■20211027(水曜日:晴れ)

2018年に出かけたベトナム・バクザン省の様子です。ホテル前の大きな広場で植木市を開催してました。

■今朝は走りました。3日ぶりです。5時15分に目覚ましを合わせて起き出し、20分間、校庭を走りました。結局、今日は37分50秒、5.77kmを走り、今月は8回のランで49.95kmを積み重ね、月100キロ走までは、残り4日で50.05kmとなりました。

これまでの目標達成は、もう明らかに無理ですので、とりあえずは50キロを走り切ろうと、あともう一回走るつもりです。来月からは、3088プランに切り替えて、毎月88キロを走る予定です。

■昨日の東京新聞「今週のことば」では、種田山頭火の句が紹介されています。

「父によう似た声が出てくる旅はかなしい」

NPO法人・くだかけ会代表の和田重良さんは、こう書かれています。

先日、ラジオを聴いていたら、「父は75歳で亡くなったのだから、僕ももうあと数年です」と言っている人がいました。

年齢を重ねてくると父や母の人生の軌跡となぞらえて、自分の老いを背負っていくものなのですね。

そっくりなハゲ頭の形、くしゃみや咳の仕方もまるで生き写しとなり「人生」を味わいながら複雑な思いになるのです。

「かなしい」は哀(かな)しいのか、愛(かな)しいのか、とても複雑ではありますが。

確かに、和田さんの書かれている通りだと、私も思います。

最近強く感じるのは、この中にも書かれてある通り、自分の父親が亡くなった年齢が、自分にとって一つのゴールに思えてきたことです。本当に、もう目の前にあるように、遠い未来ではなく、現実として立ち現われてきたのです。

父は90歳で旅立ちましたから、私の今の年齢からすれば、あと22年ありますが、晩年の父を振り返って思うのは、自分には、それほどの時間は残されていない、という強い思いです。

あと何回、満開の桜を見ることができるのか、柿の実が実るのを、そして柿の葉が青葉から茶色に変わり、散っていくのを見ることができるのか、もう自分の指で数えることができるまでになってきたのです。

慌ててみても仕方がありません。一日一日を大切にするしか、自分にできることはなさそうです。