2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

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MIRAフィットネスクラブに出掛けた日。

立ち往生

■20241221(土曜日:晴れ)

6月2日に参加した千歳JAL国際マラソンです。
あと2キロほどでゴールです。

■今年5回目のマラソン大会は、第44回千歳JAL国際マラソンでした。2014年に初めてこの大会に参加した時には、Takuも一緒でした。Takuは10キロの部。そして私はハーフを走りました。

こうした大会に、Takuは参加したことは無く初めてでしたので、とりあえず10キロの部に出てみたら、と誘ったところ、意外なことに、すんなりと同意しました。

私が走り終えたあとに10キロの部はスタートでした。どの程度のタイムで戻って来るやら、さっぱり分かりませんでした。Sunと二人で、まだ早そうだけど応援に行こうか、と沿道に出てみたところ、風のようにTakuが走り抜けて行ったのには、二人して驚きました。

Takuのマラソンデビューでした。

■今年も写真のように爽やかな天候に恵まれて、最高のマラソン日和。無事に完走しましたが、今年は次週にも北海道にやってきて、びえいヘルシーマラソンを走る予定でしたので、温泉に行くことも諦めて、その日のうちに帰ることにしました。

帰りの便が羽田空港で雷雲に遭遇し、着陸は無事に終えたものの、滑走路で足止めを食らって、それこそ立ち往生したもの、いまとなれば楽しい思い出です。

来年は、どうなりますことやら。

坂道コース

■20241220(金曜日:晴れ)

2024ノーザンホースパーク・マラソン・トレイルです。
競走馬訓練用坂道です。

■今朝も晴れ渡っています。昨夜は沼津西ロータリークラブのクリスマス例会でした。家族で参加された方もいて、賑やかな夜でした。

■さて、今年4回目のマラソン大会は、2024年05月12日に開催されたノーザンホースパーク・マラソンでした。この大会の特徴は、「競走馬育成施設(ノーザンファーム坂路コース)を駆ける唯一のマラソン大会」とあります。新千歳空港から送迎バスで30分ほどです。開催場所ノーザンホースパークのコンセプトは、

馬と自然とひとつになる、
Brilliant Momentsブリリアント モーメント~輝く時間

ノーザンホースパークは1年を通じ、ゲストが気軽に馬と接していただけるさまざまなアクティビティやイベントをご用意しております。

ご来園いただいた1日を通じて皆さまに輝く時間をお届けできるよう、北の大地の恵みを活かした美味しい食事をお楽しみいただけるレストランのほか、ライフイベントでも輝く時間を経験していただけるよう、ノーザンホースパークではオリジナリティ溢れる結婚式の会場ならびに演出をご用意。

また、競走馬生産育成牧場のリーディングファームであるノーザンファームを母体としており、日本の馬事文化の発展を担う施設として、乗馬競技会場その他の設備も充実しております。

ノーザンホースパークを訪れたゲストの皆さまが「Brilliant Moments~輝く時間ひととき」を体感いただけるよう、ノーザンホースパークスタッフ一同サービスを提供してまいります。

と、ホームページには記載されています。あの名馬ディープインパクトのお母さんが、老後を過ごしていることでも有名です。全国からファンが、未だに訪れています。

施設内を散策するだけでも、四季折々の自然の変化を充分楽しめます。2回目の参加でしたから要領は分かっていました。天候にも恵まれ、爽やかな空気を満喫できました。

2回ともトレイルコースでの参加でしたので、来年はハーフに挑戦しようかと思い始めています。制限時間は3時間と記載されています。申込開始までに、ゆっくり考えましょう。



9年の歳月

■20241219(木曜日:晴れ)

4月7日に焼津港に集まったランナーたち。

■今年3回目の大会は2024年4月7に開催された、第39回焼津みなとマラソンでした。2015年4月15日に開催された第30回大会にも参加していました。その時は、61歳でした。2時間6分33秒で完走しています。

ハーフの部は、2,500 名の参加です。50歳以上の部に出場し、完走を目指しましたが、制限時間を超えることができませんでした。

制限時間 130分。ハーフは中間地点で1時間5分、15km地点で1時間35分、20km地点で2時間4分の関門を設けます。関門の時間を超過した場合は、競技を中断し係員の指示に従ってください。

15 km 地点での関門で、あえなく競技を中止。用意されたバスに収容されました。競技を中止したランナーで、バスは満員でした。昨年の大井川キウイマラソンについでの途中棄権でした。

関門の少し手前で、大会関係者が旗を振っていました。携帯したスマートウォッチは、走り始めてから 15 km と表示されています。ここが関門なのか、と思いました。屈伸運動を念入りにしてから再開し、カーブを曲がると、制限時間に3分足りませんでした、と役員の方が案内していました。

屈伸運動などせずに走り続けていれば、間に合ったかもと思いましたが、体力的には限界でした。次の関門は超えられなかったでしょう。

ひいひい言いながらも、9年前には問題なく超えることのできた関門も、9年経って走ってみると、超えることができなくなっていました。歳月は正直です。そして残酷でした。

9年の歳月を実感した一日でした。

折り返し点

■20241216(月曜日:晴れ)

これぞオーストラリアの草原です。
ジーロングからメルボルンへ向かう車の中から撮りました。

■12月も折り返し点を過ぎて、いよいよ大晦日も視野に入ってきました。起き出して窓のブラインドを開けると、今朝は西の空から満月がこちらを見つめています。今夜が15夜でしょうか。

今年を振り返る時期になりました。まず1月です。元旦には夕方、能登半島で大地震が起こり、年末帰省していたTakuたちが、間一髪で無事に家に辿り着きました。続いて2日には、JALのジェット機と海上保安庁の飛行機が、羽田空港で衝突する事故が起きました。

出だしから、これだけの大事件が続くことに、大きな不安を覚えた年の始まりです。

1月4日から九州旅行へ出かけました。富士山静岡空港から熊本空港に飛びました。天草・霧島を巡りました。天気も良く、二人で仲良く弥次喜多道中です。

最後は阿蘇山に行きましたが、気温0度ということで、さすがに車を降りて散策しようとは思いませんでした。そんな年始の1月でした。

ブッシュフード

■20241214(土曜日:晴れ)

オーストラリア・ジーロングのJones家の庭です。

■昨夜はS先生と二人だけの忘年会を開催しました。今年の4月から役職を引き継いでもらったので、慰労会を兼ねて誘いました。私が6年間務めましたが、何時までも続けることはできません。適切な後継者を育てて、引き継いでいくことが大切です。

良き後継者を得ることができて本当に幸運でした。その時々で様々な問題が発生します。私の頃には無かった状況が生まれ、調整しなければならなくなると、間に入ったまとめ役としての会長は大変です。

それこそ、あちらを立てればこちらが立たず、というジレンマに苦しみます。自分自身経験してきたので、その大変さは分かります。何とか無事に乗り切ってくれると信じています。

■さて今朝の写真は、オーストラリアのブッシュというのでしょう、ヤブ、あるいは茂みと訳されています。Jones家は11エーカーの敷地にありますが、周囲は写真のような風景です。

森に囲まれているというと、神社のような光景を思い浮かべるのですが、ジーロングには、そのような場所はありませんでした。

こうしたブッシュに住み続ける、オーストラリアの先住民の知恵が見直されています。

先住民たちが、昔から食べてきた原野で採れる自然の食材は「ブッシュフードbushfood」または「ブッシュタッカー bush tucker」と呼ばれ、なかには、ビタミンやミネラルが驚くほど豊富に含まれていることから、「スーパーフード(健康維持/増進が期待できる食品)」として注目されているものも多い。

★先住民の知恵に学ぶ、森の恵みのスーパーフード

近代医学では解決できない問題が山程ありますが、何万年という時の篩にかかった養生法は、今でも決して古びていないようです。

矜持と気力

■20241212(木曜日:晴れ)

オーストラリア・ジーロングの住宅街にある歯科医院です。

■今日の写真は、散歩中に見かけた歯科クリニックの写真です。オーストラリアでは、歯科診療に保険が効かず、治療費が高額なことで有名です。ワーホリで出かけた日本人が、虫歯の治療に20万円かかった、という投稿も見られます。円安の今ですと、もっと高額になります。

オーストラリアに滞在する場合は、日本で治療を済ませておくのが、鉄則のようです。

■さて、トランプさんは大統領になったら、中国製品に関税をかけて締め出そうとしています。敵視政策は一貫しているのですが、指をくわえて座して死を待つ中国ではありません。

跳ね返すだけの力が中国にはありそうです。将来衝突することを予想して、着々と準備をしてきたのです。以下は1例に過ぎません。

中国半導体最前線PartⅢ 
AI半導体GPUで急成長した「中国版NVIDIA」ムーア・スレッド

もちろん、思ったように成果が上げらずに、苦しんでいる分野もたくさんあります。しかし、いつまでも他人の言いなりになっていては、自立することができません。

言いなりになるばかりです。平身低頭、唯々諾々と身を処するだけでは、奴隷国家になりさがります。他山の石とできるだけの矜持と気力が、果たして日本に残っているのかどうか。

これから最後のチャンスが回ってきそうです。

文化センター

■20241211(水曜日:晴れ)

右手の建物が「川口総合文化センター・リリア」です。

■昨日はフィットクラブへ行くつもりでしたが、疲れが溜まっていたのか止めました。その時間を利用して、バナナケーキを作りました。Sunが友人からいただいたリンゴがあり、大きめなので毎朝二人で半分ずつ食べてはいるのですが、それだけではもったいないので、何とかレパートリーを増やそうというわけです。

いつものバナナケーキに、サイコロ状に刻んだリンゴを入れて、炊飯器に掛けました。結果から言えば、美味しいのですが中心部が、まだ固まりきれていない、という仕上がりです。

リンゴケーキのレシピを見てみると、砂糖をかなり使うものがほとんどです。砂糖は極力使いたくないので工夫のしどころです。蜂蜜を代わりに使用したり、何とか手軽に美味しいリンゴケーキに辿り着きたいと思っています。

■さて今朝の写真は、埼玉県川口市の駅前にある総合文化センターです。とても立派な建物です。現在、大規模改修中とのことです。そのためでしょうか、催し物が少なくて驚きました。市民のために様々に利用されているのでしょうが、ホームページでは、ちょっと分かりにくいのが残念でした。

これだけの規模の箱物を維持するのは大変そうです。相当の規模の自治体でないと無理です。東京を羨ましく思うのは、舞台とか演劇とか講演会とか、そうしたものを身近に容易に楽しむことができる点です。

地方ですと県庁所在地が、それに相当するのでしょうが、いかんせん人口規模に違いがありすぎるので、主催団体にとっては経済的にも開催は困難です。

人混みが苦手な自分にとっては、地方での生活は性に合っているのですが、これからますます格差が拡大しそうです。

思い出

■20241209(月曜日:晴れ)

川口市立西中学校脇にある三領水門です。
荒川の洪水で中学校が浸水したことがありました。

■荒川の支流である菖蒲川が、西中学校の脇を流れています。記録を見ると、1958年(昭和33年)狩野川台風の来襲で、荒川の大洪水が起こっています。

子どもの頃、押し寄せてきた洪水を、団地の2階から眺めた記憶があります。何年だったか、正確な記憶はないのですが、1958 年では私は 5 歳ですから、いささか怪しい記憶です。

ただ、その後の大きな洪水というと、1974年(昭和49年) 台風16号による、となりますので、これではないことは確実です。最近では、2019 年 10 月の台風 19 号で浸水被害を受けたようです。

高層住宅が立ち並び、以前と比較しても地面の保水力が低下していることは間違いので、川口市として対策を急いでいるようです。

■中学校の美術の授業で、スケッチをする機会がありました。土手の上から、この水門を私は描きました。美術の成績が、いつも2だった私が、美術の先生に唯一褒められたのが、その水門の絵でした。

そんな嬉しい思い出を、この水門は蘇らせてくれるのです。

固定観念の崩壊

■20241207(土曜日:晴れ)

荒川の土手から見た川口西中学校です。
右側に並ぶ高層ビル群は、駅周辺です。

■今朝も、よく晴れています。これから強烈な寒気が流れ込むために、北陸地方は雨から大雪になりそうです。被災地には、さらに重荷になりそうです。

■さて、いつもの知恵袋・田中宇さんです。

★韓国戒厳令の裏読み
田中宇の国際ニュース解説 無料版 2024年12月5日

あまりに突然の韓国からの報道に、どうなっているんだ、と驚くばかりでした。田中さんの解説は、いつものことながら、筋が通っていて納得ができます。

世界は変わろうとしています。長い間に作られた固定観念が、崩れていくかも知れません。東西ドイツだって、永遠に分断されているだろう、と誰もが思っていたはずです。

大国の思惑で分断されてきた、同じ民族の国家が、統合へ向かうのは自然な流れです。大国によるタガが外れれば、時間はかかっても一つになろうという思いが勝るはずです。

地域の大国にとっては、隣で起こる争いごとには、何のメリットもありません。とにかく話し合いで解決しようとします。それこそが正常な姿であり、これからの目指すべき方向です。

そうなってくれることを、心から願っています。

時の流れ

■20241206(金曜日:晴れ)

川口市の荒川の土手です。京浜東北線に向かって真っすぐ伸びています。

■今朝も、よく晴れています。今朝の写真は、先日出掛けた川口の様子です。幼年期を過ごした川口は、私の心の故郷です。川口といえば、映画「キューポラのある街」です。

『キューポラのある街』(キューポラのあるまち)は、1962年(昭和37年)4月8日に公開された日本映画である。浦山桐郎の監督デビュー作。文部省選定。

主演の吉永小百合が当時最年少のブルー・リボン主演女優賞を受賞し、以後大スターへの道を躍進することにもなった記念すべき作品。

私が9歳の時に公開されています。鋳物工場職人の家庭に生まれた、主人公の成長を描いた作品です。当時私が住んでいた公団住宅の周囲にも、多くの鋳物工場がありました。

写真の土手の麓には、長屋のような住宅が建て並び、多くの友人の家族が住んでいました。その様子も映画には描かれています。

石黒ジュンを演じる吉永小百合さんが、自転車に乗って土手を走り去る場面もありました。先日訪れた川口駅前の様子など、映画からは想像もできないほど変貌しています。

映画で描かれた当時と今も変わらない点に、川口駅に止まるのは京浜東北線だけである、という点があります。線路は山のように数多く通過しているのですが、駅に止まるのは一つだけ。

川口駅から東京駅まで各駅停車でも29分ですから、他に必要がなかったのでしょう。それでも、川口駅に上野東京ラインを停車させようという計画がありますが、実現するのは2037年以降になることが見込まれているようです。

駅から歩いて数分のところに、店舗建住宅の巨大なビルができていたことに驚きました。Koheiちゃんによれば、5年前には無かったとのことです。先日も駅から中学校まで散歩をしたのですが、人手の多いことに圧倒されました。

さて、5年後に川口市と沼津市は、どう変わっているのか。そして自分自身も、どうなっているのか。時の流れは加速しそうです。

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