2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

カテゴリー: マラソン Page 2 of 9

新聞離れ

■20220607(火曜日:晴れ)

旅行中に2度、キタキツネに遭遇しました。

■今日からまた日常の再開です。先週の木曜日から出かけていたマラソンの旅も昨日で終わり、また一から日常が始まります。旅の間、テレビを見ることがほとんどなく、早く休むのが習慣になってしまいましたので、昨日も夜はテレビを見ることなく、読み残していた村上春樹さんの本を読んだ後、眠りにつきました。

走った当日は、それほど疲れを感じていなかったのですが、昨日の夜から、大腿部をはじめとして筋肉痛が出てきました。年を取ると遅れて出てくるのが特徴です。

これから疲労が今までとは違った形で、影響してくるのが少し心配です。無理をせずに、なるべく休養をとる予定です。疲れが溜まって来ると、胃腸に来ることが私の場合しばしばあります。

特に最後の最後まで気付かずに疲れが溜まりきると、急性胃腸炎の形で苦しめられることが、何度かありました。これは本当に辛いので、それだけは避けなければいけません。今週いっぱいは、大人しく休むのが正解です。

■さて、飛行機に乗ってみると地元の新聞を機内で読むことができます。今回は北海道新聞を読むことができました。6月6日付の北海道新聞コラム欄「卓上四季」では、ウクライナ問題が取り上げられています。

ウクライナ領に属するオデッサの港では、ロシア軍に封鎖されて、穀物積み出しが滞り世界的な食糧不足が懸念されている、と指摘し、その様子は映画「戦艦ポチョムキン」を思い出してしまう、と書いています。

そして最後に筆者は、こう結んでいます。

映像に訴えて強権批判する手法は、ウクライナのゼレンスキー大統領と似通うものがあろう。支配に抗する表現の力は侮れない。

一面を飾るコラムの筆者というのは、新聞社の中でもエリートに違いありません。朝日新聞の天声人語が良い例です。

しかし、この記事を読む限り、筆者は深く考えることなく、テレビを見て原稿を書いたのではないか、と思えてしまうのです。今の日本の新聞は、どこも似たりよったりです。そのレベルを如実に表している、としか思えません。

本当に残念なことです。これでは、ますます新聞離れが進むことは、100%間違いありません。読むに値しない内容だからです。

太宰府天満宮

今日の旅程です。雨の中の300キロでした。

■今朝の福岡天神は、雨でした。9時30分発の西鉄線、特急大牟田行きに乗って、太宰府天満宮へ行きます。さて雨の中、そのまま電車で行くか、途中で予約してあったレンタカーを借りて車で行くか、迷いました。

西鉄の安全のための柵です。視覚障害者にとっては、ありがたい存在です。


結局、途中の乗り換え駅、二日市駅で降りて、レンタカー店まで歩きました。今回借りたのは、新型アクアでした。ギアの切り替え方が分からず、質問してしまいました。ETCカードを挿入し、カーナビを確認して出発です。

太宰府天満宮までは、10分ほど。手前の大きな駐車場に止めて歩きました。駐車料金は500円。まだ、観光バスは2台しか止まっていませんでしたが、11時を過ぎて駐車場に戻ってみると、中学生の団体が続々とバスから降りてくる様子に驚きました。大阪からの生徒さんのようです。これまで、伊勢神宮、出雲大社にも行きましたが、負けず劣らず立派な建物でした。

■さて今日の宿に向かって出発です。宮崎県日向市の「Pleasant 日向」です。300km弱ありますので、高速道路を延々と走るしかありません。

到着したのは、16時過ぎ。ビーチに向かって高台にあり、サーフィンを楽しむには絶好の位置です。18時になっても、何人もの人がサーフィンを楽しんでいます。

17時から風呂に入りました。大きな湯船で熱めのお湯を、ゆっくり楽しみました。夕食は18時30分から。空腹で待つしかありません。

どういう訳か、常用している眠剤を忘れてしまい、昨夜は熟睡できませんでした。1時間を残して眠気に襲われた時点で、運転を代わってもらいました。

高速道路で途中、霧に襲われました。由布岳IC付近が最悪でした。道中、残念ながら周囲の山並みは、ほとんど見ることが出来ませんでした。

二日目の宿です。サーファーが多いようです。

■夕食は通常のものに、海の幸を追加注文しました。そして、次から次と目の前に現れる、その品数の多さに驚きました。こんな数多くの提供を、これまで受けたことが無かったのです。食べ切れるか、心配になりました。3年前に、家族で開業されたようです。部屋も綺麗で広々としています。

今夜の夕食です。海の幸がテーブルから溢れそうでした。

エビフライは絶品でした。サクサクとして、とても美味しく食べることができました。もう満足です。あとは寝るしかありません。

岩波文庫

■20220416(土曜日:雨)

昨年のGWに出掛けた鳥取県「道の駅:琴の浦」です。

■今朝も走ることができませんでした。雨です。天気予報では、ぎりぎり何とか、なりそうだったのですが、5時に目覚ましが鳴って、雨音に気付きました。致し方ありません。もう一度、眠りにつきました。

こうなると2日前に、だるくて辛かったのですが、雨の降らなかったあの日に、走っておいた方が良かったかもしれません。まぁ、今更過ぎたことを嘆いても仕方ありませんので、天気と相談しながら、走っていくしかありません。

数日前までは、もう夏が来たのではないかと思ったほどだったのですが、なんと昨日の夜は、ネックウォーマーを持ち出して着用していました。寒かったのです。

■昨日の午後、今年度初めての学校検診も始まりました。学校医として検診事業に参加しているのですが、新年度が始まると恒例の学校検診が始まるのです。

詳しく調べたわけではないのですが、こうした学校検診という事業は、外国にはあまりないようです。

ベトナム戦争における、枯葉剤被害者支援の旅に、以前ベトナムへ出掛けた際に、小学校に立ち寄って、学校検診をしたことがありました。学校関係者に聞いたところでは、ベトナムでは、そうした検診事業は行なわれていないようです。今では経済力も付き、豊かになったベトナムでも、検診事業が始まったかもしれません。

■先日、岩波書店のホームページを見る機会がありました。昔は古典というと、岩波文庫で読むことが多かったのですが、今では書店に行っても、岩波文庫を見ることはほとんどなくなりました。岩波書店でも電子書籍を発行しているのか、と思って確認したのです。

辞書の定番、広辞苑を CD-ROM 版として発売したのは、かなり前ですが、電子書籍の取り扱いは、決して早い方ではありませんでした。いずれ書籍は全て電子化されるのは時間の問題だ、と当時から思っていた私は、一刻も早く岩波文庫を電子化すべきだと考えていました。しかし、やはり伝統ある書店ですのでなかなか、舵を切るのは難しいのでしょう。

昨日、確認したところでは、全ての作品ではないにしても、アマゾンや楽天の電子書籍にも対応しているようです。

ただ、古典という分野では、著作権の切れた作品がかなりあります。そうなると、誰もが自由に読むことのできる、青空文庫という存在がライバルとなります。

電子書籍で読むとなれば、むしろ、青空文庫の方が読みやすいとも言えるほどです。わざわざ、岩波文庫の電子版を購入する人は、あまりいないでしょう。出版業界は、インターネットの普及によって、本当に様変わりになってしまいました。

引っ越しや家の改築によって感じるのは、場所を占めてしまう、あるいは移動に大変手間のかかる、スペースインベーダーとしての書籍の存在です。処分するしかありません。でも、電子書籍ならば、その必要がないのです。

全ての書籍が電子化されている訳ではないのですが、そうしたことを考えると、出来うる限り電子書籍として保有しておくのも、終活の一つかもしれません。

かなしい

■20211027(水曜日:晴れ)

2018年に出かけたベトナム・バクザン省の様子です。ホテル前の大きな広場で植木市を開催してました。

■今朝は走りました。3日ぶりです。5時15分に目覚ましを合わせて起き出し、20分間、校庭を走りました。結局、今日は37分50秒、5.77kmを走り、今月は8回のランで49.95kmを積み重ね、月100キロ走までは、残り4日で50.05kmとなりました。

これまでの目標達成は、もう明らかに無理ですので、とりあえずは50キロを走り切ろうと、あともう一回走るつもりです。来月からは、3088プランに切り替えて、毎月88キロを走る予定です。

■昨日の東京新聞「今週のことば」では、種田山頭火の句が紹介されています。

「父によう似た声が出てくる旅はかなしい」

NPO法人・くだかけ会代表の和田重良さんは、こう書かれています。

先日、ラジオを聴いていたら、「父は75歳で亡くなったのだから、僕ももうあと数年です」と言っている人がいました。

年齢を重ねてくると父や母の人生の軌跡となぞらえて、自分の老いを背負っていくものなのですね。

そっくりなハゲ頭の形、くしゃみや咳の仕方もまるで生き写しとなり「人生」を味わいながら複雑な思いになるのです。

「かなしい」は哀(かな)しいのか、愛(かな)しいのか、とても複雑ではありますが。

確かに、和田さんの書かれている通りだと、私も思います。

最近強く感じるのは、この中にも書かれてある通り、自分の父親が亡くなった年齢が、自分にとって一つのゴールに思えてきたことです。本当に、もう目の前にあるように、遠い未来ではなく、現実として立ち現われてきたのです。

父は90歳で旅立ちましたから、私の今の年齢からすれば、あと22年ありますが、晩年の父を振り返って思うのは、自分には、それほどの時間は残されていない、という強い思いです。

あと何回、満開の桜を見ることができるのか、柿の実が実るのを、そして柿の葉が青葉から茶色に変わり、散っていくのを見ることができるのか、もう自分の指で数えることができるまでになってきたのです。

慌ててみても仕方がありません。一日一日を大切にするしか、自分にできることはなさそうです。

意外

■20211025(月曜日:曇)

ネットに載った、富士市商店街から見た富士山です。浮世絵のようだと大評判です。

■今朝は、ゆっくりと休みました。昨日の朝は1時間以上走り、その足で参議院議員補欠選挙投票所に行き、投票を済ませました。先月の教訓から長めに走った時は、やはり休養を充分取る必要がありそうです。

静岡県の補欠選挙では圧倒的に有利と考えられていた、自民党候補者が落選してしまいました。野党は統一候補を立てることができなかったので、通常であれば一方的な結果だったのでしょうが、時の風向きがそれを許さなかったようです。

9年間も同じ政権が続き、しかもその間に日本は不景気が続き、さらにはコロナ禍が襲ってきました。日本は本当に貧しく、力ない国になりつつあるのです。経済政策の過ちなのです。これまでの選挙で、野党はその事に全く触れませんでした。抽象的なことばかりを叫ぶのみで、有権者の生活に寄り添っているとは、とても言えませんでした。

そんな中で起きた大きな変化が、2019年の参議院選挙において立ち上がった、れいわ新選組の衝撃です。山本太郎代表の語る政策は、特別奇妙奇天烈でも過激でもないことは、彼の演説を聞いていれば誰にでもわかることです。

それに比較すると、立憲民主党の枝野代表の演説内容が、有権者の心を鷲掴みするとは、お世辞にも言えないことは一目瞭然です。この代表の下では、政権をつかむことは、おそらくできないでしょう。

総選挙が終わり、いずれは行われる代表選挙において、有権者の心をしっかりと掴むことのできる新たな代表を選べるかどうかが、日本の未来を左右しそうです。

開業医

■20210911(土曜日:曇)

北海道、大雪・森のガーデンの花々です。暑い一日でした。

■今朝は走るつもりだったのですが、睡眠のリズムが合わずに、目覚まし時計がなった時には、起き出すことができませんでした。そのあと1時間も寝込んでしまいました。

ようやく土曜日に、たどり着きました。通常の会社勤めであれば、土日は週休2日のことが多いでしょうから、今日から連休ということになります。つまりは明日も仕事をしなくても良いわけです。

花の金曜日、花金とは以前から言われていましたが、つまりは2日続けて仕事がなくて、心ゆくまで羽を伸ばせるという意味です。日曜日が一日休みなのは当然なのですが、翌日はもう仕事が待っていますので、心ゆくまで羽を伸ばす、というわけにはいきません。

残念ながら、開業してからは、暦の上での連休以外は、心ゆくまで羽を伸ばすということはなくなりました。

仕事以外の組織、例えばロータリークラブなどでも、重要な会議が土曜日に行われることが年々増えてきています。多くの会員が土日連休なので、そうした傾向になってきているのは理解できます。

しかし私の場合は、残念ながらそうした会議には出席できません。土曜日は、外来が最も混雑する日だからです。

またゴルフのコンペなども、土曜日に行われることが多くなってきました。ロータリークラブなどでの懇親ゴルフコンペも、最近は土曜日に行われるため、出場できなくなりました。土曜日に開催してもらったほうが、多くの会員には都合が良いのです。最大多数の最大幸福ですから、これは致し方ありません。

最近つくづく思うのは、開業医というのは、決して割の良いものではないということです。まずは、代わりがいません。ということは、自分が仕事をしなければ、1円にもならないということです。通常の会社であれば、ある人が例え急病で休んだとしても、それだけで会社全体が止まってしまうということは、まずあり得ません。しかし一人で開業している場合には、医師が急病で倒れれば、そのまま病院は休診になってしまいます。従業員の1人が休んだために、工場全体が閉鎖になるようなものです。

今思うのは、3人の子供たちを夫婦で育てながら、よく今まで無事に仕事を続けてこられたものだという思いです。怪我もしましたし、肺炎にもなりました。でも結局こうした原因で休んだのは、30年間で3日間だけだったように思います。勤務医でいるほうが、みんなのために結局は良いのではないか、とつくづく思うようになりました。

韓国人BC級戦犯

■20210402(金曜日:晴れ)

花吹雪の中の愛車、インプレッサ・スポーツです。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日は朝は、月初めのランニングをしましたし、昼休みにはロータリークラブの例会に出席し、その後新沼津カントリークラブで少しゴルフの練習をしました。

帰ってきて一休みしてから、Sunと一緒に日帰り温泉に行って、ゆっくりと湯に浸かり疲れを取りました。その後二人で一杯やりましたが、疲れもあったのでしょう、帰ってきてからは一時うたた寝をしてしまいました。夜は夜で何回か目が覚めました。暑いような寒いような、苦しいとかつらいとか、そういうことでは決してないのですが、なぜだか熟睡できないのです。

運動をした後、体から疲れが抜けきらないのが、年をとった証拠でしょうか。 こればかりは致し方ありません。上手に自分自身と対話しながら、付き合って行くしかありません。

■さて今朝の東京新聞こちら特報部では、「在日韓国人元 BC 級戦犯・李鶴来さん死去」と題して書かれています。 見出しはこうです。

「最後の一人」不条理訴え、「日本国籍失い保証対象外」同朋のため奔走、「何のための刑死か」晩年まで怒り。

書き出しの部分は、こうです。

『在日韓国人元 BC 級戦犯の李鶴来さん死去、96年の生涯を閉じた。日本軍の捕虜監視員に動員されて戦犯として裁かれたうえ、戦後は「外国人」扱いされて援護の対象外に。処刑された同法の無念を引き継いだ人生が残したものはーーー』

李さんの人生は苦難の連続でした。日本支配下の朝鮮半島で生まれ、1942年、17歳の時に日本軍の捕虜監視員としてタイに渡りました。当時の日本総督府は朝鮮や台湾の青年を動員し、約 3,000 人がアジアの戦場に送られたのです。

泰緬鉄道の建設現場に配属された李さんは、米国や豪州の捕虜を監視したが、2年の契約が過ぎても帰らせてもらえず、終戦を迎えました。そして待っていたのは連合国による戦犯法廷。捕虜虐待の罪で死刑判決を言い渡され、約8ヶ月シンガポールの刑務所で死刑囚として過ごした後に減刑され、 1951年に東京の巣鴨プリズンに移されました。

しかし、翌1952年サンフランシスコ平和条約の発効で、李さんら 朝鮮半島出身者らは日本国籍を失うことになりました。 日本人として戦争の罪を裁かれながら、外国人と見なされて日本政府の援助から排除されたのです。日本の元軍人・軍属に支給される恩給や遺族年金もありません。

捕虜収容所の末端で、上官の命令に従うしかなかった朝鮮の青年たちが裁かれたのです。朝鮮人 BC 級戦犯148人のうち、23名に死刑が執行されました。生前李さんは、こう訴えていました。

日本人戦犯の場合は自分の国のために死んでいくんだとまだ思えるのだろうが、韓国人の場合はそういう気持ちさえ持てなかった。誰のために、何のために死ななければならなかったのか。ーー刑死者に報いてほしい。不条理を正したい。

超党派の日韓議員連盟は特別給付金を支給する法案をまとめましたが、成立していません。幹事長の河村建夫衆議院議員は「このままでは済まされるものではない。ご逝去を無にしない」と誓うように語っています。

■BC 級戦犯の問題は、 テレビドラマ「私は貝になりたい」で多くの国民が知ったはずです。フランキー堺さん主演のこのテレビドラマを、私も見た記憶があります。まさに不条理の塊です。

戦争そのものが不条理なのですが、結局被害者となるのは、弱い者たちなのです。強いもの、ずる賢いものは、最初に逃げ出し、そして生き延びているのです。

そうした人々の一部が、戦後の日本を作り上げてきたのです。私たちはそのことを、ほとんど学んでいませんし、知ってもいません。 まずはそのことを知ることから、 戦後目指すはずだった真の民主国家日本が、生まれてくるのではないでしょうか。 

オンライン会議

■20210305(金曜日:曇)

2016年に枯葉剤被害者支援の旅で立ち寄ったベトナム・ハロン湾の様子です。

■昨夜は第14回沼津ベイエリア眼科フォーラムがリバーサイドホテル沼津で行われ、私は開会の挨拶と座長を務めました。 お二人の先生が講師を務めてくださり、最近の緑内障手術の状況と小児の眼科疾患について講演をされました。

会場に来られていたのは10名弱の先生方で、ほとんどはオンラインでの参加となりました。Zoomでの開催でしたが、講演も滞ることなく無事に終了し、ほっとして帰宅しました。

先週の土曜日に行われた静岡でのセミナーには、私はオンラインで参加したのですが、ZoomやTeamsといった会議用のオンラインシステムは使わずに、ある情報技術会社独自のシステムを用いたようです。そのおかげかどうか、ブラウザだけでアクセスし画面も視聴できて、特別な準備も必要ありませんでしたので、参加する方としてはとても楽でした。

しかし後で関係者の方に話を聞いたところでは、かかった費用が半端ではなかったようです。聞いたところでは200万円弱の経費がかかったということで、私達のような弱小眼科医会では、とてもまかないきれる額ではないと分かりました。

昨夜の会では、後援してくれた製薬会社の担当者がZoomのセットアップをされていたようですので、いわば手作りのオンライン会議となっていました。

東部眼科医会も6月の講演会をオンラインのみで開催することに決定しましたので、どのように運営するかという問題と格闘中です。専門業者に依頼することはもちろんなのですが、座長の先生も含めて、全ての参加者をオンラインで進めるか、一部屋別に準備して運営するかの難題です。その場合運営経費が桁違いになってきます。頭の痛い問題です。

■さて今朝は走りました。いつもの通り4時半に目覚まし時計を合わせて起き出そうと思ったのですが、ちょうど4時頃目が覚めてしまいましたので、もう少し眠ってから再度起き出そうかどうか迷いました。

でもここで一旦また寝てしまうと、睡眠のリズムの関係で再度起き出すのはとても辛くなりそうなので、そのまま起きだして生ゴミを所定の位置まで運び、準備運動をした後スタートしました。

今朝は腰が重くて、小学校の校庭での予定していた35分のランは途中で切り上げました。なんとか、だましだまし走り続けたのですが、さすがに疲れが溜まっていたのでしょう。結局今朝は45分走り6.62 km を積み重ね、今月は2回のランで17.13 km を走り、月100 km 走までは残り26日で82.86 km のところまで来ました。

飢餓海峡

■20210221(日曜日:晴れ)

玄関横で咲いたAyaちゃん桜、河津さくらです。今年も咲きました。

■昨日から激しい風が吹き荒れています。昨日は午前中に診療を終えて、2時間ほどゴルフの練習に行こうと思っていたのですが、さすがにあの強風では出かける気がしませんでした。

朝10キロ以上走りましたので、さすがに疲れが出て昼食後に1時間ほど昼寝をしました。その後風の具合を見て出かけることは諦め、本を読んだり録画してあった映画を観ました。

内田吐夢監督作品「飢餓海峡」です。1965年の作品です。飢餓海峡は三國連太郎さん、そして左幸子さんのコンビで映画化されました。原作は水上勉さんです。伴淳三郎さんが刑事役で出演しています。

貧しさの中で、もがきながら懸命に、そしてまっすぐ生きた人々を描いています。戦後に生まれ、高度成長期に青年期を迎えた私などは、貧しい国日本というイメージがなかなか湧いてきません。 ジャパンアズナンバーワンという掛け声が文字通り、昼も夜もマスコミを賑わかしていた時代です。

このままいけば日本は、アメリカを追い抜いて世界一豊かな国になるのではないかと、多くの人が幻想を抱いた時代です。

ところがこの20年で、日本は実はすっかり貧しい国になってしまったのです。先進諸国の中で国民所得が成長していないばかりか、むしろ低下しているのです。つまり貧しくなっているのです。

様々な要因が考えられるのでしょうが、責任が政治にあることは火を見るより明らかです。なぜならば他の先進諸国は、どこも国民所得を延ばしているからです。日本だけが取り残されてしまったのです。

これは国民の努力が足りなかった、などというわけでは決してないのです。経済政策のあり方、つまり政治の責任であることは明らかなのに、多くの国民がそのことに気づいていません。

その原因がマスコミにあることは明らかでしょう。国民に真実が伝えられていないのです。

昨年の参議院選挙で山本太郎代表のれいわ新撰組が産声を上げ、山本太郎代表の演説がネットで流されましたが、これには本当に心底驚きました。 自分の国が、こんな状態になってしまっていたのか、と本当に驚いたのです。そう感じた方が、とても多かったのではないでしょうか。

私たちは自分の国が今どういう状態にあり、どういう地点にあるのかをしっかりと認識し、前に向かって一歩ずつ進んでいくしかないのです。正しい情報を得て、それをもとに自分たちの将来を、しっかりと選択しなければならないのです。もう残された時間は少ないのです。

写真

■20201225(金曜日:晴れ)

2017年出掛けた積丹半島の旅です。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日は今年最後のロータリークラブ例会でした。7月からの新しい年度も、残り半年になりました。主な行事が前半に集中しますが、今年はほとんどの行事が中止となり、対応にひたすら追われた前期でした。

例会が終わって御殿場へ向かいました。いつも診察を受けている漢方医の先生に、調子を報告するためです。思ったよりも早めに到着したので、待合室で新聞をゆっくり読んで時間を潰し、受付を済ませました。

診察室に呼ばれて、開口一番言われたのが、痩せましたね、でした。首周りを指して、そう言われるのです。自分ではもちろん分かりませんでした。腹回りが閉まって、ズボンを締めないと、なんだかお腹周りが寒々としてしまっていたのは確かでした。

痩せたと言われて驚きましたが、太ったねと言われるよりはましです。小学校の校庭を走るようになってからは、走る距離も増えましたので、運動量も増加しています。体重は変わっていないものの、脂肪が減って筋肉が増えているのかもしれません。

一回あたりの走行距離が増えたおかげで、月100キロ走の目標達成が以前より楽に、時間的な余裕が出てきました。いつも毎月ギリギリ達成だったのが、少し余裕を持ってゴールすることができそうです。

■これで今年も残す問題は、ほとんど無くなりました。年賀状のデザインを最終的に決めて印刷するだけです。宛先はすでに印刷済みです。一年間Sunと二人で出掛けた旅の写真を振り返って、よく取れているものを探しています。

錦帯橋を背景にした写真で決まりそうです。一年間を写真で振り返る良い機会になっています。

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