朝です。昨日は午後から10キロを走りましたので、今日は休息日です。

今日こそはゴルフに行こうと思って起きたのですが、調べてみると、ららぽーとシネマサンシャインで、あの「パラサイト」が上映されていることを知りました。アメリカ・アカデミー賞で初めて、外国作品がアカデミー作品賞を受賞した、今年は歴史的な年でした。

アカデミー賞の歴史を調べてみると、第1回が1929年であり、受賞作品が「つばさ」となっています。私が知っている作品としては、1931年の受賞作「西部戦線異常なし」です。そして1940年には、あの「風とともに去りぬ」が作品賞を受賞しています。

そんな90年を超える歴史の中で、外国の作品が初めて受賞したのですから、これは大したものです。韓国は金大中大統領の時から、文化芸術に対して、国の一つの大きな産業として力を入れて育成してきました。韓流ドラマは、その成果のひとつです。

人材の育成に国を挙げて取り組んできましたから、優秀な人材が次々と生まれてきているのです。私も一時むさぼるようにして見た韓流ドラマの「不屈の嫁」は、脚本がとても良く出来ていると感心したものです。

残念ながら、今の日本のテレビドラマの水準とは一つ次元が違うようにすら、私には感じられます。日本のドラマは作りが、ちゃちなのです。時間も金もかける余裕がない、というのが実態ではないでしょうか。

作っている方々に才能がないわけではないのです。資源が乏しいのです。日本自体が貧相に、ちゃちになってしまったと、こんなところでも感じざるを得ないのです。

■さて昨日は読書タイムとして、橘玲著「(日本人)かっこ日本人」を読み進めました。橘玲(たちばな・あきら)さんの本は、先日「マネー・ロンダリング」を読み終えたのが初めてでしたが、飽きさせない、その筆力には感嘆しました。以前に購入してあった「日本人」を今日は読んでみたのですが、これも飽きることがありません。

私が一番不思議だと思うのは、1945年以前の日本人と戦後の日本人が、同じ国民とは、どうも思えない点です。最近までの日本人は、温和で他者に優しく争いを好まない、誰からも愛される人々という印象だったのですが、戦前の歴史を虚心単回に眺めれば、アジア諸国に対する残虐行為の数々は、どう見ても辻褄があいません。なにかのウイルスに感染して、熱病にうなされての行為とすら見えるほどです。

しかし橘玲(たちばな・あきら)さんの本を読むと、その疑問に対する答えが、読み取れるのです。もちろんそれだけで、全ての疑問が雲散霧消するわけではないのでしょうが、なるほどと私などは得心するのです。いくつか要点を引用させていただくと、

明治から太平洋戦争にかけての戦争の歴史を見れば、「日本人は平和を愛する国民だ」とは明らかにいえない。それが戦後になっていきなり「厭戦」になってしまったのだから、戦前と戦後には決定的な「断絶」があるはずだ──。精神分析学者の岸田秀が、『ものぐさ精神分析』などでこうした主張を展開したことはよく知られている。

しかしこうしたフロイト的な物語(というか「お話」)を持ち出さなくても、戦争に明け暮れた「戦前」と平和を愛する「戦後」は、日本人が世界でもっとも世俗的な民族だということから一貫して説明できる。世俗的というのは損得勘定のことで、要するに、「得なことならやるが、損をすることはしない」というエートスだ。

そんな戦前の日本人にとって、台湾を植民地化し、朝鮮半島を併合し、満州国を建国することは、生計を立てる選択肢が増える「得なこと」だと考えられていた。彼らはきわめて世俗的だったからこそ、熱狂的に日本のアジア進出を支持したのだ。

これを見て日本人は、自分たちが大きな誤解をしていたことに気づいたはずだ。戦争は、ものすごく「損なこと」だった。朝鮮戦争やベトナム戦争を見ても、アメリカは自国の兵士が死んでいくばかりで、なにひとつ得なことはなさそうだった。

日本人の「人格」は、岸田のいうように戦前と戦後(あるいは江戸と明治)で分裂しているのではなく、私たちの世俗的な人格はずっと一貫していたのだ。

敗戦を迎え、マッカーサー元帥を訪問した昭和天皇とのツーショットを新聞紙上で確認させられた国民は、日本を支配するのが天皇ではなくて、これからはマッカーサー元帥なのだ、と痛感したのです。そして日本中から50万通にも及ぶ、元帥への、お願いの手紙が殺到するのです。その切り替わりの速さは特筆ものですし、節操がない、と言えなくもありませんが、その時点では、どちらにご利益があるか冷静に判断すれば、手紙の送り先はマッカーサー元帥と結論されるのです

岸田秀さんが指摘しているように、日本国民は明治以来、精神的な分裂状態にあり、戦前・戦後で全く別の人格になっているのだ、という説を、橘さんは真っ向から否定します。日本人は万葉集の時代から何も変わっていない、というのです。実に読んでいて面白い内容です。目を開かれます。

することは真似をする

■20200222(土曜日:雨のち晴れ、さらに雨)

札幌雪祭りです。今年は新型コロナウイルスのため人では低調でした。

■今朝は起きるつもりで5時に目覚ましを合わせておきました。目覚ましと共に起き出して窓を開け、外の様子を確認しましたが、雨が降っていました。昨夜の天気予報通りです。

結局もう一度布団の中に戻り、目覚ましを7時に合わせ直しました。天気予報では午前中は青空が見えるものの、午後からは雨との予報。今日も仕事をしなければならない私にとっては最悪の天候です。

今朝走れなかった分を補填しなければなりませんので、明日、明後日の連休で、なんとか最低15キロは走っておかないと、残りの30キロを達成するのは難しくなってしまいます。

■さて、新型コロナウイルスの感染も水面下で広がっていたものが、誰の目にも見える形で、日本中に広がってきました。昨年12月に中国での発生が報じられてからも、1月中に中国から多くの観光客を受け入れてしまったために、広がってしまったのです。

豪華クルーズ客船のことばかりがマスコミで報じられますが、時既に遅かったのです。アメリカでは1月の段階で中国からの人の流入を遮断し、2週間の観察期間を全員に設けていたようです。当初はなんでそこまでするのかと、中国に対するいじめではないかとすら考えられたのですが、今となって思えば適切な処置だったのです。

さらにロシアでは2月20日から中国人の自国への入国を禁止する措置を取ったそうです。それこそ何を今更と思うのですが、中国での厳しい人的移動制限が緩和され、再開し始める今こそ、実は危ないのだという、ロシア当局の判断のようです。

地続きで隣国があるというのは本当に大変なことだと思います。海というのは最高の天然要塞なのです。日本はこれまでにも、そしてこれからもこの海によって守られ続けるに違いありませんけれども、飛行機がこれだけ発達し、人の往来が盛んになると昔のようにはいかなくなります。

とにもかくにも、危機感を持って当局には対処してもらうしかありませんし、私たちは自分たちで自分の身を守るしかなさそうです。

■さまざまなイベントが中止に追い込まれていますが、実は私もその流れに翻弄されています。3月に行う予定だった眼科コ・メディカル講習会が中止になったのです。

開催のまとめ役並びに、自分自身講師としてお話をしなければならない立場だったのですが、3月に3回、日曜日に行われる予定だったこの講習会が、会長を中心とした理事会での検討の結果、苦渋の決断として今年度は中止となりました。会場の設営並びに講師の手配などのまとめ役としては、せっかく準備したので開催してしまいたい気持ちもあるのですが、さすがに今の状況では中止するのが正解です。

まぁ、物事は悪いことばかりではないので、講習会が中止となればその分、日曜日に時間が取れる訳ですから、上手にその時間を使うことが大切です。

■さて、先月は私にも待望の初孫が産まれました。親になるというのは今になってみると責任の重さを痛感するのですが、当時はそのことにあまり気づきませんでした。

3人の子供達が1人前になって家庭を持ってみて初めて、自分たち夫婦が子育てに関わってきたことの重さを実感しているのです。

初めての子供を授かった息子夫婦に、何か伝えられることがあるだろうかと考えましたが、私に立派なことが伝えられるわけは、もちろんありません。

でも確かにその通りだなと思う言葉はあるのです。それが『子供たちは親の言うことは聞かないが、することは真似をする』です。

まことに、その通りなのです。親になるということは、ある意味、子供達の監視下に24時間ずっと置かれるようなものなのです。考えてみると恐ろしいことです。

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