■20240318(月曜日:晴れ)
■さて今日はお休みです。いまのところ、雲間から青空が覗いています。二日前には、フィットネスクラブに行って 11km 強を走り、昨日はゴルフの月例競技でしたので、今日は安静日です。
昨夜は、Turuちゃん夫婦と恒例の夕食会でしたが、Chizuちゃんも左親指の手術を無事に終えて退院し、一段落のようです。まだまだ、これからいわばリハビリ期間なので、落ち着くまでには時間がかかりそうです。
■昨日は、ひさしぶりに、アバタローさんのユーチューブ番組を聞きました。
★究極】眠られぬ夜のために|ヒルティ
今日も頑張ったあなたへ ~疲れた心と体を癒す、快眠の思想~
この本の第一巻が出版されたのが、1901 年とあります。ネットには、その出版は1919年とあるものもあるのですが、没年が1909年ですから、1901年のほうが正しいようです。
つまり20世紀に入って、すぐに出版されているのですが、その内容を聞いていると、さすがに古典だけあって、21世紀の今の状況を語っているのではないか、と錯覚してしまいました。ヒルティの言葉に耳を傾けてみましょう。
真実を語ろうと努めたとしても、それはたやすいことではないのだ。なぜなら我々の生きる社会自体が嘘にまみれた社会だからである。
その中で生きている人間たちは、なんの悪気もなく嘘をつき、真実ではないことを口にすることを、あなたは知っておかなければならない。
他人の嘘を見破ること、それ自体はそれほど難しいことではない。何より問題なのは、たとえ間違った情報でも、それが自分にとって都合が良いと、真実だと思い込んでしまうことにある。
したがって、今日の社会に生きる我々に最も必要なのは、嘘と真実を見極められる、ある種の本能と言えるだろう。
100年以上も前の社会について語っています。ラジオもテレビも、ましてやインターネットも無かった頃です。そんな時代においても、「今日の社会に生きる我々に最も必要なのは、嘘と真実を見極められる、ある種の本能と言えるだろう」と断言しているのです。
嘘と真実を見極められる嗅覚が最も大切だ、と私は思ってきました。それは常識という尺度かも知れません。どこかおかしい、なにか変だと気付く嗅覚です。
特定の組織や団体のプロパガンダ、意図的に作り出された世論などに巻き込まれてはならない。その中の大部分は、翌年には消えてなくなる儚い存在である。できる限り距離をとっておいた方が良い。
今では、テレビやマスコミが、これでもかとばかりに、世論を誘導しようと日夜画策しています。
特にこれから社会に旅立とうとしている若き人々よ、あなた達はくれぐれもマスメディアの情報や、そこで度々称賛されている人間達の言動には惑わされないことだ。
彼らはよくないことや正しくないことであっても世間の注目が集まることであれば平気でそれを拡散してしまうものなのだ。
また人間の経歴なども見せかけだけの幻に過ぎない。その美しい飾りによって覆われた真実を誰も見ないし、また見ようともしないだろう。
ただ時折何らかのトラブルをきっかけに薄皮が裂け、内側に隠された真実があらわになるのである。
新型コロナウイルス問題、ウクライナ戦争などなど、ここ数年の出来事を振り返っても、ヒルティの指摘は、100年後を見通していたのではないか、とさえ思えるほどです。
自分の頭で物事を考え自分の意見を持つ人の数が増えていけば、どれだけ世界は良い方向に進むことだろう。自ら考える人は、自分の意見の誤りを指摘された時、それが正しければ素直に認め納得するものである。
しかし自ら考えず、他人の意見ばかりを参考にしている人は、真っ当な議論をして説き伏せることもできないのだ。
私も常々感じてきたことです。学歴も教養もあり、社会的に高い地位にある指導的立場の人々でさえ、「特定の組織や団体のプロパガンダ、意図的に作り出された世論などに巻き込まれて」しまっているのです。
そして、真っ当な議論にも耳を貸そうとしないのです。
かつてイギリスの哲学者ジョン・ロックは、このことについて次のように言っている。
「間違った意見というものは、世の中にはそれほど多くはない。なぜなら、たいていの人は意見を持たず、他人の意見や、世の中の噂話で満足しているからである」。
まさに、その通りだと思うのです。多くの人の発する意見は、テレビの語る意見の繰り返しでしかありません。テレビの中で語られる専門家の意見の、コピペに過ぎないのです。その確からしさを自分なりに考えたことなど、まず無いのです。
社会は、ますます悪い方向に向かっているようです。