2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

カテゴリー: ゴルフ Page 4 of 22

宿命

■20230918(月曜日:晴れ)

1年前に出掛けた、金毘羅様です。やっと階段を下り終わりそうになりました。

■今日も昨日に続いて、ゴルフとなりました。2日続けてゴルフをすることなど、1年に1度あるかないかですが、今日は仲良し長倉さんが誘ってくれました。

3 人の友人と楽しくラウンドできましたが、暑くてまいりました。それでも昨日よりはマシでした。風があったのです。それだけでも随分と違います。海から拭き上げてくる風のおかげで、だいぶ救われました。

今日は思い切ってパターを換えました。使わずに仕舞っておいた、別のタイプのパターです。藁にもすがる思いとは、こうした事を言うのでしょう。昨日はとにかく、パターが入らずに往生しました。あれではスコアになりません。

両脇を締めて、肘でヘッドを動かすイメージで、今日は打ちました。昨日とは違い、格段の進歩です。ボールの転がりが安定しました。バックスイングが安定したのです。

それでもドライバーが不安定で、OBだ、ロストボールだとなれば、スコアはハチャメチャです。練習が足りません。努力するのみです。

■さて、全国的に梅毒の患者数が増えています。

★梅毒 静岡県内でも感染急増 
2023年最多ペース、300人
超える勢い

恐ろしいことです。正しい知識を持つことが、とても大切です。

愛読書の一つ、「地中海のほとり」の中には、とても興味深い記述があります。コロンブスが新大陸から持ち帰った梅毒が、ヨーロッパ中に蔓延し、王侯貴族を震撼させます。

そして、梅毒はトイレで感染するという誤解から、ベルサイユ宮殿からトイレが消え失せたというのです。今では信じがたい話ですが、知識が無かった時代には、誰もが恐れおののいたのでしょう。

新しい感染症とは、永遠に戦い続ける宿命に人類はあります。農業を始めた宿命です。

中国で慕われた坂本龍一さん

■20230917(日曜日:晴れ)

3年前に出掛けた占冠村のクラブメッドです。2棟見えているのが星野リゾートのタワーホテルです。

■今日は、新沼津カントリークラブの月見杯Bクラス月例でした。いつもの仲良し甲野藤さんと、ご一緒でした。午前中は曇り空で、暑さも少し楽だったのですが、午後からは日差しも戻り、暑さとの戦いになりました。

ゴル友に教えてもらったパットの練習を、付け焼き刃に行ったのが、間違いでした。ショートホールでワンオン4パットと、これではスコアがまとまるはずがありません。やはり、付け焼き刃はダメです。

それでも、最後の数ホールは、狙った通りにボールを送り出すことができ、次回につながるラウンドでした。それにしても暑い一日でした。

■さて、昨日放映された「NHKニュース おはよう日本」での、ある報道に心惹かれました。「中国で慕われた坂本龍一さん」です。以下はNHKのホームページの記載です。

今年4月、長江の畔で武漢に住む彭海涛さんが坂本龍一さんの楽曲を演奏した。前日には坂本さんの訃報が報じられていた。坂本龍一さんは映画「ラストエンペラー」の音楽を手掛けるなど中国に多くのファンがいる。

彭さんは4年前、脳卒中で倒れた父の看病のため地元へ戻り、亡くなるまでの半年間、疎遠になりがちだった父と過ごしたが親孝行が充分にできなかった事が心残りだった。

そんな時に思い出したのが電車の移動中にたまたま聞いたことがあった阪本さんの「Merry Christmas, Mr.Lawrence」だった。序盤は静かなメロディだが、後半に力強くなる所に彭さんは惹かれた。

2年以上練習を重ね、いつしか各地で演奏を披露するようになった。7月には坂本龍一さんを偲ぶイベントに出席し、ファンの前で演奏を披露。この音楽に救われた経験も語った。彭さんはこれからも中国の人に曲を届けたいなどとしている。

途中、「坂本」が「阪本」と間違えているのは、いただけません。

私が心惹かれたのは、彭さんの述懐部分でした。父親に充分親孝行ができなかった、という部分です。父親が自分のことを深く愛してくれていたのに、生前その事に充分気づいていなかった、というのです。

この点は、おそらく誰にとっても、悔恨の思いが蘇るに違いありません。私も、そうでした。父親は、深く愛してくれていたのです。私が、子ども達を深く愛しているように。

でも、その事に気づいていませんでした。いや、気付こうとしていなかったのかも知れません。気付いてしまうと、肩の荷がぐっと重くなるからです。

小津安二郎監督の「東京物語」が、永遠の名作として語り継がれる所以です。同じことが繰り返されてきましたし、これからも繰り返されていくに違いないからです。

200キロ

■20230910(日曜日:晴れ)

宮崎市日向大島の海です。南国です。

■今日は新沼津カントリークラブ月見杯Aクラス月例です。競技委員としてお手伝いしました。69名の参加がありました。先月までは、異常な暑さのために、参加者が例年より少なかったのですが、ようやく秋の気配を感じるようになり、参加者も戻ってきたようです。

それでも、プレイ中は暑さが堪えました。それでも日陰に入り、そよ風が吹くと、さすがに心地よさが感じられ、鰯雲の空とも合わせて、季節の移ろいを実感できた一日でした。

■同じ競技委員の方が、日産リーフの愛好家で、電気自動車EVについてのお話は、とても興味深いものがあります。まずは、EVに対する危惧として、電欠の問題があります。走行途中にバッテリーが切れたらどうするのだ、という心配です。

人により乗り方が違いますので、もちろん一概に結論できません。話を聞いていて私が感じたのは、たぶん私も同じように、一度に200キロ以上乗り続けることは、殆ど無いだろうということです。

Kさんは、栃木の実家に帰られる時に、必ず決まったサービスエリアで休みながら充電するそうです。30分ほどで、十分充電が可能とのこと。日産との保守契約で、毎月一定の金額を支払えば、日産のお店で無料で充電ができるそうです。

車検も日産のディーラーで、費用は税金プラスアルファ程度で可能だそうです。保守点検でも困ったこともないようです。細かいことは、確認の必要がありそうですが、EVに乗り換えても不便を感じることは、私も無さそうだと思いました。

その時が来ているかも知れません。

偲ぶ会

■20230827(日曜日:晴れ)

宮崎県日向大島です。靴崎灯台へ向かう道で、台風6号の通過で、倒木が横たわっていました。

■今日は久しぶりに、大の仲良し植松さん、久松さんと一緒にプレイしました。以前は、これも大の仲良し大村さんと、4人で一緒に年に何度かプレイしていたのですが、昨年大村さんが突然亡くなり、3人で偲ぶ会となっています。

稲取にあった大村さんの会社の寮に何度も泊めていただき、4人で翌日プレイをするのが恒例だったのですが、それも今では叶わなくなってしまいました。本当に寂しい限りです。

前の晩に4人で歓談するのが、これも楽しみの一つでした。大村さんの絶妙の話術で、何時間でも飽きること無く、大の男4人が口角泡を飛ばして議論するのですから、実に貴重な経験でした。

それも今は夢物語になってしまいました。

それにしても暑い一日でした。熱中症の発生が心配です。

診断書

■20230820(日曜日:晴れ)

日向大島の「緑地保全樹林」です。今では無人島になっています。

■今日は新沼津カントリークラブの盛夏杯Bクラス月例です。まさに盛夏の戦いでした。前半は、まだ元気も残っていましたが、さすがに後半はバテました。16番ホールで一時的な激しい雨に襲われましたが、それ以外は暑さとの戦いでした。

ここ1ヶ月ほどは、昼日中には、とても日向の下で活動する気は起きません。つまりは、全くの練習不足でした。出入りが激しくて、パーを取った次のホールでダブルスコアになったりと、まさに典型的な下手のプレイです。

まぁ、文句を言っても仕方ありません。うまくできたショットを忘れずに、次回の楽しみとします。

■さて、以下のニュースには無事を祈るのみです。

20日昼頃、伊東市の漁港近くでダイビングをしていた59歳の女性が意識不明となり病院に搬送されましたが、重体となっています。

以前Sunと二人で、沖縄でスキューバダイビングを楽しもうと、ダイビングショップに予約を入れようとしました。ところが、60歳以上の高齢者は、問題がないという医師の診断書がないとダメだと、参加を断られました。

残念でしたが、こればかりは致し方ありません。ショップとしては、何かあった時に、責任を負えないということなのでしょう。歳を取ると、それだけ行動範囲が狭くなります。

そんな時に思い出すのが、プロスキーヤーの三浦雄一郎さんが、エベレストに登山したニュースです。

2013年5月23日、世界中がその快挙に沸いた。

プロスキーヤーにして登山家、70歳、75歳と2度、世界の最高峰エベレストの登頂に成功した三浦雄一郎氏が、世界最高齢、80歳にして3度目の登頂に成功したのだ。

快挙なのですが、その裏には莫大な費用をかけて支える用具・人材の支援があったはずです。もちろん山を汚さずに快挙を終えたはずですが、中にはそうでない試みもあるようです。エベレストはゴミの山と化しているという報告もあります。

世界の最高峰だけに、そっとしておいてやることは、難しいのでしょう。

お天気の神様

■20230806(日曜日:曇り時々雨)

ちょうど1年前の自分の部屋の様子です。何という落差。

■今日は新沼津カントリークラブの競技委員会が開催されました。いつもは平日に開催されますので、私は欠席するしかありませんでした。今回は、みなさんの配慮で日曜日の開催となりましたので、始めて参加することができました。

今の月例競技のクラス区分法を変更しないと、キャディー不足のために、公平な開催ができなくなっている点を、皆さんで検討しました。月例競技に参加されるメンバーが増えて、セルフで回らざるを得ない組が出てきています。条件が不公平になります。

全クラスセルフで競技を行っているクラブもあるようですが、個人的には、競技会はキャディーさんと一緒にプレイしたいと思っています。友人たちとの通常のプレイなら、勝手知ったコースですのでセルフでも、多少の不便を我慢すれば良いのですが、競技会は別です。

自分としては真剣にプレイしたいと思って参加しています。そうでないと、競技会に参加する意味が無いと思うのです。

色々な意見がもちろんあり、一長一短です。時間のかかる問題です。変化するのは、何事においても難しいのです。

コースの視察を支配人と一緒に行いました。コースの維持管理は、本当に大変です。支配人のお話を聞いていると、知らないことだらけで勉強になることばかりです。

幸い強い雨も、1ホール程度で済みました。最後のホールを終わったところで、激しく雨が降り始めました。なんと幸運なことか。お天気の神様に感謝です。

熟成塩ダレ

■20230723(日曜日:晴れ)

千歳市青葉公園内の千歳川です。6月4日です。なんと涼し気なことでしょう。

■今日は新沼津カントリークラブ文月杯Bクラス月例です。一ヶ月ぶりのゴルフです。今日は64名の参加者で、競技が行われました。とにかく暑いの一言しか無いのですが、それでも楽しくプレイできたのは、同伴競技者のおかげです。

左手の使い方を井上さんに教えてもらってあったのですが、それができずにいました。ところが、16番のロングホール、ラフからの第3打で開眼しました。7番ウッドでの第3打は、ピンから1メートルに寄り、見事にバーディーでした。今日は、アウトスタートで、47、47、計94打で上がることができ、久しぶりのスコアでした。

腰のひねりとクラブヘッドの回転とのタイミングが、まだまだ取れていないので確率が悪いのですが、明らかに進歩しました。次回が楽しみです。

■さて、以下の記事は興味津々です。お魚大好き人間としては、こうして豊富に取れる魚が、手軽に手に入ることを願うばかりです。記事の中にあるタレを使用すれば、一度冷凍しますから、アニサキスの心配もありません。

今が旬なのに、大半が「肥料向け」に出荷されている…⁉︎
食卓でおなじみ「日本一獲れる魚」のナゼ


ただし、こぶりなうちに取り過ぎると、いずれ漁獲高が減少してしまわないか、それが心配です。他の国に比較して、資源管理が十分できていないことが、日本漁業の衰退を招いているようですから。

■20230709(日曜日:曇・霧)

白老町の宿の正面玄関です。木の後ろに、EV用の急速充電器が設置されています。

■今日は新沼津カントリークラブ理事長杯、準々決勝と準決勝の競技委員を務めました。前が殆ど見えないほどの霧でした。8時前にスタートでしたが、10m先も見えないほどの視界の中での戦いでした。

その後に、ハーフだけコースを視察しましたが、どこへ向かって打てばよいのか、そしてボールがどの辺りにあるのかなど、本当に五里霧中の状態です。こうなるとプレイは、面白くありません。

今の時期、山の天候は街中とは全然違います。海抜223メートルと聞いていますが、コースは霧の中でも家に帰ってみると、どこを探しても霧のかけらもありません。

来週が決勝戦ですが、休日当番医のために立ち会うことができずに、大変残念です。致し方ありません。

縁の下の力持ち

■20230702(日曜日:晴れ)

昨年の今頃は、我が家は改築工事の真っ最中で、避難生活でした。今は夢のように快適です。

■今日は新沼津カントリークラブの理事長杯、一回戦と二回戦が行われ、私は競技委員としてお手伝いしました。通常の月例競技と異なり、理事長杯はマッチプレーとなります。

16組、予選を通った32名で開始されます。マッチプレーですので、勝敗が決まるのが、とても早い場合もありますし、延長線になる場合もあります。したがって進行が、とても不規則になり、場合によって2回戦に望むまでに3時間弱も待たされた競技者もいました。

何とか無事に全ての決着がつき、来週の準々決勝の出場者が決まりました。松本支配人の目いっぱいの奮闘で、何とか一日を無事に終了することができホッとしました。終わった後に競技委員会が開催され、いくつかの課題が提案され、後日また競技委員会を、別途開催することが決まりました。

平日ですと、残念ながら私は参加できませんが、私の参加は付け足しのようなものですから、別段問題はありません。何事にも縁の下の力持ちという存在があることを、こんな活動をすることでも実感します。世の中全てのことに当てはまる真理です。

人生何事も勉強だ、という教えです。

一太郎

■20230618(日曜日:晴れ)

白老町の宿です。玄関前の様子です。

■今日は新沼津CCの水無月杯Bクラス月例でした。曇り空で強い日差しが無かった分、楽な一日でしたが、結果は散々でした。どこか特別悪かったいうわけでもないのに、101回も叩いてしまうところが、救いがないのです。

それでも、大の仲良し長谷川さんと一緒にプレイできて満足でした。楽しい一日でした。来週の日曜日には、年に一度のクラブのお祭りである、理事長杯の予選があります。

私は会議のために、これで6年続けて欠場です。来年は役も退任しますので、自由になれそうです。

■さて、以下の記事に深い感慨を覚えるのは、どの世代からでしょうか。

「一太郎」が「ワード」に奪われた地位、「マイクロソフトの戦略に敗れた」…それでも伝説の開発者はITの魅力に夢託す

そもそも、「一太郎」というワープロソフトを知らない世代が、今ではほとんどではないでしょうか。昔は、マイクロソフト社製のワープロソフトではなく、日本の会社のワープロソフトが、事実上の標準だったのです。

役所へ提出する書類は、「一太郎」で作るのが当たり前でした。記事にもある通り、ウインドウズ95の登場以降、マイクロソフト・オフィスが事実上の標準になり、他の製品は静かに消えていきました。

ネットで調べてみると、興味深い事実が次々と出てきます。例えば、

日本では、アルファベットより複雑な字形の印刷、漢字入力の方式策定という課題があったため、開発が困難であったが、登場するとたちまち受け入れられた。

そのため20世紀日本では多くの場合、手書き・ガリ版→ワープロ専用機→パソコンでのワープロソフトとタイプライターを経ないで移行が行われた。

そうなのです。日本では、タイプライターというものは、ほとんど見たことがありませんが、逆に欧米では「ワープロ専用機」というものは登場していません。

1978年(昭和53年)、東芝が初の日本語ワードプロセッサJW-10を発表した。これはワープロ専用機で、発売価格は630万円であった。

なんと一台630万円もしたのです。しかし、いったん普及に弾みがつくと、恐ろしいスピードで価格は低下します。

1980年(昭和55年)より電機メーカー、事務機メーカーなどが次々と日本語ワープロ市場に参入し、競争により価格も下がり、大手企業への導入が進んだ。

同年に平均単価200万円だったワープロの価格は、1985年(昭和60年)には16.4万円と劇的に下がった。

私もワープロ専用機を使用していました。その頃は、文章は印刷するのが当たり前でしたから、ワープロ専用機はとても便利だったのです。

1983年にはPC-9801用の松や、一太郎の前身であるPC-100用のJS-WORDが登場した。松と一太郎はそれぞれベストセラーとなった。

1990年代にはMicrosoft Windowsが普及し、ワープロソフトもWindows版が主力となった。海外ではWordPerfect(Windows版)、Lotus WordPro、Microsoft Wordが、それぞれ単体およびオフィススイートの形で、激しく競争した。

日本でも1995年よりWindows 95が普及すると、専用ワープロやMS-DOS版から、Windows版の日本語ワープロソフトが主力となり、一太郎(Windows版)、Microsoft Word、WordPro、OASYS(Windows版)などが競った。なお日本では「一太郎 + Lotus 1-2-3」など、メーカー間で提携したパッケージも販売された。

2009年では、英文も日本語も、Windows上で動くWordがほぼ事実上の標準となった。

そうなのです。競争に敗れて、一太郎は消えていきました。今思い返して、果たして違う結果を得られる分水嶺が、どこかの時点であったのでしょうか。ジャストシステムの経営戦略が誤っていたから、こういう結果になったとは言えないように思います。世界中で同じような結果が、得られているからです。

それだけマイクロソフトの戦略が巧みだったとも言えます。しかし、こうした結果、つまり単なる一私企業の製品の使用を、公共団体までもが強制するという事態は、決して望ましいものではありません。誰もが無料で使用できるわけではないからです。

そうした視点が欠如したまま、当然のように事が進むことを、私はとても危惧しています。

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