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■2021年も色々活動しました。2021年も新型コロナウイルス禍のために、行動が制限され、勉強会や講演会もオンラインで行うことが、ほとんどでした。
理事会に出席するために以前は、電車で静岡まで出掛けていましたが、いまでは家にいながらにして会議に出席できます。終われば直ちに風呂に入って、一日の疲れを取ることができるのは、本当に助かります。
いったい、今までの費やした時間は何だったのだろうか、と思わざるを得ません。
リモートワークを新たに取り入れたビジネスマンも、きっと同様の思いを持ったことでしょう。顔を合わせることが大切なのは、言うまでもないのですが、価値観が大きく変わりました。
気付いたことの一つに、リモートワークの場合は、今まで以上に段取りというか、事前の打ち合わせが重要だということです。込み入った、あるいは結論を出すことが難しい案件を、オンラインで検討するのは、時間がかかりすぎて無駄に感じます。
メールなどで十分、関係者との意思の疎通を図り納得を得たあとで、 オンライン会議へ持っていかないと、本当に時間ばかりが過ぎていきます。オンライン上では、出席者の納得が得られたかどうかの確認も、しづらいのです。曖昧なまま時間が経過してしまいます。
今までの意思決定の流れが、そのまま許されるとは思えないのです。アナログの時代とデジタルの時代で一番変化したのは、アイデアから具体的な形としての製品が登場するまでの時間ではないでしょうか。
アナログの時代であれば、すり合わせの膨大な時間が必要でした。しかしデジタル化できたその段階で、間違いなく規格通りの部品が出来上がり、すり合わせにかかる時間は、限りなくゼロに今では近づいています。
会議に膨大な時間を浪費している間に、競合相手は次々と製品を発売して市場を専有してしまうのです。こうした変化に対応できない企業は、置いてきぼりを食うことになります。それは、いまナンバーワンと言われる企業でも同様です。
自動車産業が、この先の10年間どのように変化していくのか、固唾をのんで見守るしかないのです。主役がハードからソフトへ移行する10年間に、日本のいくつの企業が生き残ることができるのか。日本の最も苦手とさえ言えるソフトウェアでの戦いは、苦戦が間違いなく予想されます。
日本がこの先、どのような形で先進国として生き残ることができるのか。心配しながら見守る10年間になりそうです。
■さて昨年も二人で、旅行に行くことができました。山陰、北海道、そして九州です。元気でなければ出かけることはできません。その意味で健康に感謝です。
いつものように、Sunが予定を立ててくれました。宿も選んでくれました。それぞれ特色のある宿を調べて、予約してくれました。大きな観光ホテルは避けました。
特色のある民宿、あるいは小規模の旅館を第一選択としました。どこも、地元の食材を楽しめることが、選択の大きな要素です。高齢者の二人には、量が多すぎたこともありました。少し欲張りすぎたのです。
根室の民宿での毛ガニが、そうでした。食べきれませんでした。反省点の一つです。
全般的には、天候にも恵まれて、本当に楽しい旅ばかりでした。
しかし、九州・霧島温泉での意識喪失事件のように、年齢からくる衰えを、きちんと心に刻んでおかないと、大変なことになることを痛感しました。
自律神経の衰えからくる、室温や体温変化に対する適応能力の衰えが、顕著なのです。風呂に入っていて、のぼせることが多くなりました。松濤館での外風呂で、Tomo君と一緒に入っていて、途中から気分が悪くなりました。危うくあの時も、意識を失って倒れるところでした。横になって、何とか一人で危機を逃れたのです。
振り返ってみると、あれが前駆症状でした。警告だったのです。あの時、意識を失って転倒していたら、そのまま救急病院行きだったはずです。その意味では幸運でした。
■月100キロのランニング目標も、今年は遂に放棄せざるを得ませんでした。9月、10月と悪天候の中を、我ながら頑張って目標を達成したのですが、11月にツケが回ってきたのです。
胃腸障害で食欲が消失して、食事がほとんど取れなくなりました。胃薬ばかり飲んでいました。我ながらおかしいなとは思いながらも、消耗のためにそうなっていることに、なかなか気づきませんでした。
食あたりと勘違いしたり、色々言い訳を考えたりして、自分の体力の衰えを認めたくなかったのです。でもそれが、現実でした。もう若くはないのです。68歳にして、こんな事を言っているのですから、能天気です。
11月は、結局 55.69km しか走ることができませんでした。こんなことは、2012年7月にランニング記録を開始して以来、初めてです。最低記録です。
本当に体力の限界でした。それ以来、体重も増えません。食べすぎたかな、と思っても、体重が 57 キロを超えることが無くなりました。本当に何もかにもが、高齢者の仲間入りです。
■そうは言っても、悲しんでばかりでは脳がありません。逆手に取って、歳を取ることを楽しまなければ意味がありません。一つは無理をせずに休むことです。仕事も制限するというか、休暇を少し余分にとって、その時間を楽しむことです。
カレンダー通りに休むのでなく、最後の一日を余分に休んで、余裕を持って休暇を取ることにしました。大学を卒業してから42年。ひたすら働いてきたのですから、少し余分に休んでもバチは当たらないでしょう。
三人の子どもたちも、きちんと自立しました。自分の力で行きていけるだけの、教育を受けさせることができました。それで親の役割は十分果たしたと言って良いでしょう。もう親に口出しできることはありません。
今までもそうでしたが、これからも、子どもたちを信じて見守ることです。じっと見守り、応援することです。もしも、何か助けてあげられることがあれば、その時は間髪を入れずに、手を差し伸べれば良いのです。
幸い今のところ、私達夫婦の力が必要な場面はありません。二人にできることは、仲良く元気で毎日を送ることだけです。
それでもいつかは、体力の衰えから子どもたちにも面倒をかけることがあるはずです。その日を、一日でも先延ばしできるように、毎日を送ることが老夫婦の務めでしょう。
今年は、そんな当たり前のことを、しみじみと実感した一年でした。