2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

カテゴリー: 残日録 Page 107 of 152

想包餃子

■20181217(月曜日:雨)

昨年12月に出かけたスキー旅行の様子です。新得駅です。

■今朝は雨です。夜半から雨音が聞こえていました。おかげで放射冷却現象が無く、暖かな朝でした。違いの大きさに、いまさらながら驚いています。こんなことなら、冬は毎朝雨であってくれれば、とも思いますが、そうなると早朝走っている私は生活習慣を変えなければなりませんので困ります。雨の朝もまた良し、ということでしょうか。

■さて今朝の東京新聞「私説 論説室から」の題名は、想包餃子(ぎょうざを作りたい)です。「忘れられない中国滞在エピソード」というテーマの作文コンクールの表彰式が、中国大使館で先日行われました。この作文を書いたのは大学生の三本美和さん(22)。2016年から約1年間、上海に語学留学した時の様子を書かれました。現地の人と交流したいと考え、留学生仲間と、この中国語を画用紙に大きく書いて公園で掲げてみたそうです。多くの人が通り過ぎる中で、一人の中年女性が足を止め、三本さんたちを見ていました。すかさず声をかけました。

「中国人の生活を体験したいのです」

その女性は、

「私は餃子を作るのはうまくない。家もここから遠いけどいい?」

女性は二人と車に乗り、材料を買って高層マンションの自宅に招き入れた。そして作り方を丁寧に教えてくれた。お礼に二人は、ツナ缶で日本風のおにぎりを作ったそうです。

女性は、日中戦争について、こう語り出しました。

「だから、日本人を好きになれなかった。でもーーーー」

と女性は言葉を継ぎました。

「お互い憎みあうのは悲しいことだと、今日気がついた。いつでも遊びにおいで」

中国は怖い、韓国は嫌いと言う人が少なくない。そう言う前に、一歩自分から歩み寄ってほしい。何か感じることがあるはずだ、と記事は述べています。

三本さんは、「あの餃子は幸せの味だった」と作文を締めくくっています。

どんな歴史的状況があったにせよ、我が国が隣国に攻め入ったのは、間違いないことです。いわば隣の家に火を放ったようなものです。隣の家と仲違いしたままで良いはずがありません。何よりも、こうした人々の交流が大切だと、つくづく感じるのです。

 

足底筋膜炎

■20181212(水曜日:雨)

2017年の伊勢神宮です。

■今朝は雨です。昨日の天気予報では、朝の6時までは雨の確率が高かったのですが、それ以降は雨が止むとの予報でした。ところが今朝になってみると今7時27分ですが、相変わらず雨が結構降っています。昨日の朝は2日続けてだったのですが走っておいて正解でした。最近の天気予報は大抵あたりますけれども、必ずしも100%というわけにはいきませんので、やはり余裕を見ておくことが大切です。

ところで、ここ一週間ほどでしょうか足の裏に違和感を覚えています。足底筋膜炎でしょうか。私の場合は右足の土踏まずの少し親指側に違和感を覚えています。12月2日にお伊勢さんマラソンを走ったのですが、その後特に痛みを覚えていたわけではありません。今週に入ってからでしょうか。記憶が、あまりはっきりしないのですが、普段生活しているぶんには、特に困ることはありません。昨日の朝走った時も痛みのために妨げられるということは、ありませんでした。 ちょっと心配ですので、少し調べてみました。痛みの部位は足の裏という点では共通しているのですが、土踏まずよりも、かかと側だったり親指側だったり、いろいろのようです。シューズの問題や準備運動の大切さなどいろいろ対策が書かれています。トレーニングとして足の指を足底側にぎゅっと曲げて親指を90°近くまで屈曲させる方法が良いという記載がありました。とりあえずいつでもどこでもできそうですのでしばらく続けてみようかと思っています。

最近はランナー膝と呼ばれる痛みに襲われることは無くなりました。走り始めた頃は長く走ると、この膝の痛みに襲われて、とても辛い思いをしました。それでも何とかゴールまでたどり着いていたのですから我ながら、よくやったものです。このランナー膝に襲われると走ることができません。膝に力が入らなくなるのです。昨年の立川マラソンを走った頃からでしょうか、ようやくこのランナー膝から解放されました。

2014年1月19日に参加した、東京マラソンのコースを走るランニングショップの走ろう会では、本当に苦しい思いをしました。都庁からスタートし当時のゴールであったお台場まで、東京マラソンのコースを参加者と一緒に走ったのですが、途中からランナー膝に襲われました。銀座通りを走っていて、ちょうど三越前の辺りからでしょうか、痛みが出現して、次第に皆さんから遅れ始めました。当日は冬晴れの快晴で風が強く、走っている間は日差しのおかげで暖かかったのですが、一旦歩き始めると、体感温度は一気に下がり、低体温症に陥ってしまいます。 お台場にたどり着き、もうすぐゴールという時点で、 お腹を壊してしまいトイレに駆け込むのに大変な思いをしました。マラソンというのは、どんなに遅い速度であっても、とにかく走り続けている分には支障はないのですが、何か問題が起きて走ることを止めてしまうと、様々な試練が襲いかかってくるのです。 実際に体験してみないと分からないことが、本当にたくさんあるものです。

流儀

■20181207(金曜日:曇)

 

お伊勢さんマラソン、5キロの部がスタートです。

 

 

■今朝はゆっくりと休みました。昨夜はロータリークラブのテーブル会。二ヶ月に一度、例会場のテーブル座席が変更されます。その度にテーブル会と称して飲み会を開催し、懇親を深めロータリー情報を交換します。これはとても良いことだと私は思います。ロータリークラブの例会は私たちのクラブでは12時半から1時半までの1時間しかありません。しかも食事を取りながらですし、1時間のスケジュールも、びっちり詰まっていますので多くの場合会員同士で言葉を交わすことは困難です。やはり知り合うには言葉を交わすことが第一です。そういう意味でお酒を酌み交わしながら四方山話からスタートするのは、より良い人間関係を築き、より良い活動をするためには、とても有効だと思います。

 

昨日のテーブル会ではクラブの会員増強を進めようということで、皆さんの意見が一致し決起集会の如き様相を呈しました。現在我がクラブの会員数は29名。もう少しで30名となりますか、あと1名がなかなか大変なのです。どのクラブも会員として相応しそうと思われる人には、当然声をかけていますので、いわば争奪戦の形になります。ある意味では早い者勝ちになりますので、一足遅かったということもよくあります。会員の皆さんは法人会を始め様々な会に所属されている方も多いので、そうした仲間の中から相応しいと思う方に声をかけてくれるわけです。私どものクラブは決して大クラブではないのですが、まとまりも良く、年齢層も長老から若い方までバランスのとれた、とても良いクラブだと私は思っています。

 

ただ一つだけ残念だったのは、新しく入られた会員の方がタバコを吸い始めたことです。 大勢の人が集まる席でタバコを吸うことは控えるべきマナーの一つです。受動喫煙によって年間15,000人が死亡しているという報告もあるほどです。長く会に所属している方は、そうした点を考慮してタバコを吸う場合には席を外してている方がほとんどなのですが、入ったばかりのその方には残念ながら、そうした配慮がありませんでした。他者に配慮するという意味で、社会人として、いや人間として基本的なマナーだと私は思いますが、未だに、こうしたことに気付かない方がいることに大変残念な思いでした。

 

■今朝の東京新聞朝刊「私の東京物語 第6話」では、「広尾の喫茶店」と題して喫茶店「COREDO」のことが書かれています。彼女の劇団の事務所は高円寺から広尾に引っ越し、そこで交差点にある、とあるビルの2階の喫茶店で台本を書くことが多くなった、というのです。それが喫茶店「COREDO」だったのです。高泉淳子さんによれば、

 

店内は静かにジャズが流れていて、ジャズプレイヤーの写真が壁に飾られていた。長くいてもお店の人は何も言わず、怪訝そうな様子を少しも感じられない。いい感じにほっていてくれる。台本の締め切りが迫っていて慌てて店を出た。天現寺の交差点に向かう一つ目の信号のところで、「すみません」と後ろから呼び止められて振り返ると、息を弾ませた声で「これ、お客様のペンですよね」と。なんと、それは、ちあきなおみ!

パートナーが亡くなってから、その店もなくなり、ちあきさんもどこにも姿を見せなくなった。彼女の流儀。 あの店の佇まい。彼女の歌声。彼女の人気のゆえんです。

 

いま、ちあきさんは、どうしているのでしょうか。

 

■画面に、今日から WordPress 5.0 が利用可能になったので更新してください、という案内が掲示されています。さて、どう変わったのでしょうか。楽しみです。

 

 

決断と実行

■20181206(木曜日:雨)

 

大会長として活躍される野口みずきさん。当日私は、二回も野口さんとハイタッチさせてもらいました。

 

 

■今朝は夜半から雨でした。資源ごみの日でしたが、我が家が当番に当たっていて、Sunが6時から8時まで置き場の前で、整理をしなければなりません。いつもは私が、それぞれの資源ごみが入った3つの袋を持って、集積場まで置きに行くだけなのですが、今日はそうはいきません。雨の中での作業ですから大変です。ご苦労様です。

 

■東京新聞、「この道」欄は J リーグの川渕三郎さんです。今日の題名は、「開幕前夜」。

 

Jリーグの開幕にあたって僕には腹案があった。

開幕の日、1993年5月15日の土曜日は、当時人気と実力を兼ね備えていた2チーム、ヴェルディ川崎と横浜マリノスのカードだけを国立競技場で行い、 NHK で中継してもらう。他のカードは翌日曜にやる。そんな考えだった。おそらく猛反対されるだろうな、とも思っていた。

 

この原稿を読むと、川淵さんは人の心を掴む敏腕営業マンだなぁ、とつくづく感じますし、ありきたりの言葉ですが、用意周到、決断と実行、という言葉を思い出します。こうと決めたら譲らない。もちろん、そこへ行くまでには用意周到に準備をする。

 

どんな小さな組織における、どんな些細な決め事でも、上記の手順は基本中の基本に違いありません。1936年生まれですから、今年82歳。スーパー高齢者です。バスケットボールのJPBLの初代チェアマンも務めました。人をまとめ上げるというのは、本当に大変です。そこで大切なのは、私心をいかに捨て去るか、という点に違いありません。己の欲が前に出ては、他者はその足元を見てしまいます。

 

しかし私心を離れることが、どれほど難しいか。欲を離れることは、並大抵ではありません。

 

 

 

 

沖縄独立論

■20181204(火曜日:雨)

 

近畿鉄道伊勢市駅です。マラソン開催当日の朝です。

 

 

■今朝は暖かな朝でした。日曜日にハーフマラソを走ったばかりで、さすがに今朝も安静に休みました。今回のハーフマラソンでは、今までで一番しっかりと走れたような気がしました。つまりは自分の筋力で、お尻や太ももの筋肉でしっかりと足を上げ、前に出し、地面を蹴って走りきったという実感がありました。本当に辛かったのですか途中で歩くこともなく、最後まで走りきることができました。平均のペースはキロあたり6分17秒でしたが、私としては最高の出来です。普段でしたら、とてもこの速度で10 km を走ることはできません。大会であるとか、周囲のみなさんの応援のおかげなのです。一人で黙々と走るというのは、それはそれで楽しいこともあるのですが、結果としてみると、記録的には難しいものです。

 

走り終わって本当に達成感が沸き起こりました。長く苦しい時間から解放された喜びというのは本当に格別です。自分の力では、今回のランニングが精一杯でした。長い長い上り坂のコースでは、決して前を見ないように心がけました。心がめげてしまうからです。一歩先の地面を見つめて、そこへ足を運ぶことだけに集中しました。本当に自分は精神的に弱いなと、つくづく実感しました。でもそうした弱い自分と上手に付き合えば、超人的な成果は出なくても、それなりの結果が残せるのではないかと思ったりします。

 

マラソンを走った後の筋肉痛も、年寄り特有の時間差があるのですが、今回は思ったほどひどくはありません。以前は翌日、あるいは翌々日になると、階段を降りるのは時に辛くなることがありました。それが今回はあまりないのです。全くないわけでは、もちろんありません。階段を降りる際に少し引っかかるような感じはするのですが、いわゆる筋肉痛で辛いということはありません。毎月100 キロという目標を持って、短い距離ではありますが、着実に積み重ねてきた成果に違いありません。11月まで連続45ヶ月間毎月100 km を走りました。月100キロの走り込みではフルマラソンを走るには不十分だと、高野コーチにも指摘されているのですが、今の自分の力では、毎月200キロはとても達成できそうにありません。自分に残された時間が少ないので、これから頑張って月200 km 走れるようになる可能性はほとんど無さそうですが、まあ無理をしても仕方ありません。それぞれの力の中で、楽しみながら積み重ねていくしかありません。幸いTakuもYukoさんも付き合ってくれそうですので 、とっかかりは何でも良いのです。これからもSunを始め家族を巻き込んで、続けていこうと思っています。

 

■先日の東京新聞「私説 論説室から 沖縄独立論をあざけるな」という記事は大変興味深いものでした。 構造的差別の打破には「沖縄のことは沖縄で決める」との自己決定権の確立と行使しかない。そう考える県民が沖縄には増えていて、近年は「独立」も真剣に議論されている、というのです。 2013年に設立された県民有志の「琉球民族独立総合研究学会」によると、県民投票で支持を得て県議会の議決後に知事が独立を宣言、国連が認めれば独立は可能というのです。

 

中近世の500年近く、琉球王国は中国と朝貢関係にあったとはいえ侵略されたことは一度もない。逆に中国は職能集団を移住させたり琉球からの留学生を厚遇したりと関係を重視した。「利害対立要因がなく友好が保たれた」と比屋根照夫・琉球大名誉教授は語っています。

 

この500年近くの歴史が、とても大切だと私は思います。沖縄が言わば日本に併合されてからの時間とは比較にならないほどの長い時間、琉球は中国と有効な関係を築いていたのです。そして何より琉球は繁栄していたのです。難しい舵取りの中を自分たちのことは自分たちで決めて、平和と安定を維持していたのです。このことは、とても大切な点だと思います。今のままの状況が続けば、沖縄が日本に止まる意味が、ますます薄れてしまうことは必定です。本土に住む私達が真剣に考える時ではないでしょうか。

 

 

一夜明けて

■20181203(月曜日:曇)

 

川口市立飯塚小学校です。ここに二宮金次郎像がありました。朝礼の時など、私達を見つめてくれたいました。

 

 

■昨夜は、よく眠れました。さすがに日曜日にハーフマラソンを全力で走った甲斐がありました。15 km 過ぎから伊勢道に入るのですがこの道路に入ってから登りがきつく延々と続く上り坂には正直へこたれました。途中から一人の女性が私の前を走り始め、ちょうどペースが自分に合っていたので、彼女のピンク色のランニングソックスだけを見つめて前方を見ないように心がけました。なぜなら前方を見てしまうと、はるか先まで続く上り坂で精神的に参ってしまうからです。とにかく前を走る女性の足元だけ、前に一歩を踏み出すんだ、という気持ちで走り続けました。最後の1キロのとこまで来ると右側にゴールのある三重県営サンアリーナが見えてくるのですが、そこまでは広々とした2車線の伊勢自動車道を走りながらもゴールが見えずに、とても苦しい道のりでした。

 

Takuも同じように苦しい思いをしたようです。昨年の参加と異なり今年は仕事が忙しく練習もできなかったようです。最初の1 km、そして5 km 走った時点で本当に完走できるのかどうか不安にすらなったと言っていました。それでも走り終わってみれば立派に完走。昨年より3分ほどゴールが遅れたようですが立派なものだと思います。

 

私自身は今まで何十回もハーフマラソン以上の大会に参加しましたが、初めて最後までしっかりと自分の筋力、つまりはお尻の筋肉、太ももの筋肉を使って最後まで足を前に出すことができたように思いました。今までは、それなりに一生懸命走っていたのですが、自分の筋力で最後まで、最後の一歩まで走りきったという実感はなかったように思います。従って昨日走り終わった時には、本当に達成感がありましたし疲れ切りました。

 

Sunが迎えに来てくれていて、ほっとしましたが、その後にちょっとしたハプニングもあって時間を取ってしまいました。ランナーの順路はきちんと作られていてゴールし終わった私もそれに従って行けば良かったのですが、途中でボランティアの方に写真を撮ってもらおうと思いながら探しているところでSUNに出くわしました。 その後二人で、すぐに県営アリーナに戻ってしまったのですが、それが間違いの元でした。順序に従っていれば途中で参加賞の立派なタオルや赤福引換券などのご褒美をもらえたのですが、直接県営アリーナの方へ行ってしまったために、大事な引換券をもらい損ねてしまったのです 。県営アリーナに戻り預けた手荷物を引き取り、出口の所にある赤福引換所でお土産をいただこうかと思ったところ、担当者が大声でランナーに案内している引換券を自分がもらっていないことに気づきました。担当者に聞いてみると、ここではなくて別の棟の体育館に、もう一度戻って、そこで引換券をもらってくださいと言われました。順路に従って歩いていれば無事に終わったのですが、こんなことも起こるのです。去年はスムーズに順路に従ったのでしょう、こんなことはありませんでした。

 

 

あの日

■20181201(土曜日:晴れ)

 

川口市立飯塚小学校です。幼小児期というのは、ただただ楽しかった思い出しかありません。あの日に帰りたい、と誰もが思うのが、この時期です。

 

 

■いよいよ今日から師走です。ただ新しい月が始まったと言うだけなのですが、そうではありません。一年の総決算の月です。この一年間を振り返って、そして新しい年に向かって思いをはせる月ですから、とても大切です。

 

来年には元号が改まります。平成天皇が退位され、新しい元号になるのですが、陛下がお元気な間に、新しい元号になることは初めてですから、これもめでたい事に違いありません。崩御されての新しい元号でも、もちろん良いのかもしれませんが、こうした形を希望された今上天皇の強い意志は、本当に凄いと思います。

 

想像もできない長い歴史を持つ皇室の中にあって、自分の役割とは何なのか、本当に全身全霊を持って問い続けた30年だったのではないでしょうか。そして今、私達が感じている皇室への親近感は、天皇・皇后両陛下が30年かけて築き上げて来られた結果ではないか、と私は感じます。

 

昭和という激動の時代の後の平成にあって、昭和天皇の時代をともに生きた今上天皇は、ある意味試行錯誤しながら、自分自身の歴史的役割を問い続けたはずです。そうして出した結論が、国民とともに歩み、国民に寄り添うという皇室、という皇室のあり方ではないでしょうか。皇后陛下のお人柄も相まって、陛下のこの思いは、きっと一人ひとりの国民の心に深く刻まれたに違いありません。

 

来年の1月2日には、私も皇居へ参賀に行こうと思っています。

 

 

ランニングシューズ

■20181130(金曜日:晴れ)

 

ハノイ旧市街での様子です。ベトナムの女性は、よく働きます。

 

 

■今日で11月も終わりです。いよいよ師走。何だか昨年も、同じように溜息をついていた気がします。昨年の年末は、来年になればTakuも就職し、結婚もするんだ、と何だか夢を見るような思いでいました。それが全て現実のものになったのですから、まさに時の流れは恐ろしいものです。

 

自分自身も、降って沸いたような職務が回ってきて、自分にこなせるものか不安でしたが、皆さんの支えで何とか今のところボロを出さずに済んでいます。同窓会にも出席しました。高校時代の、そして中学時代のものもありました。それは何より内館牧子さんの「すぐ死ぬんだから」が引き金でした。昨夜も寝る前に床の中で、再読し終えました。一度目と二度目では、心に残る部分が異なりました。

 

自分自身も今年で前期高齢者の仲間入りです。保険証が変わって、本当に高齢者の仲間入りしたのだ、とこれは確かに感慨深いものです。今のところ大した病気もせずに、多少物忘れが気になる程度で済んでいますが、これからどんな変化が体に起こってくるのか、じっと自分を見つめるしかなさそうです。

 

■今朝の東京新聞にはマラソンシューズについての記事が掲載されています。題して「厚底か薄底か」。

 

「次々新作 メーカー開発競争」
薄底シューズは、作りが繊細フィット感がいい。厚底シューズは、足置くだけ、前へ進む感覚。

 

本格的なマラソンシーズンの到来を前に、新たなマラソンシューズが発売されました。「薄底シューズ」です。スポーツ用品メーカー「ニューバランス」が発売しました。最近はナイキが発売している「厚底シューズ」が世界のマラソン界を席巻しています。薄底シューズはシューズ職人三浦仁司さんとメーカーが共同開発しました。三村さんは「信念、理念で作った。今までにない履き心地。多くの日本人に合うシューズ」と胸を張った、と書かれています。

 

厚底シューズ、薄底シューズ、それぞれ愛用者が感想を述べています。どちらの意見も正しいのでしょう。三村さんによれば、「日本人の10人のうち8人くらいは足首が柔らかい。だから新作の薄底シューズは多くの日本人ランナーに合うと思う」と自信をのぞかせています。

 

私のような初心者にとっては、どちらでもそれほど変わりのないような気もしますが、負担がより少ない、という点から考える、厚底の方が楽なのかなと私自身は想像しています。どちらにしても選択肢があるというのは素晴らしいことです。試してみようと思っています。

 

 

アイバンク運動

■20181129(木曜日:晴れ)

 

ベトナムの人力車シクロです。旧市街を流してくれます。

 

 

■今朝は暖かな朝でした。生ぬるい、とすら思える暖かさでした。今朝からは休養モードです。日曜日に備えて披露を取り除く必要があります。昨夜はこの冬初めて、ネックウォーマーを着用して床に入りました。東向きの窓に頭を向けて寝ているので、肩口から冷えてくるのです。夏は風が涼やかなのですが、冬はブラインドをしっかり閉めても冷えるのは致し方ないようです。その御蔭かどうか、熟睡できました。原因は分かりません。単に疲れていただけかもしれません。何度か試してみないと、はっきりしたことは言えません。

 

昨夜は沼津ライオンズクラブのみなさんと、アイバンク活動について食事を共にしながら、忌憚のない意見交換を行いました。こうした交流会は、今回が初めてのようです。沼津ライオンズクラブには、日本のアイバンク運動の父と言われるNPO法人日本アイバンク運動推進協議会最高顧問で真楽寺住職の勧山弘(すすやまひろむ)さんがおられました。勧山弘さんは、今年の11月8日99歳で亡くなられましたが、ご自身も検眼をされたそうで、沼津ライオンズクラブでは、厳戒態勢で取り組まれたようです。その時の様子なども聞かせていただきました。

 

静岡県はアイバンク運動が盛んな地域です。現在は検眼をされるご遺体から眼球を摘出するのは、眼科医の仕事になっています。特に検眼数の多い静岡県東部では、摘出に赴く眼科医の負担が、重いことが問題になっています。アメリカなどでは教育を受けた専門の方が、そうしたことは行っているようです。

 

いろいろな問題はあるものの、もちろんアイバンク運動が尊いものであることは間違いないことですので、皆さんで力を合わせて良い方向へ向かうことができるように、これからも交流会を開催することで一致しました。

 

環境保護

■20181127(火曜日:晴れ)

 

ベトナム・ハノイのお昼時です。歩道に俄仕立ての昼飯屋さんです。

 

 

■今朝はゆっくりと休みました。12月の2日のお伊勢マラソンに向けて調整です。明日の朝いつものとおりに走って、月間目標を達成し、その後は本番まで休息です。

 

昨夜は冷え込みも弱く、寒さ対策で着込んだ寝間着代わりのフリースのためか体温が上がってしまい、動機で目が覚めてしまいました。最近は体温調節能力が低下しているのか、寝ていて暑すぎると動機がして困ります。体を冷やさないと寝つけなくなりました。年を取るというのは、本当に大変なことです。

 

■今朝の東京新聞朝刊では木村太郎さんが、「太郎の国際通信」でアメリカ・カリフォルニア州の山火事について書かれています。山火事の原因は、まだはっきりしていないようですが、北部のパラダイス町の火事は、どうやら電線のショートから始まったのではないかと疑われているようです。カリフォルニア州の山火事では電線がショートして枯れ木や枯れ草に燃え移り広がることが多いそうです。こうした危険性を防ぐためにカリフォルニア州議会では2年前、全会一致で山火事防止法案を議決していたのですが、カリフォルニア州のブラウン知事(民主党)が拒否権を行使してこの法律は実現しませんでした。

 

ブラウン知事の拒否権行使の背景には、カリフォルニア州の環境保護派が森林伐採に対し強く抵抗していることがあると言われています。トランプ大統領は「山火事の原因は森林管理の失敗からだ」と言ったのも、あながちでまかせではなかったようです。

 

国土管理や国立公園などを担当するジンキ内務長官は者会見で、

 

森林の密度、特に枯れ木の密度が高いほど山火事の危険性が大きいわけ由で、我々は森林管理をしたいのだが、環境保護過激派が次から次へと訴訟を起こして妨害してきた。彼らは森林全体を燃やしても、一本の木を切ったり森を間伐しない方が良いと考えているようだ。

 

 

これに対してカリフォルニア州のリベラル派は、パリ協定離脱に代表されるトランプ大統領の環境軽視が今回の災害の遠因だと批判している。今回の山火事はやっと鎮火したが、政治問題の方は火勢が弱まる気配は見えない、と書かれています。

 

まさに不毛の論争です。森も手を入れないと荒れ放題になるのは、日本でも大きな問題になっています。アメリカは植林した森なのかどうか知りませんが、やはり手入れが必要なのでしょう。建設的な議論を経て、より良い環境を維持していくしか無いようです。

 

 

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