2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

カテゴリー: マラソン Page 3 of 9

韓国人BC級戦犯

■20210402(金曜日:晴れ)

花吹雪の中の愛車、インプレッサ・スポーツです。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日は朝は、月初めのランニングをしましたし、昼休みにはロータリークラブの例会に出席し、その後新沼津カントリークラブで少しゴルフの練習をしました。

帰ってきて一休みしてから、Sunと一緒に日帰り温泉に行って、ゆっくりと湯に浸かり疲れを取りました。その後二人で一杯やりましたが、疲れもあったのでしょう、帰ってきてからは一時うたた寝をしてしまいました。夜は夜で何回か目が覚めました。暑いような寒いような、苦しいとかつらいとか、そういうことでは決してないのですが、なぜだか熟睡できないのです。

運動をした後、体から疲れが抜けきらないのが、年をとった証拠でしょうか。 こればかりは致し方ありません。上手に自分自身と対話しながら、付き合って行くしかありません。

■さて今朝の東京新聞こちら特報部では、「在日韓国人元 BC 級戦犯・李鶴来さん死去」と題して書かれています。 見出しはこうです。

「最後の一人」不条理訴え、「日本国籍失い保証対象外」同朋のため奔走、「何のための刑死か」晩年まで怒り。

書き出しの部分は、こうです。

『在日韓国人元 BC 級戦犯の李鶴来さん死去、96年の生涯を閉じた。日本軍の捕虜監視員に動員されて戦犯として裁かれたうえ、戦後は「外国人」扱いされて援護の対象外に。処刑された同法の無念を引き継いだ人生が残したものはーーー』

李さんの人生は苦難の連続でした。日本支配下の朝鮮半島で生まれ、1942年、17歳の時に日本軍の捕虜監視員としてタイに渡りました。当時の日本総督府は朝鮮や台湾の青年を動員し、約 3,000 人がアジアの戦場に送られたのです。

泰緬鉄道の建設現場に配属された李さんは、米国や豪州の捕虜を監視したが、2年の契約が過ぎても帰らせてもらえず、終戦を迎えました。そして待っていたのは連合国による戦犯法廷。捕虜虐待の罪で死刑判決を言い渡され、約8ヶ月シンガポールの刑務所で死刑囚として過ごした後に減刑され、 1951年に東京の巣鴨プリズンに移されました。

しかし、翌1952年サンフランシスコ平和条約の発効で、李さんら 朝鮮半島出身者らは日本国籍を失うことになりました。 日本人として戦争の罪を裁かれながら、外国人と見なされて日本政府の援助から排除されたのです。日本の元軍人・軍属に支給される恩給や遺族年金もありません。

捕虜収容所の末端で、上官の命令に従うしかなかった朝鮮の青年たちが裁かれたのです。朝鮮人 BC 級戦犯148人のうち、23名に死刑が執行されました。生前李さんは、こう訴えていました。

日本人戦犯の場合は自分の国のために死んでいくんだとまだ思えるのだろうが、韓国人の場合はそういう気持ちさえ持てなかった。誰のために、何のために死ななければならなかったのか。ーー刑死者に報いてほしい。不条理を正したい。

超党派の日韓議員連盟は特別給付金を支給する法案をまとめましたが、成立していません。幹事長の河村建夫衆議院議員は「このままでは済まされるものではない。ご逝去を無にしない」と誓うように語っています。

■BC 級戦犯の問題は、 テレビドラマ「私は貝になりたい」で多くの国民が知ったはずです。フランキー堺さん主演のこのテレビドラマを、私も見た記憶があります。まさに不条理の塊です。

戦争そのものが不条理なのですが、結局被害者となるのは、弱い者たちなのです。強いもの、ずる賢いものは、最初に逃げ出し、そして生き延びているのです。

そうした人々の一部が、戦後の日本を作り上げてきたのです。私たちはそのことを、ほとんど学んでいませんし、知ってもいません。 まずはそのことを知ることから、 戦後目指すはずだった真の民主国家日本が、生まれてくるのではないでしょうか。 

オンライン会議

■20210305(金曜日:曇)

2016年に枯葉剤被害者支援の旅で立ち寄ったベトナム・ハロン湾の様子です。

■昨夜は第14回沼津ベイエリア眼科フォーラムがリバーサイドホテル沼津で行われ、私は開会の挨拶と座長を務めました。 お二人の先生が講師を務めてくださり、最近の緑内障手術の状況と小児の眼科疾患について講演をされました。

会場に来られていたのは10名弱の先生方で、ほとんどはオンラインでの参加となりました。Zoomでの開催でしたが、講演も滞ることなく無事に終了し、ほっとして帰宅しました。

先週の土曜日に行われた静岡でのセミナーには、私はオンラインで参加したのですが、ZoomやTeamsといった会議用のオンラインシステムは使わずに、ある情報技術会社独自のシステムを用いたようです。そのおかげかどうか、ブラウザだけでアクセスし画面も視聴できて、特別な準備も必要ありませんでしたので、参加する方としてはとても楽でした。

しかし後で関係者の方に話を聞いたところでは、かかった費用が半端ではなかったようです。聞いたところでは200万円弱の経費がかかったということで、私達のような弱小眼科医会では、とてもまかないきれる額ではないと分かりました。

昨夜の会では、後援してくれた製薬会社の担当者がZoomのセットアップをされていたようですので、いわば手作りのオンライン会議となっていました。

東部眼科医会も6月の講演会をオンラインのみで開催することに決定しましたので、どのように運営するかという問題と格闘中です。専門業者に依頼することはもちろんなのですが、座長の先生も含めて、全ての参加者をオンラインで進めるか、一部屋別に準備して運営するかの難題です。その場合運営経費が桁違いになってきます。頭の痛い問題です。

■さて今朝は走りました。いつもの通り4時半に目覚まし時計を合わせて起き出そうと思ったのですが、ちょうど4時頃目が覚めてしまいましたので、もう少し眠ってから再度起き出そうかどうか迷いました。

でもここで一旦また寝てしまうと、睡眠のリズムの関係で再度起き出すのはとても辛くなりそうなので、そのまま起きだして生ゴミを所定の位置まで運び、準備運動をした後スタートしました。

今朝は腰が重くて、小学校の校庭での予定していた35分のランは途中で切り上げました。なんとか、だましだまし走り続けたのですが、さすがに疲れが溜まっていたのでしょう。結局今朝は45分走り6.62 km を積み重ね、今月は2回のランで17.13 km を走り、月100 km 走までは残り26日で82.86 km のところまで来ました。

飢餓海峡

■20210221(日曜日:晴れ)

玄関横で咲いたAyaちゃん桜、河津さくらです。今年も咲きました。

■昨日から激しい風が吹き荒れています。昨日は午前中に診療を終えて、2時間ほどゴルフの練習に行こうと思っていたのですが、さすがにあの強風では出かける気がしませんでした。

朝10キロ以上走りましたので、さすがに疲れが出て昼食後に1時間ほど昼寝をしました。その後風の具合を見て出かけることは諦め、本を読んだり録画してあった映画を観ました。

内田吐夢監督作品「飢餓海峡」です。1965年の作品です。飢餓海峡は三國連太郎さん、そして左幸子さんのコンビで映画化されました。原作は水上勉さんです。伴淳三郎さんが刑事役で出演しています。

貧しさの中で、もがきながら懸命に、そしてまっすぐ生きた人々を描いています。戦後に生まれ、高度成長期に青年期を迎えた私などは、貧しい国日本というイメージがなかなか湧いてきません。 ジャパンアズナンバーワンという掛け声が文字通り、昼も夜もマスコミを賑わかしていた時代です。

このままいけば日本は、アメリカを追い抜いて世界一豊かな国になるのではないかと、多くの人が幻想を抱いた時代です。

ところがこの20年で、日本は実はすっかり貧しい国になってしまったのです。先進諸国の中で国民所得が成長していないばかりか、むしろ低下しているのです。つまり貧しくなっているのです。

様々な要因が考えられるのでしょうが、責任が政治にあることは火を見るより明らかです。なぜならば他の先進諸国は、どこも国民所得を延ばしているからです。日本だけが取り残されてしまったのです。

これは国民の努力が足りなかった、などというわけでは決してないのです。経済政策のあり方、つまり政治の責任であることは明らかなのに、多くの国民がそのことに気づいていません。

その原因がマスコミにあることは明らかでしょう。国民に真実が伝えられていないのです。

昨年の参議院選挙で山本太郎代表のれいわ新撰組が産声を上げ、山本太郎代表の演説がネットで流されましたが、これには本当に心底驚きました。 自分の国が、こんな状態になってしまっていたのか、と本当に驚いたのです。そう感じた方が、とても多かったのではないでしょうか。

私たちは自分の国が今どういう状態にあり、どういう地点にあるのかをしっかりと認識し、前に向かって一歩ずつ進んでいくしかないのです。正しい情報を得て、それをもとに自分たちの将来を、しっかりと選択しなければならないのです。もう残された時間は少ないのです。

写真

■20201225(金曜日:晴れ)

2017年出掛けた積丹半島の旅です。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日は今年最後のロータリークラブ例会でした。7月からの新しい年度も、残り半年になりました。主な行事が前半に集中しますが、今年はほとんどの行事が中止となり、対応にひたすら追われた前期でした。

例会が終わって御殿場へ向かいました。いつも診察を受けている漢方医の先生に、調子を報告するためです。思ったよりも早めに到着したので、待合室で新聞をゆっくり読んで時間を潰し、受付を済ませました。

診察室に呼ばれて、開口一番言われたのが、痩せましたね、でした。首周りを指して、そう言われるのです。自分ではもちろん分かりませんでした。腹回りが閉まって、ズボンを締めないと、なんだかお腹周りが寒々としてしまっていたのは確かでした。

痩せたと言われて驚きましたが、太ったねと言われるよりはましです。小学校の校庭を走るようになってからは、走る距離も増えましたので、運動量も増加しています。体重は変わっていないものの、脂肪が減って筋肉が増えているのかもしれません。

一回あたりの走行距離が増えたおかげで、月100キロ走の目標達成が以前より楽に、時間的な余裕が出てきました。いつも毎月ギリギリ達成だったのが、少し余裕を持ってゴールすることができそうです。

■これで今年も残す問題は、ほとんど無くなりました。年賀状のデザインを最終的に決めて印刷するだけです。宛先はすでに印刷済みです。一年間Sunと二人で出掛けた旅の写真を振り返って、よく取れているものを探しています。

錦帯橋を背景にした写真で決まりそうです。一年間を写真で振り返る良い機会になっています。

修復国家

■20201209(水曜日:晴れ)

2017年にNonと一緒にでかけた韓国アンドン市の様子です。

■今朝は走りました。昨日はさすがに起き出す元気が出ずに休息日でしたが、今朝はすんなりと4時40分に目が覚めました。そしていつものコースを9.47 km 走り、今月は4 回のランで総計 32.74 km となりました。

月100 km 走までは残り22日で67.25 km のところまで来ました。9日目の目標ラインとしては上出来です。

小学校のグランドに着いてから、スマホのタイマーを45分に合わせ再スタートしました。今日は45分間がそれほど長く、まだ苦しく感じることがありませんでした。

色々なことが頭の中をよぎりましたが、なんだかんだと考えているうちに45分が過ぎました。 足元を気にする必要がありませんので、走ることに集中できます。これは、とてもありがたいことです。

1時間3分23秒走り続けキロ当たり6分41秒のペースでした。自分としては上出来です。ハーフマラソンではこの倍の時間を走らなければなりません。 いざ本番の大会となればパワーも出るものです。

こうして積み重ねをしていけば、どこかでまた大会に出場することができるでしょう。

■師走に入っても穏やかな日和が続いています。例年より偏西風が北寄りを流れているために、寒気が南下しにくい状態が続いているのです。

今年は台風が一つも上陸しなかった年として記憶されそうです。そして何よりもコロナウイルスの蔓延で人々の生活が破壊された一年でした。

新しい生活様式が求められました。あらゆる会議・会合が中止となり、オンラインで会合が行われるようになりました。一度でもオンラインで会議に参加してみると、今まではるばる電車に乗って出掛けていたことが、なんと大変だったのか実感できました。

そして、もうわざわざ出かける気にはならなくなったのです。これまでが何だったのか、不思議な気がします。コロナ禍が過ぎ去っても、こうした生活様式の変化は、すべてがもとに戻ることは無いでしょう。

交通機関の利用頻度も、大幅に減少するはずです。もうもとに戻ることはありません。より早く、より遠くにというこれまでの考え方は、終わります。人口減少も相まって、日本には新築よりも修復に力を注がざるを得ない時代が来ているのです。

読書格差

■20201201(火曜日:晴れ)

2年前の「お伊勢マラソン」スタートです。野口みずきさんが気勢を上げています。

■いよいよ今日から師走、12月です。冷え込みました。今朝も5時に目覚ましを鳴らして起き出し、燃えるゴミを出した後、準備運動をして走り出しました。いつものコースを走り、小学校の校庭にコースを変え、周回コースを走り出しました。

ところが途中で困ったことが起きました。トイレに行きたくなったのです。こればかりは致し方ありません。スマホのタイマーは30分に合わせてあったのですが、途中で切り上げ帰途につきました。結局5.55キロを走り、12月最初のランとなりました。

■今朝の東京新聞には、「読書格差を なくそう」と題して、各地での取り組みを紹介しています。書き出しは、こんな具合です。

自治体によって子どもの読書環境は大きく異なる。誰もが通えるはずの公立の学校図書館でさえ、学校間の差が著しい。そんな読書格差を埋めるための取り組みが各地で進む。

石川県白山市は2005年の合併で、県で最も広い自治体になりましたが、合併を機会に全28校の公立小中学校に専任司書を配置。市立松任図書館にある「学校図書館支援センター」を拠点に、市内の学校図書館と市立図書館が連携し、読書環境を整えています。

特に注目されているのが、学校のリクエストを受けて毎週1回、市内の全小中学校に本を届ける「学校配送」です。全ての図書館の蔵書がデータ化されており、学校同士でも貸し借りできます。

また、毎月一回、学校司書らが集まって情報共有しています。「同じ市で学校生活を送る子どもたちが、同じサービスを受けるのは当然です」と、センター専任司書の大橋留美子さんは語っています。

こうした地道な活動は、市民から評価されにくいものです。数値化できないし、目に見えないからです。箱物を作ったほうが、手っ取り早いのです。将来白山市が財政危機に陥った時に、まず削除されそうなのが、こうした取り組みになりそうです。

見てくれだけは立派な箱物を作りに作った挙句に財政破綻した夕張市の後継者は、全国で順番を待っているのです。

オンライン

■20201122(日曜日:曇)

伊豆の温泉旅館「落合楼」です。

■今日は連休の初日です。窓の外を見ると街路樹が紅葉していますが、どんよりとした雲が木々の上を覆っています。まだまだ暖かいのですが、少しうすら寒くなってきました。昨日までの暖かさが異常だったのです。

今朝は走らずに目覚まし時計もかけずに寝られるところまで、ゆっくり寝てみようと思いましたが、結局6時に目が覚め、そのまま起きだしていつもの朝食をとりました。

今日は一日掃除の日、整理整頓の日になりそうです。毎朝、東京新聞朝刊の切り抜きをしているのですが、これも積もり積もると馬鹿になりません。燃えるゴミの袋にまとめて詰め込み、火曜日には処分しなければなりません。

ネットで何事も検索できる昨今であれば、印刷された新聞など要らないと思われるかもしれませんが、少しでも時間が取れ余裕のある時には、温かい緑茶、紅茶、あるいはコーヒーを飲みながら、ゆっくりと紙面を眺めるのは、それだけで心の平安をもたらしてくれます。いかにも贅沢な時間という思いに浸れるのです。 コーヒーを飲みながらスマホを見ているのでは、こうした思いは心に浮かんでこないと思います。

■さて昨日は大学時代の テニス仲間高野先生からメールをもらいました。私がランニング中につまずいて、こけて擦過傷を負ったことについて心配して治療法を伝授してくれたのです。整形外科医としては看過できなかったのでしょう。

単なる擦過傷であれば薬品で消毒などすることなく、きれいに水洗いあるいはお湯で洗って清潔に保ち、後は傷パッドなどを貼って滲出物の中に含まれている様々な創傷治癒のための成分を利用して、綺麗に直すのだそうです。私も滲出物の中に大切な成分が含まれていることは知っていたのですが、傷を洗浄して毎日傷パッドを交換する必要があるとは知りませんでした。傷の範囲が広い場合、毎日傷パッドを交換するのは結構面倒ですし、費用もかかりそうです。傷パッドって結構高いのです。

まあきれいに治れば、そんなことを言っている場合ではないのですが。 学生時代に習った処置法とは、ずいぶん変わったように思います。

わざわざ連絡をもらって、ありがたいの一言です。持つべきものは、友です。

■さてネットによれば天皇皇后両陛下が 、オンラインを用いた新しい活動様式を模索している、との記事が掲載されていました。

天皇、皇后両陛下がオンラインを使った活動を本格化させている。

18日にはお住まいの赤坂御所(東京都港区)で、日本赤十字社医療センター(同渋谷区)と、北海道、沖縄県、福島県の関連病院をオンラインでつなぎ、現場の医師や看護師らをねぎらった。

宮内庁によると初の試みで、コロナ禍で現場に足を運べない中、画面を通してではあるが、直接交流する「令和流」の始まりとなった 。

私たちも年間、何度も勉強会や講演会を企画しますが、会場に行く手間が結構大変でした。19時から開始されることがほとんどですが、仕事を終えて慌ただしく車で出かけまた帰る、となるのですが、近くに住んでいる先生方は大した時間でもないのですが、片道1時間かけてこられる先生にとっては、それだけで大きな負担です。

ところが新型コロナウイルス感染を避けるために、オンラインでの勉強会が行われるようになりました。準備する方は大変なのですが、受講する方にとっては、自宅にいながらにしてパソコンで学ぶことができますので、往復の時間が節約できます。これは、とても大きなメリットです。

直接顔を合わせるということも、もちろん大切なのですが、 時間の節約という面の方が大きいのではないでしょうか。一度でもオンライン受講をすれば、もう二度と会場へ出かける気はしなくなると思います。多くの会議も、そうなりそうです。

先日も静岡県東部眼科医会世話人会をオンラインで開催したのですが、使用したのはZoom無料版ですので、実質30分で終わらせなければなりません。資料の準備もしっかりしないと時間内に終わることが難しくなります。逆に言えばどんなに長引いても40分で終わらなければなりませんので、それ以上長引くことはありません。だらだらした議論を避けることができます。大抵の会議は準備をしっかりすれば、これで事済むような気もします。

考えてみると世の中では何と無駄な時間が会議で浪費されているか、想像もできないほどです。それらが全く無駄だとは思いませんが、制約があると逆に成果が上がるということも大いにありそうです。物は使いようなのでしょう。これから仕事のやり方が大きく変わりそうな気がします。また変えていかなければならないはずです。

ムヒカ

■20201008(木曜日:雨)

かみふらの八景・十勝岳温泉郷です。

■台風14号の影響で昨日から雨が降り続いています。天気予報では、これから週末に向かって台風による豪雨が心配されています。

天気予報を見るたびに日本は本当に災害列島だなぁ、とつくづく思います。台風が来なくとも大雨で川が氾濫したり山が崩れたり、そうかと思えば忘れた頃に地震が起こり、挙句の果てには津波すらやってきます。

Ayaちゃんの住むオーストラリアでは、これほど自然災害について心配しなければならないことがあるのでしょうか。私たちがオーストラリアについて知ることができるのは、乾燥のために山火事が起きて大都市に迫って大変だという程度です。地震の話も台風の話も聞こえてきません。それだけ自然が安定していると言えそうです。

日本に住んでいると四季折々の美しい自然を味わうことができると同時に、四季折々の自然災害を心配しなければなりません。この国に生まれた幸せと不幸は避けることができません。

■今朝の 東京新聞には「ウルグアイ元大統領の清貧さに惚れた」と題して書かれています。映画「ムヒカー」田部井監督です。最初に、こうあります。

ドキュメンタリー映画「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」東京・シネスイッチ銀座ほかで公開中、全国順次公開)は、フジテレビの田部井一真監督( 37 )が手掛けた。清貧を尊ぶウルグアイのホセムヒカ元大統領(85)に心酔し、その人となりを見つめ、日本人の生き方を問いかける作品に仕上げた。

田部井監督は最後に、こう言われています。

5年ほど前、ムヒカが呟いた一言、

「人と人が直接会って話す時間こそ、生きているということなんだよ」

が心に残っている。

コロナ感染によって、人と人が直接会うことが大変困難になっています。そんな今だからこそムヒカ大統領の言葉を心に刻む必要があるのではないでしょうか。

ラフカディオ・ハーン

■20191124(日曜日:晴れ)

境港駅です。

■昨日は朝、静岡から松江空港に到着し、レンタカーを借りた後に出雲大社に行きました。穏やかで暖かく風もほとんどない絶好の参拝日和でした。本当にたくさんの人々が来られていましたが、出雲大社自体は思ったほど大きなものではありませんでした。こじんまりしているという印象でした。

■さて今日は、まず境港市に向かいました。隠岐島へ行く船が出る、あの港です。そして、ゲゲゲの鬼太郎で有名な町でもあります。NHK朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」で一躍有名になりました。作者の水木しげるさんが生まれた町として知られています。

また駅の近くには「ゲゲゲの鬼太郎ロード」があり、これまた多くの観光客で賑わっていると聞きました。

写真にもある通り、駅前にはゲゲゲの鬼太郎の大きな絵が書かれています。向かって左側にあるのがJRの境港駅であり、正面は観光センターのようです。

駅前の駐車場にたまたま1台空きがあり、運良く止めることができました。まずは観光センターの中に入り、隠岐島へ渡る船の発着状況などを確認しようと思ったのですが、よくわかりませんでした。

外に出てきてみると、境港駅の前には、ゲゲゲの鬼太郎が机の前に座っているモニュメントがありました。

そうこうしていると、地元のボランティア観光案内の方が、ご一緒しませんか、と誘ってくださいました。おいくつぐらいでしょうか、もう70を超えておられると思いますが、4人で参加させていただくことになりました。

駅前からスタートし、しばらくすると、ゲゲゲの鬼太郎ロードが始まりました。長さは850メートルほどです。行政が提案されたそうですが、当初は商店街は猛反対で賛成する人は、1人もいなかったそうです。

結局のところ、商店街の一区画だけが行政の説得に応じて、ゲゲゲの鬼太郎モニュメントを設置することを承諾しました。今では年間300万人の観光客が訪れています。その経済的効果たるや想像を絶するものです。

全長850メートルほどの商店街は車道は車が2台、やっとすれ違えるかどうかの広さで、歩道をゆったりととってあります。両側には本当に一軒一軒商店が並んでいて、昔ながらの商店街という雰囲気が漂っています。

もちろん何軒か、所々歯が抜けたように空き地になっていたり、駐車場になっていたりしていますが、それでもぶらぶらと歩くのは、とても楽しいひと時でした。

そして一番突き当たりに近いところに、ゲゲゲの鬼太郎記念館がありました。ボランティアガイドをしてくださった地元の方には本当に感謝、感謝です。

ボランティアの方の話では、テレビ番組にもなった、水木しげるさんの奥様が書かれた「ゲゲゲの女房」は、実はほとんどを、ゴーストライターの方が書かれたそうです。世の中の本というのは、そうした場合が多いのかもしれません。少し割り切れない気もしないではありません。

■さて、車に戻って今度は松江城に向かいました。Sunのおすすめに従って、松江城の周りのお堀を巡る船に乗りました。船頭さんのお話では、現在60名ほどの船頭さんがいるそうですが、最近21歳という若さの方が加わったと喜んでおられました。

時期的には紅葉がほとんど終わりかけでしたので、少し色鮮やかさが落ちていましたけれども、それでも1時間弱、素晴らしい時を過ごすことができました。

船を途中で降りて松江城の大手門に向かいました。ここでも地元のボランティアガイドの方に、お世話になることになりました。女性の方でしたが、とても勉強熱心な方で、松江城の素晴らしさを熱心に教えてくださいました。

お礼を言って別れた後、城内の喫茶店で抹茶と和菓子を頂きました。

少し歩いて、次にたどり着いたのが、ラフカディオ・ハーン記念館です。松江といえば、なんといっても、ラフカディオ・ハーンです。

以前ラジオのNHK文化講演会で、ラフカディオ・ハーン記念館の館長をしておられる、ハーンのひ孫にあたられる小泉凡さんの講演を聞いたことがあります。

小泉八雲は14年以上でしたか、日本に滞在していましたが、そのうち松江にいたのは1年3ヶ月ほどにしか過ぎなかったのです。

凡さんのお話は、とても興味深く、いくつものことが記憶に残っているのですが、その中の一つにあるのが、まるで舞踏会のようだったというお話です。

小泉八雲は学生時代に事故で左目を失明し、右目も強度近視のために主力は0.1なかった、という凡さんのお話でした。しかし人間は一つの感覚が衰えると、他の感覚が研ぎ澄まされるものです。彼の場合は、聴覚でした。

松江の自宅で寝ていると、朝起きた時に松江大橋を渡る、地元の人達の下駄の音が聞こえてきます。そのカランコロンという音が、まるで舞踏会のように聞こえてきたというお話です。

八雲が英語教師として、島根県尋常中学に1890(明治23)年に赴任した際、名前のつづり「Hearn(ハーン)」を「ヘルン」と読まれたという。それ以来、生徒たちから「ヘルン先生」と呼ばれ、日本での愛称となった。本人も気に入っていたようで、妻のセツも八雲のつたない日本語を「ヘルン言葉」と呼んでいたそうだ。

「カラコロ」は、当時まだ木造だった松江大橋を下駄(げた)履きの人々が渡る音。八雲は『知られぬ日本の面影』の中で、松江に到着した翌朝に聞いた「大橋の下駄の音」を「忘れられない音」と描写している。

彼も魅了された音色ということで、観光スポットの名称などに「カラコロ」が冠されるのだ。

違い

■20191108(金曜日:晴れ)

自家製の干し柿です。4日間干して冷凍・解凍しました。

■昨日少しゴルフの練習をしました。それが原因でしょうか、今朝は走るつもりだったのですが、筋肉痛もあって起き出すのは無理でした。ゴルフのフォームを変えて、しっかり腰の回転を利用して打つように練習したのですが、それが災いして腰痛も起こるようになりました。

湿布薬を貼っておけば、痛みが長引くこともないのですが、やはり衰えに違いありません。嘆いても致し方ありません。付き合っていくしかなさそうです。

■さて、今朝の写真は今年初めて食べた、自家製の干し柿です。庭に植えた柿の木から、70個以上の干し柿が取れたのですが、連休前に皮を剥いて干しておきました。

4日間干してサランラップに包み、冷凍しておきました。試しに一個だけ、処理してみたのです。渋柿の処理法は様々にあるようですが、私は友人から教えてもらった冷凍解凍法で処理しています。4日間ほどしか干していませんので、柿の実は、まだまだ縮みきっていません。

干すことだけで甘柿に変えようとすると、かなりの時間がかかりますし、普通の大きさから始めると、ほとんど梅干しのように小さくなってしまいます。ところが冷凍解凍法ですと、もちろん水分が抜けて縮むことは縮むのですが、まだまだ十分な大きさが維持されたままで、甘柿に変えることができます。

昨日は干してあった残りの20個をサランラップに包み、冷凍しました。そして更に、まだ皮を剥いていなかった、渋柿を21個処理して干し始めました。

ところで、肝心な味はどうかというと、最初の一個はまだ干し方が足りなかったのか甘かったのですが、少し渋みが残っていました。干す日数を、もう1日か2日伸ばせば、渋みを消すことができるのではないかと思っています。来週が楽しみです。

■さて、今朝の東京新聞朝刊28面、「日めくり チョウカンヌ」には、こう書かれています。

1972年、米国コロラド州デンバーが住民投票の結果、76年の冬季五輪の開催地返上を決めた。環境破壊と財政悪化に反対する住民運動が返上の引き金に。

日本では考えられない結果です。まず日本ではあり得ない出来事です。

来年の東京オリンピックにしても、予定では7000億で開催できると言われていたものが3兆円以上の予算が注ぎ込まれたり、8月の東京は温暖でアスリートにとって快適な開催地であり、福島の原発からの放射線漏れも完全に制御されていると大見得を切って誘致したのですが、それに対して異を唱える人の声は、マスコミに乗ることはありません。

今の日本の社会状況が一次的におかしな状態にあるのか、それとも、そもそも日本社会の根本的な奇妙さなのか、私にはよく分かりません。

Page 3 of 9

Powered by WordPress & Theme by Anders Norén