■20240528(火曜日:雨)
■昨日から雨でしたが、今日は静岡でも線状降水帯が発生する可能性があると、テレビでは警告しています。今日は一日大人しくして、余計な外出は控えるのが賢明のようです。
窓からは、公園前に設置された生ごみ置き場がよく見えます。今日は生ゴミの日ですので、時間帯によっては、ひっきりなしに車が立ち寄って、置いていきます。我が家からは、歩いて1分ですので、雨の中でも傘を指して家を出ます。
どこへ行くのも、田舎では車が必要です。私の住む地域は、大変住みやすい街で、歩いて出かけることのできる範囲に、コンビニ、スーパー、郵便局、銀行、床屋、フィットネスクラブ、各種の飲食店(すき家、ココイチからマックまで)、さらに極め付きは、日帰り温泉まであります。
これほど住みやすい街は他にない、と勝手に私は決めつけています。それでも、夫婦二人で買い物にスーパーに行く時には、昨日のように車で行くのです。重いカゴを持って帰るのは、さすがに年寄には大変です。
こんなに住みやすい街でも車は必需品だとすると、東京駅の真ん前にでも住まない限り、クルマ無しでは生活できそうにありません。
■そう考えると、以下の記事には考えさせられます。
★クルマは本当に日本を幸せにしたのか?
戦後つくられた「クルマ強制社会」、
持ってなければ生活ニーズも満たせない深刻現実とは
登校途中の子どもたちの列に、車が突っ込んで子どもが亡くなる事故が絶えません。子どもたちは車に怯えながら、学校へ通っているのです。狭い裏道まで車が走ることができる上、車道と歩道がきちんと分離していません。子どもたちが通う歩道は、付け足し程度の扱いです。ペンキで線を引いただけです。子どもたちを守る防御壁は、何もありません。
そんな道を通るたびに、一体この国のどこが経済大国なのだ、と腹立たしくなるのです。ある自動車会社の経常利益が、5兆円を超えた、という報道に接すると、どれだけの尊い子どもたちの命がその影で失われたのだろうと、暗澹たる思いに沈むのです。
優先順位が、どこか間違っているのです。誰を守るために政治が行われているのか。もう一度、原点に帰る必要性を痛感するのです。
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