2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

カテゴリー: 残日録 Page 93 of 152

自嘲

■20191204(火曜日:晴れ)

玉湯温泉の夕食です。

■今朝は走らずに五時に起きました。昨日は11キロ超を走りましたので、さすがにいささか疲れました。どのように走り続けるのが良いのか、未だによく分かりません。つまり毎日6キロを走るのか、それとも一日おきに10キロを走るのか、身体にとってどちらが良いのか、未だに模索中です。

今週は木曜日も土曜日も夜予定が入っていて、Sunと一緒にお風呂に行けませんので、昨夜は久しぶりにニューウェルサンピア沼津のお風呂に入ってきました。

■さて、今朝の東京新聞、私説「論説室」からは、「キルギスの少女の涙」と題して書かれています。

中央アジアの国キルギスの議会が国中から子供たちを議場に招待しました。2,000人以上が学ぶ学校からやってきたある少女は、学校には看護師が一人しかおらず、その看護師がお金を取って子供たちに予防接種をすると訴えたそうです。これを聞いて、議員達が笑ったのです。

少女の学校の校長によると、衛生当局から支給された破傷風とジフテリアのワクチンが必要数に足りず、このため看護師が児童の父母と相談した上で、不足分を薬局に買いに行き、子どもたちに接種したそうです。看護師が徴収したお金は、の代金だったのです。

最後に記事はこう書かれています。

議員達は何がおかしかったのか。国が貧しくても、子どもの健康に関わる政策は優先されるべきだ。公衆衛生のお粗末ぶりを放置しているのは政治の怠慢である。自分達の事こそ自嘲すべきだ。

しかし、この記事を読んで、他国の状況を笑う気にはなれませんでした。なぜなら日本でも貧困は決して他人事ではないのです。

子供達の7人に1人が貧困。単身暮らしの女性3人に1人が貧困という状況を放置している今の政治に対して、強い憤りを覚えるのです。自嘲【 自らを軽蔑(けいべつ) 】 し、あざけること】すべ きは、キルギスの国会議員ではなく、日本の政権与党の国会議員たちなのです。

寒冷前線

■20191202(月曜日:雨)

玉造温泉での夕食です。

■今朝はゆっくりと休みました。先週末からの高崎への旅も終わり、また新しい1週間の始まりです。昨日の暖かな日和とは打って変わって、今日は朝から雨です。天気予報では、寒冷前線が通過するために各地で雷雨の予想です。

予報通りに、午前中から激しい雨となり、午後からは雷も鳴り始めました。結局一日中雷雨となった、週始めでした。

高崎でお世話になった2人の先生にお礼状を書き終え、次は12日に予定されている中学校での、ベトナム枯葉剤被害者支援の旅の話の準備をしなければなりません。パワーポイントでも良いのですが、昨年から使い始めた、preziを使って子どもたちに説明したいと思っています。

いまのところはインターネット上にファイルが置いてありますので、WiFiがないとプレゼンができない状態です。スマホのテザリングを使ってなんとか上手に終えたいものです。

校長先生に確認したところでは、全生徒 79 名に体育館で話をしなければなりませんが、WiFiは使用できないようです。

戦後政治

■20191130(土曜日:晴れ)

松江城です。

■今朝も、ゆっくりと休みました。昨夜はベトナムはればれ支援隊の忘年会を開催し、10月に行った支援の旅の総括を行いました。会計報告も行われ皆様から集めた旅費から、思ったほど現地で経費がかからなかった為、少しお返しすることができました。

大釜会長が手術を終えたばかりで体調がすぐれず、食事が一緒に取れなかったのは大変残念でした。奥様も来年で80歳になられるということで、会の運営の第一線からは退きたい、という申し出でしたが、これも致し方ありません。

残されたメンバーでできることを続けていくしかなさそうです。とりあえずは新年会を開いて、また話し合いましょう、ということで別れました。

家に帰り、あまりの冷え込みに、風邪でもひいたのかと心配しましたが、Sunの助言に従って葛根湯を一服飲んで、早々に休みました。今のところ体調は問題なさそうです。

■さて、今朝の新聞の第1面は、中曽根康弘元首相死去、と大々的に報じられています。「101歳、戦後政治の総決算を掲げ、自主憲法意欲、国鉄民営化」と、あります。さらに「政治主導で原発推進」とも書かれています。日本の原子力発電の父とも呼べるのでしょうか。

冷戦末期の国際情勢の中でレーガン大統領と親密な関係を築かれた印象が、とても強く残っています。戦後政治の総決算を掲げつつ、原子力発電の推進を行ったとあれば、目指すところは、原子爆弾を自前で持ち、米国の核の傘から脱し、対米従属から脱却するのが最終目的だったのでしょうか。

ただ一つ残念だったのは東京新聞の記事の最後の一節です。

本誌は福島第1原発事故後の2012年、こうした日本の原発導入の歴史を追った通年連載「日米同盟と原発」の取材のため、東京の事務所を訪ねて証言を求めたが、高齢を理由に応じてはもらえなかった。

福島における悲惨な原発事故を目の当たりにして、原発推進の父であった中曽根氏の思いを聞いてみたかったと思うのは私だけではないはずです。

今トランプ大統領が登場し、米国一極支配の世界情勢が大きく変わろうとしています。アメリカだけに忖度していればよかった時代は終わろうとしています。そうした意味では、今こそ求められている日本政治のテーマが、戦後政治の総決算であることは明らかです。

対米従属のもと、いわば「見ざる、言わざる、聞かざる」で戦後を送ってきた日本人が、これからどのように自分たち自身の知恵で国を運営していくのか。まさに正念場に差し掛かっているのではないでしょうか。

情報密度

■20191129(金曜日:晴れ)

松江城内のお茶屋さんで、いただきました。

■今朝は走るつもりでいたのですが、さすがに疲れが溜まっていたのでしょうか、起き出すことができませんでした。6時過ぎまで、ゆっくり休みました。今朝は久しぶりの青空です。

それにしても昨夜は冷え込みました。冷えるという予報でしたので、毛布を敷布の上にひいて寝たのですが、掛け布団が薄すぎました。夜中の1時近くに掛け布団を厚いものに替えました。それからは熟睡できたように思います。

■さて、今朝の東京新聞27面「本音のコラム」欄では、ジャーナリストの北丸雄二さんが、「日本語の情報密度」と題して書かれています。

言語における情報密度という言葉があります。話す速度や音節との関係でその言語がどれほどの情報を伝えているかを示すものです。それによると一番情報量が多い言語はベトナム語。その情報量を基準とすると、中国語は94%、英語が91%で、日本語はなんと49%なのだそうです。つまり、同じ速度で喋ると、日本人はベトナム語や英語の半分ほどしか情報を伝えていない。

と、いうことになります。これはもちろん話し言葉に限ったことのようですが、なかなか興味深く、また考えさせられる内容です。

十年前からベトナムにボランティア活動に出かけていますが、ベトナム語は未だにさっぱり分かりません。一時期YouTubeでベトナム語に挑戦してみたのですが、すぐにめげました。発音が難しすぎて、私には手に負えなかったのです。ベトナム語は情報密度が私には濃すぎるのでしょうか。

話し言葉ですから、書き言葉のように無駄な言葉がひとつもない、張り詰めたような文章というわけにはいきませんし、またそんな会話は極めて不自然だと思います。

話し言葉は対話、つまりはやり取りが基本となりますから、あまりそぎ落としてはクッションがなさすぎて、刺々しくなってしまいそうです。そんなことを考えているから情報量が減ってしまうのでしょうか。

何はともあれ、楽しい会話というのは何にも代えがたいひと時に違いありません。

国の形

■20191119(火曜日:晴れ、強風)

ベトナム支援の旅で、活動を終えてホテルに帰る途中、道端の露店で並んでいたイモ類です。

■今朝はゆっくりと休みました。いささか疲れが溜まっていて、起き出す元気はありませんでした。残りの日数と残りの距離を考えると、明日からまた頑張れば何とかなるでしょう。

昨夜は雨と風が吹き荒れて驚きました。外に出していた干し柿をしまうのを忘れていました。思い出して雨が当たらないように、ひさしの下にしまったのですが、残念ながらかなり濡れてしまったようです。解凍した干し柿を、今朝も一つ食べましたが、十分甘くてジューシーでした。

■さて、長州新聞第8425号三面にはこんな見出しが書かれています。「ケアマネのなり手が激減、崩壊しかねない介護保険制度」、あるいは「看護職員27万不足  厚労省推計団塊世代75歳以上で  国際的な比較でも劣悪」。

記事によれば、人口10万人当たりの医師数、看護師数が国際的にも低く、医学生の数は、経済協力開発機構OECD調査で最低である、とあります。

東京近郊では人口の減少によって医療機関も、余り始めているという話を聞くことがありますが、日本全体で見ると、まだまだ、そのような状況にはないようです。

下関のある開業医は、こう語っています。

日本の医師、看護師をはじめ医療スタッフの人口比人数は極めて少ない。2010年頃、国内総生産 GDP に占める医療費が最も多い米国ボストンの病院と日本の国立病院(どちらも入院ベッド数300床クラス)を比較して、日本は医師数で約十分の一、看護師数で約七分の一、看護助手で約四分の一などとなっていることが問題となった。

これは今日でも抜本的には改善していない。看護師不足は深刻で病院でも介護、福祉分野でも確保は至難となっている。

福祉国家と呼ばれる国々では、こうした分野に国が多くの投資を行なっているのでしょう。国にお金が無いわけではないのです。国民が必要としている分野に、お金を振り向けていないだけなのです。誰のために政治を行い、誰のためにお金を使うのか。その結果が、この国の形を作り上げているのです。

有機農業

■20191118(月曜日:晴れ)

ベトナムで食べた鳩の丸焼きです。

■今朝の写真は今年ベトナム枯葉剤被害者支援の旅で食べることのできた、ハトの丸焼き料理です。日本でよく見るハトとは違うようですが、かなり小さめのハトのようです。

丸焼きにしたものを小さく切ってありますので、全体像は分かりませんが、脚が丸見えなので些か不気味といえば不気味です。それでも味はとても良くて、けっこう美味しく頂きました。

■さて長周新聞第8425号の書評欄では、世界で広がる有機農業について吉田太郎著「タネと内臓」という本を取り上げています。副題には「多国籍企業の種支配に抗し、遺伝子組み換え食品や農薬追い出す」と、あります。まず、こう書かれています。

米国モンサント社など多国籍企業は除草剤ラウンドアップ(主成分はグリホサート)と、それに耐性を持つ遺伝子組み替え( GM )作物の種子等をセットにして種子市場に進出しています。例えば韓国では、国内の種苗メーカーはなくなり、キムチ用の青陽唐辛子はモンサントが買収して、韓国は毎年巨額のロイヤリティを払っています。つまり「種を制する者が世界を制す」なのです。だが、それによって食と農業と健康はどうなるのか?

最近の米国の消費者団体の調査では、遺伝子組み換えトウモロコシはミネラルをほとんど含まない、カス食品であることが分かりました。米国病原菌学会の学会長はこう述べています。

米国モンサント社など多国籍企業は除草剤ラウンドアップ(主成分はグリホサート)と、それに耐性を持つ遺伝子組み替え( GM )作物の種子等をセットにして種子市場に進出しています。例えば韓国では、国内の種苗メーカーはなくなり、キムチ用の青陽唐辛子はモンサントが買収して、韓国は毎年巨額のロイヤリティを払っています。つまり「種を制する者が世界を制す」なのです。だが、それによって食と農業と健康はどうなるのか?

そして最後に記事は、こう結んでいます。

世界中の母親や農家が多国籍企業の支配に抗して種子を守り、農薬漬けでない地産地消の農業への大転換を促しているのに、日本政府だけが種子法を廃止し、種苗法を改定して多国籍企業のタネの支配へ道を開け、遺伝子組み換えでないの表示義務をなくし、グリホサートの食品への残留基準値を緩和しています。

そして大手メディアは、これを報道しません。国益を売り飛ばしてはばからぬ対米従属政治に対して、日本の農家や消費者も黙っているわけにはいかない、と書かれています。

まさに今の政権は亡国政権なのです。

世話人会

■20191114(木曜日:晴れ)

バクザン省では、道路沿いに多くの露天があります。この大きなせん餅が、どこそこで売られています。

■今朝は久しぶりに、ゆっくり休みました。3日間連続して朝、走りましたので、今日は天気予報にも雨との予想でしたので、目覚ましを5時半にかけて、昨夜は眠りました。

結局起き出したのは6時半になってしまいましたが、起き出して外を見ると、西の空はもう雲が途切れて青空になっていました。昨夜の天気予報では、今日は午前中いっぱい雨、午後から晴れてくるとのことでしたが、少し変化が早まったようです。昨日も日中は暖かく、部屋の中では半袖でいても寒いとは感じない程でした。

■れいわ新選組の山本太郎代表が今、東北地方を回って地域の皆さんと交流を深めています。その様子をYouTubeで見ていると、まず感じるのは、とにかく寒そうだということです。

夕方から開始されますから、当然のことなのですが、やはり気候の違いを痛感します。2時間以上の時間を取って街頭で交流会を開いているのですが、皆さん、とても熱心に聞き入ってる様子が画面から伝わってきます。

それぞれの地域で色々な問題を抱えているということがよく分かります。それに対して誠実に対応している山本太郎代表の姿勢は、とても好感が持てるものです。一番素晴らしいと私が思うのは、ユーモアがあるから、その場の雰囲気がギスギスしません。

論じているテーマは決して面白おかしいものではないのですが、豊富な基礎データーに基づいた、山本代表の演説に皆さん引き込まれています。今これだけのお話ができる政治家が、どれだけいるか疑問に感じるほどです。

お話を聞いて感じるのは、どうして今までこうした内容の現状が、マスコミで報じられてこなかったのか、という極めて基本的な疑問です。テレビだけを見ていると、今の日本はそれほど悪い状況にはないのではないか、と錯覚しがちです。

ところが現状をきちんと見てみると、日本は本当に落ちぶれてしまったのです。20年間続いたデフレの中で、多くの人が貧しくなってしまったのです。ぜひ皆さんには一度、山本太郎代表の街頭演説を、お聞きになることを勧めたいと思います。

日本の現状、いま日本がどうなっているのか、ということを改めて思い知らされ、我々がどう行動すべきかを示唆してくれています。

■さて今夜は、東部眼科医会世話人会です。一年の締めくくりです。来年に向けて活動を総括し、問題点を検討します。これが終われば、一段落です。

思い出

■20191106(水曜日:晴れ)

ベトナムのある農家。庭に植えられたバナナの木です。

■今朝は走るつもりで昨日に続いて目覚ましをかけていたのですが、起きることができませんでした。原因は分かりません。疲れが溜まっているのでしょうか。

10月はベトナム支援の旅に続いて、群馬県でのハーフマラソンに、たくと一緒に出場しました。いささかハードスケジュールだったのは分かっていたのですが、その疲れが遅れて出てきているだけかもしれません。無理をしても意味がありません。

仕事をしながらですので、そちらにしわ寄せが行っては本末転倒です。まぁ、のんびりと焦らずに身体の調子を見ながら、少しずつ積み重ねていくしかありません。

■今朝の東京新聞読書欄を読んでいて、ある方の投稿に目が留まりました。「水くれた女性 優しさに感謝」と題して、千葉市に住む 80 歳の男性の方が投稿しています。

この方は東京の地下鉄の地下通路の一角で、急に気分が悪くなり、しゃがみ込んでしまったそうです。その時、通りがかりの女性が声をかけてくれて、近くで冷たい水を買って届けてくれたのです。その水のおかげで気分も回復し、動ける状態になって帰宅することができました。

その時、名前も聞くことができなかったのですが、優しい気遣いと行動力、世の中には、なんて親切な方がおられるのかと感激しました。本当にありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。

と書かれています。

なぜこの記事に目が止まったかといえば、70 歳を前に肺がんで旅立った私の姉が、以前同様の話を私にしてくれたことがあったからです。同級生と会うために東京へ出かけた際に、姉は帰り掛けの電車の中で気分が悪くなりホームに降りて吐いてしまったそうです。

ところが親切な方がおられて、ハンカチを提供してくれたり、優しく介抱してもらい無事に帰宅することができた、というのです。姉が私に言っていたのは、同様の感想でした。「世の中には、なんて親切な方がいるのだろう」。新聞の投稿を読みながら、今は亡き姉を思い出していたのです。

公共

■20191102(土曜日:晴れ)

まもなく太田駅です。車窓から見たスバルのビル、本社でしょうか?

■今朝は5時半まで、ゆっくりと休みました。目覚ましが鳴る、どのぐらい前からでしょうか、夢を見始めました。夢ってなかなか思い出せないものです。何かの準備に追われている夢だったような気がします。

スマートフォンにセットした目覚ましを止めて、20分ほどでしょうか、布団の中で、うとうととしていました。こうした時間は、起きなくてはいけないと分かっていながら、夢の中で右往左往している自分を、映画を観ている観客のような気分で眺めているのです。まるでチャップリンの映画を見ているような、そんな気もしてきます。

■さて昨日、萩生田光一文部科学相が閣議後の記者会見で、大学入学共通テストに来年度から導入される予定だった、英語の民間検定試験について、令和6年度をめどに実施を延期すると発表しました。「身の丈に合わせて頑張って」という大臣の発言の顛末です。

安倍内閣が発足して以来一貫しているのは「公共の放棄」という点です。今まで国が予算を計上し、等しく国民がサービスを受けられるようにしてきたものを、民間に出来ることは民間に、という名のもとに予算を削り、国民からいわばサービス料を徴収して、民間の業者、しかも政権に食い込んでいる一部の業者に利益を横流ししている、というのが実態です。新自由主義などと名称はもっともらしいのですが、実態は下世話なものに過ぎないのです。

国民健康保険制度の改革に取り組む議会の審議会に民間の保険業者の代理人が参加し、保険会社が利益を可能な限り最大限できるような仕組みを作り上げるようなものです。アメリカでは広く行なわれているようです。一部の者たちのために、税金が合法的に横流しできるような仕組みを、国会の中で言わば、国民の目を逃れて作り上げられているのです。

耳障りの良いキャッチフレーズが広告会社の知恵なのでしょうか、巧みに流されるのです。「官から民へ」、「民間に出来ることは民間に」、「民間の知恵を生かして」などなど、まるで民間に移譲すれば、全てのことがうまくいくかのごとく説明されるのです。そして一部の親しいお友達に、税金が流れていく仕組みが作り上げられていくのです。

今こそ私たちは立ち止まって、公共とは何なのかということを、もう一度真剣に考え直さなければいけない時期になっています。

コンクリートから人へ

■20191031(木曜日:晴れ)

わが町の夜明けです。いつ出会っても心洗われます。

■今朝はゆっくりと休みました。今日は10月最後の日。いよいよ残り、あと2ヶ月というところまで来ました。色々なことがありましたが、振り返るのは、また後のことにして、とりあえずは今月も目標の月100キロ走を達成しましたので、ひと安心と言うところでしょうか。

さて今朝の東京新聞第2面には、「ダム事業のあり方は」と題して「核心」欄で、2人の政治家の方が意見を述べられています。民主党政権時、国土交通相だった馬渕澄夫氏は、この中で「コンクリートから人へ」の理念とは何かと問われて、こう答えています。

一度決めたら最後、膨大な費用を投じ続けるのは、官僚主導政治の最たるものだった。『人へ』というのは、無駄な公共事業をやめて財源を捻出し、教育や弱者救済などに充てるという思い。自民党政治の大転換を政治主導で行うというメッセージだった。理念は今でも正しいと思っている。

この馬淵氏が述べている理念は今でも大切なことであり、実現していない最大の政治目標に違いありません。

安倍政権になって以来、最も顕著なのは、ごく限られた特定の仲間だけに限って、極端な利益供与を公然と行い続けているという点です。身の丈発言で問題になっている英語検定試験にしてもしかり。民間試験業者の利益のためには、受験生への配慮などは一顧だにされていないのです。

彼らの頭の中には、自分たちへ利益供与している国民しか、目に入っていないのでしょう。これが戦後の日本民主主義の行き着いた終着駅だと思うと、暗澹たる思いに沈むのは私だけではないはずです。

東京オリンピックのためと称して湯水のように使われる税金のごく一部でも、人への投資へ回すことができれば、どれほど日本全体の底上げに繋がるかは容易に想像のつくところです。

れいわ新選組代表の山本太郎さんが言うように、このようなひどい日本を作り上げたのも政治なら、それを変えることができるのも、政治しかないのです。

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