2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

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スタート

■20181019(金曜日:曇り)

 

Day 1  職業訓練センター 午後から被害者宅家庭訪問 4軒

 

■午前中

 

さて、いよいよ今日から活動開始です。7時に起きて朝食を済ませ、ホテルを9時に出発。施設までは15分ほどです。

 

 

9時前に施設に到着。歓迎を受ける。トゥイ施設長さんがこれまでの活動をパワポでデモしてくれた。ビデオで流しながら、これまでの活動で接したうちの二人の被害者が死亡したことを報告。

 

新谷さんが褥瘡予防に尽くした方も昨年亡くなったとのこと。もう一人オレンジの服を着た女性もガンで亡くなった。

 

私が挨拶をし、三年目の訪問で暖かく迎えもらったことを感謝。

 

今回持参した医薬品などを贈呈。千ドルの現金とリハビリ機器の贈呈をする。眼科医検診をしている間に、機器の組み立てを行う。合計四台の組み立て。

活動の様子をまとめたビデオを流している。これを送ってもらいるか確認。VAVA の副会長が来られた。

 

今年の家庭訪問は、12 軒。

 

子ども達は人数が少なかったのは、それぞれが仕事に出かけているため。

 

友くん、よっちゃんたちで機会を組み立てた。11時前に四台の機器が完成。二台の自転車器具と上半身のトレーニング機器。

 

 

 

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職業訓練センターに到着すると、トゥイ所長さんが、私達のこれまでの活動をスライドにしてまとめてくれました。

 

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お礼とご挨拶を私からさせていただきました。

 

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多くの方から寄付を頂きました。感謝、感謝です。

 

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今年は例年の寄贈品、医薬品などの他に施設からのご希望でリハビリ機器を寄贈しました。これまでにいただきた寄付金を原資にしました。そして運営費として現金 1,000 ドルも寄付することもできました。

 

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現地で購入した機器を若手の隊員で組み立てました。出来上がり、さっそく施設の入所者で試しています。とても楽しそうです。

 

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上の写真でトゥイさんが持っている額は、枯葉剤被害者救済に尽力した、赤いナポレオンこと、ヴォー・グエン・ザップ(ベトナム語: Võ Nguyên Giáp, 漢字:武元甲、1911年8月25日 – 2013年10月4日[1])は、ベトナムの軍人、政治家。ベトナム共産党政治局員。ベトナム人民軍 (QĐND) 総司令官です。

 

■午後  家庭訪問 四軒

 

No1     表の1   被害者名 グエン・ティ・ホイ  女性 1983年生まれ 父も枯葉剤被害者

 

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父と娘 皮膚にコブのような腫瘍多数。

 

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地域の人民委員会幹部同行 支援活動は足りていない、日本からの援助に感謝している。

 

■父の話

 

いつも笑顔で過ごしている。家の仕事を手伝っている。後ろ向きに考えても仕方がない。ここまで来ていただいて感謝している。

 

母は9年前に死んだ。6人の子供あり。症状があるのは、四番目のこの娘だけ。国の援助金のみ。兄弟の支援無理。月の支援金 父親と娘で全部で200万ドン。農業で自給自足に近い。

 

父親はフエ、くアンチ省で従軍。枯葉剤のひどい場所だった。父親は1953年生まれ。皮膚症状は終戦後、1977年時点では症状は無かった。それ以後出現。

 

娘は生まれた時点ではお尻に大きな腫瘍。摘出。病弱。6歳から小さい腫瘍のみ、次第に増大した。知的障害あり。自分のことはできる。父を手伝うことはできる。普段は腫瘍は痛まない。

 

支援金 200万ドン。

 

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■No2  表 2 グエン・ティ・チン 女性  1978年生まれ 40歳 

 

 

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 自分では自分のこともできない

。知的障害あり。鍵をかけた部屋で住んでいる。彷徨する。月45万ドン支援金のみ。農業で自給自足。両親は今のところ元気。父は1952年生まれ。母は59歳。

 

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 父はクアンチから南の地域で枯葉剤を浴びた。従軍は5年以上。父は今のところ障害がないので枯葉剤支援金なし。子どもは、6人。チンさんは第一子。他の子供達には障害なし。15歳までは普通に過ごしていた。それまでは学校へ行っていた。症状が出て病院で枯葉剤障害者と認定された。

 

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■No3 表の四番目 

 

ハー・ティ・ニン

 

二人兄弟 父は10年前に死亡。 自分のことはできない。母が面倒を全て見ている。今日は期限が悪く洋服を破ってしまい、裸でいた。

 

100万ドン 月の支援金。お兄さんと本人。本人は妹。

 

33歳。 1985年生まれ。

 

兄は異常なし。

 

■No4 3番目

 

グエン・バン・ティユ

 

1978年生まれ  現在は弟と二人、兄弟だけでVAVAの支援金で建てた家で住んでいる。四人兄弟の二番目。男性。

 

話すことはできない。父の親戚の女性が二人の面倒を見ている。

 

毎月111万ドンの支援金。両親はすでに死去。弟は、建築土木の仕事をしている。

 

 

 

 

 

 

 

アジアとともに

■20180812(日曜日:曇)

 

カトリック平戸ザビエル記念教会です。

 

 

■今朝は走りました。いつものコースを 6.14km 走り、これでようやく月100キロ走の計画に追いつきました。合計39.65km となり、残り19日で 60.34km となりました。

 

 

先週はSunと二人で夏休み。九州旅行を楽しみました。レンターカーを使っての結構目いっぱいの移動旅行です。計算すると毎日220キロ超を走ったことになります。借りた車はホンダのフィットでした。リッター当たりの平均走行距離が25キロの旅でした。ですので、最初に満タンの状態でスタートして、最後に車を返却するまで給油する必要がありませんでした。ハイブリッド車は違います。

 

 

■昨夜は富士山静岡空港から帰宅したのが、21時半頃。窓を開け放って荷物を整理したら、さすがに疲れて、それからお風呂に出かける元気はありませんでした。今夜のお楽しみです。

 

 

旅行中も暑苦しい夜でした。ホテルですと冷房を入れないと寝付けないのですが、高千穂で泊まった民宿「暖心(のごころ)」では、寝る時には冷房をかけていたのですが、夜中に目が覚めて、思い切って窓を開け放して冷房を切りました。

 

 

女将さんの話では、このあたりでは夜は冷房を入れることは殆ど無いようですが、今年は例外とのことでした。ただ冷房を入れて寝ることで家族三人が全員風邪を引いたそうです。山の中ですから、昼間どれほど暑くても、夜は冷えるのです。私が泊まった部屋は、東と南に窓がある構造なのです、風が抜けずに窓を開けるだけでは寝付けないだろう、と心配して冷房をかけたのですが、杞憂でした。十分涼しく、明け方には寒いほどに冷え込みました。

 

 

昨夜は我が家に帰って、いつもの部屋で寝たのですが、冷房など必要ありませんでした。いや扇風機すら必要なく、熟睡できました。我が家が一番快適です。単なる慣れなのでしょうけれど。

 

■今日は一日家でゆっくりしました。午前中は青空も覗きましたが、午後からは黒い雲が空を覆いはじめ、時折激しい雷と雨が降る天候。今日は新沼津カントリークラブの月例ですが、とてもプレイどころではない、という天候になってしまいました。

 

旅の間の記録をまとめる作業で一日終わってしまいました。写真と記憶を頼りに、記録をまとめるのですが、記憶とはいい加減です。順番に思い出そうとするのですが、どちらが先立ったか後だったか、あるいはどこに行ったのかさえ分からなくなります。

 

その点GPS機能付きのスマホでの写真撮影は、情報整理に大変役立ちます。つまりは写真を撮ったのは、どこどこで何時何分だったか、という情報が間違いなく記録されますから、それを辿れば良いわけです。

 

ベトナム支援の旅でも、そのことを痛感しました。インタビューの記録をもちろん取るのですが、全く理解できないベトナム語での会話と印刷された資料では、誰を、どの順番で話を聞いたのか、後になると全く分からなくなります。写真に記録された情報が、あとで大変参考になります。

 

そういった機器のなかった以前の話を支援隊の仲間に聞くと、全くと言っていいほど、情報が残っていません。うろ覚えの雲をつかむ様な話の連続になってしまいます。それでは人様に活動の内容をお話することはできません。単なる思い出話でしか無いからです。もちろんそれはそれで大切な内容なのですが、聴衆を前に話すようなものではありません。

 

やはり記録係がいて、きちんとした記録を残していかないと、単なる個人の思い出づくりに過ぎなくなります。難しい問題です。

 

■ということで、なんとかまとめた旅の記録は、こちらからどうぞ。

 

⇒ 2018九州旅行

 

 

 

平戸城

■20180811(土曜日)

 

 

 

■朝6時に起きて大浴場に入る。湯舟の周囲を水槽が取付けられていてサカナと亀が泳いでいた。しかし悪趣味だ。バブル時代の悪乗りそのままといった情景だった。手入れも行き届いていないので汚れで水槽の中が良く見えなかった
 
 
朝食はバイキング。トビウオンの干物、アゴと呼ばれる名物料理も美味しかった。
 
 
まずはザビエル教会に行く。信者の人が清掃作業に従事していた。とても立派な建物だった。
 
 
平戸城を見学。鎌倉時代から続く650年の松浦氏の統治下、周辺諸国との貿易で繁栄を享受した平戸の歴史は、沖縄とも重なり興味深かった。
 
 
城からは360度の見晴らしが楽しめた。
 
 
九十九島へ行く予定だったのだが、道路事情を勘案して取りやめた。西海橋公園に行って渦潮を見た。
 
 
福岡空港に向かった。鳥栖インターで渋滞という案内があったので心配したが、福岡に帰るのには全く問題無かった。
 
 
途中のガソリンスタンドで満タンにする。35リットル補充。リッター25キロトすると900キロ弱走った計算。毎日200キロ走った計算。よく走った。
 
 
■こうして2018九州旅行も無事に終わろううとしている。いま午後6時10分福岡空港で更新している。18時40分発のFDA便で静岡空港に向かう。
 
 
 
 
 
 

菊池渓谷

■20180810(金曜日)

 

 

 

■朝8時半にのごころを出て 阿蘇に向かった。 阿蘇記念館に車を停め しばらく散歩した。阿蘇スカイラインをドライブして菊池渓谷へ向かった。

 
 
1330分に平戸に向かった。着いたのは1710分近く。長かった。高速道路を2時間走りどうし。疲れた。
 
 
高速を降りてからの道程が長かった。
 
 
 
 

別府温泉

■20180809( 水曜日)

 

 

 

■ 昨日は福岡空港に9時前に着き レンタカーを借りて旅を始めた。2年前に訪れた由布岳を訪れて登り始めたのだが暑くて途中で諦めた。 そこで 見えた 鶴見岳に登るケーブルカーに登ろうと決めた。由布岳から車で5-6分別府方面に向かったところに ケーブルカーがあった。 全長1800 M 全長1800メートルある九州随一のケーブルカーとのこと。鶴見岳は1300 M を超える 標高。 由布岳は1500 M を超えている。 別府湾が一望でき 、はるかかなたには四国も見ることができた。

 

 

■ 朝9時に起きてホテル前の海岸べりの堤防を30分ほど走った。

 

⇒ 2018九州旅行

 

 

九州の旅 別府温泉

■20180808( 水曜日)

 

 

鶴見岳から見た別府湾です。

 

 

■ 今日から夏休みを取って、すんと二人で九州旅行に出かけます。 昨年は北海道の積丹半島へ行きましたが今年は九州旅行にしました。

 

 

台風13号が接近しており、今夜から関東地方は大荒れのようです。ところが7時16分の時点では全くそのような 様子は無く、 風もほとんどないうえ、爽やかな青空で、とても台風が近づいているとは思えません。

 

 

■朝の5時に起きて準備をし、富士山静岡空港へ向かいました。7時35分発福岡空港行きのFDA便です。家からは愛鷹スマートインターまで10分、そして東名高速道路を経由して、1時間30分で十分カウンターまでたどり着けます。手続きをして、搭乗を待つばかり。天気も、今のところ台風の影響はありません。

 

 

福岡空港に到着し、レンタカー会社に連絡し迎えを待ちました。どの車種があたるか当日にならないと分かりません。ハイブリッド車を希望しておきました。灰色のホンダフィットでした。

 

 

今日は、由布岳経由で別府温泉に宿泊です。福岡空港から由布岳までは、高速道路を通らずに一般道を行きました。急ぐ旅でもないからです。2時間ほどです。最速の行程なら120キロ、1時間33分とグーグルマップが教えてくれます。

 

大分県玖珠町の様子です。福岡から由布岳への道の、ちょうど2/3 を過ぎた辺りです。

 

 

山道をのんびりとドライブするのも悪くありません。渋滞することなどありませんから、苛つくこともありません。のんびり行けばよいのです。

 

「道の駅ゆふいん」です。昨年に続いて二度目の訪問です。

 

 

遅めの昼食を取って、由布岳に向かいました。

 

 

由布岳です。前回は霧の中でしたが、今回は姿を見ることができました。

 

 

由布岳の全容を見ることができました。爽やかな気分になりました。ただ暑さもあって、とても頂上まで登ろうという気は起きませんでした。そこで見えたのが、別府ロープウェイです。そうしよう、と二人で決めて、再び車に乗り込みました。

 

 

別府ロープウェイで鶴見岳の頂上駅に到着しました。これから頂上を目指して歩きはじめました。

 

 

頂上までは結構ありました。

 

 

鶴見岳の頂上に到着です。別府湾が一望できました。

 

 

それにしても見晴らし最高でした。右手に由布岳、そして左手に別府湾が望めるのです。

 

 

別府温泉の宿から見た別府湾です。美しい日の出を見ることができました。

 

 

今日の旅は、これで終わりです。美味しい食事とビールで、楽しいひと時を過ごしました。

 

 

⇒ 2018九州旅行

 

 

帰沼

■20180604(月曜日:晴れ)

 

今回初めて泊まった宿、「海の別邸 ふる川」です。朝霧で霞んで見えます。

 

 

■先週末は千歳JAL国際マラソンに参加し、無事に完走することができました。そのまま帰ってきても良いのですが、せっかくですから一日休みを取って、これまで立ち寄ったことのない宿に泊まりました。「海の別邸 ふる川」です。Sunがネットで探してくれました。

 

今朝は6時に起きて朝風呂に入り、朝食をいただいてから、新千歳空港に向かい、10時半の便で静岡空港に帰ってきました。とても順調な旅でした。Sunが調べてくれて予約してくれて、すべておんぶにだっこでしたので、私は楽ちんでした。

 

体の方は、一日おいて筋肉痛が出てきます。動きがぎこちなくなってしまいます。これは年齢によるものですから、致し方ありません。それはともかく、今回の旅では、ハーフマラソンなら、よほど体調が悪くない限りはコースの如何にかかわらず、しっかりと最後まで完走できるという自信を得たことは、自分にとって、とても大きな収穫でした。

 

 

 

 

第38回千歳 JAL 国際マラソン

■20180603( 日曜日: 曇り時々雨)

 

さぁ、いよいよスタートです。この大会は5回目の参加ですが、いつもスタート前は緊張します。

 

 

■ 昨日午後診療が終わってから、スペーシアを駆って富士山静岡空港へ向かいました。家から1時間半後ほどでしょうか。 特に渋滞することもなく 無事に空港に到着しました。 初めての 高速運転でしたが 特に非力を感じることもなく、 順調な 運転でした。空港は ビルを 新しくしてから初めての利用でした。二階の国内線と国際線出発ロビーが分かれていました。

 

定刻よりも少し早めに 出発態勢に入り離陸しましたが、 新千歳空港への 到着は定刻通りの18時でした。千歳駅から歩いて5分ほどの ホテルに 予約を入れていました。 ホテルの1階にある居酒屋で 19時から前夜祭ということでSunと二人でゆっくりと食事をとりました。

 

明日の マラソンで走ることを考えると、あまり食事をたくさん取るわけにはいきません。消化に悪いからです。またそんなことを考えていると、あまり食事に美味しくありません。料理はとても 新鮮で、さすがは北海道の食材と思ったのですが、腹7分目ぐらいにしてやめておきました。

 

■ さてさて 今日は5回目の 千歳 JAL 国際マラソンへの出場です。 天気予報では晴れ。 気温は21°に上がる とのことで、 むしろ暑さの方が心配でした。ところが 当日になってみると、少し肌寒いほどでした。 朝6時に起きて 1階の居酒屋さんで 和食の朝食をとり、 8時にホテルを出て千歳駅前の送迎バスの列に並びました。

 

気のせいかもしれませんが例年よりもバスの台数が少ないようです。 ということで少し長めに待たなければなりませんでした。 とはいっても大した時間でもありませんので、 去年のこと、一昨年のことなどを 思い出しながら二人で話が弾みました。

 

会場の 青葉公園に到着し、 まずは引換券で、 ゼッケン や 記録のためのチップをもらい、Sunに 手伝ってもらって準備をしました。ハーフの部のスタートは9時半です。 今年は念入りに膝の屈伸を繰り返しました。 ランナーズ膝に 陥らないように 配慮したのです。先週は木曜日から土曜日まで、三日間走るのを休みました。 疲労を完全に取りきるためです。その成果が果たして出るのかどうか興味深いところでした。

 

定刻通り9時半にスタートしました。 コースは 11 km 付近まで延々と続く上り坂。 これまで5回走りましたが、自分としては今年が一番しっかりと走れたように思いました。

 

上り坂ですからもちろん スピードを出すわけにはいきません。 とにかくきちんと 一歩一歩お尻から大腿部 を意識して、 腰をなるべく上下動させずに、 膝の負担を最小限にするべく意識して走り続けました。

 

11キロ付近の折り返し点を過ぎてようやく下り坂になるのですが、 それで済むほどこのコースは甘くありません。

 

一旦下り坂になるのですが、 折り返し地点から1 km ほど下って左折してからは、 再度の上り坂になり、これが体に応えます。

 

一昨年は この地点から膝の痛みが始まり、 とても苦しい道のりとなりました。 今年は幸い膝の痛みは一度も出現すること無く、 走ることに集中することができました。

 

もちろん走ってる間は苦しいばかりだったのですが、 それでもただただ走るというだけでなく、 きちんと一歩一歩太腿の力で脚を前に出す ことができました。

 

これは大きな進歩です。 高野コーチの教えに従って LSD を取り入れてから、 とりあえずハーフマラソンの距離までは、 もちろん苦しいのですが、しっかりと走ることができるようになりました。

 

さすがに最後の5kmは疲れました。 立川シティハーフマラソンの時には、もう少し速度を上げられたように思いましたが、 今回は コースのアップダウンが きついので、その分だけ筋力を消耗していたのでしょう。

 

それでも三日間の休養は明らかに プラスに働いたようです。苦しいながらもスタミナ切れになることはありませんでした。

 

途中にわか雨が 降りましたが、気温が高かったためか、むしろ体を冷やしてくれて助かったと感じるほどでした。

 

途中給水場でスポンジの水をもらって何度も頭にかけて冷やしたほどです。 最後の第7給水場では何ももらう気がしませんでした。水分しか取る気がしませんでしたが、それもやめてゴールを目指しました。

 

ゴールした時には、とにかくホットしました。無事に終わったからです。 ゴールするまで何が起こるかわからないからです。突然体調を崩すことは、いくらでも考えられます。

 

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箱根スカイライン

20180504(金曜日:晴れ、強風)

 

杓子峠から見た富士山です。

 

 

■今朝は7時に起きて朝風呂に入りました。朝食後に後片付けを済ませて、忘れ物のないことを確認して部屋を後にしました。

 

まず向かったのは大涌谷へのロープウェイ乗り場です。駅の場所と始発時間を昨日確認しておきました。さて到着してみると危惧していたとおりでした。強風のために欠航だったのです。となると、そのまま車で向かわなければなりません。ところが途中の道路は向かう車で大混雑。9時から駐車場が開きますので、それを待てばなんとかなると、30分以上待ちましたが途中のT字路までも辿り着けません。諦めてUターンしました。

 

昨日走った芦ノ湖スカイラインをもう一度走ろうと決めました。昨日は濃霧のために何も見えない状態でしたが、今日は快晴です。素晴らしい景色が満喫できるはずです。昨日通った道を、また同じように走り無事にスカイラインに乗ることができました。

 

見晴らしは最高でした。

 

素晴らしい眺めでした。山形県の酒田から車で来られたご夫婦とお話をすることができました。

 

 

 

昨日は霧の中、そして今日は青空です。

 

 

 

芦ノ湖のパノマラ写真です。左下が小尻です。

 

 

■最高の天候でした。ただし風が強く、少しすると寒いほどでしたので、眺めを楽しむのも短時間でした。

 

このあと箱根スカイラインから御殿場市に抜けて、Nonちゃんが勤務する病院に寄って、こんなところで仕事をしているんだ、と初めて知りました。東名高速道路御殿場インターを降りると、とても素晴らしい富士山が出迎えてくれるのには驚きました。

 

 

 

 

ガラスの森

20180503(木曜日:曇り後晴れ)

 

部屋から見た箱根の山々です。3日は雨でした。

 

 

■昨日は仕事を終えて落ち着く日間もなく、Sunと二人で箱根へ向かいました。日も暮れて暗闇の中を運転しなければならず、途中道を間違えてしまい到着が遅れました。箱根新道を進んでしまったので、だいぶ遠回りになってしまいました。夜ですと道が分かりにくく、とても間違いやすいのです。

 

途中で切り替えて何とか修正し、宮ノ下から登る形で箱根小涌園ユネッサンに向かいました。

 

驚いたのは、小涌園前の交差点近くにあったコンビニのローソンが無くなっていたことです。箱根駅伝でもテレビ中継で登場する定番のお店だったのですが、閉店していました。宮ノ下から登ってみて、その理由が分かりました。一号線沿いの手前にセブンイレブンが開店していたのです。

 

コンビニ仁義なき戦いの様相です。あれではローソンは場所的にも敵うわけがありません。まさに方丈記の世界です。

 

 ゆく河の流れは、絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶ、うたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく、とゞまりたるためしなし。世中にある、人と栖(すみか)と、又かくのごとし。

 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍(いらか)を争へる、高き卑しき人のすまひは、世々を経て尽きせぬ物なれど、是をまことかと尋(たず) ぬれば、昔しありし家はまれなり。

 

ようやく宿に到着したのは、20時を過ぎていました。さっそくお風呂に入り疲れを流してから二人で乾杯です。箱根に来たのは、もう10年ぶりになるかもしれません。順番で割り当てられた日数だけ宿泊できる会員制の施設なのですが、以前はよく私の両親が利用してくれていました。最初は父が運転して、その後は電車を利用して藤沢から温泉を楽しみに出かけてくれたものです。

 

その両親も体力の衰えから来ることも叶わなくなり、私達もご無沙汰が続きました。今回は、たまたまこのゴールデンウイークに当たりましたので、二人で来ることにしました。新緑が眩しい5月の箱根は最高です。

 

■そして今日は箱根の休日です。朝7時に起きて朝食を取り、車で出発です。芦ノ湖を左回りにぐるりと一周してみようとしたのですが、道路が途絶えていました。そこで逆回りに進路を変えて、まずは「道の駅 箱根峠」に立ち寄りました。いつもの道を通ってこちらに来れば昨夜通るはずだったのですが、昨夜は通らずじまいでした。久しぶりに立ち寄って芦ノ湖を眼下に見ました。

 

道の駅 箱根峠から見た芦ノ湖です。生憎の曇り空でした。

 

 

道の駅で少し早めに山菜そばを食べて昼食としました。今度は芦ノ湖を右回りに回ってみようと試みました。道の駅を出て芦ノ湖スカイラインに乗りました。生憎の曇り空で、ほとんど霧の中でした。それでも以前パプアニューギニアから我が家にホームステイしたエリカさんと子どもたちと一緒にドライブしたことを思い出しました。あの時は最高の青空でした。

 

 

残念ながら、ただ通り過ぎるだけで今日は終わってしまいました。小尻に抜けて、さてどおしようと相談の末、ガラスの森美術館に行こうと決めました。初めての訪問です。

 

 

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■初めての訪問でしたが、楽しめました。またちょうど時間も幸いしてミニミニコンサートも鑑賞できました。まるで古い欧州の民家か農家を訪れたような、そんな気になりそうでした。

 

背景になっている箱根の山々が、とても似合っていました。宿に帰って、ゆっくりと風呂に入って二人で乾杯して休みました。

 

 

 

 

 

 

 

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