2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

カテゴリー: 残日録 Page 106 of 152

世界の旅

■20190111(金曜日:晴れ)

伊豆半島旅人岬から見た駿河湾です。

■今朝は走らずにゆっくり休みました。昨夜は静岡で勉強会があり3人の演者が、それぞれの専門分野において、とても参考になる講演をしてくださいました。19時からですので最後まで聞いて、さらに懇親会まで出席して家に帰ると、夜中になりそうでしたので、21時に講演会をあとにして帰路に着きました。 6時に目覚ましを合わせましたが、15分ほど前に目が覚めました。もう一度眠りに落ちてしまうと、今度は起きだすのが大変辛くなりますので、そのまま起きだしました。

金曜日は生ゴミの日ですので、Sunが準備してくれてあったゴミ袋を持って玄関を出ました。まだ外は真っ暗ですので、 階段の電気をつけて外へ出ました。ほとんどの家はまだ眠りの中ですから街灯の光が街を照らすのみです。雲のせいでしょうか月は見えませんでした。風もなく、とても静かな夜明け前の光景です。私はこんな時間がとても好きです。

帰ってきて朝食の準備をしました。昨夜は勉強会でお弁当が出ると思い、夕食はとらずに低血糖に陥らないようにと、お菓子を少し食べて出かけました。ところが勉強会ではお弁当は出ずに、講演会の後で立食パーティーの予定だということを知りませんでした。帰りの電車に乗る前に駅ナカのコンビニでサンドイッチを買って、トマトジュースとともに夕食代わりとしました。きちんとした食事をとらずに、お菓子のようなものばかりを食べていると、たった一回とはいえ、どうも胃腸の調子が狂ったように感じます 。やはり規則正しく食事をとることは、とても大事だと再認識しました。

今朝は 昨日のお昼のお弁当のご飯が半分残っていましたので、電子レンジで温めて、納豆と卵で食べました。コーヒーにアーモンドミルクを入れ、さらに先日購入したヨーグルト製造機で作った ヨーグルト75 グラムに蜂蜜を入れて朝食としました。 規則的にランニングをするようになる以前には、体質的にコレステロールが高くなりやすかったので、乳製品は控えめにしていたのですが、今では気にすることなく摂取しても、血液所見は正常範囲内に収まっています。やはり規則的に運動することは、とても大切だと実感しています。

■「兼高かおる世界の旅」で有名な旅行ジャーナリストの兼高かおるさんが五日、心不全のために亡くなられました。九十歳でした。日本人の海外渡航が自由化される前の1959年に紀行番組「兼高かおる世界飛び歩き」がスタート。1960年にタイトルが「世界の旅」となり、海外旅行ブームに先駆けた名物番組として1990年まで30年間の長寿番組となりました。 番組の始まった頃、1 ドルは360円。「夢のハワイ旅行」がクイズ番組の商品になるのも、まだ先のことだったのです。そうです。アップダウンクイズです。調べてみると、

『アップダウンクイズ』は、1963年(昭和38年)10月6日から1985年(昭和60年)10月6日まで、毎日放送(MBS)の製作により、毎週日曜日19:00 – 19:30(JST)に放送されていた視聴者参加型クイズ番組である。ロート製薬の単独提供(第1回放送より)、日本航空の協賛で放送された。

優勝者のみなさんが団体でハワイ旅行をする様子がテレビに映し出されると、まるで月でも旅行してきたかのように感じたものです。


日曜日の朝、家族と共にテレビで遠い世界を見るのが習慣だった方も多いだろう、と今朝の東京新聞筆洗には書かれています。私の家庭も、まさにこの通りでした。私が初めて飛行機に乗って海外旅行をしたのは、新婚旅行でした。つまり1982年だったのです。テレビで兼高さんの番組を見ていた1960年代、海外旅行などは夢のまた夢でした。番組の最初に流れる映像には、確かパンナムの飛行機が飛んでいたと記憶しています。「番組の制作に当たっては世界で最も経験のある航空会社パンアメリカンの協力を得ました」と説明が流れていました。今ではもうパンナムという会社は、なくなってしまったはずです。Wikipediaで調べてみると、

1960年代後半頃より世界的に海外旅行が大衆化し価格競争が激化する中、高コストの経営体質を改善できなかったことや、1970年代にジミー・カーター政権下で導入された航空自由化政策「ディレギュレーション」の施行、その後の国内航空会社の買収の悪影響により次第に経営が悪化し、1991年12月4日に会社破産し消滅した。


その知名度を生かすべく、ブランドとロゴ使用の権利を引き継いだ別会社が同じ塗装とブランドで近距離国際線と国内線を運航し、形だけは一時的に復活していたものの、結局経営を軌道に乗せることはままならず、2008年2月一杯で運航停止となっており、現在同名の航空会社としての運航は行われていない。

と、あります。機体に描かれたあのパンナムのロゴを、もう見ることはできないのです。
兼高かおるさんは、まさに好奇心の塊のような方でした。 小田実さんのベストセラー「なんでも見てやろう」が出版されたのは1961年ですから、 まさに兼高かおるさんはそれを世界中で実践して回ったのです。ご冥福をお祈りします。

なでしこ

■20190109(水曜日:晴れ)

伊豆半島から見た富士山です。頂上に雲がたなびいています。

■今朝はゆっくりと休みました。6時少し前に目が覚めて、目覚ましをかけた6時まで寝てしまうと、今度は起きるのが辛くなってしまいますので、そのまま起きだしました。朝食の準備をする前に、今日はビニールゴミの日ですので、玄関を出て所定の場所へ袋を運びました。年末の休みから今日まで、ビニールゴミを出す日がなかったので、今日は二週間分の量でした。他のどのビニール袋も満杯の状態でした。ここ静岡も東京同様に、二週間ほどまとまった雨がありません。乾燥しきった状態です。火事も心配ですし、風邪やインフルエンザの流行が気がかりです。

昨日は流行性角結膜炎の患者さんが一人来られました。検査で調べてみると陽性でした。アレルギーの患者も、すでに何名か来られています。予測では今年の花粉症はひどいようです。昨年夏のあの猛暑が、その原因です。私も以前は花粉症で症状もかなりひどかったのですが、還暦を過ぎてからでしょうか、症状はかなり穏やかになりました。以前は仕事をしながらも鼻水がひどく、ティッシュペーパーで 鼻をかんでいると何枚あっても足りませんでした。最後はタオルで鼻をかんでいました。最近はそこまで酷いことは、めったにありません。免疫学的にも人間的にも寛容になってきたのでしょうか。

■今朝の東京新聞「この道」は川淵三郎さんの連載71回目です。題名は「なでしこ」。 サッカーの日本女子代表チームに愛称をつけて応援したいという、サッカー協会のある女子職員からの提案がありました。川淵さんがキャプテンに就任した後、教会に提案制度を設けたのです。この提案があった時に川淵さんは最初、「そんなのつけても人気になるわけがない」と思ったそうですが、制度を設けた以上門前払いをするのはまずいので、一般公募をすることにしました。 集まったのは2700通。 「なぎなたジャパン」というのもあったそうですが、中でも多かったのが「なでしこジャパン」。「他の名前もピンとこないし、仕方がないか、で決めた」と川淵さんは正直に書かれています。

その後七夕の日に、澤穂希選手らになでしこの花をあしらった浴衣を着てもらって発表すると瞬く間に定着し、他の競技の代表チームは続々相性をつけるようになりました。「こんなになるとは思ってもいなかった」と、これまた川淵さんは驚いています。友人からは「ホントにいい名前付けたな。漢字で撫子。手を使ってはいけない子だよな」と褒められたましたが、

発表会見前に教えてくれよ。考えもしなかった。

川淵さんは、どこまでも正直な方のようです。2011年女子ワールドカップでの活躍は、未だに忘れることができません。決勝の相手米国には、それまでに20回以上戦って一度も勝っていなかったにも関わらずです。この年、東日本大震災に見舞われた日本を少しでも元気付けたい、という選手たちの思いが、この偉業をもたらしたのです。 最後に川淵三郎さんは、こんなエピソードも紹介されています。この偉業の後協会に、「女の子が股を開くな」「髪を染めるな」「いい気になるな」と信じられない内容の電話が相次いだ、というのです。これまでほとんどなかった女性からの電話が多かったそうです。

記者会見に慣れておらず、ふんぞり返ったような印象を与えたのかもしれないが、あぜんとさせられた。震災で人の心もすさんでいる、そう思わざるを得なかった。

と川淵三郎さんは、これまた正直に述懐されています。

さつまいも

■20190107(月曜日:曇)

戸田港からみた駿河湾です。

■今朝はゆっくりと休みました。連休最後の日曜日、昨日は朝10 km 走りましたので、今日は休養日です。 12月15日に家庭で手軽に焼き芋を作れる器械を買いました。ネットで調べて評判も上々なので試しに購入したのです。「ドウシシャ 焼き芋メーカー ホットプレート 温度調節機能 付き 平面プレート 付き SOLUNA WFS-100」 。7000円弱でした。ゴル友の坂口さんから自家製のさつまいもをいただきました。せっかくですから美味しく頂かなければ勿体ないので、試してみようと思ったのです。 最初は設定に手間取りましたが、3段階ある温度調節のうち一番高いものに設定し40分熱すれば、普通の大きさのさつまいもならば、とても美味しく出来上がります。少し太めであれば、もう5分か10分追加した方が美味しく出来上がるようです。

手軽に自宅で焼き芋が食べられるというのは、とても楽しく嬉しいものです。Sunと二人でお昼ご飯に食べました。残っていたおせち料理も、ついでに2人で平らげました。これで正月も本当に終わりです。 こうして焼き芋を身近に、また頻繁に食べるようになると、サツマイモの効用を語るネットの記事が目に留まるようになりました。食物繊維を多く含み、ビタミンも豊富なさつまいもは、体にとっても、とても有益な食品です。江戸時代に飢餓を救う食物としてさつまいもの普及が行われた、という歴史は学校でも習ったように思います。今でも青木昆陽という名前は忘れられません。ネットによれば、

青木 昆陽(あおき こんよう、元禄11年5月12日(1698年6月19日) – 明和6年10月12日(1769年11月9日)は、江戸時代中期の、幕臣御家人、書物奉行、儒学者、蘭学者。サツマイモの普及を図り、甘藷先生と呼ばれる。

と、あります。
さて今日から仕事の開始です。また新しい一年が始まります。とにかく事故を起こすことなく無事に一年を過ごしたいと思います。 昨年同様、また今年も色々なことが起こると思いますが、家族全員が健康で充実した毎日を送れることを心から願っています。 私自身は昨年から新たに務めている 役割をきちんと果たして行くことが、まず第一です。5月にはAyaちゃんに会うためにオーストラリアに行く予定です。毎日毎日を大切に送りたいと考えています。

■昨日はネットで見た中国製の格安パソコンを注文しました。Chuwi Lapbook SE Laptop 4G+32G EMMC+128G SSD $299.99です。GearBest.com というサイトで注文しました。アマゾン・ドット・コムではありません。このサイトからは初めての購入です。このパソコンを製造、販売しているのは、例の中国深センで創立された会社のようです。値段からすると、とても使い物にならない、と思いそうですが、ネットで評判を確認すると、なかなかの製品なのです。

特に気に入ったのが、キーボードが素晴らしい、という内容です。打ちやすいキーボードというのは、なかなか手に入らないのです。特にノートパソコンでは、そうです。狭い空間にキーボードを押し込めるためもあるのでしょうが、とても打ちにくいのが通例です。最近は音声入力で文章を作ってから貼り付ける、という作業が最近は多いのですが、それにしても、快適な入力は有り難いのです。

到着までに2週間ほどかかるようですが、到着が楽しみです。ウインドウズ10になってからは、日本語化の問題も無いようですので、最初に立ち上げた時に日本語を選択すれば、問題なく使用できるようです。どうなりますことやら。しかし深セン恐るべしです。

地震

■20180105(土曜日:晴れ)

新沼津カントリークラブの11番ホールです。

■今朝はゆっくりと休みました。Sunの調子がいまいちなので、昨日はのんびりと寝正月を決め込みました。今年の正月は今日まで暖かく、風もあまりない穏やかな天候に恵まれています。九州の熊本では、また地震が起こり不安な出発となりました。日本列島は本当に地震列島だと実感します。

宗教学者の山折哲雄さんが、ある本の中で指摘していました。 哲学者和辻哲郎さんの著書「風土」の中で、台風については詳しく分析されているが、地震について触れていない、というのです。山折さんによれば、和辻さんが自分自身の説を説き進めるのに、台風は都合が良かったが、 地震はそうではなかったのではないか、と指摘しています。 なんにしても、スーパーコンピューターなどの発展で、気象情報はかなり前もってわかるようになりましたが、地震の発生だけは未だに難しく、結局は後講釈みたいな説明ばかりになっています。運が悪かったと諦めるしかないということです。地震が日本人の精神を規定している割合はかなり大きいと思います。

平成最後の大晦日

■20181231(月曜日:晴れ)

川口市飯塚三丁目です。このマンションが建っていた場所に、私の家族が過ごした公団住宅があったのです。私の故郷は、全て取り壊されました。心の中に残るのみです。

■いよいよ今日は大晦日。しかも平成最後の大晦日です。来年の今頃は、新しい元号のもとで新年を待っていることでしょう。

今朝の東京新聞8面、9面は平成の30年を振り返っています。その紙面を読んでみて感じるのは、こんなことが起きたのも平成だったんだ、あるいはこんなことが起きたのは、たったの14年前だったのだ、といった具合です。 例えば「冬のソナタ」の放送が始まったのが平成16年(2004年)であり、戦後初めて日本の人口が減少したのが、その翌年平成17年でした。

冬のソナタで韓流ブームが始まったのが、14年前ということになります。私自身はその当時全く興味がなかったので、世の中の喧騒からは蚊帳の外でした。 ところがそれから8年経った2012年、私も韓流ブームにハマったのです。それが韓国ドラマ「不屈の嫁」でした。 【2012年9月13日(木)放送】 第1話 「旧家の嫁」、とネットにはあります。 韓流ドラマに夢中になっている世の中の女性達の気持ちが私にもわかりました。 文化、芸術の持つ力というもののすごさに、改めて感じ入った出来事でした。それ以前から家族と韓国旅行に行ったことがありましたが、韓流ブームの前と後では、韓国に対する親近感の違いは全く別物になったほどです。

韓国ドラマ「不屈の嫁」の主題は、「愛」です。愛とは、誰かに必要とされている実感だ、と私は思います。そして人は、誰かを愛さずにはいられないし、同時に、誰かに愛されずにはいられないのです。そのことをドラマは、様々な年代の男女を通して教えてくれています。

日本と韓国は地理的にはお隣同士ですから、長い長い交流の歴史があるのです。それだけに 感情の行き違いや、争いごとが絶えなかったことは、ある意味致し方なかったとも言えます。差別の歴史があったことも厳然たる事実です。私が子供の頃には、朝鮮人に対する侮蔑の言葉を何度も聞かされたものでした。 今でもそうした差別が完全に無くなったかといえば、それは嘘になるでしょう。 しかし韓流ブームの前と後では、少なくとも明治以降の歴史の中では、全く状況は変わったと言っても決して言い過ぎではないと私には感じられます。 親近感の程度が、まるで変わってしまったのです。 韓国人の生活、あるいは文化といったものが、テレビドラマを通じて、本当に身近なものになりました。日本人も少しは学ぶべきだ、と感じる部分もあれば、日本人的には、ちょっと理解できないな、という部分もあるわけです。あって当然なのです。以前はそのことも知らずにいたのですから、知ったということは大きな進歩だと感じます。

明治以降日本は、東を見ては卑屈になり、西を見ては居丈高になる、ということを繰り返してきました。戦争に負けた後も、それは変わっていないと思います。いやむしろ、対米従属という点では、以前より強まったとすら私には思えます。 しかし今、トランプ大統領の誕生によって、アメリカによる一極支配の終焉が現実のものになってきています。 地域におけるいくつかの大国が、責任を持って地域の安定を模索していく、という世界に変わり始めているようです。いわば世界における地方分権です。日本はもちろんアジアにおける大国ですから、今までのようにアメリカだけに目を向けていれば良い時代は確実に終わろうとしています。 アジアにおける平和と安定に対して、日本は今まで以上に主体的に関わる責任が出てきたのです。 日本人の 知恵や胆力が、まさに問われるのです。人任せでは、もう立ち行かない時代なのです。日本人一人一人がその事をしっかりと自覚しなければ、国際社会において名誉ある地位を得ることはできないのです。

■さて午前中に自分の担当である大掃除を済ませました。窓拭きとお風呂の掃除です。毎年これが私の当番なのです。12時40分現在、曇り空で薄ら寒い天候です。テレビの天気予報を見ると、午後からは高気圧に覆われ青空が広がる、とのことですが今のところ青空は広がっていません。最後に一年を振り返らなければなりません。昨年の今頃も、同じように大掃除を済ませて一年の締めくくりの準備をしていたはずです。昨年の年末には、Takuの結婚式を次の年に控え、一体どんな年になるのだろうかとSunと二人で思案していました。それがあっという間に1年が経ってしまったのです。 象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)が、発表されたのは一昨年の8月8日です。

平成天皇が考えに考えた末の結論としてお話になられたことだと思いますが、多くの国民が共感し、納得したに違いありません。いよいよ来年5月には新しい天皇が即位し新しい元号が始まります。日本も新しい時代に突入するわけです。私自身も生まれを問われた時には、昭和28年生まれです、と答えることが多いのですが、カルテなどの公文書を取り扱う立場からすると、公文書の記載には西洋暦を用いて欲しいと思っています。変更に多大の費用と時間が必要になるからです。現在ではコンピューターを始め情報技術なしでは社会生活が成り立ちません。その中に元号を取り込むのは、必ずやってくる変更の時期考慮すれば、膨大な労力と費用の面から、西洋暦を用いても決して罰があたることはないと私は考えています。常に国民のことを第一に考えておられる平成天皇も、きっとそのようにお考えではないでしょうか。

■今年は、まず1月にAyaちゃんに会うためにオーストラリアへSunと二人で出かけました。

(1) オーストラリアの旅

4月の連休には、韓国へ四人で出かけました。

(2) 釜山への旅

そして7月にはTakuの結婚式がありました。

(3) Taku の結婚式

8月にはSunと二人で九州旅行に出かけました。

(4) 九州旅行

10月には、今年もベトナム支援の旅に出かけました。

(5) ベトナム支援の旅

12月には、Takuと一緒にお伊勢さんマラソンを走りました。

(6) お伊勢さんマラソン

■こうして振り返ってみると、今年も色々なことがありましたが、楽しい一年であったことは間違いありません。 昨年からNonちゃんが静岡に戻ってきてくれましたので、時々一緒に食事をすることができるようになったのは、大きな喜びでした。その一方、Takuが結婚したことで新しい家庭を持ち、以前のように気軽に一緒に出かけることが出来なくなったことは、少し残念でした。

新しい役割としては、静岡県東部眼科医会会長を仰せつかりましたので、6月と9月に主催する勉強会の準備に追われました。専門医制度の認定を受けなければなりませんので、いくつかの書類を本部に提出しなければなりません。会場の予約や設定などもあり、思っていた以上に負担になったことは確かです。また順天堂静岡病院が主催される勉強会などでは、座長を依頼されることもあり、そうした面の精神的な負担も新たに発生しました。 それでも何とか大過なく務めることができたのは本当に有り難いことでした。前任者の花崎先生や山秋先生が、懇切丁寧に指導してくださったことが一番の要因だったと思います。

■いま午後10時40分。あと一時間と少しで新しい年となります。Sunと二人で紅白歌合戦を見ながら、HDDからブルーレイディスクにダビングしている昔のビデオを楽しんでいます。子ども達が小さかった頃のビデオです。1988年頃からのビデオが残っています。ちょうど30年前のものです。あっという間の30年でした。

午前0時からNDKのBSで映像の世紀を再放送します。それを録画したいのですが、ビデオレコーダーのHDDは満杯の状態ですので、ブルーレイディスクに録画しようと思ったのですが、一つの番組しか録画の予約ができません。そうなるとHDDの中の番組をブルーレイディスクに移動し、HDDの中を整理して空き容量を増やすしかありません。その作業に、かなりの時間を取られています。何とか0時までに終われば良いのですが。

波乱の前兆

■20181229(土曜日:晴れ)

川口市立西公民館です。無くなった実家から川口駅に向かう時に、いつも前を通りました。その頃は、周囲で一番大きな建物でした。

■今朝はゆっくりと休みました。昨夜の天気予報では今朝の冷え込みは一段と強まるとのことでしたので、掛け布団を厚めのもので寝ました。通常ですと夜中に一段薄めの掛け布団に替えるのですが、今朝はそれでは寒くて、 再度厚めの掛け布団に替えたほどでした。 東北、北陸、北海道では大雪のようです。まさに年末寒波です。

今年最後の取引である大納会を迎えた東京株式市場は、7年ぶりの前年割れで終わりました。 昨年の大納会終値と比べた年間下落率は12.1%であり、この下落率は、東日本大震災があり約17パーセント下落した2011年以来の率でした。下げ幅の大きさではリーマンショックで6448円下落した2008年(下落率では42%下落)以来となりました。来年に向けて波乱の予兆でしょうか。

田中宇の国際ニュース解説 無料版 2018年12月28日は、激動の国際情勢を的確に分析しています。アメリカの単独支配を終わらせ、世界を多極化しようというトランプ大統領の隠れた意図を暴いています。シリア、イラク、そしてアフガニスタン。これからはアメリカ単独でなく、こうした国々を安定させていく役割を果たすのはロシア、中国、そしてイランであることを示唆しています。日本のマスコミ、例えば NHK では、シリアの内戦を終結させたのはアメリカである、との報道がなされていますが、事実は全く異なるようです。しかしこれは NHK に限らず、トランプ大統領がフェイクニュースだとして盛んに非難するアメリカのマスコミも同様のようです。

トランプ大統領によって世界は戦争の混乱に巻き込まれるのではないかとする報道がなされてきましたが、事態はむしろ逆の方向に進んでいます。ロシアの役割がいかに大きいかは、日本の報道を見る限りは、まるで理解できません。それが日本の現実なのです。

■まもなく、午後1時になろうとしています。今年も無事に1年間の診療を終えることができました。四月から静岡県眼科医会副会長を拝命し、色々な行事を取り仕切らなければなりませんでした。その準備のために様々な書類を提出する必要があり、とても煩雑なことに辟易した1年でした。今までは前任の先生方がしてくださった訳ですが、自分でやってみると、その大変さがよくわかりました。

なんとか致命的なミスは犯すことなく1年を終えたことを本当に安堵しています。来年になると一月から講習会の開催が続き、そのためのスライドの準備などが待っているのですが、とりあえずしばらくはそのことを忘れて、少しのんびりしようと思っています。

今年はなんといっても子供達が、それぞれの家庭を持ったことが一番の出来事でした。7月の21日には、Takuの結婚式が大宮で行われました。今年の夏は歴史的な猛暑で、出席してくださった皆さんも大変でした。そんな中での開催でしたが、式は心のこもった、とても良い出来だったと親バカながら感じました。そして最後の親としてのお礼の挨拶が、私にとってはハイライトでした。何ヶ月も前から原稿を準備し、何度も何度も予行演習を繰り返しました。当日は原稿を読むことなく諳んじて挨拶をするつもりでいました。

来賓のお名前に始まって間違えてはいけない部分ばかりでした。4分強の長さでしたが、原稿を見ることなく、挨拶するのは決して容易なことではありません。それでも、いざその場になってみると思ったよりも冷静に落ち着いて、挨拶することができたのは自分でも驚きでした。練習の賜物であると同時に、ロータリークラブで鍛えられてきたお陰だと感謝しました。のんちゃんに頼んで、スマホでビデオ撮影をしてもらいました。このビデオは私の一生の財産になりそうです。

驚いたのは、私の後に挨拶したTakuのお礼の挨拶でした。実に堂々とした落ち着いた話っぷりには、父親として大変驚きました。自分自身のことを考えても、あの年齢であれだけの挨拶をすることは、自分には出来なかったと思います。人前で挨拶をするなどという機会は、そもそも私にはありませんでした。その点は本当にロータリークラブのおかげだと感謝しています。

沼津西ロータリークラブ十代目の会長、そして静岡第3分区のガバナー補佐などを歴任させてもらいました。その度に、ついて回るのが挨拶です。どんな短い挨拶においても、きちんと原稿を作り推敲を重ねる癖をつけました。そのおかげで、今回の結婚式での挨拶も、無事に乗り切れたと思っています。場数を踏んできた成果が、あの日の落ち着いた、自分の心持ちだったのでしょう。それは自分にとっても本当に驚きでした。冷静に挨拶をしている自分を見つめる、もう一人の自分がいたのです。

IWC脱退

■20181227(木曜日:晴れ)

荒川土手沿いの風景です。遥か遠く京浜東北線の鉄橋が見えています。

■今朝はゆっくりと休みました。2日続けて走りましたので、疲れが溜まってしまったのかもしれません。昨夜は走るつもりで準備は整えたのですが、朝5時に目覚ましが鳴った時には 起きだすのは辛い状態でした。あと3回分の距離が残っていますが、なんとか目標を達成できると思っています。幸い天候の方は何とかなりそうです。今朝のニュースでも東北や北海道では寒気の南下によって、風と雪が強まるようですが、災害や事故が起きないことを祈るばかりです。

さて今朝の東京新聞一面には、「日本 IWC 脱退表明 来年7月30年ぶり商業捕鯨」とあります。政府は26日、クジラの資源管理を担う国際捕鯨委員会(IWC)に脱退を通告し、来年7月から30年ぶりに商業捕鯨を再開すると表明した、と書かれています。私は1953年昭和28年生まれですので、学校給食でクジラをごちそうとして食べた記憶があります。 貴重なタンパク源だったのです。 そうした記憶を持つ世代からすれば、商業捕鯨を再開しクジラが今よりも容易に手に入り食卓に登ってくれれば、と単純に考えそうですが、もちろんそんな簡単な話ではありません。今後は多様な食文化の尊重を世界に訴える構えである、と記事にもありますが、この点もそれほど綺麗事だけでは済まないようです。

日本が主要な国際機関から脱退したケースは戦後ほとんど例がなく、極めて異例の措置、と記事にもある通り、 国際連盟からの脱退を連想する方も多いのではないでしょうか。なぜ今この時期に決断したのか、詳細はよく分かりません。商業捕鯨が再開されたと言っても、漁獲量が急激に増えるわけではないようですし、そもそも消費量は増えるかどうかも不明です。昔と違い、牛肉その他のタンパク源が溢れている現状において、鯨の肉がどれほど消費されるかはいささか疑問です。せっかく捕獲しても、消費されないのでは、命をないがしろにすることになります。 今後どのような展開になるのか、注視していく必要があるようです。

24時間心電図

■20181222(土曜日:雨)冬至

北海道、サホロリゾートです。ここがスキーの出発点です。

■今朝は暖かな朝でした。6時に目覚ましをかけて起きだして、その原因が分かりました。新聞を取るために玄関を出たところ柔らかな雨が降っていたのです。

知り合いの先生に勧められて、昨日の昼休みに病院で先生の診察を受けてから、24時間心電図の検査を始めました。この冬に入ってから、時々動悸に襲われるようになったのです。仕事をしている時やマラソンを走っている時には、決して気になることはないのですが、朝方の3時頃に何度かそうした動悸に襲われました。気持ちが悪いのです。ふだん心臓の拍動などを感じることは、まず無いのですが、心臓の高鳴りをリアルタイムで感じるのは気持ちの良いものではありません。苦しくなるわけでもなく、ゆっくりと大きく深呼吸を何度かすると、自然に治るのですが、何かの病気が隠れていてはいけないので、先生の助言に従って、検査をすることにしました。

四つの電極を胸に貼り付けて 心電図を24時間計測するのです。機械自体は 5×7 センチほどの大きさです。 鬱陶しいとも、邪魔になるということもありませんが、お風呂に入れないことと、ランニングができないことが欠点です。昨日の午後1時10分頃から計測を始めましたので、今日仕事を終えてお昼ご飯を食べ終わった頃に、ちょうど終了でしょうか。

さてお邪魔した病院は、高齢者向けの病院なのですが、確かに高齢者で溢れかえっていました。子供が一人もいないのです。小児科がないのですから、当たり前といえば当たり前なのですが、明るい気持ちには、とてもなれませんでした。夕食をとりながら、Sunと今日の出来事を色々話したのですが、その中で、私たちの住むこの自治会では、来年新しく小学校に入学する子供が、たった一人だというのです。 確かに家の周囲を歩いていても、子供に出くわすことは、ほとんどなくなりました。私達の3人の子供が小学校に通っていた頃には、この地域にも多くの子供達がいたのです。子供たちの笑い声や叫び声が、よく聞こえてきたものでした。そんなことを思い出しながら考えたのは、やはり少子化対策を本気で考えないと日本の未来は暗い、ということでした。

Globalization といえば聞こえは良いのですが、言葉を変えて言えば中産階級の崩壊です。 普通の人が普通に仕事をしていれば、家庭を持って親になることは、以前にはそれほど難しいことではありませんでした。派遣労働者が全労働者の4割に迫ろうかという現状では、安心して家庭を持つことは、極めて難しくなりつつあります。 1億円の年収を持つ人を一人作るのか、年収500万円の人を20人作るのか、社会の選択が迫られているのです。もちろん全員が同じである必要もないし、そんなことは出来もしません。 しかし今の社会では、あまりに両極端に振れ過ぎているのです。

能力主義と言えば聞こえは良いのですが、どうも私には強欲主義と思えて仕方がないのです。「世界中の金持ちが考えていることは、いつも一緒だ。もっと金持ちになることだ」という言葉があります。なるほどうまいことを言うものだ、と感心するのは私だけではないはずです。今こそ私たちの社会を、どのような社会とすべきなのか、一度立ち止まってきちんと考える必要があると強く感じたのです。

■さて仕事が終わり昼食を取り終わって、ほっと一息つきました。朝食で飲み残したコーヒーがあったことに気づき、温め直して飲みました。30分ほど昼寝をとることにしました。目覚ましにも気づかず、気づいてみると14時になっていました。24時間心電図の終了です。昨日指導してもらった通りに機器を外しました。火曜日に病院に届けて、結果を解読してもらえば、問題があったかどうかが判明します。

昨夜はいつもの通りに、仕事は終わってSun と一緒に夕食を取り終わったのが、18時30分過ぎでした。そして床に入ったのも、いつもの通り22時30分過ぎ。今朝は走る予定はありませんでしたので、6時に目覚ましを合わせ、目覚ましとともに起きだしました。新聞を取ってきて、お湯を沸かしコーヒーを入れて、Sun が用意してくれたベーグルを半分と、納豆ひとパックを食べて朝食としました。9時からは診療の開始です。12時過ぎには無事に終わりました。なんということのない、いつもの通りの土曜日でした。

テキスト読み上げ

■20181221(金曜日:晴れ)

北海道サホロリゾートです。

■今朝はゆっくりと休みました。 昨日はSunと二人で、近くの日帰り温泉に行って、そのまま一杯やりました。歩いて行ける距離に、そうした施設があることに、とても感謝しています。5分ほどの距離なのですが、二人で行くたびに、ここにもあそこにも スーパーがあったんだとか、今はマクドナルドになっているけれども、その前はホームセンターがあったんだなあとか、町の変貌の大きさにいつも驚いています。現在では葬儀場になっているところにも、以前はスーパーがありました。多くの人が買い物に来ていたのを、はっきりと覚えています。今の土地に住み始めて30年になりますけれども、あの頃は近所にも子供達が溢れていました。今では目につくのは高齢者ばかりです。本当に街は様変わりしました。

■こうして毎日ブログを更新していると文字や文章の間違いに、あとから気づくことが結構あります。今ではchrome bookで更新しているのですが、まずは無題のドキュメントファイルを開いて、音声入力で文章を作成します。出来上がった文章をコピーして WordPress の画面に張り付けているのです。もちろん何度も見直して間違いがないかは確認するのですが、不思議なことに、あとから見ると間違いに気づくのです。

ネット上で検索してみると、やはり同じような間違いに困っている人は当然います。 その方のアドバイスによると、多分間違いを減らす一番有効な手段は、テキストをパソコンに読み上げてもらって確認するのが良い、というものでした。確かに目で追っているだけでは、思い込みというものがありますので、間違いに気づかないことはあります。ところが読み上げてもらうと、その間違いに気づくのです。これはなかなか便利だと思い早速そのソフトを導入してみました。 chrome book にも幸い、T2S というソフトがあり、女性の声でテキスト文章を読み上げてくれます。これは便利です。しばらく使ってみることにしました。

困難は分割せよ

■20181219(水曜日:晴れ)

北海道の新得駅です。新得といえば、美味しいお蕎麦です。私もいただきました。とても美味しかったです。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日の朝しっかりと休みましたので、今朝は休養です。昨夜は、今年最後の沼津医師会理事会でした。沼津医師会は70週年を迎えました。沼津市、裾野市、清水町、長泉町の二市二町を統括しています。それぞれの地域から開業医の代表が月に一度集まって、地域医療活動について相談しています。学校保健、救急医療の問題、在宅医療の問題などなど、本当に問題は多岐にわたり、医師会というものが、どれほど地域医療に関わっているか、ということが参加してみるとよく分かり、今更ながら驚きます。先日医師会の忘年会も終わりましたので、今度皆さんと会えるのは、来年の新年会ということになります。一年間ご苦労様でした。

■今朝の東京新聞「伝えたい 失語症と向き合って」は大変興味深く、また考えさせられる内容でした。副題は、「言葉は救いの力を持つ 教え子の励まし 復職の支えに」と、あります。失語症とは、脳梗塞や交通事故などで脳の言語中枢が損傷して起こる障害であり、日本失語症協会によると人の話を聞いて理解する、話す、読む、書くなど言葉に関わる全機能に支障が出てコミュニケーションが困難になる。全国に約50万人いるとされます。

3年前に脳梗塞のために失語症となり、懸命なリハビリの結果、今春、教壇に復帰した国語教諭の馬渕敬さんを取り上げています。 馬淵さんは「国語の教員として最も大切な」言葉を失ってしまいました。

話そうとしても言葉にならない。自分や妻、小学生だった長女と長男の名前も言えなかった。テレビで字幕を見ても意味が分からず、本も「文字が書いてあるだけ」。愕然とした。検査すると、聞いた言葉を理解する力は残されていたが、「話す」「書く」「読む」ことが理解できなくなっていた。「ハンカチ」「はし」などの単語は理解できても、「ハンカチを、はしの上に置いて」と文章になると全く分からなかった」。一か月後の退院時、話せた言葉は「はい」「いいえ」「すみません」の3語だけ。医師からは「復職は無理」と言われた。

その後、言語聴覚士らと懸命のリハビリが続きました。現状をフェイスブックに書き込むと、教え子の皆さんからたくさんの手紙やメッセージが届きました。その中に自分がかつて生徒に送った言葉があったそうです。「困難は分割せよ」。井上ひさしさんの小説「握手 」の一節です。馬渕さんが授業で引用し「困難は分割して、一つ一つ片付けていく。きっとその困難は終わるはず」と教えていました。教え子からの手紙には「先生が言っていたように必ずうまくいくから」と綴られていました。

言葉を理解したり、話したりすることが難しくなる失語症。意思疎通が難しいため、仕事を失ったり、引きこもったりする人も少なくありません。国は、意思疎通を支援する人材の育成を都道府県などの必須事業にし、今年から全国で研修が始まっているようです。失語と向き合う当事者や家族、支援者らの思いを伝える、と記事は結んでいます。

馬渕さんの経験は、同様の困難に苦しむ多くの失語症の患者さんの励ましになると感じました。しかし残念ながら、3年間の猶予を与えられる患者さんは、現実には極めて少ないのではないでしょうか。もしも患者さんが派遣社員であれば、退院と同時に路頭に迷うことすら起こりかねないはずです。 それは独立事業主である私にも当てはまることです。もし自分がその立場になれば、誰も代わりのいない自分には、明日からは失業の二文字が待っているのです。 誰もが安心してリハビリに取り組める社会になって欲しいと心から願うばかりです。

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