2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

投稿者: aiaiganka Page 81 of 313

意気軒昂

■20231017(火曜日:晴れ)

松江新大橋から見た夕日です。

■今朝も爽やかな青空です。生ゴミの日ですので、公園前の所定の位置に運んできました。

昨夜は、なぜか熟睡できませんでした。どうしてなのか、説明がつくと対処できるのですが、これがさっぱり見当がつきません。3回も目が覚めてトイレに行って、睡眠診断アプリによれば昨夜は80点の睡眠だったというのですが、実感は真逆の20点です。

ちょうど目覚ましの鳴る6時頃に、30分間続いた深い睡眠に入っていたので、起き出すのがとても辛かったのは理解できます。その前が、いけません。

昨夜も筋トレに行き、帰ってきてお風呂に入って、二人でワインを少し飲んで布団に入りました。布団に入ってから、先週の講演会での内容に関連して、思いついたアイデアを頭の中で整理しましたが、大した長さの時間でもありませんでした。

その後は通常通りの睡眠でした。ただ、昨夜はこの秋初めて、空調の設定温度を暖房の18度に設定しました。前日までは冷房の23度でした。その違いが影響した可能性はあります。

自律神経の脆弱性から、室温の変化に対応できないことから引き起こされる、動悸などの症状に苦しみました。それに気づくまでにも、随分と時間が必要でした。

■さて、先週の土曜日に講演してもらった、江田さんとの会話で興味深かった点の一つに、以下の発言がありました。

学生時代から自分はこれになりたい、とはっきり決めていたわけではなかった。銀行での生活を通じて、いろいろな思いを経て、今の会社を起こしたのが46歳だった。だから、まだまだこれからなのだ、といった趣旨です。意気軒昂、気力旺盛なのです。旅立ちも間近いと感じている、同じ歳の私とは対極なのです。

自分は来年で仕事を始めて45年です。まだまだ45年なのでしょうが、いささか疲れを感じてきました。これから、どのように残された大切な時間を過ごすか、本当に考えどころです。

川内優輝選手

■20231016(月曜日:晴れ)

イオンモール出雲から出雲市駅に向かう途中通った「八雲橋」です。落ち着きのある良い街です。

■今朝は爽やかな青空が広がっています。昨日の朝は雨でした。東京では、MGC(男子マラソングランドチャンピオンシップ)が行われ、パリ五輪への二人の代表が決まりました。残念ながら、私は見ることができませんでしたが、川内優輝選手の頑張りが、レースを盛り上げました。

130回目、日本マラソン界で前人未到の道を走り続ける36歳、川内優輝(あいおいニッセイ同和損保)が雨中の決戦で大いに躍動した。

スタート直後に先頭に立つと、悪天候をものともせずにぐんぐんと飛ばす。あっという間に後続を引き離すと、15キロまでは日本記録に近いペースをマーク。35キロ過ぎに後続の6人に追い付かれても、驚異の粘りを発揮。

最後は大迫傑(NIKE)とデッドヒートを展開して、惜しくも競り負けて4位。「パリよりも何よりも大迫選手に勝ちたかった~」と声を張り上げたが、日本代表活動からの距離を置いていた身にして、パリ五輪へと死闘を繰り広げる若手ランナーをけん引。

レース後には「今日は悔いが無い。自分の力を出し切った!」といつも通りの元気良い声を響かせた。

川内優輝選手が優勝したボストンマラソンも、気象条件は寒さと雨で最悪だったと記憶しています。悪条件下での戦いに強いのですね。

川内優輝選手と一緒に走ったことは、もちろんありませんが、2014年にTakuと一緒に初めて「千歳JAL国際マラソン」に参加した際の招待選手が、川内優輝選手でした。

現在36歳ですから、27歳でしたでしょうか、爽やかな好青年という趣で、スタート前に、多くのJAL客室乗務員に囲まれて、嬉しそうでした。私がハーフマラソンを完走する前に、川内優輝選手はフルマラソンを完走し、さっさと空港に帰っていった、とSunは話していました。

当時は公務員ランナーとして、翌日の仕事が待っていたのでしょう。130回目のフルマラソンと、たった3回完走の私では比較のしようもないのですが、川内優輝選手が凄いことだけは、私にも想像できます。

彼の頑張りを見ていると、もう一度、私もフルマラソンに挑戦したくなります。

安定

■20231015(日曜日:晴れ)

出雲大社に、お参りする駅伝の選手たち。

■今日は新沼津カントリークラブ大西杯Bクラス月例でした。久しぶりのラウンドです。先週は出雲駅伝応援のために出かけましたので、ラウンドはできませんでした。

Youtubeで学んだ片足打法の練習成果が、果たしてあるのかどうか。実際にラウンドしてみないと、成果は確認できません。今までとは異なるフォームで実際にコースで打つのは、練習場とは全く異なります。

おっかなびっくりの一日でした。でも思い切って挑戦しないと、生まれ変わることはできません。ダメで元々とは、こうした事を言うのでしょう。うまく行かなかったからといって、命を取られるわけでもありません。何度でも修正すればよいのです。

そして、結果は大正解でした。ドライバーが格段に安定しました。飛距離は大したことないのですが、大きく曲がることが、今日は2度だけで済んだのです。大きく曲がった時は、やはりトリプル・ボギーを叩きましたが、それ以外は、これまでよりもずっと安定したプレーができました。

そして、さらなる収穫は、パターが別人のように安定したことです。自宅での数分の練習で、パターのストロークが安定したのです。3パットは、1度だけでした。

どちらもスコアに直結する、大事なポイントです。本当に次回が楽しみになりました。

同期生

■20231014(土曜日:晴れ)

電鉄出雲市駅です。川跡駅で一畑電車大社線に乗り換えて、出雲大社前駅で下車です。

■今朝も爽やかな青空が広がっています。とは言え、今日の天候は下り坂。夜には雨の予報です。今日は静岡で講習会を開催しますが、その開催責任者ですので、会場に行かなければなりません。講師の一人として、高校の同期生が来てくれます。

東京から新幹線で来られますので、静岡駅で出迎える必要があります。7月8日に行われた、静岡県の大学同窓会でも講演してもらいました。講師を務める江田さんとは、高校時代は全く交流がありませんでした。

それが、高校の同窓会で会ってから、付き合い出したのですから、人生は不思議です。還暦年度が同窓会を取り仕切るというのが、母校の規定なので、連絡の取れる同期生全員に招集がかかったのです。もう10年前になります。

それ以前にも同期会があり、私も渋々ながら参加していました。高校時代はクラブ活動もしていませんでしたし、勉強に明け暮れていた3年間は、どう考えても、楽しかったとは思えなかったからです。

それでも何十年ぶりかに会えば、思い出す楽しかった場面も多々あります。それぞれの異なった人生の航路を知ることで、自分自身の軌跡を冷静に振り返ることも可能になります。

そもそも、同窓会に出席すること自体が、敷居の高いものです。病気療養中でもダメですし、様々な問題を抱えていては、とても同窓会どころではありません。出席できる人は幸せな人なのです。

そんな縁から付き合い出した江田さんに、これで3回も講演をお願いすることになるとは、あの当時は思いもしませんでした。

コロナ禍で開催できなかった高校の同窓会総会にも、そろそろ出席しなければならない時期です。今の同窓会長は弁護士の同期生なのです。同窓会長ともなると、歴史ある名門校ですから、運営にも骨が折れるはずです。

残された数少ない県立の男子校である母校は、いま大きな岐路に差し掛かっているはずです。愚痴も聞いてあげなければ、同期生の意味がありません。江田さんとも、今夜の懇親会で、その点を話してみるつもりです。

課題

■20231013(金曜日:晴れ)

出雲縁結び空港です。10月いっぱいで、静岡からの便は、一旦休止です。

■今日も青空が、窓いっぱいに広がっています。爽やかな朝です。暑さに苦しんだ、あの夏の日々は一体どこへ消えたのか、はるか遠い日のように感じます。ほんの一ヶ月前には、一体いつになったら涼しくなるのか、この暑さは永遠に続くのではないかと、途方に暮れていたのですから、いつもながら自然は休むこと無く営みを続けています。

■昨日のロータリークラブの例会は、お休み。午後からは、ゴルフの練習場で2時間打ちっぱなしの練習に取り組みました。400球ほど打ちましたが、力を入れずにフォームだけで打つ練習です。

右半身と左半身を分けての練習法です。片足をそれぞれ一歩引いて打つことで、別の課題に取り組むことができます。YouTubeで知りました。取り組んでみると、自分の課題がはっきりして、とても有効です。

いちばん苦手なドライバーショットの練習に、初めてきちんと最近は取り組んでいます。アプローチショットは大好きなので、何百球打っても飽きないのですが、力んで打ってしまうドライバーは、練習方法が分からず食わず嫌いでした。

しかし、ラウンドしてみて、いかんせん最初のショットが悪すぎて、スコアがまとまらないことを、いやほど思い知らされたので、致し方ありません、真面目に取り組み始めました。

左右の一体感が無いので、ボールを遠くへ飛ばすことが難しいのですが、とりあえず大きく曲がること無く、しっかりとボールを捉えることができ始めてきたのは大正解です。

左手首の返しも、少しずつ可能になってきました。ヘッドが走って、ボールの飛びが全然変わってきました。今まで何をやっていたんだろう、という思いです。分かってみると、そういうものなのかもしれません。

これからが楽しみです。

見えない皮膚の下

■20231012(木曜日:晴れ)

出雲空港を飛び立ってまもなく、機内から見た宍道湖です。

■今朝は爽やかに晴れ渡っています。日本晴れです。昨夜もフィットネスクラブで筋トレをしました。

水曜日の夜8時前後は、結構混み合っています。ランニング用の機器が15台ほど。あとは筋トレ用の機器ですが、どれもが満杯ということは、さすがにありません。

自分で決めたルーティン、というか、決まった動作、日課は筋トレとランニングは、同日には行わない。そして筋トレ器具は、上半身用、下半身用を交互にする。10回施行後、1分前後休憩し、再度10回。合計3回施行。これが1クールです。

10種類ほどの器具を行い、時間は1時間15分程度で終わります。19時30分にフィットネスクラブに到着。トレーニングが終わるのは20時半頃、というのが、最近の日課です。

初期の頃に比べると、取り組む器具の種類も増えました。最初は、あまり効果があるようには思えなかった器具が、取り組んでみると、自分には効果的だったりすることもあります。

まる5ヶ月が終わって、最初はびくともしなかった器具が、次第に容易に繰り返すことができるようになるのは、驚きとともに、実に爽快な気分になるものです。

自分の姿を鏡で見ていても、シュワちゃんのような部分は、どこにも発見できないのですが、見えない皮膚の下では、大きな変化が起こっていることは間違いありません。それが筋トレの醍醐味です。

■さて、走る方も手を抜くわけにはいきません。11月にはハーフマラソンに参加します。初めてのコースなので不安ばかりなのですが、逆に楽しみでもあります。自分にどれだけの力が残っているのか、知ることができます。

来年も5月、6月と北海道へ出かけて、トレイル、そしてマラソンにも挑戦予定です。鍛錬あるのみです。

徒歩圏内

■20231011(水曜日:晴れ)

今朝散歩をしていると郵便局の前で、ひまわりが咲いていました。

■今朝は久しぶりに散歩をしました。睡眠のリズムが良ければ、フィットネスクラブで走ろうかとも思っていたのですが、そうはなりませんでした。それでも、爽やかな朝の空気に触れて、心洗われる一時となりました。

ほんの20分弱でしたが、秋の空気に触れて歩いていると、生まれ変わったように感じるから不思議です。

■昨日から秋の就学時検診が始まり、昼休みに小学校へ出かけて、来年度入学する子ども達の健康診断をしなければなりません。3才児検診で、万が一にも見逃されているかもしれない不同視弱視を見つけ出す、いわば最後のチャンスです。

特殊な器械を持参して、暗室で検査をします。昨日は幸いにも、大きな異常を一人の子ども達にも、見つけることはありませんでした。今日もまた検診です。学校間での生徒数にばらつきが大きいので、かかる時間にかなり差がありますが、全生徒の検診ではないので、午後の診療に大きな支障はありません。

以前ベトナム枯葉剤被害者支援の旅で、小学校で学校検診をしたことがありました。あの時代は、測定機器無しでしたので、一人ひとり視力を測って検診しましたので、時間がかかって大変でした。

今考えると、支援隊の皆さんの協力でなんとか無事に終えたものの、よく実施したものです。今となれば良き思い出です。

■出雲駅伝の観戦に出かけてみると、いつもながら地方の中心都市の住みやすさを実感します。特に地方の県庁所在地は、様々な公共施設が充実していますから、文化面でも高いレベルを維持しています。

物価は安いですし、食材は美味しいものばかりです。空間は広々していますから、要らぬストレスも感じません。自然は豊かです。良いことばかりのように感じますが、そうは甘くありません。

まず職場が充分ありません。若い人は学校や職場を求めて大都市圏に流出し、まず戻ってくることはありません。地方の人口は、毎年減るばかり。いたるところシャッター街ばかりです。

歳を取って老け込まないためには、銀座に住むのが一番だ、という記事を読んだことがあります。うじゃうじゃ人が行き交う銀座が、住むに適しているかどうかは、意見が分かれるところだと思いますが、その意味は理解できます。

我が家から歩いていける範囲内に、JR駅、郵便局、床屋、カレー屋、ドラッグストア、スーパー、銀行、フィットネスクラブ、そして何より日帰り温泉があるのが最高です。これ以上望んだら、罰が当たると思っています。

歩いていける範囲で、ほとんどの用が足ります。歳を取ると、これは最高の贅沢なのです。それが、今のところ銀座に引っ越すつもりがない理由なのです。

応援の旅

■20231010(火曜日:曇りのち晴れ)

出雲駅伝スタート地点です。出雲大社正面鳥居前。

■先週末は、Sunのたっての希望で、第35回出雲全日本大学選抜駅伝競争の観戦・応援に出かけました。富士山静岡空港出雲便が、この10月で打ち切られると知り、居ても立ってもいられなくなりました。

昨夜は、帰ってから日帰り温泉に行き、一杯やりながら感想を述べ合いました。駅伝観戦自体は、箱根駅伝の応援を2回、小涌園脇で行ったことがあります。

出雲の場合は、箱根駅伝ほどは人手が多くないので、ゆっくり楽しむことができます。初めての出雲駅伝でしたので、要領が今ひとつ分からず苦労しましたが、それでも楽しい旅でした。

来年も出かけようということで、とりあえず意見が一致しました。また楽しみが一つ増えました。

出雲駅伝

■20231009(月曜日:曇のち雨)

大学3大駅伝の初戦、出雲駅伝です。駒澤大学の第2走者が、第一中継所から飛び出してきました。

■昨日からの出雲駅伝応援の旅は、今日が本番です。朝6時15分からの朝食に臨み、応援の一日が始まりました。日程をどう組むか、とても難しい一日でした。

13時5分に出雲大社前をスタートする駅伝は、1区が8キロです。どこで観戦・応援するか、散々考えたのですが、結論は第一中継所前でした。JA出雲が中継所です。道を挟んで出雲市役所があります。

第2走者が襷をもらうのが、1キロ3分として13時30分前後。すべてのランナーが走り終えると、交通規制も解除されます。近くに止めたレンタカーに飛び乗って、出雲空港近くのレンタカー店に戻り、送迎車で空港まで行き、14時40分発のFDA便に乗る必要があります。

市役所前は交通規制が解除されても、ランナーは東へ向かいますので、出雲空港への道路は、引き続き交通規制がかかります。担当者の方に尋ねたところ、かなり迂回して行かないと空港へはたどり着けないことが分かりました。

一人のランナーが体調不良から途中棄権となり、襷が途切れてしまったことを知ったのは、家に帰ってビデオを見て知りました。現場では、それが分からず、もう全員が到着したものと判断し、交差点の往来を許可した後に、さらに走者が飛び出してきたことに驚きました。

■さて駐車場に急いで車に乗り、空港へ急ぎました。裏道をひたすら東へ向かい、もうそろそろ9号線に戻っても規制は解除されているだろうと思ったのは、浅はかでした。右折禁止にかかり、戻るしかありません。さらに遠い迂回路を走り、なんとか規制区間を突破しました。

ギリギリに到着しますので、大至急空港まで送迎をお願いします、と前もってレンタカー店には連絡を入れてあり、その通りに送り届けてくれました。

空港に到着し大至急登場手続きを済ませると、まもなく全ての乗客の搭乗が可能となる時間でした。いつものことながら、綱渡りの人生です。

松江城

■20231008(日曜日:曇)

FDA181便、出雲縁結び空港行きです。

■さて今日は、8時30分発のFDA便で、島根県に向かいます。明日開催される出雲駅伝の観戦、応援ツアーです。出雲へは、これまでも2度出掛けてはいたのですが、駅伝応援ツアーは初めてでした。

出雲空港に到着し、レンタカーを借りて出発です。まずは、日御碕灯台へ向かいました。4年前にも同様のコースを辿りましたが、今回はなぜか交通渋滞にハマりました。

土曜日から3連休、そして出雲駅前の前日という事もあったかもしれません。出雲大社に向かう道は、4キロほど手前から大渋滞。まるで東名高速の渋滞のようでした。

途中で脇道にも入ってみたのですが、カーナビにあるような迂回路はなく、行き止まりや、すれ違いも出ない道で、結局諦めて本の幹線道路に戻りました。

出雲大社駐車場に向かう車が、東西から1箇所に集中するために、交差点の信号で大渋滞になってしまいます。通り抜けるのに1時間以上かかりました。

通り抜けからはスムーズに灯台まで走ることができましたが、4年前と異なり青空のもとで海と灯台を見ることができずに、それだけは残念でした。

■早めに切り上げて、松江の宿に向かいました。松江の街、そして松江城を見学するためです。沼津は終日雨だったようですが、幸い松江は曇り空ながら雨は降らず、ゆっくりと散策することができました。

松江は落ち着きのある、品格も兼ね揃えた、とても素敵な街です。さすがは小泉八雲が愛した街です。午後一杯掛けて散策しました。1万3千歩近く歩きましたので、さすがに疲れましたが、夜は居酒屋さんで美味しい料理とお酒をいただき、お風呂に入って、今夜は熟睡することができました。

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