■20190326(火曜日:曇)

新沼津カントリークラブから見た愛鷹山です。
新沼津カントリークラブから見た愛鷹山です。

■今朝はゆっくりと休みました。目覚ましを5時に合わせてあったのですが、4時半に目覚めてしまい、このままもう一度眠ってしまうと、起きだすのが辛いだろうと、目覚ましを5時半に合わせなおしました。これは正解でした。5時半の目覚ましで、 目が覚めたのですが、実に心地よいのです。暖かい布団の中で、まどろんでいる時間は、まさに至福のひとときでした。春眠暁を覚えず、とはこういう状態を言うのでしょうか。 ネットによれば、

「春眠暁を覚えず」の類語は「朝寝」
俳句の「春の季語」に「朝寝」があります。「春眠暁を覚えず」を出典として、その意味から派生した言葉です。いつまでも布団の中でゆっくりしていたい春の気分を表しています。

もとの漢詩は、以下の通りです。

『春暁』 春眠不覚暁 処処聞啼鳥 夜来風雨声 花落知多少

<書き下し文>

春眠暁を覚えず 処処啼鳥を聞く 夜来風雨の声 花落つること知る多少

(しゅんみんあかつきをおぼえず しょしょていちょうをきく やらいふううのこえ はなおつることしるたしょう)

<現代語訳>

春はぐっすり眠れるものだから、夜が明けたのに気づかず寝過ごしてしまった。

あちらこちらから鳥の鳴き声が聞こえる。

昨晩は、風や雨の音がしていたが

花はどれくらい落ちてしまっただろう。

作者については以下の記述がありました。

「春眠暁を覚えず」を詠んだのは「孟浩然(もう こうねん)」という中国唐代の詩人です。出世欲がなく、各地を放浪しながら歌を詠んだ人のようです。孟の生きた古代中国の役人は朝が早く、厳しい規律に縛られていました。そのような世俗の生活を揶揄して詠んだ歌なのかもしれません。

この漢詩を学んだのは、いつのことでしょうか。高校時代だったような気もしますし、中学の頃だったかもしれません。漢文とか古文とか、あの頃は、こんなこと勉強して何になるのかな、と試験勉強をするのが嫌で、そんなことばかり考えていましたけれども、今になって、こうして断片的にでも思い出すことができるのは、あの時授業で教えてもらったおかげです。 1,000年以上前に中国で暮らしていた人も、今朝の私と同じように、布団の中でまどろんでいたのかと思うと、 とても不思議な思いがします。 この漢詩のおかげで、いにしえの人と心が通じたと思うと、いささか大げさですが、芸術の持つ力のお陰だな、と実感するのです。