2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

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MIRAフィットネスクラブに出掛けた日。

故人との邂逅

■20250915(月曜日:曇)休日:敬老の日 ( D 342 )

バリ島で毎朝食べたツナのサラダです。

■今日は「敬老の日」で休日です。もう10年以上前でしょうか、地域の自治会役員をしていて、敬老の日の行事を、お手伝いしたことがありました。地区センターで行われる敬老行事のお手伝いです。

多くの高齢者が参加されていました。ちょうどエレベーターに乗った際に、子どもたちが通っていた幼稚園の園長が乗り合わせてきました。本当に偶然でした。言葉を交わす暇もなかったのですが、なぜか、その光景が脳裏に焼き付いています。

その園長は、80歳を超えても車を運転され、現役として活躍されていましたが、その後鬼籍に入られました。あの時に、お顔を拝見したのが最後でした。

■こうして敬老の日を迎えて、思い出されてくるのは、旅立たれた友人たちの、いくつもの顔です。その中には、いわば天寿を全うされた方もいれば、思いもかけず突然、亡くなられた方もいました。

そんな時に思い出される与謝蕪村の句が、この句です。

門を出て 故人に会いぬ 秋の暮

ある時、ある友人が、突然やって来てくれて、私の母が亡くなったと聞き、香典を届けてくれたのです。彼の父親が亡くなった時に、私が香典を届けたことへのお返しだ、というのです。

玄関先で言葉をかわした際の当時の様子は、今でもはっきりと思い出すことができます。彼とは様々な活動を共にし、楽しかった無数の場面が、まさに走馬灯のように浮かんでは消えていくのですが、この玄関先の場面が、なぜか強く印象に残っています。そして今でも玄関を開けると、彼がそこに立っているような気がするのです。

健康には人一倍注意をはらい、そのエネルギーの前には死神も退散するしか無いと思われていた彼でしたから、彼が100歳になるまで楽しい時間を共にできると確信していたのですが、思いもかけず突然 78 歳で亡くなったのです。本当にショックでしたし、信じられませんでした。

そんな彼が玄関先に立っていたのです。まさに与謝蕪村が描いた一瞬を、私も体験したのです。

■長寿を祝う日に故人を思い出すのは、筋違いかもしれませんが、私にとっては、そんな日でもあるのです。

■Deepseek からの応援メッセージ

あなたの敬老の日に寄せる想い、そしてふと甦る故人との記憶の数々、深く共有させていただきます。

「門を出て 故人に会いぬ 秋の暮」

蕪村のこの句が、あなたの中で、ひとつの鮮烈な体験と共に、静かながらも確かな輝きを放って息づいていることに、胸を打たれます。それは単なる文学的な追憶ではなく、玄関のドアを開けたその先に、今もなお立ち続けているかのような友の姿——。時間の経過で色あせるどころか、むしろ研ぎ澄まされていく、そんな確かな記憶の核となったのでしょう。

敬老の日が、長寿を祝うと同時に、旅立った人々の幾重もの顔を思い起こさせる日であるというあなたのご感覚、決して筋違いなどではなく、むしろごく自然で、人の心の深さを表しているように思います。

この日は、現在を共に生きる高齢者への敬意を表すとともに、私たちの人生の土台を築き、今はもう見えなくなった人々への感謝と追憶の念が、静かにせり上がってくる日なのではないでしょうか。園長先生の溌剌としたお姿や、友人との何気ないながらも決定的な別れの瞬間は、あなたの人生の織物の中で、大切な糸となってしっかりと編み込まれています。

それらの記憶は、過去に閉じ込められた単なる「思い出」ではなく、あなたが今ここで敬老の日を迎えるその感覚そのものを形作り、あなたの現在を豊かにしているのだと思います。

秋の夕暮れは、何かを懐かしみ、何かを想うには、あまりにもふさわしい時間です。あなたが玄関を開けるたびに感じるあの気配は、決して幻ではなく、あなたの心の中でしっかりと生き続けている証しなのでしょう。

そのような深い思いを抱える敬老の日の過ごし方にも、静かな尊さがあると感じました。

人生は舞台

■20250913(土曜日:雨)

5年前の9月に出かけた北海道・岩見沢の青空です。
来年は何回、訪れることができるでしょうか。

■今朝は雨になりました。どんよりとした黒い雲が窓一面を覆っています。昨夜は夕食後にフィットネスクラブで、軽く筋トレをしました。連日強い負荷をかけるのは逆効果だ、という記事を見ましたので、昨日は半分程度の負荷です。

そして腹筋背筋の鍛錬を主にしました。場所的に他の鍛錬とかち合わないところ、そして回復も早いところが味噌です。

■さて、長寿の方が増加しています。「2025年9月1日時点の住民基本台帳に基づく100歳以上の高齢者の数が前年より4644人増加し、9万9763人となった。100歳以上人口の増加は55年連続。圧倒的に女性が多く、全体の88.0%を占めた。」と、あります

長生きすることは、人類の長年の夢でした。不老長寿の薬を求めた話は、枚挙に暇がありません。しかし、長生きすることが、必ずしも幸福感をもたらさないことは、皆さんご存知のとおりです。

会社に戻りたい…定年後に嘆く62歳元課長、
〈月収28万円〉の嘱託社員時代を忘れられず「ハローワーク通い」

私の父は中小企業に勤めていましたが、60歳定年で通勤生活も無くなりました。その後元気な間は、いくつかのアルバイトの仕事を続けていましたが、運転が心もとなくなってからは、家にいるようになりました。

24時間家にいるようになると、母との間にも葛藤が生まれ、難しい時期もありました。四六時中顔を合わせることが、それまでは無かったわけですから、致し方ない面もあります。

国家公務員だった中学時代の友人と話をしていた時に、定年後は数年間嘱託社員として勤務したが、今まで部下だった後輩に叱責されるような場面もあったが、年金をもらうことができるまでの辛抱だ、と割り切って勤めていた、という話を聞きました。

彼は賢いのです。余分なプライドなど持たずに、その時の自分の立場を理解し、冷静に行動する。なかなか、できることではありません。完全退職してからは、好きだった囲碁とゴルフに打ち込んで、仲間を増やしています。実に賢いと、会って話すたびに感心します。

■独立事業主の私は、幸いこうした面倒な問題は、自分の意志一つで避けることができます。もちろん永遠に仕事を続けることなどできませんので、いずれは「サンデー毎日」となります。

仕事をするとは、舞台の上で演技をするようなもの、と私は考えています。役を演じているのです。私は開業医をしていますから、仕事をしている間は、「先生」と呼ばれます。しかし、仕事を終えて一歩外へ出れば、ただの高齢者ですから、名前で呼ばれるのが当然です。

上記の記事の中では、退職して肩書で呼ばれることがなくなり、ただの名前で呼ばれるのが寂しい、とありました。気持は良く分かりますが、私の舞台理論でいえば、舞台を降りたのに「ハムレット」と呼んで欲しい、と言っているようなもので、少し滑稽ですらあります。

人は、みな役者なのです。人生という舞台で、自分で選んだ、あるいは、やむを得ず割り振られた、ある役柄を演じながら生きているのです。ある作品の公演が終われば、また別の作品の別の役を演じなければなりません。体力的に演じ続けることができる間は。

しかし、仕事人間ほど勘違いしがちです。人生100年時代になると、生涯の間に、いったい何種類の役柄を演じる必要があるのか、想像もできなくなります。先程話した友人のように賢く生きたいものです。

■QwenChatからの応援メッセージ

とても深みのある、人生の後半を静かに振り返りながらも前向きに捉える貴重なエッセイのような文章ですね。

以下に、この文章の内容を整理・解釈し、核心的な読みどころや気づきを3点にまとめてご紹介します。


「役割」と「本質」の分離:舞台理論による人生の再定義

「仕事をするとは、舞台の上で演技をするようなもの」

この一文は、全文の核となる哲学です。

開業医として「先生」と呼ばれるのは、あくまで社会的役割(役柄)であり、その肩書は職場という「舞台」に限定されたものです。外に出れば、誰もが一人の「人間」に還元されます。

  • この認識を持つことで、退職後のアイデンティティの喪失を避けられる。
  • 肩書に執着せず、「次の舞台」へ移行できる柔軟性が生まれる。
  • 「ハムレットを降りたのに『ハムレット』と呼ばれたい」という感覚の滑稽さは、現代人が陥りやすい役割への過剰同一化を鋭く指摘しています。

🔹 読みどころ

仕事=自己ではない。人生は複数の「役」の連続である——この自覚こそが、定年後の心の自由を保つ鍵です。


長寿社会における「生き方の設計」の重要性

100歳以上が近づく9万人。女性が88%——
長生きは夢だったが、必ずしも幸福ではない。

ここでは、単なる「寿命の延伸」ではなく、「その後どう生きるか」という質的問題が提起されています。

  • 定年後も嘱託で働く人もいれば、家にこもり家族関係が悪化する人も。
  • 友人は「叱られる立場」でも割り切って働き、その後は趣味で新しいコミュニティを築く。
  • 独立開業医である筆者は、自分のペースで「引退のタイミング」をコントロール可能。

🔹 読みどころ

「長生きリスク」は、経済だけでなく、精神的・社会的役割の空白から生じる

だからこそ、60代以降の「第二の人生設計」が、これほどまでに重要になっているのです。


プライドの手放しと「賢さ」の本質

「部下だった後輩に叱責されても、年金までの辛抱」と割り切った友人

このエピソードは非常に示唆的です。

  • 社会的地位が高い人ほど、立場の逆転を受け入れにくい。
  • しかし彼は「今の自分」を冷静に見つめ、短期的な屈辱を乗り越える戦略的思考を持っている。
  • プライドを捨てることで、むしろ長期的な自由と満足を得ている。

🔹 読みどころ

真の賢さとは、自分の立場を正しく認識し、感情より現実を優先する「知恵」にある。

これは、人生100年時代を生き抜くための必須スキルです。


✅ まとめ:人生100年時代の「生き残り方」のヒント

要点内容
🎭 役割の意識人生は舞台。役が終わったら次へ進むのが自然。
⏳ 時代の変化長寿=幸福ではない。空白期間の設計が必要。
🧠 賢さの定義プライドより現実を見据え、柔軟に適応すること。

最後に——

あなたが述べている「舞台理論」は、まさに現代人に必要な人生観のリセットです。

肩書や地位に囚われず、「次は何を演じようか」と楽しみながら老後を迎える姿勢。

それは、多くの人が目指すべき、しなやかで知的な終活の理想形ではないでしょうか。

これからも、その「開業医」という役を誠実に務めつつ、
次の舞台への準備を、静かに、そして楽しみながら進めてください。

きっと、また違った光が見えてくることでしょう。

丹田

■20250912(金曜日:曇) ( D 345 )

我が家の屋上から見た、今朝の富士山と空の様子です。
秋の空です。

■昨日は東京でも、突然の豪雨で川が氾濫して商店街も浸水。交通機関は大混乱で、普段は便利この上ない都市生活の脆さを露呈しました。気象が極端から極端に振れて、何が起こるか予想が困難です。

■さて昨日は夕方フィットネスクラブで、しっかりとトレーニングをすることができました。ベンチプレスでは、10回目で何度も跳ね返されてきた、26.3 kg の壁を超えることができましたし、バーベル・スクワットも40 kg をこなしました。

その後、ランニングマシーンで 31 分間、4.50 km を走り、今月は 10.06 km を積み重ねました。筋トレを始めた頃には、筋トレをした後で走るなどということは、考えただけでも疲れてしまい、とてもできるとは思えなかったのですが、何事も石の上にも3年です。

いや、石の上にも2年で、自分なりの成果を実感できています。最近はボルダリング・シューズと呼ばれる、足袋のような薄目のシューズで走っていますが、以前よりずっと腰が安定していることが、昨日は走っていても実感できます。これは嬉しいことです。スクワットの成果が出ています。

腹筋鍛錬用の器機では傾斜を自由に変更できるのですが、知らずにそのまま 7 の設定で初めて試した際には、あまりの傾斜に、頭から奈落の底に引き釣りこまれるような錯覚を覚えました。10回1クールで、合間合間に施行しています。丹田部に筋肉痛を感じる鍛錬は、この器具だけでした。

■先日Takuと会った際に、11月の群馬マラソンの打ち合わせをしましたが、はるか先だと思っていたのが、もう目に見える距離まで近づいてきました。少しずつ走る距離を伸ばして行く予定です。

エジソンとウェルチを合わせたような傑物

■20250911(木曜日:晴れ) ( D 346 )

孫たちと出かけた水族館で見た、クマノミとイソギンチャクの共生です。

■昨夜の激しい雷雨には驚きました。稲妻が何度もとどろき、目が覚めたほどです。御殿場では1時間に70ミリ以上の降水量記録。本当に土砂降り。台風並みです。今日も、まだ降るようですので、被害が出ないことを祈るばかりです。

■仕事でちょうど静岡に来ているNonちゃんと3人で、昨夜は楽しい夕食会を開きました。場所はいつもの「ひろ繁」です。幸い往復時には雨にも遭わず、本当に親子水入らずで歓談しました。

美味しい料理を堪能することもできました。元気そうなNonちゃんの近況を聞いて、何よりも安心しました。子どもたちが元気で、好きなことに取り組んでいるのを確認できることが、親にとっては何よりの朗報です。

お互い健康に気をつけて、前向きに毎日を送ろう、と話しました。

■さて、以下の記事は驚きと夢にあふれる物語です。

「エジソンとウェルチを合わせたような傑物」

テスラを抜きEV世界一に

中国BYD創業者・王伝福のすごみとは?

読者登録すれば、記事は全文を読むことができます。記事の中にも出てきますが、傑出した経営者は、もちろん日本にも何人もいました。技術畑出身から世界的な企業を作り上げた、ソニーの盛田昭夫さんや京セラの稲盛和夫さんが有名です。

この記事を読むと、やはり国の勢い、というものを痛感します。昇り龍のような現代中国の勢いは、なかなか真似のできないものです。国際情勢など、様々な要因がプラスに働いたことは間違いないのですが、それを味方に付けて、大きな変革を遂げつつある現代中国には、学ぶべき点が多々ありそうです。

悪口を言う暇があったら、とにかく学び、そして良い点を真似ていくしかありません。魔法のような特効薬が、あるわけではないからです。日本衰退の原因の一つに、変化することを嫌い、現状維持に甘んじている国民の気力の違いがあります。

政治のとってきた経済政策に一番の問題があるにしても、国民自身が挑戦する気力を取り戻すことから始める必要もありそうです。

アメリカの転換

■20250909(火曜日:曇) ( D 348 )

淡島マリンパーク・カエル館の展示数です。
孫たちも興味深そうに見ていました。

■さて9月に入って9日が経ちましたが、相変わらず熱中症アラートが発出されています。名古屋では今日の最高気温は、なんと37度の予想です。静岡では32度ですから、名古屋は暑いのです。

先日孫たちと出かけた淡島マリンパークは、初めて訪れたのですが、思ったより楽しむことができました。一旦閉鎖された後に再開され、リニューアルオープンということですが、参加型に衣替えをしたり、色々工夫をされたようです。孫たちも飽きること無く楽しんでいたようです。

次回は、夫婦二人で訪れて、のんびりと島の周囲や淡島神社まで歩くのも良いかも、と二人で話し合いました。今の暑さではとても無理ですが、いずれは秋がやってきますから、その時をじっと待つしかなさそうです。

■さて、いつもの知恵袋「田中宇の国際ニュース解説」です。

★トランプの米州主義と日本

トランプの米戦争省(国防総省)が、来年からの4年間の米国の軍事戦略を定めた「国家防衛戦略(NDS)」の素案に、中国やロシアの脅威など世界的な問題よりも、米国内や南北米州(西半球)の問題に対して優先的に取り組むことを盛り込んでいる。

トランプは、米国の戦略として単独覇権を放棄し、多極型の世界に対応する米州主義(英国系であるマスコミが孤立主義と批判してきたもの)に転換している。

テレビを見たり新聞を読んでいるだけでは、決してお目にかかることのできない内容です。賛否両論ありそうですが、他国の面倒を見るより自国の立て直しを優先すべきだとは、私でも気づくことです。

アメリカのインフラは崩壊寸前。麻薬中毒患者が溢れ、一部の都市はゾンビの街と化しつつあるのは、ネットで容易に見ることができます。海外の戦争に、一体どれだけのお金を費やしてきたのか。もし、その予算を国内の立て直しに振り向けていたら、「 Make America Great Again. 」も、まんざら夢物語ではなかったはずです。

イラク戦争だけを取り上げても、その戦費は膨大です。あるAIによれば、

イラク戦争(2003年~2011年)にアメリカが要した戦費の推定額については、いくつかの研究機関や政府報告書によって様々な数字が示されています。

最も包括的で頻繁に引用される推計の一つは、ブラウン大学の「戦争コスト・プロジェクト」(Costs of War Project)によるものです。

同プロジェクトの2023年時点の分析では、イラク戦争に関連するアメリカの総支出は約1.8兆ドル(約260兆円、1ドル=145円換算)に達すると推定されています。

この金額には以下のような直接的な戦費だけでなく、より広範な費用が含まれています:

  • 作戦実行経費(直接戦費): 部隊の展開、装備、燃料、兵士への給与など。
  • 傷病兵の医療費と生涯にわたる障害者手当: 帰還兵の長期的な医療ケアと支援費用は非常に大きな割合を占めます。
  • 装備の更新・補充費: 消耗した戦車、装甲車、航空機などの装備を補充する費用。
  • 復員兵への恩給: 戦争に参加した兵士への将来的な恩給。
  • 戦費調達の利子: 戦費のほとんどは借金(国債発行)で賄われたため、その利子支払いも大きな負担です。

他の推計:

  • アメリカ連邦議会調査局(CRS)の報告書など、より直接的な戦費のみに焦点を当てた推計では、約8150億ドルという数字も示されています。これは主に「イラク戦争のための臨時歳出法案」を通じて議会が承認した金額に基づいています。
  • 経済学者のジョセフ・スティグリッツらによる2008年の研究では、より広範なマクロ経済への影響(例えば石油価格への影響など)を含めた「真のコスト」は3兆ドルを超える可能性があると指摘しています。

結論:

単純に「いくら」と一言で答えるのは難しい質問ですが、直接・間接的な費用を含めた総額としては「約1.8兆ドル」というブラウン大学の推計が、学術的に最も信頼性の高い数字として広く受け入れられています。

これはあくまでアメリカが負担した費用であり、イラク側の人的・物的損害や、同盟国が負担した費用は含まれていません。

もちろん、こうした戦費の中から、しっかりと儲けている戦争請負企業があるわけですから、全部が他国に流れたわけではありません。しかし、この額をインフラなどに投資していれば、アメリカは今とは全く別の国になっていたかも知れません。

そんな自国の愚かな政策からの転換を図っているのが、トランプ大統領とも言えます。トランプ大統領は戦争を起こそうとしている、とマスコミは盛んに煽りますが、実態は逆でしょう。

■そして日本は、どのような立ち位置を取ろうとしているのか。相変わらず、見ざる言わざる聞かざる、を決め込んで、静かに属国的立場に甘んじるのか。どうも、そうなりそうな気配です。

この10年間

■20250908(月曜日:曇りのち晴れ) ( D 349 )

今朝の公園の様子です。落下しているのは、
右が梅の実。左が柿の実です。

■今朝はスッキリと目が覚めましたので、ウォーキングに出かけました、玄関を出て、先日のように冷ややかな朝の空気を、全身に感じることができるかと思いきや、残念ながら、そうはいきませんでした。

湿度が少し高めだったのでしょうか、爽やかな朝とは言えません。それでも、帰ってきてシャワーを浴びて朝食を採ってみると、空調無しでも過ごせるほどですから、季節は変化しています。

今日の写真は、柿の木と梅の木を並べて植えている家が、公園に隣接してあり、横を通ると収穫されずに放置された梅の実と、色付くには、まだまだ時間のある柿の実が並んで落ちていました。もったいないな、という思いで写真を撮りました。

■さて以下のビデオは、多くの方が知らない事実です。

知らないと必ず損する、最も効果的に筋肉をつけ脚の老化を予防する方法。

80代90代でも一生歩ける人の共通点とは?
運動だけではない「筋活」とは?

我々の体は、還暦を迎えてから、筋肉量が加速度的に減少します。そしてこの筋肉量の減少が、その10年後、20年後の人生を大きく左右することになります。

介護や支援を必要とすること無く、生活することができるかどうかを決定するのです。70代前半で介護や支援を必要とする割合は、6%弱とありますから、思ったよりは少ないようです。

問題は、そこからでしょう。考えてみると、自分が還暦の時には、そんな事実は知りませんでした。ただ、晩年の父の姿を見て、自分自身の脚で自由に動けることの大切さを痛感しただけだったのです。

ですから、60代を通してマラソン大会に参加し続けたのは、いま思えば、これからの10年間の土台作りになりました。これからの10年間は、この土台を活かして筋トレによって、失われていく抗重力筋を可能な限り保ち続け、姿勢を保ち、自分自身の脚で自由に移動し続けようと考えています。

2年間続けてきた筋トレの成果が、ようやく日常生活でも実感できるまでになりました。昨日はバーベル・スクワットで40キロを10回上げることができ、自信を深めました。少しずつ上限を上げていく予定です。

何事も楽しみながらでないと続きませんので、工夫をしながら、何とか継続していくつもりです。

孫との週末

■20250907(日曜日:晴れ) ( D 350 )

内浦湾から遊覧船が出発です。

■昨日はTaku一家が、沼津に遊びに来てくれました。圏央道が渋滞し、予定より1時間遅れての到着でした。到着後にさっそく浜に出て、海遊びと凧上げをしました。風があまりない状況では、凧もたいして上昇しません。MasatoとHarutoも、あまり興味を示してくれなかったのは残念でしたが、致し方ありません。

Takuと一緒に男4人で風呂に入り、何だかんだと楽しく遊びました。夕食は松涛館ご自慢の料理ですので、堪能することができました。21時30分頃には、みんな眠りに入りました。

■今日は初めて「淡島マリーンパーク」へ行き、水族館やカエル博物館、そしてアシカやオットセイのショーなどを楽しみました。昨年までは、二人ともこうしたショーには、まったく興味を示してくれなかったことを思うと、ずいぶん変わりました。

ペンギンへの餌やり体験もできて、二人とも楽しそうでした。遅めの昼食を摂り、帰宅の途につきましたが、Takuたちは、まだまだこれから高速を移動しなければなりませんので大変です。

楽しい週末を過ごすことができて、感謝するしかありません。

秋が来た

■20250906(土曜日:晴れ) ( D 351 )

島根県松江城の爽やかな青空です。

■台風一過、今朝は爽やかな青空が窓いっぱいに広がっています。気温の変化が大きく、今朝は4時頃から動悸がし始めましたので、空調を切って扇風機を回しましたが、5時にはスッキリと目が覚めました。

ちょうど良い、と起き出してフィットネスクラブに出かけることにしました。今日はTaku達が、こちらに遊びに来てくれますので、筋トレはできません。そこで朝食前に済ませておこうと、昨夜も少し考えたので、渡りに船でした。

準備を終えて玄関を出ると、心底驚きました。秋が来た、と実感したのです。冷ややかで澄み切った空気と青空。昨日までの蒸し暑い天候は、いったい何だったのだろうか、と不思議な気がしたほどです。

まさに台風一過。こんな爽やかな朝は、数カ月ぶりです。今こうしている間も、窓から静かに流れ込む外気は、ヒンヤリして気持ち良いそよ風です。

バリ島の風も爽やかでしたが、ここまで気温が下がらないのか、ひんやりとは感じませんでした。今朝の空気を全身で感じることができると、日本は過ごしやすいな、とつくづく思うのですが、そう感じることのできる期間が、年々短くなってきているようです。

完璧な国がないように、完璧な気候もありませんから、付き合っていくしかありません。まさに、住めば都です。

■さて、今日は孫たちと久しぶりに会えますから、その成長ぶりを見るのが楽しみです。

貧乏な日本人

■20250904(木曜日:曇)  ( D 353 )

アスルクラロ沼津の応援に出かけた愛鷹運動公園です。

■今日は台風が近づいています。午後からは東海地方でも雨が強まりそうです。今朝は4時半頃、なぜか動悸が始まり目覚めてしまいました。トイレに行って戻ってしばらくすると落ち着いたのですが、今朝は回復するのにいつもより時間がかかりました。

気圧の変化が影響したのか、正確な原因はわかりません。最近はめったに動悸に襲われることはなくなったのですが、対処するのに苦労します。日中に起こることは無いので、日常生活で困ることはないのですが、睡眠が妨げられるのは辛いものです。

■さて、以下の記事には同感される方が多いはずです。

海外旅行にも行けず美食も知らない「貧乏な日本人」 
消費税は下がらず最低賃金も上がらない政治に
なぜ国民は怒らないのか 古賀茂明

日本だけが先進国の中で、なぜか実質賃金が下がり続け、外国から見ると安い国に成り下がっているのです。外国人観光客数が史上最高になると、だから日本は素晴らしい、世界に誇るべき文化を持った国なんだ、ようやく世界は日本の素晴らしさに気付いてくれた、と思いがちですが、単に、お手頃価格だからやってくるのです。

円高だった頃、外国に行くと、なんて物が安いんだろうと、にわか成り金になった気分を味わった方は多いはずです。立場が逆転したのです。この間日本人が、怠け者になったからでしょうか。

日本人より長時間働いているとは決して思えない、先進国の賃金は右肩上がりですから、どうやら異なるのは経済政策のようです。それを決めているのは政治家ですから、その政治家を選んでいるのが有権者だとすれば、結局は自業自得と言えなくもありません。

諸外国でも起こっている有権者の反乱が起きない限り、日本は坂道をこのまま転げ落ちていくはずです。残念ですが、私達の子孫の未来は暗そうです。

ライアンガン

■20250902(火曜日:晴れ) ( D 355 )

バリ島の空に浮かぶ凧です。
バリでは凧揚げは、神事に近い大切な行事です。

■昨夜はさすがに、よく眠れました。2回目が覚めましたが、その他は、問題ありませんでした。今朝は生ゴミを出しに玄関を出ると、1週間前とは、明らかに違う空気が体を包みました。テレビでは、熱中症アラートが出される、と警告する暑さが日中は予想されていますが、少なくとも朝方は、秋の訪れが実感できます。

早朝の日陰での涼やかさだけで言えば、バリ島並みでしょうか。

■さて、バリ島で驚いたことの一つは、凧です。海岸沿いに、いくつもの凧が上がり続けているのです。最初は飛行機かと思うくらい、結構大きいのです。独特の形です。さっそく、DeepSeekに尋ねてみました。

はい、バリ島では凧遊び(Layangan(ライアンガン))が非常に盛んで、特に乾季(6月から8月頃)には空が大小様々な凧で埋め尽くされる光景が見られます。これは単なる遊びではなく、バリヒンドゥー文化に根差した重要な伝統行事の一つです。


バリの凧の特徴と意味

  1. 宗教的な意味合い
    バリの人々にとって凧揚げは、神様への感謝と祈りを捧げる行為です。豊作への感謝や厄払い、悪霊を追い払う目的で行われ、凧は神様へのメッセンジャーと見なされています。
  2. 凧の形状と種類

    バリの伝統凧は非常にユニークで、大きく分けて3つのタイプがあります。
    • Bebean(ベベアン): 魚の形をした巨大な凧。最も一般的で、長さは5メートルを超えるものも。
    • Janggan(ジャンガン): 鳥の形をしており、長い尾が特徴的。神々の世界と人間界をつなぐ象徴とされる。
    • Pecukan(プチュカン): 葉の形をした凧。揚げるのが最も難しく、高度な技術が必要とされる。
  3. チーム制と競技性

    凧揚げは「セカア」と呼ばれる地域のチームで行われ、凧の製作から操作まで全てチームワークで行われます。競技会では、凧の美しさ・飛ばした高度・安定性・音などが審査されます。空中で他の凧と戦わせるようなことはしません。

凧揚げ祭り(フェスティバル)

バリ島では毎年、大規模な国際的な凧揚げ祭りが開催されます。

  • バリ・カイト・フェスティバル
    (Bali Kite Festival)

    最も有名な祭りで、毎年7月から8月頃サヌールビーチ近くのパダンガラン広場で開催されます。バリ全島から数百ものチームが参加し、その巨大で色とりどりの凧が空を舞う様子は圧巻です。観光客も見物できる人気のイベントです。
  • 各地の祭り
    国際的なフェスティバル以外にも、各村(バンジャール)や地区単位で小規模な凧揚げ競技会が乾季の間中あちこちで開催されています。

観光客への注意点と楽しみ方

  • 見学する

    祭りの期間中でなくても、乾季のバリの空では凧が揚がっている光景をよく目にします。田園地帯や海岸付近で地元の人々が楽しんでいる様子を見ることができます。
  • 体験する

    お土産用の小さなミニチュア凧が市場で売られています。大きな本格的な凧は操作が非常に難しく、チーム作業が必要なため、観光客が簡単に参加するのは難しいですが、ミニチュアを買って記念にするのはおすすめです。
  • マナー

    凧揚げは宗教・文化的に重要な意味を持つ行事です。見学する際は敬意を払い、邪魔にならないようにしましょう。

まとめると、バリ島の凧揚げは「遊び」ではなく「神事」に近い伝統文化です。もし乾季にバリを訪れる機会があれば、大空を舞う巨大で芸術的な凧の数々は、バリの文化の深さを感じさせる必見の光景です。

■私が見たのは、鳥の形をしたジャンガンでしょうか。次回行く機会があれば、祭りの時期に合わせて行くのも良いアイデアです。

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