20180227(火曜日:曇)

 

メルボルン市内を流れるヤラ河畔の風景です。懐かしい思い出です。

 

■今朝は走りました。二月は明日で終わり。ここへ来て三日少ないというのは大変です。下手をすると二回分が足りない勘定になります。日曜日にLSDをして、何とか帳尻を合わせることができました。今日は 6.08km を走り、総計 100.64km を積み重ねました。

何とかこれで首の皮一枚で繋がったことになります。月100キロの目標は、途切れされるのは簡単ですが継続するのは難儀です。これで36ヶ月連続目標を達成しました。記録を取り始めてから、総計 6573km を走ったことになります。どこまで続けることができるか分かりませんが、継続こそ力なりですし、それが毎日の支えになっていることは間違いありませんので、可能な限り続けていくつもりです。

いま一番の支えはAyaちゃんでしょうか。Ayaちゃんが目標達成するまでは自分も応援するつもりで継続しようと思っています。

■さて今日は結婚記念日。1982年ですから、もう36回目です。あら、36ヶ月連続月100キロ走とぴったり一致です。

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二人きりの家族から、今ではYukoさんも含めて6名になりました。三倍に増えたのですから、この地球上でサピエンスが繁栄するはずです。他の生き物からすれば、はた迷惑かもしれません。

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続きは、後ほどにしましょう。

■もう36年にもなります。あの日は曇り空で、少し肌寒いような天候でした。東京の東条会館で式を挙げました。

披露宴を終えて、そのまま義兄が車で成田空港まで送ってくれました。

私の愛読書、「地中海のほとり」に登場するスペインへ行こう、と二人で計画しました。1982年2月の平均レートは、一ドル235円とありますから、いまでは想像もできない時代です。

つまりは同じ旅をしても倍の費用がかかる、ということですから大変です。確かツアー代金は一人35万弱だったと思います。それでも格安ツアーでした。

何より違うのは、西のスペインへ行くのに成田から東のアラスカ・アンカレジ空港へ向かったということです。当時は冷戦真っ只中だったのです。

アンカレジ空港で時間を潰して、さらに東へ向かったのですが、空港では外へ出るのでもなく、ただただ時間を潰すだけだったように記憶しています。

アンカレジから、まず向かったのがベルギーでした。ブリュッセル空港でしょうか。そこからバスに乗って、「小便小僧像」を見に行きました。「世界がっかり三大名所」の一つだそうですが、確かに、これだけ、と思ったことを覚えています。

乗り継いで向かったのがスペインのマドリード空港。ようやく目的地に辿り着きました。ほとんど一日がかりでした。最初の夜に泊まったホテル名は覚えていませんが、ドアの鍵が壊れていたのと、とても古式ゆかしい伝統的な素敵なホテルだったことは覚えています。

フランコ総統が死去したのが1975年ですから、もうその当時のスペインは王国に戻っていました。Wikipediaによれば、

 

1975年にフランコが死ぬと、フランコの遺言どおりにスペインにボルボーン王朝が復活した。フアン・カルロス1世は、即位前にフランコの指示で帝王学の教育を受けていたこともあり、そのままフランコの独裁政治を受け継ぐかと思われたが、即位後は、政治の民主化を推し進め、急速に西欧型の議会制民主主義および立憲君主制国家への転換を図った。

 

と、あります。あまり質の良い国王に恵まれなかったスペインに、久しぶりに登場した賢帝だと言われました。しかし残念なことに晩年には、その贅沢ぶりが批判の対象になり、さらにアフリカでのアフリカゾウの狩猟が批判の的となり、健康問題もあり、2014年に退位となりました。

 

世界自然保護基金の名誉総裁の職にあったにもかかわらずレッドリストに掲載されている動物を対象にスポーツハンティングを行ったことについて世界的な批判を受けることとなり、名誉総裁を解任されるに至った。

 

経緯は、このようです。大変残念です。歴史と伝統の異なる両者を比較するのは無意味かもしれませんが、平成天皇の人間としての素晴らしさは、本当に私達の誇りです。

国民の幸せを第一に願う、当たり前といえば当たり前なのですが、それを願い続けることは、とても難しいことなのです。