2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

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体質

20180303(土曜日:晴れ)

 

メルボルン市内を流れるヤラ川沿いの光景です。隅田川周辺の風景と一緒だ、と思いました。

 

■三月に入って花粉症が酷くなっています。患者さんの数も急増。そして自分も鼻水を流しながらの仕事です。そう10年前には本当に大変でした。ティッシュペーパーでは間に合わないので、タオルを傍らに置きながらの診療でした。それがいつの間にか、時々鼻をかめば済む程度に軽くなりました。

全てが穏やかになってきているのでしょう。花粉に対しても人に対しても。それで良いのです。年を取るということは、そういうことなのです。

■Sunは未だに酷い花粉症に苦しんでいます。そこで漢方薬を勧めてみました。二日前からツムラ漢方小青竜湯エキス顆粒を飲み始めました。鼻の方は乾いてきて楽になってきたのですが、副作用が強くで合わないようです。消化器症状です。吐き気、食欲不振、胃部不快感などです。頭は覚醒しているに、こうした症状のために眠れない、というのは辛そうです。まるで二日酔いの私の症状のようです。

漢方薬は体質にピタリと合うと、本当にすごい効果を発揮するようです。それだけさじ加減が難しいようです。

 

低気圧

20180302(金曜日:晴れ)

 

オージービーフです。メルボルンの市場で売られていました。赤みの美味しそうな肉でした。

 

■今朝は走りました。6.11km を走り、今月のスタートを切りました。考えてみると寒さのピークだった、そして日照時間が短く、日数も少ない二月を無事に乗り切ったのは、我ながらよくやりました。

今朝は体が重く、走っていても前に進むのが本当に一苦労だったのですが、記録を見るとキロ6分13秒で走っていますので自分としては決して遅い速度ではありません。体感とは、かなり遊離していました。こんな日もあるのです。

昨日の朝は雨でしたが、今朝は台風一過のような朝でした。でも昨夜は気温の変化に翻弄されたようです。夜半過ぎまでは暖かく、明け方になって冷え込んだようです。掛け布団を何度も掛け替えました。

それでも記録によれば睡眠時間は、6時間50分。深い眠りが1時間25分、浅い眠りが5時間25分、そして目覚めが5分という結果です。途中午前2時過ぎに一度目が覚めて眠れない時間を過ごしたように思ったのですが、記録を見ると、そうでもないのです。

この記録を取り始めてからは、眠れない、眠れないとイライラする必要もないことに気付きました。眠れないと思っているのは本人だけで、実は寝ているのです。逆に眠らずにはいられない、と考えるようにしました。そう考えると眠剤などを服用する必要も無い、と割り切れるようになりました。

■数年に一度の規模の低気圧が北海道を通過する見込みで、これから北海道の日本海側は暴風雨に警戒が必要だ、と朝のニュースで何度も伝えていました。その中には、留萌も含まれていました。以前Sunと二人で夏にドライブをしました。宗谷岬から海岸線を南下したのです。

最高の晴天に恵まれ、とても良い思い出になっています。その留萌が暴風に襲われるというニュースを聞いて、被害が出なければよいのだが、祈るばかりです。

 

春の嵐

20180301(木曜日:嵐)

 

Flinders Street Station is the central railway station of the rail network of Melbourne, Australia. It is on the corner of Flinders and Swanston Streets next to the Yarra River in the middle of the city, stretching from Swanston Street to Queen Street and covering two city blocks. Each weekday, about 105,000 people and 1,500 trains use the station.

 

■今日から弥生、三月。ところが朝から嵐です。午前6時21分現在時折激しく風が吹き荒れ狂い、雨粒が窓を叩いています。通勤にも影響が出ているようです。三月は嵐の中の出発となりました。

それでも暖かいのです。昨夜は薄手の羽毛掛け布団と、これまた薄手の毛布で少しも寒くはありませんでした。記録によれば深い眠りは合計1時間。途中一度トイレに起きましたが、しっかりした睡眠を取ることができました。

■先週からタニタの体組成計が壊れてしまいました。C9という警告を出したまま電池を替えても電源が入らなくなりました。ということで、体脂肪率などの情報が途絶えています。

■昨日の東京新聞には、とても興味深い記事が掲載されていました。「象徴の歌 平成という時代」です。歌人 永田和宏さんによれば、昭和から平成に時代が移り、その間に大きく変わったものの一つに、天皇皇后による海外歴訪の旅がある、というのです。

最初の訪問は、平成3年のタイ、マレーシア、インドネシアでした。そしてそれは、それまでの欧米重視から、より近いアジアを大切にしたいという意識が、さり気なく示されていた、と永田さんは指摘しています。

私が勝手に想像するに、太平洋戦争で戦場になったアジアの民衆に対する贖罪の念、という強い思いが平成天皇にはあったのではないでしょうか。平和の象徴としての天皇陛下が、率先してアジア諸国と友好関係を構築することは、新しい天皇制にとって必要不可欠だ、という思いです。

そして、その思いは様々な形で実を結びました。ご自分の専門領域である魚類の知識を活かし、タンパク源の不足に悩むタイの山岳民族のために、テラピアというアフリカ原産の淡水魚を贈ったのです。養殖への政府の後押しもあって、今ではタイの庶民料理にとってナマズと並ぶ重要なタンパク源になっている、というのです。

これは驚くべきことだ、と永田さんは指摘されています。私達が知らない逸話です。常に庶民とともにある平成天皇の面目躍如と言えます。ご自身も、きっと喜んでおられるはずです。

■トランプ大統領の登場によって、アメリカが全てを差配する時代は終わろうとしています。地域の大国たちが責任を持って地域の安定を模索する時代の到来です。我々は東ばかりを忖度していれば良かった時代は、まもなく終焉します。それに備える必要があるのです。

 

 

花粉症

20180228(水曜日:晴れ)

 

メルボルンの市場です。地元の海産物が並んでいます。イカリング、squid ring です。

 

■今朝はゆっくりと休みました。目標達成のために昨日は頑張りましたが、息切れです。まぁ、良いでしょう。明日からは、また新しい月の始まりですから、一から積み重ねを開始しなければなりません。ここでは一息入れて明日からの挑戦に備えましょう。

 

■先週から花粉症の患者さんが増えましたが、今週に入ってさらに増加しました。となると、自分にも、その季節がやってきます。昨日は自分も点眼薬を使い始めました。ケトチフェンです。ところが、この薬に過敏に反応する体質があるために困ります。眠気です。

この薬を点眼し始めた頃は、何が起こったのか理解ができませんでした。体はだるいし、眠いし、それだけよく効くことは効きます。目の痒みも鼻水も止まりますが、いかんせん仕事中に眠くなっては困るので、夕食後に点眼するだけです。

確かに、眠気という副作用がある、とは書いてありますが、まさか自分がそうなるとは夢にも思いませんでした。

 

結婚記念日

20180227(火曜日:曇)

 

メルボルン市内を流れるヤラ河畔の風景です。懐かしい思い出です。

 

■今朝は走りました。二月は明日で終わり。ここへ来て三日少ないというのは大変です。下手をすると二回分が足りない勘定になります。日曜日にLSDをして、何とか帳尻を合わせることができました。今日は 6.08km を走り、総計 100.64km を積み重ねました。

何とかこれで首の皮一枚で繋がったことになります。月100キロの目標は、途切れされるのは簡単ですが継続するのは難儀です。これで36ヶ月連続目標を達成しました。記録を取り始めてから、総計 6573km を走ったことになります。どこまで続けることができるか分かりませんが、継続こそ力なりですし、それが毎日の支えになっていることは間違いありませんので、可能な限り続けていくつもりです。

いま一番の支えはAyaちゃんでしょうか。Ayaちゃんが目標達成するまでは自分も応援するつもりで継続しようと思っています。

■さて今日は結婚記念日。1982年ですから、もう36回目です。あら、36ヶ月連続月100キロ走とぴったり一致です。

(●^o^●)

二人きりの家族から、今ではYukoさんも含めて6名になりました。三倍に増えたのですから、この地球上でサピエンスが繁栄するはずです。他の生き物からすれば、はた迷惑かもしれません。

(●^o^●)

続きは、後ほどにしましょう。

■もう36年にもなります。あの日は曇り空で、少し肌寒いような天候でした。東京の東条会館で式を挙げました。

披露宴を終えて、そのまま義兄が車で成田空港まで送ってくれました。

私の愛読書、「地中海のほとり」に登場するスペインへ行こう、と二人で計画しました。1982年2月の平均レートは、一ドル235円とありますから、いまでは想像もできない時代です。

つまりは同じ旅をしても倍の費用がかかる、ということですから大変です。確かツアー代金は一人35万弱だったと思います。それでも格安ツアーでした。

何より違うのは、西のスペインへ行くのに成田から東のアラスカ・アンカレジ空港へ向かったということです。当時は冷戦真っ只中だったのです。

アンカレジ空港で時間を潰して、さらに東へ向かったのですが、空港では外へ出るのでもなく、ただただ時間を潰すだけだったように記憶しています。

アンカレジから、まず向かったのがベルギーでした。ブリュッセル空港でしょうか。そこからバスに乗って、「小便小僧像」を見に行きました。「世界がっかり三大名所」の一つだそうですが、確かに、これだけ、と思ったことを覚えています。

乗り継いで向かったのがスペインのマドリード空港。ようやく目的地に辿り着きました。ほとんど一日がかりでした。最初の夜に泊まったホテル名は覚えていませんが、ドアの鍵が壊れていたのと、とても古式ゆかしい伝統的な素敵なホテルだったことは覚えています。

フランコ総統が死去したのが1975年ですから、もうその当時のスペインは王国に戻っていました。Wikipediaによれば、

 

1975年にフランコが死ぬと、フランコの遺言どおりにスペインにボルボーン王朝が復活した。フアン・カルロス1世は、即位前にフランコの指示で帝王学の教育を受けていたこともあり、そのままフランコの独裁政治を受け継ぐかと思われたが、即位後は、政治の民主化を推し進め、急速に西欧型の議会制民主主義および立憲君主制国家への転換を図った。

 

と、あります。あまり質の良い国王に恵まれなかったスペインに、久しぶりに登場した賢帝だと言われました。しかし残念なことに晩年には、その贅沢ぶりが批判の対象になり、さらにアフリカでのアフリカゾウの狩猟が批判の的となり、健康問題もあり、2014年に退位となりました。

 

世界自然保護基金の名誉総裁の職にあったにもかかわらずレッドリストに掲載されている動物を対象にスポーツハンティングを行ったことについて世界的な批判を受けることとなり、名誉総裁を解任されるに至った。

 

経緯は、このようです。大変残念です。歴史と伝統の異なる両者を比較するのは無意味かもしれませんが、平成天皇の人間としての素晴らしさは、本当に私達の誇りです。

国民の幸せを第一に願う、当たり前といえば当たり前なのですが、それを願い続けることは、とても難しいことなのです。

 

 

 

 

 

出会い

20180226(月曜日:曇)

 

昨日は静岡第三分区のIMでした。三名の米山奨学生が来られてお話をされました。

 

■先週後半から花粉症の患者さんが増えてきました。Sunも私も同様に花粉症持ちですから、辛いのは一緒です。でも私は年寄りになったためかどうか分かりませんが、以前よりはずっと症状が軽くなりました。

以前は私も鼻炎が酷く、眠ろうとしても鼻水で眠れないほどでした。花粉除去器を購入して寝室に置き、一晩中動かしていたほどです。ところが最近は、そんなことをする必要も無くなりました。鼻水も出ますし目も痒いのですが、付き合っていける程度に軽くなりました。

■さて昨日は朝方LSDをして、ゆっくり朝食を取り、9時にスタートした東京マラソンをテレビ観戦していたら、11時を過ぎてしまいました。12時3分の電車に乗らなければなりません。一寝入りしてから出かけようと思っていたのですが、それどころではありません。慌てて着替えをして駅に向かいました。

沼津駅で電車を降りる際に、新富士クラブの小山さんや富士山吉原クラブの曽根さんなどに会いました。

会場のリバーサイドホテルに到着。三階の会場に着き受付を済ますと、嶋村さんが待っていますよ、と呼び出されて来客用の部屋に通されました。特別講演の演者 石橋正男さんを始め東江戸川ロータリークラブのみなさんがおられました。

本日の開催テーマ『未来へつなごう 若者たちに私達ができること』のために、起こしくださったのです。

沼津柿田川クラブの手作り感一杯のIMは、内容に富んだとても素晴らしい会でした。有名な演者を呼んで単に講演をしてお茶を濁す、という一般的な方法を取りませんでした。時間も手間も掛かったでしょうけれども、訴えるものも大きかった会でした。

■先月富士宮クラブでさせてもらったベトナム支援の旅卓話のお礼状と、会員の皆様からいただいたカンパの領収書、そして4月に行う写真展のパンフレットを富士宮クラブの渡邊会長にお渡ししてありました。ところが米山奨学生の三名の方の中に、ベトナムからのマイ・ティ・フォン・ズンさんがいたのです。

山梨県立大学に在学中です。いったんお渡ししたのですが、写真展のパンフレットを一旦返却していただいて、懇親会の席でフォンさんにお渡ししながら私達の活動を簡単に説明することができました。

こんな出会いもあるのですね。

これからさっそくメールを出すつもりです。

 

懇親会の席で。前島さん、奨学生 フォン・ズンさん、私、そして雨宮さん。

 

 

東京マラソン

20180225(日曜日:曇)

 

メルボルン市内を走る市電です。本当に便利です。

 

■今朝は6時に起き出してLSDを行いました。時間的に目標達成が危うくなってきたからです。2時間走を目指しましたが、最後はトイレに行きたくなってしまい、1時間54分18秒で止めました。17.23km を走り、総計 94.55km、残り三日間で 5.44km となり、何とか目処がつきました。キロ6分37秒ですから、私としては悪くありません。とにかく、ゆっくり、ゆっくりと言いながら走り続けました。

今日は東京マラソンの日です。9時にスタートしました。高速レースの申し子のようなレースです。記録を出すためにコース設定がされています。スタートを確認してから三階に上がってきて、こうして更新し始めました。

以前ランナー仲間に話を聞く機会がありました。東京マラソンを走った経験のある彼は、もう二度とあの大会には出たくない、と言っていたのが、とても印象的でした。とにかくスタートを待つ間、寒くて、寒くて参った、と言うのです。

先頭がスタートしても最後尾のランナーがスタートできるまでは、10分以上、いやもっと掛かるのでしょうか。一時間前には並んでスタートを待つようですから大変です。走りだす格好で待つわけですから、コートを着て待つ、という訳にはいきません。人混みの中で待つとは言っても、気温が下がって風が吹こうものなら、低体温になってしまいます。

私も以前袋井クラウンメロンマラソンを走った時に、同様の経験をしました。寒風が吹きすさぶ競技場では、建物の中や影に隠れて暖を取らないと、とても我慢ができないほど寒いのです。走り出すまでは、本当に我慢するしかありません。

■今日は昼から会合です。ロータリークラブ静岡第三分区IMです。9クラブが一同に介して懇親を深めます。

先日お世話になった富士宮ロータリークラブの皆さんに会えるのが楽しみです。

 

月光仮面

20180224(土曜日:曇)

 

河津さくらです。今日から気温が上がるようですので来週が満開でしょうか。

 

■今朝は走らずに、ゆっくりとまどろみました。少し寒さに熟睡できなかったのですが、あとで掛け布団の上の毛布が外れていることに気づきました。そのために温度管理が、うまく行っていなかったようです。記録によれば昨夜の睡眠時間は、6時間35分、その内訳は、深い眠りが45分、浅い眠りが5時間50分、目覚めが10分でした。今週は木曜日の夜の、1時間50分の深い眠りが最長時間でした。

■さて今朝の新聞には興味深い記事が色々掲載されていましたが、32面「日々 チョウカンヌ」では、1958年の今日、日本初のテレビ映画「月光仮面」の放送が始まった、とあります。

そう、あの月光仮面です。私が5歳のときです。もちろん当時我が家にはテレビはありませんでしたから、知る由もありません。Wikipediaで調べてみると、以下の記載があります。

 

月光仮面(げっこうかめん)は、KRテレビ(現・TBSテレビ)と宣弘社が制作し、『タケダアワー』第1作として1958年(昭和33年)2月24日から1959年(昭和34年)7月5日まで放送されたテレビ冒険活劇番組、またその覆面主人公ヒーローの名。川内康範原作。

 

さらに当時のテレビ放送と言えば、赤胴鈴之助が欠かせません。これも調べてみると、当然最初はラジオドラマから始まっています。

 

1957年にラジオ東京 (現TBSラジオ)でドラマ化され、公募で選ばれた当時小学生の吉永小百合や藤田弓子が出演した。後に参議院議員となる当時15歳の山東昭子も語り手として出演している。回によっては生放送や公開録音もあった。

放送期間:1957年1月7日 – 1959年2月14日(全42回)
提供:日の丸印の日本水産 – キャッチコピーは放送当時のもの

 

そして赤胴鈴之助のテレビ放送となると、

 

1957年、ほぼ同時期に異なる局で2種類のテレビドラマが製作されている。「日本のおもちゃ遊び」によると本作は日本初のテレビキャラクター玩具が発売された作品である。玩具はヒットし後年の月光仮面や鉄腕アトムへの流れを作った。

 

と書かれています。となると1957年には赤胴鈴之助がテレビドラマ化されています。日本最初のテレビ映画として月光仮面が東京新聞には記載されていますが、テレビ映画とテレビドラマの違いなのでしょうか。

 

富士山の日

20180223(金曜日:曇)

 

富士山の日の「Ayaちゃん桜」です。まだ三分咲き程度です。

 

■今朝は走りました。昨日は夕方から雨。久々ぶりに寒々とした一日でした。今週に入って、朝方冷え込んだように思っても、走り終わった後には汗をかくようになりました。それまでは走り終えても寒さのために汗もかくことは殆どありませんでした。ということは、それだけ気温も上がってきた、ということです。

同じ時刻に起きて同じように走っていても、周囲の明るさも次第に変わっていきますし、走り終わった時の状態も変わっていきます。そこに季節の移ろいを感じることができるのは、走っている特典の一つです。

今朝は 5.93km を走り、総計 77.31km となりました。残すところ 5 日で 22.68km です。

■さて今日は「富士山の日」。静岡県民にとっては、特別の日です。県が推奨して学校も休校にしようとしましたが、残念ながらただでさえ時間の足りない今の学校の状況では、無理だったようです。来年5月1日に皇太子殿下が即位されると、今日という日は天皇誕生日となりますので、自動的に学校もお休みになりそうです。

それにしても平成天皇は強い精神力をお持ちです。これまでの慣例を覆す、ということは並大抵の気持ちではできません。一般人から皇后を選ぶとか、被災地の人々に心を寄せるとか、今までの天皇像とは違うことをする、というのは、長い長い皇室の歴史から見れば、本当に異例です。

想像するに、何もかにも戦争によって存亡の危機にたった我が国の未来を思っての決断だったのでしょう。変化を恐れない、その精神力は本当に凄いと感嘆するばかりです。穏やかなお顔の奥に、国民の幸せを願う天皇陛下の強い思いが隠されているに違いありません。

 

パシュート

20180222(木曜日:曇)

 

ユーレカ・スカイデッキ88から見たメルボルン市内の眺めです。

 

■今朝はさすがにゆっくりと休息を取りました。三日連続で走りましたので、いささか疲れもありました。昨夜の睡眠時間は、6時間10分、深い眠りが1時間50分、浅い眠りが4時間20分、そして目覚めは一昨日同じ0分でした。

二回お手洗いに起きましたが、記録されなかったようです。グラフを見ると20分から40分の三回の深い眠りが規則的に出現して、グラフだけを見ていると、とても熟睡した気分になります。

(●^o^●)

確かに眠れずにイライラした、という時間は、殆どありませんでした。考え事をしても短時間で、また眠りに落ちました。この記録も取り続けると面白そうです。

■さて昨夜は団体女子パシュートの決勝をSunと一緒に応援しました。実に奇妙な種目を思いついたものです。他の競技でも、このように三人が一緒に走って競う、という種目があるのは知りません。

息が合う、というか、脚が合う、というのか、とにかく揃っていないと、とても危ない気がします。日本人選手三名の滑りは、素人が見ていても、とても素晴らしいものでした。

テレビでは、このパシュートを「逆転」と形容して報道していました。確かに最初に先行したものの、2周前後でオランダに逆転され、その後再逆転して逃げ切りました。

ちょうどリンクの反対側から、双方がスタートして競うので、スタートラインとゴールラインが一直線上に並び、記録を見なくても走っている状況がラインの通過とともに視覚的に分かる仕組みになっていて、競技を盛り上げていました。

共同作業を必要とする競技という意味で、日本人に合っているのかもしれません。お家芸の一つになってくれると良いのですが。

 

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