■20230810-0813(木曜日ー日曜日)

日向大島・竹之尻港です。

■富士山静岡空港からの飛行機を利用して、国内旅行を楽しみ始めて何年でしょうか。コロナ禍でも、細々と続けていました。利用者の減少で、熊本便や出雲便が廃止になったり復活したりします。

千歳便は、出発時間の関係で、利用できなくなりました。とにかく利用できる範囲で、夫婦の旅を続けようとしています。今回は熊本便に乗っての旅です。

2023年08月10日      暖心(のごころ)
2023年08月11日      旅館 小戸荘
2023年08月12日      安楽温泉 朱峰(しゅみね)

★Day 01 (2023年08月10日)

民宿 暖心の二階の部屋から見た周囲の景色です。山あいの風景です。

■相変わらず綱渡りの人生です。今日は14時20分の便で、富士山静岡空港から熊本空港に飛ぶ予定です。台風6号の影響で昨日は終日欠航が続いたようです。ハラハラ・ドキドキしながらテレビの天気予報に釘付けでした。

今朝の状況では、欠航にはなっていませんが、現地での被害状況が心配です。道路の状況、通行止めなどが発生していないかどうか。

熊本空港から高千穂町までの道のりが安全かどうか。とりあえずは、行ってみなければ分からない状況です。

■なんとか予定通り飛行機に乗ることができました。FDA117便熊本空港行きです。今日の宿泊先「民宿 暖心」は、熊本空港から1時間半弱です。ところが、いつもの「ひむか神話街道」を左折して高千穂町国民健康保険病院を過ぎてから、右折する場所を間違いました。カーナビの指示が間違っていました。

結局、山あいの道をぐるぐる迷ってしまい、辿り着けそうにもないと思っていたところで、救いの神が現れました。地元の方が運転する軽トラが、声をかけてくれたのです。「暖心へ行くのですか?」。どんぴしゃりでした。

こうして5年ぶりの訪問が実現しました。

夕食、朝食は相変わらず素晴らしい出来でした。地産地消の夏野菜が中心です。最初見た時には、こんなに食べられるのだろうかと不安になりました。さらに五穀米のおにぎりが2つも付いてきたのです。

女将さんと楽しく談笑し、家族になっている犬の話で時が過ぎました。台風6号による暴風雨は、この山間では恐ろしかったようです。幸い被害もなく台風は通過しました。ただし、宿泊のキャンセルがありました。

本来なら4組が来られる予定でしたが、私達ともう一組のみでした。女将さんも膝の痛みがあり、家族にも色々病の問題が重くのしかかっているようです。

できるだけ、この民宿を続けていきたい、というお話でした。こうなったら毎年来るしかありません。それだけの魅力があるのです。

★Day 02 (2023年08月11日)

暖心の朝食です。味噌汁が絶品なのです。

■さて今日は宮崎市に向かってのドライブです。何度も通ったコースなのですが、今日は一旦熊本方面に戻って、阿蘇山の周囲を回ることにしました。来る時に見た風景が気に入ったのです。

阿蘇といっても富士山のように一極集中ではないので、見る位置で大きく変わります。

豊かな土地なのでしょう。充分、地産地消ができそうでした。

■名残惜しかったのですが、阿蘇を離れて宮崎に向かいました。高千穂町に戻って、今度は日向市に向かいました。距離は200キロほどです。途中門川ICから遠見半島線に入り、「桃源郷岬 アジサイ」を目指しました。

ところが、これは大失敗でした。恐ろしい悪路だったのです。山道は狭い上に暴風雨の翌日。すれ違いができそうもない道が続いていたのです。引き返す事もできずに、進むしかありませんでした。

対向車が来たら万事休すと覚悟を決めて、ノロノロ運転で進みました。ようやく何とか広い道に出て、桃源郷岬の看板もあったのですが、この先も狭い道では諦めるしかありません。

そんな時に、岬から戻ってきたらしき車が止まりましたので、岬までの道を確認したところ、安心して行ける道だと分かりました。ようやく、辿り着きました。紫陽花の季節には、さぞかし綺麗だろうと想像できましたが、残念ながら、今は残骸しか残っていません。

岬まで歩いて往復し、途中でアジサイの管理者に訊いたところ、遠見展望台への道も、かなり狭くて大変そうだと分かり、諦めました。

ここに至るまでの道の恐ろしさには、寿命が縮まりました。

さて宿への道に戻り、ひた走りました。途中、道の駅日向に立ち寄り、一息つきました。海岸沿いは、サーファーのパラダイスのようです。

こうして宮崎市の今日の宿「旅館 小戸荘」に到着。創業70年を超える老舗のようです。巨人軍の原監督などの著名人が、宿泊された様子が写真とともに、廊下の壁に記されていました。

しかし、部屋に案内されて感じたのは、こうした旅館を維持・管理することの難しさでした。たぶん、どこかの時点で何かが起きたのでしょう。大事な方が亡くなられたのか、仕事を離れたのか、それは分かりません。家族経営程度の小規模の旅館にとっては、大きな痛手だったに違いありません。

一旦、歯車が逆回転を始めると、坂道を転げ落ちるのは、あっという間です。お客さんが以前ほど来なくなり、手入れに人手が割けなくなり、綻びばかりが目につくようになります。

案内された部屋のお風呂に置かれた、三点セット。ボディソープ、シャンプー、そしてヘアリンスのボトルは、いかにも劣化している上、中身はもう何年も換えていないのが、一目で分かりました。利用されていないのでしょう。

お料理も残念ながら口に合いませんでした。味が濃すぎるのです。ネットの書き込みを見ると、まるで別の旅館のことを書いているのではないかと錯覚しそうです。

★Day 03 (2023年08月12日)

ようやく辿り着いた「安楽温泉 朱峰」です。始めての訪問でしたが、大正解でした。

■今日の予定を検討した結果、日向大島に行こうということになりました。渡し船で15分弱のようです。島に特別な観光名所があるわけでもないのですが、自然の中をウォーキングするという内容です。

さて歩き始めましたが、暑さを甘く見ていました。全長で5キロほどの道のりです。日本で始めてのコンクリート製である靴崎灯台までの道のりは、思ったよりも険しいものでした。登り坂が続く上に道幅も狭く、台風の後ですので、場所によってはぬかるんでいます。

自然いっぱいなのですが、途中歩いていると蜂がまつわりついたり、セミの軍団が突然頭上を舞ったりと、これには驚きました。ようやく灯台にたどり着きましたが、結構バテました。日差しに容赦はありません。

なんとか鞍埼灯台に、無事辿り着きました。


灯台の中には入ることができませんので、見晴らしだけ確認して、踵を返しました。今度は下り道ですので、ずっと楽でした。分岐点まで戻り、どうするか思案のしどころです。

元の港に戻る方が距離の上では、ずっと楽なはずです。せっかく来たのですから、全行程を歩き通したいのですが、熱中症も心配です。ペットボトルも念のために2本持参しました。1本で良いかとも思ったのですが、いま思えば余分に持参して正解でした。2本でも足りないほでした。

脱水状態になると鼓膜の変化で分かる、とSunは言うのですが、正直私には分かりませんでした。二人で飲料水を分け合って、歩き続けました。

日向大島出身の英雄「大嶋末一」の墓です。

この墓を少し過ぎたあたりで、地元の方に遭遇しました。64歳の女性でした。畑の手入れをされていました。その訳など、世間話に花が咲きました。

以前は、この島に生活されていたそうです。この島について調べてみると、以下のとおりです。

面積2.22 km2、海岸総延長9.37 km。最高地点は標高206 m。九州本土側の目井津港を挟んで、沖合い約3 kmに位置している。

かつては沿岸漁業の島であり、最盛期の1950年代には人口は300人から400人居た。その後過疎化が進み、1980年国勢調査における人口は80人、2022年現在は無人島となっている。

市営の「アドベンチャーキャビン」は、1980年に閉校した大島小学校の校舎を改装したものである。

島内にある鞍埼灯台は日本初の無筋コンクリート造の建物。初点灯の1884年から約120年以上、海を見守っている。

島までは、日南市の目井津港から市営の高速旅客船(所要時間約15分・1日4往復)が運航されており、目井津港出航後は大島西南部の「竹之尻港」を経由し、北西部にある同島の主要港「小浜港」に到着する。

全く知りませんでした。女性から、人の住んでいた頃の話を聞かせてもらいました。彼女の畑はイノシシに荒らされてしまったそうで、台風6号の通過後に、弟さんが灯台を視察に訪れ、畑の様子を教えてもらい駆けつけて来たとのこと。

日向に面した畑での立ち話は、体に堪えました。適当なところで切り上げて、帰りの港・小浜港に向かいました。地図では、かなり距離があるようでしたが、下り坂が多いためか、思ったよりも早く港に到着。1時間ほど待つことになりました。

待合室の中も暑く、水道に行って何度もタオルを濡らしました。小浜港発14時50分の便で、無事に戻ることができました。戻ってからすぐに「海の駅 みいつ」でバランス飲料を買い求め、飲み干しました。生き返りました。

さて、自動車に戻り、今日の宿目指して出発です。

■途中で豪雨に遭遇しました。財部(たからべ)という地域で、ワイパーが間に合わないほどの激しい雨でした。そうなると運転しているのが恐ろしくなります。

この先の道路が水没する可能性があり、進路を変更するようにとカーナビは提案しています。最初は、本当かいな、と耳を疑っていたのですが、豪雨に遭遇してみると、確かにその通りだ、と納得。幸い無事に通過することもできて、霧島に辿り着きました。

お料理は趣向を凝らしたものばかり。食材は決して高価なものではないものの、手間ひまをかけて作られていることが、私にも分かりました。そして味付けが、私にはどんぴしゃりなのです。あんなに美味しいさつま揚げは始めて食べました。

至福のひとときでした。ご夫婦で切り盛りされているようでした。室内はどこも綺麗に清掃され、清々しいという形容がピッタリの館内でした。開業されて20年になるそうです。これだけの設備を維持・管理するのは、本当に大変だと思います。

来年は連泊して、その間に登山をしようと計画中です。霧島連峰のうち、どれかを選んで登ろうと思っています。

★Day 04 (2023年08月13日)帰沼

富士山静岡空港での虹です。ちょうど通り雨のあとでした。

■楽しみにしていた旅行も、あっという間に終わってしまいました。何にしても天気の神様のおかげで、2つの台風の間に旅をすることができたのは、幸運としか言いようがありません。

少しでも日程がズレていたら、悲惨なことになっていました。感謝するばかりです。

何事にも当たりがあれば、ハズレもあります。仕方ありません。次回の参考にするばかりです。そして、次回の旅が待ち遠しいのは、この旅が正解だった証です。