2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

カテゴリー: 残日録 Page 96 of 152

成果主義

■20190905(木曜日:曇)

「ふる里 大夕張の碑」です。

■今朝はゆっくりと休みました。2日続けて朝走りましたので今日は小休止です。9月も始まったばかりですので、ひと月を通しての計画をある程度立てる必要があります。毎週25 km を走れば月100キロを走ることができます。 ですので週25 km 走ることが、とりあえずは目安となります。 いつものコースですと一回の距離が6.2 km 強ですので、7日のうち4日走れば大体25 km となります。 夏になってからは暑さのためか歳のためか、一回で10 km 以上走ることが難しくなってきました。回数をこなしていかないと目標達成は困難です。とりあえず明日の朝走る予定です。

 

■さて今朝の東京新聞文化欄には総合研究大学院大学長の長谷川眞理子さんが、「浅知恵に振り回されないで」と題して寄稿されています。ヘンリー・ジェイムズの長編小説「鳩の翼」を題材に、組織における成果主義は実行可能かどうか検討されています。 鳩の翼について長谷川さんはこう書かれています。

 

この小説の読み方はいろいろだが、良かれと思って人を操作しようとしても事は思い通りにはいかず、結局は誰もが不幸になる、というのが私の解釈だ。

 

これに続いて長谷川さんは、政府が86 ある国立大学を、いくつかの指標によって評価し始めたことを論じています。 それは、以前企業が行った、いわゆる成果主義なのではないか、と疑問を呈しています。 それは、2000年代に入りバブルがはじけ、日本の雇用に特徴的であった年功序列、終身雇用の慣習を変え、個人の仕事の成果を評価し、給与その他に反映させようとした試みでした。しかしこの試みはどうもうまくいかなかったようです。

 

長谷川さんは三つの理由を挙げられています。第一は、成果をどう評価するのかの基準が困難で、ほとんどの人が満足できない。第二に、個人の成果を競わせることでチームワークが壊れ、ギスギスした職場環境になる。そして第三に、成果指標の点数を上げることそのものが目的化し、不正が多発することをあげています。 スルガ銀行やかんぽ生命保険の例で見るように、 数字だけを追っていると、事の本質を見失うようです。

 

長谷川さんは最後にこう述べています。

 

結局のところ、何のために評価し、評価によって何を達成したいのか?それぞれの人が、自分がまともに評価されていると感じ、働きがいを見出せる職場にすること、そして、それらが積み重なることによって、集団全体の業績が上がること、それが目的だろう。

 

鳩の翼の主人公 ケイトの企みが、結局はすべての人々を不幸にしたように、浅知恵で人を動かそうとしても駄目だ、というのが長谷川さんの結論のようです。

 

ホー・チ・ミン

■20190902(月曜日:晴れ)

夕張から富良野へ向かう途中でみた廃線になった駅舎です。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日は防災の日で、沼津市の保健センターで行われた防災訓練に、医師会のメンバーとして参加し、トリアージの仕方を学びました。静岡医療センター、そして沼津市立病院の災害援助チームDMATの皆さんが来られて指導をしてくださいました。静岡医療センターの小澤先生がまず全体のお話をされて、その後グループに分かれて、現場における実際の手順を学びました。

 

現実の救護所に置いては、押し寄せる患者さん、1人あたり30秒で仕分けしなければならないようです。これは大変なことです。3人一グループのに別れて、それぞれが患者役、仕分けをする役、そして記録する役と三通りの役割を順番で実際に体験しました。負傷した患者さんの立場になれば一刻も早く治療を受けたいわけですが、押し寄せる患者さんの優先順位を付けることはとても難しいことです。

 

■さて、午前中いっぱいの訓練も無事に終わり、家に帰る途中のコンビニで買った冷やし中華を昼食として食べました。昨日の朝は9月の初めの日として、走り始めの日でしたので、いつものコースを6.2キロ程走りました。昼食後に少しまどろんで休みを取り、午後からゴルフの練習に出掛けました。

 

ところが練習の途中で体調に異変が起きました。脱力感と軽いめまいのような症状が起きたのです。いつもの軽い低血糖症状かとも思ったのですが、今回はいつもより重症でした。練習を続けるのはさすがに無理と判断し、木陰に入ってヘタリ込んでしまいました。15分から30分の間でしたでしょうか、木陰で風に当たりながら、体調が戻るのを待ちました。

 

先日練習していた時にドライバーが壊れてしまい、昔使っていたものを持ち出して練習しようと思ったのですが、さすがにこれ以上練習するのは無理と判断し、家に戻ることにしました。脱力感とまだ体がフラフラしましたので、運転して家に帰るのは心もとないほどでした。

 

何とか無事に家に帰り、甘いものを早速むさぼり食べました。一口大のアイスクリームと、鳩サブレーです。これで何とか一息ついたと思いましたが、とにかく横になっているしかありませんでした。

 

夕方帰ってきた、Sunと一緒に日帰り温泉に行きましたが、どこで夕食をとるか、散々迷いました。通常なら、ご苦労さん会と称して一杯やるのです体調からすると、どうもそんな元気もなさそうでした。しかしお風呂に入って、なんとか元気を取り戻しましたので家に車を置き、居酒屋さんへ出かけたのです。

 

■さて今日は、ベトナム建国の父、ホー・チ・ミンさんの命日です。1969年心臓発作のために亡くなられました。今でもベトナムでは、「ホーおじさん」として慕われています。どこへ行っても肖像画が掲げられています。その様子は、旧ソ連時代のスターリンや北朝鮮のキム一族のものとは、少し違うように感じました。

 

フランスの植民地として国民生活は、ひどい状態にあったわけですが、そんな中から、多くの仲間とともに、独立を勝ち取っていくのです。そんな歴史を学ぶと、アジアで数少ない欧米諸国の植民地とならなかった日本は、本当に幸運でした。

 

しかし太平洋戦争でアメリカに敗北した日本が、その歴史をきちんと精算すること無く、あやふまなまま戦後を送ったことの代償を、今払いつつあるようにも思えます。自分たちに不都合は歴史を認めない、という行動を取り始めているからです。経済的に行き詰まり始めている、という面も大きく作用しています。先進国中、唯一のマイナス成長国です。もちろん政府の経済政策の失敗なのです。全ては政治の問題なのです。その結果、「貧すれば鈍する」となり、ネット右翼的な人々が大活躍することになったのです。

 

ある識者が指摘していましたが、派遣労働者の増加などで雇用形態が変わり、労働者の所属がすっかり変わってしまった。その結果、所属している組織が掛けていた、これまでのタガが外れてしまった、というのです。労働組合も含めて、会社という組織が、それぞれの日本人一人ひとりを社会人として、いわば涵養してきた。つまり「水が自然に染み込むように、無理をしないでゆっくりと養い育てること」をしてきたのですが、その役割を果たすべきものが無くなってしまった、というのです。

 

良くも悪くも、戦後の日本は会社社会だったのでしょうか。所属する会社が、戦後の秩序を守ってきた面があるようです。欧米の識者が、日本のように宗教教育をせずに、どうして社会の道徳・秩序を保っているのか不思議だ、と首をかしげる話は、よく聞きましたが、日本では会社という宗教団体が、その役割を担っていたのでしょう。いまや、そのタガが外れたのです。これは恐ろしいことです。真剣に考える必要があるのです。

 

 

踏絵

■20190831(土曜日:曇)

高倉健さんへの思いは、尽きることがありません。

■いよいよ今日で8月も終わりです。つい昨日、元日を迎えたように思い返すのですが、あっという間に夏も過ぎ去ろうとしています。昨年のように猛暑日が何十日も続くといったような天候ではありませんでしたけれども、今年も暑い夏でした。梅雨が長く、毎日毎日雨ばかりでした。梅雨が明けた途端蒸し暑い毎日が続きました。

 

今年は梅雨に入る前に、壊れていた寝室のエアコンを買い替えました。おかげで今年は、蒸し暑くて眠れないということはありませんでした。決して高価なエアコンではありませんが、エコモードという運転タイプでは、つけっぱなしでも室温が下がりすぎるということが無く、そういう意味では安心して眠ることが出来ました。今週に入ってからは、さすがにエアコンをつけっぱなしで寝る事は無くなりました。寝る前に三十分ほど掛けておけば、もうそれで十分なのです。

 

■さて遠藤周作さんの講演集「人生の踏絵」を、毎晩読み続けています。戦国時代に日本へやって来た宣教師たちが、幕府の拷問に耐えかねてキリスト像が描かれた踏絵を踏んで、転向していく様子を描いた「沈黙」を中心に講演されています。

 

人は誰でも生きている間には、それぞれの踏絵を踏むことで生き永らえているのではないか、という遠藤さんの問いかけです。聖人君子など、いようはずがない、ということです。端から見れば、好々爺と見える人でも、生きている間には何度も人を傷つけ、そして傷つけられて来た。それぞれの人が持つ、そうした業を描くのが文学だ、ということでしょうか。

 

まだ読み終えてはいないのですが、とても面白いと思ったのは、フロイトなどの精神分析が出現し、無意識という世界が知られるようになってからは、昔のように人間を単純に描くことが、文学者はできなくなった、という指摘です。つまり主人公は嫉妬のあまり犯罪を犯した、と一直線には描けなくなった。どうしてそんな行動を取ったのか、実は本人にもよく分かっていないのではないか、というです。作者の描く人物の行動が、とても不可解に見える。その不可解さを、どう描くのかが文学なのだ、とも言えるのでしょうか。

 

関節痛

■20190827(火曜日:晴れ)

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「幸福の黄色いハンカチ」の世界です。

 

■今朝は起きるつもりで準備をしていたのですが、さすがに疲れが出たのでしょうか、起き出すことができませんでした。昨日はほぼ1週間ぶりの診療でした。夏休み明けを待っていてくれた患者さんたちが、どっと来院しました。午前中も午後も診療が終わったのは、いつもよりも30分以上遅くなってしまいました。

力仕事ではありませんし、日中、陽射しの下で汗だくになりながら働いている皆さんに比べれば、冷房の効いた部屋で仕事をしているわけですから、贅沢といえば贅沢なのですが、それでも疲れました。

ということで、昨夜はさっさと床に入って、遠藤周作さんの本を読みながら早々と寝ましたが、疲れが残ってしまったようです。月100キロ走の目標達成のためには、まだあと10キロ残っています。ここ1ヶ月ほどは、暑さのためもあったとは思いますが、1度で10キロを走ることは、出来そうにもありませんでした。

とにかく積み重ねしかありませんので、明日の朝は必ず起きて走るつもりです。昨日スイカをSunが買ってきてくれました。走った後の冷たく冷えたスイカほど、美味しく、また元気を回復させてくれるものは、私にとってはありません。

■昨日からでしょうか。左手の薬指の関節に痛みを感じるようになりました。普段痛くなる訳ではないのです。何かを握ろうとして関節を収縮させようとすると痛みを感じるのです。何が原因なのでしょうか。特にぶつけたとか、そうした既往はありません。左手薬指の第一関節です。とりあえず鎮痛消炎剤を飲んでおくしかなさそうです。湿布もしておきましょう。

 

廃線

■20190822(木曜日;晴れ)

 

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夕張駅への線路が、ここで終わっています。今年の4月に廃線となりました。

 

■夕張支線が廃線になったのは、今年のことです。ネットによれば、

 

北海道夕張市内を南北に貫く石勝線夕張支線(新夕張~夕張間16.1km)が4月1日に廃止された。1892年11月、前身の北海道炭礦鉄道室蘭線の支線として開業してから126年と5か月での終焉となった。JR北海道の路線廃止は、2016年12月に廃止された留萌本線留萌~増毛間以来となる。

 

最終日の様子は、「3両編成に500人、170%の乗車率だった最終列車」とあります。石炭輸送から生活のための鉄道に役割を変えていた夕張支線でした。最盛期には夕張だけで高校が6校あったそうですから、往時の繁栄がしのばれます。

 

石炭から石油への時代の変換は、いかんともし難い流れだったのでしょう。炭鉱事故で多くの方が亡くなられたのは、様々な映画に頻出する場面で知ることができます。そうした方々の犠牲の上に、私達は高度経済成長の時代を謳歌できたのです。手を合わせて感謝するしかありません。

 

■今朝は走らずにゆっくり休みました。昨日は二人だけの誕生パーティを開いて、ゆっくりと夕食を楽しみました。語り合うのはやはり、これまでの30年です。新しく開業した医院の運営と、子育てに追われた30年でした。二人ともよく頑張りました。当たり前のことですが二人とも全く初めての経験でしたので右往左往の連続でした。二人とも若かったから乗り切れたに違いありません。

 

開院当初は患者さんも少なく、はっきり言って暇な毎日でしたが精神的には疲労感いっぱいでした。この先どうなるのやら見当が全くつかなかったからです。 8月に開業し、その年いっぱいは本当に暇でした。そんな日が永遠に続くのではないかと感じました。年末には、用意していた運転資金も底をつき始め、 このまま続けていけるのかどうか、本当に不安になったことをはっきり覚えています。

 

年が明けて、ある時から突然患者さんが激増しました。花粉症の季節がやってきたのです。勤務医をしていた頃には、そんなことは気づきもしなかったのですが、花粉症の威力をまざまざと見せつけられました。 その後の30年間、大きな事故も無く、無事に乗り切れたのは、ひとえにSunや病院スタッフのおかげだと感謝しています。何が起こるかわからないのが医療の世界です。これからも注意一秒怪我一生の思いで、毎日を送るしかありません。

 

そして子どもたちも、無事に自立して家を離れていきました。一人また一人と家を離れていくことは、当然のこととは言え、二人きりになってしまうと、また振り出しに戻ってしまった双六のような思いがしました。

 

今になると、もっともっと子どもたちとの時間を大切にしておくべきだった、と後悔するばかりですが、こればかりは切りがないのでしょう。その時は、いずれやって来るものなのです。

 

凌駕

■20190816(金曜日:雨)

 

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我が家の窓から見た南側の空です。新しいスマホのカメラで撮りました。

 

■昨日は敗戦の日。

 

令和最初で74回目の「終戦の日」となる8月15日、政府主催の「全国戦没者追悼式」が日本武道館(東京都千代田区)で開かれる。天皇皇后両陛下や安倍晋三首相、遺族ら約7000人が参列し、戦没者に黙とうを捧げる。天皇陛下の「お言葉」にも注目が集まる。

 

と、ネットにはあります。当たり前のことですが、テレビで見ていると、いままで平成天皇がお言葉を述べていたのですが、今年からは令話天皇がお役を務められています。様々な場面で平成天皇・皇后両陛下の姿をテレビで見ていたのですが、お二人が話題になるのは、体調面のことが主体になってきました。人間ですから当然です。お元気でいらっしゃることを祈念するばかりです。

 

■さて今週、新しいスマホが届きました。Huawei P30 light です。いままでは、同じ会社の二代前の製品、Huawei P10 light を使用していました。何が違うのか。まずはカメラです。とても良い性能です。今週末から出かける北海道旅行や、10月に出かけるベトナムでのボランティア活動で活躍してもらうためです。

 

ゲームをするわけではないので、処理速度に関しては、それほどの違いは私には分かりません。ただカメラ性能の違いは歴然です。今日の写真は、台風が近づくなか、南の空に向かって満月を撮ったものです。雲のために辺縁が鮮明でないのは私のミスですが、以前のカメラですと、そもそも夜空に浮かんだ月を撮ることができませんでした。全くピントが合わないのです。

 

P30では、人工知能 AI搭載のために、そのあたりは賢く処理してくれるおかげで、被写体に合わせた写真が自動的に撮れる仕組みです。中国製というと、未だに安かろう悪かろうと先入観で判断している人がいることに驚くのですが、ハードの面で日本を超えたのはもちろんですが、いまではソフトウェアの面でも、日本の遥か先を行っているのは公然の秘密のようです。

 

教育への予算をケチった政府の施策のために、いまでは中国の研究機関の発表する論文数のほうが日本を凌駕しているのです。このあたりは、以下の野口悠紀雄さんの記事に詳しく書かれています。

 

アベノミクスの6年間で、日本と中国の格差はさらに拡大した(先端分野では、もはや及ぶべくもなく…)

 

アベノミクスという言葉に浮かれて、必要な施策を打ってこなかったツケがはっきりと現実化したのです。安倍内閣の6年間で拡大したのは、格差とヘイトスピーチぐらいなのではないでしょうか。我々は、そのことをしっかりと見つめる必要があります。逃げ回っているばかりでは、何の解決にもなりません。自己陶酔に陥っていても、事態は良い方向へは向かわないのです。

 

安倍政権で進歩したのは、情報操作だけではないか、とすら思えます。広告代理店の勝利なのでしょう。多額の税金が投入されているはずです。そんな金があるなら教育に投資すべきだったのです。隠蔽と糊塗の6年間とも言えそうです。まさに、糊塗(あいまいに取り繕っておくこと。一時しのぎにごまかしておくこと)だったのです。

 

男女共学

■20190814(水曜日:曇)

 

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昨年の夏に出かけた由布岳です。

 

■今朝は走らずに休みました。昨夜は10時前から急に、激しく雨が降り始め台風の影響がいよいよ出てきたのかと実感しました。 天気予報によれば明日15日いっぱいは、西日本を中心に大荒れの天候になるようです。超大型の割にはスピードが遅く、影響がなくなるのにかなり時間がかかるようです。 夏休みの予定は、スタッフの怪我の為に変更になってしまいましたが、今週の土曜日からはSunと二人で北海道へ行く予定です。ところが天気予報によれば、17日あたりに台風が北海道に近づくようです。どうなるか分かりませんが、こればかりはお天気次第ですから、運を天に任せるしかありません。

 

■今朝の東京新聞報道部欄には、「男子校・女子校 分けるのは時代遅れ?」と題して書かれています。現在甲子園で熱戦が広げられている高校野球の出場校を見ると男子校が1校もありません。文部科学省の2018年度の学校基本調査によれば、全国の国公私立高は約4,900校。そのうち男子高は約100校。女子高は約300校で、1990年代の約半分以下になっているそうです。

 

戦前は男女別学が主流でしたが、戦後に教育の機会均等を唱えた連合軍総司令部( GHQ ) により公立の共学化が進みました。理由は不明ですが GHQ が目を向けなかった北関東(群馬、栃木、茨城県)や埼玉県などと、指導の対象にならなかった私学は男女別の学校が、そのまま存続したということのようです。

 

少子化の問題や親の意識の問題、つまりは警察官や自衛官などかつては男性中心だった職業も今では女性がいるのは当たり前になりました。親御さん達も自分の子どもたちが社会人になった時に、高校で共学の方が良い、と判断しているようです。

 

とはいえ東京大学や京都大学などの、難関大学への合格者ランキング上位校には、男子校や女子校も多いのが事実です。ある教育評論家によれば「男性、女性の特性に応じた指導が可能になる。生徒も異性を気にせずに勉学に打ち込め、興味や関心を広げやすい」と男女別の学校のメリットを挙げています。私などはこの恩恵を受けた一人かもしれません。

 

結局どちらがどうではなくて、それぞれに良い面があるのです。

 

生徒にも特性があって、共学ではなく男女別の方が過ごしやすいという子もいる。共学化の流れは止まらないが、さまざまな価値観やニーズを満たせるよう学校は多様に用意されていることが大事だ。

 

と述べられています。確かにその通りに違いありません。

 

物事の一面

■20190809(金曜日:曇)

 

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蓮の花が朝日に眩しそうです。

 

■今朝は走ろうと思っていたのですが起き出すことができませんでした。月曜日から三日連続して朝走り、疲れもたまっていたのでしょう。昨日は午後からいつもお世話になっている病院を受診し、自分自身の目を診察してもらいました。 いつ頃からかは、はっきりと覚えていないのですが、左の目が少し霞んで見えにくくなってきたのです。

 

ということで夕方近くまで時間がかかってしまい、タクシーで急いで家に帰り着替えてから原駅に向かいました。三島で行われる沼津西ロータリークラブの納涼例会に出席するためです。 この時期は休会になることが多いので、仲間に会うのも2週間ぶりのことが多くなります。 昨日は、ご家族の方も来られていましたので、久しぶりに子供さん方のお顔を拝見することもできました。皆さんのお元気なお顔を拝見して、何かほっとする思いです。私などよりもずっと先輩の方もいらっしゃいますので、この猛暑の中では体調管理が私以上に大変かもしれません。

 

■今朝の東京新聞「視点」欄では、「ドイツ政治家殺害の衝撃 ネットで増殖する右翼」と第して、論説委員の熊倉逸男さんが解説されています。 ドイツヘッセン州カッセル市の行政区長官ワルター・リュプケ氏が射殺されたのです。リュプケ氏は、メルケル首相と同じ保守政党、キリスト教民主同盟に所属し、地域に割り当てられた約14000人の難民受け入れを担当していました。2015年10月の住民説明会では「(難民も含めた)全てのドイツ人のための自由という価値をよしとしないものは、 この国を去ればいい」と述べ、極右の反発を呼び続けました。

 

被害を受けた政治家はリュプケ氏だけでなく、西部ケルン市の女性市長は、暴漢に刺され重傷を負っています。 メルケル首相が2015年夏に寛容政策を表明して以降、難民受け入れを進める政治家等に対する暴力や脅迫が激増しています。寛容になった保守への不満が極右支持へと流れているのです。
最後に熊倉氏は、こう述べています。

 

米大統領や英首相も差別やヘイトを公言する時代である。自制のハードルは下がっている。たがが外れかけた国の理性をどう守り続けるか。正念場である。

 

誠に立派な内容だと思います。自由や人権、そして理性を信じ、貫くことの大切さを訴えておられます。 でも、何か違和感を感じるのです。 気高い理想を否定するわけではもちろんありません。 しかし、どこか一面的な部分しか取り上げていない気がするのです。 ドイツはかつてのナチスの歴史を深く反省し戦後は全く違った国に生まれ変わったように報道されています。もちろん、そうした部分が大部分なのでしょう。しかし現実には、経済が復興するにつれて、戦後一貫してトルコからの移民を受け入れ、ドイツ人なら誰もがしたくない、いわゆる3K仕事を彼らに押し付けてきたのです。物事は一面だけを見ていると綺麗事だけしか見えないものです。

 

アメリカでもリベラルと言われる人たちは、移民に対してとても寛容ですし、人権を守ることにとても熱心です。その事自体は大変素晴らしいと思うのですが、現実にはそうした移民の人々が低賃金でアメリカ国民の仕事を奪っているという事実があるのです。そうしたいわば逆差別された人々の氾濫が、トランプ大統領誕生の背景にあることは間違いありません。資本家はボロ儲けしたかもしれませんが、働く人々は低賃金へと追いやられるのです。

 

ドイツの戦後や日本の高度経済成長時代のように右肩上がりの時代には、移民による労働力の受け入れも大きな軋轢を生まなかったかもしれませんが、日本のように20年もデフレが続いている状態の中で、低賃金で働く移民を多数受け入れれば、国中に暴力が蔓延することは、火を見るより明らかです。日本は、これからもますます多くの移民を受け入れようとしていますが、その先に待っている現実を、我々は想像しなければならないのです。

 

差別主義者

■20190808(木曜日:曇)

 

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先週末行われた地元の花火大会です。

 

■今朝はゆっくりと休みました。月曜日から三日間続けて走りましたので、そろそろ休養が必要な時期です。なにしろ暑いのです。夜のニュースを見ていると、 熱中症の患者さんが亡くなった、 という内容の報道が連日行われています。昨夜のニュースを見ていて驚いたのは、二十歳代の男性が日焼けのために横になっていて、そのまま熱中症で亡くなっているのが発見された、というニュースでした。一番体力もあり健康であると思われる20代の男性が、日焼け目的で日光浴をしていて、熱中症で亡くなる、などというのは私などには想像もできないことです。体調も悪かったのでしょうか。

 

とは言っても暑さは永遠に続くわけではありません。あと10日から2週間の辛抱でしょうか。これ以上犠牲者が増えないことを願うばかりです。台風も続々と発生しています。8号が通り抜けたと思ったら、今度は9号、そして10号と、立て続けに発生して日本を目指しています。こちらからも目が離せません。災害の発生しないことを祈るばかりです。

 

■今朝の東京新聞筆洗欄では、「ビラブド」の作者で米黒人女性作家として初めてノーベル文学賞を受賞したトニ・モリスンさんが亡くなったことを報じています。最後にこう書かれています。

 

小学生の時に外国から転校生がやって来たそうだ。仲が良かったが、やがて彼女が黒人であることを知って態度は変わった。生まれながらの差別主義者はいない。人は差別主義者になっていく。その理由を探り、描き続けた作家の死が分断と対立の時代にあって寂しく心もとない。

 

人は差別する動物である、と定義できなくもありません。根拠のない本当につまらない 理由で差別をするのです。それによって自分がその他者よりも優れていると自己満足したいのです。第三者から見れば、全く馬鹿げた理由でしかないことは、容易にわかることなのですが、 差別する本人は心からそう信じているのです。出場したマラソンランナー1万人のうち、8999番でゴールしたランナーが、9000番でゴールしたランナーよりも、自分の方が優れていると9000番を蔑むような話なのです。お笑いでしかないのですが本人は真剣なのです。実に愚かしく、同時に恐ろしいことです。

 

今の日本にも、この程度の現実がまかり通っているのです。そして政治が、それを利用しているのです。本当に恐ろしいことです。

 

嘲笑する政治

■20190802(金曜日:曇)

 

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メルボルン・ヤラ川の遊覧船です。

 

■今朝はゆっくりと休みました。昨日の朝は月の初めということで、頑張って9.4キロを走りましたけれども、汗だくになりました。今朝は昨日に比べると蒸し暑さは幾分楽ですが、 走らずに休息をとりました。

 

昨日は参議院選挙の結果を受けて第199回臨時国会が召集されました。話題は何と言っても、れいわ新選組から当選した二人の障害者の方が登院したというニュースです。 山本太郎代表の選挙演説を聞いてから、れいわ新選組を応援してきた自分としては、特別な思いがあります。まだ山本太郎代表の演説を聞かれたことのない方には、ぜひ一度 YouTube でご覧になることを強く勧めます。 政治家の演説など聞いても面白いはずがない、 と多くの方は思われるでしょうが、それが違うのです。 もしも選挙が終わるまで山本太郎代表の演説を見たこともなく、れいわ新選組の存在も知ることもなく投票した方が、選挙後に彼の演説を見たとすると、かなりの有権者の方が投票行動を後悔した可能性が高いと私は思います。

 

選挙前にテレビが彼の活動を報道しなかった理由は、一つしか考えられません。自民党の議席が減る可能性が高かったからです。実態はわかりませんが、忖度なのでしょう。選挙後になって様々な報道がなされていますが、なるほどなと思わせられた記事の一つに 、以下の指摘があります。

 

安倍晋三「民主党の枝野さん」と山本太郎「クソ左翼死ねというお言葉」 むき出しの“参院選演説”

 

かたや一国の総理、 そしてもう一人は政党要件も持たない団体の、タレント上がりの元参議院議員です。肩書きだけを見れば、その違いはまさに雲泥の差です。ところが、 その行動あるいはそれを裏付けている人間性の違いは、まさに逆の意味で雲泥の差なのです。

 

なぜこのようなことが起こるのでしょうか。どう考えても一国の総理を務める器とは、とても思えないのですが、 そんな政治家が6年も一国の指導者として君臨しているのです。野党がだらしがない、 という指摘はもちろん正しいのですが、それだけで片付けてしまうのは危険だと私は思います。他に良さそうな内閣がないから支持している、という割合がとても多いことも事実ですが、むしろ積極的に今の内閣を支持している人々もいるのです。

 

さすがに最近はあまり聞かなくなりましたが、「安倍総理は頑張っている」と語る人は結構多かったのです。 マスコミの報道姿勢がこうした誤解を招いていることは間違いないのですが、そうした状況下であっても、それを鵜呑みにしてしまう国民の精神性というもののあり方を、きちんと分析しておかないと、何の解決も得られないように思うのです。

 

選挙で大躍進したれいわ新選組も、しばらく時間が経ってみれば、 「幽霊の正体見たり枯れ尾花」であったことが判明するかもしれない、とある記事の中で指摘する声がありましたが、私にはむしろ、この言葉はそのまま安倍内閣に差し上げるべきだと思っています。アベノミクスだ、三本の矢だ、とキャッチフレーズだけは立派でしたが、結局国民は貧しくなる一方でした。国民所得が低下しているのです。生活は苦しくなっているのです。どれだけ統計をごまかしても、もうごまかしようがありません。もう国民も、そのことに気づかなければならないのです。

 

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