2022 年 02 月 11 日 北海道小樽市街と石狩湾です。

月: 2018年3月 Page 1 of 4

マラニック

20180331(土曜日:晴れ)

 

沼津市役所前の歩道橋から見た香貫山です。

 

■今朝は走りました。昨日は休息しましたので、月最後の日なのですが、積み重ねを図りました。6.17km を走り、総計 107.71km となりました。最初は体が重くて辛かったのですが、走っている内に少しずつ楽になってきました。

最近は走っていても体が重く感じてしまい、体力なのか気力なのか、衰えを痛感します。2012年からきちんと走り始めたのですが、その頃は、今考えるとずいぶんと元気でした。様々な大会やランニング教室のようなものに通い、臆する事無く出かけていました。貴重な日曜日を、そんな風に過ごしていたのですから、我ながら、よくそんなことができたものだと感心します。

とにかく初めての事ばかりなので興味津々でした。10人未満の仲間とともに、知らない街を走るというのは、今思い返しても、とても楽しい時間でした。自動車やバスなら、あっという間に通り過ぎてしまう場所も、裏通りまで走ってみると、ぜんぜん違う一面を知ることができます。これは実に楽しいのです。

知らない街を歩いてみたい、という歌詞がありましたが、知らない街を走ってみるのも負けず劣らず楽しいものです。

マラニックという言葉があります。マラソンとピクニックの合成語ですが、リュックを担いでピクニックの気分で街を走るのです。NHKの番組、三ヶ月でフルマラソンの中でも取り上げていました。私も一人で横浜の街を走りました。その日は天候にも恵まれ楽しい思い出となりました。

その様子は、こちらから。

 

横浜の街をマラニック

 

スマホで写真を撮ろうとして、発熱のために機械が動かなくなって焦った記憶が鮮明です。あの頃はスマホも、まだまだ発展途上でした。

 

 

神田川

■20180330(金曜日:晴れ)

 

新沼津カントリークラブの満開の桜です。

 

■今朝はゆっくりと休みました。今日の昼休みに人間ドックを受けるために食事は抜きだからです。平成29年度の健康診断を受けていませんでした。来月こそは、と思いながら、なんだかんだと忙しくて後回しになっていました。

毎年胃カメラを受けていたのですが、今年は間に合わなかったので、次年度に回すことににして、その他の一般的な項目で済ませることにしました。

ということで、今朝はコーヒー一杯で朝食です。最近は体重が1-2キロ増えてしまい、食事を取り過ぎなのか運動量が足りないのか、以前よりもバランスが悪いので、これでちょうど良いのかもしれません。

■さて今朝の東京新聞、「私の東京物語」は、脚本家 仁科翔子さんです。第四話の今日の書き出しは、こうです。

 

富良野塾を出て、上京したとき住んだのは中野だった。そばを神田川が流れていた。塾の同期三人で生活したのは六畳一間のアパート。雨のたび増水警報が鳴ったのをよく覚えている。その部屋で暮らしながら、三人で劇団を旗揚げした。

 

まさに大ヒットしたかぐや姫の「神田川」の世界です。以前ランニングの会で、10名ほどの参加者と一緒に、神田川の歌の舞台になったアパートの周辺を走ったことがあります。歌の中に登場した銭湯もありました。もちろん、どのにでもある、さもないアパートでした。そのアパートで繰り広げられた人生模様も、決して稀有なものではなくて、さもないものだったのでしょう。もちろん当人たちにとっては、大切な時間であったに違いありませんが。

仁科さんは、そのアパートにいた頃は、とにかくお金が無いので、よく歩いた、と書かれています。若くがむしゃらだった頃には、何の苦も無かったその道程も、今になって歩き直してみると、がむしゃらだった日々に置いていかれたようで寂しくなった、とも書かれています。

誰もが経験したに違いない、人生のひと時。だからこそ仁科さんが作り出す世界に、人は心惹かれるに違いありません。

 

 

目標

20180329(木曜日:晴れ)

 

我が家のお隣さんの垣根に咲いている花です。

 

■今朝は走りました。午前7時13分現在、こうして入力しているChromebook R13 の向こうに置いてあるデルのパソコンの画面に、「おめでとうございます。月間 100km を達成しました」という言葉が見えます。エプソンのランニング・ウォッチを接続して今日の走った情報を送ったのです。

6.21km を積み重ね総計 101.53km となりました。これで37ヶ月連続月100キロ走を達成しました。総計 6,675km を走ったことになります。いつ途絶えるか、いつ途絶えるか、と思いながら、なんやかんやと自分の背中を押してくれるものを探していたように思います。

Takuが司法試験に合格するまでは、と走り続けていたのが、つい昨日のような気がしますし、それが叶うと、逆にガクッと力が抜けてしまい、走り気力が萎えました。

Ayaちゃんがオーストラリアに行ってしまい、彼の地で夢を叶えるまでは、と次なる目標を設定しました。三人の子ども達が、それぞれの夢を持って毎日を送っていることを考えると、自分にも力が湧いてきます。

自分には自分に与えられた役割があり、それをきちんと果たしていくことは当然なのですが、それだけでは、走り続けるには力不足なのです。

■さて今日は午後から市役所に行って、先日申請したパスポートをもらってくる予定です。今年の5月に期限切れになります。10年間の新たなパスポートを発行してもらいました。

これで最後の版になるかもしれません。1982年に初めてのパスポートを発行してもらいました。新婚旅行へ行くためです。最初の海外旅行でした。あの頃は有効期限が10年は無かったように記憶していますが、どうだったでしょうか。

 

 

ジビエ

20180328(水曜日:晴れ)

 

富嶽カントリークラブの富士山です。桜の満開には、まだ数日掛かりそうでした。

 

■今朝は走りました。昨夜はなかなか眠りに入ることができずに困りましたので、仕方なく夜中に起き出して眠剤を一錠飲みました。おかげで、その後はすんなりと寝ることができました。

今日で年間300キロを達成しました、とパソコンの画面が祝ってくれています。6.16km を走り、総計 95.32km を積み重ねました。あと一回走れば目標達成です。それにしても今日は体が重くて参りました。花粉症のためもあるのでしょう。気候は最高ですが、この体のダルさは困ったものです。

■新聞によれば、農産物などに食害をもたらすニホンジカの駆除を進める富士宮市が、駆除後の解体処理施設「富士宮山麓ジビエ」を開所しました。

年間150頭の食肉加工が可能とのこと。同市では乳牛用の牧草がニホンジカの食害に遭う割合が高く、年間1,200万円の被害のうちの半分にあたるそうです。

現在は猟友会の協力で年間1,500頭を殺処分していますが、おいしい牧草を食べている富士宮のシカはジビエとして風味が他の地域のシカに勝るそうです。新たな特産品にしたい、という思惑もあります。ジビエとはネットによれば、

 

ジビエ(仏: gibier)とは、狩猟によって、食材として捕獲された野生の鳥獣を指し、フランス語である。英語圏ではゲーム(game)と呼ばれる。畜産との対比として使われることが多い。狩猟肉。

本来はハンターが捕獲した完全に野生のもの(仏: sauvage、ソヴァージュ)を指すが、供給が安定しない、また入手困難で高価になってしまうといった理由で、飼育してから一定期間野に放ったり、また生きたまま捕獲して餌付けしたものもドゥミ・ソヴァージュ(仏: demi sauvage、半野生)と呼ぶ場合もある。

近年では狩猟から供給される鳥獣肉を使った料理にジビエと入れるケースがある。ジビエを珍味と称して生食するのは感染症や肝炎、寄生虫のリスクが有り、大変危険である。

 

と、あります。開所の日には、鹿肉を使ったカレーパンやロースト肉の試食も行われました。評判も上々だったようです。

行きつけのレストラン「象の仔」のマスターも山で狩猟をするそうです、イノシシやシカの話を、良くしてくれます。先週行った時には、愛鷹山に仕掛けた罠に入っていた三頭のイノシシのビデオを見せてくれました。

そして注文したサラダに、そのイノシシの肉が入っていました。美味しかったです。

私達がご飯の時に手を合わせて、「いただきます」というのは、生き物の命をいただきます、ということだ、とはよく言われることです。マスターの写真やお話を聞くと、本当に、間違いなく、私たちは命をいただいているのだ、ということが分かります。

 

 

モンテ・クリスト伯

20180327(火曜日:晴れ)

 

富嶽カントリークラブの富士山です。

 

■今朝は走る予定でしたが、ゆっくりとまどろみました。布団の中でまどろむのが、今朝は安楽でした。寒くもなく暑くもなく、本当にちょうど良い塩梅なのです。

残りあと10キロになって、ちょっと一休みです。休むことも大切です。

■日曜日の新聞の楽しみは、8面の読書欄です。「読む人」、「書く人」と様々な分野の本が紹介されています。

25日の三冊の本棚は、歌人 坂井修一さんの三冊。「アンナ・カレーニナ」、「知と愛」、そして「マクベス」です。アンナ・カレーニナにしても、レ・ミゼラブルにしても、とにかく長編です。あれだけの作品を書き切る西洋の作家たちの体力、精神力というのは、生半可ではありません。肉食動物と草食動物の違いすら、思い浮かべるほどです。

どなたでしたか、ある新聞の読書欄で、ある作家が色々の作品を読者に推奨した上で、それでも面白くない、という方がいたら、最後はアレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」を読んでくれ、と言った趣旨の発言をされていました。最後まで読み通した経験のある私には、幸いその意味が分かりました。とにかく飽きることがありません。

あれだけの数の登場人物たちが、こんがらかること無く、最初から最後まで活躍するのですから、本当に凄い力技です。

西洋と向き合うということは、あの脂ぎった野獣のような生き物たちと向き合うことなのだ、とつくづく思います。

 

 

蔵書

20180326(月曜日:晴れ)

 

富嶽カントリークラブから見た富士山です。

 

■昨日は静岡県眼科医会のゴルフコンペ。久しぶりに参加しました。4月からは副会長を仰せつかりましたので、積極的にこうした会にも顔をだすつもりです。

会場の富嶽カントリークラブは、新東名高速道路を使えば、家から40分でした。出かける時にスマートフォンのカーナビに従って、駿河湾沼津スマートインターチェンジへ向かいました。前回富士宮ロータリークラブへの訪問時には、新しい近道を探して、夜彷徨ってしまい、ほとほと参りました。

でも今回はナビ通りに行くと、これまでの道よりかなり近道になることが分かりました。

富嶽カントリークラブでのプレイは、初めてのことだったのですが、景色が最高でした。3千本と言われるソメイヨシノが、コースに所狭しと植えてあります。今週末には満開となり、最高の風景です。

 

 

■今朝は走りました。6.14km を積み重ね、残り 10.84km となりました。さすがに昨日の今日ですので、体は重く少しも脚が進みませんでした。とにかくゆっくりと、しっかり走ることだけ考えました。

 

 

高崎

20180325(日曜日:晴れ)

 

柿の木の新芽です。5月の連休には花が咲きます。

 

■今朝は快晴です。午前7時2分現在、風もほとんど無く絶好の行楽日和です。

SunはNonちゃんと一緒にTakuの所へ出かけました。世帯を持ったTakuのために、いろいろ譲ってあげるものを運ぶためのようです。私は一度もTakuの住む高崎まで行ったことはありません。ネットで調べてみると、

 

2 時間 41 分 (208.8 km) 「東名高速道路、首都圏中央連絡自動車道(茅ヶ崎~大栄)、および 関越自動車道」経由

海老名 JCT  を 厚木出口・平塚・圏央道・八王子・茅ヶ崎・海老名出口・中央道・新湘南 方面に向かって進む

 

と、あります。首都圏中央連絡自動車道がミソのようで、地図を見るとだいぶ近道になります。時間的には沼津から名古屋へ行くよりも近いのです。名古屋までは東名高速道路で一直線ですが、240km とあります。高崎というと、ずっとはるか遠く、という感じがしますが、先入観なのです。

 

 

回文

20180324(土曜日:晴れ)

 

新沼津カントリークラブの春です。

 

■今朝も走りました。いつものコースを、いつものように 6.15km を走り、今月の総計が 83.01km となりました。目標達成まで、あと 16.98km となりました。残り7日です。

昨夜はまごつきました。夜中に暑さのために目が覚めて、いよいよ春だ、と薄手の羽毛掛け布団を薄手の毛布に替えたのです。ところが、寝付けませんでした。それでは寒かったのです。明け方になって気温が下がったのです。結局もう一度羽毛布団に戻して熟睡となりました。

記録によれば昨夜の深い眠り時間は、1時間30分でしたので、いつもよりも長いぐらいです。熟睡していたのです。2時54分から3時39分までの45分間も深い眠りでしたから、昨夜は通常より睡眠の質は良かったほどです。

こうして睡眠の記録を取っていると実に面白いのです。実感との落差が、とても新鮮です。そして気付いたことは、眠れない、眠れないとジタバタすることの愚かさです。ちゃんと寝ているのです。殆どの場合は、何も心配することはありません。それが分かっただけでも、このスマートウォッチを購入した甲斐がありました。

■昨日の東京新聞に愉快な記事が載っていました。「回文」についてです。回文とは、上から読んでも下から読んでも同じ文になる文章です。日本最古の回文は、12世紀の平安期の和歌の指南書「奥義抄」にある、

 

むら草(くさ)に草(くさ)の名(な)はもし備(そな)はらば なぞしも花(はな)の咲(さ)くに咲(さ)くらむ

 

だ、そうです。凄いですね。

この記事の中で一番笑えたのは、7年前東日本大震災を機に「人を喜ばせたい」とツイッターで作品を発表し始めた、回文川柳作家 二ノ宮よう子さんの作品、

 

大体(だいたい)さ ハンサムさんは 妻帯(さいたい)だ

 

言葉の楽しさは、尽きることがありません。ボケ防止にも最適ではないでしょうか。

 

 

黒澤明

20180323(金曜日:曇)

 

富士通沼津工場の桜です。まだまだ二分咲きでしょうか。

 

■今朝は走りました。月曜日に走ってから四日ぶりですので、ずいぶんと久しぶりの様に感じます。凍えるような雨の日があり、とても走るどころではありませんでした。これで 76.86km を積み重ね、目標まで 23.14km を残すのみです。残り8日ですから、計算上は達成可能ですが、何が起こるか分かりません。体調を崩すこともあり、怪我をする可能性もあります。最後の最後まで気を抜いてはいけません。

■さて今日は黒澤明監督の誕生日だそうです。1910年(明治43年)3月23日 – 1998年(平成10年)9月6日とありますから、今年は没後20年という節目の年でもあります。没後10年でしたでしょうか、NHK BSで特集を組んだように思います。今年はどうなのでしょうか。

「悪魔のように細心に、天使のように大胆に」というキャッチフレーズがあったはずですが、そのこだわりには逸話が尽きません。

Wikipediaを参照すると、以下の記載に目が止まります。

 

小学校低学年の頃、気の弱かった黒澤は、泣き虫でいじめられっ子だった。3年生の時、図画の時間に描いた絵が個性的であるために他の生徒に笑われる中、担任だった立川精治はこの絵を褒めるということがあった。すると、それ以来絵を描くことが好きになり、同時に学校の成績も伸び、やがて級長にもなった。後に黒澤は、立川を「生涯の恩師」と語っている。

さらに実兄の丙午(須田貞明)から厳しい指導を受けたことや、終生の友となる級友の植草圭之助に出会ったこと、父に言われ剣道を始めたことなどで、心身ともに逞しくなり、卒業式では総代として答辞を読んだ。

 

どういうわけか、たびたび入学試験に落ちているのも、天才黒澤にしては意外です。なるべくしてなったように思いがちですが、幾つもの分かれ道の後に、世界の黒澤が誕生していることに、ある意味、勇気をもらえることも事実です。

 

 

春の雪

20180322(木曜日:雨)

 

Ayaちゃん桜、河津桜もすっかり葉桜になってしまいました。

 

■今朝は、ゆっくりと休みました。昨日の天気予報では午前中は雨。午後から晴れるとのことで、無理をせずに、走るのは明日にしました。天気予報はよく当たります。午前7時24分現在、激しいと言えるほどの雨が降っています。

昨日は、まさかの寒さで、御殿場では10センチほどの雪が降り、車が立ち往生して大変だったようです。

今日は午後から急激に気温が上がり、一気に4月の暖かさが戻るようですが、本当にジェットコースターのような気候です。

■昨日はNonちゃんと三人でお寿司を食べました。寒々しい雨の降る中でしたが、三人で色々話をすることができました。考えてみると2年前にAyaちゃんがオーストラリアへ行ってから、我が家は激動のサイクルに入ったようです。物事が動くときというのは、こんな風に動くのかな、という思いです。

それまで静かに、そして密かに様々な思いが、それぞれの心のなかで現れては消えていたのでしょうが、一気に地表に吹き出したのです。

親としては、とにかく受け入れていくしかありません。信頼するしかありませんし、また実際に信頼を裏切るような選択はしていないようです。三人共、自分なりにしっかりと考えた末の結論ですから、全面的に応援するのみです。

■昨日の夜には驚くニュースが飛び込んできました。大沼沼津市長が突然亡くなったのです。2016年10月の市長選挙での、まさかの当選以来、激動の連続でしたが、任期半ばでのご逝去でした。私がクラブ会長を務めていた沼津西ロータリークラブの例会にお越しいただき、卓話をしていただいたのが、つい昨日のことのように思い出されます。

沼津駅の高架化問題で、一進一退を繰り返している市政が、これからどうなるのか、市民としては注視するしかありません。

 

 

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