2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

投稿者: aiaiganka Page 37 of 313

観劇

■20241226(木曜日:晴れ)

2024年1月28日、東京芸術劇場で観劇しました。

■今年は一度だけ舞台を見に出かけました。劇作家・演出家の永井愛さんの作品です。Sunも私も彼女の作品のファンですので、今までに何度も出かけています。

それでも、池袋駅に行くのは、私にとっては何年ぶりでしょうか。駅に降り立ってみると、本当に浦島太郎の気分です。川口に住んでいた頃は、デパートに買い物に行く、あるいは名画座に行く、というのが池袋へ行く目的でした。

デパートも、東武デパートと西武デパートがあって、競い合っていたように記憶しています。1960年代には、日曜日に家族でデパートに出かけ食事をするのが、一番の贅沢でした。当時は、家族連れで満員でした。

■生身の人間の演技を、直接見ることのできる舞台は、テレビドラマとは迫力が違います。前列の席ですと文字通り、役者の汗が直接飛んできます。井上ひさしさんの「國語元年」を見た時には、佐藤B作さんの熱演を彼の汗とともに鑑賞した記憶があります。

佐藤B作率いる劇団東京ヴォードヴィルショーの創立50周年記念公演「その場しのぎの男たち」が、2023年7月21日に東京・紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYAで開幕した。

と、ネットにありました。佐藤さんは私より4歳年上ですが、まだまだ現役で活躍されています。

調べてみると、舞台化される前の1985年に放映されたNHKドラマ版では、主人公の南郷清之輔を川谷拓三さんが演じていたとは、知りませんでした。機会があれば見てみたいものです。

来年は、どの舞台を見に行くことができるか、楽しみです。

名産

■20241225(水曜日:晴れ)

2024年元日の日の出です。
このあと能登半島で大地震が起こるとは、夢にも思いませんでした。

■今年はTaku一家が年末から来てくれていました。元日の朝に、早起きをして家を出ました。ご来光を仰ぐためです。

穏やかな日の出でした。孫たちと過ごした元日でした。交通機関が混み合うといけないからと、少し早めに帰宅の途につきました。それが正解でした。能登地震による混乱を避けられたからです。

一日も早い復旧を祈るばかりです。

■今年の1月は、熊本、鹿児島を旅しました。天草から霧島です。天候にも恵まれ、地元の新鮮な食材を満喫しました。いつものことながら、ドライブの途中、途中で道の駅に立ち寄って、その土地、土地の名産を見て回るのも楽しみの一つです。

日本各地に名産があり、その豊かな多様性が日本の魅力の一つだと実感します。人口が減少し、ますます大都会に人口が集中した後に残る日本姿を想像すると、とても寂しい気がするのです。

テニスコート

■20241224(火曜日:晴れ)

埼玉県川口市青木町公園テニスコートです。
60年前の中体連で、軟式テニス部の一員として戦ったコートです。

■今年最後のマラソン大会は、川口マラソンでした。まさかまさか、川口でマラソンを走るとは、夢にも思っていませんでした。川口は私の心の故郷です。19歳まで両親と一緒に暮らした公団住宅が、川口市飯塚町3丁目にあったのです。

大学に通いきれずに下宿を始めた19歳以降、両親と暮らすことは2度とありませんでした。71年の人生で両親と一緒に暮らしたの、実はたったの19年しか無かったのです。

その19年のうち、川口に暮らしたのは16年弱です。幼稚園から高校まで、今思えば毎日を、何の心配もなく楽しく暮らしていたのです。

日本も高度成長期の真っ只中。今日よりは明日のほうが良くなる。今年よりは来年のほうが豊かになる、と信じることができた時代でした。身の回りに今まで無かったものが、次々と登場した時代です。

ある日テレビがやってきました。またある日は、固定電話機が取り付けられました。冷蔵庫、洗濯機、極めつけはクーラーでした。それまでは、どんなに暑くても扇風機を回すしかありませんでした。

鉄筋住宅の公団住宅は暖かく、冬は快適だったのですが、夏は暑くて大変でした。夏休みは、家で勉強するのは暑くて無理でしたので、自転車で陸橋を超えて、市立図書館に毎日通いました。

当時の面影を感じることは、どこを歩き回っても無いのですが、そんな激変にも関わらず、テニスコートが当時の場所に、そのまま残っていたことは、大きな驚きとともに、一瞬にして自分を中学時代に連れ戻してくれたのです。

樹齢千数百年

■20241223(月曜日:晴れ)

岡宮浅間神社のクスの木です。樹齢千数百年です。

■昨日はTuruちゃん夫婦と、ウォーキングを楽しみました。我が家から岡宮浅間神社まで、なんと 7.2 km です。13時に我が家で待ち合わせて、スタートしました。当初は途中の何処かに駐車して、そこから歩く予定でしたが、Turuちゃんの一声で全行程を歩くことになりました。

到着して最初に撮った写真には、15時10分と記録されていますから、2時間以上歩き続けたことになります。風もほとんど無く陽射しもありましたから、往路では寒いという事はありませんでしたが、16時を過ぎると寒さが襲ってきます。

疲れもあって帰りは予定を変更して、沼津駅まで歩き電車で原駅まで戻りました。これは正解でした。その頃には日陰を歩いていると寒さを感じ始めました。

クスの木の横に立っている説明の案内板には、令和6年10月と書かれていました。きっと、NHKの番組「こころ旅」の収録のために新調したのだろうと、みんなで話していました。あの番組を見て訪れた人は多いはずです。わたしたちも含めて。

さすがに16時を過ぎて寒くなってきました。17時半には「ひろ繁」で夕食の予約がしてあります。さて、どうするか。そのまま来た道を歩いていては、間に合いそうにありません。沼津駅まで歩いて、電車で戻ることにしました。

神社から沼津駅までは、3.1 km とあります。正直、歩きながらも寒くてまいりました。私の服装がまずかったのでしょう。下着をしっかり着ておくべきでした。

原駅には17時前に到着し、無事に「ひろ繁」辿り着きました。13時に家を出ましたから、4時間後でした。ところが、17時半に予約してあったために、お店がまだ閉まっていました。さすがに、あの寒さの中で30分も待つのはキツイので、インターフォンを鳴らして、申し訳なかったのですが、早めにお店を開けてもらいました。ようやく、暖が取れました。生き返りました。

こうして楽しかった、こころ旅も無事に終えることができました。

ビルケの森

■20241222(日曜日:晴れ)

北海道美瑛町でのヘルシーマラソンです。
ビルケの森からスタートでした。

■今年6回目のマラソン大会は、「丘のまち びえいヘルシーマラソン2024」です。6月2日に千歳JAL国際マラソンを走り、翌週の6月9日に美瑛町で走るのですから、かなり無謀です。こういう高齢者を、暴走老人というのかも知れません。

富良野平野の丘を走り抜けるのですが、上空から眺めれば、なんと素敵なコースだと感じるでしょう。富士川キウイマラソンのように、150メートルの高低差を上り下りするような場所はありません。「心臓破りの坂」があるだけです。

それでも延々と続く上り下りは、身体に堪(こた)えました。消耗します。思ったより気温が上がったことも、堪えました。スポンジに浸した水を、何度も頭からかけました。

3時間の制限時間で助かりました。ゴールして本当にホッとしました。思い出に残る大会です。

立ち往生

■20241221(土曜日:晴れ)

6月2日に参加した千歳JAL国際マラソンです。
あと2キロほどでゴールです。

■今年5回目のマラソン大会は、第44回千歳JAL国際マラソンでした。2014年に初めてこの大会に参加した時には、Takuも一緒でした。Takuは10キロの部。そして私はハーフを走りました。

こうした大会に、Takuは参加したことは無く初めてでしたので、とりあえず10キロの部に出てみたら、と誘ったところ、意外なことに、すんなりと同意しました。

私が走り終えたあとに10キロの部はスタートでした。どの程度のタイムで戻って来るやら、さっぱり分かりませんでした。Sunと二人で、まだ早そうだけど応援に行こうか、と沿道に出てみたところ、風のようにTakuが走り抜けて行ったのには、二人して驚きました。

Takuのマラソンデビューでした。

■今年も写真のように爽やかな天候に恵まれて、最高のマラソン日和。無事に完走しましたが、今年は次週にも北海道にやってきて、びえいヘルシーマラソンを走る予定でしたので、温泉に行くことも諦めて、その日のうちに帰ることにしました。

帰りの便が羽田空港で雷雲に遭遇し、着陸は無事に終えたものの、滑走路で足止めを食らって、それこそ立ち往生したもの、いまとなれば楽しい思い出です。

来年は、どうなりますことやら。

坂道コース

■20241220(金曜日:晴れ)

2024ノーザンホースパーク・マラソン・トレイルです。
競走馬訓練用坂道です。

■今朝も晴れ渡っています。昨夜は沼津西ロータリークラブのクリスマス例会でした。家族で参加された方もいて、賑やかな夜でした。

■さて、今年4回目のマラソン大会は、2024年05月12日に開催されたノーザンホースパーク・マラソンでした。この大会の特徴は、「競走馬育成施設(ノーザンファーム坂路コース)を駆ける唯一のマラソン大会」とあります。新千歳空港から送迎バスで30分ほどです。開催場所ノーザンホースパークのコンセプトは、

馬と自然とひとつになる、
Brilliant Momentsブリリアント モーメント~輝く時間

ノーザンホースパークは1年を通じ、ゲストが気軽に馬と接していただけるさまざまなアクティビティやイベントをご用意しております。

ご来園いただいた1日を通じて皆さまに輝く時間をお届けできるよう、北の大地の恵みを活かした美味しい食事をお楽しみいただけるレストランのほか、ライフイベントでも輝く時間を経験していただけるよう、ノーザンホースパークではオリジナリティ溢れる結婚式の会場ならびに演出をご用意。

また、競走馬生産育成牧場のリーディングファームであるノーザンファームを母体としており、日本の馬事文化の発展を担う施設として、乗馬競技会場その他の設備も充実しております。

ノーザンホースパークを訪れたゲストの皆さまが「Brilliant Moments~輝く時間ひととき」を体感いただけるよう、ノーザンホースパークスタッフ一同サービスを提供してまいります。

と、ホームページには記載されています。あの名馬ディープインパクトのお母さんが、老後を過ごしていることでも有名です。全国からファンが、未だに訪れています。

施設内を散策するだけでも、四季折々の自然の変化を充分楽しめます。2回目の参加でしたから要領は分かっていました。天候にも恵まれ、爽やかな空気を満喫できました。

2回ともトレイルコースでの参加でしたので、来年はハーフに挑戦しようかと思い始めています。制限時間は3時間と記載されています。申込開始までに、ゆっくり考えましょう。



9年の歳月

■20241219(木曜日:晴れ)

4月7日に焼津港に集まったランナーたち。

■今年3回目の大会は2024年4月7に開催された、第39回焼津みなとマラソンでした。2015年4月15日に開催された第30回大会にも参加していました。その時は、61歳でした。2時間6分33秒で完走しています。

ハーフの部は、2,500 名の参加です。50歳以上の部に出場し、完走を目指しましたが、制限時間を超えることができませんでした。

制限時間 130分。ハーフは中間地点で1時間5分、15km地点で1時間35分、20km地点で2時間4分の関門を設けます。関門の時間を超過した場合は、競技を中断し係員の指示に従ってください。

15 km 地点での関門で、あえなく競技を中止。用意されたバスに収容されました。競技を中止したランナーで、バスは満員でした。昨年の大井川キウイマラソンについでの途中棄権でした。

関門の少し手前で、大会関係者が旗を振っていました。携帯したスマートウォッチは、走り始めてから 15 km と表示されています。ここが関門なのか、と思いました。屈伸運動を念入りにしてから再開し、カーブを曲がると、制限時間に3分足りませんでした、と役員の方が案内していました。

屈伸運動などせずに走り続けていれば、間に合ったかもと思いましたが、体力的には限界でした。次の関門は超えられなかったでしょう。

ひいひい言いながらも、9年前には問題なく超えることのできた関門も、9年経って走ってみると、超えることができなくなっていました。歳月は正直です。そして残酷でした。

9年の歳月を実感した一日でした。

振る舞い

■20241218(水曜日:晴れ)

尊徳マラソン会場、小田原アリーナです。富士山も頭を出しています。

■今年2回目のマラソン大会は、2024年3月10日「小田原尊徳マラソン」でした。参加資格は高校生以上で健康な方、とあります。定員は 2,000 名で、5,500円(傷害保険料含)。私は、「ハーフ 60歳以上男子」に登録です。

出場種目ハーフ 60 歳以上男子
距離 21.0975 km
タイム(グロス)2:18:37
タイム(ネット)2:18:12
種目別順位 106/116
総合順位 797/867

これが結果です。制限時間は2時間40分ですから、まだ余裕がありましたが、体力的にはギリギリでした。60歳以上では、私より遅かったのは、たった10名しかいませんでしたが、全体的には70名が、私より後にゴールしたことになります。

天候も良く、風も殆ど無い絶好のマラソン日和でした。第一回目が寒さと雨の中のランでしたから、文句の付けようがありません。河川敷の土手沿いを2周するコースは、高低差もあまりなく、走りやすい設定です。これも、文句の付けようがありません。

それでも自分には、とても長く感じました。途中寒気を覚えたり、地面が揺れ始めたりと、慌てたり、戸惑ったり、これまた忘れられない大会でした。

走り終わって、富水駅に帰る途中で言葉を交わした、いかにもアスリートらしい中年男性の、落ち着きと洗練された物腰、そう「sophisticated」と形容するのでしょうか。こうありたいと思いましたが、あのように振る舞うのは、容易なことではありません。

あと10回ほど、尊徳マラソンを完走しないと無理そうです。

2024 走り初(ぞ)め

■20241217(火曜日:晴れ)

今年始めて参加したマラソン大会。
横浜海の公園・冬マラソン。雨でした。

■今年7回参加したマラソン大会でしたが、2月4日に1回目の大会に出場しました。「横浜海の公園・冬マラソン」。距離はハーフです。2013年開始以来、通算35回目のマラソン大会です。なんと、雨でした。寒さと雨のため、準備運動も、ほとんどできずに、いきなりスタート。最悪の条件でした。

2024年の走り初めでした。この大会は初参加でしたので、コースの状況も分からず、手探りの21キロでした。公園の中を8周走るコースで、15キロ辺りから苦しくて、何度も歩き始めようと思いながらも、何とか完走しました。

初回から雨の中でしたが、何とか完走できて、無事に2024年もスタートすることができました。これから一年間、無事に終えることができるのか、いつも初回から不安なのですが、とにかく無事に走り終えてホッとしたことを覚えています。

2020年,2021年はコロナ禍のために、マラソン大会は軒並み中止。2022年になって、ようやく千歳JAL国際マラソンが再開し、3年ぶりに参加しました。2022年は、この大会のみ。

2023年は3回の出場を果たしましたが、今年は参加大会数も増やし、今まで参加したことのない大会にも、何度か挑戦しようと思っていましたので、楽しみと不安が混じり合った、一年のスタートでした。

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